第5話:我が家はいつも騒がしい

 ツヴァルネア城の規模はとにもかくにも大きければ、利用する者も圧倒的数を誇る。

 そのために食堂はわざわざ二つに分けられた。

 ライシが利用するその食堂は、別名【家族団らんの間】と呼称される。

 アスタロッテとその子供達のみが使用する食堂は、例え家臣であろうと立ち入ることが固く禁じられている。

 もちろん、名付け親は城主たるアスタロッテその人だ。

 もっとまともな名前があっただろうに、とは思っても口に出すほどライシも子供ではない。

 あえてセンスのなさを指摘してやることもあるまい。



「おっと」



 長い廊下を渡る道中、ライシの背中に突如衝撃が走った。


 ――またか……。

 ――いきなり後ろから抱き着くのは危ないって、何度も言ってるのになぁ。


 脳裏に浮かぶ容疑者の純粋無垢な笑顔に、ライシは困り顔で振り返る。

 背中にぴったりと一人の幼女がくっついていた。

 銀色のふわりとした長髪は月の如く冷たくも神々しい印象を与える。

 おっとりとしたあどけない顔立ちがにぱっと笑みを作り、一点の穢れもない瞳がじっとライシの方を見つめる。



「おはようございますぅ、ライシ兄上様ぁ」



 次女のエスメラルダ。

 おっとりした言動はどこか怠慢で、彼女をのんびり屋と勘違いする者も結構多い。

 アリッサと同じぐらい、エスメラルダは頭も切れるし行動力もある。

 見た目に騙されれば敵手は手痛い目に遭おう。かく言うライシもエスメラルダに騙されて、大変な目に遭った経験がある。


 ――未だに返してもらってないんだよなぁ、俺のパンツ。


 さすがにもう、何か月も経過している。

 とっくに洗濯したというエスメラルダの言葉をライシは信じる他ない。



「おはようエスメラルダ。お前も前々から言ってるけど、いきなり後ろから抱き着いちゃ危ないからやめようなって兄ちゃん言ったよな?」

「あらぁ~ごめんなさいライシ兄上様ぁ。エスメラルダ、次から気を付けますのでぇ」

「うん、それもう何十回と聞いたかな。いい加減信用できないぞエスメラルダ」

「今回はたまたまですってばぁ。信じてくださいよライシ兄上様ぁ……」



 このやり取りも、既に三桁超えてるんだがな。ライシは再度小さく溜息を吐いた。

 くいっ、とライシの袖が下方へ引っ張られたのもほぼ同時のこと。



「ライシお兄様……」



 ジトッとしたその円らな瞳はライシへの抗議声明だった。

 明らかにアリッサの機嫌がすこぶる悪い。

 お姉ちゃんだから、という言葉は現時点で効果的でないとライシも察して口にしない。

 アリッサもエスメラルダも、見た目こそアレだが精神年齢はまだまだずっと子供だ。

 ワガママも言えば誰よりも甘えたいし、愛情をたっぷりと注いでほしい多感な時期に加えて、彼女らは等しく悪魔である。己の欲に忠実な彼女らの面倒を見るのも、また兄の務め。


 ――兄貴っていうのは、マジで大変だな……。

 ――いつか過労死するかも。


 ライシはすこぶる本気でそう思った。

 現実から目をそらすライシを、二人の妹が容赦なく連れ戻す。



「ライシ兄上様ぁ。今日はエスメラルダと一緒にご飯を食べましょうねぇ」

「ちょっとエスメラルダ、約束が違うわよ! 今日はアリッサとライシお兄様が一緒なんだから!」

「エスメラルダもライシ兄上様のお隣がいいですぅ!」

「駄目だもん! ライシお兄様はアリッサがあーんして食べさせてあげるんだから!」



 ぐいぐいと片方ずつ手を引いては、自らの要求をここぞと告げた。

 見た目は子供でも身体能力では、人間のライシには敵わない。

 振り払おうとすれば逆に万力が籠り最悪骨折する可能性があるので、されるがままのライシは無抵抗だ。



「はいはい、二人とも落ち着いて。エスメラルダ、席についてはちゃんと姉妹でローテーション組んでって約束だっただろ? それだと今日はアリッサの番だ」

「ライシお兄様!」と、ぱっと顔に花を咲かせるアリッサ。



 陽光をたっぷりと浴びて反射する水面のように蒼き瞳はキラキラと輝く。



「うぅ……ライシ兄上様ぁ……」 と、対照的にあからさまに落ち込んだエスメラルダ。



 おっとりとした顔に雲が掛かり、翡翠色の瞳はじんわりと滲む涙で潤む。

 どっちかを立てれば、どっちかが悲しむ。それをうまく調整する兄としての責務の大変さを今一度、ライシはその身に憶えた。



「……後で遊んでやるから、今はそれで機嫌を直してくれないかエスメラルダ」

「……本当ですかぁ?」

「あぁ、本当だ。まぁ食べてすぐにって言うのは無理だけど」

「……わかりましたぁ。エスメラルダ我慢しますぅ」

「いい子だぞエスメラルダ。さすがは俺の妹だ」



 エスメラルダの頭をライシは優しく撫でた。

 さらりと指の間をすり抜ける髪の触感が、なんだかこそばゆい。

 ここでライシはアリッサの方も撫でる。

 ビクリと身体を震わすアリッサだが、すぐにライシからの愛撫に身を委ねる。

 指の間をさらさらと流れてく髪の質感は、とても心地良いものだった。

 一悶着の後、ライシはようやく食堂に着いた。両方の手にはそれぞれアリッサとエスメラルダがしっかりと握っている。



「――、おはようライシちゃん。ちゃんとお兄ちゃんとして妹達の面倒を見てくれて、ママとっても嬉しいわ」

「おはよう母さん。遅くなってごめん」



 【家族団らんの間】――もとい、食堂は家族専用とだけあって規模は至って普通の一室だった。

 暖かな家庭の雰囲気が支配する空間は唯一、城内において一般的だと言えよう。

 デーブルでは既に席に着いた残る妹達が今か、今かと食事を待ちわびている。

 もうすぐ戦争が始まる、と席に着く傍らでライシは軽く身構えた。



「おはようございますお母様」

「おはようございますぅ」

「はいおはよう。アリッサもエスメラルダも、しっかりと朝のご挨拶ができて偉いわねぇ!」



 また始まったか。我が子のこととなると、場所も弁えずに親ばかを発揮するアスタロッテにはライシも苦笑いを浮かべる。

 アスタロッテの子供達に注ぐ愛情は、どこか異常だ。

 この中で唯一外部の人間であるライシの目には少なくとも、アスタロッテをそのように映っている。とにもかくにも我が子を優先とする言動は時に不祥事トラブルへと発展する。

 つい先日も、偶然怪我をしたところに居合わせた家臣が犯人だと処罰されそうになった。

 この時はライシは目撃者として証言したことで事なきを得ている。



『アスタロッテ様は子供を産まれてからなんだか変わられたな』

『う~ん、子供を持つとあんな風になっちまうのか?』『それはやってみないとなんとも』

『じゃあオレ、将来アリッサ様に求婚するわ』『それはマジでやめとけ死ぬぞ』



 家臣達のアスタロッテに対する忠誠心は未だ高く、お望みとあれば己が命を差し出すことさえも彼らはなんの躊躇もない。

 これからもずっと何事もないことを、ライシは切々に祈った。



「おはようライシお兄ちゃん!」

「おはようライシの兄貴!」

「あぁ、おはようエルトルージェにカルナーザ。朝から相変わらず元気だな」



 三女のエルトルージェと四女のカルナーザがにっと微笑んだ。

 アスタロッテの腕に抱かれた乳飲み子の末女クルルも、拙い言葉ながらもライシに声を投げる。



「あぁ、クルルもおはような。お前も元気そうで何よりだ」

「――、それじゃあ皆そろったことだから食べましょうか」



 アスタロッテの発したその一言に、ライシは表情を強張らせる。

 いよいよ始まりやがる! 険しい表情をしたライシの視界に映るのは、かわいい妹達ではない。

 獲物に鋭い牙を突き立てんとする餓狼だった。



「それじゃあ、いただきます」



 許しを得た餓狼達が一斉に獲物へと食らいついた。

 そこには礼儀作法のれの字もない。食堂と言う本来賑やかで楽しい時間であるはずなのに、殺伐した空気がすっかり支配していた。その光景をアスタロッテのみが、にこやかに見守っている。



「あぁ~アリッサお姉さま! それはエスメラルダが狙ってたお肉ですぅ!」

「お姉さまに逆らうからこうなるのです、よくおぼえて――ってあぁ! カルナーザそれはライシお兄様にあーんしようとして置いておいたのに! かえして!」

「へっへーん、早い者だぞアリッサの姉貴~」

「あー! アリッサお姉ちゃんにボクのパン盗られたぁぁぁ!」



 ――もっと静かな食事がしたい。


 ライシは人知れず深い溜息をもらした。

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