第2話:契約しましょそうしましょ

 悪魔とは、高度な知能と強大な魔力を有する者。

 俗に言うモンスターは魔物と称されまったくの別物だ。

 悪魔の大半は冷酷かつ残虐で、何よりも戦闘を楽しむ者が多い。

 どうやらここで終わりみたいだな、俺。赤子は自嘲気味に小さく笑った。

 どう足掻いても死の運命から逃れられないと悟った者を、悪魔は静かにジッと見つめる。

 さっさと殺せばいいのに。

 焦らされることの方が赤子にとって何よりの苦痛であった。

 そうと理解して実施しているのならば、やはり悪魔。性根は腐りきっている。

 時間だけが刻一刻と過ぎていく。

 赤子は、まだ生きている。

 円らな瞳には、ジロジロと見つめる悪魔がでかでかと映るのみ。


 ――さっきからなんなんだよ、この悪魔は……。

 ――人を品定めするみたいに見やがって……。

 ――やるんならさっさとやれっての!



「――、ふむ。悪魔である我がこう思うのはいささか滑稽ではあるが、これも神の思し召しというやつやもしれぬな」



 ようやく発した言葉の意味はまるで理解できない。

 何を言ってるんだ? 赤子は訝し気に悪魔を見やる。

 悪魔の頬が再びくっと吊り上がった。不敵な笑みに赤子の身体は小刻みに打ち震える。

「なるほど。どういうわけか貴様、我の言葉が理解できるようだな。人間の赤子にしては非常に珍しい……猶更好都合だ」

 悪魔の手が赤子の額にそっと触れた。

 赤子が声を上げる間もさえ与えない、本当に一瞬の出来事だった。

 悪魔の指先より眩い紫色の光が灯れば、小さな魔方陣へと姿形を変える。

 次の瞬間――



「あー……うー……っから、なんのはなしだが……って、あれ?」

「ふむ、これで会話をすることができるようになったな」



 まだつたなさが残ってはいるものの、赤子の口からは確かに言葉が紡がれた。



「声が……出せる……?」



 当人である赤子もこの事態に激しく狼狽している。


 ――まさか、魔法ってやつなのか?


 悪魔は皆等しく魔法が使える。

 その力によって赤子は会話する術を与えられたのだった。

 つたなさが残るのはともあれ、赤子はコミュニケーション技法を得た。

 これで円滑な会話が可能となった。悪魔もそうと判断して早速鋭いくちばしを切る。



「さて、会話ができるようになったのだから早速本題へ入らせてもらうぞ小僧」

「ちょちょちょ、ちょっと待ってくださいってば!」

「なんだ? 言っておくが貴様に拒否権はないぞ?」

「それぐらいはまぁ、俺もわかっています」



 悪魔と邂逅してから、赤子には最初はなから拒否権などない。

 拒否すること自体は何も問題はない。

 ただし、その瞬間赤子の命は消える。

 路傍の石を蹴り飛ばすが如く、誰にも知られることなく、実に呆気ない結末を迎えよう。

 まだ、こんなところで死にたくない。生きていたい、赤子には純粋にして誰よりも強い願望があった。



「ふむ、賢明な判断だな小僧。我としても物分かりが良いのは好ましいぞ、愛玩動物ぐらいにはかわいがってやる」

「さいですか……それで、俺を喋れるようにしてまで、何をさせようって言うんですか?」

「その前に小僧。貴様……何者だ。いくら我が魔法によって貴様に言語を与えたとしても、通常ならば何も意味のなさないものだ。赤子であるからな。だが貴様は違う」

「……手短に言うなら俺にはどういうわけか前世の記憶があります」

「ほぉ、前世の」と、悪魔。



 関心を痛く示す悪魔を他所に、赤子は言葉を紡ぐ。



「前世のって言っても大したもんじゃありませんよ。なんか剣士やってたぐらいです。そんな感じで記憶があるから、精神だけが急速に成長しちゃった感じでしてね……」

「なるほど。つまり貴様はその成熟した精神であるが故に、生みの親に捨てられたというわけか」

「ご明察です。見ての通り俺は生みの親に捨てられました」



 まぁ半分は自業自得みたいなもんだけど。赤子は内心でそう補足した。

 悪魔は、ふむっ、と再び思案する挙措を見せる。

 いったい何を考えているのか、赤子にはさっぱりわからない。

 直感ではあるがきっと良からぬことであろう、とだけはなんとなくながらも赤子は察した。

 悪魔の人類の争いは、今に始まったわけではない。

 それは赤子が生まれるずっと前から、遥か古の時代から互いを天敵として同じ惑星ほしで共存している。

 戦うためにもっとも重要なのは武器でも魔力でもない、情報だ。

 虚偽の情報を与え如何に敵側を混乱させるかで戦局は大きく左右される。


 ――結局のところ、この悪魔もほしいのは情報って感じか?

 ――前世の記憶については、もっと有益なものと化す。


 表情かおを固くする赤子に悪魔がやっとくちばしを開いた。



「小僧よ、単刀直入に言う――貴様、我と契約をするつもりはないか?」

「契約?」と、赤子。



 訝し気に見やる赤子に、悪魔は矢継ぎ早に言葉を紡いだ。



「先に言うが貴様を取って食おう、などという考えは一切ない。他の悪魔ならばその可能性はほぼ100%あり得るだろうが、我は生憎と人を食らう趣味嗜好はないのでな」

「そ、そうなんですね……」



 ホッと胸を撫で下ろす、そんな心境。

 悪魔のその言葉に、赤子の表情から幾ばくかの緊張がほぐれた。

 だが、気を完全に許すことはできない。何せ会話を交えているのは悪魔なのだから。



「それで、その契約って言うのは?」

「内容については貴様の意志を確認してからだ。受けるか否か、小僧が好きに選ぶがよい」

「いや、好きに選べって言われても内容がわからないのに受けるって言う人多分いないと思いますよ? だいたい、さっき貴様に拒否権はないって言ってたじゃないですか……」

「ならば拒否する、ということでいいか?」

「いやいやいやいや! そうは言ってないですよね!?」

「ふっ……ならば決まりだな。なぁに案ずるな小僧、先も言ったように貴様を食らうつもりは毛頭ない。契約を遵守する、その意志が確認できたのならば我は貴様の今後の安全と命を保証すると約束しよう」


 

 やっぱり悪魔は性根がひん曲がっている。赤子はすこぶる本気でそう思った。

 落胆とわずかな苛立ちを顔で首肯する赤子に、悪魔は愉快そうに笑う。まるで新しいおもちゃを見つけた、とそう言わんばかりの歪んだ笑みだ。



「先に自己紹介をしておこう。我が名はアモン、さる方にお仕えするものだ」



 アモン――そう自らを名乗った悪魔を見やる赤子の視線はやはり、とても冷ややかなものだった。

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