リトルデビルプリンセス ~大きくなったらお兄ちゃんと結婚するを本気で実行しようとする我が妹達に困ってます~【第一部完結】

龍威ユウ

第一章:魔王の養子になりました

第1話:赤子から始まるdead or arive

 まるで上質な天鵞絨びろうどの生地を敷き詰めたかのような、そんな空。

 無地であった生地を、無数に散りばめられた小さな輝きが美しく彩る。

 中でも特に、ぽっかりと浮かぶ白い満月は一際神々しい輝きを発していた。

 大自然が生んだ芸術の前には、人間などなんて脆弱ちっぽけな存在なのだろう。

 星がとても綺麗だなぁ。そんなことを、赤子・・はふっと思った。

 鬱蒼とした森の中。人の気配などあるはずもない。

 穏やかな静寂に合わせて、ここには自然の音色が協奏曲を奏でる。

 近くでが小川でもあるのだろう。さらさらとしたせせらぎに、虫の鳴き声が加わる。

 大変心地の良いその音色を直に耳にする赤子の顔は、酷く落胆の感情いろを浮かべていた。


 ――どうしてこんなことに、なっちゃったんだろうなぁ……。

 ――まぁ? その原因は俺にあるんだけどもさぁ……。

 ――だからって、ねぇ……?


 大変騒がしい心情を吐露するこの赤子の周囲に親らしき者は見当たらない。

 そもそもな話、森の中で赤子が一人ぽつんといること自体が異常な事態なのだ。

 赤子は、俗に言う捨て子だった。

 それを当人も理解しているからこそ、生まれてまだ間もないのに円らな瞳は活力を失い、小さな口からは絶えずため息ばかりがもれる。彼是かれこれもう、15回以上も赤子は深い溜息を吐いていた。


 ――ふざけんなよマジで!

 ――これ立派な育児放棄と幼児虐待だぞ!

 ――児童相談所ってところに訴えたら勝てるんだぞこっちは!


 感情を爆発させた赤子の口からは、呂律の回らない声ばかりがもれていく。

 未発達な声帯ではそれも致し方あるまい。

 なんでこんなことに、と赤子はひたすら己の現状を嘆いた。

 もっとも、事の発端については誰よりも理解しているので、赤子も強く己の生みの親を責めることができない。


 生まれながらにして赤子には前世の記憶があった。

 前世の記憶を持つ、これについては稀な現象であるがさほど珍しくもない。

 奇しくも赤子は前世の記憶を受け継いだことで著しい成長を遂げたのである。

 つまり見た目こそ齢0歳のピチピチの赤子でも、精神の方はすっかり成熟していた。


 下手にあんなことやらなきゃよかった、と赤子はすこぶる本気でそう後悔した。

 生まれた赤子に己が意志を示せるはずもなく、両親もそれを承知の上で世話をする。

 両親の負担を極力減らそうという心遣いを赤子は実施した。

 相互理解があれば円滑な時間をすごせたのかもしれない。

 だが、片方は赤子。意志はあれど言葉にする術がない赤子が、どうやって周りの大人にその事実を伝えられよう。



「赤子なのに笑顔がとても不自然だ」「まるでこっちの考えがわかってるみたい……」

「まさか、呪われた子ではあるまいな!」「わたしゃなんだかこの子が怖いよ……」



 両親を始めとする周囲からの評価は、お世辞にも良好とは言い難いものだった。

 赤子を不気味に思う輩は一人、二人と徐々に数を増大させ、不信感や不安も同様に募るばかり。

 大人達の負の感情が爆発したのは、赤子が生誕してわずか二か月余りのこと。

 気が付けば、見知らぬ森が視界いっぱいに広がっていた――そして、赤子は現在に至るわけである。


 ――はぁ~……良かれと思ってやったのが悪かったかぁ。

 ――まさかこんなことになるなんて、本当に今更過ぎる。


 後悔先に立たず。赤子は赤子らしく振る舞うべきだった。

 森の中で赤子が成す術などあるはずもなし。

 後数時間も経過すれば衰弱死は免れまい。

 もちろん、問題は時間だけではない。赤子を襲う恐怖は他にもある。

 現に今正に、その恐怖が彼の前に姿をぬっと見せた。


 ――あ~……これやばいかも。


 赤子をじろりと睨む金色の瞳は、暗闇の中でもよく煌めく。

 すらりとまっすぐに伸びた牙はまるでサーベルのようだ。鋭利な先端は、岩をも粉砕する雰囲気をこの上なく漂わせる。

 森に住まう猛獣が、赤子を虎視眈々こしたんたんと狙っている。

 彼らにすれば赤子も立派な食料の一つにすぎない。

 抗う術もないのであれば、これほど恰好の獲物も早々なかろう。

 不幸にも赤子を狙うその獣は酷く空腹に飢えていた。

 目の前にあるご馳走を見逃す道理などどこにもない。

 ぽたぽたと滴る涎の不快感さえも憶えるほど、赤子に余裕などない。

 自覚できる分だけ恐怖は途方もなく、どうして俺がこんな目に、と赤子はもうすぐ幕が下りるであろう生涯を酷く呪った。


 ――い、いやだ……。

 ――俺は、こんなところでまだ死にたくなんかない!

 ――助けてくれるのならなんだっていい。


 じわじわと迫る死の恐怖に、赤子の円らな瞳からはとうとう涙が一つこぼれた。



「あーうー」と、赤子。



 つたなくも必死に生にしがみつこうとする声に反応する者はなし。

 森から一番近い村でも、数kmと距離がある。

 加えて赤子がいるこの森は【帰らずの森】と近隣の住民から忌み嫌われた場所でもあった。

 一度踏み込めば最後、二度と帰ってこれない、そういう意味合いからここを通る者は極めて少ない。逆に言えば、赤子を捨てるにはもってこいの場所でもある。

 いくら泣き喚こうが結果は変わらない。

 食い殺される。それが赤子に定められた運命だった。

 絶望がじわりと迫る。鋭い牙が赤子の身体に突き立てられようとした。

 ごうと、大気が唸ったのはすぐのこと。


 ――な、なにが起きたんだ……?


 突然、獣の頭部が弾け飛んだ。

 比喩や誇張でもない。見たまんまの事実である。

 あまりにも突然すぎたものだから、赤子は酷く狼狽せざるを得ず。

 たっぷりと浴びた帰返り血による、鼻腔を突くむせ返る濃厚な鉄の香りに赤子はハッとした。

 砂利を踏む音……誰かが近付いてくる。

 もしかして助かったのか、俺。混乱極まる思考で、赤子はその仮説を立てた。

 生きている。そう実感した次の瞬間、赤子の口からは安堵の溜息が盛大ももれた。


 ――マジで助かったぁ……本気で怖かったんだけど。いやマジで。


 恐怖で語彙力の低下が著しくあるも、赤子は生を強く実感した。

 何はともあれ助かった。

 言葉にはできなくとも、態度で感謝を示すことぐらいはできるはずだ。

 足音の主を今か、今かと待つ赤子の顔は途端に引きつったのは数秒後のこと。

 ぬっと籠の中に顔を覗かせた救世主の姿は、赤子の予想を遥かに逸脱していた。



「獣が何かを狙っているかと思えば……なるほど、これはなかなか面白いことが起きているようだ」



 にしゃりと笑う表情かおに赤子の頬がひくりと吊り上がる。

 執事服をイメージした衣装をビシッと着こなし、言動や振る舞いには気品がある。

 紳士と言う言葉がよく似合うその男だが、顔は明らかに人間のそれとは大きくかけ離れている。

 梟を模した頭をした人間は、赤子の前世の記憶でも登場しない。

 悪魔……、と。赤子の脳裏にふと、この言葉がよぎった。

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