11.幸せな夢を見れたなら
4人で遊んだ日から数日後の水曜日は、夏休み中唯一設けられた登校日だ。
この日私が(当たり前に)佑ちゃんと登校すれば、教室ーーというか、正確には学校中は弓弦くんの話で持ち切りだった。どうやら弓弦くんが女の子と登校してきたらしい。
そして私のクラスでは噂の的のもう一人に当たる綾ちゃんが、女子たちに取り囲まれていた。
「見たよ!弓弦くんと登校してたよね?!付き合ってるの?」
その言葉に綾ちゃんは意味ありげに微笑み「私が好きなだけだよ」と口にした。周りを囲む女子たちは、それを聞いた瞬間に「キャー」と色めき立った。男子たちは相変わらず迷惑そうな顔をしているが、モテる綾ちゃんのことだ、きっとひっそりと悲しんでいる男子もいるだろう。
私はといえばそんな輪の中には入らず、ただジッと自分の席に座っていた。しかしいい加減手持ち無沙汰になった頃、予鈴が鳴ったことに心底安心したのである。
登校日には夏休みの宿題である問題集の答えが配られる。今日から2学期の始業式までにそれを使用して答え合わせをし、課題考査に向けて試験勉強をしなければいけなかった。
帰りの号令がかけられ、私が鞄の中に配られた解答集をしまっていると綾ちゃんが「今日も瀬戸谷くんと帰るの?」と近づいてきた。
「……うん、そうだけど……どうしたの?」
だってそれは当たり前すぎて。中学時代から十分に理解しているはずの綾ちゃんが、今さら確認してくる必要はないはずなのだ。
「一緒に3組まで行こう!私、弓弦くんと約束してるから!」
「っあ……そうなんだ」
私は上手く笑えているだろか。綾ちゃんの顔が見られない。だけど俯けば動揺で涙がこぼれ落ちてしまいそうだ。
笑わなきゃ、「順調そうだね」ぐらい言わなきゃ。なのに私の表情筋も声帯も凍りついたように活動を停止している。
これはお門違いの独占欲なのだろうか。本能が"弓弦くんを奪わないで"と訴えているのだろうか。
私は佑ちゃんが好き。私には佑ちゃんがいる。だなんて、まるで、弓弦くんがいなくなる穴を佑ちゃんで埋めているみたいだ。
3組の教室の前に着いたのは、少し前にホームルームが終わったのか、弓弦くんがちょうど廊下に出てきた時だった。
「……あっ、」
「あー!圭斗っ!ばっちりだったね!」
「……おー。帰るか」
そう言って弓弦くんは、自分のことを"圭斗"と呼んだ綾ちゃんに視線をやった。私のことなんてちっとも気にしていない。目配せどころか、ちらりとも見てくれない。……っていうか、居ることにも気づいてないんじゃないの?
なんなの、私のこと"かわいい"って言ったのに、"傷つけたくない"って言ったのに……。思考の底でぐるぐると渦巻く黒い感情に蓋をするみたいに、あれは弓弦くんの本心じゃないから、ただフェロモンに当てられておかしくなってただけだから、私だって弓弦くんのこと好きなわけじゃないし、と言い聞かせた。
「みちる!じゃあまたね!」
「あっ、うん!じゃあね」
綾ちゃんが笑顔でじゃあねと挨拶をしても、弓弦くんは私の方をちっとも見てくれない。あの海に行った日、コンビニへ向かう途中で耳を赤くした弓弦くんが視界の向こうに現れて、消えた。
「……みちる。待たせたね」
「っひゃ!」
「そんなに驚いた?心ここに在らず、だからかな?」
背後から私の顔を覗き込んだ佑ちゃんが、私の気持ちを見透かすような瞳で、私の心情をぴたりと言い当てた。
▼
登校日に生じた"弓弦くんに彼女ができたかも"という噂は、2学期の始業式の日には"弓弦圭斗と宗実綾は付き合っている"というものに変わっていた。
私のときには"身の程を知れ"と辛辣な評価を下していた子たちも、今回は「悔しいけどお似合いだよね」と言っているようだ。
私はといえば、登校日に感じた焦燥や嫉妬は勘違いだったということにして、気にしないふりを貫いていた。
そもそもこんな浮ついた気持ちは持つべきではない。私には佑ちゃんがいるし。そりゃあ、付き合ってるわけではないけれど。口にしないだけでお互いの気持ちは伝わり合っているはずだ。それはもう"付き合っている"ということと同意ではないか。だから、弓弦くんへの独占欲も、綾ちゃんへの羨望や嫉妬も、全部ぜんぶ忘れよう。これは良くない気持ちだ。もう弓弦くんへは絶対に近づかない。
「で、実際はどーなの?弓弦くんと付き合ってるの?」
焦れたように明里ちゃんが詰め寄れば、綾ちゃんは「まだだって!私の片思いだよ」と、登校日と同じことを口にした。
「でもめっちゃいい感じじゃん!見てたよ、今日も一緒に登校してたね」
「デートはしてるの?」
「夏休みにちょっとね!映画観に行ったよ」
ヨッシーとあさみんは、綾ちゃんからのデート報告に「きゃあ!もう付き合えるじゃん」と、高い声で興奮を露わにした。
「でも、弓弦くんって実際どうなの?優しくしてくれるの?」
「……たしかに!デートの時とか、一人でめっちゃ先々歩いて行きそう」
「分かる!で、『おっせー』とか言いそう」
明里ちゃんたちの頭の中の弓弦くんがその通りすぎて、思わず笑ってしまう。と同時に、綾ちゃんを優しく扱う弓弦くんの話は聞きたくないな、と瞬間的に感じてしまった自分を恥じた。
「あはは!たしかにそんな感じだったかも」
と、綾ちゃんも明里ちゃんの弓弦くんモノマネに同意を返し、カラカラと笑う。
綾ちゃんが私と同じ扱いを受けていることが嬉しく、そしてこれ程までに安堵するとは。私の心はどうしてこうも薄汚れて、どうして弓弦くんにこんなに心乱されるのだろう。
平常心平常心。これは自分の秘密を見せた相手への特別感を、脳が勝手に"恋"だと勘違いしてるだけ。もし弓弦くんに発情しなかったのなら、私は彼のことを意識し始めることはなかっただろうし。あんな横暴で、唯我独尊を体現している弓弦くんのことなんて、絶対に好きにならない。
「絶対に好きにならない……」
「へ?誰のことを?弓弦くんのこと?」
「そりゃー、白兎ちゃんは瀬戸谷くんラブだからね!」
「白兎ちゃんが弓弦くんのこと好きになったら大修羅場じゃん!」
しまった、と口を押さえても、口にした言葉は取り消せない。明里ちゃんたちは私の発言を聞いて「そこまで言わなくても」とケラケラと楽しそうに笑っている。
しかし綾ちゃんは、丁寧にケアしているであろう艶やかな唇を薄っすらと持ち上げ、「弓弦くんのこと、好きにならないでね」と私に釘を刺したのだった。
学校が昼前に終わったので、「テスト勉強でもする?」と言った佑ちゃんの言葉に頷きかけた。だけどなんだか一人になりたくて、「今日しんどくて」と遠回しに断れば、佑ちゃんは「ゆっくり休みな」と私の頭を撫でた。
だけれどいざ一人で部屋にいれば、それはそれで気持ちが沈む。気晴らしに散歩でもしようかな、と思ったけれど、「しんどい」と断った手前、佑ちゃんに遭遇するかもしれないこの辺りは無理かぁと頭を悩ませた。
その後すぐ、じゃあ、電車にでも乗ろうかな、と思い立ったが早いか、私は財布とスマホだけを持って家を飛び出し、電車に乗り込んだ。
もちろん目的地などない。ただの気分転換だ。だけれど無意識にーーと表すのは多少無理があるかもしれないが、事実無意識だったーー降り立ったのは、弓弦くんの家がある"光が丘駅"であった。
え、私めっちゃ気持ち悪いし怖い。ストーカーみたいなことしてる。と、すぐさま我に帰り、踵を返した私に「なんでいるんだよ」と声が掛かる。
「あっ、ちょっと、用事があって……」
思いもよらぬ所で私の姿を見つけ、顔を顰めた弓弦くんが「こんなとこに?」と、苦しい言い訳を怪しむように眉間の皺を一層深めた。
そりゃそうだ。ここ光が丘は住宅街。"ちょっと用事があって"などとした理由で降りる駅ではない。
「あ、うん……。帰るとこなんだぁ、それじゃ」
「まぁ、待て。お前、薬持ってるな?」
弓弦くんは挨拶のように当たり前に薬の有無を聞いてくる。もちろん私の答えは"有"なので、「持ってる、けど、」と頷けば、「ちょうどいいから俺んち来いよ」だなんて。なにも"ちょうどいい"ことなんてない。
「やだ、行かない」
「あー?なんで?俺がお願いしてるのに?」
……どこまで傲慢なんだろうか。そう呆れてしまう台詞を、弓弦くんは平気で口にする。"俺"がお願いすれば、なんだって叶えられて、なんだって手に入ると思っていそうな口振りだ。
「……もう弓弦くんには近づかないって決めたの」
「佑希にそう言われた?」
「違う、佑ちゃんは関係ない。私が、……自分で決めた」
「わざわざそれを言いに来る必要あったか?」
「え?」
弓弦くんの低くなった声音が、彼の機嫌が損なわれたことを如実に表していた。地を這うような声にじとりと嫌な汗が流れ始め、弓弦くんの表情を窺いたい私の気持ちを無視して、本能が勝手に目を逸らしてしまう。
「いや、お前がそう決めたんなら俺からは何も言うことはねーよ」
「待って……何に怒ってるの?」
「怒る?俺が?なんで?」
「…………」
なんで?って、それは私が聞きたい。弓弦くんが何に、どうして怒っているのか。私にはさっぱりちっとも分からないのだ。
「……俺に会いに来たのかと思った」
「……え?なんて?」
「いや、なにも?ま、もう俺に関わってくるなよ。佑希と仲良くな」
弓弦くんはそれだけを告げ、私を置いて帰ってしまった。
関わってくるなよ、か。悲しい……ううん、これで良かったんだ。なにも悲しむことはない。後悔することもない。
こうすれば、私は佑ちゃんと今まで通り。そりゃあ、この先について色々と考えなきゃいけないことはあるけれど。私と佑ちゃんなら大丈夫。
それに綾ちゃんも弓弦くんと付き合うかもだし。人を好きになるのが面倒だと言っていた弓弦くんも、その幸せを実感できるかもだし。なんだ、みんなハッピーじゃん。これで良かった。私は間違ってない。
なのに、私はどうして涙を流してるの。
思いっきり擦った目元はヒリヒリと痛み、その痛みがこれが夢ではないことを私にそっと教えてくれた。
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