7.薄汚れた恋心に包む

 中間考査から1ヶ月ほど経った6月の半ば、今日から2日間、私が通っている飾西高校では文化祭が開催される。

 一日目は2年生と3年生による食品バザー、文化部による作品展示、そして二日目は学校の正門近くにあるホールでの弁論や企業訪問と海外研修の報告、文化部や有志の舞台発表が行われる予定だ。


 オープニングセレモニーという名の校長先生の話からスタートした文化祭。私たち一年生は与えられた役割もなく、ただ出し物を楽しんでいればいいのだ。

 中庭のベンチに座りフランクフルトを頬張る私に向かって明里ちゃんーー磯部さん呼びから変わったーーが、「どのクラスより人が群がってるね」とニヤリと笑った。その言葉に綾ちゃんとヨッシー(吉賀さん)とあさみん(浅見さん)が「ねぇ」と口を揃え、"人が群がっている"方を呆れたように見やる。

 その視線の先、私たちが座っている所から少し離れた中庭の隅の方で女子生徒たちに囲まれているのは案の定、弓弦くんと佑ちゃんであった。


「もうアトラクションじゃんね?」

「あははっ、アトラクションって!」

「でも違いないよね。あれ弓弦くんたちの写真待ちでしょ?」

「今年の目玉だから」


 綾ちゃんのその言葉に私以外のみんながまた声を出して笑う。私はといえば、みんなのように笑える余裕がなくて、佑ちゃんーー正確には弓弦くんがメインだろうが、佑ちゃんファンもいるらしいーーを囲む女の子たちを羨んでいた。


 「近づかないでおこう」と宣言した通り、弓弦くんはあれから私に一切関わってこなくなった。そもそもそれまでも弓弦くんから積極的に関わってくることはなかったのだ。だからそれはいい。いいどころか、あれから発情することもなく平穏無事に過ごせているのでこれからも関わりたくない。だけれど、それに付随して、佑ちゃんとの関わりも減ってしまった。それが由々しき事態、大問題なのだ。

 もちろん学校外では前までと同じように会ってるし、登下校も一緒だ。だけど、校内では絶対に近づけない。それは佑ちゃんと弓弦くんがいついかなる時も連れ立って行動しているからであった。私は弓弦くんに、佑ちゃんを独り占めしないでよ、という嫉妬すら感じていた。そんな幼稚な感情、誰にも言えないけれど。


「そういや、白兎ちゃんとの噂が無くなった途端すっごい告白されたらしいね?」

「あぁ、なんかわたしの部活の先輩も好きって言ってたよ、弓弦くんのこと」

「まぁ、顔はいいからね、顔は!」


 ということは、性格は良くないと言いたいのだろう。明里ちゃんたちは今も入学当初の弓弦くんの悪態を許していないようだった。

 誰もが認める顔の良さ。"弓弦くんには彼女がいる"と噂されても告白をしてくる生徒がいたようだ。そしてその告白を受けた弓弦くんが「彼女いらないんだよね」と発言したことにより、私との噂は消え去った。それと同時に私への謂れのない誹謗中傷も収まったのだから、そこは弓弦くんに感謝したい。




 文化祭の一日目は外部の人も入場が可能であった。しかし保護者というよりは他校の生徒が多く見られる。私たちのそばを通った上級生が「今年は一段と他校生が多いね」と言っていた。それを聞けば誰もが同じことを思うだろう。弓弦圭斗目当てか、と。

 その予想は的中していた。昼過ぎになっても弓弦くんの周りには人が群がっている。恐らくいつもの調子で「どけ」と言っても「うざい」と言っても、群れた女子たちの強い心は折れないのだろう。朝からその対応をしている弓弦くんの顔は疲れきっている。しかしその顔さえ憂いを帯びた色気のある表情に見えるのだから、弓弦くんの顔面って本当に強いな。


「なんか疲れちゃった……」

「白兎ちゃんは"佑ちゃん"が囲まれてる所見たくないもんねー?」


 明里ちゃんが"分かってるよ"という風な視線を送る。的確に心情を言い当てられた私は言葉を詰まらせた。

 その光景を見たくなくても明らかに人が群がっているそこは嫌でも目に入る。ジリジリと焦げるような焦燥とキリキリと締め付けられる胸。校舎に逃げ込む決意を最後に後押ししたのは、佑ちゃんがにこやかな笑顔で女の子と話しているところであった。

 やだ。見たくない。ただでさえ私の病気が原因で佑ちゃんには我慢をさせてしまっているのだ。そりゃこんな面倒な私より、もっともっと魅力的な子はたくさんいる。佑ちゃんもいつか私に嫌気がさすかもしれない。いつか私以外に好きな子ができるかもしれない。

 佑ちゃんが女の子と談笑するその光景は、最低最悪な想像が遠くない未来に現実に起こりうるかもしれない、と私に思わせるには十分なものであった。


「私、校舎に用事があったんだ!」


 と無理矢理な理由を述べて綾ちゃんたちと別れた。そしてそのまま校舎内に逃げ込む。

 外の喧騒が嘘みたいに校舎内は静まり返っていた。


 校舎内は一階にある一年生の教室を文化部の作品展示に使用している。それ以外のクラスは立ち入り禁止で、二階に上がればそこに生徒は一人もいなかった。

 はぁ、落ち着く。このままずっとここにいようかな、と廊下の窓を開ける。さわさわと緩やかに吹く風が私の頬を優しく撫でた。

 どうしてこんな病気になっちゃったんだろう。うさぎ病じゃなかったら、私は今頃佑ちゃんの彼女で、佑ちゃんとキスして、エッチして、幸せになってたのに。

 自分の運命が嫌になる。こんなことでいつまでも悩むなら、いっそ弓弦くんに頼み込んでエッチしてもらおうかな。そしたら病気が治って、佑ちゃんと幸せになれるかも。佑ちゃんには内緒にしてもらって……って、また弓弦くんのこと都合良く使おうとしてる。私ってほんと、と自身の浅ましさに嘲笑を浮かべた時であった。


「あ、白兎か?」


 突然呼ばれた名前に肩が跳ね上がる。勢いよく振り返った視線の先に、弓弦くんが驚いた顔で突っ立っていた。


「っ、弓弦くん」

「なに?お前も逃げてきたの?」


 も、ということは弓弦くんは逃げてきたのだろう。


「佑ちゃんは?」

「あー、佑希は、うーん、呼び出し?」


 弓弦くんが言いづらそうに口を動かした。呼び出しって、それはつまり、告白ってこと?


「え!?やだ!」

「俺にやだって言われても、知らねーよって話なんだけど」


 弓弦くんは眉根を寄せて不快感を露わにする。しかし今の私には弓弦くんの感情など瑣末なことで、それよりも佑ちゃんが告白されている、という事実が気が気ではないのだ。


「誰にされてるの?告白」

「俺が知ってるわけねーだろ、馬鹿かよ」

「……馬鹿じゃない」

「そうかー?惚れた腫れたで一喜一憂してる奴はみーんな馬鹿だ。オエーって感じ」

「弓弦くんは人を好きになったことないの?」

「ない!面倒だろ、誰かのご機嫌を窺うのも、時間を拘束されるのも」


 嫌悪感を隠そうともしない表情で弓弦くんは言葉を紡ぐ。その表情を見て、その偏った意見を聞いて、私は心底思った。


「可哀想な人」

「は?」

「人を好きになる幸せを知らないなんて可哀想な人。自分より大切な人がいるってとても幸せなことなのよ?」


 弓弦くんはあの満たされた感情を知らない。姿を見ただけでどうにかなってしまいそうな幸福を。目が合うと泣きそうになるあの心地を。この人が私の全てだと心底信じられるあの甘さを。彼は知らない。それどころかその機会を見事に自分で摘み取っているのだ。


「はぁ?人を好きになることがそんなに偉いのかよ?」

「……偉いとかそういうことじゃなくて、」

「お前はその大切な人を裏切って、俺に『犯して』と縋ったのに?随分と薄汚れた恋心だねぇ?」


 弓弦くんは私が傷つき、太刀打ちできないであろう言葉を明確に選び取り、そしてそれを躊躇いもなく口にした。


「きらい!弓弦くんなんて大っ嫌い!好きで犯してなんて言ってない!ほんとは私だって佑ちゃんにっ、」

「うっざ、そうやってすぐ泣く」

「……泣いてないっ!」

「泣いてんじゃねーか」


 変な奴、と私を揶揄する言葉を呟いて、弓弦くんは髪をかき上げた。視線が交じる。私は彼に抗えない。身体が引き寄せられるように一歩、弓弦くんに近づいた。


「きらい」

「あー、そ。好きより嬉しい言葉だわ」

「だいっきらい」

「へーへー。どうぞ嫌っててください」

「ゆづるくん」

「……はぁ、なに?お前のそれは俺のこと『好きだ』って言ってるようにしか聞こえねーよ」


 好きではない。決して好きではないのだ。だって私は佑ちゃんのことが好きだから。それでも弓弦くんが言うように、私が彼を呼ぶ声が「好き」と聞こえるなら、それは私の身体が彼を求めているという証なのだろう。


「ゆづるくんっ、」

「……薬は?」

「持ってる、だけど飲みたくない」

「馬鹿言ってんなよ。お前は佑希のことが好きなんだろ?」


 その綺麗な恋心を見せつけてみろよ、と弓弦くんは悲しげに笑った。





 静かな廊下で私たちだけが異質だ。お互いの唾液を交換するような口づけをしても、それでもなお足りないと言うように、何度も舌を絡ませた。その度に私の体の全細胞が喜びに打ち震え、この人だと、この人が運命の相手だと、感涙にむせいだ。

 もちろん私の足はすでに使い物になっておらず、弓弦くんが壁に押し付け、太ももで股の間を支えてくれているからこそ、なんとか直立できている。


「ゆづるくんっ、」

「あー、まじで頭おかしくなる。お前どうなってんだよ」

「あっ、もうぐちゃぐちゃだよぉ」

「っ、ちっげーよ、そうじゃなくてっ、あー、もうっ、全部どうでもいい」


 投げやりにそう言った弓弦くんの唇が私の口を離れ、首筋に移動した。チュッチュと愛らしいリップ音を立てながら、時折舌先でなぞり、気まぐれに耳たぶを可愛がる。たったそれだけで、私の体は絶頂してしまいそうなほどの快感に痺れた。


「あっ、あっ、ゆづるくんっ、イクッ」

「……はぁっ、もう戻れねーぞ、そこが地獄だと分かってても進むしかねーぞ」


 それを霞の向こうで聞きながら、もうとっくに戻れないよ、と思った。しかし弓弦くんとセックスをしたその時に、私と佑ちゃんの時間が再び進み始めることも事実なのだ。


「いい、地獄でもいいの、佑ちゃんっ、」


 弓弦くんは一呼吸して、再び私に口づけを落とした。そして私を揶揄うようにスカートの上から下半身を触った。焦ったい。もっと強烈な快感が欲しい。弓弦くんの太ももに私は秘部を押し付ける。片手で私のお尻を器用に支えながら、股の間の太ももを小刻みに揺すった弓弦くんに私は呆気なく絶頂を教え込まれた。

 目の前が涙で滲み、チカチカと閃光が走る。それでも去ってはくれない性的欲求に、うさぎ病の恐ろしさを感じた。


「んっ、ん!?」


 惚けた私の顔を固定し、弓弦くんは力強く唇を重ね合わせた。薄っすらと開いていた私の口腔へ弓弦くんが何かを流し込んだのが分かった。反射的にそれを飲み下してしまったが、舌に乗った際の味でそれが抑制剤だと理解する。

 いつの間に取ったんだろう、と次第にクリアになっていく頭で考えたが、発情中の記憶が曖昧過ぎて答えに辿り着けない。


「……どうして、してくんないの?」

「お前が佑希を呼んだんでしょーよ。俺、便所でオナってくるから、じゃーな」


 へたり込んだ私を残して、弓弦くんはトイレへと消える。私は、やっぱり弓弦くんにしてもらうならきちんと事実を伝えなきゃダメだ、と発情していない頭でそれを決意した。

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