番外編

あわてんぼうの好き

 ロイが好きだった。


「スイ、どうしたの?」


「えっ!? あ、ミア、えっと、えっと!」


 突然美しく育った銀髪の仲間は、きょとんと丸い目でこちらを見ていた。考えていた事が考えていた事だったので、思わずわたわたと手を振って誤魔化す。


「スイ、落ち着いて。ロイ死んじゃう」


「えっ!? ……きゃああ!! ロイ、ロイごめん! どうしよう、ごめんロイ! 死なないでぇ!!」


「落ち着け落ち着け、これじゃ死なないから」


 振った手の中にあった黒酢を頭からかぶったロイが、遠い目をしながら自分の腕の匂いを嗅いでいた。酸っぱい匂いがする。


「すっぱ」


「悪かったなぁ! 風呂入ってくる!」


 ミアが顔を顰めたのを見て、ドカドカとロイが宿の風呂に向かった。昨日は王都のダンジョンの3階層まで潜って様子見して、今日と明日は宿で調整して明後日また潜る予定だった。ロイがこのダンジョンには慎重に潜ろうと言うので、もちろん従った。


 ロイは、急に若くなった。

 ボロボロで戻ってきて、急にミアとキスしたかと思ったら、傷が消えると共に若返ってしまった。私と同じぐらいの年齢の見た目になったちょっと小さなロイは、やっぱりかっこよかった。


 ロイは優しい。黒髪なのに怒鳴るけど、大声で怒るけど。ロイは、絶対に優しい。パーティから追い出したりしないし、チームワークができなくてもできるまで付き合ってくれる。私がいくらドジをしても、態度が変わらない。パーティの誰かがロイにいくら迷惑をかけても、絶対に見捨てなかった。


 そんなロイが、好きだった。


 一緒にダンジョンに潜らせてもらって、ロイと剣聖の戦いを見て、憧れが強くなった。世界で1番、ロイが強くて速くてかっこいいんだと思った。


「スイ、どうしたの?」


「ううん、なんでもない! あ、ミア、その服可愛いね!」


「ん、ロイがくれた」


 ごちん、と心に衝撃があった。目に涙がたまる。思わぬ攻撃に、挫けそうだった。

 ロイはミアにプロポーズした。今はダンジョンに潜っているから結婚ではなく、付き合っているらしい。

 ロイは仕事中はミアに対する態度は前と一切変わらない。私達に対しても、もちろん同じだ。

 でも、ひとたび地上に出てしまえば、ロイがミアを大事にしていることが分かってしまう。よくプレゼントを渡しているし、大きくなったミアがしがみついていったら絶対髪にキスを落とす。


 ロイは、ミアのものになってしまった。


「うう~」


「スイ、泣かないで」


「ミア、ミア~!!」


 大きくなったミアの胸で泣いた。ちょっと前まであんなちちっちゃかったのに、今では立派な女性だ。最近はよく頭を撫でられる。

 ちょこんと私の隣に立って、私ののローブの裾を、私が転んでも巻き込まれないぐらいちょこっと握ってロイの戦いを見ることはもうない。抱っこもできないし、膝の上にのせて遊べもしない。もちもちのほっぺたをアイナと一緒に延々と触ることもないし、深いお風呂で溺れないよう見ておくこともない。私の魔法に文句をいうことはまだある。

 でも、アイナの料理をもぐもぐと口いっぱい頬張る小さなミアは、もういない。



 ミアは、ロイのものになってしまった。



「ミア~!! 捨てないでぇぇ~!!」


「捨てない」


「わ、私、ロイも、ミアも大好き~!!! ミア、ミア~!!」


「私も好き」


 きゅ、とミアの暖かで柔らかな胸に抱きしめられる。

 だって、こんなにすぐ大きくなるなんて思っていなかった。綺麗に育つのは分かっていたけど、いきなりお姉さんぶられるなんて思わなかった。


「私のミア~!!」


「ん」


「だって、だって私ずっと一緒だったのに! 私の方がロイより、ミアと一緒にいたのに! ロイ、ロイのばかああ!! ミア、ミアを返してよぉ~!」


「……すまん」


 ミアと2人して飛び上がった。

 部屋の入り口には、気まずそうな顔で濡れた髪をかくロイと、お腹を抱えて笑うニコラと、おっとり笑うアイナがいた。


「あー……その、なんだ。悪かったな、スイ。そんなにミアを独占するつもりは……多少あったが、ここまで泣かすつもりは無かった」


「おいおい、聞いたかアイナ。あのロイが惚気けてるぞ」


「うふふ、メロメロね。みんな可愛いわ」


「うっせ!」


 ちょっと耳を赤くして照れたロイが叫んだ。ロイが若くなってから、なんだかちょっと可愛く見える。前まではかっこよすぎて可愛いなんて思ったことがなかった。


「……スイ」


 すっ、と。ロイが、ミアに抱きついて泣いている私の前にしゃがんだ。黒髪から水がたれていて、まだちょっと黒酢の匂いがした。


「あんがとな」


 いきなり、大きく硬い手にぐりぐりと頭を撫でられる。


「えっ!? え、えっ? な、なんで? ロイ、ロイなんでありがとうなの? え、だって私、え?」


「落ち着け落ち着け」


 ロイは、大きかった頃と同じ表情で、とても優しく穏やかに笑った。こういう顔をする時、やっぱりロイは黒髪なんだな、と思う。いや、きっと他の黒髪の人達より、本当の本当に優しいんだ。だって、ロイはたまにしかこんな顔しない。他の黒髪の人のみたいに張り付いた、厚さの無い穏やかさじゃなくて、もっと。ロイの中でいっぱいになって、溢れて、こぼれ出るみたいな優しさが。


「好きだって言ってくれて、ありがとな」


「えぇっ!?」


 心臓が止まるかと思った。気がついたら手に持っていたりんご酢の瓶をロイの頭にぶつけていて、ロイは血とお酢塗れになっていた。


「いだだだだだ!! 傷に酸がっ!! つーかスイ、どんだけ酢持ってんだ! なんの為の酢だよ!?」


「ロイ、大丈夫。私、ヒーラー」


「いだだだだだだだっ!! てめ、ミア! 消毒液の前に酢を何とかしろ!」


「お風呂入れば?」


「正論かよ!!」


 ロイは立ち上がって、またすんすんと自分の匂いを嗅いでいた。酸っぱい匂いがする。ごめん、ごめんロイ。私またやっちゃった。


「スイ」


 ロイが、また穏やかな黒い目で、私を見ていた。そして、急に耳元に口を寄せられる。小声で言われたのは。


「ミアのこと、大事にしてくれてありがとな。スイは真っ直ぐ伝えてくれるから、安心するよ。俺が言うのもなんだが、これからもよろしく頼む」


 そのままロイはまたお風呂に行ってしまった。ニコラとアイナはお酒を飲みに行った。


「スイ、ロイはなんて言った?」


「えっ、あ、うん、えっと……」


 ロイはミアのものになってしまった。ミアはロイのものになってしまった。


「週2日は、私にミアを返してくれるって!」


「んなこと言ってねえが!?」


 私は、ロイもミアも、大好きだ。

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