第5話 誰より速く
西の未踏破ダンジョン、危ない剣聖に先を越されぬようにと潜り始めて丸1日と数時間。マッピングされていない8階層にて。
「お兄ちゃん、動かないで」
「いだだだだだ!」
地面に座り肩口の傷に消毒液をぶっかけられながら、積み重なったモンスターの死体を見上げていた。
「……舐めてたな、未踏破ダンジョン」
8階層に降りた瞬間いきなり強力なモンスターに集団で襲われて、プロとして冷静に対処はしたものの数に押されてしまった。一緒に潜っているミアはヒーラーでありアタッカーでは無い。モンスター相手にほぼソロプレイの状況では、どうしても手が足りなかったのだ。
「ロイ兄が踏破した、この間のダンジョンの方が、難しい」
「そりゃあ、あっちの方がキツかったけどな。今は冷静な分、自分がどんだけ無茶やってるのか自覚して怖くなってきたぜ」
そう。この間踏破したダンジョンの方が、モンスターは強かった。一階層当たりの面積も広く、恐らく今より断然難易度は高かった。
だが、あの時俺は精神状態が異常だった。多少の怪我なら気にしないどころか、血を流す度どんどんハイになっていきより速くダンジョンを駆け抜けていった。死を恐れていなかったからこそ、スピード特化の俺が最深部の超大型モンスターに勝てたのだろう。
今のように冷静に危険を判断し、抱えた仲間の命と危険を認識すればするほど、前のようにはいかなくなる。
「怪我しても、私が治してあげる」
「消毒液はもういいって」
「……ビビってるお兄ちゃん、かっこ悪い」
驚いた。
普通の冒険者なら、今までの俺の全力疾走ダンジョン攻略を、殺してでも止めるだろう。もちろん俺はミアに怪我をさせるつもりなどさらさらなかったが、同行する冒険者としてはこんな無茶なダンジョン攻略に付き合わされてたまったものじゃ無いと思う。そろそろ、ミアも止めてくるか帰りたがるかと思っていたのに。
やっぱり危険人物だ、ミアは。
「走って、お兄ちゃん。お兄ちゃんは、1番速いのがいい」
ぎゅっとしがみついてきたミアの言葉は。
俺の、胸の奥に燻る炎を、焚き付けた。
「……そうだな。速くないと、間に合わないもんな」
ミアを抱える。軽く足の間接を回して、愛刀を撫でて。
「俺が速くなくて、どうすんだって話だよな!」
走った。襲ってくるモンスターなどに、止められるものか。速度を落とされるものか。もっと、もっと速く。
そうだ、死を恐れなかった、あの時のように。
きっと、止まれば俺は死ぬ。いや、遅ければ、速くなければ俺は死ぬ。
死を恐れてしまえば、俺は死ぬ。
「行くぜ9階層!」
「ん!」
これまでのような竪穴は無く、緩やかに下へと続く坂道を下れば。
「……ボス」
「来たかダンジョン最深部……!」
目の前に開けた、やけに広い空間。その中に鎮座していたのは、三つの頭を持つ、巨大なヘビのモンスターだった。
単に巨大、と言っても、ひとつの目玉の幅が俺の身長ほどはある、桁違いの大きさだ。
「ミア、さがってろ」
「ん。がんば、お兄ちゃん」
唇を舐め、愛刀を握った。それから、一切の躊躇いなく。
このダンジョンの、最奥へと駆け抜ける。
「―――ふっ」
3頭のヘビが俺へと目線をやる前に、思い切り地面を蹴って跳躍した。鞘から刀を抜く勢いのまま、さらに体重を掛け合わせた力でヘビの頭の内1つを落とす。
『ギキィーーーーー!!!!』
残り二つの頭がのたうち回り、俺のちっぽけな脳を揺らす悲鳴をあげる。
「―――ふっ」
未だ雑な呼吸とともに跳躍して空中にいる間に、もう一度、刀を抜いた。
2つ目の首へ振った刀は硬い鱗に阻まれて、がぎんっ、と刃を撃ち返される。
「―――っ」
無駄を無くしつつある呼吸とともに鞘を地面に手に持ち目の前に掲げ、また刀を抜いた。未だ空中にいる俺は、自分の頭が下になるよう体をひねり、逆さまの体勢で見上げるようにして残り2つの内1つの顎下を、刀で一文字に薙いだ。
「―――っ」
まだ空中。未だ微かに無駄を滲ませた呼吸と思考のまま、また刀を抜いた。今度は頭が別れている根元の部分を切ろうとして。
「ロイ兄!!」
初めに頭を切り落とし、滝のような血を流す首が、その圧倒的肉の質量をしならせて俺を潰さんと動いた。
びぎんっ、と嫌な音とともに鱗に覆われた太いヘビの首に吹き飛ばされた俺は、鋭い衝撃と共にダンジョンの岩の壁に突き刺さった。激突などという生やさしいものではない、本当に、岩の壁に刺さったとしか表現できない衝撃だった。
「か、はっ……!」
体中が軋む。息ができず、視界が濁る。
「……」
世界から音が消えた。視界が狭く、暗い。
あぁ、これは。
「……はは!」
よく見えない、よく聞こえないまま、かちゃりと場違いに軽い手つきで刃を返した。
軋む足で壁を蹴り、巨大ヘビの元へと駆け戻る。
「ははは! ふぅー!!」
ぐったりとした、先ほど顎下を切ったヘビの頭の上に左手を置いて、逆立ちするような体制のまま刀を振りかぶった。
そのまま、体重と重力の力を借りて、顎下の切り込みに繋がるようヘビの首を断つ。
「のこりひとぉーーつっ!!」
血の混じった唾液を飛ばしながら、大声で叫んだ。痛みなど感じない、不安など、恐怖など少しだって感じない。血を流すのも浴びるのもただただ爽快で、世界の全てが遅く見えると錯覚するような自分の速度と高揚感。そうだ、この感じだ。
1番速くっていうのは、こういう感じだ。
刀を鞘に収め、びくんと震えたヘビの頭の上から飛び降りる。
「―――ふっ」
抜いた刃が弾かれた。自分の呼吸も思考も体の動きも、未だ無駄ばかり。
「―――ふっ」
思い切り胴を反らして避けられた。俺の全てはまだ雑で、まだまだ遅い。
「―――っ」
大きな鱗のひとつが飛んだ。ひとつ、無駄が消えた。
「―――っ」
鱗が3つ飛び。やっと、遅いだけの思考が凪いで。
「―――」
俺の全てを切り詰めた動きで、頭のついた1つの首を、根元から断ち切った。
「―――ふっ」
即座に乱れた呼吸と思考をそのままに、地面につくや否やもう一度跳躍した。まだビクリビクリと痙攣するヘビの胴を、背骨にそって何度も切りつける。
鱗が飛び、火花が散る。俺の納刀の音だけ、澄んで響いていた。
そして。
「……ファーストドロップ!」
命を失ったボスモンスターの胴の下から、真っ赤な宝石のついた剣が出てきた。それを拾って、モンスターの死体からも持ち帰れそうな手頃な鱗を回収する。
このモンスターなんだか金になりそうなものが多いぞ、と思わず頬が緩んだ。一通り回収が済んで、とことこと寄って来ていた小さな銀髪を振り返る。
「ミア、帰るぞ」
「……ロイ兄。思ってた5倍、かっちょいい」
「あん? そりゃ見込みが低すぎんだよ、修正しとけ!」
「ん!」
勢いよく抱きついてきたミアを抱えようとして。
「いだだだだだだだだだ!!」
「我慢」
頭から消毒液をぶっかけられた。体中に染みる。染み渡る。
「……ロイ兄、これ、骨折れてるよ」
「骨? 吹っ飛ばされてんだ、そんなん当たり前だろ? 俺はタンクじゃないから、耐久力はないんだ」
「……」
「そもそも俺じゃあ、大型と1人でやり合うには攻撃力が足りてないんだよな……でもスピードのために筋肉絞ってるから、これ以上はなんとも」
「……早く戻ろ?」
「おう、そうだな」
ダンジョンは帰りが危ない。換金所に行くまでがダンジョン踏破なのであって、帰りの油断は命取りだ。実際にボスを倒した冒険者が死亡するケースは多い。
俺も細心の注意を払いながら満身創痍の体をおして、なるべく急いでダンジョンを上がる途中で。
「おぉ! 黒髪のルイ! 生きていたか!」
「……」
「そんなに怪我をして、撤退かい? 大丈夫、安心したまえ! なんたってこのダンジョンは、この僕!」
サラサラの白髪をかきあげた剣聖を、2人の冒険者が魔法で照らす。全く意味の見出せない行動と発言に、なんだか血を流しすぎたせいでは無い寒気がした。
「第13代目 剣聖! ルーカス・グレートソードが、踏破するからね!!」
走った。
やっぱり、関わってはいけない危ない人だあの剣聖。
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