第90話 一人舞台

 重たい資料を両手で抱えて運びながら思案していると、隣を慌ただしく通り過ぎていく男性スタッフと肩がぶつかった。


 ドンッという衝撃に数歩後ろへ下がと、よろけたソフィアを、誰かがそっと支えてくれた。

 

 「ありがとうございます」と言って見上げると、そこには背の高い50代くらいの男性が立っていた。


 ロマンスグレーの髪とひげ、青みがかった灰色の瞳。頭には、つばの広いハットをかぶり、黒茶のコートと同色の革手袋をまとっている。


 大人の落ち着きと気品に溢れた佇まいは、まさに紳士という言葉がふさわしい。


 彼は優しい瞳でこちら見下ろすと、『どういたしまして』と言うように頷いて体を離した。


「あ、あなたは!イーサン・オルランド伯爵!!」


「何だって!オルランド伯爵がいらしているのか!」


 背後から声がして振り返ると、貴族達が驚いた様子でこちらに視線を向けていた。


――イーサン・オルランド……。アーサー様のお父様!


 ソフィアも驚いてオルランド伯爵の顔を見上げる。


 先程は気付かなかったが、言われてみれば優しげな目元がよく似ていた。


「オルランド様、アーサー様は――」


 ソフィアが口を開きかけた直後、貴族や議会出席者が一斉に立ち上がり伯爵へと詰め寄り、あっという間に取り囲む。


 人の波に押し出されて、ソフィアは伯爵に近付くことすら叶わない。



 その時、コンコン――と二回、木槌の鳴る音が響いた。

 

「静粛に!これより開会します。皆様、ご着席下さい」と議長が高らかに宣言する。



 オルランド伯爵を取り囲んでいた人たちが、渋々と言った様子で席に着く。


 ソフィアも他の職員とともに壁際に寄って立ち、議会進行を見守った。



 まず最初に手を上げて立ち上がったのは、ジル・ネイドという貴族男性だった。



 彼は大きく息を吸い込むと、「恐ろしく痛ましい事件が起こりました――」と話を切り出した。

 


「昨晩、そちらにいらっしゃるイーサン・オルランド伯爵のご子息、アーサー・オルランド様がセヴィル人に襲われ、爆発に巻き込まれました。噂では、本日の議会にご出席が叶わないほどの、重傷と聞きます。あぁ、何と恐ろしい……この平和なリベルタで爆発事件ですよ。これは由々しき事態です。貴族も庶民も関係なく、我々の全員の命が、安全が、セヴィル人によって脅かされています」



 彼の語り口は、人の恐怖心をかき立てるような不気味で不安定な響きをまとっており、聞いているだけで胸の奥がざわざわとしてくる。



「今回の襲撃事件は決して他人事ではありません。私も、貴方も、そちらの貴方も、誰もが、アーサー様と同じような目に遭うかも知れない。セヴィル人の恐怖と暴力は我々全員に等しく訪れるのです。あぁ、何と恐ろしい……私は最近、怖くて夜も眠れません。自分や、大切な人がセヴィル人に殺されたら……そう思うと……」



 時には震える声で囁き、強調すべき所は強い口調で話したり。

 

 ジルの演説は、聞く者の感情に訴えかけるような強烈な求心力があった。



 それはもはや演説ではなく、まるで一人舞台のよう。

 見る者の視線を自然と引きつけ、聞く人の心の中に恐怖と不安の種をばらまく、恐ろしい話術だった。



「アーサー様はセヴィル帝国との関係改善を目指していました。しかし、そんな和平の象徴とも言える彼が、セヴィルの凶刃に倒れたのです。これはもう、帝国人が我が国との和平を拒否したということに他なりません」



 彼は拳を握りしめ、力の限り訴えた。

 


「和平など、何の役に立ちましょうか!!!我々はいつまで怯えなければならないのか?この国は我々リベルタ人のものだ!!民のために、私達は戦わなければならない!恐怖をばらまき続けるセヴィル帝国を打ち倒し、自らの手で真の平和と明るい未来を掴むべきなのです!!!」



 一瞬にして、場は騒然となった。

 


 ジルに賛同し立ち上がる者、反対に眉をひそめ冷静に思案する者。

 

 様々な利害関係や考えを持った人々が、誰に味方するか腹を探り合い、口々に意見を述べ始める。


――アーサー様はいつもこんな……一歩間違えれば、足下をすくわれてしまうような……思惑だらけの場所で一人、戦い続けていたのですね。



 ソフィアはアーサー・オルランドという青年が背負っていたものの大きさと重さを、改めて実感した。

 


 紛糾した議会の様子を見守っていると、貴族席からすっと手が伸びた。


 その場にいた全員が釘付けになる。



 大勢に注目される中、高貴な老紳士――イーサン・オルランド伯爵、アーサーの父親は、議長の同意を得て立ち上がり議場をぐるりと見渡す。


 そして、問いかけるように疑問を口にした。



 「私たちの敵は、本当にセヴィル人なのでしょうか」――と。



 決して大声を出している訳ではないのに、ソフィアの耳に、心に、すっと入ってくる、いつもの馴染みのある声の響き。


 ソフィアは心からほっとして、涙を浮かべながら「あぁ……良かった……」と震える声で呟いた。


 

 オルランド伯爵は、話し続ける。


「皆様をだます形になってしまい誠に申し訳ありません。しかし、今回私が襲われたことで確信いたしました」


 オルランド伯爵は目深に被っていたハットを取り机に置くと、ロマンスグレーの髪と、顔の半分以上を覆っている髭を掴み……引き剥がした。


 それは……老紳士から貴公子への華麗なる変身だった。



 see you tomorrow

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