9章:それぞれの思惑・影の陰謀

第84話 訃報

 帝国使節、テオが帰国してから数日――。


 ソフィアとアーサーは、テオの安否を心配していた。


 資料から顔を上げたアーサーが、窓の外を眺め呟く。


 リベルタから遠い帝国まで続く空を見上げ、その後の動向が掴めない友の安否を憂いているのだろう。

 


リベルタこっちは少し落ち着いてきたけれど、あちらはどうかな……」


 ソフィアは表情を曇らせて「とても、心配です」と返事をした。


「貿易商経由でクレーベル家に手紙を送って、テオ様と強硬派から離反する人々の保護を実家に頼んだのですが、まだ何も返事がないんです。……テオ様が、ご無事であることを願うばかりです」


「僕の方も手を尽くして帝国の情報を探っているんだが、情報規制が厳しくてまだ状況が分かっていないんだ。本当に、何事もなければ良いんだが――」


 

 アーサーは文書を読み、ソフィアは本棚に資料を戻しながら会話をしていると、突然扉が慌ただしくノックされた。

 

 入室を許可すると同時に、見慣れた七三の髪型に眼鏡スタイルのロイドが勢いよく入ってきた。

 

 

 顔面蒼白な彼は、荒い息を整えることもせず、「おい、お前達もう聞いているか?」と問うてきた。


 論理的な彼には珍しく、何の脈絡もない質問だ。



「何の話だ?」


「先ほどの会議のあと、セヴィル帝国からいくつかの文書が届いたのだが。……二人とも、気をしっかり持って聞いてくれ」


 

 ロイドはずり落ちた眼鏡を押し上げる。

 ブリッジに触れた指が、細かく震えていた。


 一度深呼吸をして、彼は告げた。

 



「テオ・ブラスト様が…………、亡くなった」




 呼吸が止まる。



 分からない。何を言われたのか、分からない。



 頭が真っ白になる。



 血の気がさぁっと引いて、魂が抜け落ちるように体から一気に力が抜けてしまい、ソフィアはその場に崩れ落ちた。


 手に持っていた本や資料が音を立てて床に散らばる。

 

「ソフィア!」


 倒れ込んだソフィアの肩をアーサーが抱き寄せ、支える。

 

 両目から、ぽろぽろと涙をこぼし、すがるようにロイドを見上げてソフィアは呟いた。


「うそ……うそ……テオ様が……テオ様が、そんな……そんな……」



 ロイドは顔をさらに歪めると、「残念ながら、事実だ」と悲痛な声を絞り出した。


 

 嫌な予感は、していた。


 いや、ただの予感じゃない。


 それは確信めいた予想。

 

 目を背け、直視して理解するのを先送りにしていた最悪の未来。


 悲しい結末。異端者の無残な末路。



 ソフィアは両手で口元を覆うと、体を震わせ必死に声を出さないように泣いた。

 

 だが、押し殺しきれなかった心の悲鳴が、すすり泣く音になって指の隙間を通り抜けてゆく。



 しゃくり上げるソフィアの頭をアーサーがそっと胸に引き寄せ、慰めるように優しい手つきで撫でた。

 

「我慢しなくて良い。ここには僕達しかいない。泣いてもいいんだよ、ソフィア」


 その声音がいつも以上に、穏やかで温かくて。そして酷く悲しげな涙声で……。

 


 ソフィアは、子供のように声を上げて泣きじゃくった。


 どうしようもないくらいの悲しみが込み上げてきて、涙も嗚咽も自分では止める事が出来なかった。

 

 悲しみの激流が次から次へと押し寄せ、胸が苦しくて苦しくて、おかしくなってしまいそうだ。



 テオとの思い出や表情、過去の一つ一つの些細なことが、今はただ痛くて切なくて堪らない。


 

 津波のような荒れ狂う胸のうちを吐き出して、一体どれくらい時間が経ったのだろう。



 

 執務室の扉がノックされ、外から政府の人らしき若い男性の声が聞こえてきた。


「ロイド様とアーサー様はいらっしゃいますか? 至急目を通して頂きたい帝国語の文書がありますので、庁舎一階会議室にお越し下さい!」


「分かった。急ぎ、アーサーを伴って行く。君は先に向かってくれ」


 「かしこまりました」という返事とともに足音が遠ざかる。


 

 ロイドは眼鏡を僅かに上にずらすと目元を拭い、はぁと深いため息をついた。



「帝国内は随分と混乱しているようだ。強硬派は会談の責任者が亡くなったことを理由に、合意内容は無効だと主張してきている。対して、中立派を始めとした反強硬派は、ブラスト様の意思を受け継ぎ、我が国と協力して和平の道を模索しようとしているようだ。いま我が国には、帝国の両陣営から続々と文書が届いている」


「そうか。分かった。すぐ内容を検討して対応する必要があるな」


 アーサーはこちら顔をのぞき込むと、「ソフィア、君は今日はもう上がりなさい。僕から館長に話を通しておくから、ゆっくり心を休めて」と心配そうな顔で告げた。



 しかし、ソフィアは「いいえ――」と言って首を横に振った。


 目元を拭い、しっかりと彼の瞳を見つめて確かな声で願い出る。


「少しでも私がお力になれるのでしたら、どうか仕事をさせて下さい。テオ様が命がけで守ってくれた平和な日常を、私も守るお手伝いがしたいのです。お願いします」


「ソフィア……君は……。分かった。ロイド、彼女も連れて行っていいか」


「もちろんだ。正直、我々の読むスピードでは追いつかん量の文書が来ているんだ。助かるよ」


 アーサーは悲痛な面持ちで立ち上がると、感情を堪えるように深く息を吸って表情を引き締めた。

 


 決意のにじんだ声で「行こう――」と言って、こちらに手を差し出してくる。


「はい」


 

 彼の言葉にしっかりと頷き返し、ソフィアは力強く彼の手を取って立ち上がる。

 

 両足で地を踏みしめ、涙の残る頬を拭って前へ向かって歩き出した。

 




 ソフィアたちが続々と送られてくる帝国からの文書の内容を確認し、まとめ作業を終えたのは日もすっかり暮れた時間帯だった。


 戻ってきた執務室の窓の外には、星すら見えない暗闇が広がっている。

 

 カーテンを閉めていたソフィアに、アーサーが声をかけてきた。


 「何でしょう?」と振り返ると、彼は切なげな表情で一通の手紙を差し出してくる。



「帰国直前、テオから預かった君宛の手紙だ。もし自分に何かあった時には、君に渡して欲しい、と」



「テオ様が、私に……」


 

 ソフィアは手紙を受け取ると、丁寧な手つきで封を切り、便せんを取り出す。

 

 手紙には、丸く可愛らしい女性のような文字で文章が綴られていた。





【 拝啓 ソフィア・クレーベル様


 

 昔は代筆屋を通していたから、自分で書くのは初めてだな。

 

 毎日のように、あんなに手紙のやりとりをしていたのに、何だが今は無性に気恥ずかしい。



 俺の字は、あまり格好良くないだろう。

 

 帝国男児として情けない筆跡だと恥じて、これまで自ら筆を執ることはしなかった。


 だが今は、存外、自分の字も悪くないと思えてくるから不思議だ。



 お前がこの手紙の封を切ることがないよう願っているが、読んでいるということは……俺はまぁ、そういうことなのだろう。



 ソフィア、俺の願いを覚えているか?


 出発前夜に伝えた言葉だ。



 必ず、幸せになってくれ。


 

 優しいお前のことだ。

 

 俺の訃報を知れば、きっとお前は酷く悲しい気持ちになって、今は涙を流しているのかもしれない。


 だが、俺はお前に笑っていて欲しい。



 泣き顔より、笑顔を。


 悲しみより、日々の中にある沢山の喜びを。


 後ろを振り返って立ち止まるより、前を向いて進み続けることを、願っている。



 間違っても、俺がこの結末を選んだのは自分のせいだ――なんて、自責の念に駆られないで欲しい。


 俺は自分でこの道を選んだ。


 これが自分自身にとって幸せで、一番『なりたい俺』に近づける未来への選択肢だったんだ。

 


 お前は、自分を責めるより、このテオ・ブラストという格好良くて素晴しい男に惚れられた自分自身を誇れ!



 ソフィア・クレーベル。

 

 俺に愛を教えてくれた女よ。


 しがらみも、葛藤も、全部乗り越えて自由に羽ばたくお前の美しい姿に惹かれた。


 どうか、その前を向く強さを、温かな心を、ひたむきな眼差しを無くさないでくれ。


 俺の想いも、覚悟も、夢も、一緒にお前の未来へ連れて行ってくれ。


 お前ならきっと、一日一日、ありふれた日常を楽しく輝かしいものにしていける。

 

 俺はそう信じている。


 だから、この先、どんなに辛く悲しい事があったとしても。




 ――――未来を、諦めるな。必ず幸せを掴み取れ   】

 



「はい……は、い。テオ様、私……諦めません」


 ソフィアは手紙を胸に大事に抱えると、もう一度「諦めません」としっかり呟き、涙を拭った。


 胸の痛みと深い悲しみは、まだ当分消えそうにない。

 

 きっと生涯、心に深い深い傷跡として刻まれ、これからもずっと折に触れてはうずくのだろう。


「安心して下さい、テオ様。自分を責めて、悔やんで、過去を振り返って立ち止まったりしません。日々を泣き暮らすより、貴方が望むとおり、笑って生きる日々を選びます。テオ様は、それを何より喜んでくれると思うから。私……強く生きていきます」



 声にも表情にも、まだ涙の余韻は残っている。


 それでもソフィアは、瞳を大きく開いて前を向く。


 

「あなたの想いも夢も全部、未来へ持っていきます。私達、立ち止まっていられませんね、アーサー様」



 ソフィア・クレーベルは沢山の悲しみと、愛おしい思い出たちを胸に抱きかかえ。


 

 強く生きる決意をした。


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