第85話 ドブ鼠【side:ブラスト侯爵(テオの父親)】

 テオの死から数日後。


 セヴィル帝国の帝都中心にそびえ建つ屋敷の一室にて、男――ブラスト侯爵は一人、窓から夕日を見つめていた。


――あの日も、こんな鮮やかな夕焼け空だったか……。

 

 思い出すのは、息子を処分した日の光景。

 

 去り際、馬車の中から見た景色だ。

 

 

 純白の雪景色の中、テオの亡骸もろとも廃墟がごうごうと音を立て、真っ赤に燃え盛っていた。 


 最初は白かった煙が、次第に黒煙へと変わり、逆巻く業火を伴って天高く舞い上がる。

 

 息子を手にかけた自分の心に浮かぶのは、悲しみでも虚しさでもなく、ただの怒りだった。



【忌々しい愚か者め。死してなお、私の邪魔をするとは……。あんな欠陥品、育てるだけ時間の無駄だったな。やはり、妾を作って代替品スペアを用意しておくべきだったか……】


 顔を歪め、今は亡き息子に毒づく。


【だが、失策を悔いても仕方あるまい。血は薄まるが、縁戚から相応しい器を探すか】

 



 テオの死後、強硬派閥からの離反者は増えるばかり。

 

 今まで圧倒的過半数で議会を牛耳っていた強硬派が、ここにきて急激に失速。


 代わりに、中立派を始めとした反強硬派が着実に力をつけ、自分達と対等に議論を交すまで勢いを増している。



 さらに街では、市民に『声をあげろ!』と訴えかけ、扇動する輩まで現れているらしい。


 このままの流れでは、我が国は争いもせず和平合意に応じる事になるだろう。



【そのようなこと、決してあってはならぬ】



 セヴィル帝国は、かつて周辺諸国を統一し、巨大帝国を築いた伝統ある強い国だ。

 

 多少衰えたとはいえ、観光産業しか取り柄のない弱小国家に、戦いもせず負けるなどあってはならない。


 他国を圧倒的力で支配し、世界の覇者として大帝国を築くことが、代々ブラスト侯爵家の悲願だ。


 父も、祖父も、曾祖父も成し遂げられなかった夢を自分が叶える。



――そのために、まずは武力行使の機会を作らなければ。



 覇道に和平など不要、対話など何の価値もない、我々には戦争こそが必要である。


 争いを起こすには、もはや帝国強硬派だけでは力不足。


 リベルタ側に戦争の火種をばらまくねずみを探さなくては……。


 

 テオが、自分の意向に背いたことを知った時から、すでに次の手は打ってある。


 

 部屋の扉がノックされ、外から使用人が【旦那様にお客様です】と来客を知らせた。


【誰だ】


【それが、貿易商のようですが、中々名乗らず……。旦那様に『例の件』と言えば分かると……】


【ここに通せ】


【かしこまりました】

 

 

 ブラスト侯爵の目の前に現れた貿易商の男は、帽子を脱ぐと恭しく頭を垂れた。


【本日はお日柄もよく、侯爵閣下におかれましては――】


【無意味な挨拶は不要、時間の無駄だ。本題に入る】



 一礼して椅子に腰掛けた貿易商の男に、ブラスト侯爵は書類を渡し、淡々と命じた。


【この条件を承諾し、確実に実行できるリベルタ人を探せ】


 書類に目を通した貿易商は、書かれていた過激な内容に驚くこともなく、【閣下のご命令とあれば、早急に任務を遂行致します】と頷いた。


 続けて、【このご依頼内容ですと、『処分さつじん仲介』と『秘匿』オプションが追加になるので、高額になりますが……よろしいでしょうか?】と狡猾な守銭奴な一面をのぞかせる。


【金なら、いくらでもくれてやる】


【ありがとうございます。額が額なもので……先に、契約金の一部を前払いして頂きたく……】


【……好きにしろ。その代わり、契約違反や内容を口外した場合、即刻貴様と貴様の家族の首をはねる。死ぬ気で鼠を探せ】


【かしこまりました】


 金のためなら汚いことも平気で行う貿易商は、金貨の入った袋を懐に押し込み、胡散臭い笑みを顔に張り付ける。

 

 そして、来た時と同様にうやうやしく一礼して去って行った。



 奴に手渡した書類には、こう書かれていた――。




『 契約書


 1.リベルタ王国にいる和平派の重要人物を排除し、国民に帝国への恐れと怒りを抱かせ、戦争の道に誘導すること。


 2.帝国出身の女、ソフィア・クレーベルの殺害 』





 ブラスト侯爵は再び外を見つめると、【この内容を忠実に遂行できる優秀なドブ鼠が、弱小国家リベルタに居れば良いがな】と呟いた。



 帝国中立派閥の中核、クレーベル伯爵家の令嬢ソフィア・クレーベルの殺害――これは、確実に戦争の引き金になる。



 クレーベル当主は、良くも悪くも情に厚い男だ。

 

 娘が異国の地でリベルタ市民に惨殺されたとなれば、当主としてはともかく、親として黙っていられないだろう。


 必ず、仇討ちがしたいと願うはず、あやつはそういう馬鹿で甘い男だ。


 クレーベル家が開戦に向けて動けば、他の中立貴族も黙ってはいられない。

 

 開戦と徴兵の議会承認はすんなり下りるだろう。



【クレーベルの女め。大人しくブラスト侯爵家の物になっていれば良かったものを。我が家の持ち物にならんのなら、せめて死んで帝国のいしずえとなるが良い】



 自分の子さえ道具として扱う男にとって、誰かの命を奪うことに、もはや何のためらいもなかった……。

                       

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