第83話 非情な男【side:ブラスト侯爵(テオの父)】
テオの父親――ブラスト侯爵は、廃墟の前に立ち、夕焼け空へ飛び立つ無数の鳥を無言で眺めていた。
程なくして、建物から部下たちが出てくる。
第一秘書の男がこちらに、テオの階級章が付いた軍服の上着と白いハンカチを差し出した。
どちらにも、おびただしい量の血しぶきがついている。
白いハンカチは、『息子の誕生日に一度で良いから贈り物をしたい』と我が儘を言った妻が、乳母経由で渡した物だった。
祈りと愛情を織り込むように丁寧な刺繍がほどこされている。
――乳母を解雇した際に捨てさせたはずだが……。
まさか探して拾い、肌身離さず大切に隠し持っていたとは。
――あれほど、弱さや感情は捨てろと教え込んだが、つくづく子とは、親の理想通りに育たないものだな。
【――きちんと始末したか】とブラスト侯爵は、秘書に尋ねた。
【はい。絶命する所を、私が見届けました。迷いのない……立派な最期でした】
ブラスト侯爵は少し目を細めて【そうか】とだけ呟くと、再び冷酷な貴族の顔に戻って無感情に告げた。
【屋敷に火を放て。行くぞ】
部下を引き連れて、男は業火に包まれる廃墟と息子の亡骸に背を向けた。
感情も愛も家族も捨て、頑なに強さを追い求める姿には迷いはない。
足を引きずりながら、ひたすら前へ前へ、突き進む。
ブラスト侯爵の父もまた、『親や夫』である前に、骨の髄まで帝国貴族であり、強さと正しさに取り憑かれた者であった。
足の悪い息子の自分を【軟弱者、欠陥品】と責め立て、ののしった。
だが、どんなに頑張って努力しても、足は不自由になるばかり。
ついに自分は父の理想である、偉大で強い帝国男児になることは出来なかった。
『なぜ、お前のような欠陥品が俺の息子なんだ。あぁ、口惜しい……』
父はそう言って、最後まで自分を呪い、恨み、死んでいった。
だからこそ、ブラスト侯爵はテオを理想の男、強き帝国男児、帝国の正道を行く貴族になれるよう、人一倍厳しく教育した。
そして、無駄な弱さも感情も抱かない、誰もが『ブラスト侯爵家当主に相応しい』と褒め称える完璧な器になれるように作り上げ、自分の父親を見返してやろうと思ったのだ。
【あぁ、口惜しい……】
自分の父親と同じ恨み言を呟いて、男――ブラスト侯爵はため息をついた。
彼は気付かない、自分が無意識に、大嫌いだった父親と全く同じことを息子にしていたことに。
彼は気付こうとしない。
テオが身をもって、脈々と受け継がれるブラスト侯爵家の血も涙もない支配的な親子関係に終止符を打ったことを。
彼は気付きたくない……。
やり方は間違っているとしても、確かに自分の中に、
後日、テオ・ブラスト侯爵子息の死が帝国内で報道された。
廃墟同然だった侯爵家別邸からは、テオのものと見られる焼死体が発見された。
本人の筆跡そっくりの遺書も見つかったため、早々に自殺と断定され、捜査は異例の早さで打ち切られた。
だが、誰もがテオの自殺を信じることはなく、『異端になったから殺されたのだろう』という噂が帝国内であっと間に広まった。
ブラスト侯爵家の嫡男の死は、人々の心の中に確かに恐怖を植え付けた。
強硬派の古参貴族たちは、異端者を見せしめのように切り捨てたことで、全て丸く収まったと安堵した。
……しかし、彼らの予想を大きく裏切る、帝国貴族界を大きく揺るがす事柄が勃発した。
フランツ伯爵を筆頭に、強硬派閥から離反して中立派に鞍替えしたり、穏健派と合流する貴族が続出したのだ。
派閥から離れる決意をした者たちは皆、一様にこう言った。
『テオ・ブラスト様の意思を、覚悟を、雄志を、絶対に無駄にはしない! 帝国貴族たるもの強く気高く、民に優しくあれ!! 声を上げろ、立ち上がれ、今こそ沈黙を破れ――!』と。
ブラスト侯爵子息の死は、恐怖だけではなく、人々の心の中に確かな闘志を宿した。
黄昏ゆく帝国を再び、真に強くたくましく、民を思いやる理想の国にせんがために――。
貝のように口を閉ざしていた少数派は、いま沈黙のらせんを打ち破り、変わらない帝国社会と強大な強硬派権力に対抗する勇ましい挑戦者となった。
あまたの屍の上に築かれた国など、俺は要らない
――命をかけてそう決断した一人の優しき帝国男児は、黄昏ゆく帝国に新たな風と一筋の光をもたらす、
8章:『沈黙のらせんと黄昏の帝国男児』 完
次章:『深紅の薔薇姫と憐れな道化師』
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