第75話 守るため異端の道を選び取る【side:アーサー】

 会談の始まりは、連日同様、両者が主張を述べるだけの平行線だった。

 

 アーサーは立ち上がり、淡々と事実を述べてゆく。


「周辺各国が帝国への非難を強めている現状は、そちらも理解しているはず。国として早急にしかるべき対応をして頂きたい。さもなくば、セヴィル帝国は世界の中で孤立を深めることになるでしょう」


【ほう、我が国を脅すのか?】


「脅しではなく、これは歴とした事実です。検討中はもう通用しません。我が国に不法越境問題を押しつけ、これ以上対応と損害賠償を先延ばしにするのなら、こちらにも考えがあります」


 冷静に対応するアーサーに対し、帝国の使節達は余裕のある表情を見せ、面白がるような口調で【一体、どのような考えがあると?】と尋ねてきた。


 いつも通り、こちらを挑発するような強気な外交姿勢だ。


 しかし、リベルタ王国側は全員毅然きぜんとした態度を崩さず、落ち着いて交渉に臨んでいた。


 アーサーがロイドに目配せすると、帝国側の人々に資料を配りながら説明を始めた。


「セヴィル帝国には三ヶ月の猶予を与えます。期限までに、不法越境者への取り締まり強化、我が国への損害賠償の全額支払い、今後の再発防止策の提示、責任者の更迭こうてつほか処分など、条項に定められた事柄を行って下さい」


 リベルタ側の要求が書かれた紙をちらりと見て、帝国使者たちは鼻で笑った。


【馬鹿げている。そんな短期間でこれだけの事柄を達成するのは現実的に不可能だ】


【このようなリベルタ側からの一方的な要求、承諾しかねる。話にならん】


 まだ強気な姿勢を崩さない帝国使者にむけて、アーサーは「そうですか……」と呟くと、冷静に言葉を続けた。


 いよいよ、切り札を使うときだ。


「やる前から不可能と仰るとは残念です。しかし、こちらも『仕方ありませんね』と生易しいことを言うつもりはありません。期限内に全項目を完了しない、もしくは我が国に武力紛争を仕掛けてきた場合は即刻、同盟国と連携してセヴィル帝国への制裁を加えます」


【制裁だと?ラメール王国と束になったとしてもリベルタ王国が我が大帝国に勝てるとでも?それでも戦争をするというのなら、止めはしないがな】


「私は『武力制裁』とは申し上げておりませんよ」


【……何だと?】


 アーサーの言葉に、眼前の大使たちは怪訝けげんな顔つきになり、眉間にしわを寄せた。


「セヴィル帝国は長い寒冷期間、物資補給……主に、不足する民の食料品や薪、油、そのほか越冬資財の多くを、海外からの輸入に頼っている。特に冬本番は、帝国内に数カ所しかない不凍港から船を出し、世界各国から物資を買い付けている。――そうですよね?」


【それが何か?】


「輸入のため、帝国船舶が必ず通らなければならないのはどこか……。私の言いたい制裁内容はもうお分かりでしょう?」


 帝国使者たちの顔つきが一瞬にして変わった。


 先ほどの余裕ある態度は跡形も無く消え失せ、代わりに動揺や焦りがにじんでいる。


 唯一冷静にこちらの話を聞いていたテオが、一言【ラメール海峡か】と呟いた。



「左様。あなたがた帝国が我が国に危害を及ぼし続けるのなら、ラメール海峡を航行する帝国船舶に対し、通行税を引き上げます。この二つの資料をご覧下さい。右側は税率の引き上げ段階表です。そして左側はラメール王国からの正式な同意書です」


【なっ……ラメール王国がこんな無茶苦茶な税率引き上げに応じるものか!これは偽造文書ではないのか!?】


「よくご覧下さい。ラメール国と我が国の国璽 こくじが押された、歴とした正式文書です」


 目の前の使者たちは身を乗り出し二つの書類を食い入るように見つめ、奥歯を噛みしめて顔を歪めた。

 

 一人の男が机を両手で叩き立ち上がる。

 それを皮切りに、彼らは一斉に声を上げ始めた。

 


 もはや最初の挑発的な態度は見る影もない。



【こんな高額通行税があってなるものか! ただでさえ冬場は食糧難に陥るのに、これでは帝国国民が日銭でパン一つも買えなくなるだろう!】


【ラメール王国も一体何を考えているんだ? たまたま貿易上有利な海峡を保有しているからといって、こんな横暴がまかり通って良いはずがない! 簡単に税率を決められてはたまったものではないぞ!】


 今回の切り札とは、セヴィル帝国船舶への通行税引き上げによる輸入制裁と、冬場の物資補給路の断絶だ。


 ラメール王国は、海峡通行税の引き上げを最後まで渋っていた。


 高額通行税の前例を一度でも作ってしまえば、時間はかかるがラメール海峡を利用せず迂回した方が安く済む――という各国の風潮が出来てしまうかもしれない。

 

 新たな迂回航路が発見され、海峡利用が減れば税収は大幅減だ。

 

 しかし、そんなリスクを負ってでもラメール政府が帝国への税率引き上げを決めたのは、ひとえに自国の民を守るため。


 リベルタ王国が帝国に侵略されれば、次の標的は必ず、海を渡った先にあるラメール王国になる。


『隣国の事件は対岸の火事ではありません。リベルタ王国が抱える問題は、ラメール王国にとって決して他人事ではないのです』


 そう訴えて、アーサーを始めとした交渉チームはラメール王国に何度も協力を求め続けてきた。


――この切り札が間に合って良かった。さて、帝国はどのような決断をするか?


 冬場の深刻な食糧難で生活が立ちゆかなくなれば、貴族や領主、政府や軍をはじめとした権力者に対する民の信頼は失墜する。


 それは帝国上層部も避けたいはずだ。


 いくら金山が欲しくとも、帝国側は諦めてリベルタ側の条件を飲むことを検討するしかない。


 

 ……帝国が、民を大事にする普通の国ならば。



――どう出る?



 アーサーが事のなりゆきを見守っていると、帝国使者の一人が深呼吸をして、再び強気な姿勢で【残念だが、交渉決裂だ】と言った。


【我々を脅し、物資の補給を断つということは、すなわち。全面戦争するということだな? 我々は別にそれで構わない。セヴィル帝国は制裁には屈しない。リベルタ側の条件も呑まない。最後まで存分に戦いましょう】


 強硬派は、どこまでも民の命を軽んじているようだ。


 備蓄が尽きる前に武力でリベルタ王国とラメール王国を攻め落とせば問題ないという考えなのだろう。

 

 帝国上層部は、国民がどうせ飢餓で死ぬのなら戦争で命を落とすのも同じこと。領土拡大のための捨て駒にしようとしている。



 守るものがない捨て身の作戦ほど、無敵で厄介なものはない。


――予想はしていたが、制裁にも全く揺るがないか。帝国はどこまで血に飢えているんだ。


 アーサー達リベルタ交渉チームは帝国と違い、自国の民という守るべき者がいる。正面衝突はなるべく避けたい。


――被害を最小限にするには、どこに落としどころを見つけるべきか……。

 

 アーサー達が思案して黙り込んだ時、目の前で腕組みをして目をつぶっていたテオが金の瞳を開いた。

 

 背筋を伸ばして立ち上がり、議場に響き渡る朗々とした声で、はっきりと言い放つ――。



【よかろう。帝国はリベルタ側の要求を全て呑む。コンフィーネ山岳地帯の譲渡要求も撤回する。テオ・ブラストの名のもとに、先の和平条約に基づき、国家間の関係修復に尽力すると、ここに誓おう】


 瞬間、帝国側の使者達が一斉に驚いた様子でテオを見つめ、慌てた様子で立ち上がり次々に抗議の声を上げた。


【なっ!? ブラスト様、何を仰っているのですか! 我々は制裁には屈しないと今しがた言ったはず! 一体何をお考えなのか!】


【リベルタ側の要求を呑むですと? 血迷いましたか】


 テオは、ざわめく使者たちを腕組みをしたまま泰然たいぜんたる態度で見すえる。


【俺は正常だ。帝国民を守るためリベルタ側の要求に承諾する。民を守る者として当然の決断をしたまで。不法越境はそもそも帝国が民をないがしろにしていた結果であり、被害を受けているリベルタ王国に賠償金を支払うのも当然のこと。俺は、貴族としてなすべき判断をしたまでだ】


【何を馬鹿な……。あなたは我が強硬派閥の最大勢力ブラスト侯爵家の嫡男ですぞ!和平路線など……弱腰な外交判断をするなどあってはならない!!――異端者にはどのような末路が待っているのか、覚悟の上で仰っているのか】


 彼らの会話を聞いたアーサーは、以前ソフィアが口にしていた帝国事情を瞬時に思い出した。


 彼女は以前、こう言っていた――。


『帝国には【異端は死】という言葉があるほど、社会の慣習から外れた者やその家族は周囲から非難されます。帝国の人々にとっては、決められた通りに生きるのが唯一の正義であり、周囲と違う者はすべからく悪。粛正の対象なのです』

 

 と……。



 テオは今まさに、セヴィル帝国とリベルタ王国に生きる多くの人々のため、異端になろうとしている。


 自らの命をかける覚悟を持って――。



 アーサーは、とっさにテオに何か言おうとして……出来なかった。


 小さく口を開けたものの、かける言葉が見つからず、そっと閉口して奥歯を噛みしめる。

 

 帝国側が和平交渉に応じてくれるのなら、リベルタ側の自分が止める理由はない。むしろ大歓迎だ。


――僕は、リベルタ貴族としてテオの覚悟と決断を喜ぶべきだ。


 例えそれが、彼の命を脅かすものと知っていても。


 友が、異端の道の先にある死を選び取ろうとしていても。


――僕は、止めることは出来ない。


 ふいに、テオがこちらに視線をよこした。


 彼は何も言わなかった。


 だが、細められた金色の目が、『任せろ』と訴えかけて来ているように思える。


 その表情は、こちらが泣きたくなるほど穏やかで……。


 全てを覚悟した男の顔だった。


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