第68話 作戦、決行――!

 隣の部屋から、七三分け眼鏡の超堅物スタイルになったテオと、ワイルドで派手な見た目になったロイドが出てくる。



 髪の毛を撫で、手についた整髪料を眺めながら、テオが悪態をついた。


【くそ、頭がベタベタする。なぜこんなに整髪料をつけるんだ? これは絶対、頭皮に良くない気がする。将来は間違いなく禿げるぞ、レーゲル】


「余計なお世話ですよ、ブラスト侯爵使節。あなたこそ、何だ、このゴテゴテと着飾った服は。あと、何故こんなに首元のボタンを開ける必要があるんですか? 今は冬だ、首を冷やしたら風邪を引く。帝国はリベルタ王国よりも、もっと寒いのでしょう?温かい着こなしをした方がよろしいかと」


【ふん、余計なお世話だ。俺の服装の奥深さを理解出来ないとは、お子様め。寒さに耐えてこそ帝国男児。強い男のファッションとは、常に極限の我慢と隣り合わせなのだ!】


「いや……なんですか、そのセルフ拷問は……理解不能ですよ」

 

 

 衣装を取り替える間のすったもんだの挙げ句、一気に仲良くなった様子の二人を眺めながら、アーサーはちらりとソフィアに視線を投げかけた。


 そして、小さな声で「さっきの話はまた今度」と言うと、ニコッと笑って立ち上がる。



「二人とも、なかなか良いじゃないか。予想以上の仕上がりだ。というより、怖いくらい似すぎているな。君たち、本当は兄弟だったり――」


「そんなわけないだろう」


【断じて違う!!】


 相変わらず息ぴったりなロイドとテオの様子に満足げに頷き、アーサーは作戦の最終説明を始めた。



「誰かが部屋を訪ねてきた時のために、念のためロイドはここに待機してもらう。ドアノブには『就寝中、入るな』の札をかけておくが、万が一、何かあった時は、対応をよろしく頼む。君は帝国語も話せるし、まぁ、どうにかなるだろう。ちなみに、侯爵使節の口癖は【強さ】と【帝国男児】。これを駆使して、どうにか乗り切ってくれ」


「はぁ? 『どうにか乗り切ってくれ』とは……まったく、清々しいほどの丸投げだな。あと、口癖が驚くほど文脈的に使いにくい。……まぁ、良い。乗りかかった船だ。もう何も言うまい。とにかく、なるべく早く戻ってこいよ」


「善処するよ。ロイド、がーんば!」


 ゆるい口調で声援を送る親友アーサーをにらみ付け、ロイドは「うるさい!やめろ、お前の応援などいらん」と手で払いのけた。

 


 再び、表情を引き締めたアーサーが言葉を続ける。



「脱出および帰還経路は既に決めてある。道中は事情を知っている騎士がフォローしてくれるが、油断は禁物だ。何かあったら僕とソフィアが対処する。ブラスト侯爵使節は、とにかく堂々と後ろをついてくればいい。貴方は自分の身の安全と、ハンナさんに会うことを優先してくれ。あと、ここからはリベルタ語で頼むよ」


「分かった」


 頷くテオに、ロイドが「これをお持ち下さい」と言って、愛用の黒革の鞄を手渡した。



 これで準備は整った。


 アーサーは全員の顔をぐるりと見渡し、力強く作戦開始を告げた。



「――では諸君、いよいよ作戦開始だ。行こう」



 こうして、囚われの帝国男児は今、リベルタ王都にいる会いたい人の元へ向かって、一歩足を踏み出した――。







 アーサーが選んだ脱走経路は完璧だった。 

 

 迎賓館職員や騎士の交代時間や巡回場所を全て把握しているのか、人の少ない場所を的確に選び、迷いなく進んでいく。


 たまに予定と違い、騎士が立っていたり職員が集まっている場所があったとしても、アーサーは素早く状況を判断してすぐさま迂回経路を決めていく。


 

 ロイドにふんしたテオは特に怪しまれることもなく、三人は宿泊離宮を出て、もうすぐ迎賓館の敷地も抜けようとしていた。



 あまりにも呆気なく上手くいってしまった脱出劇に、ソフィアもテオも驚くばかり。



 リベルタ王国の賓客警護は決して緩くはない。


 むしろ、帝国軍人や貴族を隔離するという状況において、普段よりも厳重な警戒態勢が敷かれている。



 警護騎士や職員が劣っていた訳ではなく、今回の脱出成功はひとえに、アーサー・オルランドという人物の情報処理能力と空間把握力が上回った結果といえた。




 迎賓館の門をくぐり外に出た瞬間、今まで凛と前を向いていたアーサーが大きく伸びをした。


「あぁ、とりあえず一旦の目標達成かな。はぁ、久々の脱走だから疲れた」


 疲れたと言いつつも、彼の顔には悪巧みが成功した子供のような無邪気な笑顔が浮かんでいる。

 

 胸の内は、達成感で満たされている様子だ。



「すごいですアーサー様……!あざやかな脱出劇でした」


「うむ、これはもはや一種の才能だろうな」


「二人も堂々と歩いてくれて助かったよ、ありがとう。ははっ、あまり褒めないでくれ。照れてしまうよ」


「リベルタ王国では徴兵もなく、国民は訓練されていない軟弱者ばかりだと聞いていたが……貴族も逃走の鍛錬を積んでいるとは。書物で読んだ東方のニンジャのようだな。俺の認識を改めなければ」


「テオ様、考察中恐れ入りますが、リベルタ貴族全員がこうではないのですよ。今回の脱出の成功は、アーサー様の念入りな下準備と危機回避能力のたまものかと」


「そうなのか?ふむ。そうか。『一応』礼を言うぞ、オルランド」


「一応じゃなくて、きちんと礼を言ってもらいたいものだな」



 監視の目から逃れたことで、三人とも伸び伸びと会話をしながら街を歩いて行く。

 

 背後からわずかに視線を感じて振り向くと、少し離れた場所に見慣れた金髪の騎士――ベネディクトと、その隣には彼の相棒だろう、優雅な雰囲気を漂わせた騎士が歩いていた。 



 二人はこちらに気が付くと、『ちゃんと見守ってるぜ!』と合図を送るように手をヒラヒラ振ってくれる。

 

 ソフィアは軽く会釈をすると前に向き直った。


 他にも見えない所で自分達を護衛する騎士がいるのだろう。



 行政地区から商業地区に入ると、昼時を過ぎた時間にも関わらず、街は人で溢れかえっていた。


 今日は天気が良く、うっすら積もった雪も溶けているため、道路には絶えず荷車が行き交い、買い出し客でどこの店も大賑わいだ。



 活気ある商業メインストリートを目の当たりにして、テオは眼鏡の奥の瞳を大きく見開くと「リベルタの街には、こんなに人がいるんだな」としみじみ言う。



「冬だからこれでも少ない方だけどね。そっちの国では、市民や貴族が街を歩いているのは珍しいのかい?」


「貴族は歩かず馬車で移動するのが基本なんです。市民は貴族が使うメインストリートを避けて裏道を利用するので、街の大通りにはあまり活気がなくて……。裏通りの市民向けのお店は賑わっているみたいですが、私は行ったことがないので何とも……」


「俺も裏通りは行ったことがないな。そもそも、帝国貴族が使用人以外の庶民と顔を合わせることは、かなり少ないかもしれん。弱い民は貴族の不興を買ったら最後、無残な目に遭うからな。今まではそれが当たり前だと思っていたが……」



 物珍しそうに街を見渡していたテオがぽつりと、「俺はずいぶん閉ざされた、小さな世界の中にいたんだな」と

呟いた。



 帝国は伝統的に鎖国政策をとっている。


 他国の文化や価値観にあまり寛容ではなく、人の出入りや情報を制限し、民が自国以外を見ることを極端に嫌う。



「私もリベルタ王国に来たばかりの頃は、文化や街並みの違いに驚きました。今までの常識が覆されて、自分が『この道しかない』と思い込んでいたものが、広い世界のほんの一部なんだなぁと思ったんです」


 ソフィアの言葉に、「俺も今、同じ気持ちだ」とテオが頷いた。



 セヴィル帝国侯爵家という閉ざされた箱庭の中で育ったテオは今、人生で初めて世界の広さを実感している。



 目に映る物全てを珍しそうに眺め、不思議がる様子はまるで、何にでも興味を持つ少年のようだ。



 商業地区の中心にある白亜の大広場を通りかかった時、テオは広場の中心にそびえ立つ物を指さして「あれは何だ?」と首をかしげた。

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