第67話 身代わり

【アーサー・オルランドの命で参上致しました。リベルタ政府外交部のロイド・レーゲルです】


 きっちり七三に分けて整髪料で固められた黒髪。


 高身長で、体つきもがっしりとしている彼――ロイドは、眼鏡のブリッジを押し上げると、ため息をこぼした。



「はぁ……、アーサー。私はこれまで、散々お前のいたずらや厄介ごとに振り回されてきたが……まさか、脱走の片棒を担がされるとは思わなかったぞ」


「本当に、人生って何が起こるか分からないものだね。まぁ、頑張ってくれたまえ、ロイド」


「人ごとのように言うな! くそっ……。 おい、アーサー。お前、また子供の頃のようなノリノリで悪戯するワルガキに戻ったのか?」


「そう怒らないでくれよ。それに、今回はただのイタズラじゃない。歴とした人助けだ。一緒に囚われの、成人帝国男児『姫』を外の世界に連れ出してあげようじゃないか」


「随分と、いかつい姫だな……」


【なにっ!?俺を姫扱いするのか!】


「アーサー、お前のことだから心配はしていないが、脱出経路の確保は万全なんだろうな?」

 

【おい、俺を無視するな!】


 小さな事にもいちいちツッコミを入れるテオをよそに、アーサーとロイドが今後の作戦について話し合う。


「もちろん、経路の確保は万全さ」


「道中の護衛はどうするんだ?」


「それも完璧だ。既に騎士団長に協力は要請してある。ベネディクトを始めとした、信頼できる精鋭騎士が護衛につく予定だよ。安全面も含め上手くフォローしてくれるさ。任せて、こういう脱走は昔から得意なんだ」


 意外な特技に、ソフィアが「えっ、アーサー様は脱走が得意なんですか?」と声を上げる。


 彼は昔を懐かしむように目を細め頷いた。


「あぁ。子供の頃はよく、寄宿舎や屋敷を抜け出して、王都郊外の森や林とか、色々な場所に行ったな。今思えば危険だけど、迷路みたいな廃道トンネルの中をロイドと探検したこともあったよ」



 「僕達も男だから、冒険したくなるのは当然だよな?」とアーサーが同意を求めると、ロイドが「私は、お前に強制連行されただけだ」と憮然と言葉を返す。



 相変わらず仲良さげな親友二人組の様子に、「お二人とも、やんちゃだったんですね。すごく意外です」とくすっと笑みをこぼした。


「悪ガキ時代のアーサーを知っているのは、今じゃ私くらいだろうな。こいつは、『ある時期』から脱走や冒険を一切やめて、『良い子』になったからな」


「あぁ……大人の真似をして、誰にも迷惑をかけない振る舞いをしていたら、いつの間にか皆に『貴公子』とか『王子様』とか呼ばれるようになって……自分でも驚いているよ」アーサーは、そう肩をすくめて言った。


 しかし、すぐさま表情を引き締めて「まぁ、僕達の昔話は終わりだ」と話題を元に戻した。


 そして、「ロイド、あれ持ってきているよな?」と問いかける。


 ロイドは「あぁ……」と言って、いつも持ち歩いているダレスバックの中から整髪料を取り出した。



 整髪料。髪色や背丈、迫力ある顔面の男性――ロイドの登場……。


 テオはこの状況を見て、アーサ-がやろうとしている計画に気付いたのだろう。

 

 【おいおい……うそだろ】と呟き、信じられないといった顔で驚き青ざめる。


 しかし、そんなテオをよそに、我らがアーサー・オルランドは微笑みを浮かべたまま、どこか楽しげに説明を始めた。


「ということで、ロイド、ブラスト侯爵使節。君たち二人には入れ替わってもらう」


【むっ、無理だろうー!?護衛騎士がどれほど居ると思っている! それに、ここを出た後も迎賓館の敷地を抜けるまで数多の監視の目があるだろう。上手くごまかせるはずがない!】


「大丈夫、僕に任せておいて。人は相手を認識するとき、顔をまじまじ見て判別しない。大抵は、その人間の全体的な雰囲気や特徴で識別しているものなんだ。ロイドはその点、眼鏡に黒い服、七三分けと個性が強い。目の色や顔立ちが少々違っても、堂々と歩いていれば意外にばれないものさ」


【普通にばれるだろ!こんな計画、無茶苦茶だ!】


「さぁほら、あっちの部屋で服を交換してきてくれたまえ。時間がないんだ。手早く頼むよ」


【だから俺の話を無視するなッ!! う、うそだ。こんなダサい格好……俺は絶対にごめんだぞ! 七三にした挙げ句、華やかさのかけらもない眼鏡と、こんな葬式のような服を着ろと言うのか!】


 失礼すぎる発言に、片眉を器用に跳ね上げたロイドが「テオ・ブラスト侯爵使節。貴方、とんでもなく失礼な御仁ごじんだな」とすかさずツッコミを入れる。


「私も本来なら、こんな面倒ごと御免被りたいんだ。四の五の言わず、さっさと行くぞ。ほら、帝国男児ならキビキビ歩きなさい」


【や、やめろッ!!】


 ロイドに首根っこを掴まれ、引きずられるようにして隣室へ消えてゆく憐れな帝国男児。


 扉が閉まった後も、テオの抗議の声は続いていた。


 隣の部屋から聞こえるドタバタと騒がしい音を聞きながら、ソフィアは先程ロイドが言っていた話を思い出していた。



ーーアーサー様がぱったり悪戯をやめた『ある時』は、きっと、お母様が亡くなった時……だよね。



 やんちゃ盛りな少年が、ある日突然、子供らしさを捨て、周囲が望む通りの大人びた行動をするようになった。



――きっとアーサー様は……子供のままじゃ、居られなかったんだ。



 無邪気で繊細な子供のアーサーが、陰謀と心ない言葉が渦巻く社交界で、一人ぽつんと立っている。

 

 目に見えない傷を沢山負っているのに、本当の顔を仮面えがおで覆い隠して、周囲が望むように優雅に振る舞う。


 想像しただけで彼の孤独や痛みが、ソフィアの胸に突き刺さり、切なさと悲しみが込み上げてきた。


「アーサー様、先程ロイドさんが話していた『ある時期』って……。」


「そんなに悲しい顔をしないで、ソフィア。僕は今とても幸せだ。一人じゃないって実感があるからね。君は、中身と表面がちぐはぐな僕のことも嫌がらずに、こうして寄り添おうとしてくれる。それが凄く嬉しくて、癒やされるんだ。――ありがとう」


 アーサーは口元にほほ笑みを浮かべ、しかし目は真剣そのもので、真っ直ぐこちらを見つめる。

 

 透明感のある灰色の瞳に、気を抜けば吸い込まれそうになる……。


 ソフィアは何とか気を取り直すと、「アーサー様の心を少しでも癒やせているのなら、私も嬉しいです」と言葉を返した。


「少しじゃないさ。沢山癒やされているよ。バラバラになりそうな僕の心をつなぎ止めているのは、他でもない、ソフィア、君だ。過去と悪夢に囚われていた僕を救って、今もこうして隣で支えてくれる。――僕は、そんな君のことが……」


 彼が何かを言いかけた、その瞬間。


 ガチャリと音がして隣室の扉が勢いよく開かれた――。


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