第66話 未来を選び取る勇気

 バスケットの中身を見たテオは、あまりの驚きに固まっている。


 ソフィアは、中から温かな料理を取り出し、持参した大きな皿の上に丁寧に盛り付けた。



 立ち上る湯気に乗って、ほんのり甘く香ばしいかおりが部屋に漂う。


【リベルタ王国のとあるお店で出している、名物のかぼちゃパイです】



 丸いパイは、こんがり焼かれた黄金色。

 

 生地の上には薄緑色のかぼちゃの種で、花びらの模様が描かれている。


 料理のクオリティはもちろんのこと、飾り付けも細部に至るまで丁寧で、一目で愛情が沢山込められた一品だと分かる。


 ソフィアは慎重な手つきで切り分けると小皿に乗せ、フォークを添えてテオの前に差し出した。



 だが彼は、放心状態でパイを見下ろしたまま、中々手をつけない。


 

 何と声をかけようか戸惑うソフィアの横から、アーサーがテオに声をかけた。


【毒味が必要かい?】


【いや。必要ない。誰が作ったのかは分かっている。こんな凝った飾り付け、そうそうあるものじゃない。……昔、食がとても細くて、見た目が華やかじゃないと物を食わなかった子供がいてな。その子供のために、乳母がよく作ってくれていた料理だ。大人になった今だからこそ分かる。これは……大変な作業だっただろうな】


 テオはフォークを持つとパイを一口サイズに切った。

 

 サクッ――という音と共にほろりと崩れる生地に、中からとろりとしたかぼちゃペーストがあふれ出る。


 口に運んで……テオは、今まで見たこともないくらい優しく、温かく、そして切なげに微笑んだ。


 とっさに片手で目元を覆ってうつむくが、膝の上にぽたりと雫が一つ落ちる。


【俺が……人生をめちゃくちゃにしてしまったのに……どうして……こんなに優しい味がするんだ? ハンナは俺を憎んでいないのか? 怒っていないのか?……幸せに、暮らしているんだろうか……】


 震える声で紡がれる沢山の問いに、ソフィアは一つ一つ丁寧に答えた。


 先日ハンナから聞いたことを、全てテオに伝える。

 

 彼女がずっとテオのことを心配し、成長を喜び、今も大切に思っていること。

 

 貿易商のご主人と出会い、現在はリベルタ王国の商業地区にあるレストランを経営していること。


 全てを聞き終えた彼は、ただ一言【そうか……良かった】と口にした。

 

 そして、一瞬ためらうように言葉を区切った後……顔を覆ったまま呟いた。


【ハンナへの伝言を頼む。――『元気で幸せに暮らしてくれ。そして、すまなかった』と】


【実は、ハンナさんからも伝言を預かっているんです】


【そうなのか?】


 聞かせてくれ――と顔を上げた彼に、ソフィアは首を横に振った。



 むっとした顔で【何故だ】と言うテオをまっすぐ見て、理由を伝える。


【テオ様、私は伝書鳩ではありませんよ。お互いに、言いたいことがあるのなら、会いに行ってあげて下さい。今この瞬間抱いた大切な気持ちは、相手がいるうちに伝えた方が良いと思うんです】


【外出など不可能だろう……。俺は今まさに、リベルタ王国に危害を及ぼそうとしている帝国の人間だぞ。この宿泊離宮からは出られない。ここは、賓客を守ると同時に、敵である帝国人を監視し、野放しにしないための檻。――そうだろう、オルランド?】


 尋ねられたアーサーは【あぁ、その通りだ】と頷く。


【僕はリベルタ貴族として、帝国使節団を監視する義務がある。この緊張下で君を、一般市民であるハンナさんに会わせることは出来ない】


【そういうことだ、ソフィア。だから、諦めるしか……】


【だが――。僕が友人と一緒に街を歩き、ハンナさんの店に行く……これなら何も問題はない。そうだろう、ソフィア?】


【はい。それなら問題ありませんね、アーサー様】


 悪戯好きな子供のような笑みを浮かべるアーサーと、微笑むソフィア。

 

 呆然とこちらの顔を見つめ、テオは堪えきれないといった様子で苦笑した。


【まさか、俺がハンナに会いに行けるよう協力するというのか? お前たちは本当に、物好きなやつらだな】


 彼は考え込むと、相手の真意を探るように鋭い視線をアーサーに向ける。


【心優しいソフィアはともかく。オルランド、お前が俺に協力する理由はない。俺たちは敵同士とまでは言わないが、友達でもない。互いの国の利害関係に縛られる立場だ。交渉の場でも感じていたが、お前は中々の切れ者。何かしらの裏があるのではないか? 例えば、俺を懐柔かいじゅうして自分の思い通りに会談を進めようと思っているのなら、無駄だ】

 

【確かに、僕が危険を冒してまで君に協力する理由はない。ソフィアに必死に頼まれなければ、動くことはなかっただろう。それでも手を貸すのは……君の気持ちが分かるからだ】


【俺の気持ちだと?】


 いぶかしがるテオから視線を外して、アーサーは少しうつむき【僕は母を。幼い頃に事故で亡くしているんだ】と呟いた。


 膝の上に置いた拳をきつく握りしめ、眉間にしわを寄せて、感情をあらわにして言葉を紡ぐ。


【別れの挨拶も感謝も、何も満足に言えないまま取り残されて。毎日、後悔と罪悪感ばかりが募ってゆく。伝えたい言葉も想いも沢山あるのに、肝心の相手が、僕にはもういない。……だが、君は違う】


 息を呑むテオに向かって、アーサーは真剣に語りかける。


【大切な人が今この瞬間ここにいて、勇気を出せば会いに行ける。それがどれ程かけがえのないことか、僕は誰よりも知っているんだ。だから、手を貸してやりたいと思った。僕が二度と叶えられない未来を、君は選び取れる。まだ間に合う】



 アーサーは表情を緩めると、【こんな感情的な行動、立場あるリベルタ貴族としては失格だけどね】と肩をすくめた。



 真摯な面持ちで聞いていたテオは、無言で椅子から立ち上がり、その場で深々と頭を下げた。



【オルランド。お前の気持ちを疑うような言動をしてすまない。そして……感謝する】



 いつもは不遜ふそんな態度を取る彼の口から初めて聞いた、素直な言葉。


 誠実な姿勢は、本来のテオ・ブラストという青年が、いかに実直な性格なのかを物語っていた。


【頭を上げて下さい。僕を疑うのは立場上当然のことだ。――まぁ、この借りはいつか返してもらうさ】


【ふっ。帝国男児は、受けた恩を忘れない。必ず返す】


 立ち上がって差し出したアーサーの手を、テオが握り返す。


 強い眼差しで固く握手を交す二人の光景を見守り、手が離れた所でソフィアは明るく声をかけた。



【さぁテオ様! さっそく、ハンナさんに会いに行きましょう! 私達が協力します】


【……ありがとう。頼む】



 テオは瞳に強い覚悟を宿すと、しっかりと頷いた。



【よし。時間は有限だ。さっそく作戦開始といこうか。その前に、三人目の共犯者、もとい協力者をご紹介しよう!】


 アーサーは貴族らしく【入りたまえ】と少し大きな声で扉の外に声をかけ、優雅に手を二回叩いた。


 直後、重たいかしの扉がゆっくりと開かれ、部屋に入ってくる。



 意外な人物の登場に、テオは驚きに目を見開いて【お前は……】と呟いた。





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