8章:入り乱れる恋の矢印

第64話 沈黙のらせん【side:テオ】


 両国会談の日程は折り返し地点を過ぎ、テオが帰国する日が刻一刻と近付いてきていた。


 会談が終了するときは、すなわち、リベルタ側が帝国との戦争を回避するか否かを決めるときであり、同時に……。



――俺が何かを奪う時だ。



 リベルタ側が争いを避けたとしても、コンフィーネ地方の山岳地帯を失う。


 逆に山を守れば、多くの人々の未来が奪われる。


 どちらにしてもテオはリベルタ王国の人々から何かしらを奪い取り、傷つけることに変わりはないのだ。



――俺はまるで悪魔か、死神だな。



 腕組みをして目を閉じて考えていると、【ブラスト様、ブラスト様! 聞いていますか】と声をかけられ瞼を持ち上げた。



 視界に広がるのは円卓に座る帝国貴族たちの姿だ。


 今朝の両国会談は平行線のまま早々に終了し、テオ達は離宮にある一室で早めの昼食を取っていた。 



 強硬派貴族の一人が愉快そうに笑う。


【リベルタ王国はどのような決断をするのでしょうね。山を譲渡するのか、もしくは戦争をするのか。どちらにしても我々には旨味しかありませんな!】


【観光しか取り柄のない弱小国など、我が帝国の脅威ではない】


【全くその通りです!リベルタ王国は我らに従う以外の道はない。いやはや、最終日が実に楽しみですよ。我々は高見の見物と致しましょう】


【いやぁ、勝ちが決まっている遊びほど面白いものはない!はっ――はははは!】



 強硬思想に染まった目の前の奴らは、他人を傷つけ奪うことに何の罪悪感も抱いていない。

 

 むしろ、力で相手を抑圧し、支配して屈服させることに喜びを見いだしている。


 

 反吐が出る――が、彼らを非難することは出来ない。


 なぜなら、無言を貫いている自分もまた、同じ穴のムジナだからだ。



 高笑いをする強硬派貴族たちを無表情で眺めていると、おずおずと一人の若い貴族が手を挙げた。


 細身の貴族青年の名は、確か……フランツ伯爵。


 由緒正しき強硬派閥貴族家の嫡男であり、昨年急死した父親から爵位と地位を相続した青年だ。



【何だねフランツ君。意見でもおありかな?】


【はい。僭越せんえつながら疑問に思ったことがございまして。……皆様は本当に、リベルタ王国に戦争で勝てると思っていらっしゃるのですか?】


【なんだと?】


 先程まで愉快そうに高笑いをしていた強硬派貴族たちの顔に、怒りが浮かぶ。


 一瞬にして、場に緊張が走った――。

 

 だが、フランツ伯爵は緊張と恐怖で声を震わせながらも、勇敢に言葉を続けた。



【皆様も、ここに来る途中に見たでしょう? はるか先まで続く大陸鉄道と、試運転中の蒸気機関車。きれいに舗装された道路と活気ある街。行き交う多くの馬車と人。目を見張る建築技術】


【それが何だね?】


【リベルタ王国が、観光だけが取り柄の弱小国家という評価は……果たして正しいのでしょうか】


【はッ――まさか君は、帝国がこんな観光国に負けるとでも言いたいのか? 父親同様、貴様もずいぶんと弱腰だな】


【私を弱腰と非難するのは構いません。しかし、現実を見て下さい。仮にリベルタ王国に勝ったとして、次は隣国ラメールとの戦争が待っている。諸外国も黙っていないでしょう。いくら帝国がここ数十年で回復したとはいえ、常勝は不可能です。これから本格的な冬も来る。多くの民が命を落とすのは……】


【民が命を落とすのは?それが何だと言うのだね。君は道ばたの草を踏んだ時に『あぁ、草が死んでしまった』と悲しむか? 悲しまないだろう? それと同じだ。どうせ冬になったら死ぬのだ。砲弾として敵国リベルタに打ち込んだ方が役に立つ】


【役に立つ……?貴方達は、人の命をなんだと思って――!】


 フランツ伯爵が立ち上がり抗議の声を上げようとした瞬間――。


 今回の使節団で最年長の古参貴族が、重たい一言を放った。


【黙れ】


 強硬派思想に染まった貴族たちが、一斉にフランツ伯爵を睨み付ける。


【もう一度言う。黙れ、フランツ伯爵。それ以上、我が派閥の帝国貴族にあるまじき発言をすれば……貴様、どうなるか分かっているな?】

 

 鋭い殺気をはらんだ無数の視線が、たった一人の青年に注がれる。


【よく考えて物を言った方が良いぞ、フランツ伯爵。『異端には死を』――それが、我が国の古くからの伝統だ。君も、お父上と同様に、『不慮の事故』で命を落としたくはないだろう?】


【……っ】


 伯爵は顔を引きつらせると、悔しげに唇を噛みしめて浮かしかけていた腰を下ろした。



 強硬派という一つの派閥内でも、人それぞれ考え方は異なる。


 伝統的な武力侵略という方法を盲信し、従来の帝国式の政治を変えたくないと思う者もいれば、自分やフランツ伯爵のように既存の価値観を疑う貴族もいる。


 しかし、自分達のような考え方をする者は少数派のため、今のように抗議をしたとしても、多数の声にかき消され……。



 そのうち、存在すら抹消される。



 まさに、『沈黙のらせん』だ――とテオは思った。



 社会的な動物である人は、多かれ少なかれ、世間や集団から孤立することに恐怖やストレスを感じるものだ。


 だから本能的に、多数派と違うことを言って仲間はずれにされるくらいなら、自分の意見を隠し、周囲と同じ振る舞いをしてしまう。



 その結果、声の大きい多数派はいっそう勢力を拡大し、少数派はどんどん沈黙して小さくなってゆく……。

 


 多数の拡大と、少数の縮小という螺旋らせん状の循環構造が、社会の中で自然と作られる。それが『沈黙のらせん』だ。



――俺たち少数派は、多数派には勝てない。沈黙のらせんは、崩せないんだ。




 帝国貴族たちとの話し合いを終えると、テオは足早に自分の部屋へ戻り、今日もまた、ソフィアを呼ぶよう職員に命じた。

 

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