第17話 アーサー・オルランド【side:アーサー】

――僕を苦しめる悪夢は、必ず冬から始まる。

 

 母が亡くなった日。


 僕の心が凍てついた日。


 どちらも、寒い冬の出来事だった。





 バサバサッ――と、何かが落ちる音がしてハッと顔を上げる。


 夢から目覚めたアーサーは目を見開き、数秒、呆然と虚空を見つめた。


「……ここは……僕は……」


 荒い呼吸音に混ざって聞こえたのは、大人になった自分の低い声。


 視界に映るのは、床に落ちた紙束と見慣れた自室の書斎。


 昼下がりの木漏れ日がさんさんと室内に降り注ぎ、窓の外には紅葉や銀杏の葉がひらひらと舞う秋の風景が広がっている。


 自分はどうやら少しばかり、うたた寝をしていたようだ。


「またこの夢か……何度見ても慣れないな……。いや……慣れちゃいけないのか」


 何百、何千と繰り返し見るいつもの夢は、過去の記憶。二度とかえることは出来ない、母が亡くなった日の光景だ。


 椅子から立ち上がり床に広がった書類を拾おうとして、指先が小刻みに震えているのに気が付いた。


 夢の余韻で手のひらはじっとりと汗ばみ、心臓が不規則に早鐘を打つ。


 ひんやりとした頬に触れると指先がしっとり濡れていた。そこで始めて、自分が泣いていたのを自覚する。


 乱暴に顔を拭い、額に張り付いた髪を後ろにかき上げると、アーサーは重苦しいため息をついた。

 

 頭を振ることで気持ちを切り替えようとした時、緊張でうわずった大声が屋敷中に響き渡った――。



『みっ、ミスティ!!!俺と一緒に、冬祭りスノーヴィアに行ってくださいッ!!!』



 二階の自分にも聞こえるくらい大音量の溌剌はつらつとした声。


 わざわざ確認しなくても発生源は分かるが、念のため窓から下をのぞき込むと、色とりどりの落ち葉に彩られた庭に予想通りの二人がいた。


 ガーデンチェアに腰掛け、ティーカップを持った体勢のまま驚きで固まるアーサーの妹、ミスティ。


 彼女の隣では、恋人であるベネディクトが立ち上がり深々と頭を下げていた。


 女性をデートに誘うにはあまりにも下手くそな義弟(になるかもしれない)ベネディクトのやり方に、アーサーは思わず苦笑する。


「なんて優雅さのカケラもない誘い方なんだ……まったく、困った奴だね」


 不器用な子供を見守る親の気持ちで眺めていると、ミスティがカップをソーサーに置き、頬を染め『はい』と頷いた。

 

 その瞬間、ベネディクトは勢いよく顔を上げ、喜びを噛みしめるように何度もガッツポーズをする。


 今にも『よっしゃあぁぁあ!』という声が聞こえてきそうなほど嬉しげな様子である。


 そんな彼の姿を見て、ミスティが幸せそうに微笑んだ。


 幼くして母を失ったことで、子供らしく甘えることも、泣くことも、思いっきり笑うことも出来なくなった妹が、今はあんなに幸せそうにしている。

 

 それがアーサーには何より嬉しく、かけがえのないものだった。


 「よかった……」


 賑やかな二人の雰囲気は、秋庭の寂しさを塗り替えるほど明るく、屋敷全体に、そしてアーサーの冷たい心の中に小さな灯りをともす。


 願わくば、この平穏と幸せが永遠に続きますように。

 大切な人たちを、今度こそ守れますように。


 この灯りを守るためなら自分は何だってしよう。


 何を犠牲にしても、たとえ自分自身が傷つくことになったとしても、最後まで家族を守る砦になろう――。


 幸せな光景を目に焼き付けるように、アーサーは庭の二人を微笑んで眺め続けた。



◇◇◇



 アーサーが固く決意している頃、庭のベネディクトはふいに視線を感じて顔を上げた。


 恋人の兄がこちらを優しい瞳で見つめているのに気づき、丁寧にお辞儀をする。


 「兄様!」と手を振るミスティに微笑み返す彼――アーサー・オルランドの佇まいは、高貴な血筋と身分にふさわしく、優雅で上品だった。


 涼やかな目元に、穏やかな笑みをたたえる口元、すっと伸びた#鼻梁__びりょう__#。


 芸術品のような端正な顔にかかる柔らかな髪は、陽の光を受けて輝くキャラメルブロンド。


 透明感のある青みがかったグレーの瞳は、冬の湖面に負けないくらい澄みきっている。


 美しすぎるがゆえに、どこか物悲しさを感じさせる色合いだ。


 腕組みをして微笑んでいるだけなのに、四角い窓に切り取られたアーサーの姿は、まるで一枚の絵画のように見る者を自然と引きつける。


 その圧倒的な存在感の理由は、彼の容姿がちょっと他にいないくらい優れているだけでなく、人柄の良さが雰囲気として現れているからだとベネディクトは知っていた。


 貴族の高潔さを持ちながら決しておごらず、家族を愛する優しさと、身分によって人を判断しない謙虚さ。


 ベネディクトは義兄に尊敬の念を抱いていた。


――正直、敵わねぇよな。……でも。 


 平民のベネディクトとアーサーとでは、そもそもの境遇が違いすぎて比べることに意味はないのかもしれない。


 それでも憧れると同時に、同じ男だからこそ、いつか越えてやりたいと強く思うのだ。


「なぁ、ミスティ。俺、もっといい男になる。アーサー様くらい優雅に……はちょっと無理でも、ミスティが真っ先に頼れる相手になりたいんだ。だから俺、すっげー頑張るから!ずっとそばで見ててくれるか」


 告白めいた言葉とともにミスティの手を取ると、彼女は頬を染めて頷き「ずっとそばにいます、ベネディクト」と微笑んで握り返した。



 次話『腐れ縁【side:アーサー】』






◇作者コメント◇

 


○次話以降、ソフィアとアーサーのダブル主人公構成でお話が進む予定のため、


 ページ横の【side:(人物名)】をご確認頂けると幸いです。


(※何も書かれていない場合、基本はソフィア視点です)


○本作をお手に取り、お読みくださっている読者の皆様、誠にありがとうございます。

 

 皆様の閲覧、フォロー、応援が何よりの励みになっております。

 今後ともなにとぞ、よろしくお願いいたします!


 春野緒川

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る