春の令嬢と冬の貴公子

第16話 『灰色の瞳の貴公子』

 女学院を無事卒業したソフィアは、憧れの迎賓館職員として働き始めた。

 

 最初は覚えることも多く目が回る忙しさだったが、時が経つにつれ、少しずつ余裕を持って日々を送れるようになっていった。

 

 さらに月日が経ち、担当業務を完璧にこなせるようになった頃、ソフィアに試練が訪れた。


 部署異動だ。

 

 慣れない仕事内容に、新しい人間関係。


 やっと慣れてきたと思ったのに、再び戻ってきた忙しさにソフィアは若干憂鬱な気分になっていた。


 そんな時、「手伝いましょうか?」と手を差し伸べてくれた女性がいた。

 

 それが、現在も書類仕事を手伝ってくれている同僚――ミスティ・オルランド。


 艶のある長い黒髪に、少し吊り目な赤褐色の瞳。年齢はソフィアと同じくらい。


 ツンと澄ました顔は一見キツい印象を受けるが、その実、彼女はとても心優しく、穏やかで、よく笑う人だった。


 なんでも、昔は尖っていた時期もあったらしいが、恋人のおかげで最近は角が取れて丸くなったらしい。


 「私が変われたのは、ベネディクト……恋人のおかげです」とはにかむ彼女は凄く可憐で、素敵だった。


 恋人のことを話す時は照れてしどろもどろになるミスティだが、仕事中は打って変わってテキパキしている。

 

 今も書類に目を通すと、すぐさま内容を理解して処理していく。


 仕事さばきは速いが、仕草や話し方は決して粗雑ではなく、優雅で上品だ。


 特に、言葉遣いが丁寧で美しい。

 貴族が使うようなフォーマルなリベルタ語だった。


 不思議に思って尋ねると、彼女は「私、伯爵家の出身なんです」とあっさり教えてくれた。

 

 彼女もソフィアと同様に『自分で自分の人生を決めて歩みたい』という思いから、家族を説得し、貴族令嬢ながら迎賓館職員になったらしい。


 多様性を受け入れるリベルタ王国でも、まだ働く高位貴族令嬢は多くない。

 

 周囲から好奇の目で見られても自分の選択を貫くミスティの姿勢に、ソフィアはとても親近感を覚えた。


 それは彼女も同じだったらしく、考え方や境遇が似ていた二人は知り合ってすぐさま意気投合し、今では同僚としてだけでなく、友人としても互いにかけがえのない存在になっていた。





 仕事をしていると、ゴーンゴーンと昼時を告げる鐘の音が鳴る。


 同時にソフィアのお腹もぐーっと騒ぎはじめ、ミスティと顔を見合わせて笑いながら部屋を後にした。


 館内のカフェテリアに向かう途中、ミスティがソフィアに「今度のお休みの日、買い物に付き合って欲しいんです」とお願いしてきた。

 

 断る理由もないソフィアはもちろん頷く。


「えぇ、一緒に行きましょう!それで、ミスティは何が欲しいの?」


「新しい服なんだけど、いつも着たことない色に挑戦しようと思って。でも、一人だと結局着慣れた青とか黒ばかり選んでしまうから手伝って欲しくて」

 

 気恥ずかしさを隠すように早口で話すミスティの様子から、恐らくデート用の服を買いたいのだろうと察する。


 テキパキ仕事をこなす友人の可愛らしい一面が微笑ましくて、思わず頬が緩んでしまう。


「ソフィア、その何とも『微笑ましいわぁ』って顔やめてっ! 私が照れくさくなっちゃうわ」


「ふふ。やっぱりバレた?」


「バレバレです」


 他愛のない話をしながら二階の廊下を歩いていると、目の前にある大きなアーチ窓のそばに人だかりが出来ていた。


 若い女性職員が窓の外をじっと見つめながら何かを話し合い、うっとりとしている。

 

 『何かあったのかな?』と興味を抱いたソフィアとミスティは顔を見合わせると、彼女達にそっと近づいて様子を伺った。


 女性の一人が、視線を窓の外に向けたまま、頬に手を当てて「あぁ……」とため息をこぼす。


「アーサー・オルランド様……。お噂通り、なんてお麗しい方なのかしら……。美形って噂は聞いていたけれど、まさかここまで整った顔立ちの方だとは思わなかった……」


「伯爵家の長男で、高身長イケメン。おまけに沢山の貿易港を抱えるオルランド領の後継者なんでしょう? もう、人生勝ち組よね。きっと、悩みなんてないに違いないわ」


「いいなぁ、私もアーサー様とお話してみたい!! そして、仲良くなって、恋人になって、ゆくゆくは結婚したいわぁ」


「貴族でもない私達がアーサー様と知り合いになるなんて無理に決まっているでしょ」


 話を聞く限り、どうやら彼女達は窓の外――迎賓館の入り口で馬車に乗り込む貴族男性を見ているようだ。


 アーサー・オルランド様。

 

 遠目でしか実物を拝見したことはないが、噂なら何度も聞いたことがある。


 オルランド伯爵家の次期当主で、常人離れした端正な顔立ちと柔和な人柄から、社交界で絶大な人気を誇る人物らしい。


 社交界の花、麗しの王子様、灰色の瞳の貴公子……ソフィアが聞いただけでも、これだけの通り名がある。

 

 様々な国の貴人を見てきた迎賓館職員がうっとりするほどの美形。相当上品で素敵な方なのだろう。


 しかし、殿方の醜美にあまり興味がないソフィアは、『そんなに美形なら、絵画や彫刻として後世に残さなきゃもったいない』と思ってしまうのだ。


 不意に肩を軽く叩かれ顔を向けると、隣にいたミスティが慌てた様子でソフィアの手を掴み、無言のまま引っ張った。


 そのまま彼女に引きずられるようにして、その場を後にする。


 いくつか角を曲がり、女性達の集団が見えなくなった頃、ミスティがようやく口を開いた。

 

「急に引っ張ってすみません。でも、あそこで見つかると絶対に『今度お兄さんを紹介して』って言われる流れだったので……」


「お兄さん……? あっ」


 ソフィアはこの瞬間、ようやく事態を理解した。


「もしかして、噂のアーサー様ってミスティのお兄さん?」


「はい。ファミリーネームが同じなので、ソフィアもてっきり気付いているかと思っていました」


「親戚なのかな、とは思っていたけど、まさか兄妹だとは……。あれ? でも確かアーサー様って金髪だったはず」


「ええ。実の兄妹なんですけど、兄は父似で、私は母似なので容姿は全然違うんです」


「そうなんだ……。ミスティも大変だね……私も、弟が割と社交界で人気だったから、少し気持ちが分かるわ」


 ミスティは諦めたように眉を下げて笑うと「お互い大変ね」と肩をすくめた。


 それから話題は別のことに移り……。 


 遠回りしてカフェテリアに着く頃にはすっかり、頭の中からアーサーのことは消えていた。



 まさか今後自分が、『灰色の瞳の貴公子』と深く関わることになるなんて。


 この時は知るよしもなかった――。





 次話『アーサー・オルランド【side:アーサー】』

 

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