第18話 腐れ縁【side:アーサー】

 

 アーサーはその日、定例会議に出席するため王都議事堂を訪れていた。


 

 この行政地区は、議事堂や政府庁舎、迎賓館など、国の中枢機関が立ち並ぶ場所だ。


 設計士により計算し尽くされた新様式の建物には、芸術家によりこだわり抜かれた美しい模様が描かれている。


 その外観は、まさに荘厳美麗そうごんびれいという言葉がふさわしい。


 文化と芸術の都とうたわれる我がリベルタ王国の観光名所の一つでもある。




 観光客の間を抜けて関係者入り口から中に足を踏み入れる。


 赤い絨毯じゅうたん敷きの廊下を歩いていると、後ろから誰かに呼び止められた。


 振り返ると、一見人の良さそうな笑みを浮かべた老貴族――ハイデ伯爵がこちらを見上げている。


 アーサーはとっさに笑みを深くすると、丁寧にお辞儀をした。



 貴族社会では平穏な空気をまといつつ、各人が思惑を持っている。


 水面下では、絶えず牽制けんせいし合っているのが常だ。


 対応一つ、表情一つ間違えるだけで、足下をすくわれかねない。



「やぁ、アーサー・オルランド君。最近、お父上の姿が見えないが、御壮健かな?」


「ハイデ伯爵。お久しぶりでございます。はい、おかげさまで父は変わりなく過ごしております。現在は領地運営に専念しているため、王都での責務は私が引き継いでいるのです」


「そうかそうか、壮健で何より。今度、お父上が戻られた際には一席設けよう。私の娘のブリジットも君に会いたがっていてね。ほら君も、そろそろ身を固めるべきだ。きっと亡きお母上も心配しているよ。早く結婚して子を作り、親を安心させてあげなさい」


 とっさに、『お前が母のことを語るな』という苛立ちが頭に浮かぶ。


 しかし、表情には一切出さず、完璧な笑顔で感情を隠す。


 

 この男の目的はだいたい予想がついていた。


 アーサーと、自分の娘のブリジットを政略結婚させたいのだ。


 貿易上有利な港町を多数抱えるオルランド領と結びつきを持つことで、より強大な富と権力を保持したいのだろう。


 彼の発する言葉の一つ一つに、こちらを誘導しようとする魂胆が透けて見えていた。



 内心うんざりした気持ちで聞いているアーサーをよそに、ハイデ伯爵はいかに自分の娘が美しく結婚相手にふさわしいかを力説している。


 そろそろ話を切り上げるか――と思っていた頃。


 背後から「お話の途中失礼いたします」という低い男の声が聞こえた。

 


 振り返ると、そこにいたのは自分と同じくらい高身長の、黒のシングル・ツーピースを一分の隙もなく着こなした男。


 頭を振っても毛束一つ落ちそうにないほど整髪料でかっちりと七三に撫でつけられた黒髪。


 銀のシンプルフレーム眼鏡をかけた神経質そうな顔立ち。


 深い眉間のしわも相まって、相手を威圧する厳しい雰囲気をまとっている。

 

 しかしアーサーは、この一見怖そうな男が本当は、穏やかな瞳の純朴な青年だと知っていた。



「外交部所属のロイド・レーゲルと申します。お話の途中恐れ入りますが、アーサー・オルランド様に至急ご確認いただきたい資料があり参上いたしました」



 眼鏡のガラス越しに、ロイドと視線が合う。

 

「一緒に来ていただけますか?オルランド様」


 長話から自分を救い出そうとするロイドの意図を感じ取る。


 アーサーはとっさに「至急の用事なら仕方ないね」と頷いて、引き留めようとするハイデ伯爵に一礼し、足早にその場を去った。



 無言で廊下を進み、いくつかの角を曲がった後、二人はようやく口を開く。



「助け船ありがとう、ロイド。ちょうど、どうやって話を切り上げようか考えていたんだ」


「別に、礼には及ばんよ。お前の優秀な妹君に仕事で世話になったことがあるからな。今のはその礼だ」


「そうなのか? ミスティから聞いてないな。……それで? 久々に会ったっていうのに、君はちっとも変わらないな。いい加減そのぶっきらぼうな話し方を変えないと、周りに冷たい男だと誤解されるぞ」


「それはこちらの台詞だ。いい加減その作り笑いをどうにかしないと、一生顔に貼り付いて剥がれなくなるぞ」


「知ってるだろ。この笑顔は僕の仮面。つけていないと落ち着かないし、仕事上必要なものなんだよ。優しい目を隠すために伊達眼鏡つけてる君と同じだ」


「私の高級眼鏡とお前の胡散臭い笑みを一緒にされては困る。私の眼鏡の価値が下がる」


「いつも思うけどさ。君、僕が一応貴族だってこと忘れていないか? 怖いもの知らずも大概にしたまえよ」


「安心しろ。私がぞんざいな扱いをする貴族はお前だけだ、アーサー」


「はは、全く嬉しくない特別待遇ありがとう」


 爽やかな笑顔で毒を吐くアーサーに、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向くロイド。

 


 幼年寄宿学校からの顔見知りである二人は、昔からことあるごとに競い合い。

 

 また、時には男の子らしく取っ組み合いの喧嘩をしたこともある。



 いわゆる、腐れ縁という仲であった。



 お互いにらみ合ったまま、無言で歩き続ける。



 コツコツコツ――という足音だけが数秒二人の間に響いていたが……。



 やがて同時に表情を緩めると、アーサーは両手を挙げて降参のポーズを取り、ロイドは眼鏡のブリッジを押し上げニヒルに笑った。


「はいはい。僕はもう学生じゃなくて大人だからね。無駄な喧嘩はしないよ」


「それこそ私の台詞だ。どうせ争ってもこちらが勝つのは明白。競うだけ無駄だ」


「あれ? 君が僕に勝てたことなんてあったかな? そういえば、スキップはちゃんと出来るようになったかい? リズム感ゼロのロイド君」


「…………。お前こそ、あの嘆かわしい画力は向上したか? 何を描いても暗黒物質か未確認生物になるのは、芸術の国リベルタ貴族としてどうかと思うぞ、下手くそ画伯」


「「…………」」


 お互いに弱点を突かれ、舌打ちをして黙り込む。



 さすがに学生時代のように肘で小突き合ったりはしないが、そのかわり二人は視線だけで殴り合った。 

 


 再び無言で不毛な争いをすること数秒。先に降参して話題を変えたのはアーサーだった。


「それで? 君は監査部にいたんじゃないのか?」


「年度が替わって外交部署に配置換えになったのだよ。外交部の者として、私も定例会議に出席せねばならん」


「政府官僚も大変だな」


「貴族もな。――特に今日は荒れるぞ。なにせ、セヴィル帝国についての議題だからな。古参の貴族らは、あのお国の話に敏感だ。恐らく騒ぐだろう。覚悟しておけよ」


「議会が荒れるなんていつものことさ。今更うろたえるほど、お互い子供じゃないだろ」


「まあな」


 言葉を交わしながら定例会議が行われる議場に入ると、中にはすでに人が集まっていた。


 談笑する者たちの声で賑わっている。

 

 

 アーサーは大きな長机の上に置かれたネームプレートを確認し、指定された席につく。


 偶然にも隣の席だったロイドは椅子に腰掛けると、携えていた黒革のダレスバッグから次々と資料を取り出した。


 しばらく雑談をしていると、本日の議長を務める壮年の男性が立ち上がり、高らかに宣言した。



「ただいまから定例会秋期会議を開催いたします」




 この会議が、全ての始まり――。


 自分の人生と運命を変える大きな転機になるとは、アーサーは思ってもいなかった。




 次話『議会は踊る、されど進まず』



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