第8話 春風と共に旅立つ

「お父様、お母様。リベルタ王国へ行かせて下さい。お願いします」


 翌日、久々にぐっすり眠ったソフィアは溌剌はつらつとした顔で両親と向き合っていた。


「きちんと考えて決めたんだな」


「はい。どんなに辛くても、誰になんと言われても、私は自分で決めた道を行きたいんです。私の人生は他の誰の物でもない、私だけのものだから」


「……そうか。分かった」


 頷く父の横で、目元をハンカチで拭っていた母がソフィアの手を握った。


「ソフィア、私の可愛い娘。貴方が悩み抜いて決めたことなら、私達は応援するわ」


 旅立ちを決めた娘を見つめ寂しそうに微笑む両親の姿に、胸いっぱいの切なさがこみ上げてくる。


 子供のように泣き出したいのをぐっと堪え、声を詰まらせてソフィアは言った。


「お父様、お母様……沢山悲しませて、迷惑をかけてしまって……私、普通の道を歩けなくてごめんなさい。でも、絶対に幸せになるから」

 


 ソフィアは涙と弱音の代わりに、自分の一番素敵な笑顔で感謝の言葉を家族に捧げた。


 

「私の我が儘を許してくれて、本当にありがとうございます。どんなに離れていても、ずっと、愛しているわ」



 母が耐えきれないとばかりに勢いよく顔を両手で覆い、父が震える背中をさすりながら、泣くのを堪えて天を見上げた。


 ルカは相変わらずの仏頂面で「今生の別れでもあるまいし大げさなんだよ」と憎まれ口を叩いていた。

 

 しかし、声はいつになく弱々しく、言葉の裏にある寂しさがひしひしと伝わってくる。



 湿っぽさを追い払うようにルカは立ち上がると、両開きの窓を開け放った――。

 


 外から爽やかで涼しい風が吹き込んでくる。


 そろそろ、厳しい冬も終わりを告げる。深呼吸をして、春の訪れを感じさせる香りを体いっぱいに取り込む。



 ソフィアが「行くと決めたら準備しなきゃ!」と明るく言うと、泣いていた母は顔を上げて頷き『外国に行くのなら、あれを持たせなきゃ!これも持たせなきゃ!』と娘のために慌ただしく動き始める。




 

 出発の準備は家族みんなで協力して、秘密裏に、そして迅速に行われた。 

 

 ソフィアはスパルタなルカに監視されながら留学先の語学や文化を徹底的に頭にたたき込み、母とともに出発の荷造りをする。


 父の協力のもと編入と出入国に関する手続きを済ませた頃には、季節はすっかり移り変わっていた。



 大陸北部に位置するセヴィル帝国に本格的な春が訪れる頃――。




 

 ついに旅立ちの日、別れの朝を迎えた。



 ソフィアは生まれ育った屋敷を見上げ、次いで愛おしい家族の姿を見つめ、こみ上げてくる感情を必死に抑えた。



 父は泣くのを堪えているのか終始険しい顔をしている。


 母は泣きはらした目をさらに赤くして、何度も何度も「気をつけてね。ちゃんと食事をして、温かくして寝るのよ」と繰り返した。


 最後にルカの方を向く。


 小生意気な弟は別れの日も相変わらず素直じゃなく、ツンとそっぽを向いて一言「じゃあな」とだけ口にした。

 

 だから、ソフィアも同じく「じゃあね」とだけ言う。


 自分たち姉弟はそれで十分だった。

 

 「そろそろ時間だ」と言う父に頷き返し、ソフィアは母ときつく抱きしめ合う。


 胸いっぱいに寂しさが広がり、鼻の奥がツンと痛んだ。



――でも、泣いちゃだめ。ここで私が悲しい顔をしたら、きっと皆、心配させちゃう。


 

 止めどなく溢れる別れの切なさも、残してゆく家族への申し訳なさも、離れることへの寂しさも、全部飲み込んで、未来へ連れて行こう――――。



 まだ冷たさの残る風に揺れる髪は、春花の蕾と同じ桜色。

 

 朝日を浴びてキラキラと輝く瞳は、厳しい冬を乗り越え芽を出した若葉色。

 

 淡いアイボリーのドレスコートを風になびかせ、茶色い編み上げ靴の片方のかかとを一歩引く。

 


 ソフィアは深々とお辞儀をすると、ゆっくりと顔を上げた。


 そして、ありったけの感謝と愛情を込めて、人生で一番晴れやかな顔で笑う。

 

「それでは、お父様、お母様、ルカ――行ってきます!!」

 

 離れている間、家族がこの光景を思い出して温かな気持ちになれますように。


 そう願い、ソフィアは馬車に乗り込むまで笑顔を絶やさなかった。



 しかし、扉がぱたんと閉まり、夜明けと共に馬車がゆっくりと動き出した瞬間、堪えきれずに両手で顔を覆う。


 すぐさま涙を拭いて窓を開け、身を乗り出して背後を振り返ると、見慣れた屋敷の前に立つ家族の姿がどんどん遠くなってゆく――。

 


 出来ることならずっと一緒にいたかった。離れたくなんかなかった。



 愛しい光景が小さく、おぼろげになり……。



 ついに見えなくなった。

 

 直後、ソフィアは初めて声を上げて泣いた。

 

 色々な感情が渦を巻き、涙となって頬を伝い、春風にさらわれ遠くの彼方へ消えてゆく。


 流れては消える沢山の想いを見送って、ソフィアは決意した。


 この別れの瞬間が、のちに『良い決断だった』と思い返せるように。



――一歩ずつ、前へ進んでいこう。



◇◇◇



 いつの間にか、泣き疲れて眠ってしまっていたのだろう。


 目を開けて外を眺めると、車窓から見える景色は市街地から平原に変わっていた。



 クレーベル家を出発した馬車は中心街を抜け、郊外をひた走り、あっという間に街道へ。

 


 舗装された道路はだんだん険しい砂利道に変わり、ガタガタと車内が大きな音を立てて揺れ始める。


 人生で、こんなにも屋敷から遠く離れたことのなかったソフィアは、体が上下に跳ねるたび、不安感と孤独感にさいなまれていった。

 


 たまらず窓を開け後ろを振り返るが、もちろん屋敷と家族が見えるはずもない。


 あるのは鉛色のどんよりとした曇り空と、寒々とした平原、どこまでも続く一本の街道。



――あぁ、私……本当に一人で外に行くんだ。


 

 休憩を挟みながら途中で宿に泊まり、馬車はどんどん南下。


 国境付近まで迫り、北のセヴィルと南のリベルタを繋ぐ関所要塞にたどり着いた。


 出入国手続きを無事に済ませ、馬車の中で待機していると、「開門!!開門――!!!」という衛兵の声が響いた。

 

 号令とともに、両国を繋ぐ巨大な関門が轟音を響かせながら、ゆっくりと開く――。


 ふわっと、温かく柔らかな風が目の前のリベルタ王国から吹き込んできた。


 極寒の北国セヴィル帝国とは違う、四季の移ろいがある異国の匂いに、ソフィアの胸は激しく高鳴る。


 馬車がゆっくり動き出し、門をくぐって長い石造りの大橋を軽快な足音を響かせて進んでいく。

 

 窓から身を乗り出し後ろを振り返ると、生まれ育った故郷がどんどん遠ざかり……代わりに眼前に広がるのは、まだ見ぬ新世界。



――ここから、始まるんだ。



 敷かれたレールのない世界。どこへ行くにも、何をするにも自由。


 ソフィアは決められた道のない未来に胸を高鳴らせ、輝く瞳で青空広がる景色を見つめた。



 一方、完全に置いてきぼりを食らったテオは……。




 次話『テオの末路』


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