第4話 テオの初恋【side:テオ】
ソフィアの後を追いかけ『平和の間』に辿りついたテオは、物陰からこっそり様子を伺う。
彼女は人気のない静かな広間の中心で、一人天井を見上げていた。
柔らかな桜色の髪がふわふわと、重力に従って華奢な肩から背中へ、そして腰にこぼれ落ちてゆく。
顔も体も小さく細く、無骨な自分が触れたら壊れてしまいそうな……。
そんな儚い印象の女性だ。
桜を思わせる髪色を持つ彼女は、春の花々のように愛らし……。
――俺はいま何を考えた? いやいやいや! 断じて違う。俺はもっと美しい女を沢山見てきた。あのレベルを『愛らしい』などと思うわけがない。
テオは自分の頭の中に浮かんだ言葉をすかさず否定する。
しかし、視線は断固としてそらさない。いや、そらせなかった。
天井画を見に来たはずなのに、気付けば絵よりソフィアの仕草の一つ一つを目で追ってしまう。
雪のように白い彼女の頬が、絵画を見た興奮で薄く色づいていた。
小さく開いた桃色の唇は、咲くのを待つ花のつぼみのよう。
絵を見つめる大きな薄緑色の瞳はエメラルドよりも美しく、キラキラと生命力に満ちあふれ輝いている。
全体的に色白で細身の彼女は、まるで春を待つ雪の妖精のように。
――可憐で、美しい。…………いや、絵がな。絵が美しいんだ。断じて彼女に対して思ったわけではないぞ。
先程から自分の心に言い訳をして、テオは天井を仰ぎ見た。
青と白、金と緑の繊細な色彩で描かれた絵画は息を呑むほど美しい。
特に素晴らしいのが、広々とした天井のキャンバスいっぱいに描かれた無数の天使たちだ。
羽の一枚、髪の一本すら麗しい。
ソフィアの視線の先には、金髪に灰色の瞳の天使が大きな翼を広げていた。
しばし、テオもソフィアと一緒に至高の芸術作品に見とれる。
――そういえば、誰かと一緒に絵を見るのは初めてだな。
どれだけ時間が経っても、この場に居るのは自分達だけ。
他の人間は、ここに寄りつこうともしない。
誰にも見向きもされず無価値だと放置された天井の絵を、自分と彼女だけが真剣に見つめ、愛でている。
テオの頭の中に、ふとある考えがよぎった。
――もし、俺があの天井画だったら。俺も彼女にあんな瞳で見てもらえるだろうか。
テオはソフィアを見つめて想う。
――みんなが無価値だと言い、自分自身すら捨てた俺の本当の姿を……彼女なら、あんな風に慈しんでくれるのだろうか。愛してくれるのだろうか。
……知りたい。
この国の大多数の人が見ようとしない世界に興味を持つ女性、ソフィア・クレーベル。
どこか風変わりで、普通じゃない令嬢。
彼女のことをもっと知りたくて、話してみたくて、色んな表情を見てみたくて……。
渇きにも似た想いがとめどなく溢れる。
居ても立ってもいられなくなって、テオは彼女に話しかけるため近付こうとした。
……が、ふと我に返って踏みとどまる。
彼女に会って自分は何と言うつもりだ?
『やぁ、先程ぶりだな』
――いいや、駄目だ。
偉大なブラスト侯爵家の人間が、そんな間抜けな言葉で女に声をかけるなどあってはならない。
もっと強く、気高い男だと示さねば。
『絵が好きなのか?俺もだ』
――これも却下だ。
帝国男児たるもの、絵画など軟弱な物ではなく武術を好み、秀でていなければならない。
強さこそ正義だ。
『絵が好きだ』などと己の弱点をさらし、最初から弱い男だと思われるのは避けるべきだ。
もっと雄々しさをアピールするのだ。
『どけ、女。そこは俺の通り道であるぞ。邪魔だ』
――さすがの俺でも分かる。絶対だめだ。雄々しさ以前に嫌われる。間違いない。
男らしく、だが怯えさせることなく女に話しかけるには、一体どうしたら良いのだ?
――分からん。まずい。何にも思い浮かばん。
今まで自ら女性に声をかけたことがないテオは、物陰で一人頭を悩ませる。
良い言葉を探している間にも時は無常に流れ――。
ついに、舞踏会の終わりを知らせる鐘の音が鳴った。
天井画に向かって白く華奢な手を伸ばしていたソフィアは、夢から覚めたように『はっ――』と肩を跳ねさせる。
その手に触れてみたいと願うテオの心中などつゆ知らず。
彼女は名残惜しげに一度振り返ったあと、すぐさま出口の方に歩き去ってしまった。
慌てて後ろを追いかけると、彼女は貴族の男に次々声をかけられてゆく。
馬車に乗り込み宮殿を去るまで、一体何人から話しかけられていたのか。
彼女が男に呼び止められるたび心の中に焦燥感が募ってゆく。
自分が声をかけるのを
――そんなこと、絶対にあってはならない。欲しいものを手中に収めてこそ、強い人間。ブラスト侯爵家の次期当主となるに相応しい者の振る舞いだ。
まずは絶対に、彼女を手に入れる。
男女の仲など、夫婦になってから深めれば良いのだ。とにかく、手元に置かなければ何も始まらない。
「ソフィア・クレーベル。お前は俺のものだ」
こうした経緯の結果が、あの大量の手紙だ。
クレーベル家から届いた返信を読みながら、テオは片方の眉を器用にぴくりと動かした。
そして、目の前にいる侯爵家お抱えの代筆官に向かって手紙を差し出す。
「おい、代筆屋。この手紙に書いている『高貴なテオ・ブラスト様に、私のような者は不釣り合いでございます』というのは一体どういうことだ? 確かに俺は伯爵家の女には勿体無いほど良い男だが、せっかく交際を申し込んでやっているというのに、ソフィアはなぜ即承諾しないのだ? 恥じらっているのか?」
「いいえ……あの……大変申し上げにくいのですが……恐らく、やんわりお断りされているのかと……」
「そんなわけないだろう!!俺はブラスト侯爵家の次期当主だぞ!何故なんだ!答えろ代筆屋!」
「いやぁ……私めに聞かれましても……えぇ……っとぉ~」
「そうだ。彼女は女性特有の『恋の駆け引き』をしている。そうであろう?そうなんだよな!そうに違いない!! だろ、代筆屋!!」
「ひぃっ!!はっ、はいぃぃ……私めも……そう、思います……」
「ふん、そうだろう。では、こちらも駆け引きとやらに付き合ってやろう。俺は寛大だからな。ここは甘い言葉の一つでも書いてやるとするか。『お前は俺のものだ』という言葉を、俺の高貴さと気高さを強調して書け」
「はい……かしこまりました……」
代筆官がげっそりとやつれた顔で手紙の下書きをしたためていく。
彼の心の中では、
『うぅ……いやぁ、どう考えても絶対お断りされているんですってば……。しかも、相手のご令嬢ドン引きですよ。いい加減気付いて下さいよ……あぁ、胃が痛い……』
と思っているのだが、雇い主の貴族に面と向かって言えるわけがない。
代筆官は傲慢なテオの言葉をなんとかマシな言い回しに出来ないものか頭を悩ませた。
そして、代筆官の涙ぐましい努力のもと完成したのが、毎度のあの恋文である。
しかし、送れども送れども良い返事は得られず、テオはついに
「ええい!文字では俺の高貴さと気持ちは伝わらんのか!もどかしい。……ならば、仕方ない!」
テオは「ふん!」と鼻を鳴らし勢いよく立ち上がった。
「テ、テオ様? 一体どちらに」
「決まっている、クレーベル伯爵家だ。おい、馬車を用意しろ!!――待っていろ、俺のソフィア・クレーベル。今行くぞ」
強引に迫ってくる恐怖にソフィアが身震いしていることなどつゆ知らず。
かくして二人はクレーベル家で再会を果たすのだった――。
次話『テオ襲来』
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