第3話 テオ・ブラスト侯爵子息【side:テオ】
テオ・ブラストは元来、大人しく優しい子供だった。
王家ともゆかりのある由緒正しきブラスト侯爵家。
その長男として生まれたテオは、出生直後から母の手を離れ、乳母と教育係によって育てられた。
父親はテオを息子として扱わず、常に『次期当主』となるべく育てた。
その徹底ぶりは、母親に息子のことを「テオ様」と呼ばせて距離を置かせ、子供らしく甘えることを断じて許さなかったほどだ。
少年時代のテオは、人と争うことより、穏やかに話し合うこと。
格闘技やスポーツより、絵画や読書。
武器を手に取って戦うより、文化や芸術品を守り慈しむことが好きだった。
しかし、テオの父親はそれらを否定し、固く禁じた。
父は、優しさを弱さ、芸術を好むことを軟弱者と言い放ち、自分の思い通りにならない息子を『欠陥品』と呼んだ。
未熟な息子を次期当主として鍛え上げるべく、様々な教育が施され、知識と思想を詰め込まれた。
しかし、テオは子供が本来もらえるはずの親からの愛情を知らない。
唯一、いつも側にいて励まし支えてくれたのは、乳母のハンナだけだった。
毎夜、教育係がいなくなると、彼女は沢山の愛情で慰め慈しんでくれた。
一日中叱られ悲しくて眠れないとき、頭を撫ぜながら掛けてくれた言葉をテオは今でも覚えている。
「可愛い可愛いテオ坊ちゃん、ハンナがずっとお側で見守っておりますよ。いい子……いい子。優しさを忘れずに、元気に大きくなって下さいね」
優しく撫ぜられ、魔法にかかったように安らかな眠りにつく。
大好きだった。
血は繋がっていないが、誰よりも大切な家族だった。
誰もがテオを『次期当主』という家の道具か社会の歯車のように扱う中で、ハンナだけは自分を一人の子供として見てくれる。
心の拠り所だった。
しかし、別れは突然訪れた。
さよならの挨拶も出来ないまま、目が覚めると彼女は屋敷から
母を探す子供のように泣き叫びながら屋敷中を探した。
だがハンナはいない。
どこにもいない。
絶望するテオを冷めた目で見下ろし、父は淡々と言った。
「ハンナは辞めさせた。我が家をクビになったことで、彼女を使用人として雇う帝国貴族は現れないだろう。哀れな女だ。あの年で次の勤め先もなく、行く当てもない」
「お父様……どうして……どうしてそんなことをしたんですか!?」
「どうして?そんなもの、お前のせいに決まっているだろう」
怒りと悲しみのまま泣き叫ぶテオに、父は人らしい感情が全くうかがえない冷酷な顔と声音で告げた。
「帝国男子らしからぬお前の言動と弱さを、あの女は矯正しなかった。ゆえに切り捨てたのだ。つまり、あの女の人生を台無しにしたのは、いつまで経っても威厳のカケラも身につかんお前のせいだ。テオ、お前の弱さがハンナを不幸にした」
愕然とした。涙が止まらなかった。
後悔があふれ、胸が苦しくてたまらない。
――ぼくがもっと強かったら。もっと、お父様に言われたとおり良い子にしていたら……。ハンナ……不幸にして、ごめんなさい。弱くて、ふつうじゃなくて、こんな僕で……ごめんなさい。
弱い【ぼく】は過去に置いていけ。
強い【俺】だけ未来に持って行けばいい。
その日から、テオ・ブラストは好きなことを全て諦め、一切の弱さを捨てた。
強硬最大派閥の一翼――ブラスト侯爵家次期当主として、常に誰よりも強く偉大な人間に生まれ変わった。
帝国貴族として心身共に
テオを褒め称え、手に入れようとする人物は後を絶たない。
だが、どんなに容姿の優れた女を見ても自分の心は動かない。どれもみな同じ顔だ。
味気ない日々が淡々と繰り返される。
これから数年、数十年、自分はこうして少しずつ心を殺しながら生きてゆくのだろう。
――つまらない人生だ。
その日の宮廷舞踏会も、とても退屈だった。
自分の元に寄ってくる人間は後を絶たない。
まるで光に群がる騒がしい羽虫のようだ。
わずらわしい者達の相手を適当にこなしながら、心は自然と、ダンスホールの横にある『平和の間』に引き寄せられてゆく。
数十年前、我がセヴィル帝国は隣国リベルタ王国に攻め入った。
血で血を洗う武力紛争ののち、両国は和平条約を締結し、終戦。
その際、二国間の友好的な関係を願って描かれたのが『平和の間』にある天井画だ。
噂では、平和の象徴である白鳩や天使、オリーブの枝などが描かれた壮麗な絵画らしい。
――芸術の国リベルタの画家が描いた作品か。同じ顔をした女たちを愛でるよりは、退屈しのぎになるかもしれんな。
美しいものを愛でる心は捨てた……つもりだったが。
『今日くらいは良いだろう』と自分の心に言い訳して、テオは目当ての場所に向かって歩き出す。
数歩進むたびに誰かに話しかけられて足を止め、適当にあしらって再び進む。
隣国との和平条約を記念した芸術作品など、この国の貴族達には興味がない事なのだろう。
彼らが関心を示すのは、金や権力、有力貴族との人脈ばかりだ。
『平和の間』に近付くにつれ、すれ違う人がだんだん減ってゆき、入り口が見えてくる頃には誰もいなくなった。
――貸し切りだな。好都合だ。
そう思った時、背後から足音が近付いてきた。
振り返ると、一人の女性がこちらに向かって歩いてくる。
――チッ。こんな所まで俺を追いかけてきたのか? 面倒だな。
てっきり声をかけられるものだと思っていたが……。
テオの予想を大きく裏切り、その女性は挨拶もなしに自分の横を通り過ぎると、迷いのない足取りで立ち去ろうとした。
「おい!」
気がつけば、とっさに呼び止めていた。
別に、怒っていた訳でも、不敬をとがめたかった訳でもない。
「おい、お前。この俺が近くにいるというのに無視して通り過ぎるのか?」
ただ単純に、テオには不思議で仕方なかったのだ。
どうしてこの女性は、他の人間と同じように自分に媚びを売ったり、すり寄ったりしないのか。
理由が知りたかった。
彼女――ソフィア・クレーベルは、一瞬きょとんとした顔をしたあと、貴族らしく優雅な仕草で非礼を詫びてすぐさま去って行った。
しかも、彼女が向かった先は『平和の間』だ。
――まさか……誰も見向きもしない芸術に興味があるというのか?しかも、高貴な侯爵子息の俺より絵を優先しただと……?そんな、ありえない。
彼女のような人間を自分は他に知らない。
テオの心に稲妻のような衝撃が走った。
「なっ、なんだあいつ!! この高貴なる俺を褒め称えもせず去ったのか? あんな女、初めてだ……。面白い……。ソフィア・クレーベル。お前は、俺に取り入ろうとする他の女達とは違うのだな。気に入った。気に入ったぞ……」
気付けばテオは、足音と気配を消して、去りゆく彼女の背中を追いかけていた――。
次話『テオの初恋【side:テオ】』
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