第11話 北国の怪しい取引/キムの手3
怪しい取引とお店
「──恋愛総合化学会は、恋愛を研究する機関の中枢。
内部にいれば、44街がやろうとしている恋愛、という宗教の秘密を暴けると思ったの。あなたたちの、やっている、スキダ狩り──それに利用している粉、あれが恋を引き起こすのならそれがあんな違法な形で知られたら…………」
「けどっ、スキダを狩れば、告白が始まらない。告白が始まらないなら、恋愛は始まらないんだ、他に方法があるっていうのか?」
「……恋愛が、始まらないと総合化出来ない。総合化して、恋愛というシステムを平等に享受しさえすれば、やがてこんな苦しい世界はなくなる! 蔑んだ目を向けられ、犬を殺さなくていいんだ!」
「でも──このまま突き合う人たちを、見てろっていうの!?
告白を見てろっていうの!?
めぐめぐだって、観察してまで恋愛をさせたいってこと? 恋愛総合化学会はそれで得た幸せでいいのか、万本屋は、それで!!」
わかんないよ。
わかんないよ。
だけど、心は、私のものだ。
家族も、友達も、関係ない。
揺さぶったって、心は手に入らない。
「自分の気持ちは、自分で決める。それだけだよ」
「『スキダの宝石』は、『秘密の宝石』とは価値が変わってくる」
俺たちは出かけるまで、連日策を練っていたのだが、何よりもまず、オージャンが言ったのはその言葉だった。
「スキダも……あるのか。あれって、同じじゃ」
「明確には、殺して全身を煮詰めて作ったのが秘密の宝石だ。キムの手は、スキダを吸収出来るらしいが、殺人という話は表立っては聞かない。代わりに、あの風俗店付近で自殺する人が多いみたいだが……どういう意味かわかるか」
「意味って……え……」
「殺して全身を奪っていないものと、ただスキダだけで作られたもの。これが両者の差だ。重みが、価値が違う。俺たちにはどちらもただの石ころにしか見えんがな」
「つまり、肉体はまだ残っていてスキダだけが無くなった身体と、どちらも無くした身体ということか」
スキダだけが抜き取られても、何日かは生きている望みがあった。
でも、それは、魂を不安定にする。見知らぬ土地で、スキダを抜き取られるというのは、認識、精神的指針がおかしくなり、ほとんど廃人になってしまう。視力、聴力、味覚、あらゆる感覚に作用することもあるらしい。
そんな状態になるのだから、その後の自殺が続いても不思議ではなかった。実質は殺人じゃないか。
「付け入る隙があるとするなら、そこだろう。お前の彼女を、引き合いに出せば、交渉出来る可能性がある」
「……さらっと言いにくいことを言ってくるな」
「どうする? 僕は、お前が戻っても、何も言わん。そもそもが危ない場所だからな」
「やるよ」
俺は迷わなかった。オージャンは意外そうな声を上げる。
「決断が早いな、昔のお前ならもう少し考えそうなものだが」
「俺たちは、いろんなものを奪ってきた。奪って、壊して、迫害を助長し続けてきたんだ。だから……
――今度こそ、逃げない」
「そうか」
送話口の向こうから、ふふっと、なんだか嬉しそうな笑いが聞こえる。
「それに、この石をべつにあいつに渡すわけじゃない」
「お前は、変わったな」
気になることもあった。
俺に、どうして、ヨウから、あの石が引き出せたのか。
キムの手も無いのに……
とにかく。これはきっと、彼女が残した希望。
それはまるで、俺の行く先を導いているようだ。そう、思えてしまった。
――助けてあげて
「……俺だって変わる」
「サイコさんは居ますか?」
受付の、無駄にギラギラしたカーテンをくぐる。
壁のあちこちが鏡張りで、正直ものすごい落ち着かない。
受付に居る人は、愛想の良い笑顔で「はい、来られておりますー」と答えた。
せっかく自己紹介を考えていたのに、アサヒが既に何か話をつけてしまったのは本当のようで、特に聞かれなかった。
「ねぇ、何を言ったの?」
小声で聞いてみるが「後で教える」というだけだった。
まるで、私に叱られたくないみたい。嫌そうに目を逸らすので、逆に気になってしまう。
「えぇー-、気になるなぁー」
気になると訴えてみたけれど、後だとか、言うだけだ。
頑ななので仕方ない、と改めて私たちは受付の人が何か裏口に回っていったのを待ちながらそこに立っていた。
女の人の写真がいっぱい並んでいる。
「アサヒは、どんな子が好きなの?」
「…………」
黙ってしまった。
まぁいいや。
しばらくして、どうぞ、と店の中――ではなくて、なぜかカウンターの横のバーが外されて、裏に通される。
( んん?? )
裏は、仄暗くて、雑多に物が置かれ、あちこちが鏡張りの部屋よりはちょっと落ち着いていた。
古びたソファーとローテーブルのセットがあり、私たちはそこに座った。
担当の七三分けの人が、一礼して入ってくるなり、ようこそ当店へ、と言った。
「店内で早々に見つかってしまうのはいけないので、先に打ち合わせを、と」
「はぁ……」
しー、と指で静かにするように合図される。彼はアサヒをみるなり「あなたも、大事な人を亡くされて居るのですね」と言った。
アサヒがえ、とやや驚く。
「いえ、なんだか、よほど、事情があるとお見受けしまして……『あれ』を引き合いにされるお客様は、滅多に居りませんので」
……」
「それを話して何になる」
「この店で働かれる方にもよく居るんです。嫁品評会からはぐれた売れ残り。そして何人かは品評会で宝石として扱われ、あとは……臓器の売り渡しなどでしょうか」
「俺を、はかっているのか。そんなこと、べらべらと話しても」
「そんな、私はただ、不思議でならないんです。あんな宝石は、滅多に手に入るものではありません。えぇ、例え、あの学会の幹部でも。
私もよく見に行っている『品評会ですら』そうお目にかかれるものじゃない。なにか事情があるのでしょう?
あなたの目は、そういう、覚悟の目だ」
「お前も、誰か、亡くしたことがあるのか」
「……えぇ。嫁を攫われた。だから此処で情報を探して毎日のように嫁品評会のことを考えて……いつか出品されるかもしれない嫁を夢見て居ます」
(アサヒ、もしかして)
私は、二人の会話でピンときた。アサヒがどうやって此処と話を付けたのか。
あの宝石だ。
確かに私の性格上、大事な彼女をそんな風に扱って良いのかと言う可能性も無いではない。
だけど、どうせそんなこと言ってられない。彼が一番わかっているはずだ。
だから……今は、静かに見守って居よう。
「俺は、一度、目の前で、『こいつ』を、失った……」
アサヒは、ゆっくりと言葉を吐き出した。
「この宝石は……この前、あるやつがやっと返してくれた。
大事な人だったんだ。でも、もう戻ってこない。こいつを知っている奴に会いたい。関係者を追っていけば叶うかもしれない。
そう思った。サイコは商人をしているしな。
そして、今、これにされるかもしれない奴が、友人の、母親なんだ」
「それで、ですか……ではご友人の為に」
「どちらもだ。此処で働く者に、グラタンという名前は無かったか」
アサヒは何度か深呼吸した後に店の彼に尋ねた。
「いえ……居ないですね」
裏の壁に設置されている監視モニターから、店をそーっとのぞく。機密保持の為か、音声は抜かれていた。
各テーブルが映っている中で、8番に集まっている人たちがひと際目をひく。
「サイコ様は、すぐ隣、9番ですが」
「……あれは、誰か知っているか?」
アサヒは、目の前に映る義手の男を指さした。
「あぁ、彼ですか。大昔、大樹伐採の神罰で、手の感覚を失ったとのことで。昔は、なんとかっていう、学会の前の、『歴史を調査するような団体』に居たそうですけどね……」
大樹伐採。大昔、スキダが視認されるようになる前。
精神汚染を食い止めていた神木――大樹が、一部の者によって伐採された。
学会の初期の団体が自らの利益の為、土地の利用の為に行ったのだというそれによって、大震災が引き起こされ、しばらくして今の44街が生まれたらしい。大昔の戦争で、人々の心が神や尊いものを感じられない程マヒしていたと、後で椅子さんも言っていたことがある。
スキダは、その罰なのか。
「歴史を……」
「学会が、根城にしているいくつかの街は、そもそも遺跡が多いですから。最初の会長の趣味みたいですけど。今も引き継がれているのにはスキダが視認されるようになったこと、急に、彼の手の感覚が失われたことなどで、神や、古代のことに興味を惹かれたのもあるでしょう。もしくはそれを『呪い』と思っているのかもしれない」
『昔話』が、学会に残っているのだとしたら、なんのためなのか、というのは、確かに私も気になっていた。
悪魔の噂を広めて、呪いだと囃し立てたいのなら、さっさと葬ってしまえばよかったものじゃないのか。
だけど、それが、会長の意志だった……
――学会は、心の奥底では、神様を信じているんだ。だから恐れている。
ギョウザさんが、義手の男になにやら話しかけ、彼も愉快そうに笑う。お酒が注がれる。
女性が何かを言うと、一人の黒い人が何か手でジェスチャーする。すぐに、何か簡単な料理が運ばれる。誕生会かな。
あの画面の向こうで、取引が行われているのか。
「グラタンという名前が無かった、ということは、此処にはいない、品評会入りしているか、それとも……」
私が画面を見ている間に、横でアサヒが言うと、彼は、今度の品評会に名前があるかもしれないと言った。
「そこに居なければもうわからないですけど、品評会だったら会に交じれば見学はできると思います、ちなみに明日です」
「会場は……結婚式場か」
「え? えぇ」
ちょっと、話しすぎたな、とアサヒが店の、中の方を覗く。
「そろそろ偵察、行くか……」
そのときだった。
何かを察知して、黒い幹部集団はぞろぞろと立ち上がって歩き出した。
まさか、俺たちが気づかれたか?と少し焦るアサヒに、従業員さんが「違うみたいです、ほら」と、何か指さした。
入れ違いで、客が入ってくる。頭に蝶の飾りを付けた、派手なドレスの女の人と、そこそこ高そうなスーツの男の人たち。
「あの人たちを警戒して出て行ったみたいですね」
一見、ただのお客さんにしか見えないけれど、警察とか探偵とかなんだろうか……
「チッ、入れ違いか……まぁいい、奴らが通り過ぎてから、戻ろう」
アサヒが言い、私も頷く。
ちょうどそのとき、足下に何かが走ってくるのを感じた。なんとなしに、この裏側の部屋への入り口を見る。
カラカラ、と微かなタイヤの音がして、何かが私の足下に突進した。
「あ……車さん」
車さんが、私に何か言っている。
「……」
でも、椅子さんよりも、あまりこの車を知らなくて、心が通じていないので、少し、聞き取りづらい。あの子ならわかるかもしれない。
「ご苦労様」
そっと掌にのせて、上着の中にしまった。
外に出ると、まだ昼間とはいえ、ちょっとずつ夕方になりかけていた。
明るいっていうのに、此処はどことなく薄暗い。様々な施設の陰にあたる場所なんだろう。
「正面切って話しかけに行くのも目立つし……なんだか、グダグダになっちまったが、とにかく、あいつが嘘をついてなければグラタンさんは此処には居ないってことがわかったな」
「アサヒ、アサヒ!」
私は店の外でアサヒを呼ぶ。
「なんだよ?」
「サイコに会いに来たんじゃなかったの? そりゃ義手の人も、幹部たちも怪しいけど!」
「あ……、だけど、嫁品評会が明日行われることが分かった。もし、そこに居るのならまだグラタンさんは生きているかもしれない。
どうせ、そこにサイコも出てくるだろうしさ」
そこまで言ってアサヒがもたれかかってくる。ぐったり、していた。
「アサヒ?」
「……緊張した」
「お、おぉ……」
あんなにすらすらと取引?をしていたので、手慣れているかと思っていたが、実際結構緊張してたのか。
「お疲れ様。そして、まだ、がんばろ。うちに帰るまでが遠足なんだよ!」
「……あぁ。この、石……盗られたらどうしようかと思って……ちょっと怖かった」
「うん。頑張った、ね」
――その後、ややあって、私たちは、オージャンたちと待ち合わせ、合流する。
私たちがあの店にいる間、オージャンたちは、名産のチョコレートだとか土産に良さそうなものとかを見て回っていたようで、その思い出話を聞きながらも、ひとまず休憩のために宿に向かうことにした。
さっき来た裏道――を夜中に使うのは危険だということで、そのトンネル付近をぐるっと回りながらも空港を目指す。
道中、嬉しそうにお土産らしきチョコレートを分けてくれた女の子に、車さんを渡した。
彼女が言うには、車さんは『学会の幹部たちがテーブルに女性の写真を並べて、取引に使う人たちのことや、貴重な水色の宝石についてなどを話し合っていた』ということを語ったようだった。
「ということは、嫁品評会に出品されるということですね」
「宝石だけをさっさと渡して、金銭に変えて終わりかと思っていたが――一部の高い純度のものはなるべく長く、奴隷として育てさせるために、市場に売るみたいだ」
「その向こうで、後で加工される、と。原石市場も兼ねていましたか。確かに、加工の仕方で変わって来ますし」
「誰の手に渡るかわからないが……俺たちには、それを買い取れるような大金なんかとても出せないしな、なるべくその前に奪還しないと」
「明日でしょう?」
「あぁ、明日だ、作戦会議は今既に始まっている」
アサヒがいつになく真剣に言う。
「捜査員らしいのもチラホラ見えたけれど、やつらはあくまでも、学会のやつらを引き渡すようにという件を通すのが狙いだろう」
「そ、それで」
私は、アサヒとオージャンの会話の続きを思わず促した。
「小細工をしても仕方がない。此処は正攻法だ。
娘がママを攫われているという件で、捜査をどうにかやつらに絡める。(っていうか、幹部だから絡んでるけど)」
アサヒが言い、オージャンも頷く。
「そうですね、大筋は、それしかないでしょう。変な理由を作っても、どうせ詰められて余計に面倒なことになりそうですし」
女の子も、もちろん同意のようだった。
「でも、どうやって、それを示すの?」
アサヒが唸る。オージャンも、そこまでは言及しないらしい。
そう、捜査の目を向けさせるように動いてみよう、にしてもどうやって絡んだらいいのかっていうのが重要なところだ。
あのとき、爆破でそれどころじゃなかったし……
「拉致にあった、なんてこの場で示せるものなんかない……」
女の子が俯く。
せっかく目の前に、ゴールが見えそうなのに、どうしたら良いんだろう……
(何か、方法があるはずだよ。私は、諦めない)
その日の夜は、宿に着いた後も、みんなやけに静かだった。
――それぞれが、それぞれに、考え、悩みながら、ただ、どうにかなるということを祈って眠った。
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「現会長らの、追い込まれれば追い込まれるほど命令したい、人のせいにしたい、暴走行為をやりたくてしかたがないという気持ちは筋金入りだ。それをとめられるのは、死刑宣告を受けるような痛い、苦しいダメージを受けること」
「だが、とうとう、それが仇となった。犬がこちらを嗅ぎつけている。団体行動には向かない性質だったんだ、あの子は」
超恋愛時代の大戦中、キムから逃げる人類は汚染されていない場所に根付いた大樹を囲む壁を破壊する作戦を行った。
その壁というのは大樹のための防壁で、その近くにあった大樹の街ごとに精神汚染を食い止めるために築かれていた壁。
しかし――自分たちを恐れ、自分たちの進行を防ぐためのものであると思い上がった人間たちはオアシスを求め、それを破壊した。
大樹の汚染により地盤が保てなくなった土地は震災の引き金を引いた。
その後に蔓延するようになったのが凶悪な概念体。
地中に埋められていた謎の『手』は、学会が持ち帰った。その『手』は後にキムの残した手と呼ばれ、あらゆるスキダ系概念体の攻撃が効かない唯一の物質として、国家規模の機密になっていった……
「私たちはいつも言われてきた、完成されていない、と」
「完成されていない学会、か」
「それはそうだ、学会は今や私欲に走り基盤すら不安定なのだから。そもそも刹那的に戦い続けるしか術のない我々には、世界に細かい伏線を貼ることなど出来ないが――他人を使う事だけは出来る」
「なぁに。『完成だけは、している』ではないか。出来はともかく、な」
「そのせいで、取引が中途半端に遅れているのではないかね?」
「計画を完成させる、そのための生贄、なんとも陳腐だな」
「回収されていない伏線がある――そう、言っておくことこそが、ロマンなんですよ。でも、完成しただけ。そもそも我々の計画はあの『昔話』から始まったのだから」
「そう。結局はこの結末すら我々が選んだんだ。嫌なら離れれば? 腹括れるの? と、いう自問自答を繰り返してきたものの、この欲や希望を貫くには仕方がないと、自分に言い聞かせていくしかない。何が正解かは分からないしな、結局」
8番テーブルに、カタログが広げられる。
一見するとメニュー表のようだが、並ぶのは女の写真、そして『推定される』色の宝石の写真だ。
此処では今、実質の奴隷商――取引として『嫁品評会』に出品される商品の最終確認が行われていた。
「良い女が入った。滅多にとれない、『水色』だ」
義手の男が、ニヤリとわらった。彼の手には、薄い水色の魚型のクリスタルが握られている。
「スキダだけでもこの透明度だ――純度が高いとすぐ壊れるから、慎重に、『つがい』に引き渡して育てなくてはならんが、何億、何千という大金に変わるだろう」
「これって、学会に反発してた、グラタンじゃないですか」
「恋愛総合化に反発するということは、そもそも濁りが少ないんだ。心のメラニン色素のようなものだな。それが足りていないから、火傷を起こす。『あの女』のときもそうだった。 純度が高い。それは必然。
あの女のときには水色では無いものの、滅多に見られない美しい宝石に生まれ変わり、我々の何億という富をもたらしてくれた」
「今回も……そうだといいですな」
「ですな」
──人の子よ。
「……!」
──人の子よ。もうじき、時が来る。そのとき、そこの者は変わる……しかし怯えていては、いけないよ。
「椅子さん?」
椅子さんの声だ。
私はちょっと嬉しくなりながらも
カグヤの家を見つめる。
椅子さん……椅子さん、椅子さん。
だけど、なんて言ったの?
振り向くと、女の子がアサヒを見ていた。
「アサヒ?」
「──っ」
アサヒは頭を抑えながら、何かを耐えているみたいだった。
「アサヒ…………」
少ししてアサヒは無言のまま体勢を戻した。
あれ? なんだろう?
アサヒの目付きが、違う。
何だか──
「えっと、大丈夫?」
女の子が聞くと、アサヒは無言のまま頷いた。いつもなら、何かしら喋りそうなのに。
「アサヒ、だよね?」
なんだか違う人みたいで、ちょっと怖くて、私は思わず確認した。
アサヒは何も言わず、ニッコリと笑う。
「ねぇ──ねぇ、アサヒ!? アサヒ……あなたは、アサヒだよね?」
なんだか不安で、肩を掴んで話しかける。
「──ew.」
「あ……アサヒ……」
「y^estaeweme」
──違う。
アサヒじゃない。
「……ウフフフ。ウフフフフフ」
「────あ……の……っ」
あの子だ。
「──普通に、コクってやるのも良かったのだが。
この者には、なにやら。少し、通ずるものがあってな」
アサヒの姿で、あの子は笑っていた。
「ウフフフ。姫。会いたかったよ、姫」
姫──?
「どうして、この者が、姫と対話することが出来るのか──ウフフフ。
姫、驚いておるな。姫の前に以て、
『孤独』を差し出す者は久しくおらぬから、少し気分が良い」
アサヒはクスクスと笑いながら、身体を確かめるようにさする。
アサヒのことだろうか?
彼の孤独を、私はほとんどは知らない。マカロニさんが誘拐されたことすらほとんど断片を聞いたに過ぎない。
「私はいつでも──孤独を差し出せる者を、見ている……」
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ぜひみんなで、私をかわいがってください。↓↓↓↓
♥️8623株式会社 めぐみ友昭 、代表木村
「コリゴリが途切れる間際に遺した通信、
そしてカグヤの家の観察によると、
あの椅子がなにやら鍵を握っているかもしれません」
「しかし椅子を使うには、彼女の力を奪う必要があります」
「しかし、あの椅子に、我々がそのまま向かっても太刀打ち出来ないでしょうし……彼女を殺害するわけにもいかない」
ハクナが選挙の票などのツテをつかってこっそり政府や街と結んだ契約がある。
それは、魔の者が現れたときの戦力として武器や兵器を学会の予算を注ぎ込み購入する、その補助。
代わりに、44街をしっかり守ることを約束していた。
「……が。しかし、あのロボット。しくじったようだな。我々が、甘かったかもしれん」
8番テーブルでは、取引以外に、学会の活動報告も行われた。ギョウザや、黒猫たちがそれぞれの立場から私見を述べる。
――この時点で、学会はもちろん、悪魔の子の観察を諦めていたわけではなかった。
むしろあちこちに潜み、様々な場所から四六時中付きまとっている。
のだが、『あの放送』後、おかしな動きをするのは難しくなってはいた。
44街の圧力の空気を和ませるべく、せつに、なりきってもらい放送を流しているけれど、何人かが信じるか信じないかというくらいで、実質的にはそんなに効果を為していない。今や役場にも監査が入っている。
苦肉の策として、ちょっとした嫌がらせをするので精一杯だったので、空港に至っても、チケットを取るらしいというのは知られているものの、直接なにか嫌がらせをすることは憚られた。機内で目立てば、国際的にも信用を失いかねない。
「会長や、田中の暴走も、随分、目立ってしまった……」
今ではネット等、彼の権力が完全には行き届かない場が増えていた為、ギョウザの統制も虚しく、謎の兵器によって通行止めが引き起こされた話題は瞬く間に44街中に広まっていった。テレビも結果的に、それに従わざるを得なくなりだしているために、結局、全てを封じるどころか、『あの兵器』がそこそこ大きな話題として取り上げられた。
「ヨウも、監視付きになってしまったか……」
それらは、兵器に税金が導入されている、国民を私益に利用しているという噂に繋がる。
その兵器を使って、44街の民をいじめていた――なんと最悪な噂だろうか。
時期選挙にも響くかもしれず、むしろ学会との関わりを避けるものも出てきた。もはや、内部の統率も取れていない。
此処に集まる幹部のようにしぶとく生きようとする者たちにとって今は、早く取引を行い、売れるものを出来るだけ売って監査までになるべく証拠を手元に残らなくしておくことこそが今優先される事項だ。
その一方で、何年にも渡って他人を自殺に追い込む仕事をしてきた岡崎老人など、監査そのものに耐え切れない一部の者は、自ら命を絶った。
「これだけ監査が入れば、時期にもう、この学会も終わりだろう。だが、あの『椅子』のことも諦めきれない。あれこそが」
義手の男は、一杯酒を呷ると、ニヤリと笑った。
「俺の手と、キム、本家を繋ぐ唯一の手がかり。それが観察をせずとも、自ら現れてくれようというんだ。
なんとありがたいことだろう。俺は、あいつらに付け入る隙をずっと、ずっと、狙っていた。
戦争のきっかけでもあれば、すぐにでもぐしゃぐしゃに捻りつぶせたものを、皮肉にも、あの悪魔の子としての接触禁止令によって、そもそも、対峙して会話することさえ難しかったもので……それがようやく叶う――! カモがネギを背負って来たとはな」
カグヤの家も、いつでもおさえられるようにしている。
あのときアッコに電話をかけさせたのも、あいつらが来ているか確実に知るためだった。
スパイが彼女になりきるためには、あらゆる情報が必須。
機械越しでは伝わらない何もかもを把握しておきたかったので、家から抜け出た彼女が今嬉しそうか、どんなふうにカグヤたちと遊んでいるかなども報告させたのだが――変な椅子を持ってきているというのは本当のことであり、工房に寝かされていること、夕飯のメニュー、カメラには映らない彼女らの様子なども、こと細かく教えてくれた。 もはや録音や録画だけでは足りない。
あんなにも、自分に手が届かない彼女の情報があることが悔しいとは、我ながらにひどい執着心だ。
学会員になって、奉仕活動に参加するかもしれないという期待、学会員との間の確執によって、派手にあの家で暴れてくれれば良いという期待もあったものの、それは、上手くいかなかった。が、巡り巡って、今に繋がっているとは、運命は面白い。
「途中から好きになることってぇ、あるよねぇー。フフフ」
とにかく――あの祖父も、もうそんなに長くはない。どうせ、修理するものが居なくなる、
それに、家から出てきたのがただの椅子の設計図だったとしても、その家具屋の血には意味がある。
「これはチャンスだ。あの椅子、そしてあの娘。俺のものにしてやる。そして、他人を好きになるのがどれだけ偉いのか、教えてやろう」
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昨日はアサヒとオージャン、女の子と私と椅子さんで隣の部屋で泊まった。
朝は買い出したパンとサラダの簡単な朝食、着替えなどを済ませて――いよいよ今日。
「結婚式場」に向かうことになった。
拉致の事実があったとして、それをもとに、どうしたらいいのかは、明確には答えが出なかった。
女の子も、うーん、と苦笑いするだけ。
北国は雪が降っていてあちこちが真っ白い。街のほとんどが、白一色。
家々が、大体石やレンガ造りで重厚感があったけれど、安そうな素材の家もちらほら見受けられ、これは貧富や趣味の差かもしれない。
辺りが薄暗いので、あちこちの壁に電飾などがあり、光がやけに暖かそうに見えた。44街とは違った趣だ。
ときどき川を渡るための石橋があるのだが、これはこれでところどころ凍っていて、慎重に歩くのでかなりハラハラした。
「ギョウザさんが内情に絡んでいるのは確実だ。爆撃の件を出したら態度がおかしかったから」
道を歩きながら、アサヒが呟く。
女の子は、少し、嬉しそうに見えた。ママがとっくに死んでいるかもしれないと何度も考えていたという。
彼女のママが殺されないでいたのは、彼らにとっての素晴らしい環境で宝石に加工するため。家畜のようにしばらくの間どこかに置かれていたからだろう。不幸中の幸いというものだけれど、市場に出されるという今、その日々もいよいよ終わりを迎えようとしている。
「万本屋のことも、探したけれど、通行人は誰も知らないようでした」
オージャンがそう言うと、アサヒが、俺も探した、と言った。
「あの店の嬢でもないようだし、店員も何か知っているなら、俺に絡めて来そうなものだが、そういうのはなかった」
「早く行こうぜ」
暖かそうな耳当てとコートを身に着けた数人の子どもが歓声を上げながら傍を歩いていく。
「これ、暖かいね!」
「おばさんたち、臨時収入があったんだって」
「雪合戦がいいな」
彼らはみんなで外で遊ぶらしい。
私も小さいころはよく、外で雪遊びしたっけ。暖かそうな服は、おばさんの臨時収入で買ってもらったのか。いいなぁ。
「こんな寒いのに、子どもたちは元気だな」
思わず、ぽつりと呟く。なんだかちょっと元気が出るような気がした。
バスを乗り継いで、この地域で一番大きな結婚式場に向かった。
そこは小高い丘にあった。坂道のあちこちにきれいな敷石のタイルが敷き詰められ、塀で手すりのように囲まれた上り坂のてっぺんに、真っ白く塗られた美しい教会がある。ステンドグラスが取り込む光で辺りが淡く煌めいていて、なんだか夢の中みたいな気分にさせられる。
昔、オージャンとアサヒが此処に来たことがあるらしい。その頃は、オージャンの現地調査で、結婚式でスキダがどのように形を安定させるようになるのかというのを探すのに此処を訪れたという。
「そのときは行き先間違えて博物館へ行ったんだよなぁ」
――早朝から人出が多く、あちこちで、この日の準備が行われていた。
「昔と全然変わってない」
アサヒが辺りをきょろきょろする。
式場からやや離れた道に出店の準備もされていたけれど、その台に置いてあるのは「ファイン劇物無料(水の巫女の命と引き換え)お試し鉄の暴風」とか、普通に読むとよくわからないものばかりだった。
同じように早く来た通行人たちがそわそわしながら遠巻きに見ている。いろんな人が居たのだが、なんだかチャラそうな男が、なんだか軽そうな女に謎のレクチャーをしていたりしたのがちょっと面白かった。
「顔と性格と人生観だけでいい人そうかを判断出来る嗅覚ってそれなりに人と絡んでいる人の特技だと思いますよー」
「そうかなぁ」
「その嗅覚が磨かれるまではなんだかんだ言っても「有名人だから」「誰かが褒めてたから」とかの理由で友達だったりするもんだと思う。石もね、結局買うまで、買ってからもわかんないって人はわかんないのに、ここに買い付けに来る奴の多いこと」
「まぁ、結局ソウルの相性よねぇ。何もかも、本当は意味なかったりして」
「あと、最低限の情報で面白そうか判断出来るってのも錯覚だな。単に好みの傾向を感じとれるようになるだけだから」
「えー。でも、面白くなさそうって思ったやつ、大概その通り面白くないのよね。あれなんなのかしら」
私は、ただそこにあったから、以外の意味など何もないと思った。広い図書館と、小さな図書館ではどうしても本に偏りがある。それが決めているラインナップの影響しか存在しないし、大きな町と、小さな町で、人に偏りがある。
「とりあえず中を探してみよう」
私は提案した。
此処には少し早めに来たのだが、それには訳がある。
勿論、取引が始まってしまってからでは遅いからだ。
昔何かで見た、『ちょっと待ったー!』 みたいに、バァン!とドアを開けてみたかったものだが、機材の搬入などで既に開けられていたので、あまり視線が集中していないときを見計らって中に入る。ちなみに簡単な挨拶でマイクや映像を使う関係の機材らしい。
中は、外からも綺麗だったステンドグラスがあって、長い椅子がいくつか置かれ、静かで厳かな空気が漂っていた。
こんな時でなければ、ゆっくり訪れてみたかった。きっと良い思い出になるだろう。
ふと、書類のことで認められなくて、笑われて、アサヒがちらりと封筒に目をやりながら苦笑した、あの日が過る。
――嘘をつけば済むだろ?
――済まない! それに私、初めて、椅子を好きになったんだよ……ワクワクしながら、椅子さんのことを書いた……!
椅子さん以外を書いてなかったことにしたくないよ!
(やっぱり、今も、それで、良かったって思うんだ……そうじゃなきゃ、こんなに満たされた気持ちにはならなかったよ)
しばらく中を見ていると、後ろを歩いてきた椅子さんと横並びになった。
昨日、今日と、なんだかあまり話していないので、ただの椅子のようにも感じられてちょっと怖くなりそうだったけれど……
やっぱり、こうやって並んでいると暖かい。良かった、うまく、話せそうな気がしてきた。
「椅子さんは、人間の文化って興味ないかな」
「ガタッ」
椅子さんはいつもと変わらない様子でそう答える。
「そっか」
目の前に居る椅子さんを前にすると、やっぱり、あの独特のフォルムや、淡い木の色合いに、ときめかずにいられない。
「……そうだね」
変わらない椅子さんの言葉にも、思わず笑みがこぼれる。
いろんなことがあったけれど、こうやっていると、嫌なことも忘れてしまえそうな気すらした。
いつも、椅子さんが居た。
人間は好きになれなかったけれど、椅子さんは、怖くならなかったんだ。
「おーい、見ろよ、さっき見つけた。此処から地下に行けそうだ! 探検できそうだぜ!」
アサヒの声がして、ふと我に返る。
どうやら部屋の隅、パイプオルガンの横に、少し何かがずらされた形跡があるのを指さしていた。
早く、と女の子が呼ぶ。
「行ってみようよー!」
地下……行って何かあるものなんだろうか。空港の時はたまたま、そういう通路があっただけで……
そう思わなくもなかったのだけれど、探検という響きは確かにちょっと面白そう!
「あ、うん……オージャンは」
オージャンを見ると、「僕は見張りです」と言ってここで待機することを告げてきた。
「じゃあ、行ってきます」
薄暗く、ちょっとじめっとした道を歩く。
天井が低いので頭をぶつけないように歩かないとならない。
真っ白い壁はさわやかだけれど、低い天井の威圧感を緩和してはくれなかった。
アサヒが、こういう施設にも逃亡者を匿うための道があったんじゃないかとか言っていた。
いわゆる逃がし屋というものだ。こういう街で人間の奴隷が頻繁に取引されていた頃にそういうものもあったらしい。
(まぁ、今も、あると言えばあるのだけれど)
まっすぐの一本道をしばらく行くと、だんだんと、不思議な、いや、懐かしい、においを感じ始める。
そう、これは……
鉄と――生ごみみたいな……
「牢、獄……」
さぁっと血の気が引く。アサヒも同じようなリアクションだった。女の子も怯えている。
目の前に現れたのは、檻一つ辺り、ギリギリ数人が寝泊まりするスペースがある程度の、牢獄。
なんで、こんなものが……もしかして、こうやって、ここで管理した人間を出品するのか。
ママは、もしかしたら――そう、思ったときだった。
「ママ!」
女の子が声を上げた。
「ママ! ママだよね?」
入口から二つ奥の方にある牢屋に向かって、彼女が呼びかける。
「椅子さん!」
私は椅子さんを呼んだ。
椅子さんはふわりと浮き上がると、牢に向かっていき、触手を伸ばした。慣れた手つきで触手が鍵を外す。
重たい鉄扉がゆっくりと開くと、
薄汚れた毛布を身にまとう、痩せこけた白髪の女性が現れた。なぜか場違いにドレスを着ている。
女の子と、確かに目元や顔の形がどことなく似ていた。
「ママ!」
彼女は特に反応を示さなかった。ぼーっと宙を見ている。
「…………」
「あの、グラタンさんですか?」
「…………」
アサヒが、冷静に、スキダが抜かれている、と言った。
スキダは心の核になるものだ。何かが見えても、感じても、それがなければ何も反応出来ない。
分離脳のように心と意識が切り離されるのだ。だから彼女が何か思っているのか、居ないのかは、よくわからなかった。
とにかく、此処から出ないと!
グラタンさんが動こうとしないので、どうしたら良いかわからずちょっと焦る。
椅子さんが、彼女の額に触れる。椅子さんも、スキダが抜かれていることを感じ取ったのだろうか。
やがて、突然、ひょい、っと彼女を椅子さんの上に乗せた。とりあえず連れて行こうってことなのか。
「そうと決まれば」
「逃げるぞ!」
「おー!」
私と、アサヒと女の子と、椅子さんは急いで地上に向かって走り出す。
本当は道のあちこちで、何とも言えない、嫌なにおいがしていたけれど、
足下や奥の方は暗くて、ぼやけていて、あまり見えない。
――というか、あまり見ないようにした。
そーっと、教会内部に戻ってみたが、今のところ、誰にも見つかってない。
パイプオルガンの横で見張りをしていたオージャンが、私たちに気づき、手招きする。
やがて「あぁ、その人か」と目をぱちくりさせた。彼女の様子のおかしさに、彼もまた「スキダが抜かれているね」と呟く。
「キムの手か……ひどいことをする」
キムの手……義手の男の、義手部分。
問答無用でスキダを抜き取ってしまえるという。。
「とりあえず、早いとこずらかるぞ」
アサヒが小声で言い、私たちもさっさと移動する。
椅子に座っていたらさすがに目立つので、グラタンさんは腕を引いて歩いてもらうことにした。
『脱出』
オージャンが合図するタイミングで、アサヒ、私とグラタンさん、椅子と女の子がそれぞれ外に出る。
外は相変わらず、出店の準備、機材の準備で慌ただしい。
少しでも目立たないように動かないと。
機材が積まれて入口近辺に影が出来ているのもあって、ここまでの脱出はそう難しくはなかった。
階段の脇道の陰に逃げ込むアサヒを追って、教会の裏に回り込む。
「グラタンさん。大丈夫ですか?」
私は腕を引いていた彼女を見た。その頭上で完全なクリスタルになるより前の、小さな欠片が生まれだしている。
(スキダが……)
「あ……な……たは……」
かすれた声が、言葉を発した。まだ目に光が戻っていないけれど、少しだけ、意識が戻っている。
「ママ!」
女の子が、ママを呼んだ。
「ま……ま……?」
「ママ、此処にさらわれてきたんだよ。ハクナが家に来たんだよ」
彼女は苦しそうに頭を押さえた。
「う……うぅ……」
いろんなことがあったので、まだ混乱しているのかもしれない。
次のバスの時間などを思い浮かべながら、ここからどうやって出るか考える。
ドレスを着せられているのは、出品されるからだろうけれど、招待された富裕層もドレスを着ているので、思っていたよりは目立たなかった。けれど、一応万全を期して観察屋の謎装備の出番だ。
「アサヒ! サングラス!サングラス!」
アサヒは、えぇ、と微妙なリアクションをしつつもサングラスを渡してきた。
「たぶん度は入ってないし大丈夫なはずだけど」
ぼーっとしたままのグラタンさんに着けて、それから、暖かい帽子を彼女に着せる。こういうときは冬って便利。
「よし! 完璧だ! 観光客にしか見えない!」
ドキドキしながら坂道を歩き、バスを待つために下に向かった。
昨日はいろいろと考えたけれど、結局、何事もなるようにしかならないらしい。
結構すんなりと出口に向かっているので拍子抜けした。今のところは、うまくいっているけれど……こんなに静かでいいのだろうか。
(いや、良いはずだよね。今までが、いろいろと起こり過ぎたんだ)
アサヒは、なんだか複雑そうな顔になっていた。
バスに乗っても、彼女はぼんやりしたままだった。女の子も戸惑っている。
「これで、後は、帰りの飛行機に乗るだけだね!」
私がそう言ったときだった。
グラタンさんは、顔を真っ青にして、震えた。何か取り乱している。
「帰して……くだ、さい……」
「え?」
帰して、と言ったのか。
「また、見られている。きっと追ってくる……次はあの子にも……そうやっていけば、あのとき、ママが死んでてくれたらと思うようになる……私が逃げるから……家だって……44街が私たちを許すはずないわ……また、今度はもっとひどくなるかもしれない……」
私たちはただ、誘拐されたとしか思っていなかった。けれど、そうじゃなかったらしい。
彼女は娘を巻き込まないために自らついていったのだ。今は認識していないけれど、心のどこかで娘のことを考えていた。
「ならないはずです。44街は、もう、その頃と違います」
グラタンさんは何かに怯えたように周囲を警戒しているが、ふと、私を見た。
「ち……がう? どうしてそんなこと。どういう、こと……あなたたちは……」
「私は、44街の片隅で、ずっと悪魔の子として、10年以上接触禁止令を出されていました。
だけど、いろんなことがあって、みんなで戦って――
そのおかげで、今まで接触禁止令を承認していた田中市長も、つい最近逮捕されたんです」
「市長が……?」
彼女は、信じられない、という顔になる。
「本当ですよ。あちこちに監査が入って、街も、変わろうとしています。
恋人届けも、同性愛だけじゃなく、対物性愛も、他にも、制度の適用が増えた」
私は、ゆっくり、言い聞かせるように言った。
少しずつ彼女の瞳に輝きが戻り始めている。
本当に、戻ってこられない覚悟で此処に来ていたらしい。
「だから、ほら」
私はリュックを開けて、パスポートを見せる。
そこには「パートナーの名前:椅子」と書かれた割引制度の為の書類が挟まっていた。椅子さんと一緒に申請した、私の宝物。
「昔の44街だったら、こんなことあり得なかった、でしょう? 今では対物性愛者でも自由に書類が出せるんです」
私の足下に居る椅子さんが、ガタッ、と小さく返事をする。
「…………娘は……! そう。娘が、居たんです、私」
女の子が、彼女の手を握る。
「ママ!」
「嘘、本当に? どうして、此処に居るの? 夢、じゃ、ないわよね?」
グラタンさんはようやく、気が付いた。
その頃、牢を開けに来た兵士がそこが空になっているのを見つけた。
そろそろ余興もそこそこに目玉の出番だというのに、目玉にするはずの女が居ない。
「まずいことになったぞ!」
なにがまずいって、一番は、犯罪の露見だ。見張りは楽な仕事だと思っていたのに!
朝から眠すぎて下でちょっと居眠りしていたら、こんなことになるなんて。
兵士は焦った。雇い主も稼働スケジュールや人員くらい把握しているし、自分1人一生懸命にやらなくても本当は問題ない。
それなのに他の部下の中に入って、部下の仕事を奪っての見張りでミスをおかした。
牢屋のやつだって鍵が締めてあるからそうそう逃げてこないとばかり思っていたのに、今日に限ってこうなるとは。
物を運んだり、遠征に参加するところを体調不良を理由に部下に代わって貰っていたとはいえ、そんなものは言い訳にもならないだろう。
「あぁ……『忙しくて主任の所に行けません』なんて、なんて情けない」
本当なら、部下に仕事をまかせりゃ、一日中暇でも当然!なんで部下に任せずに一緒のところでやってこなせないのか。
「具体的にいつ敵が来るのかって誰か教えてくれれば良かったのに」
確か上司がマニュアル作って、これ見て作業しろって言われて『自分で何とかしてみます』って言った気がする。
――俺がマニュアル作ったから『何とか』出来るんだ。やる気あんのか? 辞めてしまえ!
そういわれるような気がして、身震いする。
そういえば、此処の警備、もう一人居たはずだが……ふと、辺りを見渡す。
何故か兵士が数名、教会付近の陰に倒れていた。
「薬……?」
どうも、みんな眠らされている。彼らからはスキダのような甘い香りがした。
連絡はすぐに、城で優雅に待機していた『幹部』にも伝わった。
誰よりも怒り出すと思われた義手の男は、席に着いたままなぜか怒らず、ニヤリと笑う。
「――やはり来ているな」
ほとんどの幹部は今、城のささやかな会議室に詰められている。
現会長は顔を真っ赤にして叫んだ。
「取引が中止など! あああ!! 学会が!!!!! あぁあああ!!!」
もはや何を言っているのかわからない。
「落ち着いてくださいにゃあ。もしものときは、万本屋北香の宝石がある。純度は落ちるけれど」
黒猫が、にゃおーんと鳴く。
「しお、この取引、いつもドキドキします……」
しおが言い、斎藤はため息を吐いた。
「ヨウが捕まったが、まぁ、仕方ない。二束三文などが代わりに取引されるなど、彼はすぐにキレていただろうから、今居ないのだけは幸いかな」
今、義手の男があまりに怒らないので、みんなは逆に怖かった。
帰りは夕方なので、しばらく遊ぶことが出来る。
と、いうわけで。
それからは北国観光をした。
あちこちの店や市場に入って、チョン鳥の唐揚げとか食べたり、提灯屋さんとかを見たりした。
44街では見慣れないものがたくさんあった。ちなみにチョン鳥はこの辺にしか生息しないらしい。
一緒に食べ歩きするうちに、グラタンさんも少し、元気を取り戻していたように見える。変装は見破られていないのか、周りの人に関心がないのか、誰も触れて来なかった。
「でも、スキダが……まだ、取り返せてないですね」
私が聞くと、彼女はぼーっとしたまま首肯く。
「ええ、確かにちょっと、味覚とか完全には戻らないけれど──スキダが無いと恋愛性ショックの発作が起きないの。それは盲点だったわ」
ずっと黙ったままでいたオージャンが、成る程、と目を輝かせる。
「癲癇のように、何か発作のもとになるものがあるかもしれませんね」
「てんかん?」
女の子が不思議そうにする。
「大脳にある神経細胞が、過剰に活動してしまって、発作や意識障害になることもある症状です。
好き、とか、好意的な言葉にのみ起きるという、恋愛性ショックも──スキダと切り離した場合で変化があった、というのは治療に役立つかも」
ちなみに今の44街医学界では、特定の言葉や動作を繰り返すチックやトゥレット症候群のように、神経発達と関係すると考えられているらしい。恋愛には、好嫌の判断と、人物情報の伝達、ホルモンバランスなど沢山の処理が必要になる。その過程で、なにかのエラーが起きているという考えだ。
「深海に住む44コイのように、感情の前に、対外的な認識力が必要であるという論文もありまして──両親の関わりや愛着との関係性も議論されているんですよ」
オージャンが生き生きと研究の話を始めてしまって、途中からは恋愛性ショックの講義になっていた。
いつか治療方などが確立されるといいなと思う。
「告白されて、初めて発症する人も居る──ラブレターテロも、その意味ではこの病気を改めて世間に広めました」
本屋にも行った。44街に居るときは「どうしてみんな、対物性愛だけはネタに出来ないんだろうな?」
「認められたのに、恋愛の街なのに異常に反応が薄くて気持ち悪いぞ?」
と思っていたのだけど、こちらに来てみると、それは思い込みだったことが判明。
対物性愛専門のお店もあちこちにあって、関連商品が売られていたのだ。
他の国で、対物性愛はこんな風に既に文化として受け入れられていたんだ!
市場には、いろんな本も売っていて、椅子と恋愛をする本も見つけた。
対物性愛向けの恋愛物なら私にも理解出来るかも!
女の子と、共有することにして現地のものを何冊か買い漁った。結構いろんな作家が、対物性愛ものを書いている。
44街の本屋はあまり行ったことがないけれど、もしかしたら既に受け入れが始まっているかもしれない。
食べ物や本のほかには、色んな人形店などを回って『素体探し』もした。
キムが気に入るのかわからないけど、それならそれで、この子を可愛いがって家に飾ろう。
「アサヒは、昔、自殺した女の人、知ってるんだよね」
ゴロゴロした目玉のパーツを手に取りながら、私は尋ねる。
「あぁ……」
尋ねられたアサヒは、なんだか寂しそうに頷く。
「それが、キムって、コトは無いかな?」
「どうだろうな。あれってお前のじいさんの時から居たんじゃないか? だったら、それは彼女じゃない」
「そっかぁ……そういえば、そうだった」
そうだった。おじいちゃんが、言っていたんだ。
でも、それがあのキムかはわからないけど、でも……その可能性の方があるのか。
「彼女、俺は空の上から見ることが多かったけど……活発で、明るくていい子だったよ」
アサヒは、ウイッグを手に持ちながら、観察屋の話をしてくれた。
「ベテランの観察屋がさ、あの頃やけに羽振りが良かった。
部屋に戻ると隊員へ、って箱が置かれててビールとか、肉とか、おごってくれたりしたんだ。あれは今じゃあり得ないぜ。
――俺は下っ端で、ただいつもと同じ、決められたルートを飛行するだけだったから、誰のことかまではわからなかったけど、
そいつは幼稚園とかに寄付するとかって、懸命に働いてたらしい。学会名義で寄付が出来るから。
観察屋が犯した犯罪が、子どもたちを育てていた――それによって、一人の尊い命が失われてるって言うのに……
あんなやり方、本当はあっちゃいけない。子どもが救われるなんて大義名分、どうして、彼女が失われた理由になる。卑怯だ……俺たちは」
彼らは、汚いやり方を、慈善事業に混ぜてくる。という話を聞いた。
批判をしづらくするためなのだろう。なんてやりきれないのだろうか。
その恩恵は、私にもあったのだろうか。
だとしたら……
「チラシも、あの頃にはあって、いろいろとばら撒かれていたと思う。
観察屋のその時のベテランが、どんどん働いてて、観察屋の設備は潤沢に成っていったけど、マヒした思考ではなんの疑問も抱かなかったよ。 やがてターゲット消失によってルート変更がなされた。
利用し続けて、圧力をかけて、消して、そうやって蓄えていくことを当然のようにベテランが扇動した。
ギョウザさんや岡崎老人たちが、こそこそ何かしてた噂もあるけど、幹部のことはわからないな」
夕方。
様々な手続きを済ませ、みんなで空港に向かって──気が付いた。
「あ」
そうだ。
「グラタンさん、パスポートはありますか」
グラタンさんは首を横に振る。アサヒも、だよなぁという感じだった。
「どうしよう……」
拉致されてきたんだから、何も持ってきていないのは当然だった。
でも空港で「この人拉致されてたから何も持ってないけど帰りたいんです」なんて通らないよね。
「身分証明書があれば、大使館で一時帰国するための渡航書をもらえるかもしれないんだが……」
アサヒが唸る。彼はずっとどうやって帰るのか懸念があったらしい。
それににしても、「そうなんだ。そういうときに大使館に訪れるんだね」
拉致被害者が自発的に帰るにしても、身分証明の手段が無い。
違法に入国する人を取り締まるための法律は同時に、違法に国に入ってしまった被害者を縛っていた。
結局、本当に拉致されてきたかって問題になるのか……
「こっちでは、報道がほとんど政治のもので、国の名誉を侵すようなニュースは流れないから、こんなの、訴えても無かったことにされるでしょう」
グラタンさんがため息をつく。大使館に行けたところで、拉致問題を認めてくれるとは限らない。
それもまた盲点だ。――今までの私もそうだった。身分やちょっとしたことを認めて貰えないだけで、周りと差が出来るということを、精神だ、努力が足りないからだとそれこそ不自由のない何も知らない人が決めつける。でも、本当は周りは関係ない。適当なことを言うだけ。
友達、が崩れても、家族、が壊れても、そんなものを背負わせるような呪縛はあってはならない。
「この国を牛耳っているボスを、裏切らないとも思うし」
グラタンさんが悲痛な声を上げる。
義手の男は、きっとそれを利用し続けているのだろう。
私たちは夕方には、飛行機に乗る。けど、ここでグラタンさんを残して来たら何のために行ったのかわからない。
これから、ひとまず、捜査関係の人と話してみようということになった、そのときだった。
「おやおや、皆さん、おそろいで」
噂をすれば、特徴的な音とともに、義手の男が現れた。
「うっれしいンゴー------!!!!!!」
彼はよっしゃぁ!!と両手を握り締める。えぇ……
「マーケットの商品が、居なくて困っていたんだけど、どうせ、ここから出られないからな、空港で待たせてもらった」
そして、私の顔を見つめた。
「フン。やっと、本人に会えた」
覆面で、顔はわからない。のが、余計に不気味だ。
「あの……」
「ずっと会いたかったが、接触禁止令を出されているうちは、叶わなくて歯がゆかったなぁ。
俺の手の感覚は、永遠に失われたが、代わりに、お前が生きていることこそが、生き甲斐になった。
あんなに、人権侵害を受けながら、まだ、死なない! まだ、自殺しない! どころか岡崎が自殺! あぁ、お前が生きているだけで、なんてすばらしいのだろう、普通なら自殺しているというのにだ! お前が生きていることが嬉しいンゴー---------!!!!!!!」
気持ち悪い……
この人の歪んだ感情が、気持ち悪い。
周りの自殺を楽しんでいるからこその、私が生きているという喜びで、興奮し、執着しているんだという。
「あなた、頭がどうかしてる」
狂っている。けれど、彼にとっては本気でこんな気持ち悪い感情を私に向けて居るのだから、驚きだ。
彼が義手を突き出すと、水色のクリスタルが浮き上がってきた。
「あれは……私のスキダ……」
グラタンさんがふらふらと引き寄せられる。
「返して……お願い」
義手の男はこっちに戻っておいでと優しく囁く。
「そっちに、行っちゃだめ!」
女の子が叫ぶのを振り払って、彼女は義手の男の方に向かっていく。
しかし彼はすぐに立ち去ろうとしなかった。私を見つめたまま、もう一狩りできるかなと思っているようだ。
「あなたの目的は何? どうして私を知っているの」
「答えて、なんになる? 教えて、なんになる? 目的に、とらわれて──なんになる?」
「ああ、もう! うるさい!とにかく、スキダを、返しなさい!」
男は、出来ないと言った。
グラタンさんはとりつかれたようにスキダを見たまま固まっており、私たちの声は届かない。
「これは俺のものだ。俺が見つけて、盗んできたから今さらなにを言おうと遅い。
だいたい、発作を起こすだけのものに、なんの意味がある? 俺が有効活用して使ってあげるんだよ。こいつにはまだ早い」
──人を好きになるには、自分を好きにならなくてはな。
彼は、嘲笑った。
「勝手なことを言わないで」
思わず声が低くなる。
椅子さんが足下にやって来る。
人を好きになりました、とふんぞり返る人を何人も見てきた。流行っているから、とかで他人をだしにしているだけの人も居る。
そうでない人とどちらが悪いとかそういうのじゃない。
──けれど、前者はあまりにも無自覚に人を傷付けると思う。
「さっきから、聞いてれば、なんて身勝手なの。
自分を好きになるかなんか、関係ないでしょう!
何様のつもり!?」
今までこうやって、戦ってきた自分を、誇りに思ってる……少なくとも私はそう。
「そんなもんにね、理屈はないの!
ただスキダが世界にあるから、それだけ、でしょうが!!
だから、苦しんできたの!
あれがあって、みんな牙を向くからなの!
自分の中に原因を求める範囲を越えてるのよ、あんなの。
今まで観察してきたくせに、そんな基本的なこともわからないの!? みんなみたいに、性格を直せば変わるようなものじゃないの!」
彼はニヤリと笑った。
「そうだったそうだった。失礼。だが──スキダなど、キムの手を前にすれば、無いも同然だ。
楽にしてやる。
もう、苦しむな。捕らわれるな。
全ては、無常なのだから」
彼が、私の前に、手をかざす。
ふわ、と身体の中心で風が巻き起こった。
キムの手は、私のスキダを奪えなかった。
「何故、だ……」
伸ばされたキムの手にそっと触れる。
「私は──『これ』と同じだからよ。存在したくて、スキダが憎くて──その呪いの中にいるから。こんなもの、怖くない」
深い悲しみが伝わってくる。
生まれたかった、存在したかった。いくら他人から奪っても足りない。
椅子さんが、すぐ脇から出てきてキムの手に触手を伸ばす。彼を身動き出来ないようにしながら、キムの手の塗装を溶かし、剥がしていく。
やがて、黄金の輝きのあった義手はただの義手になっていた。椅子さんは、満足そうに、ガタッと呟いた。
──あの子の血を塗って作られているかもしれない。
あとで欠片を精製しよう。
私は義手の男の前に、踏み出す。
「もう終わりにしましょう」
12/2113:30
ハ、ハ、ハ……
と短い呼吸のゆうな、くしゃみのような声が空港に響く。
入り口付近の広いロビーとは言え、人気があるのに今更のように気が付く。
ハアアアアアーーーーーン!!
うちひしがれる男の絶叫が響き渡った。
ハアーーーーーン!!
ハアアアアアーーーーー!!
ハアアアアアーーーーーン!
取り乱し、頭を抱える。
グラタンさんはそっと彼の影から自らの手を挙手のように掲げた。
キムの手に縛られなくなったスキダが彼女の頭上に戻っていくと、彼女の目にはっきりと活力が灯る。
グラタンさんが男から離れても彼の関心は既にそこにないらしかった。
「──本家が! 本家が悪いんだ!
あの木があれば、スキダの視認も、暴走も、怪物もなくなる! 全てが浄化される! なのに本家が、独り占めしたからだ!
壁を作り、触れなくした!
本家は俺を受け入れなかった! ずっと遣えて来たのに、邪険に扱った!
あの言い伝えの宝だって俺が研究したのに!
どうせ、また、俺を笑っている! なぜ、俺じゃいけないんだ」
「だから──」
しばらく遠巻きに見ていたアサヒが、彼になにか言おうと近付いて来たとき、警備の人が集まってくるのを感じ、私たちはあわててその場を去った。
嫁品評会は前々からあらゆる組織に目をつけられていたらしい。
取引を確認した捜査本部はいよいよ事業の差し止めを行うべく動いた。
学会の工作によって事態がなかなか上層部に上がって来なかったのも対処が遅れた原因のひとつだ。田中や岡崎らが居なくなってから、次々と不正や問題が露になった
そして今回、逮捕された田中が供述した中に、隔離政策によって秘密の宝石の純度を高めるためと聞いている、というのがあったのも大きかった。
近日中に取引が行われると踏んで、クラスターに紛れ込み監視したり、通話記録などをとっていたのだ。
彼らはやがて、義手の男がどこかに出掛けた後──
城の中で金の入った袋を貰うのを待機していた幹部たちを、突撃し確保した。
しばらく走って警備をまいたあと、待機しやすい場所のベンチに腰をおろした。みんな、忙しいからか、こちらに視線を向けることはほとんど無い。
──まだ、グラタンさんをどうしたらいいかわからないでいる。
飛行機を待つ? 日付を変えて貰う? だけど……どうしよう。
私たちが迷っていたときだ。
いきなりだった。あちこちのモニターに、グラタンさんの顔が映る。
「もう、取引は嫌……」
グラタンさんが顔を両手で覆うのを女の子が、違うみたいだよと声をかけた。
モニターに映っていたのは、「拉致被害者の情報を提供してください」だった。
「取引所、オンリーの館などが差し押さえられました」
画面に、速報が映っている。
オンリーの館が撮されていた。
薄暗いカーテンに幾重にも覆われた入り口。変な坪や等身大の人形などの置物が入り口にずらりと並べられている。
「いらっしゃい」
小太りの蝦蟇のような男が、顔をテカテカさせながら、撮影者を迎え入れていた。
「いい石が入ってるよ……買うかい」
違法な取引が行われている、オンリーの館……行くかもしれなかったところ。でもどのみち、便宜をはかれるような大金は持っていない。
入り口前の、坪の上で蛙が跳ねた。
片足を上げ、まるで挨拶するみたい。
「よぉ、アサヒ! 元気にしてるかい」
聞こえたその声に、アサヒが吹き出す。
「──まだいたのかよ」
◆◇◆◇◆◇
昔、本家に遣えて44街の政治を本家の次に纏めていた役職があったんだが……
男はそこに居て、そして勤務態度などから辞めさせられた。と、本家は言うが実際に何があったかまでは、わからない。
その後にも、名誉ある役職に居るとあちこちに言っては自尊心を保っていたらしい。
彼だある日、発狂して暗殺の為に本家に忍び込んだ。
、そのとき書き記した職名と自分が居るという一言によって、取り押さえられたのだが──
わざわざそれを記すほどに、恨みが深く、理不尽に受け止めていたのだろう。
やがて本家が関わる風習全てを憎むようになり、歴史書を読み漁った。
本家の風習、しきたり、大事なもの、全てを壊すことを望んだ。大樹も、その一つだ。
自分が関わることの出来ない文化、自分が触れることの出来ない風習。44街の象徴としての、本家の神聖視。
彼を蹴落とした本家が神聖視されるのだから、彼には神などいないも同然だった。
当時は44街を覆うほどだったあのシンボルが、どこに居ても目につくのだから、
憎かったことは想像に難くない。
その後の彼は北国に逃げ込み、密売を通じて資産を蓄え、闇の組織を設立するようにまでなった。
学会が話を持ち掛けてきたとき、彼はそれを利用して、44街の情報を売り買いする契約を結んだ。
神聖とは、邪悪と表裏一体のもの。大抵、その下に何か封じていたのだろう。
彼が少しずつ情報を売り渡し、44街の転覆を目論む頃には、少しずつ、スキダが現れ始めていたという。
伐採後も、彼は――彼らは目を付けていたんだ。
「会長の言う『昔話』は、もともと の血筋だ」
けれどいつからか、それを祟りなんて言い方をして、悪魔が居るという表現に塗り替えて、広めるようになった。
何回か沈静化されていたけれど、10年前、再び活発になったらしい。
◆◇◆◇◆◇
あれから、私たちは北国を出て、44街に戻った。
少ししか滞在しなかったのにずいぶん懐かしい気がする。
着いてみると辺りはすっかり夜中で、慣れ親しんだ景色が広がっている。
ちなみにグラタンさんはあれからいろいろあって、地元の警察に保護されている。
そこから44街に連絡が行き、身分を保証するための手続きをして明日には44街に戻ってくるらしい。
「なにはともあれ、みんな元気そうで良かった」
ささやかなお土産と、北国での思い出。短い時間だったけれど悲しいことも楽しいこともあったな。
――帰り道、アサヒから、カグヤの家をたずねないかと言われて付いていった。
もうすっかり寝る支度をしていたおじいさんを起こし(ごめんなさい)、本家のことを聞いた。
あの義手の男が、結局何をしたかったのかわからないままだったから。
「本家のこと、教えて欲しいんです」
アサヒがこれまでの経緯とともに、そう単刀直入に言い、おじいさんは眠そうだったけど、丁寧に教えてくれた。
44街に神様が居る影響で、スキダが生まれているというのは以前も聞いたことがある。
その神様と居られるということは、やがて44街の支配者という意味を成すようになった。
本家というのは、そういった血筋を絶やさず国を保護するためにかつて存在した城――陰陽師的なやつらしい。
「物や、紙に、魂を呼び寄せる――そういうものを、昔は術として占いやら祓いものをする組織があったんだ。
そこの本家は、今はもう、どうなっているかわからんのだが、そこの子はね――小さいころから、そういった才に恵まれたというよ。
主様が、家具や骨董を好んで居て、そこの御用達が、魂の宿りやすい家具を献上していた。此処もそうだった」
それから、おじいさんは、本家に遣えていた男の話をした。彼は裏切りを覚えて、そして自己流でスキダを祓おうとしていた。
「もしかしたら、そいつは、彼なのかもしれない」
彼は、神罰で手の感覚を失ったと言っていた。
椅子さんによると、大樹だったころ、大地に根付いて汚染を食い止めていたという。
スキダの怪物化がひどくなったのも関係があるのかもしれない。
「キムの手が……見つかってから、おかしくなっていったのかな。ばあさんが死んだのも、だとすれば、そのせいかもしれん」
「キムの手って……あの義手ですよね」
スキダを問答無用で引き出す、古代の遺物。だった、はずだ。
だけど、私には効かなかった。だって私のスキダは、椅子さんと同化している。
おじいさんは怪訝そうな顔になった。
「義手? いいや、人の手だよ」
「え……」
「わしも見たことはないが、義手ではないはずだ。手、という意味の刀という話もあったように思うが……」
どういう事なんだろう。
「キムの手が、義手と思われているのは謎だが、恋愛総合化学会がそこから賑わったのはその通りだよ」
かつて、恋愛性ショックと似たようなことが各地であった。
そのとき街は、恋愛を悪魔にとりつかれたとしてリア充を撲滅することを掲げたが、やがて、少子化問題へ発展する。
人口が激減した人類は滅びの一途を辿ろうとしていた……
再び街は政策に乗り出した。
メディアは、恋愛を肯定的に捉える映像を中心的に流し、書店に並ぶものもまた恋愛ものの棚を大きくして人々の流行を煽った。
街全体が恋愛は素晴らしいものだ、という空気を作り上げ、信者を増やしていった……
やがていつしかその戦略は実を結んだ。
今や誰もが、見えもしない、あるかさえわかっていない、恋愛感情なんていう怪物を盲信している──
そして、それを行うために動いたのが、その当時の恋愛総合化学会。
鶏か卵かという話になるけれど、純度が高いスキダを持っている人はそれだけスキダの影響を受けやすく、恋愛性ショックも大きかった。
そのため、彼女たちが、欲望にまみれた恋愛感情にパニックを起こして病院に運び込まれることが、悪魔がついたということにもなっていたらしい。そのときは、リア充撲滅運動が盛んにおこなわれた。
「恋愛総合化学会は、当時は、救いの手だったよ。けれど、あんなふうな私物化はいかん。あそこは、いつしか肥えた化け物になってしまった。ああなったらおしまいだ」
そのあと、部屋に居たカグヤと、北国であった話をした。
「そうなの。一緒に行こうと思ってたのにー」
カグヤは不満げな声を上げはしたが、グラタンさんが戻ってくるのを聞いて喜んだ。
「でも、良かったね、やっと、ママと過ごせるね」
女の子は、うん! と嬉しそうに頷く。お土産にチョコレートを渡した。
「家……建て替え費用は、もしかしたら、44街が出してくれるかもしれないんだって」
「そっか……家が建ったら、そっちで暮らすんだよね」
私が言うと、彼女は少し寂し気にはにかんだ。
「うん。でも、遊びに行くからね」
「待ってるよ」
あの日。
がれきの下で、彼女を見つけたあのときから、私の物語が始まった。
「アサヒは……」
カグヤがアサヒの方を見る。ニヤーっとしている、
「なんだよ?」
アサヒがやや苛立たし気にカグヤを見た。
「いや。アサヒは、これからどうするのかなって思って。自宅もあるでしょ?」
「さぁな、観察屋を辞めたんだ。このままだらだらしてても身体がなまるし、何か新しいことを始めるよ」
次の日の朝。
帰宅して寝ていたら、インターホンがめちゃくちゃ連打され、部屋から叩き起こされた。
そーっと玄関に向かい、3重になっているロックを外して、鏡で髪型を整えて――
「はぁーい」
ドアを開ける。
ぎょっとした。外で44街民の皆様、が、家を取り囲んでいた。
こんなに家の近くに人が居るのを、スライムのとき以外見たことが無い。
っていうか、この家ばれてる? 怖い怖い!!! なにが始まるというのだろうか。
「どうした?」
寝ぼけたままのアサヒも、私の後ろから、ドアの向こうを伺う。
「げっ、なんだあれ」
「わかんない……なんだろう、怖いよー出たくないよー」
石が、放られる。
「ひっ」
悪魔への直接攻撃!?
「学会が逮捕されたら、どうやって生きて行けばいいの?」
「あなたのせいだ」
「どうして、学会を逮捕させたんだ」
「学校で怪物が出た。学会のときは、あの宝石があったのにもう使えない」
「いつ襲われるかわからない。感情なんか止めようがないのに」
ずいーっと近寄ってくる皆さんが口々に不満を口にする。
「……えっと」
怖い。っていうか、ドア閉めたい。
なにこれ。でも、私のせいなのか。
だけど、やっぱり、あれを取引させるわけにはいかない。
「あれは、44街に住む人の身体から作ったものだ」
前へ出ようとしたとき、私ではない声がした。
「みんなは見て見ぬふりをしているが、この石もそう」
アサヒが、人々の前に立って石を掲げる。
美しい、真っ赤な石だった。
「大事な彼女だった。けど……もう居ない。
怪物の囮にするために、皆が助かるために……あんたたちが使っているのは、他人の命だ。ラブレターテロだってそう。あれも、選別するためにわざと起こしてる」
民衆がざわつく。ただの石としか聞かされていないのか、それとも、珍しいものを持っているからなのかはわからないけれど、驚いていた。
「こいつもそうだ。他の誰かだって。純度の高いスキダを持つものを選別して、44街が、搾取する書類を通そうとしていた。
それが、田中が逮捕された理由。俺は……もう、そんなの見たくない。怪物が恐ろしいのは、わかる。けれど、誰だって助かりたい。
『こんなもの』にされて永遠に他人に回されるなんて、あっていいはずが無いだろ……! どうなんだ」
シン……と、空気が鎮まる。
私も、はっと思い出して、前へ出た。
「あのぉ、学校で怪物が出たさん」
「それは名前じゃないけどね! 何!」
おばさんがやや怒り気味に私の前に出てくる。
「えっと……後で、家、じゃなくても良いんですけど、お伺いしてもよろしいですか」
なに? とやけにとげとげしいおばさんに私は、後はないかなと思い、「ちょっと待ってください!」と部屋に駆け込んだ。
ポケットに入れていた人形さんの、わずかな縫い目から少々つめものをもらい、その辺に散らばっていた布でくるむと、なるべく急いで縫い付けて……最後に、目を描いた。
「どれだけ、効果があるのか、無いのか、わからないけど……」
慌てて玄関に戻ってくると、彼女たちはまだそこに居たので、はいっ、と手渡した。
「これが身代わりになってくれるかもしれません。宝石より綺麗じゃないけど……でも、あれは、大事なものだったんです。怪物が引き寄せられるのは、自分の居場所が欲しいからで――それは石が好きだからということではない……というか……」
彼女は疑い深い目で私を睨んできたが、命を使っているというのが効いているのか、それとも人の好意を無下にしづらいからか、しぶしぶといった感じでそれを受け取った。捨てられたら回収してまた使う気だったのでちょっとびっくり。
「怪物が居なくならなかったら、文句言いに来るから!」
そんな捨て台詞とともに彼女は去っていき、他の人もそのうち居なくなっていった。
台所に向かい、その付近の壁にそっと触れる。まだ大部分は破壊されたままのそこは、以前のもの悲しさを残している。
「……ただいま」
掠れたお札?が貼られているらしい一角に、話しかける。彼女はまっすぐに前を向いていた。そして、優しく、壁を撫でる。
「居るよね、そこに───」
壁は、何も答えない。
私はまだ、悲しむことが出来る。まだ、傷付くことが出来る。そして、戦うこともできる。
ぐにゃぐにゃと腕が伸びて、人型が姿を表す。
《ウゥ…………ウゥ……カラダ……》
「北国、行ってきたけど、ごめんなさい。肉体は、もう、残ってない、と思う」
椅子さんが、私の足に絡みつく。なにかあったら庇うようなしぐさだった。
《ソウカ…………スマナイ》
キムが述べたのは、なぜかそんな言葉だった。もっと、怒られると思っていたのに。
「あなたが、どれだけ此処に住んでいるのか、わからないけど……」
私は人形さんのときのように、紙袋から出した『それ』を胸に抱きしめて祈った。
「だけどね、もう、とらわれないで」
丁寧に、何度も唱えた。
「あなたの身体になりますように。あなたが、透明じゃなくなりますように。あなたの身体は此処にある。私の体温が、伝わりますか?
これが、あなたが透明じゃなくなるということ、あなたが生まれること、あなたが祝福されます。壁から出られるはず。あなたの身体は、こっちにあります」
此処に、来て
椅子さんが、触手を伸ばす。
紙袋から出していたのは、背中に羽が生えたかわいらしい女の子の人形。白い髪と、綺麗な目をしている。
やがて、人形が、ゴトッと音を立てて揺れたあと、壁の中は静かになった。
……。
反応がわからないけど、気に入ってくれたらいいな。
何日か、気が済んだら此処から出ていくのだろう。なんとなく、そんな気がした。
そして、それから数日後、キムは旅立った。
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