第10話 出発!
その頃、闇商人の一人、サイコは今日も商売に精を出していた。
「寝る前まで端末を触っている。
5分以内に寝れる
朝目覚めるのが辛い。
仕事や家事がはかどらない。
ソファでうたた寝してしまう。
平日より休日の睡眠時間が長い。
休日明けからしんどい。
そんなあなたに、良いものがあるんですけど、それが、この枕! スーパースリープです!
シンプルな見た目と裏腹に複雑な構造設計をしています」
秘密の宝石、はただ売るだけではなかなか手に取ってもらえない。そのためあらゆる商品を開発し、少しでも組み込んで、社会に浸透させておく必要があった。
「この、ふんわり層が一週間かけて、あなたの頭に馴染んでいき、あなただけの枕になりますよ!」
文字通りの枕仕事だ。あちこちの街、繁華街を回りながら、今は枕を売りつけて日銭を稼いでいる。
実際はただの枕にすぎないのだけれど、それでもそれらしい単語を並べるといかにも良さそうに見える。それが、こういう商売の基本だ。
「この素材、硬そうでしょ? 違うんですよー。程よく柔らかく、反発がある。また、真ん中が一番柔らかくて、左右に行くほど弾力が高まる設計にしているので、どんな寝方にもフィット!」
「反発があると、寝返りしづらそう……」
「横に行くほど変わったらむしろ目が覚めるよね」
「そうそう、それ! 変な弾力とか要らない。やっぱね、座布団が一番ですわ」
街中で、枕を抱えた台車を引きずるサイコの横を、奥様達がひそひそ話しながら通り過ぎる。
ひゅううううう。と冷たい風が吹く。
サイコの心は凍えそうだ。
「えー、仰向け、横向き、うつ伏せなどどのような寝方にもフィットします。本当です。グラデーション構造で寝返りもサポート。また、
1つの枕で2つの高さが選べるんですよ! 日々異なる体調・気分に合わせて、お好きな高さを選択できます」
「そんな、気分で変わる?」
「さぁ……変えたこと、ないなぁ」
「枕変わると寝れないよねー」
ひゅううううう。と冷たい北風が吹く。
サイコの心は凍えそうだ。
誰にも真似できない、
唯一の技術で
1個1個丁寧に
作られています。
有数の軟水が
湧き出る水の中で
生み出される
独特の製法です。
考えていた言葉が、はらりはらりと剥がれ落ちてゆく。水の中で作ったらなんだっていうんだよ、とかそういうのを言われるに違いなかった。
ならば、と台車からごそごそと、なにやらフリップを持ってきてグラフを並べる。
「圧倒的な通気性がありますよ。ほ、他素材と比較しても頭部の温度が低いことが一目瞭然。
他素材と比較して圧倒的に放熱量が高いので、このスーパースリープピローとウレタン素材を比較すると、スーパースリープピローのほうが長時間経っても高い放熱量を維持しています。反面、ウレタン素材は放熱量が時間とともに低下しており、熱がこもってしまっていることがわかります。
90%以上空気でできているから、空気がこもらず頭部の湿度もあがらない
またこのピローは、長時間使っても枕の湿度が上昇せずに下降していってます。頭部の蒸れを防ぎ、深部体温の低下を促しますよっ」
…………。
無反応。奥様方が通り過ぎていく。
難しいなぁ。
「どんな寝方でも?」
よぼよぼしたおじいさんが食いついた。
「お? 興味ありますか? そー---なんです! この素材! どんな寝方にも合わせた柔らかさと反発を持っています。またほとんど空気ですからね」
「そうか……そうか……ワシ、頭に枕乗せて寝るんじゃけど、ほとんど空気で出来ているのなら、重くなさそうじゃな」
なんで枕を頭に乗せるんだよぉぉぉっ!!なんだよこの変態じじいぃぃ!!! という気持ちを堪えて、サイコははははと苦笑いした。
「お手入れも簡単! すこしへたったと感じたら、形状記憶しているため40度~50度の集めのお湯で洗うとふっくら膨らみを戻します。
5cm~10cm枕本体から離れてドライヤーをあてると復元いたします。
それに素材と比較して圧倒的にダニカビの発生率が低いのがわかります。ハウスダスト、アレルギーの方、お子様と一緒に寝ている方にもおススメ! リサイクルも可能で、地球にも優しい! もう、これは買うしかない!」
そうじゃのぉ……
おじいさんが腕を組んで考える。
さぁ!買うのか? 買えっ……! サイコは必死に祈った。
『パスポート』
昼。
「うーん……」
少しずつ曖昧秋に変わりつつある街。
写真に収めたいくらい透き通った青空。
朝ご飯を食べたあとはパスポートの書類を集めるために出かけた。
アサヒが頭を押さえながら唸っている横を歩く。
「写真も撮れたし! 椅子さんとの書類で本人確認もできたし! 割引適用だし! うふふふ!」
ホクホクという感じだ。
「なにそんなに唸っているの?」
女の子がアサヒに聞いた。
「いや……なんつーか……奇妙な夢を見たような……あれ? あれは、俺だよな……俺なのかなぁ……うーん」
「ふうん、そうなんだね」
女の子が曖昧な反応をする。この子結構精神的に大人だよね。
「おねえちゃん、嬉しそう」
アサヒに構うのをやめて、彼女は私を見上げた。
「まぁね」
私はくすっと笑いを零す。
椅子さんが、私を求めている。アサヒに嫉妬していた。椅子さんと婚前旅行。あぁ、椅子さん、可愛いなぁ。
そのためとはいえ、これからのあらゆる書類がずいぶん快適になった。私が、44街そのものに保証されたら、いろんなことが出来るようになる。素晴らしい。
まさか、せつが私に成り代わるためとかのために、? さらには田中さんや、学会の会長が手回しをしていて、
そんな基本的人権までなくなっていたとは、思いもつかなかった!
ラッキーだなぁ。
アサヒの、押し殺したような震えた声が、また脳裏に過る。
――当たり前の制度なんだよ、そんなのは……っ……
なんで、そんなにつらそうにするのだろう。私よりも、悲しそうにしていた。
外では、ラブレターテロのことが、あちこちで報道されている。
私も昔、ラブレターテロに合ったことがある。幸運だったのか、なんとか、追い回されても逃げきれたけれど、意識不明や怪我人も居た。
本当に、学会があのテロに関わっていたんだ、と他人事のような、どこか浮ついた感覚で報道を眺める。
誰かが病院に搬送された。私たちの頃と違って『青春』なんて片付けられ方をしていなければいいが。
「これから、みんなが当たり前に受け取れる幸せが、私にも、ふえていくのかな」
書類が、すんなり通ったことに、ものすごく驚かされた。
私が、私として、笑われることもなく、淡々と受付を通った。
夢みたいだ。
人を好きになることがそんなに、えらいのか、そう思うことが多かった。いつも邪魔をしてくるのは、誰かの嫌味のような好意だった。
そんなもの、どうでもよかったのに。きっと、本当は、当然の権利が欲しかった。私はそれさえ持っていないのに、見下したように、近づいてくる。それを『青春』なんて呼ぶ文化は、やっぱり良くない。
「そうだと、いいね」
女の子が私の手を握る。
「病院の外、なんだか、久しぶりでうれしい」
「……うん。外って、きらきらしてるよね、なんだか」
アサヒはさっきから、なにか考え込んだままだ。もしかしたら、昔のことを思い出したのかもしれない。
「あと、受領証と、手数料……か」
私は、言われたことを思い出しながら確認する。そういえば、申請すればすぐにってわけには行かないんだよね。一週間くらいして、また取りにいくみたい。すぐ出発だという勢いだったのになんか拍子抜けした。
しばらく無表情だったアサヒがふいに、こっちを見た。
「焦っても仕方がないだろ。ちなみに、かつてのラブレターテロ自体も、何日かにわたって行われたからな」
「えっ、そうなんだ。自分の居た近辺のことしか知らなかった」
「他の学校とか、数日遅れもあったんだ。さすがに、少数精鋭というか、同時多発とはいかなかったようだ。少しずつ取引の詳細が決まってくるだろう。田中以外のメンバー逮捕と、どちらが早いか……」
って、そうだ。そうだ。
なんか、すぐ出かける気がしていたけど、今考えてみると、パスポートがないと海外に行けないってことは、1週間待つってことじゃないか。
「もー! あんなに慌てて荷物纏めてたら、すぐ出かけるみたいに思っちゃうよ!!」
私の抗議にアサヒは至って真面目に答える。
「まぁまぁ。こういうのは早いうちに決めておく方が良いんだって。直前に荷物準備なんかしてると、大体忘れ物したりしても確認する時間がないんだ。旅行用のキャリーバッグとか、普段使わないから見慣れておいた方が心の準備も出来るしな。なにかあったときすぐに動ける」
「ぐぬぬぬ……」
まぁ別に、ちょっとびっくりしただけで、早めの準備にそんな不都合はないんだけれど。
すぐ横を歩いている椅子さんが、私の腰に触手を伸ばしてくる。
「ふふふ。椅子さん、楽しみだねぇ……」
「最近、気のせいか、たまに椅子の視線を感じるんだが」
アサヒが小声で何か言った。
「仲良くしてね」
とりあえず、私はそれだけ答えた。関係をどうしていくのが良いのかずっと考えたけれど、考えるだけじゃわからない。
今はただ、少しずつ手探りで始めてみようと思う。私の人権も始まったのだから。
「お昼ご飯、何食べる?」
女の子がはしゃいだ声で聞いてきて、そうだなぁ、と辺りを見渡す。
「じゃあ、うどんにしようかなー」
近くにうどんの暖簾が見えたので、そちらを指した。以前から賑わっているうどん屋さん。あまり買い出し以外で街に降りなかったし、入ったことは無いけど……
「ほら、あの女神ちゃん様人形可愛いし」
店の横には「美味しいよ!」というセリフとともに立っている女性のキャラクターの人形があった。いろんな女神さまが居るなぁ。
「そこかよ」
「…………」
本当は元気にしていないと、余計なことを想ってしまいそうになる。
私は、椅子さんのことが好きだった。
椅子さんの椅子さんなところが好きで――それは、魂と同じなのか、違うのか。
なんだか、わからなくなりそうになる。人の形をしてしまったら、それは、椅子と呼べないのではないか。
けど、椅子さんのことが好き。頭が、こんがらがる。
でも、椅子さんは、近頃、あんなふうに、まるで、人間の男の人みたいに……
(椅子さんは、人間になりたいの? 私の想いは、勝手で、間違っている?)
わからない。椅子さんが、どう思っているのか。
立ち止まる。
アサヒたちの楽しそうな声がそばをすり抜けていく。
(椅子さんが、もし、嫉妬で、それこそ、怪物になろうと、思ったら、私――また、大切なものを、亡くすのかもしれない)
声がして、顔を上げる。そこに居たのは、椅子さんだった。
「椅子さん……」
「ガタッ?」
「…………ううん。なんでもない。ときどき、夢を見るの。それだけ」
「ゴトッ」
椅子さんが私を気遣うことを言う。
――何か、悩んでいるの?
「……あの、ね、ときどき、椅子さんが、怪物になったら、どうしようって、今も……そんなわけ、ないのに……」
「ガタタッ」
椅子さんが、足を上げて、私に見せた。この前買った靴下を履いていた。
――私は、椅子だ。怖かったら、枷を付ければいい。
きみが履かせた靴下も、この身体で自力で脱ぐのはすごく大変だ。
「椅子さん……もしかして、靴下、脱げないから履いてたの?」
――いや、これは、暖かいから。そうじゃ、なくて
椅子さんは少し慌てた。
――そうじゃ、なくて。信じて、欲しい。
ぽつりと零された言葉が、心を溶かしていく。
「うん」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人を好きになるかならないかは、個人の自由のはずです。
それを、あんな形で拡散するのは、いかがなものでしょうか。
倫理違反という見方も出来ると思いますけれど。
ですが……椅子ですよ? 私、見た瞬間に笑ってしまいました。
同性愛者だって、ひと昔前まではギャグのひとつでした。そういったものを、オチとして、使っていて、笑う人が確かに居たんです。
私は結構ああいうオチは好きだったんですけどね。今頃じゃあ笑いにくくなりましたよ。傷つく人が居る? そんなのなんだってそうです。
今はまだ、セーフなんです、セーフ!!!
恋愛を、みんなに強制、推進するんですから、
これがトラウマになって余計に嫌になる人も大勢いるかと。
だったら、なんだというのですか? そんなのキリがないですよ。
私って……何が、好きなのかな。
……ううん、そういう、ことじゃないの。
でも、あなたは、どこにもいないんじゃないかって。
私は、どこにも、いないんじゃないかって。
考えることがあるの。
みんな、目が覚めたら、本当はどこにも、居ないのかもしれない。
私は、あなたの、何を、覚えているのかな。
わたしは、ねぇ、わたしは、あなたの、どこに、居るの?
私は、目が覚めると、いつも、あの湿った部屋の、暗い血溜りに立っていて――
そして、誰も居ない。
そこではいつも、牛乳と生ごみを混ぜて焼いたような、あの。『人間』の、においがする。死んだサンゴが、散らばってる。
詩人が、死は鉄のにおいがするなんて言ったけど、嘘よ。
生ごみみたいなにおい。
乾いた風に混ざって。漂ってくるの。だからもう一度、目を、閉じて、もう一度、起きる。
私は、あなたの、どこに、居るの?
死んだサンゴは、私の、心の中に、いつも、居る。
『こい』
「君の両親のことは、残念だったが……」
葬儀、片付け、それらは、ぼーっとしているうちに、過ぎていった。
私は、小さくて、葉っぱで水に浸したお米を、ぐるぐるしたこと以外、何も覚えていない。
真っ黒い、スーツの人が、ある日家を訪ねてきた。
玄関についている呼び鈴を何度も鳴らし、ずかずかと踏み込んできた。
彼は名乗らなかった。
「だが、安心したまえ。生活は、何も、変わらないよ。今のところは、君のご両親の遺産を預かっているし、44街から特別保護という形にさせて貰っている」
「私、もうじき、大人になるよ。そしたら、此処を出て、遠くに行くの。そしたら、44街は、保護してくれないんでしょう。そのとき、私……」
「それは、する必要があるのかい?」
「それは、そうよ! 私だって、いろんな世界を見てみたい」
本当は、ずっと、家に居たら、死のにおいを纏い続けないといけない。
思い出し続けないといけない。だから、外に出たかった。
今から思えば、あの44街が、私を特別保護だなんて、おかしいとは思っていた。でも、何がどう、おかしいのかはわからなかった。
「外に出るってのはね、今じゃどこでも保証人が必要なんだ。君の身柄を引き受けてくれる人が必要なんだ、家だって、仕事だって、旅行だって。でも44街は、そこまではしない。少し費用を出すのが、精一杯だ」
「保証人? 他人に、頼れってこと? この家は、ずっと、接触禁止令が出されているんでしょ? 母さんが言ってたわ。そもそも、なんなの、それは! どうして、みんな、この家を避けているの? 44街が出した御触れのせいなら、それを解除してよ」
まるで、実体のない、影みたいだ。
ふわふわと、他人が居るのか居ないのかわからないまま、お金の封筒だけが、渡される。
行動するとただ、無機質に数字だけが増えるゲームの家みたいだ。44街は、校区内の子どもは学費が一律無料だから、学校には通える。
ただ、じきに学校を卒業したら、本当に、誰とも話す機会がなくなってしまうだろう。
「それは、出来ないんだ。決まりだからね。僕の権限では無理だ。せめて君が不自由しないようにはする」
呼吸をして、食べて、寝て、当たり前の自由がある。しばらくの間は飢えずに屋根の下で暮らせる。
それなのに、なんで、こんなに悲しいのだろう。こんなにも、不自由だと思うのだろう。
しばらくは不自由しないようにするということは、いつそれが無くなるかもわからないまま、ただ、遠くにはどこにも行けないということ。
いつの間にか居なくなった両親も、そこまで稼ぎがあったようには見えない。遺産なんか、たかが知れているもの、数年あるかないかだろう。
「接触禁止令が無かったとして、君は、この家がどうして、隔離されているか知っている?」
「え……」
死ぬ間際の母が、悪魔だからどうのと話していたのを思い出す。
でも、なんだか口にするのは憚られた。
「君は、その人も、巻き込んで、その辛い目を負わせてしまう。
悪魔にはそれだけの代償が必要なんだよ。だから、
普通は、出来ない事だ。それが君が外に出るという事。だけど44街に居さえすれば、何も問題が起きない。わかるかい?」
わからない。どうして、こんなに、不自由だと思うのだろう。
一人で、心細いから?
ううん。一人じゃない。
だけど……
「あなたも、そうなの?」
みんな、こそこそと、遠巻きに、腫れ物にさわるみたいにする。
私が何かしに行くと、必ずそばに代理の人が居る。
受付に物を頼むと、代理の人が代わりに話しかけに行く。
私は、どこにいるのだろう。
私の、役目は、どこにあるのだろう。
ふわっと、身体の中心で風が巻き起こった。
一瞬、自分の周りを駆け巡ったそれを自覚したとき、目の前の黒い人は頭を抱えて立ち眩みのようになる。
「あぁ……此処に……長居は出来ないみたいだ。失礼させてもらう」
よろけながら、ドアを掴むと、彼は一目散に外に逃げ出した。
坂道を駆け下りながら、彼の頭上に浮いたスキダがぐにゃぐにゃと肥大化し、そして、いびつに歪んでいく。
彼はやがて雄たけびのような奇声を上げた。
「ああああああああああああああー------------------------------!!!!!!!!!!!!
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
突然のことで、私はその場を動けない。
いきなりあんな変貌を遂げるなんて、通常、あり得るだろうか。
「ぁ……悪魔……わたし、が……?」
震えて、思わず顔を手で覆う。
さっき、微かに巻き起こった風……私が、関係あるのだとしたら。
「あ……ぁ……」
わたし、は、やっぱり、化け物なんだ。
驚きと、恐怖で、うまく声が出てこない。悪魔だから。だから、孤独になれて強い子になれと、言われた。
「ぁぁああ……」
44街が隠しているのも、訳があるんだ。私は、居るだけで、誰かを傷つける。誰も、守ってくれない。身元なんて誰も保証するわけない。
それなら、ずっと、44街に居よう。
それなら――私は……
「何うどんにする?」
「やっぱり、キツネかな」
席がいっぱいだったのでレジの横の席に座って順番を待ちつつ、ラミネートされた紙のメニューを眺める。
アサヒたちが話し合う間、どこかぼーっとしていたらしい私を気遣い、椅子さんは触手で頭を撫でてくれた。
「ありがとう」
アサヒが、お前は何にする? と聞いてきて、私はまだ少しぼんやりしながらも微笑んだ。
「とろろがのってるやつがいい」
――しばらくして、入口近くの空いた席に通される。
アサヒは思いのほかよく食べるので、うどんのほかになぜかお好み焼きも頼んでいたようだ。(うどん屋にお好み焼きがおいてあるなんて)
料理が次々と届き、私は頼んだうどんに箸をつけた。外食なんて、ずいぶんと久しぶりだ。
「おいしいー!」
これは箸が止まらない。ずるずるとうどんをすする私に、アサヒが「良かった」と言った。
「何が?」
麺を一旦飲み込んで、私はそっちを見た。テーブルにマヨネーズがあったので、私の目の前に座るアサヒは、意気揚々と落書きしている。
『たこやき』と。(どういうことなの)
「いや、お前なんか沈んでたからさ」
「え……あぁ。ちょっと、いろいろあったのを思い出していただけ」
アサヒはお好み焼きを半分に箸で切り分けていく。たこやき、が分割されていく。
見ていたら、たこやきが描かれたお好み焼きを皿に分けてくれた。
「お好み焼き(たこやき)も、つらいことも、こうやって……半分だ」
「あ。ありがとう」
彼なりに励ましてくれたのだろうか。
うん……私は、もう、44街に縛られなくていい。
自分の意志で、前を向く。
「中身はシーフードかな」
「あっ、いいなー。私も食べたい」
たこやき(お好み焼き)は見事に小さく、小さく3分割されてしまった。
「でも、おなかすかない?」
「いや、ちょっと食べたかっただけだから。天ぷら追加する」
アサヒが食べる分が小さくなったと思っていたら即座に次に何を頼むか決め始める。
その間、椅子さんは、私のすぐ横で待機している。
足下に気配を感じて、椅子さんをチラっと見た。
(結局、椅子さんが人間の身体がいいのか、聞けなかった……)
やっぱり、どんな姿でも、椅子さんは椅子さんだよ。
私に戦う力をくれた。私に寄り添ってくれた。椅子さんと出会って、全てが始まったんだから。
物で良いじゃないと、励ましてくれた。
――この身体は良い。私にも馴染む
――私に見せつけているのか。良い度胸だ
(あぁぁぁー------もう!!! 混乱する…………!)
椅子さんの気持ちが、わかるようでわからない。
だけど、勝手に物静かな性格だと思っていたのは、普段、ガタッしか言わないからだ。これは認識を改める必要がある。
そう、ちょっと、びっくりしただけ。
(怪物にさせずに、会話が出来る人が居るのなら、それが何よりも大事なことで、私にも必要だ)
うどんの汁を飲みながら、深呼吸をする。
大丈夫、丈大夫。『あの昔話』だって、思えば、その片鱗を感じないでもなかった。
ずっと一緒に居ると約束されているのだから。
接触禁止令が出されている、こんな私に、ずっと。
(よくわかんないけど、頑張るぞ!)
「ギョウザさんかぁ……」
一人決意を固めていると、アサヒが呟いた。ぼんやりしていたから思わず肩が跳ねる。
「ん? なんだ?」
ちなみにアサヒはすっかり全部食べ終えている。早い……
「なんでもない。ギョウザさんがどうしたの」
「ギョウザさん、テレビ局のスポンサーとかしてるのって、観察屋の上司に居たギョウザさんなんだよ、俺をクビにした人」
「う、うん……」
「たぶん、あの爆撃のこととかも、知っていて、不都合な情報が出ないように統制してんだろうけどさ……戸籍屋とか関わってても不思議じゃないわけで」
「そ、それで?」
「いや……何となくなんだが……学会の関わる番組から、悪魔の子の情報を流し続ける立ち位置って、誰かに都合が良いと思って」
「せつ……」
アサヒは頷いた。
せつの背後で、ギョウザさんが、悪魔を利用している。情報を統制している。
「そう――クロと、観察屋と、ハクナ。あの家に、代々昔から悪魔と呼ばせて張り付いているということは、元をたどれば、ある程度歳がいっている奴が関わっている。『昔話』を知っている奴だと思う」
せつは学会に入る前は、もともとある小さなカルト宗教に居た子どもらしい。
「北とも関わりがあるような」
「どうして、北が、出てくるの?」
「人を選別して、秘密の宝石の形に変えて、取引している大元が、北国だ。そもそものきっかけが、そこに、恐らくあるんだろう。『昔話』を上書きしようとするような……」
「それじゃあ、ギョウザさんが、『昔話』を出さないために、悪魔の子の宣伝をしている、大元?」
「たぶん。勘だけどな。せつが、お前に成り代わるのに都合が悪い、持っていないものが、その力だ。
だからこそ必死になって神様は居ないとか悪魔の子だとか、変なホラー……『リカ』だっけ、とかを強引に流行らせようと躍起になっている。奴らが都合が悪い情報なんだろう」
ギョウザさんは、北にも現れるのだろうか。
せつは……
「北国は、愛着を持って『チョン』とも呼ばれているんだって」
ふと、女の子が、近くにあったパンフレットを机に広げて呟く。食べ終わったらしい。
緊張が、少しほぐれる。
パンフレットには綺麗な海、豊かな自然、海の幸、チョン鳥の唐揚げなどが紹介されている。
「チョン鳥って、美味しいのかなぁ」
サイコたちが北に居るってだけで、国自体のことはそこまで44街に知られていない。だけど、こんなふうにパンフレットはあるらしい。
「どうかな? お魚も、美味しそうー」
「もう食べ物の話かよ」
アサヒがやれやれと肩をすくめる。
「あなた! アーチでしょ!!!」
突如、知らないおばさんが私を指さした。
「え……」
アーチ……何かできいた気がしたけど何だったか。
店の中がわぁっと沸き立つ。
「カルト宗教の! あの悪魔の事件を起こした娘なんでしょ」
知らないおじさんが、睨みつけてくる。アサヒが小声で「せつのことだ」と言った。
ほとんど街に降りた事すらないのに、どうして私が間違われているんだろう……?
せっかく前向きになったところで、こんなふうに騒がれたくなかった。
「違います」
ふと、上を指さされる。頭上のテレビモニターに『アーチと呼ばれた少女』というタイトルでせつの生放送が映っている。
『みんなから迫害されてきました』
『教祖の娘というだけで、誤解を受けてきて』
首から上だけで、顔が映るわけじゃないけれど、どこか、声が変えられているみたいだった。
「そうだ、迫害っていうのもそっくりだ!」
客の数人が立ち上がり、私を取り囲む。知らないよ、そんなの。
「私、アーチじゃないです! せつ本人に、私が間違われてるって、連絡します……だから」
「いつもそういうふうに誤魔化すんだ!」
「声だって似ているし、髪型も……背格好も」
髪型なんて、変えようと思えばある程度は変えられる。顔を出していないだけなのに、こんなもので印象を操作出来て良いのか。
カルト宗教の娘に間違われると、こういうことになるのか。
「似ていません! 私、せつじゃないんです。アーチじゃありません」
「『あの放送』あれも、アーチだろ?」
誰かが投げたその質問に私は寒気がした。
『あの放送』で、せつの立場が揺らぐと都合が悪いから?
私だって、迫害されていた。居場所なんかなかった。せつだけじゃない。アーチだけがそうなわけじゃない。罠だ。
学会側は、悪あがきで急遽、こんな番組を流して印象をややこしくすることにしたんだ。
「せつ……!! 私はアーチじゃない!! なんで、違うって言わないのよー--!! 迫害されていたなら、それに間違われるのがどれだけ
大変かわかるでしょう!!?
やっと社会的に人権が戻ってきてるのに、こんなの、迷惑だよー---!!!」
わらわらと取り囲まれ、店から逃げ出しながら、私は嘆いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
──あぁ黄色い『インコ』ちゃん。
どうやって活用してあげましょう?
瓶に入れて持ち歩く?
アカシアのように帽子につける?
それもいいですね。
前の大戦によりあの大樹の1つが滅んだとき、木は残らなかった。けれど、私は信ているのです。
どこかに、あの木の欠片は存在すると。
そしてきっと形を変えて私のもとに現れるだろうと。
バサバサバサ、とそらに黄色いインコが舞う。
「うふふふ! そろそろ、始まるわね……」
誰かは、そう呟いた。
一週間経って、私たちのパスポートが無事発行された。
それから二日くらいした夜中、アサヒに揺り起こされ、眠い目をこすりながら起きて、外に出た。
まだ空が暗い中で私たちは空港に向かった。
田中さんの逮捕などがあったが、一応、旅行は決行されるようだった。といっても、これは学会の奉仕活動ではない。
オージャンによると、「学会の奉仕活動を待っていると、学会員に警察が潜入してくるだろうから重要な取引だけ先に行っておこう」という方針に変わったようで、その前日に関係者だけ夜中に、それぞれの便で、それぞれの経路で集まるという事だった。
そのあと、特に重要ではない取引を、奉仕活動と同時に行うことで、目をくらます。
取引を分けつつも、どの日にも行うことで情報を拡散するということらしい。
奉仕活動はまだ、あと4日後くらいのようだけど、私たちは重要な取引、の後を追うべく急遽、北国に向かう。
これはこれで、私たちがもし怪しまれても「えっ、取引? 知らないです、偶然ですねぇ!! 奉仕活動する友達も北国に行くんですよー」
みたいな感じでいける。(気がする)!
本当は一緒に行くかもしれなかったカグヤにも内緒にさせてもらった。オンリーの館に行くことや、細かいことについてはカグヤにはほとんど話していない。余計な心配をかけるわけには行かないし、あまり人が増えると目立ってしまう。
44街一番の大きな空港。あちこちがガラス張りで、窓は大きくて、下に、飛行機が見える。真っ暗な夜の空が見える。
飛行機には恋愛感情はないけれど、こうやって、暗がりで白い肌がライトアップされ、静かに点検されている姿を見ていると、かっこいいと思う人が居るのもわかった。
「うわー! 飛行機って大きいね! これが飛ぶんだね」
「そうだねぇ。あの扉、開いたりしまったりするの、なんかずっと見ちゃう」
女の子と、私は、二人で窓に張り付いた。
「あんまりはしゃぐなよー」
アサヒは、そんなの珍しくねぇよという感じにちょっと冷めてベンチに座っている。自販機で買ったコーヒーを飲んでいた。ブラック!
ところで……俳優や女優が、画面のなかでコップに口をつけるとき、キスシーンじゃんって、思うと思う。
私もその一人だ。だけどそれを、キスしてるなんて言う雰囲気はなくてみんなのなかに暗黙の了解の雰囲気が漂っている。コップは物だ。物に触るということは少なからず物からも思われているってことになる。それはわかった上で、あえて水分補給なんて言い訳して、好きとは言わない。言い訳をやめてちゃんとコップに気持ちを伝えずに、人間と付き合う人もいる。
私は少し胸の奥がざわざわした。
「ねぇねぇ、あれは、これから飛ぶの? それとも、戻ってきたやつ?」
まぁ、でも空港なんてほとんど行かないし、海外もほとんど行かないし、せっかくなら存分に見ておきたい。
窓の向こうで、飛行機が、地面を走っている。キラキラ、色んなところに灯りが見える。あの夜に見たスキダの光を思い出した。
「どうだったかな……」
アサヒは少しだけ、こちらを向いた。
「戻ってきたんじゃない? あっ、点検の人、手を振ったら振りかえしてくれたー!」
私がはしゃいでいると、アイドルかよ、とアサヒがあきれる。
確か、時間になったら、搭乗口?まで向かって……あれ、荷物検査があるんだっけ? 金属は持ち込めないはずだから……と、身体のあちこちを確認する。アサヒが、『俺の友達に、昔、ベルトの金具が引っかかって、ズボンを下ろされたやつが居るんだよ。恥をかきたくなかったら、ちゃんと確認するように』と嘘かほんとかわからないことを言っていたから、念入りに見なくては。
「ママ、見つけようね」
「うん」
女の子と私は、自分たちでボディチェックをしながら、改めて、着いてからのことを想う。
あと、旅行中はアサヒの傍を離れないということも覚えている。
さすがに失踪者を増やすわけにはいかない。きょろきょろ、と周りを見渡してみたけれど、今のところ、ごく普通だ。
変な人が、「あなた、アーチでしょ!」とかって、迫害の話を始めたりしたら、空の上じゃ逃げ場がなくて怖すぎるんだけど……今のところ、せつは見えない。
ようやく自分の迫害される立場、そして気持ちに折り合いがついてきたときに、せつが迫害の話を私の事情に寄せてくるのは悪魔だと罵られるのとはまた違った怖さがあった。私が戦ってきたことが、せつの宗教観になってしまって良いわけがなかった。
きっとあの様子だと、私がアーチじゃないと、『誤解を受けている私を』否定してもくれないんだろう。
その、『本人すら憤るような』誤解の危害を私に向けられたってなんの意味もないのに、私には、弱い立場に立っての同情をしてはくれないだろう。言ってくれないから、私が訴える以外ない。
(昨日の……なんだったんだ…)
「権力は一時的なもの。環境が変わると無くなるようなもの。とらわれるな」
え?
聞いたことのある声がして振り向くと、いつの間にかオージャンが立っていた。
「それを、あなたたちを見て、実感させられましたよ。」
彼はまっすぐアサヒに、声をかける。
「この前は情報をどうも。スキダの生態調査に役立ちそうです」
「あぁ……」
アサヒは缶を置き、ゆっくりと立ち上がった。オージャンもスキダの生態調査で北に向かうらしい。
「効く薬を作るためにも、まずは生態を知らないといけないですからね。現地で、スキダが宝石になるとどうなるのかだとか、調査したいと思っています」ではまた、向こうで、と彼はカウンターの方に向かっていく。
ボディチェックや、荷物検査を得て、飛行機に乗る。
一応、席の周りの乗客も確認した協力者、というらしい。
ちなみに今のところは、会長たちは見えていない。どこかに、居るのだろうか。既に乗り込んでいるのか。
いや、そもそも、もっと良いクラスの飛行機で行くのかも……
離陸のアナウンスがあるまでは大人しく座っていることになった。やがてすぐ後ろの席にオージャンとアサヒが座る。私と女の子はそのすぐ横の席。しばらく、外を眺めていると、どこかから聞こえる心地よいゴーという排気音とかで、どうしても眠くなってしまう。モニターに緊急時の脱出のための、空気を入れるベストの説明が流れている。
ね、ねむい……。私の意識は沈んでいった。
次に目を開けたとき、飛行機は離陸するというアナウンスがあった。意外と、離陸するまでに時間が経っているような感じがある。
もう飛んでいると思っていたけど、そのときはまだ空港だったので、ちょっとびっくりする。寝てたから?途中、女の子が声をかけてきた。
「何?」
「椅子さんは」
椅子さんを、椅子に座らせることは出来なかったが、どうにか、頭上の荷物置き場に押し込んだ(いいのだろうか)。
「上」と、小声で言う。
ペット枠じゃないし、でも生きているし、でも、椅子が椅子に座っていいかわからないし、そもそも椅子さんは……
考えれば考えるほど、訳が分からず、でも、パートナーだしな、ということで、思考が停止した。
しっかし、まぁ、婚前旅行ですよ! たとえ、降りた先でやるのが真面目な捜索だとしても、今だけはテンションがあがってしょうがなかったりする。
「飛行機が浮くと、耳がキーーンってなるから、気をつけろ」
アサヒが後ろからアドバイスをくれる。いや、わかんないんだけど。キーーーンってなんなの!?
そう思っていたら、急に周りの音が聞こえなくなった。身体が、重力に逆らってふわっと浮くような変な感じが数秒。
空港の地面から、飛行機が離れていく。
おぉ……これが、離陸。
椅子さんと飛んだのとは、また違った感じだ。
やがて飛行機は、空に向かって高度を上げ、飛んだ。
――目を覚ます。
もうすぐ着陸するというアナウンスが聞こえている。窓際の席でしばらく景色を見ていたはずの女の子もいつの間にかすやすやと眠っていた。
ちらっと後ろを見る。席の間から、わずかに、アサヒが眠っているような気配を感じる。
間近で他人が眠っているのって、なんだか初めてで、その無防備な姿に妙に緊張する。
窓の向こうの景色は、そろそろ朝になるらしい。遠くの方に、だけど、少しずつ近づいて、知らない島が見える。
ビルが立ち並び、44街とは違った賑わいを見せる街……
生まれて初めて、ついに、44街の呪縛から、抜け出した。
なぜ自分が44街に縛られているのかずっと、わからないままでいた。それを、わからないことすら気づいていなかった。
独りよがりの自分勝手なんだと決めつけていた。
誰が、そう言った? 誰がそう思わせた?
――諦めることがカッコいいだとか 今っぽいとか そういうのは本当にどうかしている。
私はただ、戦えばよかった。
空港に着いて、少し休憩。椅子さんと、荷物を回収し、手元に抱えていたコートを羽織ったり、帽子を身に着ける。
アサヒたちと、とりあえず宿に向かうことになった。
オージャンさんは、調査が何とか――「毎日毎日、事態が思ったように進まない中、急ぎで訪問、急ぎで制作、急ぎで発送、と急かされる仕事の割り込みが多くて連日心が死んでたんだけど、アシスタントがお店代わっくれて少し回復。今日こそは、調査を楽しむよ」
って言って、どこかに行ってしまったのでいよいよ4人での行動だ。
初めて訪れた北国の空港。
広い! 屋根までガラス張りだ。
「いらっしゃい!」的な言語の旗やのぼりがあちこちでひらひら揺れている。
モニターがいっぱいある。朝のニュースで、株価がどうのと撮影されているみたいなやつだ。
ガラスの向こうの空は白く澄んでいて、少し、雪が積もっている。やっぱり気温が違うんだ。
暖かい飛行機の中に居たので、まだそんなに寒さを感じていないけれど、外は冷えるだろうと推測できる。
「あー……とりあえず昼飯だな」
アサヒの言葉で、私たちは頷いた。パンフレットとかにある空港のレストランはなんだかおいしそうに見えるので楽しみ。
私の横を付いてくる椅子さんは、靴下を身に着けて、背もたれにカバー(コートの代わり)を付けてウキウキしているのでかわいい。
「何があるのかなー!」
「チョン鳥ラーメンにしようよ」
「えぇ……商工会議所が少し待ってくれることになりました、 補助金、もらえるのだろうか。 民間じゃありえない対応で げんなりしたけど、今でも殺意覚えます」
私たちのすぐ後ろのモニター付近で、携帯片手に電話する人が居た。
集団で来ているようだ。
みんな同じような黒い厚手のコートを着た集団。
サングラスをしている。
あ、怪しい。
遠くからガシャ、ガシャ、と特徴的な音が聞こえてきて、やがて、大柄の(180くらいはある)男がその集団に加わった。
「フン、遠いところから、よく来たな」
コートでよく見えていないが……
アサヒの方を見る。アサヒも確信していた。
義手の男――!
「あの集団、たぶん、全員が幹部関係者だ」
小声でささやかれてハッとする。
って、ことは、あそこに居るのが学会の幹部たち。チョン鳥ラーメンで頭がいっぱいだったのに、急に緊張してきた。
道を挟んで遠くからなのであまりわからないけど、変なスパンコールの付いた服と胃を悪くしそうな葉巻の男も居る。
宴会でもするんだろうか。アサヒは複雑そうな顔をしている。
「あれは、ギョウザさん。怖いから目の前で余計なことは言わない方が良いぞ」
「そ、そうなんだ……」
独特なセンスの人だなぁ。
「まぁまぁ、詳しいことは店に着いたら、話しましょうや」
スーツの一人が低い声でニヤニヤ笑い提案している。店で商談?が行われる感じだ。なんのお店なんだろう。
「最近もなかなかに良い子が入ってるんです」
「ほう」
女の子は、話に興味がないのかポケットから出したミニカー(恋人)を掌にのせて温めている。
久しぶりにみた車体に、なんだかなつかしさが込み上げてくる。
「とりあえず、ご飯食べよう……飢えたら元も子もないよ」
彼女は、お店のある方角を見ながら、私とアサヒに空腹をうったえる。
――ご飯は食べましたかぁー? ハハハハ!
通行人の誰かがすれ違いざまにちょうどそんなセリフを吐く。
「そうだね。そうしよっか。途中で倒れたらなんにもなんないもんね」
私もアサヒも賛成だ。
そういえば、噂によると、飛行機にご飯時に乗っていると機内食ってやつがあるらしい。それも食べてみたかったな。とちょっと思った。
早めのお昼は、ちょうどそれらしきお店があったので、チョン鳥ラーメンを食べた。
(そういえば、荷物だけど、アサヒが空港からすぐの宿を予約していたらしいので、先に重そうな荷物だけは送ってもらったりしている)
それから、外に出ても、今のところは、せつも、学会の人らしいのも来ていなかった。
……のかもしれないし、ただ単に、目立っていないだけかもしれない。
結構ボリュームあったな、とか、チョン鳥ってあんな味なんだ、とか考えている私の横で、女の子は、こっち、と空港の奥、北東を指さした。
「なに? トイレとか?」
「それは向こうだ」
アサヒが彼女と逆にある方角を指す。彼女はさっさと北東に向かって歩き始めた。
椅子さんもついていこうとする。(もしかして……)
私は、彼女の掌が僅かに輝いているのと、頭上のスキダが、やけに不安定に揺れて、何かを見つめているのを感じた。
やっぱり彼女の『車さん』が、ずっと幹部たちを追いかけてくれていたのか。
食事に集中しやすいようにしてくれながら、監視もしてくれるなんて、さすが、グラタンさんの娘だ。
「…………こっち」
彼女がいうように、北東、北西、まっすぐ北、東、東、北南、と曲がっていくと、辺りがだんだんと薄暗い景色に変わり始めた。
というか、右回りに、地下へと階段を下りて行っている。しかもこれ、たぶん、正規ルートじゃない。
取引をする人たちは普段から人目につかないように、こうやって様々な道を用意しているのだろう。
「へぇ、空港にこんな裏道があったんだな」
アサヒがなるほど、と感嘆の声を上げる。
しばらく降りていくと、やがて外につながる道になった。冷える寒空の下、治安が悪そうな、にぎやかな繁華街が姿を現す。
あちこちで酔っ払いが潰れているし、女の人がやたらと客引きしているし、籠を持った無精ひげの男性が何かを言いながらやたらと通行人に絡んでいる。
「子どもには刺激が強いかな」
アサヒが呟く。
ふふふ。しかし私は、椅子さんと合体しているので、大人なのです。
……とはいえ、物騒なのに変わりはないだろう。私たちは言いつけを守って、アサヒの後ろをついていった。
女の子の指す方向には飲み屋街があって、更に奥に行くにつれて、異様な空気の一角が表れてくる。
案内するかのように女性の写真がずらりと並んだ、大きなお店。
看板は、普通にお酒を飲むところらしい名前だけれど、居酒屋とかとは規模が違う。
映画館とかデパートにあるような頑丈な分厚いドアがあって、カーペットが敷かれていて、あちこちに電飾が付けられたお店だ。
「な、なんか、怖そう」
「この先……この先に、続いてるよ」
女の子はそう言うけれど、ここ絶対未成年入れない……
「どうしましょう……」
私はアサヒを見る。
アサヒは、うーん……とうなった。
「眼鏡に連絡して、宿に送ってもらうようにしてみるか……あぁ、だけど、知らない土地で一人って、数秒でも、駄目だな……!」
「コッソリ入る?」
私はこっそり呟く。だって、置いていけないよ。
「いや、店はわかったんだし、見つかると目立つし、とりあえず宿に」
アサヒはそう言って戻ることを提案する。トントン、と誰かがアサヒの肩を叩く。
「やっほー」
いつの間にか背後にダッフルコート姿のオージャンが居たみたいだ。ネオン街に紛れる姿は、なんというか、間違った観光の人って感じで私たちくらい浮いている。
「この辺は、スキダの調査にちょうどいいんです。なんたって欲望の街。スキダは欲望の結晶ですからね」
「何か成果はあったか」
アサヒが聞くと、彼は眼鏡をくいっと押し上げて答えた。
「やはり、こういった風俗的な店――そこでも、スキダが正常に大きくなることが出来ない現象、怪物化が起きていました。
44街は、過去の制作――今とは逆の、リア充禁止政策が行われていた時に減ってますからね、そういう店自体が」
「と、いうことは――」
私が思わずつぶやくと、オージャンが頷いた。
「怪物化そのものは、接触禁止令が肥大化させた力という可能性があります。スキダを持っていても44街がそれを禁じていることによって行き場の無いスキダは、本人たちを飲み込んでしまう……その仮説が出てきました」
つまり――私は……
「スキダの発育を異常に早める、というこいつの体質と、44街の政策が、悪魔を生み出していた可能性もあるんだな」
アサヒは、納得したようだった。
オージャンは頷く。
「まだ、仮設ですがね……少なくとも、通常ならそこそこの怪物になるものを、『より過激な怪物』に促進している可能性は高いかと。このあたりの店を回って得たデータをもとに……」
解説を続けているオージャンさんだったが、私たちは今の状況をざっくりと話した。
「……そうか」
オージャンさんは、一旦話すのをやめて私たちの話を聞いてくれた。
「たぶん、この辺りの店で働く女の何割かが嫁品評会に出され、何割かが他の目的で売られる。僕も、他の仲間たちと情報がないか回ってみます」
「なぁ、眼鏡」
「なんだ、アサヒ」
「『あの店』に今……幹部と、元、幹部が集まっているのかもしれない」
アサヒは店、を視線で指示す。
「元幹部、か……」
「もしくは『そういう裏組織』の一員って感じ。そっちが本業っぽい。昔、雑誌で見たことがある。学会が海外にも支部を広げようとしていたことがあって……44街の情報を流すのと交換条件で、学会は『そういうところ』にも関わっていたのではないか、と」
「招待するときに、幹部にした感じかな。よくあるな、その流れ」
……つまり、悪い人ってことだ。
う、うん……あまり踏み入ってもまずそうな話題だ。
アサヒは、その後、女の子をオージャンさんに任せるように頼んだ。
「あと」
私は、ちらっと、背後を見る。
もちろん、ずっと居たのだけど、どうモノローグに入れたらいいのかわからなかった、椅子さん。
「椅子が、店内を歩いてたら、さすがに、見つかったとき目立っちゃう……」
嫉妬してしまうかもしれない。私も寂しい。椅子さんと一緒に居たい……
だけど、椅子さんが見せしめみたいに投げたりバラバラにされたり、燃やされたら、私はその方が耐えられない。
ぎゅうう、と抱きしめる。
「椅子さん……」
――わかっている、この子を守るよ。
「椅子さん……ありがとう」
椅子さんが続いて、じっ、とアサヒを見つめる。アサヒはきょとんとしていた。……まぁいいか。
「ママの手がかり、見つけてくるね!」
ぐっ、とこぶしを握り締める私に、彼女と、オージャンは、「頑張ってくださいね」「待ってる!」と言った。
ということで、アサヒと二人、店を伺うことに。
「したのは良いんですけど……」
私は項垂れる。
アサヒはもともと不審者だから良いとして、私は普通の観光客にしか見えない。
ちょっと、落ち着かないなぁ。
「不審者言うな」
サングラスもあるぜ、とアサヒがサングラスを見せてくる。それってもしや観察屋の一式装備だったりするのか。
「スパイ活動するんだったら、こんなおしゃれしなくて良かったのに……」
ちょっと涙目。
「でも、結構似合ってるぜ」
「今言われてもなぁ……よしっ、気合を入れて、がんばろー」
「切り替え速えー」
店の前、を遠巻きに眺めながら、どこから入るかとか、どんな感じで行くかとか考える。
ここって予約制じゃないよね?
「ここって、サイコは来てるか?」
うーん……うーん……どうしよう。
「あぁ……まぁ、そんな感じだ。とはいえ極秘で偵察してくるだけだからな」
とりあえず、アサヒにお客さんになってもらって……
いや、私はどうするの?
えっと……もう少し目立たない服も持ってきたらよかったな。
「見てもらいたい品があるんだが、此処に集まるって噂を聞きつけて」
あー--。なんか、なんか、落ち着かないな。どうしよう。
「畏まりました。では、お二方、あまり荒立てないように、どうぞ」
入口前に居た黒服の人が、こっちに話しかけてきて、目を丸くする。
「え?」
「なにボサっとしているんだ。話は付けた。中に入るぞ」
アサヒが私の腕を引っ張る。
「な、何を言ったの……?」
――彼は、何も答えず、店に入る前に、あのサングラスを装着。(やっぱつけるんだ)そして私を導きながら中に向かった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ガチャガチャと鍵を開ける音がした。
「そこの女ども、仕事だ」
ガタイの良い覆面の男が、乱暴に告げて鍵を開ける。少女は慌てて泣き止み、グラタンも覚悟をした。
結婚式場の地下からそのまま通路を歩いていくと、やがて繋がった地下通路から風俗店に通じる。地上での警察の取り締まりなどが強化されているためこのようなトンネルからの行き来は役立つ。
何よりも、ボロボロの姿で見知らぬ町を歩かなくて良いことは彼女たちにも悪いことばかりではなかった。
仕事を終えた後、彼女たちはまたボロボロの姿になって寝床に戻る。道中に見知らぬ人や見知らぬ町を見ていては、憎しみが募るだけだ。
何より、脱出しにくくしているのだろうけれど。
そんなトンネルを潜り、ネオンの煌めく怪しい店内、という地上が見えてくる。
そこは控え室とされており、スタッフしか近付くことのない部屋だった。
「いつみてもキラキラしてるなあ」
少女が目を輝かせる。
彼女も苦笑しながら後に続く。先頭に居る男が売れ残りをじろっと見たがやがてスパンコールの目立つドレスを着た派手な女に二人を引き渡した。
彼女は夜会向けの派手な髪をかきあげながら見下すような笑みを浮かべる。
「はい、こんにちは、少し待ってな」
挨拶をされ、二人ともおずおずと挨拶するも、それを無視しながら壁の内線から電話をかけた。
「バンバン! 奴ら来たよ。あぁ、あぁ、そうだそうだ、バンバンがこの前に見せてくれた水色の……うんうんうん、それそれ」
しばらく立っているうちに、重みのある足音とともに男が現れた。
「っ────」
強い衝撃が彼女たちを揺さぶる。
「あ……あ……あぁ……」
彼は、義手にスキダを持っている。
少女がうっとりと腕を伸ばした。
「私の、スキダ……」
ふらふらと密に引き寄せられるように男に向かっていく。彼はサングラスをかけた顔でニコッと笑う。
「おやおや、モテる男は辛いな」
グラタンは警戒しながら彼を見た。
「お前も意地を張るな」
義手から綺麗な水色の光が溢れると、彼女の胸が痛くなって、勝手に涙がこぼれてくる。その輝きに目をそらすことが出来ない。スキダだ。
あれは自分が奪われたスキダだ。
本能が喜んでしまう。
「グラタン。お前のスキダは優秀だよ。
せめてもの礼にお前を品評会に出してやる」
彼は嬉しそうに笑って、義手を見せつけた。スキダで光輝くキムの手が彼女に伸ばされる。
頭が、頭が……ぼーっとする…………
少女が自分のスキダの輝きを放つもう片方の手に向かって吸い寄せられる。
「あたし……あたしは……? あたしは」
意識が安定しない頭では少女がどうなったのかわからないまま、グラタンは男に連れられて部屋の奥へと向かって行く。
ぼーっとした頭が、先程の女に似た顔に見覚えがあったなとふと思った。
なんだっけ。
なんだっけ。
サングラス。
義手。
キムの手。
「あ……」
昔、活動中に見た、恋愛総合化学会の幹部だ──
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます