第9話 再会

『再会』




すぅー、はぁー。

すぅー、はぁー。

坂を上り、白くてでかい要塞迷路のような建物が見えてくると、私の心はドキドキと暴れて落ち着かなくなった。

 深呼吸して、テスカトリポカ病院のドアを開ける。

テスカトリポカは火の発明者とか、人間のいけにえを求めたとか言われる大熊座の神の名らしい。

此処の人たちははいけにえ……なんだろうか。なんて冗談めかして考えてみたが、やはり真相はわからない方がいいかもしれない。

 とにかくこれから病室に訪れるのだ。

入り口でかけた携帯電話にしばらくして応答があった。

「はい──」

女の子の声。ちょっとの時間、離れていたはずなのになんだかやけに懐かしく感じられる。

「あ、あの、私! ノハナだよ」


「──おねえちゃん!」


女の子のはしゃいだ声。

元気そうで、良かった。


「なかなか、お見舞いいけなくてごめんね。大丈夫だった?」


「うん。少しめまいがしただけ。もう退院出来るって! あのね、テレビ見たよ! 家具と、人間が正式に恋人で申請が通るって!

それって椅子さんと」


「うん──うん。みんなのおかげだよ! 私、椅子さんと正式に恋人になったの! 単なる家具じゃなく、私のパートナーとして、物が、認められた」



物が、パートナーとして認められた、それは私が考えていた以上に44街に反響を呼んでいたらしい。

いままで対物性愛は恋愛としての地位を得て居なかった。

だけれどこれからは、制度としても街から保証される。役場から書類を突き返されて笑い者になることもない。

 自分が嬉しい以上に、私のような

性的嗜好の人たちが受け入れられることが嬉しい。

 44街は、冷たい部分もあるけれど、それでもあのとき、どこかにいるたくさんの誰かから、自分のことのように、声が上がったということが嬉しい。


「最近、火災とか、暗いニュースばっかりだったから、おねえちゃんが幸せになるの、すごくうれしい!」

「私も、あなたが、元気そうでうれしいよ」

たぶん、今しか言えないから私は言う。

「あなたが居なかったら、私、此処に戻って来られなかった。ありがとう……」

女の子はどこか弾むような声で答えた。

「ううん、私のほうこそ、あの日、おねえちゃんが居なかったら、瓦礫の下での垂れ死ぬか、拉致されていたと思う。

そっちの方がずっと怖かったから……怖くなかった」





「これで、安心して旅行が出来るな」

 私についてきてくれているアサヒが、腕を組ながら壁に寄りかかって呟いた。アサヒとの関係をどうしたら良いのかはまだよくわからなかった。 

 アサヒはやっぱりマカロニさんが好きなのだ。長い間復讐を目論むほどに、彼女を探していた。

彼のポケットには、今、マカロニさん《血のように真っ赤な宝石玉》が入っている。

北で取引されているという、それに、今、通話している子もなっていたかもしれない。胸が痛かった。

 誘拐した人たちは人間ですらなく、あんな風にコアとして出回っているのか。

誰かを満たすため、誰かの厄除けのために。


「まだ、人間一人から出来る量にしては、恐らく、少ないと思う」

アサヒは、ポケットから出した宝石をちらりと暮れてきた空に掲げながら呟く。

「恐らく、なにかを混合して量を増している。大量生産で出回ったものの一部だろう。それが、学会にも渡っていた……」


「そっか、じゃあ、まだ、残りが、北にも残っているかもしれないね」



身体が、ああやって、道具にされるって、どんな気持ちだろう。

どれだけの絶望だっただろう。


 私は、あの家にいたキムと、身体を見つけてくる約束をした。

本当に見つかるかはわからない。

だけど──あんな悲しい声を、聞きたくなかった。

少しでも、透明だけじゃない世界を見せたかった。



通話を終えて、病院に入るまえに、私はアサヒを呼んだ。


「ねぇ、アサヒ」

外は暗く、すっかり夜になってきている。

「なんだ?」

「あの家にいたキムの身体、たぶん見つかる確率はすごく低いと思う。ずいぶん昔だし、どこの誰だったかももうわからないから……」

「あぁ」

「だけれど、私は、あのキムにも笑ってほしい、嘘をつきたくなかった」

風が吹く。冷たい。寒い。もう、秋になる。入り口近くで、車椅子のおじいさんと、それを押すおばあさんとすれ違う。寄生虫がー、とかなんとかって、話題をしている。


「体がないってね、奪われたのって、惨めで、痛くて、辛いのよ。私は、わかるの……誰かが触れるたびに、痛くて、悲しくて、だけれど、姿がないから、それも伝えられない。

だから余計に苦しくて、悲しくて、ああなってしまった」


「だけど、どうするんだよ、身体がないって自覚したら、また、暴れてしまう」


「うん。だから……身体を作る。

探して、探して、探しても見つからなかったら、私が身体を作るから……」

誰かが、抱きしめてくれる身体を。

透明じゃない、ここに居るよって、みんなから愛されるような身体を。

奪われたりしない。


「だから、手伝ってくれる?」


アサヒは少し首を傾げたが、すぐに頷いた。

「わかった」

「うふふ。アサヒには、頼みごとばっかりだね」

「なんで、そんなに嬉しそうなんだよ。自分のことじゃないのに」


「私のことだよ」


アサヒが怪訝そうにする。



「──私が、やりたいことだもの」

宝石になっていたら宝石を。

たとえどんな形でも、お友達になろう。

お人形さん。椅子さん。みんなで暮らそう。 あなたを認めよう。 

みんな、ここに居るよ。

あなたも。


「って、具体的に何をするんだよ」


「素体探し、かな」





 階段を上り、廊下のあちこちにある矢印を辿って指定された病室を目指す。ドアをノックすると、椅子に腰かけたまま眠そうにするカグヤと、めぐめぐ、みずちが来ていた。

「あ、こんばんは!」

小声で挨拶しながら中に入る。

女の子が、中心にあるベッドからはにかんで言う。

「いらっしゃい」

「無事で、良かった……!」

こちらに向かって伸ばされた両手のなかに、飛び込んだ。




「検査結果が良かったら、明日か明後日には出られそうだって!」

という話を聞きながら、私は持ってきたプリンを女の子に渡す。ちょっと早いが退院祝いだ。

 先に来ていためぐめぐたちとは、田中市長が、いろいろあって会長に協力するのをやめるらしい話をした。接触禁止令を阻止できたのだ。

めぐめぐが小さく歓声をあげる。

「それと、公認、おめでとう!」

「おめでとう!」

「おめでとう!」

みずちが、カグヤが言い、私は微笑んだ。

「ありがとう」





 北国はすっごく寒いらしい。

カグヤの家に向かいながら、私たちはそんな話をして帰りを歩いた。

今から椅子さんの治療をしてくれることになったが、すっかり夜中だ。

この夜より、寒いのかと考えながら、夜風に震えた。


「コートとか、滑らないような靴、帽子、用意してある?」

「え、う、うーん……あったかな、寒さがわからないから、想像つきにくいな」

ちょっと不安になる。アサヒや女の子のも、どこかで揃えなくては。


「俺は取材のときに買ったのがあるから大丈夫だ

ぞ」

アサヒがしれっと呟く。

おぉー、とカグヤと私は手を叩く。

「すごいアサヒ」

「さすがアサヒ」

アサヒがやめろよ恥ずかしいだろと唇を尖らせる。後日暖かいグッズを買いにいくと決め、私たちは夜道を歩く。わいわいとはしゃぐ私たち。

坂をくだりながら、私は「でも、こんな遅くに上がってっていいの?」

とあらためて聞いてみる。


 カグヤがふと「おばあちゃんが居ない夜の家は、やっぱりちょっと、寂しいからさ」とこぼした。

あの夜、夕飯をごちそうになったことを、柔らかな笑顔を思い出す。

宗教のパンフレットを部屋で見たこと、信者以外を置かないと嫌な顔になったこと。

いまだに信じられないけれど、カグヤの祖母は亡くなった。

胸の奥が、妙にざわざわする。

家に着くころには、あたりは真っ暗だった。引き戸を開けたカグヤが、先に靴を脱ぎ、「入って」と促す。

玄関には私の両手が収まりそうな大きな男物の靴があった。

「お父さん、帰っていたんだ」

特に動じる様子もなく、彼女はそう言い、玄関の先、部屋の明かりをつける。そしてさっさと工房のドアに向かっていくので、私たちも後に続いた。

「ただいまー」

カグヤの祖父が、「お帰り」と、やや元気がない声で出迎える。

「ばあさんがなくなったから、何かしていないと、落ち着かなくて」

「あのっ」

私は震える声をどうにか絞り出す。

「お忙しい中、お邪魔しています」

手には、バラバラにされた恋人を抱えている。この姿をみるだけでも、泣きそうだった。

けれど悲しいのは私だけではない。傷心しているおじいさんに作業をさせようとしているのも申し訳ない。

「おぉ……こんな遅くて、お父さんお母さんは心配しないか?」

おじいさんは、予想よりもずっと穏やかに微笑んで言った。

「それは、大丈夫です」

私は、もともと孤独だ。アサヒもそうなのか、俺も、とつぶやく。

そんな感じで私たちは平気なんだけど、やっぱり、迷惑では……

おろおろしていると、カグヤが、おじいちゃん! と言った。


「椅子さんを、直せないかな……おばあちゃんのことが大変なのは、私も手伝うから。お願い、時間がないの」


 私も口を挟んで頭を下げる。

「お願いします、椅子さんは、私の大事な人なんです。せっかく、以前直してもらったのに、こんなに壊してしまって、なんですけど」

おじいさんは、やや驚いて目を丸くしていたが、質問をした。

「なんだかよく壊れる人だね、何か、事情があるのかな」

「あ、あの……椅子さんは」

「この前、まだなおしかけだったのに、急に無くなって、カグヤが持って行ったのかと思っていた」

カグヤが苦笑する。

椅子さんが飛んで出て行ったことをおじいさんは知らなかったはずだ。

「貸しなさい」

おじいさんは無表情になって言った。私は椅子さんを手渡す。

「カグヤの頼みでもある。できる限りのことをしよう」


「ありがとうございます! あの今更なんですけど、修理代って……」


私ははっとして聞いてみるが、おじいさんは何も答えず、さっさと奥に向かっていった。








「椅子さんと結婚したら、苗字は椅子になるの?」


 その日の夜はカグヤの部屋に行った。

 ローテーブルを囲んで座るなりカグヤがいきなりガールズトーク?を始めて、私もそれに付き合う。

アサヒはどこか眠そうにしている。さっきから、一言もしゃべっていないが、疲れているのだろうから、ゆっくりやすませてあげたい。

「えーっ、どう、だろう……椅子は名前ってわけじゃないからなぁ」

過去にはエッフェル塔さんと結婚して苗字をエッフェルに変えた人もいたようだけれど、椅子さんは、固有の名前ではない。

だったら、木の名前? それとも。椅子さんにも名前があるのだろうか。

胸がドキドキしてきて落ち着かない。

「とりあえず、私の名前を使う、かな」

 ちらりと、横にいるアサヒのほうを見る。体育座りのまま目を閉じてうつむいている。

アサヒ、やっぱり眠そう。布団を敷いたほうがいいのかもしれない、とカグヤに言おうとして、カグヤがなぜかニヤニヤしていた。

ので、どうかしたのかと聞いてみる。

「ふーん。いや、なんでもないんだけど」

「なにか、嬉しいことがあった?」

「まぁね。あたし、リア充って基本嫌いなんだよ。クズ親父が自分の価値観で、わがまま放題して、数多くの家庭が壊れて、いろんな人を不幸にした。だから、恋愛って嫌いなの、私がもし万が一誰かと付き合っても、きっと親父と重ねてしまって、許せないと思う」

「うん……そうだよね」

カグヤの気持ちは私にも理解できた。

 誰かが傷つけあう道具でしかなくて、いっぱい不幸を作り出した元凶が、カグヤにとってお父さんの恋心だった。

二度とそんな気持ちがなくなってしまえば、全人類から感情がなくなれば、もしかしたら、みんな幸せになれるのかもしれない。

カグヤはただ、二度と辛い思いをしたくない、それだけなのだろう。


「でも、あなたたちを見ていると、システムや慣習としてではない恋もあるんだって。そう、信じられそうな気がする」




――昔の44街は、恋愛をしないと処刑されそうな町だった。

今よりも更にひどい差別や迫害に満ちていた、

 だけど、市長も考えを改めた。会長は、わからないけれど、ハクナも時期に本格的に監査が入る……

無理に何かと付き合う必要はもうどこにもなくなりつつある。それを伝えようとして、口をつぐんだ。

 本当は、みんなただ、誰かが押し付けた形じゃなく、自分の形を探しているだけなのかもしれない。

「もし、そうだったら、誰かと付き合ったりするの?」

「うーん、わからないなぁ。小さいころからの気持ちは、そう簡単にはなくならないから」



カグヤは少しいたずらっぽい笑みを浮かべて耳打ちする。

「それよりそれより、これはノハナさん、波乱の幕開けかな?」

「え、なんの話?」

「クズ親父の話をしたばかりなのに、これじゃ困るなぁ。友人として、何か忠告すべきかしら」

「だから、何を言っているの?」

カグヤにどんな良いことがあったのかは知らないが、なぜ私が出てくるのだろう。

思わずアサヒのほうを振り向くが、アサヒは眠っていた。なんだかあどけない表情に和んでしまう。

「……おやすみ」
















「ズバリ!私は、彼女らをアゲーないと、これからの変わらない日常は無い」

部屋に戻り、夕飯のチヂミを作りながら、せつは一人考える。

悪魔の子の嘘が露見してしまったことで、学会を始め、あちこちが今騒ぎになっている。

うまくいくと思っていた。

けど、甘かった。

一番の悪因は、自分が人を信じられない人間性だったから。


お金だけが信じられた。

 わかってる。彼女に非はなかった。

(こんな偏見的かつ私欲にまみれた猜疑心。結局無駄骨で、必要なかったな)

彼女を証明する人が居なくなるようにと、ずっと関係者を殺してきたけど、それも、とうとう終わりになってきたし。

あんな放送が流れてしまえば、単に隠蔽するのも難しくなってきた。

学会からの勧めもありいろんな人を雇って彼女の声真似をさせたけれど、あんまり効果は出ていない。


 後ろに置いてあるテーブルには、ヨウからの「駄目だった。あの力は奪うことが出来ない」というメールが来ているのが見える。

――なんだ、彼でも駄目だったか。

地位を、どうにかして、地位を取り戻さなくては。


相手に責任を擦り付け、陥れて消す。

だからわたしは、正義!わたしこそ英雄。そうやって生きてきた。

 本気をだしていいならそのまま挑んで来たらいい。

けれど、そろそろ、本気で邪魔だから、どいてもらいたかった。

せつの邪魔の仕方は、少し肩があたりましたぐらいの軽いヤツではなく、何年以上もの時間を奪う。

罪のない人、一般庶民も何人も殺してきている。今回も、そのつもりでいた。


でも、作戦1,2,と失敗。恋愛条例を利用するのも、ヨウを後押しするのも失敗に終わった。


「この前も言った、あの高~~~い地位を使って私をアゲーできるシステム………実は、まだ、他にもある」


 あの日。

私が警戒し、過剰反応し、暴走した一番の理由。

それは、あとから、迫害が荒立てられたらヤバイ!ということ。

だから、自分では表に出ずに、役場に奇襲を仕掛けさせた。

彼女の本当の地位が必要だった。

 カルト宗教家の娘である私は、普段からそのような扱いをされることが多く、バイトをしても身分をごまかさないとクビになったことも多い。

北に住む親戚からの資金と、学会の援助でどうにか生きていけているけれど、本格的に自活するには何かもう一押しの力が必要。

(でも、結局うまく成り済ますことが出来なかったな……)

消しきれず、どころか事態が悪化してしまうだけ。

 ――あの日、ヘリが墜落しなければ、彼女が心変わりを起こさなければ。

いや、もとを辿ると、学会の政策、自分たちの迫害そのものが、ツケとなったのか。



 今回の迫害の件。せつの生き死にのターニングポイントは、この場面。

《彼女》だ!と、気づいた時に、きちんと対処してさえいれば、私も彼女も被害最小限で、問題は小さなうちに解決していただろう。

監視やら、悪口やら、嫌がらせ行為、これ1つでも止めて!もう、これからやりません!すいませんでした!!!と………ここでスッキリ!迫害行為から足を洗うようにしていれば……

 けれど、これは出来なかっただろう。

これだけ念入りに、彼女を調べ上げ、欲望が膨れ上がるままに周囲を殺してきた自分が、そんな小さなことで、止まったとは思えない。

悪事は癖になる。一度その境界を踏み越えてしまうと、あとはずるずると深みにはまってしまう。

出来あがったチヂミを皿に寄せながら、せつは何か策がないかと考える。





「乱発に、飛ばし過ぎよねぇ……あの頃とは違うんだから………もっと、規則性を持たせないとねぇ~」

ハクナによる、民の不当な監視の疑いは、まだ晴れていない。

ハクナ部隊でも辞退者が続出し、自分に火の粉が降りかかる前に逃げ出すものもいた。

けれど、脱北者や、生活が困窮しているものなど、個々の事情で残ったものも少なくない。

北国は、勝手に国を出るものに容赦をしない国として有名だったので、北に戻れば殺されてしまう。

彼らを受け入れてもいるのがこういった学会の部隊だった。


「プラス条件を自然に合わせないとならないだろう。今月後半から気温は戻る、寒くなる予報だろうし」

 ヘリの点検をしながら、パイロットたちは観察屋の観察業務について、身近な同僚と話し合う。

「川の増水関連はどうだろう。冬だから、あまり関係付けられないか?」

気温が戻る、と人の流れはどうなるのか?……減少の傾向を辿るのか?変わらないか??

怪物出現の予防に役立つアプローチ…この方向性が、環境的に自然なんじゃないか……


 めでたく飛行理由が合格し、監視をやってない!と証明できたなら、彼女の精神病ということに今からでもできないだろうか。





「特別機を何回も飛ばしたでしょう?燃費計算した人によるとあれスゲースゲースゲー問題になってるみたいだよ。なんだか、調査したら迫害時にいつもの6倍燃料使ってたとかで」

「えっ、そうなの。そんなにあの家を観察するのに使っているのか。これは、逮捕を免れないぞ」

一人なら、なんとかなったかもしれないが、前例があった。

一人だけじゃない、というのが、既に逮捕を期待する声があがる理由だった。

過去にも、女性が自殺している。

「俺の職場はなくなるが……社会的地位を亡くすより、今からここを抜ける方法を練るべきかもしれない」

「俺もそろそろ限界。だけど、北には戻りたくないよ。命からがら逃げてきて、娘と嫁さんがいるんだ」

「北の国は、そんなにつらいのか?」

「うーん、合う人には合うんだろう、でも、こうやって何気なく集まって、気軽に酒を飲んだり、ネットを見たりできない。王様の許可がない娯楽はいけないんだ。だから、この幸せを知ってしまった俺は、北に戻れない」



様々な事情でハクナに入った人が居る。

悩むもの。


「やめたとして、次、どうしようかなぁ」


「どうせ、厳しかったからな。悪天候フライトは命懸けだし」




どうにか縋り付こうと策を立てるもの。


「いいコト教えてあげるだよー。飛びモンも今日だけ!!の予定にするから不自然が際立つ!

何日間かの調査やら、テスト飛行、やらセットにすれば??自然なんじゃない?」



「セットでアップすれば怪しまれないんじゃない?

……放送だって偶然で片付けられる……あとは腕次第!」



逮捕を前に、時をまつもの。


「そろそろ逮捕だな。上役すべてを敵にまわしたから、より重い罪状で逮捕状が手配されたはずだ。

隔離は避けられないだろう」

「罪をハクナにかぶせてくるとは思わなかった」

「部下も使い捨てだし」



いきなり、保身のためだけに信心深くなるもの。


「今からでも、改心する、償う、なら…何かしら、のご加護、ご慈悲、に触れさせていただく……許し、を得る道は、あるかと思う……空より大きいご加護!…海より深いご慈悲!をお持ちの神様だもん……救いの道は、用意してくださるでしょう」

























『眼鏡とおくすり』






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わたしは、ぼんやりと思い出していた。

それはうちに伝わるお話で、ママが小さい頃に読み聞かせてくれたものだ。



 ××××年のある医院ともないささやかな規模の診療施設の診察室に、ある女性の姿があった。その患者、薄い水色の髪の女性は今日で、何度目かの問いかけをする。


「あのぉ、経過は──どうでしょうか?」

彼女はある病気から具合がよくなく、ずっと勝手に体が暴れだしたり魘されたりに苦しんでいた。

 それは恋という難病──今で言う恋愛性ショックだったのだが、当時はみんな気の持ちようだと言って笑うのでなかなか病気として認められることすら珍しい。

 しかし彼女の知人に変り者の医者が居た。この話を聞いた知人の医者というのが、この話に興味を示し、やがて小さな製薬会社のツテで研究手伝いと治験を頼んだのだ。

何度も何度も治療と称してあらゆる薬の成分を試して数年の月日が流れたその日、彼女の体に良い変化が訪れていた。



「良好です。素晴らしい回復力ですよ」

 医者、と呼ばれる白衣の老男性はびっしりと患者の脳の写真の貼られたモニタからくるりと椅子を回転させて向き直る。そしていつになく目尻にしわを寄せ、穏やかな笑みを浮かべた。


「本当ですか!」

彼女は、座っていた椅子から立ち上がり歓喜の声を上げる。

「ニギさんたちの──あのお薬のお陰です!」

「こちらこそ、協力をしていただいて、なんと感謝して良いか……」


治療がうまくいきそうだということから、薬に携わる医者と、彼女の被験者としての日々はまさに終わろうとしている。少しもの寂しくも、明るい毎日が待っている予感があったので互いに喜んだ。


「この研究がうまく運べば、世界中の病に苦しむ人間が救われるでしょうね」


「だとすれば、とても素晴らしい! 私も、こんなに健康的な気持ちは随分と久しぶりなのです。あぁ……なんだか、涙が……」



しかし、争い、マウントの取り合いというのは何処にでも存在するのである。


 難病を治す、それはときに偉大な功績として歴史に刻まれる重大なテーマだ。

製薬会社や、彼女の周り、医者にはどこから嗅ぎ付けたのか普段は表に出ないくせに、びっしりとマークしている組織があった。

 研究がうまくいくかには関わらず、病院のこと、研究のことというのを常日頃に盗聴する、いわばスパイ行為を常に行って居たのだ。

当時の44街のあちこちに存在していたその組織は、あらゆる会社に手を伸ばし、裏で操っていたと言われている。

現代でもひそかにクロと呼ばれているのもその残党だ。

隣国、カルト組織がその母体とも噂されるが詳しいことはわかっていない。


 薬は、彼女の健康状態をもってようやく成分がわかってきたという段階だったが、まだ様子見しなければならず、認可が降りる段階にいっていなかった。アレルギーなどが見つかる可能性、副作用を彼女以外からもよく検証しなくてはならない。


「うまく、いったようです!

」 

 そんな話はお構い無しに、木の上から医院を見守っていた一人が、双眼鏡から目を離して無線に呼び掛けると、「難病を治せる薬か──ふふふ。これがあれば、今よりもっと我が血筋が立派な病院を建てることが出来る」

と、ボス、は喜び、たちまち上空にヘリが飛んだ。

無線に答えた男が、証拠を撮影するために寄越したまだ若い観察屋が乗っている。


 研究や発明は戦いだ。

誰より早く、そしてしっかりと名を売ることで生き残る会社とそうでない会社が生まれていく。

 この段階からでもとにかく早く申請をしよう、先に特許をとったが勝ちと動き出した組織は、次の日には一人、医者めいた男を医院に尋ねさせた。


「こ・ん・に・ち・はー!」


「おや……? 今日の診察は終了したのですが」


時間外に来たその男は、明るくはつらつと挨拶するまだ若い男だった。がたいが良く、品の良いスーツを着込んでいる。

普段受付嬢が追い払うはずなのにな、と不思議に思いはしたが、受付嬢が1、2くらいしか居ない田舎の小さな施設のこと。のんびりとした場所柄だったので、こんなこともあるかと医者は彼にとりあった。


「いえいえェ~、わたくし、診察してもらいたいんじゃありませんよホォ! ただね、ちょっと小耳に挟んだんですけれどねェ~? あの、お嬢さんのお薬のこと……」


「はぁ、ええと? と言いますのは」


「あぁ、わたくし、こゆものなんですが……」


スーツの胸ポケットから名刺を出すと、男はある製薬会社の懇意にしている研究所の名前の名刺を見せた。


「お薬のことで、力になれたらと思って~、小林ちゃんとかからすごいすごーいっていう話を伺ってェ~それで、ウチからも支援させて欲しいなってことでして」


キャッ、と体をくねらせ、両手をぎゅっと握りながら乙女のような目で医者を見つめて頬笑む。


「はぁ……」

医者は勝手に話が漏れていることに驚き、呆れ、嘆いた。しかし、小林は口の軽い男だからな等と恨み言を思いながら、彼に向き直る。

「支援、というのは」


「特許申請を早めてあげるし、あと、口座に振り込ませて欲しいのホォ。うち、すごい気に入ってて~、他に取られるわけにはいかないじゃない?」


はい、これ、と

彼は手にしていた四角い鞄から今度はなにやら書類を取り出す。椅子に座っているままの医者のデスクにその紙を並べた。

「これは推薦書、これは支援の申請書。ここに、お名前と、口座番号、あと押印ね」


確かに、大企業の後押しがあれば宣伝効果も見込める。

販売するための研究となれば、費用だってばかにならないのだから、支援があるならそれに越したことはない。

 医者は少し悩んだが、小林も言うことだと思って、何より民のためを考えてみて書類にサインをし、印を押した。


「そのあと、だった……聞いたこともない会社が、治療薬を世に出した。けれど、ニギさんの名前は何処にもなかった……なにも、見つからなかった」


 ──某有名会社は、そうして生れて今日に至っている。けれどこれは、44街の民が知る必要はない。闇に葬られた、優しく悲しい物語。


「彼が、突然に病気を悪化させ死んだことだけが、明らかになった。医院は無くなり、どこに聞いても、誰に聞いても、真実はわからないまま。


 けれど、お前は、せめて覚えておいて──歴史に載るものが正しいとは限らないって、声を、上げられなかった人、声を上げようとした人が、本当はその裏に何人も居たんだということを」




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  女の子が退院して、私とアサヒは無事迎えに行った。椅子さんも私に抱えられたまま嬉しそうだ。

あとは帰るだけだね、と廊下を歩いているとアサヒがふと、何か見つけて、先へとすごい速さで向かっていく。


「めっがっねー--!!」


「オージャンって呼ぶように、いつも言っているんですがね。あと、病院で騒がない!」


アサヒが飛びついたのは、眼鏡、こと、アサヒの親友?だった。


「っていうか、あのクラスが眼鏡ばっかりじゃないですか。賢そうだからとかって、眼鏡ブームで! 僕以外も眼鏡でしたからね!」


「おー、おー、昔、そんなんあったなー。名門大学とか牛乳瓶みたいな分厚い眼鏡したような、こいつマジか、っていう眼鏡も居たよな。

なんだよなんだよ、何しに来やがったんだ?」


はぁ、と、彼はため息を吐く。

 オージャンはすらっとした細身の体躯。揃えられた前髪に、黒縁眼鏡。パーカーとセーターの姿で、いかにも優等生って感じの眼鏡だった。


「こ、こんにちは、眼鏡さん。あの。何か、ご用事でしょうか」

出入り口に向かいながら、恐る恐る挨拶をすると、彼も一礼した。

「オージャンです。バカがお世話になっております」

「俺と同じ学校って忘れてないか? なぁ?」

アサヒが小言を挟むのを無視して、オージャンさんはさっそく本題に入る。


「皆様初めまして。僕は普段は薬の開発などをしているんですけど、例のニュースを受けて、ルートの確保が変わって来そうなことやら、とりあえず会って話そうということになりまして、此処でお待ちしていました」


「そうなの。お薬のこととか、いろいろ、聞かれたよ」


女の子が、穏やかそうに答える。

なるほど、新薬の研究とかなんとかで、患者さんの話を聞くという建前?で此処に居たのか。


「ルートの確保……?」


私が首をかしげていると、アサヒがちょっと寂しそうに答える。

「いくら、44街が認めたと言っても、今でもみんながみんな、『悪魔』のことを恐れていないわけじゃない。椅子さんのことだってそうだ。

なんだかわからないが、スライムのときの、人々の群がりようは普通じゃなかった。せつのことだってそうだ。

わざわざ偽物を用意して、手の込んだ印象操作をしていた。

なんらかの手段で、俺たちを妨害してくるかもしれない。安全に経路を確保しておく必要がある」


「そうなんだ」

 大げさだなぁ、と言いたかったのだけれど、これまでの、付きまとい、爆撃、放火、殺害容疑、などの異常性を見ていると、あり得ないこともない。それに、秘密の宝石……マカロニさんを誘拐した――

 ぼんやり考えていると、なに今から沈んでんだよ、とアサヒの声がした。


「これから出かけるんだろうが。こいつのママも、あのキムの体も、探す、お前が言い出したんだろ」

女の子が、うん、と笑顔になる。

「そうだよ!」


そうだった。沈むのをやめて、浮き上がる。




「リア充め! お前も眼鏡になってしまえー--!!」

眼鏡……オージャンさんが、アサヒの頭をかき乱す。

いきなり、どうしたというのだろう。

「うわーっ、やめろっ! あのダサい恰好だけは勘弁だわ」

アサヒが腕で頭を庇い必死の抵抗を見せる。

学生時代は眼鏡集団の中で、唯一独自のスタイル(?)を貫いて派手にしていたらしく、オージャンはそこがどうたら言っている。

「ダサくない! 眼鏡は素晴らしいぞ! 人の造形に、さらに想像力を掻き立て、魅力を引き立てる至高の――」

そこまで言いかけて、オージャンさんは我に返った。


「……、病院で騒ぐものじゃないな。外に行こう。僕もちょうど、今日の仕事は終わりだ。報告だけ済ませるから、少し待っていてくれ」










 昔、ある宗教が起こしたテロの後、そこに居たせつや小林らが身を寄せたのが 恋愛総合化学会。

そこで、当時、まだ彼女たちが幼い頃から既に行われて居たのが、『キムの手』の研究。

同時に、なかなか現れないはずの秘密の宝石も頻繁に出現するようになり、北での取引が進む。

 それらは無償で治療が受けられる歯科医や、温泉施設など、富裕層の為の設備の資金になったという。


 幼くして両親を逮捕により失ってふさぎ込んだせつに、当時の教祖、会長らは北からの『秘密の宝石』を買い与えた。

 彼女は、その場所の中では、お姫様みたいに可愛がられていたという話だ。

……ただ、両親を失ってからのそれがどういう心境からのものなのか、部外者から正確に判断することは難しい。


 珍しいものを欲しがるせつのことを励ます為だったのか、いろんな珍しい宝物を彼女に合わせてみたのだろう。

唯一、せつが欲しがった、自分にぴったりだと思い込んだものが、施設に秘密裏に貯めこまれていた、その『秘密の宝石』のひとつ。

その中身が何かも知らずに、刷り込みのようにせつはそれ、を気に入った。


 「これ、私にぴったりだと思う! うん……これ、私のために生まれたようなものだよ! こんなにぴったりなもの、ないでしょ!?」








 「だが、もちろんその宝石は、クリスタルを秘めた44街に住まう我々のこの身体を、出来る限り濃縮、炭素として物質変換し、生まれ変わらせた姿。

人々の姿、形、存在そのものを物質、素材としての姿に変換、他者が販売取引するということがどういうことなのか、もう君たちも充分に理解しているだろう。 

 同時に『遺族』は、『それ』を探し続ける」


 せつが買い与えられ、所有したのは、『そういうもの』だ。それを知った後も、せつは手放すことが無かった。

だって、返さなくたってみんな死んでいるから。

 例え、『敵』が攻めてきても、どちらみち、『取引』の邪魔になるものは、周囲の誰かが、あるいはせつ自身が排除してきただろうけれど。

そう、未成年のときに。ある方法を使ってだ。そのときの事件は、結局無罪だった。






 「純度の高いクリスタルと、その辺の宝石とかとの関連性の研究は、僕も続けているのだが……、その頃に、ちょうどあることが明らかになった。スキダを粉にしたもので、ある種の覚せい剤のような快楽が得られるらしいというものでした」


病院近くのカフェに入り、窓際の席に並んで座る。人はそこそこ居たけれど、朝方の、少しずれた時間なのでものすごく混んでいるわけでも無い。窓の外には仕事に向かう人、通学する人が見えていた。 

 コーヒを頼んでくれるというのでそのまま厚意に甘え、私たちはオージャンさんの更に右横に、それぞれちょこんと詰めて腰掛ける。


 一番端の席のアサヒは、すぐ右横に座っているオージャンさんを見ながら、そういえば、と思い出したようにつぶやいた。


「そういえば、確かそんな感じに信者たちが育てたスキダで『脱法ハーブ』を栽培して組織ぐるみで資金を稼いだという噂もあるな。

ラブレターテロの時にも、中にはスキダを粉にして吸引させることが行われていた、という噂もある。まぁ、ほとんどが取り締まられたんだけど……」

「ああいうカルトは、神秘体験が好きだから。え? 僕は、今のところは平気だよ。普通に、恋愛性ショックの治療薬とかを研究しています」

「だいたい何をやるんだ?」


「最初は基本的な薬の仕分けとか、報告書の書き方を学んでたよ。冷たい先生がマウント取ってくるから辛かったけれど、弱音は吐けない。 選んだ以上は自分のものにしないとね」



 運ばれてきたコーヒーと小ぶりなケーキに、気を取られながら、もう半分の意識で、アサヒたちの会話に聞き耳を立てる。

 女の子も苦笑いした。

カグヤたちも、スキダを狩って売り渡していたからなぁ……

あまり深入りしない方が良いかもしれない。



「ここのグラタン、人気なんだよ。無くなる前に、取りに行こ!」

「え、待ってよ~」

若いOLが入り口付近で楽しげにはしゃぐ。



 ケーキを口に運びながら、ぼんやり、考えてみる。

「……グラタン、かぁ」


「ママ、見つかるよね」


女の子が、ちょっとしょんぼりしながら呟く。

私はなるべく力強く答えた。

「きっと見つかるよ」



コーヒーを飲んでいる横で、オージャンさんとアサヒの会話が白熱する。


「ルートだが、まず、取り引きについて考えるべきかと」


「と、言いますと?」


「例えばハクナが売り渡している付きまとい素材だ──

これを継続使用する人たちは免許のような、ある程度の期間が設けてあるらしい。買い取りに移行するので、契約内容が変更になる可能性が出てくる」

「なるほど。最近だとオンライン販売が主流になるなど、各種サービスの有料化が進んでいくと思います。

料金プランも新プラン導入に移行しますから、タイミングがある人は今でしょうね。

詳細はまだはっきり言えないのが、もどかしいですが」


「今回の旅行による、やつらの、付きまとい素材が配布されない『損失』、これに躍起になってくるだろうな」

 なんの話なのか、わかるような、わからないようななまま、ケーキを口に運ぶ。フワッと口のなかで溶けていくクリームが美味しい。

「せつのことも……こいつが、旅立つのを知って追いかけて来ないか心配だ。あるいは、来るかもな」


フォークの背で示されて、ん?

となる。

「──もしかして、役場で、妨害をしたのは、本当は、せつなのかな」


 そういえば、せつ、はずっと私の代理をしていたんだ。

私が誰かと話したりしないように。

アサヒとオージャンがこちらを向くので、私はついでに薄々、思っていたことを呟く。


「なりすましが、露見するから、せつが指示して私を襲わせたのかもしれない」


アサヒは驚かなかった。

「だろうな。44街は、別に書類だけ突き返せばいいわけだ。

あんな風にクラスターに取り囲ませる必要性がない。せつはお前個人に執着心があった」


 せつが、クラスターを操っていた……としたら、空港でまた襲撃に合う可能性もある。

私個人に、執着していて、戸籍屋と繋がりがあるかもしれなくて──


「そっか。戸籍を管理するのも、あの宝石の為──なんだよね、きっと。せつが、気に入っている石も、その管理を常に行って居るものなんだ」


「無常」


唐突にオージャンが呟く。


「とらわれるな。人を、好きになるのも、嫌いになるのも、無常──会長が生きていたら、そう、おっしゃったでしょうね」


 ほとんど、研究所に居る私とは接点がなかったですけど、と彼は何かを懐かしむ。無常になれずに居るせつのことを思い出したのかもしれない。


「悲しい、子です。話は以前アサヒから電話で聞きました。同情はしないけれど」

 オージャンがそこまで言ったところでせっかく届いたのでアサヒたちもひとまず、ケーキを食べたり、コーヒーを飲んだりした。

やや落ち着いてから、ルートの話が再開される。




 出発時刻に合わせて、または、やつらよりやや遅れて空港に向かう。だが、田中逮捕の余波で、監査が入るのは間違いがない。

監査が辿り着く前に、出港などして亡命する、という可能性はそれなりにあるだろう。

「ふふふ……帰れ、鶏肉へ!」

アサヒが会話の途中でおもむろにキリッ、と言い放つ。

「──? ケーキは鶏肉には帰らないよ。卵は肉にすらなってないし」

「その可能性はあり得ますね」


オージャンは、頷いた。

「回収を、早めてくる。出国するとしたら、それが今のベストでしょう。予定日の日付があてになるかどうか……」

アサヒがオージャンの方に頭を近付ける。小声で話す為らしい。

「どうやって計る?」

「アッコと伝があるのは、あなたの方でしょう?」

「──ギョウザさんに、クビにされたんだぞ俺は。奴と仲が良いアッコのことなんか、余計に……いや、一人居たな。近くにアッコと繋がりがありそうな奴が。だが……神出鬼没だ」

「そうじゃない。奴等は、時間がない。おそらく近々ラブレターテロが起こるでしょう」


ラブレター、テロ……


「学校や、人が集まる施設を見張っていればおのずと情報の方からやってくるってことか」

「待って、テロを、どうして……それが、秘密の宝石と、何の関係が」


私が思わず口を挟むと、オージャンがやや寂しそうに答えた。


「思春期ごろから、スキダの発達が顕著になります。その時期に、ラブレターをばら撒くことによって、スキダを誘発しやすくさせ、外部からその純度を計測する。これが、ラブレターテロだったと、我々は見ているのです」


昔。

各地の44街の学校の下駄箱に、宛先不明のラブレターが投げ込まれる事件が相次いだ。

カルト宗教が関わっているという噂もあったが、真相は結局闇の中だった。


「純度が高いほど、質の高い宝石に生まれ変わるとされています。そして、おそらくは、そういう人ほど、拉致に合っている」



誰とも付き合おうとしない私に、アマニがかけてくれた言葉が蘇る。


「ラブレターが、そんなに、恐ろしい計画のためのもの、なんて……」


 思春期は、もちろん、感受性が豊かになり、スキダが生まれやすい時期だが、同時にスキダの制御がまだ難しい年ごろでもある。

そのため、『ラブレター』の影響で狂暴化したスキダによって大けがをしたり、命の危機に面した生徒もいる深刻な事件なのだ。

事件後は何日か集会が開かれたり、集団下校になったりした。宗教勧誘の類の噂も、あちこちで出回っては居た気がする。

でもその頃はまだ、そんなに、恋愛総合化学会の実態がよく知られていなかったから、どこか、冗談みたいな、面白がられていただけだった。


「そのころから、奴らにも目をつけられていたんだ」


アサヒが淡々と零す。


「でも、私、みんなが狂暴化するだけで――スキダは発現していなかったよ。純度なんか測れなかったはず」


「わからない。でも、何かしら、あったということだろう。それから、お前も」


女の子が、平然と頷く。口いっぱいにケーキをほおばる姿がかわいらしい。

飲み込んでから彼女は答えた。


「そう、だと思う。ママも、わかんないけどずっと目を付けられてきて、それで、何かのタイミングで、攫われた」


「いかに、心身を制御できるか、ということでもありますし。ノハナさんになかなかスキダが発現しなかったのは、そもそも、周りの子よりも精神年齢が高かったのでしょうね」


「そう、なのかな……」


神様ではなく、悪魔の子として接触禁止を図っていたのも、せつが絡んでいるとすると……


「とりあえず、次の採取日は近づいているはずだ。万本屋北香がそれと関係があるのかはわからないけど」


オージャンが、少し、複雑そうに目を反らす。

 誘拐されたらしい、というのは聞いたけれど、私もよく知らない話だった。


「お前たちがあの空間にいる間、彼女と会った。

それで、成り変わりやスパイ専門の組織が、44街にも潜んでいて、そのバイトに万本屋は応募したことがあるという話をしてくれた。

彼女とその話をしてすぐ、黒塗りの車がやってきた」

 最初から、スパイとすり替え目的の募集までしていて……万本屋のように、その成り変わる代役予定の者には、悪魔の子だとかの情報を事前に渡して、見た目だけでなく、ある程度演技力を学ばせているくらいだから、結構な力を入れているようだ。


 「成り変わりのあと、邪魔になる本人を抹殺すれば口封じになる……だから、誘拐とクロに関係があり、それを、知られたくないからというのが、一番ありそうな線だと思う。……ただでさえ、万本屋は裏切り者だ」


「じゃあ、それは保留ということにして、他に、誰に目を付けているかですね」

オージャンが言い、私はコーヒーを飲み干して呟く。


「口封じで行けば、私も危ないんだけど、利用価値からすると、そう易々とは殺さないと思う」


ケーキを食べ終えた女の子が、不安そうにおろおろする。私はそっと手を握った。

彼女が狙われる可能性もある。だが、一度に一家を滅ぼすような真似をするのだろうか。

スキダは個人差はあるが、大体思春期くらいに一番大きな結晶になる。彼女はまだ育成中というのも考えられる。

オージャンが唐突に頭を抱えてうつむいた。

アサヒが大丈夫かと尋ねると、少し取り乱しながらも、苦笑した。


「過去の、ラブレターテロ……、殺すとか、テロとか聞くと、どうしても、思い出してしまって……。

その時に、薬でも、被験者が副作用で亡くなっていまして、ね。

劣悪な管理と間違った製法を、通してしまった。僕たちの、罪です」


「殺人事件って、聞いたが……」

アサヒが口を挟む。


「えぇ、恋愛性ショックの治療薬の、副作用で、スキダを抑制するはずが、覚せい剤のようなものに、なってしまった結果、暴力的な衝動が抑えきれなくなり」


 当時は恋愛に本当は感情以前に対外的な認識能力が必要ではないかという議題で、異常性癖と並べて議論されていた。

しかしぱったりと議論が止んで、会がのさばるようになった。

恋愛は感情や相手の存在を認識して把握してイメージを作り、そこから好嫌の判断もしている。

普通は正常にそれがこなされるんだけど、恋愛性ショックがある人は、

恋愛のことを考えようとると好嫌を判断する部分に伝達物質が過剰分泌されて、呼吸困難になったり、気を失しなったり、


「闘争本能が刺激されて、近所の女性を殺しています。部位が近いですからね。裁判が長く続きました。脳の伝達ミスなのか、責任能力の問題なのか」




 伝達のなんらかの変化によるものか、殺意によるものかは、今でも議論が続き、答えの明確には定まらない議題のひとつである。

現時点では、加害者の生育環境や動機が罪悪の度合いの判断に重要になってくる。

「結局、どうなったんだ」

 アサヒが呟くと、オージャンは結局、普通に殺人事件とされた、と答えた。

上層部は薬には触れないようにしたらしい。

かつて、町でとあるカルト宗教が起こした殺人事件のときにも、洗脳されていた、と答えた加害者が居たが、結果的には死刑となっている。


「ラブレターテロや、何かのイベントのたびに、恋愛性ショックの人は今もたまに見つかるんです。

今回も、不安だな。この症状は、スキダの純度と関係しているとも言われていますからね」


 そういえば、グラタンさんもそうだった。テロに合う側はたまったものではないのだ。

恋愛性ショックは、今でも懐疑的な意見が聞かれる症状。

 だけど、確かにそれに苦悩する人たちは存在している。

学会にとって、都合のよくない存在のひとつなので手荒な真似を使ってでも、回収を進めるだろう。







あれからしばらくオージャンと話し合い、出国の日を想定して、とりあえず早いうちに準備をしておくことになった。

ただ、確保のために警察や探偵も動いているかもしれないので、その場合は引き渡されるのも考慮して、通常の旅行というプランだ。

むしろ、その方が捜査の目がある中で派手な動きが出来ず良いのかもしれない。

あからさまなクラスターが発生したときは、大々的に宣伝、迅速に行動できるように空港の人と話しておいてくれるらしい。

「でも、そんなことしたら、余計に目立たないかな?」

私が役場のことを思い出して聞いてみると、オージャンは大丈夫だと言った。

「普段から、こういう店などはマニュアルがあって、放送などで、それとなく案内するんですよ。普段の曲と変えたり、土産物販売についてアナウンスしたり、それ自体でやり取りするので客にも不自然に聞こえることはありません」

「そうなんだ」

 それなら安心だ。私たちまで変に目立ってしまったら、余計にトラブルに巻き込まれそうだし、手伝ってくれるオージャンも、嫌疑がかけられてしまうだろう。

 そうしたら、すべてハクナの責任にして尻尾切りをしようとしていたあの学会のこと。

好機とばかりに、私たちのあることないことでっち上げて、矛先を反らそうとするはずだ。そんなものの相手をしていたら、学会の取引に間に合わない。


女の子のママを見つけて、キムの身体を探すんだから。


「具体的にどうなるかは、後々お教えしますので。今考えても、盗聴の恐れがあります」

「っていうか、ニュースとかを見る限り、亡命の備えはされていると考えるべきだろうな」

アサヒがやけに真面目にそういうので私は少し驚いた。

 こういうのはそこまでして捕まりたくない、というものなんだろうか。どこに行ったって、罪は消えないのに。

でも、居心地はよくないだろうし、追われたら逃げてしまうのも仕方がないのかも。

「捜査情報は俺の管轄にはなかったけれど……ただ、かつて、警察内部に信者が潜り込んでいたことがあった。向こうが逆にスパイしてくることも考えられる」

「ふむ。確実な協力者ですか。でしたら、学会が関与したと思われる殺人事件のことと事情を絡めるのが良いかもしれませんね。まさかハイジャックはしないでしょうけれど」

 この日、夜になるまでずっと、逃走経路、当日の集合場所についてなどの計画の話

が続いた。





 その次の日は、カグヤやみずち、めぐめぐたちを呼んで買い物に付き合ってもらった。

お金を下ろしに行って、靴屋さんで暖かそうなブーツを選んで、洋服屋さんでコートと帽子を選んだ。

カグヤはおしゃれが好きらしく、あれこれと、私にこれはどうかと提案してくれて、それらを何度も身に着けた。

「どう、かな?」

カグヤたちが、似合うとか、良いねと言ってくれるのが嬉しいけれど、アサヒ(荷物持ち)はずっと黙っているので、試着の一つ、コートを身に着けながら一応聞いてみる。

「あぁ……」

アサヒはやっぱり、曖昧な返事だった。

「あったかくしていけよ」

それだけなのか、とか、カグヤにいじられていたけれど、私はやっぱり、カグヤのおじいさんを思い出してしまって、あまり気にならなかった。

「あったかくしていくよ。アサヒもね」

「俺は……平気だ」


女の子にも、暖かそうな可愛い帽子と、もふもふしたファーがついたコートを買った。

「これで、風邪引かないね!」

「うふふ、とっても可愛い」

それから。

「うん。似合ってる」

「ガタッ!」

 椅子さんにも、暖かそうな毛糸の靴下を買った。椅子用の靴下で、外れにくいように足首に巻くリボンが付いている。

お店の人は、なんだか不思議なものを見るような顔をしていたけれど、パートナー制度が広く適応されたのもあって、椅子さんとのことに深入りしてくることはなかった。

「椅子さん用の靴下もあるんだね」

みずちやめぐめぐが珍しがって、椅子さんを取り囲んでいた中で、椅子さんはどこか恥ずかしそうにもじもじしていた。

それを見ているとなんだか落ち着かなくて、背もたれを引き寄せるように抱き着く。

「椅子さん……」

椅子さんは触手を伸ばして、私の頬に優しく触れた。

――ガタッ。


 それだけだった。なのに、なんでか、胸がいっぱいになって、泣きたくなる。

まだ、北国に行って、帰ってこないと、なのに。

椅子さんとのことを認めて貰えるまで、いろんなことがあった。

悲しいことも沢山あったけれど、それでも、諦めなかったおかげで、対物性愛が、正式に恋愛として市民権を得た。

これが昔なら、病気だとか言われて狂人のようなレッテルを貼られていただろう。

でも、塗り替えた。


 許可証の申請が通るってこと、こうやって、のんきに外で買い物をしたりすること、自分たちのために大きなことを成し遂げようとしていること――どれも、夢みたいだ。

お金を大事に使わないといけないので、その後も試着で何度も出会いと別れを繰り返し、慎重に買い物を終えた。




「本当に、行くんだよね」荷物を担ぎながらの帰り道。

私はぽつりと呟いた。

これから、いろいろと荷物をまとめるべく自宅に向かう。


 今までずっと、家と近所を往復するだけだった。

何をするにも代理の人がいて、まるで離人症みたいに、他人を眺めているだけだった。

ずっと、そうやって、生きているのか死んでいるのかわからないまま時間が過ぎていって、どこにも行けないのだと思っていた。

けれど、私は、存在するんだ……

私が、私のために思考して、行動しても、誰にも怒られない。


「航空券の予約とか、荷物の整理、電圧も違うし、出かける前に何を食べるかとか、まだ考えることがあるぞ」

アサヒが唐突に現実を突き付けてくる。

「えぇー-めんどい」

「めんどいとかいうな。面倒なものなんだよ」

「うー……頭が、こんがらがってるよ。ずっと、見張られて、誰かが、代理をして、私は、どこにもいなくて、そうやって、続いていくんだと思ってたから」

「アサヒは旅行のプロだから、だいじょうぶだよ」

女の子が真面目な顔でそう言うので、私もそっか、と便乗した。

「アサヒは旅行のプロだったね」

「なぜ俺にプレッシャーを与えてくるっ」



 自宅への坂道に向かいながら、私は、椅子さんをぎゅっと抱きしめる。

 こうやって、外を歩きながら椅子さんを抱えていると、正直今も少し胸が痛んだ。

戦っているときはそれしか頭に無くて気にならなかったことを、一気に視界に入れてしまった。


 忘れたわけじゃない。結局、パートナーとして認める後押しになったとはいえ、全国放送されてまで椅子が好きな自分を笑い者として放映されたのだから。44街の人の目に、どんなふうに自分が見えていて、そして椅子と一緒に歩いている自分をどう思っているか、考えてしまうのが辛い。

 同性愛者にはアウティング、という言葉が認知されるようになったが、私のことに対しては、そんな認識はまるでないらしく、今になっても何も、謝罪も、その点に触れた言葉も聞くことがない。

 なのにまるで何もなかったかもように、ただ書類一枚で過ぎていくのが、どこか不気味で、虚しくて、変な感じだ。

服屋さんに行った時も、カフェに行った時も、何も、言われなかった。

何も……物が好きな人だって、たくさんいるはずなのに。


(こんなこと、思うのって変なのかな……)

椅子さんは、私を気遣うように見上げてくる。

椅子さんは不思議だ。目。はないはずなのに、視線を感じる、と思った。

「──だ、だいじょうぶ、だよ」



 しばらく歩いて家に着く。さっそく慣れた手つきで玄関の鍵を開けた。

少し、まだ、散らかっているけれど、それでも、私の家。

「ただいまー」

玄関に踏み込むと、緊張が一気にほぐれた。

入ってすぐの部屋にアサヒが置いている荷物や、私がまとめかけていた荷物を見つける。

無事に残っているだけでなんだかやけに安心してしまう。

アサヒは取材などで、なんか知らないけど、コートとかも持っているようだった。自宅から持ち寄った荷物を改めて確認していた。


 後で、これらを確認するとして……

私はまず夕飯の準備をしなくては。


その前に。そっと椅子さんを床に下ろし、私は部屋の天井近くの高さに備え付けられた神棚に向かうと祈る。


「無事に……行って、帰ってこられますように」





















 


 44街は夏が終わり、少しずつ夜が長くなり、秋になり始めている。

火災後も人々は懸命な復興作業を続けた。

 支援として被害のひどかった地域にはいくらかの保障費用が配られ、あちこちに仮設住宅が建てられた。

まだ、人々の傷は癒えたわけではないけれど、それでも、無理やりにでも歩くしかない。


 44街がこれまで迫害し続けてきたものを明らかにし、確執を浮きだたせる人災。

またある人たちにとっては、かつてのようなテロに等しい。

ある事実から目を反らし、またある事実に目を向けさせるために集団によって行われた。

そして、今も――――


「明日の、ラブレターの発送準備は終わりましたか?」

「明日、ですよね……ドキドキしております」

「えぇ、明日」

明日、を合言葉に、ラブレターの発送準備が進んでいく。

ハクナたちが調べ上げた、学生たちの好み、言語に合わせてレターを作成し、下駄箱やメールから送付する。

まるで少し早めのサンタクロースのようだ。係になった信者たちは、もくもくとその作業に明け暮れた。

 ラブレターテロのような、危険なリスクの例外に「スライムが凶暴化させたスキダが、少女と、その恋人の椅子により、殺されている」という事実があるのを、上層部は隠していた。





 敗北を認めたヨウは、無断で持ち出していた兵器について、また、ハクナの裏指揮をとっていたということについて,上役からの聞き取り、監視が始まっていた。公民館の二階の一室に設けられた簡易な取り調べ室にて、取り囲まれた彼は連日の会見を行うこととなる。

「どういうことなんですか? 椅子を追い回し、独断で兵器を使用していたというのは」

「あれは、議会で以前禁止されたはずですよね」

「あんな人目に付く場所で、再現空間を開くなんて、ノハナさんがあのまま死んで収集がつかなくなっていたら、恐らく制御不可能な量のクラスターが拡散されていました。必然的に我々も巻き添えだ。そのときどうするつもりだったんですか」


ヨウは、次々話しかけてくる複数の関係者の声をパイプ椅子に座ったまま、やる気なさそうに聞いていた。

そして、だるそうに、一言だけ呟く。

「あぁ。だから……。あの戦いの映像をわざわざ報道したのは、お前たちだったか」

組織にまで裏切られていたとは、とヨウはやれやれというふうにため息を吐く。

「どちらみち、市から『接触禁止令』の許可が、うまくいかなかったんだ。めぐめぐから露呈する可能性がある。終わりだね」


会長が指示した戸籍屋からの個人情報洗い出し、精神障害者への薬物許可などもそこに噛んでいる。

ラブレターテロでも、スキダの効果をうまく引き出すために媚薬のような薬剤を振りまいたケースもあった。

『秘密の宝石』の配布の効果はヨウやギョウザさんたちがもたらした恵み──

前会長にも成し得なかった、怪物化を防ぐ魔法のお守り。

 もちろん、全体的に見れば完全に防いではいないけど、自分自身の身を守るくらいの効果はあった。

『運命のつがい』が協力して身に着けたり触れ合うと、共鳴により家族全体に恵みをもたらすとされている。

「今回の、取引の目標は、大体決めてあるけど、いいの? 俺の指示がなくなっても」

「我々が引き継ぎます。ヨウさんと同じように、我々にも出来ます」


『幹部』の一人、クロネコ、がドアを開けた。

 ヨウが地下から兵器を持ち出していたことを発見して報告したのもクロネコだった、通行止めもそれ由来と判断された。

それになにより『あの放送』からの緊急召集。データはあかでみあ社に送られていることや本人から連絡があったことが内部から連絡が来ていよいよ彼の容疑が確定し始めた。ヨウはハクナともよく接触している。局などのスポンサーを牛耳るギョウザさんとも通じていた。

 観察屋を通じて『悪魔の子』に会いたいと歪んだ熱意を向けていたこともクロネコは知っている。

「『悪魔の子には、会えましたか』」

「……なんだ、黒猫じゃないか。あぁ、会えた。あの力が欲しかったが、兵器を使っても無理だった。あれは俺が扱える代物じゃない」

「そりゃ、そうですよ、あなたは人並みの心をお持ちですから」

クロネコは、わかっていたというようにニャハハハと笑い転げた。

「人、並み……?トモミを愛していた俺――私が……」

「当たり前のように『好き』を享受出来る我々と、あなたは変わらない。

あなたは、我々と同じ、その概念の境界から出るすべなど持っていないのですから。それを取りまとめる力を得ることなどあなたがいくら努力しようが不可能」

クロネコの横から、しお、が出てきておずおずと話した。

「しおも、本当は、ハクナ側が何かしようとしてるのずっとやめさせたかったんですよ。

ハクナ側はどうにか前向きな発言で自分を鼓舞しているようですが──

限りなく黒に近いグレーだったものが仕様と言うにも少々厳しくなってきています。市民も薄々勘付いたりし始めましたし」

斎藤が、さらに背後から現れて言った。

「独断と独り善がりの勘違いで勝手に暴走した結果だ。学会も疑われ始めた」

その横から、岡崎老人が苦々しい顔で唸るように呟く。

「ああ、我々には政治が──学会があった。少なくとも今は、44街の支配者だ……だが……もう……変革の時が訪れたようだ」



「なぜなんだああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

突如、静かに言葉がこぼれるのみだった部屋に、激しい絶叫が響き渡る。

ヨウは発狂したのだ。

「俺が考えた! あいつの事件も、俺が、考えた! 俺が考えてきた事件だ! 俺が、トモミのために考えた事件────」

「痛みは、受けた側のものです。事件の重みは、その事件を被った側に降りかかるもの。その事実は、考えただけのあなたには、どうにもなりません」


クロネコが、少し寂し気に呟く。

がたいのいい男たちが現れ、ヨウの両腕を拘束していく。



「ギョウザさんにも、じきに監査が入るでしょう」





 ヨウは、トモミを捨てても、トモミの代わりを探した。

トモミしか要らなかったが、ゴミにして捨ててしまった。

自分でも、わからない。なんで、こんなことが出来たんだろう。

それでもトモミのことを愛していた。

その喪失感。恋人のように、可愛い妹のようにかわいがっていた。

だけど、自分は鬼だったのではないか。

妹のようなあのトモミのフォルムが、頭から離れない。

あれから何度もゴミ捨て場を探したが、もういない。

鬼に、捨てられた、トモミは、どんな最期を辿っただろう。

妹、妹、妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹妹。

こんな鬼で、本当にすまなかった。


 ヨウは、激しい罪悪感から、再び部屋に籠りきり、『妹』が出てくる小説を書き続けた。

現れるはずもない『妹』の影を、感じているような、より、精神を通じて愛し合うような、不思議な感覚がヨウを満たすようになる。

彼女、としなかったのは、自分の身体の一部のように生活に馴染み過ぎてしまっていたためなのか、本当に妹のように接していたためか、ヨウ自身もうまく言えないけれど――


いつしか、人間の姿で現れたら、また、愛し合おう。


ヨウの中の『妹』の精神は、どこかで人の形をして存在するはずだ。

彼の特有の思考から、いつしか観察屋に入り浸るようになり、ギョウザさんにも献金などを通じて仲良くしてもらい、



そして、ヨウは観察屋の下調べを得て、トモミにふさわしい『妹』に向けたラブレターを発信する。





「皮肉な……、ものだな」

牢に連れて行かれながら、彼は誰にも聞こえない声でぼそっと呟いた。

テロ、と呼ばれたラブレターは、もともと、ヨウ自身の本心からの綿密な下調べを得て愛を語る、妹への手紙だった。

だけど、いきなり匿名で生活密着型のラブレターが届いても、一般的な女子は恐ろしがり叫び声をあげてしまうだけだということを、彼は知らなかった。運命の妹に、会えると信じていたから。



「うん、鬼さん。私、鬼さんの気持ち、つたわったよ。私も、おに……ヨウのことが。だぁいすきっ!!!!」







 次第にそれは、スキダを誘発させ、ときに破壊させる大量殺りく兵器として機能し始める。



44街で、通常の恋愛が出来ないものは不幸だ。

当たり前の好かれ方をしないものには、悲惨な結末が待っていた。

当然のように、血を吐き、暴れ狂い、人々は、告白し、突き合った。

スキダは怪物に変貌し、罪もない生徒を食い殺した。

テロ以外の何ものでもないそのラブレターを、学会は、承認する。

 ギョウザさんは、ヨウを責めたりしなかった。



部屋を訪ねるなり、ニヤニヤしながらこう告げる。


「スキダを……悪魔ってことに、しちゃおうねぇぇぇぇン!!」


誰かが愛し合うのも、憎しみ合うのも、みんな、スキダがあるからだ。

みんな、好き、があるからだ。

それはまさしく、悪魔の囁き。


「きみじゃない、悪魔がいけなかったんだ」


ギョウザさんの横には、せつ、が居た。ギョウザさんに不安そうにしがみついて、頷いた。


「ワタシは感謝してるんだヨ。この子を、『ある理由』のために育てているのだけど。


せつがどうしても欲しい、純度の高い――宝石(スキダ)を見つけるのに君は一役かってくれたんだから」


ヨウのラブレターは、一部の人たちの発作を誘発するのだという。

スキダ、の濁りが少ない人々は、裏で宝石にされることがあった。

彼ら彼女らは、本来通常よりも他者の感情が響いて具合が悪くなりやすい。

その濁りは、メラニン色素のように、多くの人間が心に持っているもので、少ないと直射日光を浴びて火傷する場合もある。暴力なのだ。

その好意の暴力を、より悲惨に、強く、相手に向けることのできる素質を、ヨウは持っていた。



「ラブレターを描いたり、ラブソングを歌うだけで、こんなことが出来る人間が居るとは思わなかった。これはいい漁が出来る」










・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「行くのさ、北国」

私と女の子はええーっ!と同時に驚いた。


「確か北国に、『闇商人オンリーのやかた』がある。普通に行くだけじゃ危険だが、学会についていけば……」


「でっ、でも! 怖すぎるよ、洗脳されたりしたら戻って来れないかもしれないじゃない」


「っていうか何そのやかた」

女の子が冷静につっこむ。


「盗品を売りさばくやかただ。嫁品評会に出入りする盗賊、サイコがよく訪れる。

サイコの居る所に、嫁品評会の情報もあるはず」







 今、44街のある研究所、研究員たちの間では、スキダの生成環境や健康的なスキダの発達以外の要因とは別に、生物には異性や同性、その他対象を対象とする為の識別、選択する為のみの能力が備わっているという仮説がたつのではという報告が相次いでいた。


 フェロモン、相貌認識力、空間把握力など多岐に渡るものであり、簡単にいうならば、何を持って相手を認識するか。

 地上に住んでいたとされ今は深海に住む44コイも、普通のコイとは異なり、ひげに触れた電波からしか相手を認識しないため、地上種とは交尾を行わないという。

相手を認めるまでに、外的な、選択能力がスキダの誕生以前に、まず先に存在している。

人間でもまた、スキダが通常と異なるものが居る。彼らは通常のシチュエーションにも通常の相手にも興味を示さない。

まるで深海の44コイだ。


──スキダは本当にその名前通りの存在なのか?

怪物化の鍵がここにあるような気がする。


 会長にあった翌日の朝から、ずっと「眼鏡」はしばらくスキダを機械にセットしたまま見つめ続ける重大な作業をしていたのだが……昼間妙な胸騒ぎを抱えて、一旦研究所の休憩室に向かう。

 携帯アプリでなにか癒されるゲームでも探そうとしていると、着信アイコンが点滅した。


「はい……44街恋愛研究所……アサヒ!」


「久しぶりだな、眼鏡」


アサヒは観察屋をしている旧友で、たまに話をする仲だった。今もあちこちの空を飛び回っているはずだ。

ちょっと懐かしくて嬉しい。

「どうしたんだ、急に?」



「眼鏡、前に言ってたけど、スキダの変異を探してるんだろ、もしかしたら手に入るかもしれない」


「──ほほう、取引か。何が望みだ?」


「まあまず聞け、実は今度北国に行こうと思ってるんだ、マカロニのことを知っていそうなやつが居る。北国にはハクナや学会員も行くらしい」

「──まだ、あきらめて無かったか。

そうみたいだな、いつものボランティアだろう?」

「訳があって、今は俺はハクナの……移動ルートを知らない。どうせ懇意にしている児童養護施設辺りをめぐるだろうが、万全を期したい」

「ルートの確保か……わかった、考えておこう……スキダの生体調査と称することも出来るからな」

「眼鏡っ!」

はしゃぐ声。

本当に、変わらない……

マカロニが居なくなった頃から、ずっと



20212/1202:33~1456







 朝。


   オージャンが電話をくれた。

病院地下の霊安室扉の付近で、遺体を運ぶ人から『闇商人オンリーの館』の住所を聞き取ったらしい。

そこは、あらゆる盗品を売りさばくお店で、なんだか悪い人が出入りするという怖いお店のようだった。

 メモを取って、私たちに見せた後、アサヒはその紙をジャケットの中にしまった。

「これで、足取りを追う手掛かりが一つ出来た」



ちなみに今、私は台所で朝ごはんの支度中。

アサヒは部屋で荷物を纏めていたところである。

アサヒと言えば少し前、観察屋のヘリ使えば? と言ってみたら、領空って知っているか? と曖昧な回答をされたりした。

(そもそもあれにはそんなに大荷物を持ち込めない)


「いっとくけど! お前ら、向こうでは、俺が居ないときに出歩くなよ」

ビシッ、と指をさされて、私と女の子は不満の声を上げた。

「えー」

「観光、したぁいー」

とりあえず声を上げてはみたが、なんとなく理由は分かってはいた。

「あいつら、特に女を売りさばいてるんだよ。この前も、女が海外を一人旅して、行方不明でニュースになっていただろう」

「……うぅ」

朝ご飯のお味噌汁をよそいながら、私は唇を尖らせる。

アサヒの目は、結構真面目に私たちを心配しているようで、それらしい気迫を感じられた。

 誰かを二度も目の前で失いたくないという強い意思が伝わり、なんだか胸が締め付けられる。

復讐のために観察屋に入るくらいの彼の想いが『その感情』を知らない私にはまだ少し、重たい。特に注釈をつけていないけど、アサヒの方が年配で……私よりも人生の年季というか重みがある。反対に、まだ、外の世界を知り始めたばかりの私は、知らないことだらけで、こういうときもどのように受け止めるのが正しいのかわからないままだ。

 誰かの死とか何かの破壊は、生まれてから今までも『気づいたら死んでいる』『気づいたら終わった』ものが多かったし……


(私は、立ち合いたかったって、思うこともある。 絶望がわかっているのに)

目の前で、変わるものがあるとすれば、私も変わってしまうんだろうか。

(その痛みを、血を、焼き付けておきたかった、そう、思うことがあるの。私は、泣いてもよかったのか。取り残されたみたいで)


「わかったよ。アサヒの後ろについてくから……トイレとかはどうするの? アサヒついてくるの?」

 アサヒが目を反らす。頷いたらそれはそれで困ったのだけれど、アサヒにはなぜかつい、よくわからない事を言ってしまう。

オージャンもそんな感じだったし、そういう電波かなにか発しているとしか思えない。

「さすがにそこまでしない。各自気を付けるように」

「はーい」

「はーい」

あまり困らせても悪いかな、と私たちは素直に返事をした。

「昨日、チケットの予約を済ませたけど、パスポートは、持ってないよな……」

お味噌汁を三人分よそって、一息ついた瞬間に、横から話しかけられ、ドキッ、と心臓がはねた。

これが、ドキッという現象か。

そう、椅子さん。椅子さんと書いた書類が、脳裏によぎったからだ。


「よかったな。『椅子』で、パートナーの書類が通ったから、その割引もある」


「う、ううううううん」


思わず動揺で声が震えた。何回聞いても泣きたくなるくらいに感動的な響きだ。


「ほ、ほんとに、椅子さんで、良いんだよね? 夢じゃないよね?」


「夢じゃないよ!」

お味噌汁を机に運ぶ女の子が、嬉しそうに私の背後で飛び跳ねる。

「椅子さんと、おねえちゃんが、世界に認められたんだよ!」

「やったー----!!!!」

何回目かわからないやり取りをする。何度も確認してしまう。けれど、アサヒも女の子も咎めなかった。嬉しい。

 買い物途中にも、通行人に笑われたりすることはあった。人を好きになるのと、物を好きになるのは変わらないのに。

それでもこうやって祝われると、私が信じる椅子さんを信じて良いのだと、改めて、安心する。出先でも笑ってくる人が居るだろうけれど、私は堂々として良いのだ。話をしていたら、部屋の奥から椅子さんがやってきた。

「ガタッ……」

 椅子さんたら、買った靴下を気に入ってずっとつけている。

それで、嬉しそうにオムレツを乗せるための皿を、こちらに手渡してくれた。

「あ、ありがとう」

前にも増して、装飾が増えて、どこか逞しくなった椅子さん。

新しい魅力が増えてしまった。

「ガタッ」

「うん。おはよう。椅子さん。疲れてるならもう少し寝ててもよかったのに」

「ガタッ」



用意した朝ご飯を食べながら、パスポートの取り方を聞いた。


「えっと、パスポート申請書、戸籍謄本、住民票の写し、写真、本人確認できる書類……」


 話を聞きながら昨日の夜、荷物の整理をしていたら、箪笥の奥から、二人、お人形さんを見つけたのを思い出す。

それぞれの腕の先や、頬に、一滴、二滴ほどだけ紅黒い染みがあったが、至って記憶の通りだ。

なんだか、懐かしくて、お守りに持っていこう、とリュックにいれた。

いつも、私を助けてくれたのは、目に見えない魂たちや、人形さんたちだ。戦うこともあるけれど、基本的に愛おしい存在。

でも、あの頃を思い出すから、今まではあまり思い出さないでいた。

椅子さんが認められてから、彼ら?にも、改めて感謝できるようになったと思う。


「そうだ。申請書は手に入るし、戸籍……は存在するよな? 接触禁止令が拒否されたんだから。住民票も。あとで役場に行くか……田中は居ないだろうけど……本人確認できる書類は」


「保険証とかは、あったと思う。クロが怖くて、ほとんど使ったことは無いけど……」


「まぁいいや。パートナー制度の書類でどうにかなるだろ。とりあえず、写真、撮りに行くとして」


アサヒがテキパキと説明していくのを聞きながら、私はついにやけてしまう。こうやって、自宅でのんびり食事するのも久しぶりだ。

 どうせ、旅先では、笑っているばかりではなくなるのだから今だけは幸せでいたい。


「話、聞いてるか?」


「えっ、あっ、うん! 大丈夫だよ。パートナー制度ってすごいねぇ! 個人として、存在が認められるだけで、出来ることが増えるんだぁ! 漠然と、私は、どこからも許可されないから、どこにも行けないと思ってたよ。すごい! みんな、認められて、当たり前みたいに、こういう制度とかを利用しているんだね! 視野が、広くなった感じ!!


 こうやって、存在を認めて貰って、それで、旅行したり働いたり出来るんだ。それって、私にも出来るんだ……そっかぁ」


「すごいか? そうか」


女の子は、難しくてよくわからないらしく、黙々と食事をしている。


「アサヒが最初に言ってたのって、こういうことだったんだ! やっとわかったよ。社会に保障されるって、幸せなんだね!!」

嬉しくて声が弾む。なんて幸せなんだろう。こうやって、成長していくのだ。みんなと、同じように、私が存在出来るようになる。

 ――ふと、目の前が暗くなった。

布の感触が顔に触れる。

ぬくもりを感じる。それ、がアサヒだと気づくのに数秒かかった。強い力で抱きしめられている。


「馬鹿野郎……」

一体どうしたのかと事態が呑み込めないでいるとアサヒの、押し殺したような、震えた声が、頭上から響いた。


「当たり前の制度なんだよ、そんなのは……っ……最初から……最初から! 認められてなきゃ、いけなかったんだ……」


「アサヒ? どうしたの」


アサヒは、何も答えない。泣いているのだろうか。


「もう……大丈夫、だよ。田中さんは、逮捕されたし、学会も……あ、あの。あの……」


どうしたらいいのかわからない!

女の子がどんな反応をしているのかも、椅子さんも、此処からは見えない。

でも、だけど、アサヒは観察屋に居たのだ。怪物に変わる間際のコリゴリも、何かを後悔しているようだった。

そちら側の人たちとしての思うことがあるんだろう。


「ありがとう」


アサヒの背に手を回す。


「きっと、私、今まで目を逸らしてるだけだった……何も言えなくても、代理の人が居る、そういう制度なんだって思って疑問を持とうとしていなかった。だって、私、化け物だから……そう、思ってた」


「そんなことは無いよ。君は、いつだって、私には美しく見える」


「えっ……そうかな、なんか、照れるな」


アサヒの抱きしめる力が強くなる。


「えっ、えっ? アサヒ、なに?」


「この身体は良い。私にも馴染む」


いつの間にか、アサヒの雰囲気が変化していた。顔を近づけて、やけに艶っぽい目で見てくる。

これは、あれだ! え、えっと……!


「わわわわわ…………」


「椅子の姿でいるときには、情熱的に抱き着いてくるのに……」


「はわわわわわわわわわ!!! あの、それはっ、えっと……でも、椅子さんは、椅子だから……アッ、アサヒは、今、どこに居るんですかっ!!」


「あんな奴のこと、今なんの関係がある。お前たちはちぃと、仲が良すぎる。なんだ? 私に見せつけているのか。良い度胸だ。こうやって、体を奪うことも出来てしまうぞ」


「ごっごめんなさい……!! そうじゃなくて! あのっ!」


こういうとき、どうしたらいいの!?


「いっ、椅子さんは、椅子さんの、良さというか」


「魂は、同じだ。どんなものに宿ろうと、どんなところに居ようと、私は、私の魂だ。それが、お前が愛する椅子なんだよ」


「でっでも、私、椅子さんの身体も好きです……よ……アサヒのことは、その、とりあえず、アサヒを返してあげて」

「やー------だー--------喫茶店に、服屋にと、放置されて、寂しかったの」


ぎゅうううう。椅子さんが子どものように拗ねる。見た目がアサヒなのがややこしいけど、それでも椅子さんは椅子さん。

かわいいと思ってしまった。

「も、もう……しょうがないな。アサヒ。聞こえるかわかんないけど、ちょっと、身体、借りるね」

「アサヒがしゃしゃり過ぎたら、こうやって、出てきてやるからな」

「うん、良いよ」

どうすればいいか、よくわかんないけれど、そーっとアサヒの頭を撫でる。

「にしても、怪物にならない、なんて、すごい……な」

アサヒと、椅子さんを、抱きしめる。

スライムの死を思い出す。コリゴリの、最期を思い出す。悪魔の子だと、呪ってみろと叫ばれた日を思い出す。

私に近づく人はみんな怪物になってしまった。殺し合った家族も、そうだった。

「大好き……だよ……」


魂は、抱きしめて貰える身体を求める。還る場所をいつも待っている。


いっぱい、私が死ぬまで、愛すから。だから、


「ずっと、一緒だよ」


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