第6話 過去


 人間は沢山いるというのに、何故、みんな、だれかのことしか見ないのでしょう。

似たような人間は沢山いるというのなら、何故みんな、だれかに執着するのでしょうか。

誰かを好きになれる人。

誰かを好きになれない人。

この差に関わらず、誰かは好かれ、誰かは嫌われる。


 みんながみんな、ひとりに一人ずつ、平等に、他人を好きになる気持ちを享受出来る仕組みがあれば、それとも、たったひとつ、あまりにも越えられないほど、に全ての民を超越する者が居てそれに対して捧げる忠義があれば、人々は少しでも平等に、冷静に自己を省みて、周りと比べられずに、誰かをうやまい、想いあう気持ちを持てるのではないでしょうか。


 大切な人が、何人も居るなら、きっとそれは尊いことです。

人間が学ぶべき、人間が人間として存在する上で欠かせないそれが幾つもあるなんて、これほどに恵まれたことがあるでしょうか。

 大切な人が、なぜ大切なのかも、大切とはなんなのかも、そもそも好意などというものがあるかどうかすらわからないなら、きっと、その尊さを前にするほど、苦しいでしょう。











悪魔ぁ!

呪ってみろよ!

呪ってみろよおおおおお!!



44街に、少女の絶叫が響き渡る。

「悪魔あああああああ!!

呪ってみろよ!!

そうやって、呪って、みんな殺してみろよ!!」


 彼女を止めるものはなく、彼女を理解する者もない。

『悪魔』という自分の支えを失ったせつは歩道をふらふらと歩きながらも、訴えるように叫んでいた。 

 アサヒたちは市庁舎の前に向かっていったようだったが、せつは一旦引くことにした。


(──どのみち、あんな人通りのある場所では悪魔の仲間を消すことは出来ない。まあいいわ)


 場から抜けたついでに、ふと見ると、携帯端末に連絡が来ていた。

 共にウィークリーマンションで暮らす『親切な友人』だ。

彼によれば、ギョウザさんたちがなにやら動いており、せつのことが伝わったかもしれないらしい。

 せつの存在が明るみになることは、悪魔が明るみになるということ。

 ギョウザさんや幹部にそれが伝わるということは──

簡単に言えば、せつの排除を意味していた。


 これまでずっと悪魔に近付くものは事前にリサーチして、先回りして殺して排除して来た。

 せつたちには野望がある。

ゆくゆくは44街全てを乗っ取って、そこの神から何から何までを、恋愛総合化学会にし、果てに王に君臨する。

 あの『家系』から母を殺して、父も消した。あとは娘だけだった。それに成り代わる役目をせつがこなし、物心がつかないうちに、洗脳すれば楽勝だと、そう考えて今までずっと──うまく、いっていた。


 なのになんでだろう。

平和ボケした街行く人たちが、恋愛サイコー!

と叫ぶのすら、いまは、胸がいたい。

 かつての宗教に引き込むときの洗脳手順がまだ息づいていることに、安堵と不安、焦燥感を覚える。


(──作戦は、完璧。

確かに、完璧なのに)


観察屋に頼んで、学会の番組で悪魔特集を流しているし、その合間に、胸キュンキュン体操で街全体に連帯感を出す。

 悪魔を笑いもの、または醜い存在として繰り返すように全て大人が手配して、物心がついたときにはみんな立派に悪魔を嫌うように育て上げられ、常識を改めて疑うことはない。この手順は、隣国の、せつの国の兵隊を教育するときにも使う有効なもの。

国くらい簡単に奪える、そのはずだった。


 仕上げに、仲間を殺すときは必ず「悪魔の呪いだ」と言う。 そうやって都合の悪い人物を消していた。

いつしか本当に悪魔、はよりリアルな形で44街の上に出来上がっていた。

ほら、完璧じゃないか。

なのに……どうして、こんなに、焦燥感にかられるのだろう?


アサヒは、あいつは人間だと言いきった。人間。何年もかけて、教育してきた44街で、よりによって、観察屋が言いきったのだ。


「あぁ──悪魔、あぁ──」


 せつは自身が殺されるとしたら悪魔のせいだ、と既に決めつけていた。辛いことはとりあえず悪魔のせいにしている。でも、もう、わからない。


「ああああああ───ああああああ──ひとりぼっちは、嫌ああああ────アーチは、嫌ああああ」


──孤独は、悪か?


囁く声が聞こえて、慌てて辺りを見渡す。誰もいない。


──孤独は、悪か?


「ひとりぼっちは、嫌……」


振り払えない不気味な声に、思わず耳を塞ぐ。


「呪いは嫌ああああ! 早く殺せえええ!」


・・・・・・・・・・・・




──孤独は、悪か?


ひとりは、嫌か?



──孤独は、素晴らしい。


しゃがみこみ、踞る。気分が、悪い……

そうしていると、ますます、孤独を感じてしまう。いつも、そばには必ず誰かが居たからか少し目を閉じても不安でたまらない。

孤独が悪かなんてわからない。

でも、もう嫌だ。

自分、のように孤独な悪魔を、自分、のものしてしまえば、きっと満たされるような気がする。

気がするのに、胸の奥が、ざわつく。

アサヒ、それから、横にいたこども。

まるで嘲笑うみたいに、悪魔のそばに現れるようになった人たちの出現に、うまく、穏やかになれない。


「ううん、悪魔、は……私だけのもの……私だけの、私にふさわしい! きっと誰より優秀、誰よりも素晴らしいわ……だからこそ、私が、成り代わるんだ」


改めて言い聞かせる。大丈夫、大丈夫。

私は、あの故郷の人たちみたいに、新しい皮をかぶるんだ。新しい私になるんだ。

そして、貧しい生活から抜け出してみせる。悪魔もきっとそのうち、なんとか仲間に──


「さっきから、なに叫んでるの。重い女。

平等に好意を享受すること、恋愛総合化システムの意味しているもの、それに、あなたは相応しくない」


 幻聴、ではなく、すぐ後ろから聞こえた声にぎょっとする。

せつにこんな口を聞く人物は限られている。

「万本屋北香……!?」


 近くに停車した車の窓から顔を覗かせた人物は、せつもよく知る親しい友人だった。過去、小さいときからよくトオイと呼んで慕い、世話をしてくれていた。


「久しぶりだね」


「久しぶり。どういう意味?」


「人から聞いたんだけど、あなたたちが昔活動していた宗教団体──いまは新しいやり方で信者を増やして、過去の遺物は消そうとしているらしいね」


「何の話ですかぁ? そんなのやってたかな?」


「……悪魔、も、そのひとつなの?」


「なんの話ですかぁ」

せつは、いつものように気丈に笑って見せた。大抵のことはヘラヘラ笑って受け流す素振りを見せれば、こいつは聞く気がないと話を短くしてくれたりする。


「前からちょっと疑問に思っていたの。44街の資料を調べても、学会が元々信仰していたのは悪魔じゃない、神様だった。悪魔、なんて話が出始めたのはつい最近のこと。あなたが悪魔を呼ぶのと関係ある?」


万本屋は引き下がらなかった。

依然としてせつから目を逸らさない。


「え、ちょっとなにいってるかわかんない。いや、うちも、大変だから。悪魔が居るなら私──もういいかなって」


「スポンサー関係の番組が、悪魔を揶揄する内容ばかりなのも、あなたたちが流れてきてから、そうじゃない?」


 自分を世話をしていた人物から、そんな話が出るなんて思わなくて狼狽える。



「────っ」


万本屋の車はやがて、黙ったまま答えられないせつを置いて、そのまま市庁舎の方へと向かって行った。





4/10AM1:40


















 田中市長は、幼い頃から魚頭だった。周りは人間の頭部の人ばかり。

魚頭を受け入れてくれる人なんか居なくて、まるでスキダのような形をした頭部が憎かった。

 田中の両親は世間の目を気にし、怖がり、「スキダの呪いにちがいない」と彼女の魚の頭部がなんとかなる理由づけを求めて、設立されたばかりの恋愛総合化学会に彼女を投げ入れようとした。

 そのときには、世間に育児放棄と騒がれたため、渋々彼女を家庭で育てることで了承する。

その後少しずつ家族に打ち解けたように、みえる田中だったが──


「うわああああ! スキダがほしいいい! ほしいいい! ほしいいい!」 


 数年後。

成長してもずっと、頻繁にミルクと、スキダを接触しなければ具合が悪くなり泣きわめく幼いままの田中に不安を感じた両親は専門医を訪ねる。

他の子と田中は違う。

医師は真剣な顔で両親に告げた。


「彼女の、脳に疾患が見つかりました。うまれつきスキダを制御出来ないことと、魚頭は関係があるのでしょう」


 脳の疾患、そして精神的疾患が田中の身体を蝕んでいた。

スキダは精神的なものの具現化とされている。

 疾患によりスキダが制御出来ない彼女の身体は、まるでスキダそのもの──魚頭となって現れたという。

遺伝的なもので、両親も因子を持っていたらしいが、田中はそれを濃く、さらに強くついでしまったのだ。


 発狂、難聴、落ち着きがなくなるなどが顕著に現れる。

 症状をおささえるためには、自らは作り出せないスキダを他人から貰うしかない。田中は他人の持つスキダを摂取するしかない身体だった。


 彼女が高校に入学したばかりの頃、運悪く、田中に寄付されたスキダが怪物化する事件が起こる。

スキダをほしいほしいと泣きわめく彼女の前で、皮肉にも、その「ほしいほしい!」と思ってやまないスキダが、両親を殺した。


 部活で遅くなりながらも帰宅した彼女の目の前、キッチンに広がっていた惨劇。伸びた触手が、父母の首を絞め上げている。


「ああああああああああああああああああああああああ!!!」






居場所も財産もなにもかも無くした彼女は恋愛総合科学会によって救われ、彼女の運命のつがいであった前会長によって、救われた。

 学会の力で彼女は好きなだけ安定したスキダを得ることが出来、症状ももう随分と出ていない。


 だから今も本気で信じている。

運命が、恋愛が、つがいを、幸せを作る。

彼女が恋愛によって自分を生まれ変わらせたように。



スキダは単なる田中の食料じゃない。ときには誰かに寄生する。

 けれど、スキダは自分の入り込めない相手に奇生することはないはずだ。そう、完全に正解でなくてもいい、44街はこの強制力により、今も怪物から守られている。

少しでも、守られているはずだ。

みんなが、気持ちをひとつにしさえすれば、もう、誰も怪物に殺されないと────

思い、たいのに。









 

 昔、ヨウにはコンピューターの恋人が居た。

難しい計算が得意で、スマートな青いボディ。予期しないことでときどきフリーズしてしまうものの、愛嬌のある丸っぽい顔立ちは一瞬で彼を虜にした。

 それは、学校に行かないヨウが、唯一親から与えられた初めての身内以外の対等なコミュニケーション相手だった。


「カタ……カタ……カタ……カチッ……カタ……」

「トモミ……そろそろ、深夜だな。寝るか」


 暗い部屋。深夜まで勉強していた彼、はトモミに話しかける。

そろそろ中学校ほどの年頃だった。

 小学校のときから学校に通っていない彼にとって『そのコンピューター』は特別だ。

ときに通信教育や計算の先生であり、ときには友であり、そしてプライベートの恋人のその人を、トモミ、と呼んでは話しかけている。

 彼にとっては、トモミはいつだって勉強机に座って明るくヨウに話しかけてくる可憐な少女だった。


「お前みたいな色、グレーっぽくて、青っぽくて……ロシアンブルーって、いうらしいぞ……ふふ。猫の種類だ。トモミみたいで、可愛いだろうな……」


「カタ……カタ……カタカタ……

ウイイイイイ……」


 トモミの声。甘く囁くような吐息の音。

ヨウはなぜか、それを聞くたびに泣きそうな程切なく胸が締め付けられた。ドアの向こうは、怪しげな仏壇に向かって父母が躍り狂って居る。

……というのはいつもではないものの、とにかく、彼にとっては異質な世界に繋がっている。

 外の世界があまり進んで覗きたくはないような場所だからこそ、トモミがより女神や天使のように輝いて見えた。

トモミだけは、ヨウを拒絶しない。


「こんな美少女が……しかも、俺より計算が出来る……完敗だ……挙式をしよう……」

 初めて会った日、ヨウは『彼女』に負けた。

「カタ……カタ……カタ……カチ……」

 むきになるヨウに、トモミは優しくそう答える。

気が付くと、彼女の前で咽び泣いていた。


 いつかはトモミと二人で、この家から出て行く。

世界中の誰が止めようと、人間とコンピューターだと笑われようと、愛し合い、きっと世界初、の人間とコンピューターのカップルとして新しい生活を始めるのだ。トモミと会ってからというもの、ヨウは以前よりも勉強に励むようになり、ひどい家庭環境においても明るくなった。

彼の人生は少しだけ、前向きになりかかっていた。



 ──当時、恋愛総合化学会が今より栄えるずっと前のこと。

彼はまだ出来たばかりの小さな宗教団体の息子。


 学校にいけないこと、行ったとして、宗教団体のことが知られればいじめられたりからかわれることが多い彼に居場所は少ない。

唯一恋人になれた、ロシアンブルーのトモミは、まさに奇跡といえる。


──けれど、運命は残酷だった。



「もう少しお前も、幹部として、自覚を持ちなさい」


 親はやがて、トモミにばかり話しかけ、本気でトモミと愛し合う彼に嫌な顔をし始め、やがてはちょくちょく教団に顔を出すように言い始めたのだ。

ヨウは深く傷ついた。

 いままで言わなかったくせに。

案外、宗教団体が嫌いな誰かの嫌がらせで、子どもが心配だと唆したのかも。

 何にしても、彼が見ているトモミと、周りが見ているトモミは違った。

それが、ショックだった。


「なんで? 人と人が愛し合うことは、素晴らしいんでしょう?」


「トモミは、コンピューターでしょうが」


ドアを開けて入ってきた父はあきれたようにヨウに言った。

「人と、人が」というのは、人間と人間のことで、他は許されてはいけないのだと語って聞かせる父に、ヨウは愕然とした。知らなかった。

恋愛は人間にしか許されていない……

 初めて抱いたこの気持ちも、

唯一ヨウに話しかけてくれるトモミの存在も否定しなくては、教団に笑われる。

 これからは、生身の人間に、話しかけなくては……

じゃあ、トモミは──


「コンピューターと恋愛をして、何がいけないんだよ! 恋愛が人間と人間にしか許されないなんて、誰も教えてくれなかったじゃないか!」

──そう言えれば良かったのだが、気が弱いヨウには、両親に従うしか術はなく、また、父の言うことは絶対だった為、淡い恋心を、異常なものとして破棄する以外なかった。


 トモミがいないまま幹部になったヨウは、すっかり世の中に絶望した。他人の恋心も、他人そのものも、もはやおもちゃにしか見えない。コンピューター以上に忠実に動きはしないが、少しの気休めにはなる。トモミを破棄したのは、教団のせいだ。親のせいだ。

だから、使ってやるのだ。


 あのころ。トモミはヨウにとっては誰よりも生身の人間だった。

機械の体なんか関係ない。

誰より近くに居た恋人だった。


 トモミはコンピューターだ、と、父が強く否定したとき、父の居る教団に笑われることを察したとき、ヨウの中のなにかが、壊れてしまった。






「うわああああああああああ! うわああああああああああ!

うわああああああああああうわああああああああああ!!!」


──トモミが、居る。

彼の目の前に。あの日のトモミが居る。何よりも大切だったトモミ。いちばん好きだったトモミが、ロボット兵器に乗り込んでいる彼の前に現れて居た。


カタ……カタ……カタ……


いちばん好きな物から、嫌われ、笑われ、傷付けられる。それは人間にとっては、それなりに意味がある罰だった。


「あなたの好きな物なんて──全部、無くなってしまえばいい」


少女のような声が、どこか遠くからこだまする。


(まさか、再現、したのか──作り出した世界から俺を傷付けるために、更に局地的に──?)


 彼女はこんな大層な兵器なしで、これを行ったのだ。


「関わるんじゃ、なかった……!」


トモミは、本来ならついていない、触手のように動く大量のコードを背中に生やして浮いている。彼女はCDのような輪っかを吐き出してこちらを狙ってきた。

「うわ!」

慌てて回避する。けれど、また次が来る。避けなければいけないのに、目の前にいるトモミに相変わらずときめいてしまう。これは厄介だ。


「トモミ……ごめんな」


父さんや母さん、教団の皆と話し合えば、もしかしたらコンピューターを恋人と認めてくれたかもしれない。必死に言えば皆の前で、トモミを祝福してくれる可能性だって──

「トモミをゴミ捨て場に置く日になる前に、この気持ちを話していれば、わかりあえたのかな……」

とにかく、一度くらいは、自分の気持ちが真剣だと話して

みるべきだった。彼の親だ。

恋心もわかってくれたかもしれない……だが、それに気付くのが、あまりに遅かった。


「私は今でも、物が……好きだ……本当は、物しか性的に見られない……」


目の前で牙を向くトモミが、CDを投げ付けてくる。

 光落ちした少女が、トモミを見せて居る……その意味とはなんなのだろう。


(立ち向かえって、いうのか?)


 今更、あの学会に立ち向かえるわけがない。そこの幹部でいなければ、学も力もないヨウに生きる術などない。

 それに……他でもない彼が、トモミを殺した。



 人と、物。トモミをゴミとして捨てた日。自らの手で、その区別を、した。


 彼女が椅子と共に生きる未来を諦めなかったように、俺にだって、コンピューターと結ばれる未来があったかもしれないのに。

人間として物を捨てた。

トモミにはヨウしか居なかったのに、トモミを彼の手で殺し、差別した。

 今更、どんな顔をして、学会に立ち向かえるというのか。


「許せないのか、トモミ──それとも……」


トモミはなにも話を聞かずにCDを投げ付けてくる。

今のトモミは、あの日、気持ちを通わせていたコンピューターじゃない。無表情でヨウを狙い、痛め付ける機会だけを狙っている。








「告ー白!」



「告ー白!」


「ノハナちゃんは、先生と付き合ってるんだって!」



付き合う、が目新しい文化になっている現代で、その噂が流れることが意味するのは『いじめ』だった。


「私、牛じゃないもん! 付き合うって、何なのよ! ねぇー! 私、ツノないんだよ? なんでつきあわなきゃいけないのー?」


意味のわからない、侮辱的な言葉がまず襲いかかった。腹が立つ。

 しかしこの旧人類の語彙力を気にしている場合ではない。「スキダ」を手に入れたら「告白」というミッションが課される。告白というミッションがどのように行われるかは、皆が、見守り、やらない場合には残酷な刑が待っている。


「うわああああああああああ!」



ノハナは走った。ひどく錯乱してはいたけど、要ははやく終わらせればいい。

途中、恐怖で足がすくみ、コンクリートの地面に頭を打ち付けた。


「あーっ!あーああああっ!」


血が流れる。皮膚がヒリヒリと鈍い痛みを貼り付けたようになる。


「うああああーっ!あああああああー!!あああああーあああああー!!」


告白が何をすることか、よく知らないが、

彼女は近くにあった鏡の前にふらふらとしゃがみこみ、叫んだ。怒りと、激しい悲しみ。ドキドキと胸が高鳴ってこの足元がぐらぐらと揺らぎ、震えが止まらない。

逃げても、残酷な刑が待っているし、逃げなくても、こうやって戦場に向かうだけだ。


「告白ー! 告白ーっ! うわああああああああああうわああああああああああうわああああああああああうわああああああああああー!!」


楽になりたい。楽になりたい。

楽に。

付き合う、をする必要を思いだし、鏡に向かって突進する。わけがわからないなりに告白と叫べば、告白になる気がした。

こんなものがどうして面白いのだろう?


カシャーン!


 鏡が割れた。

案外軽い音がして、辺りにガラスが舞った。光の粒となり制服にこびりつく。

それは彼女の皮膚を切り、顔や腕から血を滴らせた。痛い。痛いけれど、それよりも

このいじめの方が痛い。

「好きー! 好きー! はやく終わって! はやく!」

怖い。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


なんでこんなことが楽しいんだ!!


 クラスメイトは彼女の告白にときめいていたけれど、あえて上げるなら、鏡にではなく噂のある先生にしなくてはならないので、パチパチと拍手を送ったあと、ふたたびコールが始まった。


「え……」


勇気を出したのに……

つきあうも、告白もしたばかり。

彼女は青ざめた。

 あとから思うと、廊下の鏡の木枠に好意を抱いていたからの行動だがこのときはただ間違えたのだと思った。


「わかった」


だから、胸元に忍ばせている短剣を手にした。鞘から抜き取り、軽く構えて職員室の方向を睨み付ける。


ここは中学校の職員室の途中の廊下。

鏡は廊下にあったものだった。


「先生をだしな!!」



生きるか死ぬか。


額から汗が溢れる。


まさか、当人でなければ、ミッションが成功ではないとは。


周りのクラスメイトは、一気に沸き立った。

「先生なら職員室だ」

クラス委員のコメコ女史がメガネを動かしながら言う。


「ひゅー!!」

「告ー白!」

「告ー白!」


 この前、告白で死んだやつが出たばかりなのに。どうしてみんな、この陰湿な遊びをやめられないのだろう。「告白」は、体よくいじめをするために始まった文化。

そして恋愛は人殺しを減らすために始まった文化だと言われている。


「告ー白!」

「告ー白!」


ぱち、ぱち、と手を打ちならしているギャラリーはみんな目がにやけており、不気味に口元が歪んでいた。


「妄想が、捗るわ!」


「一日の憂さ晴らし!」


『また、見せてね!』


好き好き好き好きって、バカみたい。

みんな、

思わないの?


「ナナワリ。はやくスキダって、言った方が身のためだぜ?」


 ひゅんひゅん、と輪っかを投げ回しながら坊主頭のクトーが笑った。もう、おかしくっておかしくってたまらなかった様子。

 スキダが与えられた者は人権を無くすことが決まっていた。7割くらい。ナナワリとも言われている。


制服のスカートをきゅっと握りしめて、職員室に特攻する。

ギャラリーは面白がってディフェンスに走った。


「邪魔を!するなぁあああ!」


ガラスの破片が舞った。彼女の血も舞った。身体中が痛いけれど、立ち止まれば殺されてしまう。

彼女はスキダを手にする予定はなかった。


昇降口下駄箱テロにより、数名に

ラブレターといわれる脅迫状が送りつけられたことから始まったのだ。

中身は、


魚の形をした半透明なクリスタル。

『スキダ』だった。


スキダなんていらない。

ミッションに走らなきゃいけない。

けれどそれは強制措置であり、断ったとしても、親族や血族にスキダを回されることが決まっていた。

 ただし、スキダを欲しがる人もいる。

なんとこれ、粉にして吸うととてつもない快楽が得られるらしく、『ビッチ』たちの間では大人気。ビッチたちはスキダを渡される人を侮蔑で『マクラ』と呼んだりした。枕営業のことだが、恋愛が戦争な今、そんな言葉を喜ぶのはむしろ彼女たちくらいだった。彼女たちの語彙力は低いのだろう、ずっと、告白とか付き合うとか、恋愛関係のことしか言わない。恐らくは性に関した言語でしか他人を表せないのだろう。


 とにかく、スキダを手にすることは、対立候補や対象と戦い生きるか死ぬかということ。個人の感情など関係なく行われるテロだ。


 職員室のドアに向かう彼女は途中でずらりと並んだ女性たちを見た。

『スキダ』を手にしたいので邪魔してやろうと待ち構えている、ビッチ集団の『コネコネ』だった。

「コネコネ!」「コネコネ!」

コネコネは、特有の奇声を上げて嘲笑しながら、小型の銃を向けてくる。

水鉄砲だが、中身は「何」かわかったもんじゃない。

似たような顔の5、6人の女の子たちがずらりと並んで真っ先に彼女に詰め寄った。


「はずかしいんでしょ!」


「そうでしょ、そうでしょ!」


「緊張でしょ!」


「そうでしょ、そうでしょ!」



一見ポジティブな言葉を向けてくるけれど、当事者にとっては、あまりにも最低な言葉。

ただ、彼女たちがわかることは無いのだった。



「緊張でー! こんなに怒り狂うかああああああ!!」


彼女は、コネコネ全員にあたるようにスクールバッグの持ち手を握り、回転する。

密着してきていたのもあって、全員がスクールバッグに頭をぶつけた。


「きゃあ!」「きゃあ!」

「きゃあ! 」「きゃあ!」


「全く、人を侮辱しないで」


よろけたコネコネはすぐに起きあがり、彼女を囲い込もうと腕を伸ばしてくる。

窓の外ではヘリのプロペラのような音がしている。


「観察さんだ!」


「きゃあ!観察さんだ!」


「観察さんだ!」


「観察さーん!」



コネコネは、彼女を放り出すと慌てて、窓際に向かって走り出した。観察さんは屋上のヘリポートではなく、校庭にどうにか着陸し、廊下にいるこちらに向かって手を振る。忍者のような頭巾をかぶっていてサングラス。顔はよくわからなかった。


「今日も、いいのが撮れたよー!」


首に下げている大きなカメラを掲げて、観察さんは叫んだ。

 44街では、恋愛は武器であり、

そして全てのカースト上位を司る。恋愛をしなければ、人権がないようなもの。人を、好きになりなさい、は校則にもなっている。

 その為、ときにお金持ちの子は盗撮写真を買い叩き、脅迫によって意中の相手を製造してもいた。

学校が黙認しているのも、強制恋愛条例の前から、恋愛推進が進みはじめていたためだ。

 やがて恋愛(いじめ)を楽しんだ少女たちは、自分、の恋愛義務を果たすためにそれぞれの行きた

い場所に向かって歩いていく。

と言っても、彼女たちの行き先は同じ。


「放課後は、校長先生に、彼氏を紹介に行かなきゃ!」


「私もなんだ!」


「私も……人を好きになる校則が守れない人なんて、居ないわよね」


 校長室のドアの前は、いつも行列になっている。

校長から恋人を認めてもらえれば、学校生活は安泰となる。

彼女らは卒業後にその戦いの日々を、こう呼んだ。


青ざめた春、青春と。






「かつて44街内の各学校で昇降口下駄箱テロが起きた。

数名にラブレターといわれる脅迫状が送りつけられるというもので、中身は魚の形をした半透明なクリスタル。

『スキダ』。怪物化しやすいスキダを利用した反44街の者の、恋愛否定のための工作だったと言われている。


 実際に告白によって死者も出している、危険なものだったが、当時、学校関係者たちは揃って、恋愛は学生に必要なものとして譲らなかった。テロと認められたのは死者が急増した数年後だったよ」



「聞いたことがあります、前会長から。そういえば、確か、市長の息子さんも教職につかれていましたね」


「あの魚か。懐かしいな。同級生だ。

一方、別の意見もあって、恋愛に全く興味をしめそうとしない子たちを、『測ろう』とした──」


「測る。なんの、ためにです?」


「その答えの一端を担うのが『こいつ』かもしれないな」


『なぞの男』が呟く。

先ほどよりも硬く閉ざされ、蔦が繭のように絡み付く場所になっているあの場所。

思い出すと身震いする。

あれを【兵器】が行ったのだろうか。だとして、兵器を持ち出せるのは、幹部クラスしかいない。


(あんなものを出してきて、奴は一体

……)

 

男は、だいたいの犯人には見当がついているようだった。

 一方で隣にいる会長は彼になにか言いたげにしながらも先を急ぐことを考えていた。

(『交渉』を早く済ませなくては、学会の命運にも関わる──)


 市庁舎前に居た少女たちがどうなるのか見ていたい気もしたのは確かだが、事前に『市庁舎に行く』と約束したのだから、気になることはあれど向かわねばならない。

 会長はこっそりとため息をつく。


──


なんだか最近ずっと夢見が悪く、不真面目な仕事をして同僚にムスっとされたり、

影で笑われる夢ばかり見るのだ。

(はぁ……憂鬱)

 しかしいつのまにか男が無表情のまま歩いていくのが視界に入ると、気を取り直した。

(そうね、とにかくはやく、市長の対談しなくては)


 接触禁止令が出せなかったことは学会の維持にも関わってくる。ギョウザさんを怒らせることは、観察屋を怒らせるようなものでもある。

会長はだからこそ怯えていた。

 指揮がこの男だといっても、現場はギョウザさんが監督していることも多い。

幹部と関わりがあるだけに、下手に機嫌を損ねてもならないし……

(関わり、か)


廊下を進み、ドアを開けたとき、会長はデスク横で不思議な体勢をしていた。

「ヨガマットの上でやらないと足裏が摩擦でヤバいですよ」

腹を上にし、体を反らせて居る。何かの体操のようだ。


「成る程ね……学びを得ました」

市長は魚頭をゆっくり起こして微笑んだ。


「はぁ……はぁ……運動負荷が上がると通しでやるのも、辛くなってきましたね……」


 田中市長は結婚され、子どももいるが、今は指にリングのようなものをつけていない。そうしていると本当にこの人は家庭があるという感じがせず、若々しい未熟さのようなものが感じられた。まるで、ただの、気さくで、朗らかな魚頭だ。

男が淡々と問う。

「あの、なぜ、いきなりヨガを?」



「はぁ……はぁ……私はそういう、受けを考えない・独りよがりな性質がずーっとあってですね。二十年近く市長続けてやっとここまでというか、この程度にまでなんとか矯正できたのですが、時折こうして自分と向き合う時間をヨガで作っているのです」


 会長は、自分のことと重ねてみた。彼女も本来は人を楽しませるということが根本的に向いていない。それでも学会のことがすきだから、ずっとやっているのだ。




4/1418:00













「それでは、お願いします」

 静まり返った市長室は、市長のその言葉で沈黙を破られた。

会長は近くの椅子に座りながら、こほん、と空咳をして話し始める。


「スキダはただのクリスタルですが……ときどき、不思議な現象を引き起こす。これが、このたびの強制恋愛条例でより顕著になってきました。


──観察班の報告によれば、

スライムが凶暴化して対象のもとに乗り込んだ他、観察屋が一名亡くなっております」

市長の目が、会長に向けられる。真剣な眼差し。

「スライムが凶暴化させたスキダが、対象を殺さずに、殺されていると!?」


勝負服である。藤色のスーツを着込んだ会長は、今回は倒れないように踏ん張りながら続きを語った。


「はい。スライムがスキダを向けたのは、『悪魔』。接触禁止令を出されているあの悪魔です」


万が一、市民にこのことが知られたら運命のつがいと恋愛で幸せを得るマニフェストが台無しだ。しかし、今の環境になったことで、どうしても伝えておきたいと会長たちは市長には話すことにしていた。


「ふむ、我々は、ほとんどキムの手か隔離措置、または『秘密の宝石』によって長らえてきましたが。あの恋愛の怪物が、死ぬことが、あるのですね……」


 市長は複雑な顔をした。けれど、怪物が殺せるなら悪い話というわけでもなさそうだ。

これまで44街にはスキダになった相手は、僅かな間スキダを虜にしてくれる『秘密の宝石』の配布で怪物の身代わりになってもらうこと、またはキムの手という今やどこにあるかもわからない呪具や、対象からの隔離措置という手段しかこれまで存在していなかった。


男が、真剣な目をして口を挟む。


「確かにラブレターテロのとき、あの魚の暴走により、狙われた数名の生徒が亡くなりましたが『秘密の宝石』によって命からがら助かった者もいます。

近年では『秘密の宝石』と運命のつがいを同時に使うことで44街はバランスを保ってきましたが。正直言うとそろそろ、悪魔を、『秘密の宝石』にするだけでは供給が追い付かない。そこで、あの子を新しく対魔用にしたいのです。そして永遠的に学会の機能を併設すれば街は安泰です!」


 近年その怪物自体が『秘密の宝石』から生まれていたことがわかってきた。

男はそれを言おうとしたが、言わなかった。学会を支えているのはその怪物だからだ。

「めぐめぐさんを、新しく、接触禁止にする、許可がどうしても必要なんです!」


会長が頭を下げる。

「ふふ。『秘密の宝石』の配布の効果はヨウさんやギョウザさんたちがもたらした恵み──前会長にも成し得なかった、怪物化を防ぐ魔法のお守り、おおかた、そのヨウさんが、新たに選んだ素材ですか」


 機能を併設すれば安泰、というのは会長は初耳だったが、それも確かにそうかもしれない。


「悪魔だけでも充分に思念体生物の餌食になってくれている。おかげで、ここ十年以上は、まだ完全にキムが目覚めていないのです。これからも、併設で行けるでしょう!」


「書き換え、その、うまいこと、行くように、ちょっとお願いしてみますか……」


市長は思案してみた。悪くはない案だった。それにバックにはギョウザさんたちが居る。いつスクープを書かれるかわかったものじゃない。市長の魚頭はただでさえ差別や偏見に晒されやすいのだ。


 いい返事が貰えたので、会長は「ありがとうございます!」と感謝をのべながらも、一方で何かに違和感を覚えていた。

『秘密の宝石』が本当に怪物を避けているなら、あの悪魔の家はなんなのか、と。

そして──

キムは本当に、目覚めていないのか?










 めぐめぐ、みずち、万本屋北香は、アサヒを連れて車に乗り込んだ。

 ひとまず、落ち着くところに向かおうという判断で、万本屋の提案で車を走らせる。


 町中は不気味な程にあちこちに、恋愛ドラマや恋愛を後押しするような看板が目立ち、いかにも恋愛ムードが演出されていて、ただ立っているだけでも気分が悪くなりそうだったからだ。

 恋愛に反対してはいけないような、恋は良いことでしかないというような押し付けがましい雰囲気に感じる息苦しさ。良さげに誇張する意味は、やはり、民を洗脳するためなのだろう。 

 始終アサヒはなにか取り乱したままだったが、やがて電池が切れたかのように眠ってしまった。

後部座席で寝息を立てている。


「万本屋さん、その……本当に良いんですか?」


 寝ているアサヒの隣、心配そうに座るめぐめぐが聞く。運転手の万本屋は、なにが~?と言った。


「元々、私たちを、取り締まりに来たんじゃ……」


万本屋は、あぁ、と何か納得する感じで呟く。


「良いんだ。私もアサヒと同じ。

真実を知ってしまった。知ってからじゃ戻れない。じきにどうせクビになり消されるだろう」


「真実──?」


めぐめぐが不思議そうにする中、みずちが言う。


「ここに来る前、少しめぐめぐのことも含めて、万本屋と話をした。

この街には、恋愛総合化を進めようとする一方で、悪魔が居る。

 恋愛を総合的なシステムにするにも、接触禁止令を出されるやつが存在する……大衆の裏で、誰かがそのために犠牲になっているってことを」


 それは学生のときの彼女たちの苦しみと同じだった。恋愛で盛り上がるクラスの中で、輪に入れない人を置き去りにする。

 万本屋北香が悔しそうに言った。


「結局それって、変わらない。幸せになるやつとならないやつが決まっているなんて、システムは皆の

為じゃない、ただ単に、学会の為なんだって」


クラスで浮くやつは浮き、馴染むやつは馴染むように、平等に恋愛が享受される世界は訪れず、目立つ者がさらに目立つ、目立たない者はそのまま。万本屋北香が理想としていた本来の意味の恋愛総合化は訪れない。それに気付いたとき、ふっと目が覚めた。


 めぐめぐも頷いた。

「……街を、洗脳された人たちだけにする、そういう意味だったのかもね」

 市庁舎に連れていかれたのは、きっと44街全体に意義があるようなもののためなはずだ。なにがなんでも接触禁止令を出すつもりでいる。何故だかそんな確信めいた予感がする。

「あぁ! ムカつく。なんで、あるかどうかもわからない、目に見えもしないものの為に、民が喜んだり悲しんだりしなくちゃならないんだ……」


 みずちは街を睨んだ。

見せてみろ、目の前に、あるってんなら証拠を出してみろ。

みずちはいつもそう思っている。

証拠も無いくせに、44街は、皆の心をふわふわした「恋愛」なんてぶざけたもので奪ったのだ。

そうして格差が生まれた。


 恋愛を否定すると私たちはどうやって生まれたのか、と聞かれることがある。恋愛が全ての人間の誕生理由ならある特定分野の犯罪は激減していただろう。

この世には愛し合い、幸せな両親から生まれた存在しか居ないことになる。感情と、愛と、恋は、別物だ。

別物でなくては、ならない。

 だからこそ、44街の今の様相は、あるかどうかもわからない恋の為に作られた薄っぺらい偽物のようだ。


 とりあえずいつものカフェに入るか、と車が道を曲がろうとしたときだった。

背後で爆発音がした。










どんな激しい恋愛をしてきたのよ!!

 そうツッコミたくなったのは、一人や二人ではない。万本屋たちを乗せて走っていた車が急に停車する。


 爆発音の方角は、ビルの影で見えなかったので、ひとまず進もうとした矢先で渋滞に捕まったのだ。

44街のあちこちに、なにかをめがけ、人だかりが出来ていた。

 仕方なく万本屋たちは車から出て、列の先頭の目先を追う。どうやら、電気屋のテレビをみんなが輪になって見ているらしい。人数が多いため、輪は2重になっていた。


みんなの輪の中心や、視線の先──

画面には、44街の恋人届担当職員、そして44街の恋愛推進委員会とかいうなぞの委員会の人たち数名がテーブルを囲む姿が映し出されている。

『 緊急事態宣言です。

今後、恋人届けを出していない者は理由を問わずに発表していきます。

異常性癖や嗜好があっても、

44街の担当審査員によって、社会的影響が出ることが認められるほどのハードさである、と認めなければ

公表していきます! 強制恋愛条例ですので、恋人届けが3ヶ月以内に出されない場合はこちらから強制的に相手を指定させてもらいます!』


 背後で爆発音がしたのが脳裏に過った。さっきから頭上で、ヘリコプターの飛ぶ音まで聞こえてくる。

 審査員はどんな激しい恋愛をしてきたというのか。

44街の人々に緊張が走った。

そんな中、この会代表らしき老婦人がテーブルに積まれた紙から一枚ずつ裏返して読み始める。


『では、まず、44街の──区にお住まいの、田中──田中タケロウさん!

電柱を、撮影する、軽く撫でる程度は恋愛とは呼びませんよ!

目を覚ましなさい!』


「待ってくれよ! 電柱は公共物だろ! ハードになりようがないじゃないか!」


該当の人物なのか、それとも似たような嗜好の者なのか、抗議の声を上げる。近くにいた男性からも批難が飛んだ。

「そうだ! 撮影するだけでも精一杯だろ! マナーを守ってるだろうが!」


「無責任にそんなこと言うなよ!」


物、とくに公共物に恋をするのが、ときに罪深く、どれだけハラハラして、そして少し触れているだけでも変な目で見られる為になかなか近付くことすら叶わないという事情について審査員はわかってはいないようだった。大抵の人々は、ほとんど見るだけしか出来ないのだ。


「わかってて言ったんだろ、少数だからって面白がって」


『大したことが無ければ恋愛ではない、そうしないと、恋人届に嘘を書く人が出てしまうでしょう?


虚偽と判断された場合は、書類でご家族にもお伝えします。

異常性癖としていきるのは難しい、覚悟をもって貰いたい。

そのくらいしないと、真剣になってもらえないでしょう』


「大したことってなんだ!」


「ロリコンがハードなら犯罪だぞ!」

「ハードってなんだよ! みんなハードな関係性なのか!? あぁ!?」


「そーだよ! なんで口だされなきゃならないんだ!」



口々に批難が上がる中、44街からの発表は続いた。




「──どうして……急に」

みずちは考えた。めぐめぐは「もしかしたら自分のこともあって焦って来ているのかもしれない」と言う。『あのとき』不気味な笑みを浮かべる魚頭の市長を思い出すと今もゾッと寒気がした。市庁舎で何をされるところだったのだろう。

みずちたちや椅子さんが来てくれなかったら──


『お話があるの──いいかしら?』



怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……!!

めぐめぐが思わず目を瞑ったとき、

万本屋北香が悔しそうに呻く。

「爆発音がした、やっぱりどこか燃やされたらしい……」


 強制恋愛に反対しそうな家を襲撃しているのだろうか。


「私にも、幹部の動きまでわからない」

「もう、どうなっているの!? どうして……こんな……カグヤも、めぐめぐも……あの子たちの家も……」



『44街の──区にお住まいの、吉田──吉田木漏れ日さん!

宇宙人の写真をずっと眺めている程度は恋愛に入りませんよ!

それに、宇宙にいる人と言葉が通じるんですか?

目を覚ましなさい!



それから、44街の──区にお住まいの、戸尾井南さん! 

本当に小児が好きなら、なぜハードな関係を築かないんですか?

これでは小児を眺めているだけです! 家族にお伝えしますよ!?』


「眺めているだけ以外に何をする気だよ!」

「やめろ戸尾井!」


「ぐ、うわあああああああ!!」

近くにいたフード付きパーカーの女性がショックを受けてしゃがみこむ。

「私の……人生設計がアアアアアアアア」




『──えぇ、今のところ、真剣に恋愛をしていると審査員が認めるものはありません!』



44街に、非情な言葉が響き渡る。




「はぁ!?」

「ふざけんなよなんだこのばばあ」

「頭に官能小説がつまってんのか?」


『続いて──役場に……クスクス……椅子! 椅子さん……クフッ……との写真を持って書類を提出しに来てくれたかたが居ました──ふふ……!』






「何が、おかしい……?」


 みずちがぼそっと呟いた。

恋愛の重要さを説く街が。

想い合う素晴らしさを説くはずの44街が。

 こんなにも非情だなんて──


他人の真剣な想いをこんなに堂々と踏み躙りながら、恋愛を謳っているだなんて!


「どうして、恋愛を笑いものにしているの──人間以外にはみんなに、そうする気?」

 めぐめぐは青ざめた顔でその風景を見つめていた。

あんなの、誰にも面白くない。

 学会に都合のいい形の恋愛しか、許されていない、これが──本当の44街。

差別だらけの、迫害だらけの本性。


 一方で、万本屋北香は「あの恋愛に染まりきった居心地の悪いクラスと同じだ」と考えていた。考えるといてもたってもいられない。鞄から端末を出すとすかさず電話をかけた。


「もしもし──」

程なくして相手が通話に出る。

「はい、小林です。ああ、万本屋か、なにか?」

小林は、ぼそぼそしゃべる。女の声で言う。小林とは学会の馴染みの製薬会社の関係だった。


「スキダの薬品を取り締まる件は順調だよ──」


万本屋は一旦、普段の世間話をふった。

小林は、平坦な声で世間話に合わせる。


「ああ、いつも、世話になってるね……でもこれから忙しくなるから」


早く切り上げたい、という空気を察知して万本屋は本題に入った。


「今テレビでやってる、異常性癖発表のことでしょ?」


性癖や好きな相手のこと、知られたくない人なんていっぱい居るのに強制的にみんなに見えるように表示したなんて、しかも、審査員がハードな恋愛と認めないからってなんなの!? 

晒し者にされても強く想いを持ちましょ

う?

どんな立場でやってるのか。


と怒りをぶちまけたかったところだが、ひとまずその言葉は飲み込む。 


「そう。幸せになるお薬を任されてるもんだから」


「知り合いが居たんだよ、このままだと小林の世話になりそう」

「──なんの……よう」


心が、薬で作れてしまうなら、私たちは何の為に生きてるんだろう。

本当に、本当に、

恋は、存在するのか?

恋が、存在する証拠がなくて、最初から案外、薬が見せる幻なのだろうか。


「いや……昔、薬のことで、事件があったときさ、確か、そのときの被験者も異常性癖の持ち主じゃなかった? 小林は、そのときから今の研究所に居たでしょう、気になって」


「──詳しくは言えないけど……異常性癖じゃなくて、あのときは、恋愛性ショックだよ。でも、そのときに恋愛に本当は感情以前に対外的な認識能力が必要ではないかってので、異常性癖と並べて議論されたんだ、ぱったりと議論が止んで、会がのさばるようになったけど」


「恋愛性ショック?」


「たぶん、万本屋たちとちょっと近いと思う。

恋愛は感情や相手の存在を認識して把握してイメージを作り、そこから好嫌の判断もしてる。

普通は正常にそれがこなされるんだけど、

恋愛性ショックがある人は、

恋愛のことを考えようとると好嫌を判断する部分に伝達物質が過剰分泌されて、呼吸困難になったり、気を失しなったり、

 闘争本能が刺激されて、うっかり人を殺す事件もあったんじゃないかな、部位が近いからね。裁判が長引いたよ、脳の伝達ミスなのか、責任能力の問題なのか」


みずちやめぐめぐは、恋愛性ショックのことは知っていた。

けれど、殺人事件まであったとは。


2021/20:25/4/20













「俺は知らなかったんだ!」


CDを避けながらロボット──に乗り込んだヨウは言う。

「知らなかった俺は、悪くないんだあああああああああ!」


ヨウは叫んだ。

知らなかった自分には非はない。

トモミのことは悪かったとは思うが、それでも、この空間をこんなにしたのは彼女だ。


「あぁ! ふざけるなよ!? まったくっ、知らなかったから悪くないのに! 周りはいつもいつもっ……俺……いや、私を巻き込む!!」


いつもそう。

なにか起きたとき、トラブルの中心には彼が居た。

 しかし彼が事前にそれらを予測出来ていたことはなく、知らなかったからしょうがないのにいつも犯人扱いされる。今日もこのパターンだったか。

いつまで理不尽な毎日が、繰り返されるのだろう。














車がぐるんと回転し、強く地面を擦ると、タイヤが金色をした炎を纏う。そのままさらに方向を転換させ、回転しながら伸ばされる腕を燃やして轢いていく。腕たちは、自分たちを追いかけてくる炎を恐れて逃げ惑ったが、次第に大きくなる炎に焼かれて、とうとう再生が追い付かず消えていった。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


目眩がする。息が、苦しい。胸がいたい。

でも、やった。


「やった……!」


つきまとう腕が、消えた。

わたしが勝ち。あのとき、共感出来ずに逃げていたわたしが、少しは成長した気がする。


 喜んだのもつかの間、同時に『顔』があちこちから空間に浮き上がり、ニヤニヤとした表情と、悲しそうな嘆きの表情を交互に浮かべながらこちらを見てくる。

腕が伸ばされていくらか障壁の役目を果たしてもいた刃物もじかにこちらを向く。


刃物。

彼女が、自分に向けた刃物。

わたしに向けた刃物。


何が、あったんだろう?

何か、あったことしか、わからないけれど、それでも、ここから逃げたりしない。

……体力が、持つだろうか。

ふっと気が緩むと、座り込んでしまいそうになる。

体力が、持つかはわからない。

発作の心配も、ない、とは言い切れない。

 でも、共感出来る。共感が出来るということは戦えるということだ。少しでも、一秒でも長く、わたしは此処に立っていたい。


──ドウスル?


ニヤニヤした顔のひとつが話しかけてくる。


──ドウスル?



ニヤニヤした顔がさらにひとつ、話しかけてくる。


──彼女を殺すか、お前が助かるか。

ドウスル?


──仲間と戦う、ツライネ



「ううん、何か理由があって、刃物を使ったんだよ」


──そう、空間から出るためにね。


──キライダの力を増幅させ、時期にこの空間ごと全て破壊する



──お前が来たとも知らずに。

だが、あいつを殺せば別だ。



──あの刃物を、そのまま彼女に突き刺せ

ばいい。



──お前まで、ケサレルゾ……お大事にな



──彼女の首を、そのまま締めればいい。

動かない今のうちに。


──お大事にな。



──彼女を殺せば、お前と空間は



「うるさい!」


全て遮るように叫ぶ。

騙されるな、思考を乱して、スキダを手放させる気だ。

 咳き込むと血が吐き出される。

口のなかが切れたらしい。血の味がする。息が、話すことさえ苦しい。

 でも、負けない。


「そんなことで共感力がなくなったりしないんだから!」


 そのとき浮かび上がる顔のひとつが、ニヤニヤ笑って、そして不自然な動きをした。

 まるで背後から体が浮き上がるように、顔自体ではなくその周りが動くのに合わせて前へ出てきたのだ。

 ぬっ、と顔の部分からそのまま抜けて、透明な体を持つ顔として、近付いてくる。

その人型が次に笑ったときには、姿は人間のものになっていた。

『おねえ~ちゃん!』


「ケ、ケイコさん……?」


『パイもらったんだ、食べる?』


 現れたのは、近所に住んでいたケイコさんの声や雰囲気だった。

恋愛総合化に反対する一人だった。が今、いきなりこんなところに彼女が居るなんて現実的ではない。

『おねえ~ちゃん♪』


「どうしてこんなところにケイコさんが居るの! どうして、わたしを、おねえちゃんなんて呼ぶの!!」


幻覚だ、車で轢けばいい。

わかってはいるけれど──


「来ないで!」


無で居なければ。

こういう空間に居るときこそ、常に無で居なければならない。なぜだかわからないけれど、本能的にそう感じる。

感情が乱れてはいけない。


『おねえちゃん、パイ食べる~?』


 ケイコさん、は人間にしては不自然なほど機械的にじりじりと歩いてくる。けれど、どこか纏う空気は人間味を帯びていた。頭が混乱する。


「おねえちゃん……」


 絡み付いてくる腕を振り払うと同時に、刃物のような枝がこちらに素早く振り下ろされる。

咄嗟に避けたが、危なかった。


『おね~えちゃん♪』


避けた瞬間に、すぐ目の前にケイコさんが現れる。


「ケイコさん、やめて!」


『恋愛総合化学会の活動のせいで近所で圧力を受けてるのよ~? この前も、大事な石が盗まれたし……石返せー!』


腕を広げたり、踊るように奇妙な動きで腕を振り回したり

腰を揺らしたりしながらケイコさんは叫ぶ。


恐怖を感じた。

……わたしが、見ている、のだろうか。

見せられている、のだろうか。

近所に住んでいたケイコさんはわたしともよく遊んでいたけれど、ある日、学会の方に入った。

そういうのはよくあって、

これは恋愛総合化に反対する人たちが44街ではやけに冷たい目で見られるためだ。孤立させて引き込む、という手口が常習化している。

わかっていても、お母さん、は意思を決して曲げなかった。


「でもっ……恋愛総合化に反対するのは、間違って、ない……ママ……お母さんが、居なくなったって、わたしは間違ってないって思ってる」


刃物が左右から降って来て、ズシンと重みのある音とともに目の前に墜落する。さすがに恐怖を感じた。

「………………」

しかし幸いなのか不幸なのか恐怖を表すほどの気力がない。

疲弊している。

さっき強い力を使ったのもあって、今になってわたしの体に反動が押し寄せてきた。

 気を抜くとふっと意識が失くなりそう。

「まだ、まだ……!」

 背後から車さんをスタンバイさせると助走をつけて根元に向かわせる。途中、すぐに気付いた枝のひとつが急に車さんに襲いかかる。


「きゃあああ! 車さん!」

 刃物に多少なりとも触れた車さんが横転する。

車体に線を描くように延びる傷がついていたが、幸い、かすり傷らしく、すぐに体勢を建て直して走る。


──しかし、今度は避けることばかりになってしまう。

炎を纏わせると、あの腕は燃えるのだが、刃物は燃やせないようなのだ。

どうしよう……


『石返せー! 泥棒ー!』


「おねえちゃん……」


枝がのびている一番奥に居るはずの、彼女を思う。

胸が、いたい。


「おねえちゃん……」


『おねえーちゃん♪』

ケイコさんが重ねるように言い、クスクス笑う。


『おねえーちゃん♪』


「まだ……まだやらなくちゃ」


立ち眩みがする。

吐き気がする。

けれど、休んだら立ち上がれない気がした。


『おねえちゃーん!』


 すばやい手つきでポケットから出した薬ケースの中の1錠を口に含む。

効いてくるとよいのだが……


「……はぁ……はぁ……」


 車さんが突進しようにも、刃物が邪魔をしていて、進めない。

 わたしは一歩、前へ出る。

刃物は勿論わたしにも頻繁に襲いかかったし、近くにある『顔』にもぶつかることがあった。

顔、に当たると、蓮根の輪切りみたいな顔の断面が、地面に降り注ぐ。『顔』はいっぱいあるせいで、重ねて切り裂かれると蓮根チップスの雨のようだった。


『キライだよー! あぁー! みんな、あなたがキライだよ』


「どうだっていいよ」



車を突進させようとすれば刃物が守っているし、かといって、わたしがいる場所も一歩動けば追いかけてくる。

逆に言えば、黙って、じっと、していると動かない。


『キライダよー!』


 ケイコさんが、くねくね躍りながら、わたしの反応を引き出そうとする。

わたしは無言を貫きながら、考える。考えるのは大事だ。

そもそもおねえちゃんは、なぜ、こんなにまでなっているのだろう。

 そういえば、と窓を見ると外で、さっきからなにか騒ぐ声もしているのを思い出した。



「私が許せないのか! ──トモミ!!」


……そもそも、あのロボットが勝手になにかしたせいなのだから、向こうに聞くのが早いか。



───

 ……っていうか、トモミって誰?


『おねえちゃん♪』


 背後で、ケイコさんの声。

はっと振り向くと刃物になった枝がすぐ横の壁に突き刺さった。

間一髪だ。


「っ……、おねえちゃん……」


こわい。


 パラパラ、と渇いた音を立てて壁材が剥がれ落ちる。煙が舞う。

土のような生臭いようなにおいが空間に充満して吐きそうだった。


いたい。



「……おねえちゃん」

ママ。



考えるな。


首を横に振る。

 挫けても誰も助けてくれないだろう。


(自分で行くと言ったんだから)

ママは、居なくなっちゃったけれど……もし、目の前に居る大事な人を助けられるのなら──

少しでも、自分に意味があるのなら、此処に居たい。

 口の中は相変わらず温い血の味がする。鈍く全身が痛む。

ふっと意識を失いかけて、頭上を見る。

「ひっ!!!」


 ケイコさんと同じような透明なからだが、複数、こちらを見下ろして浮いていた。

『おねえちゃん♪

『おねえちゃん♪』

『おねーえちゃんおねえちゃん♪

『おねえちゃん』

「うわああああああああああああああっ!!」


 悲鳴しか出なかった。

同じような顔が、妙な笑みを浮かべて、一斉にこっちを向いてくるのがひどく恐ろしい。

頭上にぶらさがっているものはやがて、手足を丸く三角座りのようにした体勢で次々に落ちてきた。


『だーるまさん♪』


『だーるまさん♪』


『だーるまさん♪』


『だーるまさん♪』


 柔らかいボールみたいに不規則に跳ねて、あちこちに転がってくる。


『あのね』

『だるまさんはね』

『修行をしてね』

『手足が腐ってなくなっちゃったんだって』

『手足がね』

『だるまさんはね』

『おねーえちゃん♪』

『おねえちゃん♪ きいてよ』


「──さすがに、こんなに、沢山居たら……裁けないよ!」


『だるまさんは』

『じごく』

『じごくは』


 彼女?らが、今なぜだるまさんについて語りだそうとしているのかは深く考えたくなかった。


 ひとまず──おねえちゃんに近付けば、背後から生えている沢山のあの刃物に刺されるだろう。


 車さんにはあれを燃やす術はない。

「となると──」


 ぷにぷにと跳ねては、だるまさん

を繰り返す『それら』に視線をやる。まずはこれを、切り抜けてトモミだかなんだか知らないけど、それと対峙してるあっちと話しにいこう。


「車さん、戻って!」


 私が合図すると、車さんは勢いよく、枝を避けながらこちらに走って来ようとしていた。


 そのときちょうど、車さんが、何か言っているのに気が付いた。


「車さん……?」

車さんが訴える方向、枝が這っているタイヤのすぐ足元の地面を見ると

、なにかが落ちている。気がした。


 今居るリビングは真っ暗だ。

窓からのわずかな灯りをたよりに辺りを見渡している。目が慣れてきたとはいえ、足元は暗い。

 恐る恐る身を乗り出して車さんが居る方をよく、見るとなにか白いものがあった。

 近くの棚は倒され、引き出しの中身も散乱しているし、その一部だろうか?

いや、あれは……



ふと、窓を開けたわけでもないのに風が吹いた。

 地面からゆっくりと、それが起き上がる。

「紙飛行機……?」

そっと、手を翳すと紙飛行機は吸い寄せられるように手のひらに向かって来る。

 連絡を終えた車さんも同時に、こちらへと戻って来た。


「紙飛行機、おねえちゃんが、持ってたもの……?」


どこか、優しいぬくもりをかんじる。

それまでの心細さが、ふわりとほどけていくような気がした。


「──ごめんね」

そうだ。

 ここは、こわいけれど、恐怖の館だったわけじゃない。

家だった。物があり、人が居た。

物は、悪くない。

紙飛行機だって、ただ、居るだけ。

 服のポケットにしまうと私は走り出す。


『だーるまさん♪』


『だーるまさん♪』



 車さんもわたしも、振り向かずに近くの窓まで走った。

背後から、枝がのびてこちらを捉えようとするのはわかっていたので、顔たちを引き寄せてから一気に駆け抜けた。




『椅子ーっ、動かすんじゃないぞおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!』



『椅子、勝手に動かすんじゃないぞおおおおおーーー!』


『椅子、勝手に動かすんじゃないっー!!!!わかったかあああああ!!!!』



『ああああああああもう!!!


椅子がうるさいぞおおお!!!! わかったかああああああああ!!!!』




 振り向いてないので表情までわからないがだるまさんを連呼していた顔たちは、最後にはなぜか、椅子、を絶叫していた。




(4/22/22:07加筆)























 窓からなんとか抜け出すと、外に向かう。

外ではたぶん、痴話喧嘩が起きていた。

 ロボットが必死にトモミに許しを乞う声だけは駄々漏れなのだが、トモミの姿はわからない。

「なんて……痴話喧嘩なの! おねえちゃんを、巻き込んで!!」

 さっきまで戦った身体がきしんだ。苦しい。胸が痛い。ときめきが、すごい。

「やめなさああああい! そこのロボット!! 話を聞けーっ!」


ロボットはこちらのことなど見えていない様子だった。トモミにびくびく怯えて言い訳しているだけだ。

 この空間がもしもロボットのマスターのものなら、そもそも彼女はただの被害者だ。

 自分の記憶に責任が持てず、自分の力に責任が持てないせいで、部外者に被害を出しているなら──

まさしく無能の証明。

ただの部外者になんてことをしたのだ、ということになってしまう……


 トモミの確認は出来ないが、ロボットの身体は、よくよく見ると透明ななにかが巻き付いているようだった。近付ける範囲で近付き、目を凝らして観察する。

 指にはめられた指輪──いや、髪飾りのゴム? から発せられている禍禍しい気に操られているらしい。あれは何かのヒントかもしれない。


──キライダアアアアアアッ!


 ロボットの動く音に混ざるように、キライダ、の悲鳴が微かに、けれどはっきり聞こえた。

「キライダ……!?」


 誰かのキライダが、そこに居る。ならばトモミは──キライダが、見せているものなのか。

いや……もしかしたら。


「おい! 無能のバーカ!! 無能のバカ!!好きなものは何だ!」


 あのロボットのスキダはずっと、見えない。

(けれど──もしも──)


「嫌いな相手とやりあいたきゃ二人でやれ! 痴話喧嘩に巻き込むな!! 嫌いならさっさと分かれるか倒せ! いつまでかかってるんだ!」


届く期待などしていなかった。

けれどロボットが、ふいにこちらを向く。


「そうだ──トモミは、大事な恋人……すまない、話をしたい。茶を入れて欲しい」


トモミのぶんまで、とロボットは急に冷静なことを言い出した。


「車さん!」


 仕方がない。

わたしは車さんに確認を取る。

「このまま外から台所に回れる?」


 車さんが近くの壁の勝手口を指して合図する。外からは障害物は無し。いけそうだ。

 中に入ったら薬缶に水を入れて沸かして──麦茶を作ろう……この麦茶を飲んだら、トモミとのことを話し合って落ち着いてくれるのだろうか。

同時に、おねえちゃんが、なぜああなっているのかを考えなくては。

 キライダに襲われている意味ではロボットは敵対しているけれど、おねえちゃんは一体化していた……

___

 つまり、この空間のキライダの意識に近いのはおねえちゃんの方ということになる。

 いったい、何があったというのだろう?

慎重に台所に入る。

 中は暗いし、うっすらとした明かりで鈍く光る流し台に写る自分の影にすら不気味なものを感じそうになってしまう。

 ただただ、なんとなく、嫌な、重苦しい空気が充満していてどこかからすぐにでも何かが現れそうだった。


《おい──》


窓のすぐ外から、声がかかる。トモミは、彼がこちらがわへの移動の際に一旦避け、動きを止めると攻撃を

止めていた。

 何もしないぶんには、すぐに飛びかかって来ないらしい。



《言ってなかったな、俺は、ヨウだ。恋愛総合化学会の幹部の一人! お前もあの力を求めてきたのか!》


「あの力?」


声が聞こえるかわからないけれど、問い返す。


 ロボットは「そう、あの女の力だ、あれは俺──いや私のものにする!」と吐き捨てた。聞こえてはいるらしい。

ヨウ──学会の、幹部……


「あっ!」


その名前はアサヒの家でみた雑誌で聞き覚えがある。

 小さな記事だったが、コンプライアンス以前の問題とか命や生命をなんだと思ってるんだとか罵声が浴びせかけられている人物の一人として名前があった。

彼が、乗っていたとは。


 確か──人工減少に立ち向かう手段として、猿と人間の子どもを作ったりして論文が叩かれていた海外の研究所と、手を組むとかなんとか……

「ミュータント、不老不死、生体強化。あらゆる可能性があるのになぜ試さないのか。

そんな硬い考えでいるから人類はいつまでたっても進化出来ない」

という理屈で『あの兵器』を作る前からそういったことを続けている場所があったらしいとか。


 ……まあ確かに、あれが『兵器』に関係があるロボットなら、いや、そうでなくとも、この規模は幹部クラスでないと持ち出せないだろう。



「っていうか、力って、なに、なんのこと!」

言いながらも薬缶に水を入れて、コンロにセットする。ガスの元栓を探して……


《なにって、解るだろう? ぐっ……指がっ……指が……あぁ》


ロボットに巻き付いている指輪が何かしたのか、ヨウは急に唸り出す。


《あの最強の力だよ、椅子を従えて、化け物になったスライムを易々殺したんだろう? いいなあ!》


明るく楽しいことのように語られる言葉に、思わずカッとなった。

椅子さんはおねえちゃんの大事な人だ。そしてわたしも助けてくれた。


「ふざけないで! おねえちゃんに何をしたの」


《交渉していただけだ》


「交渉?」


 《あの力は、本当に彼女の持ち物なのか?

違ったらもらい受けたい。

 すごく気になったから、孤独が生れた一番濃い空間を再現したまでだ。

これは私のものであるということを、彼女が示せなければ幹部の勝ち》


それは脅迫だ。


「力が欲しいから、嫌な空間を外から強引に開いて

無理矢理入らせたっていうの!?

それじゃあ、ここは……おねえちゃんの……」


《殺人事件の現場だ。

ここに、俺にあの力が彼女のものだとわかるような、そうだな、血のついた凶器じゃなくてもいいが、

ここから直接持ち出してくれればここを奪うのをやめる……かもしれないな!》


寒気がした。

殺人事件の現場──おそらく彼女がいちばん思い出したくない記憶の真偽──彼女の根幹に関わるものを、

強引に確かめさせ、いちばん思念が強く残ったものを自分に見定めさせるまで、監視している、というのか。


彼はあまり理解がないらしく無邪気に楽しみにしているが、常識に照らし合わせても、これは鬼畜以外のなんだというのだろう?

 彼女はそれでも、彼に力を変なことに使われたくなくて、話をきいたのかもしれない。



《うふふふふふ、考えるほど、楽しみだなあ。

そして、何があったのか、なぜ彼女はああなっているのか、幹部に》


「──もういい! あなたって本当におかしい!」


 キライダが彼女を軸にああなっているのも、全部、こいつの意味不明な好奇心のためだったんだ。

倫理とか常識とか、本当に何も考えることが出来ないらしい。これは、あまりに天才過ぎて世界が呆れてしまう。


《人はそれを、恋と呼ぶがね!!

そうだ、これは彼女が好きだからだ!! そして俺がいれば彼女は愛されて幸せになる!》


まさか人を好きなやつって、本物のバカしか居ないのだろうか……

そんな考えがよぎる。

 いうまでもないが、愛されて幸せになる!などというタイプの大半は地雷を踏み歩く危険人物だ。

恋や愛を過信する、感情任せで《自分》ではなにもしない。

なにも頭が使えない人程、そんな不安定なものを過信して偉そうに振り翳す。

 嫌いだったアサヒと同じだ。傲慢で無知な、安易に相手に鬼畜なことを平気で強いる人間。

 ちょっとまずくなれば優しさを見せれば良い、という相手を軽んじたDV思考。恋愛を語りたがるくせに本当には他人のことなど何も自分で考えられない。


4/27/20:33


《何故ならば好きな相手のことはなんでも知り……いたたたたた! トモミ……

いくら装甲があつくても、集中してCDを投げられると困る》


そういやトモミさんが恋人って話をしていたばかりじゃなかったか?


「確信した、バカだな……」

薬缶でパックを煮出した麦茶を、その辺の棚から出した湯飲みに注ぐ。冷やす時間は、なくて良いか……

気力がないしもう雑に入れてしまう。少しはバカが目を覚ませば良いのだが。(2021/4/2914:15)







ーー


 あたりを見渡す。

不気味な空気が漂っている。

殺人事件の、現場……改めてそう思ってこの部屋を見てみると、なんだかどきどきした。


《しかし最近の地獄は、生ぬるい!!!! まだもたもたしているなら、声をかけに行かねば……うわ、トモミ!》


窓の外で彼がくすくす笑っている。笑っていたが、トモミ、が何かしたらしくすぐに飛び上がって攻撃を避けていた。

 ……彼はどうして、ここまで残念なバカになってしまったのだろう。

彼のことを考えていても仕方がないのだけれど、あまり正しいコミュニケーションを学べる育ちではなかったらしい。

麦茶をテーブルにあったお盆に乗せて、そっと流しの方に視線をやる。特に何か荒れているわけではなく、きれいに片付けられていた。

それなのになんだか胸騒ぎがするような景色だ。

 同時に外でまた騒がしい音が聞こえた。

トモミは激昂しているようだが、果たしてお茶など飲んでくれるものだろうか?

すっかり彼の目的が変わっているような気すらする。

お茶を抱えたまま考えていると、今度はリビングの側から音がした。何かが割れるような音。

そうだ……あまり時間がない。急がなくては、彼女はわたしごと空間を破壊してしまうかもしれない。

 全く、なんてことをしているのだ。

彼は力以前に、人間として学んでおくべきことのほうが多いと思う。


 車さんが麦茶を運んでくれると申し出たので、任せることにして勝手口のドアを開け、外に向かった。

車さんの方を指し示してロボットのほうに合図すると、彼はお盆を受け取ってありがとうと礼をいう。

そしてすぐに、湯のみのひとつを目の前に差し出している。

《なぁ、トモミ、まず、お茶でも飲んで話し合おう。この女の子が入れてきてくれたんだ。話を聞いてくれないか?》

彼が言うと、『トモミ』に反応があった。見えないけれど、確かに何か居るらしく、湯のみが宙に浮いていた。

《もういいぞ、力を目当てに来たんなら無駄足だったな!》


「そんな……そんなやりかたで得た力なんて偽者!」

下がれ下がれと手を振られ、なんだか、瞬時に怒りが沸いた。

引き返してくる車さんはじっとわたしを見つめている。


「この家から盗ったものを、返して! あなたに手に入れられなかったそれは、そもそもあなたの力じゃないってことよ!」


《トモミ……そうかそうか、トモミも、この家が欲しいか……ふふふ……ふふふふ……まだまだ、力を、うまく使ってやる》

「あなたの能力が足りない!あなたが未熟なの!……まわりの問題じゃない!あなた自身の問題ですから!!!」

 すでには言葉は届いて居なかったが、わたしは叫んだ。

どうせ苦労知らずは痛い目見るまでわからない。力ですべて思い通りやってきた暴君の、宿命なのかもしれない。


《はっ? 憎い? 嫌いだ……?トモミ……? トモミ? 私が、好きなのか?》



 背を向けた向こう側から何やら再び揉めるような声。気にしている場合じゃない。

とにかく急ごう、と私は来た道を急いだ。

 




 遠くからそっと壁越しにリビングの方を見る。

床のあちこちから根が伸ばされ、部屋の中ではどたどたと複数人の暴れる音がしている。相変わらずの荒れようだった。

時折、幼い子供じみた声が笑ったりはしゃいだりしている声もする。

「だーるまさん」「だーるまさん」

《うわあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!》窓の向こうから、ヨウの声がした。


《いやあああああ!! 俺を理由なく嫌わないでええええええええええええええ!! 嫌いなんて言葉がこの世界に存在しちゃいけないんだあああああああああああああああああああああああ!!!!!》


どきん、どきん、心臓が暴れだす。ときめきが、再発する。

(何、固まっているの。早く、リビングに入って……おねえちゃんを救いだして……それで、わたし……)


《俺を嫌うなああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!

俺を嫌うやつは居てはいけないんだああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!》


な……んで、そ、いうこと、いうの……


「嫌い……あんたなんか」


 どうしよう、こんな不安定な気持ちではあの部屋に近づけない。

体温が奪われていく。

指先が急速に冷たくなっている気がする。

寒い。此処は、こんなに寒い場所だった。

 (あの刃物を、今なら、遠くからならもしかしたら、根元を狙えば……早く。早く、動かないと、いけないのに……)


今になって、こわいだなんて、あんなに、願ったのに。


《嫌うなああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!》


「パパ…………」


頭を覆う。耳を塞ぐ。

こんなところでじっとしていては、敵に勘づかれるかもしれない。

だけど、動かない。動くことが出来ない。

「嫌うのは、罪なの?」

体が震えている。戦いって、こんなに、こわいものだったんだ。

自分が信じていることが、不安に変わるのは、こんなに簡単なことだった。


――グラタンさんは、私たちのヒーローだった

――そう、痛いのも! 悲しいのも! 辛いのも! 怖いのも! 世の中に、嫌いなんかないのさ!

いろんな人の言葉が脳裏に過ぎる。

「…………」

動くんだ、という思いと、下手に動いて半端な打撃しか与えられなかったら、という恐怖が襲ってくる。迷いは命取りになる。

迷うくらいなら動かないほうが安全だ。

 でも……だけど此処には、わたししか……

わたしが、やらないといけないのに。どのみちいつか、この世界もなくなる。早く、はやく。

呼吸が荒くなる。息が、苦しい。


「どうしたの?」


 声が、聞こえた。

空耳かと疑ったが、違うようだった。

「どうか、した? どこか、いたいの?」


「誰……」


辺りを見渡す。はっきりと聞こえて来る声。もしかして誰か、救援に来たんだろうか? でも、そんなまさか。


「大丈夫?」


「あなたは、誰? どこに居るの?」


敵だろうか。味方だろうか。どちらにしても、気を紛らわせるなら良いと思った。


《うあああああああああああああああああああああああああ!!!! 嫌うなっ!! 嫌うな!!!! 俺を嫌うなああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!》

外ではまだ、激しい声が続いている。


「こっちこっち!」


正反対に、無邪気な、優しい声がする。

不思議と元気が沸くような。

 声がする方に向かう。廊下を曲がっていくと、ついたのは二階に向かう階段。

階段の、6段目くらいのところに、声の主は立っていた。


「あのね、あのね、なにを見ても、触っても、いいんだよ」


人形。表情のない、薄汚れた、けれどたぶんそれだけとても可愛がられていた人形がふたりいた。


「……えっと」


『あなたは、何を触っても良いんだよ』

『あの人が口にする食べ物だって、触れて体内に入っていく。私はとがめたことがない』


人形たちはそれぞれに繰り返す。


「あなた、たちは」


 外で、嫌うな、嫌うなと叫ぶ声がしている。けれどもう不思議と気にならなかった。


『何を嫌いになっても良いんだよ』

『私はとがめたことがない』


「……あの」


『姫が思いを込めた……もの』

『久々に、人と話した』

『恐れないで。私はとがめたことがない』

『私はとがめたことがない』


零れて来た涙を拭い、深呼吸する。よくわからないけれど、とがめたことがない。たったそれだけの言葉なのに不思議と気持ちが落ち着く。

もしかして、おねえちゃんのことなのかな。

 椅子さんと居るときの彼女の暖かい笑顔を思い出した。人形たちは暖かい気で満ちている。


「うん……わたし……もう一度、戦う!」


『それなら、私も』


『私も連れてってください』


「……一緒に行ってくれるの?」


『もちろんです』


『行きましょう』





(20214301804)


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