第4話 闇商人オンリーの館



─────■■年前





俺の教室では、44街のことが話題になっていた。


「もしも、将来強制恋愛条例が出来たらどうします?」

きちっと髪を整え、制服のボタンを上まできちっとつけた『眼鏡』が聞いて来て、俺は「適当に付き合えるワンチャン増えるだけなんじゃねーのか?」と返した。


 この頃はまだ、強制恋愛条例、なんて言われる条例はなかった。ただのおとぎ話だった。

何度も何度も決めるか否かで投票が行われ、白紙に戻って来た条例だ。

 けれど、44街にとっては『好きな相手がいる』ことを市民が互いに認識することにやたらと意義やら意味やらを見いだし、広く認知させ根強く計画を進めているので、いつかは強制恋愛条例が通ってしまうのでは、と俺も思っていたりする。

どんな理由があれば、人が相手を思うかどうかを強制出来るというのか?


 一説では人口の減少によるものだった。けれどそれは建前であり別の思惑があるのでは──と陰謀説を唱える人も居る。

特に、どちらが正しいとか有力だとかは俺には判らない。けれどそれでも得たいの知れない違和感のような何かは感じている。

 陰謀説のひとつが「隣国でキムの手が発見された為、国民を把握しやすくする処置らしい」

 というものだ。「キムの手」は強力な何かで出来て居て、この辺りに住むやつなら皆経験する思春期や青春──に起こり、悩ませられるスキダの発動。

それにより怪物的な概念体または異常行動も引き起こす。

その対処の過程で避けられない「告白」や「突き合い」をしかし問答無用で引き裂き突破するという都市伝説なのだ。


 そんなチートな武器が本当に存在するとすれば、市民どころか国民に成すすべがないわけで、恋が戦争として扱われる今の時代の常識が大きく揺らぐかもしれない。

今のところ俺にスキダは発動していないが、前の月に、ませた生意気な女子生徒とガキの権化のバカ男子生徒がバトルになり、そのとき男子生徒の「告白」によって、女子生徒の「スキダを消滅」させたのを見たときなどは大変だった。

 教室で共鳴したクラスターが発生したためだ。

しばらくは男子と女子という派閥に変わっての争いになっていた。

 スキダは闘争本能を呼び覚まし争いを起こしうる力なのだ。


「キムの手、かぁ」


 もし、万が一陰謀があるとしたら、その真相がキムの手の秘密を握っているのか。



 って、わけでHRのあと、眼鏡の席に行くなり俺は真っ先にその話をした。眼鏡はふむ、と相づちを打ち考察する。

「純粋なスキダを目立たせない為とか、そういう感じかのもしれませんね……」

「純粋なスキダ?」

「えぇ、自分も見たことが無いですけど、あるらしいんですね、普通のとは違うクリスタルが」












「さっきアッコさんから電話が来ててね、あの子たちに悪いけど……」

「おばあちゃん、でも、私──友達になったのに」

 台所の奥の方から、祖母とカグヤの話し合いが聞こえている。

三人は固唾を飲んで見守っていた。

「会員で無い人だしねぇ……私たちを悪く思ってるかもしれないし」

「でも、おばあちゃん!」

「あの男の子の方も、恋人じゃないらしいじゃないか」


 やっぱり、あの問いはわざとだったんだ。

背筋にぞっと冷たいものが走る。

カグヤの祖母は柔らかい笑みを浮かべていそうな、柔らかな声で、当たり前のように話を続けていた。


「『独身』で、更に『非会員』じゃあ、ここに置くと何するかわからないからね? 友達が、大事だろう」


「嫌、私、勧誘なんてしないからね!」

「カグヤ!」

「友達に勧誘なんてしない! 普通の子はそうだもの! あのクズ親父の居る宗教に友達を送り込むなんて誰がするか!」


「カグヤ、誰のお陰で、命が助かったと思っているの? 誰のお陰で、こうやって今幸せに暮らして────」


「知らない! 皆が勝手にやったことだもん、勝手に、あのクズ親父に恩を売る為に! 勝手に! 私……知らない!」


「カグヤ……それだけ、お前を愛しているとは、思えないのかい?」


「愛してたら何やったっていいの? 恋をしたら何やったっていいの? 

クズ親父みたいに、いろんな家庭をめちゃくちゃにしても! あのおばさんみたいに、いろんな男を食い物にしても!」


「カグヤ……それはね」


「あぁ! もううんざり、だったら、死体や物や動物を好きになる方がずっとマシじゃない! 彼らの方がずっと誠実に相手を思いやってる! それがおばあちゃんたちが言う罪な相手でも、振る舞いさえ普通なら、ずっと真面目でまともな人だわ!」


 ドタバタと激しい物音、足音がして、やがて少しの間、静かになった後、奥の部屋から微かに洗濯機の動く音がした。

 その間に、三人はそーっと家具が置いてある作業場の方に向かった。

 祖父はもう眠りについているようで、

作業場は暗くなっていた。

勝手に構ってはならないものもあるだろうと、明かりをつけず、なるべく入り口付近から様子を伺う。

「椅子さん」

私が小さく呼び掛けると、椅子さんは少しだけ返事をした。

──あぁ、おはよう


「椅子さん……」


椅子さんが生きている。それだけで、心の中がじんわり温かくなる。


──心配をかけたね


「うん、でも……良かった、ありがとう……」


ごめんなさいと言いたかったけど、それも違う気がした。


──時期に、カグヤがバイトに出る。


「え?」


──カグヤがバイトに出る。すぐ隣だから話を聞いていた。ついて行くと良い。


「わ、わかった」



椅子さんはふわっ、と台から起きあがり、こちらに向かって来た。


「わ……」


そして、私の腕の中に収まる。

恋い焦がれた感覚だ。

数時間離れただけでも、ひどく懐かしい。


──幸いにも、ちょっと足を治してもらってどうにかなった。


「そう……嬉しい」


 このままずっと抱き締めていたい。

だけどまた足音が聞こえてきて、カグヤが近付くのを察知すると、椅子さんは一旦作業場に隠れた。


「あ──カグヤ」


カグヤも私たちを見つけて、少し決まり悪そうに目を逸らすが、再びこちらを見据えながら「あなたたちも来て」と言った。


「バイトって、何やるの?」

女の子がきょとんとして質問するとカグヤはなんてことないように答える。

「学会関係」


「あっ、そうだ、今度北国に行くんだけど、お土産居る? バイト代で買うから」


「旅行……一人旅?」


家族旅行をするように見えなくて私が聞くとカグヤは首を横に振った。


「奉仕活動。さっきのパンフレットに載ってたでしょう? 貧しい国に食料を配ったり……ゴミを拾ったり……ボランティアよ。宗教の理念にも、まず困ってる人に施しをするようにあるから」


非会員を追い出したい祖母の話を認知した上でこれを言う彼女に複雑な気持ちのまま、私たちはそれぞれ頷いた。

なんとなく「すごく簡単に、スキダが手に入りそうだな」と思ったけど、言わなかった。アサヒがなぜか目を輝かせる。

「アサヒ?」

 女の子がアサヒを見ると、彼はあとで話そう、と言った。


────外は月が浮かんでいる。

歩く人もまばらで、ときどき、スキダが色んな家の窓の外から魚らしく飛び跳ねているのが見える。

 これだけの民家を初めて見たけれど結構すごい景色だ。

「あー、それちょっと恥ずかしいよね」

カグヤやアサヒは私の反応とは違ってむしろ顔を赤らめていた。女の子も金魚すくいみたいで面白いねとはしゃいでいる。

「夜になると、こうやって発光してて……小学校とかは夜中に児童が出歩かないように言ってる。だから私もよく、好奇心に溢れた連中とこっそり見に行ったなあ」


「花火みたいで、楽しいのにな」


女の子が不思議そうにする。

 私もちょっと不思議だったけど、見ていたらなんとなくわかった気がした。魚スキダが跳び跳ねて、一瞬怪物のように大きくなって、また小さくなって、二匹、三匹と、じゃれあって、窓から光が丘消えていく……

 誰かのスキダと誰かのスキダが混ざりあっている姿が、確かにあまり義務教育中の子どもにはいい影響ではないだろう。



「……アサヒ、さっきの話って?」


女の子が改めて聞いた。


「行くのさ、北国」

私と女の子はええーっ!と同時に驚いた。


「確か北国に、『闇商人オンリーのやかた』がある。普通に行くだけじゃ危険だが、学会についていけば……」


「でっ、でも! 怖すぎるよ、洗脳されたりしたら戻って来れないかもしれないじゃない」


「っていうか何そのやかた」

女の子が冷静につっこむ。


「盗品を売りさばくやかただ。嫁品評会に出入りする盗賊、サイコがよく訪れる。

サイコの居る所に、嫁品評会の情報もあるはず」

しばらく黙って道を歩いていたカグヤが、「でも私、実は勧誘しろって言われて断っちゃったんだよね……」と言うのでアサヒは「いいや、伝ならある!」と言った。


「お前らも洗脳されず、伝に出来るやつが……たぶん、おそらく……」

「大丈夫かな?」女の子が私に囁く。「さ、さぁ……」私もわからない。









ハクナで、スキダの生体調査などを行っている男は、眼鏡をくいっと押し上げながら思案していた。

研究しよう。

どのような研究をしよう。

どのような方法で…………


 今、44街のある研究所、研究員たちの間では、スキダの生成環境や健康的なスキダの発達以外の要因とは別に、生物には異性や同性、その他対象を対象とする為の識別、選択する為のみの能力が備わっているという仮説がたつのではという報告が相次いでいた。


 フェロモン、相貌認識力、空間把握力など多岐に渡るものであり、簡単にいうならば、何を持って相手を認識するか。

 地上に住んでいたとされ今は深海に住む44コイも、普通のコイとは異なり、ひげに触れた電波からしか相手を認識しないため、地上種とは交尾を行わないという。

相手を認めるまでに、外的な、選択能力がスキダの誕生以前に、まず先に存在している。

人間でもまた、スキダが通常と異なるものが居る。彼らは通常のシチュエーションにも通常の相手にも興味を示さない。

まるで深海の44コイだ。


──スキダは本当にその名前通りの存在なのか?

怪物化の鍵がここにあるような気がする。


 会長にあった翌日の朝から、ずっと「眼鏡」はしばらくスキダを機械にセットしたまま見つめ続ける重大な作業をしていたのだが……昼間妙な胸騒ぎを抱えて、一旦研究所の休憩室に向かう。

 携帯アプリでなにか癒されるゲームでも探そうとしていると、着信アイコンが点滅した。


「はい……44街恋愛研究所……アサヒ!」


「久しぶりだな、眼鏡」


アサヒは観察屋をしている旧友で、たまに話をする仲だった。今もあちこちの空を飛び回っているはずだ。

ちょっと懐かしくて嬉しい。

「どうしたんだ、急に?」



「眼鏡、前に言ってたけど、スキダの変異を探してるんだろ、もしかしたら手に入るかもしれない」


「──ほほう、取引か。何が望みだ?」


「まあまず聞け、実は今度北国に行こうと思ってるんだ、マカロニのことを知っていそうなやつが居る。北国にはハクナや学会員も行くらしい」

「──まだ、あきらめて無かったか。

そうみたいだな、いつものボランティアだろう?」

「訳があって、今は俺はハクナの……移動ルートを知らない。どうせ懇意にしている児童養護施設辺りをめぐるだろうが、万全を期したい」

「ルートの確保か……わかった、考えておこう……スキダの生体調査と称することも出来るからな」

「眼鏡っ!」

はしゃぐ声。

本当に、変わらない……

マカロニが居なくなった頃から、ずっと。







《緊急警報が───発令されました───! 44街の皆さんは、ご自身の好きな対象者から──離れないようにしてください》


「『恋愛潰しだ』! 近くまで来てる」

アサヒが突然よくわからない単語を叫んだ。


「な、何それ……」


「要はスキダ狩りだよ。恋愛至上主義団体が目の敵にしている」


「そうなんだ」


《緊急警報が───発令されました───! 44街の皆さんは、ご自身の好きな対象者から──離れないようにしてください──》









アサヒが電話を終えて端末をポケットに戻す。

「あとは、うまく行けば良いんだが……」



 しばらく、空飛ぶ魚を眺めながら街を見下ろしていると、突如カグヤがなにかを見つけて手を合図するようにあげた。

「来たっ!」

 道路の向こう側から、トラックが走って来る。スピーカーが取り付けられた、いわゆる街宣車。そこに運転する少女と荷台から拡声器を使う少女が居た。

 歩道に居るこちらをちらりと見ると手を振り、そしてスピーチを始める。

 《───皆の者! よく聞け! 我等は他者を好きになる感覚がわからない! 

 これまでの頭領たちは皆

 人類に等しくそれがあるという幻想を広めた!! 》


 学・会・関・係。

 確かに言葉として間違ってはいない。カグヤは晴れ晴れとした笑顔で私たちに言う。

「私、ちっちゃな頃からあの家が嫌いなの。だからこうして、恋愛思想をゴリ押すのがいかに害悪かを広めてる」


 《お前は、昔の自分かもしれない──などと勘違い甚だしい言葉を吐くやつに限って、誰かを好きになる経験があって、ボケている!!》


 次第に、何人もの人々が、街宣車を遠巻きに見物にやってきた。

「そうだ! そうだ!」


 《先日も、強制恋愛に異議を唱えたグラタン家が爆破された! 彼女は恋愛性ショックという難病を抱えていたにも関わらず、44街はその事実を隠蔽しようとした!》


 グラタンさんの写真の入ったチラシがまかれる。私も近くから身を乗り出してそれをもらった。やつれ、淡い水色の髪、が白くなりつつあるが、横にいる女の子を彷彿とさせる綺麗な瞳と、繊細そうな白い肌をしている。

 彼女が恋愛性ショックの可能性について本を出したり、活動していたことを、改めて生々しく感じる。

 そしてその意見ごと、彼女はなかったもののように扱われ、家を爆破された。

(まるで、『活動していたこと自体をやめさせるのでは足りなかった』といわんばかりに、その家をも襲撃した)



 私と、同じだ────

 存在する、そのこと自体を認められなかった。

 私は生まれてから今まで、何も感じようとしていなかった。けれど他人がされているのを見て、ようやく気付いた。

 例え立場は違っていても、家まで壊すことなんか、無いんだ!

 家まで壊す必要なんか、無いんだ。

「う──うぅ…………」

 勝手に涙が溢れてくる。自分のときには、何にも感じなかったのに。

 私は悪魔だから、独りだろうが、迫害されようが、今まで、何も、辛くなかった

 。辛くなかったと思っていたのに。

 ただ、論文を提出しただけで、爆撃に合っているなんて、報道すらされないだけで、実際に起きているんだ。


「酷い……酷いよ! おかしいよ、こんなの……活動が嫌なら、ただ手続きを踏んで活動をやめさせれば良かったんだ! どうして、強制恋愛を断っただけで、そこまでする必要があるの! 

 そんなこと、何処にもないのに!これじゃ子どもの喧嘩以下だわ! 

正当な理由すらない!一方的な搾取よ」


アサヒが「辞めて改めてわかるが、こんなやつらに、和解も対話もないだろ」と吐き捨てる。

 実際、確かに向こうの目的で勝手に始まっただけのものに、和解もなにもないといえばその通りである。


 女の子がじっと、私を見つめた。


「うん。それが、ハクナがやってること。学会が、見ないふりをしてきている真実──弁護士も、政治家も、この前テレビから急にいなくなった芸能人もみんな、活動していたことよりも存在すること自体を許されなかった」


 このデモ?を見に来た人たちは少なくともみんな、心のどこかでは違和感に気付いているのだろう。

 論文を消すだけでは足りなかったからこそ、家を襲っている……


「そして、みんなに参加してもらって、いじめる為には、個人の人格の問題にしなくてはならない。だから対象の性格や容姿にわざと話をすり替えている!」


 チラシの裏に、姑息!と見出しをつけてグラタンさんを貶すようなタイトルの本や、番組表が書き留めてある。


 カグヤが、街宣車に飛び乗る。


「それじゃ────漁を始めますか!」



 ぱちん、と指を鳴らすと、すかさず上空からヘリが飛んできた。

 近くに待機していたらしいそれは、ゆっくり旋回し、街の上空中央に飛んでいく。そして、なにかを撒き散らし始めた。見物人があわてて傘をさす。


「リア充───撲滅☆」


 空のあちこちで見えていたスキダが、ふわっと浮き上がり、少し街宣車の方に反応を示す。やがて、通報をうけたのか、街宣車を捉えようとする車があちこちからやって来た。私と女の子とアサヒは急いでトラックの荷台に乗り込む。

 同時に民家のあちこちで、「きゅーんきゅーん!」と子犬みたいな声が発せられている。

 夜の、暗闇。

 花火みたいに打ち上がるスキダたち。

「ちょっ、何あれ」

「学会がスポンサーやってるテレビ番組のせいよ。CMに合わせてきゅーんきゅーんってしぐさが入るんだけれど、運命のつがいと一緒に同じポーズをとる時間~とか言われてて、おつとめみたいなものね」

驚いていると近くに居た見物人が答えてくれる。

「アホらし……パントマイムかなんかか」

「ちょっとしぐさがあってなくても、みんな無理して対象の動きに成りきろうと、必死に演技しているんだから」


 近くにいたおばさんがたしなめる。

浮き上がってくる魚にあわせて、カグヤたちが網を広げる。











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他人を好きになる才能に恵まれなかった。

他人を好きになる才能は努力や理屈じゃ身に付かない特別な能力だ。他人を好きになる才能に恵まれない子どもたちには、当然現実に居場所などなく──


生まれたときから敗北が決まって居た。

生まれたときから愛想笑いをし、適当に空気に馴染むふりをしてこそこそと生きねばならないことが決まって居た。



「仕方ないさ、他人を好きになることは、最初から生まれつき才能で決まるからね」


 私たちを認めてくれたのは、どこかの旅人が言っていたその言葉だけだった。

才能が有るもの、無いものが居る。

その事実自体に、なんて素晴らしいのだろうと感じた。





人間どうしのコミュニケーション、で常識を問いただされ、才能を見下されて

「あなたは良心などない、あなたは他人を好きになる才能が人間のくせに欠如している」なんて聞かされて心がズタズタになることもない。


 学校では性教育しか行われないけど、恋愛という電気信号の誕生を、間近で擬似的に体感出来るのだ。

──これは強制的な恋愛に賛成する空気が年々増している中で、救いのような画期的な実験、革命的な遊び。

私たちだって人間だ。

私たちに他人を好きになる能力がなくたって私たちは人間だ。


他人を好きになれないくらいで、なぜ見下されなくちゃならないんだ。

 理不尽だった。



才能がある人が世界を牛耳るなら、私たちの居場所は何処にある?


そんなに偉いか?

他人を好きになれれば、そんなに偉いのか?


「うわああああん!! うええええん!!! 私が、好きだって言ったああああ!!?」


──血に染まった部屋で、私はずっと、泣き続けていた。

「あああああ──ああああああああああああああああああああ────!!!

私は──誰も好きになれないのに!!

ああああああああああ────!!

わあああああああああ!!!

誰も好きになれないのに────!うわああああん!うわああああん!

もう嫌だよお!! 嫌だあああああ───!!才能だって言ったのに!?

才能だって、最初から、生まれつき、才能だって言ったのに裏切ったあああああああ────!!」


犬の首に、刃を突き立てる。

私の心に、刃を突き立てる。



「ああああああ────!!! ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

恋愛は特別な才能なんだ。

見下したような恋愛漫画とか、自尊心を問われるだとか、誰かが付き合うかを聞かされ続けるとか、性格が悪いのではと否定や心配されるだとか。

「愛情ってなんなのかね? そんなに電気信号が欲しいなら、向精神薬でも餌に混ぜてあげようかしら? きっと笑顔になる……

そこまでして私が、現実世界で!!

誰かを、わざわざ、わざわざ、わざわざ!!」


犬が死んだ先に、犬を救おうとして、

棍棒で打たれ眠っている男が居た。

私が好きだから辞めてほしいと、

だったら、この、『恋をしてみた』ごっこを、黙って見ていれば良いのに、辞めてほしいと言った。その上で。


「わざわざ!! わざわざ!! 私に、才能がないことを!!!わざわざ!!」


 プレゼントの箱にマッチで火を付けると紙なだけあって、よく燃えた。

ちょっとだけ嬉しくなる。

犬を殺している(好きになるごっこをしている)方がずっと幸せなのに。


「あーあ、やっぱ、叩いてるのに、どこか愛情を待ってるような顔するの、ウケるのよ。私がどれだけ現実が嫌いなのかも知らずに!!」



恋の病っていうでしょう?


恋愛が、病気なら良いのに。

そしたらこんなこと、しなくて済むんだ。

隣にいた子が、大丈夫かと聞いてくる。

純粋に労っているみたいだった。 

一部始終を見届けたのに、血だらけの私に、臆することもなく、話しかけてくる。


「他人を好きになれる人って、当たり前のように、みんなにそれを押し付けるよね?」


──どんなに他人を好きになれないと言ってきた人たちも、結局はすぐに裏切ってくる。何回も、何回も。今回だって。

例え最初は違っても、次第に嘘をつき始める。

 愛情なんかなければ、犬を殺したって、別に構わないはずなのに。通りすがりの  『   』は、そう言わなかった。



「あなたもっ、私なんか……」


「昔、本で読んだんだけど、嘘かほんとかわかんないんだけどね、失音楽症って病気があるんだって。音楽が、わかんなくなるの」

「音楽が──」

「あたまの、なかの、音楽を理解する部分がね、あるかもしれないんだって。だから、恋愛だってきっとそうだよ! 恋を理解する部分が、あるはずだよ」

「見えもしない感覚」だとか「熱に浮かされた曖昧ではっきりしない高揚感」だとかを、ことさら特別なもののように語り、暖かい、しあわせだと言って集団で持ち上げる姿勢が根強くある。

それが気持ち悪かった。

それが、気持ち悪かった。

ふわふわした、わけのわからないものを、

当然のように。


「それなのにみんな、精神論ばっかりやってるんだよ、わけわかんない、ふわふわした言葉で、全人類に通じるわけがないのに」


「万本屋北香(マモトヤキタカ)……」


感情を動かす意味やふわふわした形のないものという意味では、恋は音楽と似ている。わけがわからない。わけのわからないものなのに、誰も疑問を持とうとしない。



・・・・・・・・・・・


「ひゃああああああああああ!?」


トラックがすごいスピードで走る。

荷台に乗っている私たちは必死にしがみついた。



「武器を捨てて、投降しろー!」

同じくスピードを出して追いかけてくる車も拡声器を持っている。

見た目は乗用車っぽいが、パトカーかなにかだろうか。それとも学会員?


「げっ、万本屋北香(マモトヤキタカ)!」


カグヤの横に居たツインテールの子が叫ぶ。

「……あいつ、まだ……っ!」

運転席の金髪の子は、どんどんスピードを上げていた。荷台の網には、薄い体の

中身のなさそうなスキダがたくさん詰まって、ピチピチと跳ねている。















 万本屋北香は、急に目を見開いた。


「悪魔の子────!」

カグヤたちがえっ? という顔をする。

「──代理は?──嘘、どうして……」

万本屋北香は、代理のことを知っていた。私はそれに驚いた。たぶんハクナでも、そこそこの地位がないと私の代理が居ることは知らないはずなのに。

「代理? っていうか誰?」

女の子が首を傾げる。

「まさか、ハクナに居るとはね、万本屋北香ぁっ!」

ツインテールの女の子がびしっと指をさす。


万本屋北香は追い掛けてきながらも、拡声器を通して車の外に呼び掛ける。

「あなたたちの不要不急のスキダの散布は、許可されていませんよ!」

 

 後ろから万本屋、そして前から万本屋の仲間の車が走って来る。

挟み撃ちしようというやつだ。

 なのでトラックは急速に進路を変えて右折した。


「ってか今、悪魔の子、って言ったけど!」

 カーブを曲がって落ち着いたあたりで、カグヤが辺りを見渡しながら叫ぶ。

車がアスファルトを踏みつけながらもガタゴトいっていて、正直掴まってないと転がってしまいそうだった。ちなみに普通はあまり荷台に人間を乗せて走るものではない。

──女の子が、ぎゅっと私の手を握る。

悪魔の子。

 なんの躊躇いもなく普通にそう呼ばれた。慣れているはずなのにちょっと悲しい。

大丈夫という意味を込めて握り返す。


「ね、44街がこっそり隠してるっていう悪魔の子ってのは、そう周りにわかってるものなの?」

 カグヤが急に振り向き、こっそり聞いてくる。

苦笑するしかなかった。


 揺れる荷台の上で必死に身を屈めていると、目の前の網に目が向く。

中身がある意味無さそうな、つまり無害そうな魚──スキダが大量につまれていた。どうやらヘリコプターが撒くあれは何かの促進剤とかで、散布するとスキダがよってくることもあるらしい。

 何度か道を曲がると一旦車両が追い掛けて来なくなる。彼女たちの仲間か誰かが曲がり角の道をふさいでくれたようなのだが、時間の問題だ。

 と、車が止まったのを見計らうように荷台にヘリコプターが近付いて来る。彼女たちは馴れた様子で足に網をくくりつけた。それを合図に大漁のスキダを持ったヘリコプターが、やがて空の向こうに向かっていく。


 荷台のメインが空になると、彼女たちはいそいでトラックを降りて近くの店に入っていった。







 カランカラン。

ドアを押し開いたと同時に鳴った呼び鈴が団体客の入店を知らせた。

──ここはどうやら喫茶店らしい。

コーヒーの独特な香りと、何か甘い香りが空気中を漂っている。ツインテールの子がカウンター席のひとつに座ると、運転席の子もカグヤも隣に座る。

「座んなよ、今日のところはおごるから」

ツインテールの子が、さばさばした口調で私たちに声をかける。

 足元に、小さな黒板……みたいなメニューボードがあって飲み物が書いてある。それをコンコン、と指で叩きながらどれ? と問われた。


「え、あ……はい」

私と女の子とアサヒもあわてて彼女たちの近くの席につく。

どれにしようかな、と考えていると、カグヤが話しかけてきた。


「そいや『あれ』、何してるかわからなかったでしょ」


「え? あぁ……確かに、ちょっと」


「スキダを狩る、恋愛狩り。

本当は風俗とかで回収するんだけど……学会のスキダのまだ信心が薄いものもまた、私らが回収できるわけ。この前定例会だったからちょうど今のタイミングが狩り場だったのよ」


カグヤが得意気に笑った。


「まあ、難しい話はおいといて、スキダは基本的に金になるからね、粉にすれば麻薬に変わるし、うまく利用しないとって、売ってんの」


(怪物にならないスキダもあるんだ)

それはなんだか新鮮な話だった。

恐れているものが、恐れていたものが、

こんなに簡単に粉になるようなものだなんて。

「どうして、私たちを、連れてきてくれたの?」

 エプロンをつけた店員がやって来て、ご注文を伺いますというと、金髪の子が何やら注文をする。

「何飲む?」

こちらに聞かれて、私はひとまずアイスティーと答え、女の子はカフェオレと答え、アサヒもアイスティーと答えた。

店員が去っていってからカグヤは言う。


「何となくだよ、椅子さんを心配したんだけど、でも、ちょっとやな思い、させちゃったし……あんな家──」


「そんなこと──椅子さんを気にかけてくれて、嬉しい、ご飯も、美味しかったし……」

 少し胸が痛むのは、嘘ではないが、それでもそれは、仕方ないことで、カグヤの気持ちは伝わった気がする。

「悪魔の子なんて、嫌な呼び方ね」

カグヤが言うと、カグヤのさらに奥に座るツインテールの子がすかさず、それなんなのと聞いた。

「……知らない、ものなんだ、そっか……」

 なんだか意外だ。私は、多くには理由も知らされず44街から避けられているのか。

「ハクナも知ってるなんて、あなたの家にも、悪魔扱い以外の何か、あるの?」


カグヤに真剣に聞かれて、なぜか逆に戸惑った。観察屋の話まで始めると、かなりの長話になるし──『彼ら』は隅々まで何もかもを観察しているから、ほとんど生き恥みたいな話になってしまうので、あの大量の愛してるの紙や、キムの話、その他、色々……まあ、あまり楽しくないだろう。


「えっと……なんて言っていいかわからないけれど……ハクナが、今のように、観察部隊に力を入れ始めてから──ずっと私、見張られている、の。向こうがなぜか知っているみたいで、私を悪魔って呼んだりされてた」


「ふーん、ハクナにも目的があるのかしら。で、代理って?」


「──悪魔と」


何か言おうとして、心臓がドキドキと暴れた。生まれてずっと、こんな風に、観察屋を気にしないで、走り回ったり、自由に遊んだりというのがほとんどなかった気がする。

──クラスターが発生した日のことを、今でも昨日のことみたいに思い出せた。


「あ、悪魔と──話しちゃ、いけないから……」


スライムやコリゴリが死んだことを、今日みたいに思い出せた。


「──44街が、私の身代わりを、作って……その人に話しかければ私と話したことにしようって決まりが生まれて、

 学校とか、街の集会とかで、何か私が意見したり私が動く役になると……

代わりにその人が喋って、その人が輪に私として置かれて、私は関わらずに済む間隅で見ていたんだけど……」


沈黙が続く。

──なんだか変な感じだった。

私たちがビルの裏側にすんでいるなら、カグヤたちは日向側にすんでいるわけだが、彼女たちはさほど、悪魔だとかの認識を考えていないらしい。


「でも前からちょっと変なの。

この前椅子さんと私の届けを出そうとしてクラスターが発生したときも、

今、こうやってみんなでいるときも、

代理の私が間に入らないでいる。だから驚いてるんだと思う」


「何それ」


しばらくだまっていた金髪の子が呟く。


「……自分で出来ることを、他人にさせて。そいつも、自分がやることより他人のことさせて」


 はぁ、と息を吐くと場にやや緊張が走った。ただ、そのとおりだ。

『代理の私』が、代理をするのはほとんど、自分でも出来るような些末なことだけで、正直言って、行動範囲を狭められているだけという気もしないでもなかった。

「何のために、そんな制度が……? 役場の仕事なら役場が担当を呼んだはずだし……町内会の仕事なら町内会も担当を呼んだはずだし……

やはり、あの万本屋北香が知っていたことからも、ハクナが独自に代理を用意していた可能性があるね」


金髪の子がニヤ、と冷ややかに笑う。

あの、って言われてもわからないが、万本屋北香と何かあったのだろう。


「万本屋はクラスメートだよ。ちょっとした仲だったんだ。私が、恋愛がどういうものかいっこうに理解しなくて浮いて

たんで、よく注意してくれていたなぁ」

「私も、椅子さん以外のことはわからないです」

 私は思わず身を乗り出して言う。

そのときにちょうど注文の品が届き、配られた。女の子は大人しく飲みながらもこちらをうかがっている。アサヒはしばらく何か考えたままでいた。

「椅子さん?」 


ツインテールの子が食いつく。

「はい、椅子さんは、椅子なんです! とっても素敵な椅子なんですよ、私、あまり人間を好きになったことなくて」


「私んちで、お客として椅子さんのメンテしてたのよ」

 カグヤが言うと、二人は納得したようだった。

「椅子さんって、家具の? そうなんだ。人間やっぱ無理?」

ツインテールの子が聞いてくる。

どう答えれば良いのかわからなかった。

 心に入り込んで破壊する悪魔。

私は私を好きになった人を、怪物にしなかった経験がない。昔、人間は無理かもと思っていたときに知り合った、スライムすら、ああなってしまった。

物はいつも優しく、いつも慰めてくれた。あのような力を受けても変質しない。

「椅子さんは──特別、なんです」








竹野 せつ=/代理の私








「パパがあの家に来ていたのを私は知ってる。学会が変わったのは、あの呪い──キムのせい……なんだよね……」



恐る恐る、口に出すと彼はなんてこともないように頷いた。


「そうだ。あれは強い、かなり強力なものだからな、国が総係りで留めて来た程だ」


 二人きりに、という言葉に引っ掛かり、辺りを見渡す。

お姉ちゃんが居ない。いつの間に……

この男と二人きり、という状況に叫びだしたくなるけれど、どうにか堪えた。

聞き出せることは聞いておきたかった。

それが今なら叶う気がした。


「────キムが、あの呪いがどんなものか、知ってるの?」


 窓外の日差しが落ち、店内の淡い橙色のランプがより深みを増す。

空気が少しずつ冷え込んでいく。


「ああ。もちろん。知っている。学会も。

だからこそ、祓うために、恋愛を広めたんだよ。

 娘のお前には聞かせてやろう。

あれは生命がある限り一生続く類いのものだってことを」


 カグヤには、教えないんだ?

という言葉を飲み込む。しかしお見通しのように彼は笑って答える。

「お前は、あの家を見ただろう?」


「それは……」


「キムを、見ただろう」


「はい……だけど……どうして」


「なに、見てしまったということは、概念を取り込んだということだ。怪談でも神話でも、そう。惹かれやすい者は居る」


それは、わたしのことだろうか。

それとも、アサヒのこと?


「呪いは……ある理由で、再び

強く発動してしまったものでね、だんだんと力を増していた。祓い去るにはあまりにも足りないからと、今の会長も躍起になったんだな、それで、ああやって恋愛を広めて浄化しようとしたんだろう」

「──そう、なんだ」


それで、その呪いから守りたくて、恋愛を否定するもの全てを消そうとしたんだろうか?

だけど──それは本当に愛なの? 

それは、本当に、人類の幸せ?



 こんな話をしていたらよく聞かれるだろうが、パパはなぜ家に帰らないのかなんて子どもじみた質問は私はしなかった。今更いても、接し方に悩むだけだ。音楽が、オルゴールに変わる。雨が降っているらしい。


テーブル席で、カチャッとフォークが皿に当たる音がする。

席につきなおした男が、ケーキを食べようとしている音だった。

 どうやら、食事が終わるまでの話し相手にさせられるらしい。


「……呪いについて簡略化して話そうか。人間があの手の呪いに変わる一番シンプルな方法は、『可愛がってから殺す』だ。愛してから、後悔させながら殺す──まずこの矛盾を成し遂げる」


「 愛して、可愛がってから、酷く裏切る──」


 なぜだか、ママの顔がよぎった。

愛して、可愛がってから、酷く裏切る。

パパのことなど知らないけれど、ママ──グラタンが、ときどきコラムを書きながらも、父の愛情に発作を起こして苦しんでいたことを知っている。

 本来は幸福なものである恋愛に、発作が、なぜあるのかはわからないけれど……

これだけはわかる。

──好き嫌いは、恐怖だ。


恋は、恐怖だ。

迫り来る恐怖と同じように痛みを感じる。自分で抱えなくてはならない、誰にもすがれない、得体のしれない恐怖だ。

怖くて、どうしようもなくて、幸福なんて言ってられなくて、目眩がしたり、苦しくなったりする。

「幸福な感情が行き場の無い苦しみに変わるとき、憎悪へと転換される」

 パパの声。

カチャッ、と音がして、フォークがまたケーキをつつく。


「あの呪いは生まれたばかりの赤ん坊を殺して生命の喜びの否定、それと……いや、食事中にする話ではないな。

──つまりは、生物の持つあらゆる喜びを恨み、否定することのために産み出されたわけだが──

そんなものを、大昔の人たちは戦争の道具に使っていた。昔、隣国などが投げ込んだものが、今でもあちこちに存在するんだよ、そして、強い力でもって今も44街を脅かしている」


「お姉ちゃんの、家に、居るのは──?」


「さあ、なぜ奴が、居るのかそれ自体は知らんが……」


 コーヒーをぐいっ、と飲み干すと彼は席を立つ。

 帰るらしい。先に会計を済ませてあるのでこれに問題はない、が、私は少し焦った。実はアサヒはまだ眠ったまま、そこに居るのだ。

「うぅ…………お姉ちゃん!」


男はちらりとこちらを見て言う。

「せつ──本当に来ないな、あいつ、彼女の代理係じゃ無かったのか?」


「せつ!? 代理係!? お姉ちゃんの代わりに交流したり、いろいろやってたって人!?」


「どうかな、迫害が露見しないように、作り上げられた幻だ」


「どおして、そんなに冷静でいられるの?──ハクナの指揮なら、ママが、居なくなったのも、知ってるよね?」

 冷静で居ても、お姉ちゃんなら、堂々と悪魔だからと言うだろうか?

 彼は何も答えない。

背を向けて去っていく。

窓ガラスの向こうに、赤いランプが点滅する。

店内が赤に染まる。

(……救急車!!)


 特有のサイレン音が近付いてきて、やがて、すぐに遠ざかる。慌てて外へと飛び出した。

救急車はいない。

彼もいない。

カグヤたちもいない。

どくん、どくん、と心臓が脈打つ。嫌な予感がする。なんだろう、この気分。ゴミ出しに近くを歩いていたパーマのおばさんに駆け寄る。

「さっきの!」


「さっきの──? あぁ、見ていたが、家具屋のとこの婆さんだよ、どっか痛めたんだろ。もう歳だから」


「────っ」


 本当に。

家を、なんだと思ってるんだろう。子どもを放り出してまでハマるのが、宗教なのか。

恋を、なんだと思ってるんだろう。身体を放り出して、ハマるのが、恋愛なのか。


「あぁあああぁああ──!! もう!!」


嫌い、を言えない気分のままで、言える言葉もなくて、なんだか、どうしようもなく、なんと表現していいかわからない気分になった。


「ぁああああ───っ!」


頭を抱える。頭がいたい。


「嫌いって言われのが、そんなに嫌? そんなに嫌われたくない? なんて独裁者! こっちにも嫌いになる権利があるんだ!」

目眩が、する。

「お姉ちゃん……」

泣きたい。

「うう……」
















私、独りに憧れてるの、



といったから、許してあげた。


付き合わなくても死ぬわけじゃない。



でも、独りでいないと死ぬような子も居る。



わがまま言ってごめん。



好かれたいのは僕だけなんだ。



僕が、好かれたいのは


目立ちたいから。


いいひとに、見えるから。



人を好きになれるだけで



どんな悪人でも、良い人に見えるんだ。


だから、きみを使って


いい人になろうと思った。


あと目立ちたいから。




恋なんて、気持ち悪いのにね。


 好かれたくない、好かれたくない、そう言って、きみは

壊れていった。



貰うこと、嫌い。


遊ぶこと、嫌い。


笑うこと、嫌い。



好かれることも、嫌い。



感情処理が出来ないのに、無理して、腕に包丁を突き立てながら笑って、


「私も好き」 って、精一杯言ってたね。


演技が気に入らなくて、好きなのかと問いただしてごめん。




きみが 持ってないもの


持ってるかどうかわざわざ改めて問いただして責め立てた。


好きなのか、

なんて別にどうでも良いことなのに。


無理矢理の笑顔さえ、

本物かどうかばかりこだわって崩して、責めてしまった。


本物かどうかなんて別にどうでも良いことなのに。



きみは包丁で、また指を切った。たくさん血が出ていた。


ごめんね。


愛されたいという気持ちが、

きみを苦しめているのに。


冷たい!



強く言い放った。

きみが変わってくれると思ったんだ。

好きになってくれると。


次の日、

 首を括ろうとしていた。





きみにないものを問い詰めて

追い詰めた僕は、

きみにないものをまた問い詰めて、さらに追い込んだ。


そこまでして、好かれて、なんの意味があったんだろう?



きみは、やっぱり笑顔を見せながら「頑張るから」と言った。



 恋愛雑誌を差し入れた。


『恋ができないきみへ』


『明日から変われる』



『気持ちから逃げないで』



『誰にでもできるよ、恋』

 きみは、叫んでいた。

苦しそうに、もがいていた。

変わるチャンスを、感じてくれたと思った。

今日も叫んでいる。



 きみの知り合いと付き合うことにしてみた。

モヤモヤから、恋を気づくのが少女漫画だ。


 帰ってくると、きみは沢山の睡眠薬を飲もうとしていた。

ただ無表情だった。

僕は混乱して、君を叩いた。

ただ、それだけだった。

あれから

きみは、動かなくなった。


空を見つめたまま、死んだように固まっている。




 否定し、理解出来ないと言ってさんざん貶し、雑誌とかで見下されたと思わせて、最後に、突き放した。これはたったそれだけの『俺』の話。


「一人でいいんだよ」




追い詰めてごめんなさい。


きみが、一番、笑顔になれるのは、独りなんだね。

だから、ドアの向こうから、そう言った。



 きみは、ある日ふと目覚めた。

そして、ぼんやりした目をしながら、微笑んだ。

「私――独りに憧れてるの!」


















 頭のなかに、あの景色が映る。

足元に散らばった「愛してる」が乾いた景色となって、私を見下している。


 その最低な存在を否定するような言葉は───時間が止まったような部屋の中に唯一動いている時間を象徴する。

唯一、全てを破壊する言葉だ。

愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる…………


「アサヒが、アサヒまで、居なくなっちゃう!」


 思わず、店を飛び出してしまった。私に近付いた途端に、彼の様子がおかしくなってしまった。

コリゴリやスライムのあとで間近で見るとやっぱり辛くて、悲しい。

 やっぱり、彼は私に近づいてはいけなかったんだ。

私は、彼に近付き過ぎた。

あの男も、そろそろかもしれないと言っていた。

マカロニさんが居ないと発現しないはず、のスキダだけれど、私だって専門家じゃないし、あのクリスタルに詳しいわけではない。もしかしたら何かの理由で彼にも変異をもたらす場合も考えられた。

アサヒが……


「アサヒが……」


アサヒがもしかしたらあの化け物に変化するかもしれない

。私に襲いかかろうとして知性や理性を失くしてしまうかもしれない。

──私は、そういう者だ。

人の心に干渉し、狂わせ、破壊する。だから、アサヒももしかしたら壊してしまうかもしれない。


ふと脳裏に、あのノートが浮かぶ。こっそりつけていた記録。

『あの人』が密かに、私に近付く人に油を撒いていた──

 私に、近付くことを、阻止してくれていた。


「違う……アサヒだけじゃない、みんな、殺されてしまう……?」


いや。

私が殺すのか?

怪物になれば、それはそれで。ううん、まだ、怪物になってるわけではない。



「悪魔の仲間!」


──どうして私は、独りで居ることをやめたんだろう。

ずっと、今までのように、ただ悪魔のように、神様のように、44街を遠くで見守っていれば、それで良かったはずなのに。

あの、女の子も、アサヒも、短い間だとしても──いろんな思い出を私に授けてくれた。


ぽた、と肌に、滴が落ちる。


 涙かと思ったがまだ泣いては居なかった。なんとなく辺りを見渡す。

 空が曇って来ている。

ツンと冷たい空気が肌を包む。少し寒い。



月 日

また、人が死んだ。



月 日


また、人が、死んだ。


月 日

また、人が、死んだ。

おかしいと思ってあの人の後をつけた。


悪魔の仲間、って、言って油をかけていた。


月 日

吐くな、吐くなよ?

悪魔の仲間

私と話すと悪魔の仲間だと思ってしまう

らしい。




──『あの人』は、いつも密かに、私に近付く人に油を撒いていた──

 私に、他者が近付くことを、阻止してくれていた。

だから私は、独りだった。


「……あ」

来た道を戻ろうと振り向いた先に、彼女は居た。

気付けばいつも、背後に立っていた彼女。真っ赤な傘をさし、そこから顔を覗かせる彼女。

振り向いた私と、目が合った「彼女」。

 茶色く染めた黒髪。少し疲れたような窪んだ目、丸みを帯びた特徴的な鼻を持ち、 私にはあまり似て居なかった。

 ニイイッと笑って、手にした灯油のボトルを見せ付けるでもなく、重そうに担いで、店に向かっていく。

「待っ───!待って!!待ってよ! 代理の私!」


代理の私は、ぴたりと足を止めて、冷ややかに笑った。


「──代理の私? 私の名前は、せつ。竹野せつ」


店に戻ろうと走る間、

せつはその場に立ったままで居た。

「あぁ──! やっと、私に会ってくれた!! ずっと一目見たいと思ってたんだ……! 君に会いに、隣国から遥々来たんだよ」


「──何を、言ってるの、そんなものを持って」


「悪魔の仲間を、殺しに。

君は誰とも会話せず何処にも行かずにずっと私のものでいれば良いのに。

なあ、なぜ私以外と話す?

私は、今更君なしで生きられない」


 手から灯油のボトルを奪おうとする。せつは、おっと、とかわした。


「ここで蓋を開けて良いの? 道路には車もある」


「駄目。ねえ、なぜ──私の前にまで姿を現したの? 今まではずっと隠れてた癖に。私が誰かに会ったその日すぐじゃなく、日を置いて消していた癖に」


「なんのことか、わからないので、もう一度言っていただけませんでしょうかー?」


「──どうして、私なの」


どうして、私には代理が居たのだろう。おかしいと、カグヤたちも言っていた。普通はそんなものは居ないと。


「納豆を」


「はい?」


次第に雨足が強くなる。

ザアアアと滝のような音がする。風邪を引きそうだ。


「最初に納豆を食べた人って、すごいよね」


足元の水溜まりが、カラフルに電光掲示板を反射する。

キラキラして、まるで花火だ。お祭りのパレードみたいだ。


「納豆を最初に、よく食べる気になったなって、よくあんな気持ち悪いものを口に出来たよ。すごい。見た目も虫みたいだし、腐って気持ち悪いのに」

──納豆好きに喧嘩を売る気なのか? と思ってしまうが、どうやらせつは、真面目に言っている。


「納豆を最初に食べた人に、ありがとう。そう言いたいよね。まだまだ食べられるのに気付かれないものが眠ってるかもしれない」


「あなたは、何を、言いたいの」


月 日

悪魔の仲間なんて、間違い。

あの人は、聞く耳を持たない。

また、人が死んだ。


月 日

私が死ぬ人に話しかけていると

噂が立っている。



月 日

また、人が死んだ。



月 日

死は見えない。終わりが見える。

あの人が、悪魔の仲間だと思った人が、死んでいく。


「私? ただ私は、あなたという芸術を、自国のものとして飾りたいの。

ほら、私、隣国から来てるし──」


「そこに、私の、代理をする理由はあるの? 私が、なにかするたびに、あなたが話したことにして書き換え続けてきた意味があるの?」 


せつは、傘をくるくる回転させて遊びながらしれっと言い放った。


「代理をしていた訳じゃない。私は、あなたになりたかったんだから」


「──意味が、わからない、私は私。あなたが私になることは不可能よ」


「案外簡単。首を切って、死体をリサイクルする。

実際に死んだ人と入れ替わる。

そうやって情報を操作して成り代わればいいの。

44街を乗っ取ることだって出来る。この国も、おかげで随分我々が住みやすくなってきた」


隣国──!

嫁市場に、手を貸した、学会と提携していたっていう隣国! せつは、隣国から来たスパイだったんだ。


「どうしてあなたが、悪魔だなんだ言われても、なかなか身動きを取らないのかって私は不思議だったけれど──」


 すたすた、と彼女は足早に店に向かう。

しかしすぐにボトルを抱えて戻ってきた。

車があるということは大抵は持ち主がいる。

 つまり、店に近付いていくにつれて、彼女が思っていたよりずっと人目があったのだ。

 せつが慌てて走り出す。私も追いかけるが、途中で見失ってしまった。


「はぁ……はぁ……」


──遠くでは、恋愛狩りらしい拡声器からの声が響いている。







『我々は──このような恋愛と44街のあり方に、疑問を持っている!』

 遠くから聞こえる拡声器が、他人を好きになることの不自由さを訴える。

他人を好きになることは、まだまだなにもわかっていない未知の分野だ。スキダが生まれる状況、スキダが暴走する状況。

『幸せになることは、必ずしも、恋愛でなくてはならないのか!』

『ではその、幸せとは何だ? あのクリスタルの物質が見せる幻覚のことか?』

『幻覚が見えないものに、その幻の中身をいくら語ったところで、自己満足に過ぎない! 恋愛を盲信するやつらにとって、

我々が不穏分子であるように!』

















 あの声はカグヤたちのもので、またスキダを集めてるんだろう。むしろ私たちが降りたぶん、自由にやりやすくなったかもしれない。

(戦う、しか道は無いのか……)

彼女らは仲間思いだ。恋愛以外の、誰かを想う感覚は持ち合わせている。しかしそれによりスキダが生まれるわけではない。


 雨はいつの間にか小降りになっていた。

 ──走って、走って、店内に飛び込む。

服が濡れて少し寒い。

店内はガラガラで、そろそろ閉店しそうな空気を漂わせる。女の子が泣きそうな目で私を見上げていて、アサヒが床に倒れていた。


「よかった……そろそろ、しめるじかんだからって……」


 カウンターの奥で、店員が苦笑いしている。ひいっ!

「ご、ごめんなさい今出ます!」

慌ててアサヒを担いで、女の子とともに店から出た。暮れてきた外。帰宅ラッシュであちこちから車が流れていく。


(私たち、何処へいけば良いんだろう。

家……かな)

急に、現実に引き戻されたような気分だった。

 しかし都合が良いことばかりではないくらいわかっている。

 もちろんあのままカグヤの家に居るわけにもいかない。恋愛総合化学会員じゃないからってだけではない。観察されにくいとしても、会員の家なんてハクナや、せつと距離が近すぎる。スパイがあの手この手で近付いてきたら何があるかもわからないのだ。

──ただ、なんにしろ椅子さんは迎えにいかないと。


「待たせて、ごめんなさい」


「あのね、お姉ちゃんが、戦っていたときは、アサヒが、わたしを背負ってくれたんだよ」


横から駆け寄ってきた女の子が、しみじみと話す。まるで元気付けてくれているみたいだ。そんなに、悲しい顔をしているだろうか?

彼女は、私が店から出た理由は問わなかった。




「そっか……良かった」


「うん」


「──前から思ってたけど、年頃の女の子なんだから、遠慮せずに悲しいときに悲しんだりしても良いのよ?」


「わからないよ、そんなの」

女の子はどこか達観していた。

遠くを眺めるような、大人びた眼差しを持っている。

「そう。それなら、いいの」


「お姉ちゃん──」


「何?」


「お姉ちゃん、泣かないで」



服が、濡れて、寒い。

 日が暮れていく。このまま真っ暗になったら、今度は夜が明けていく。

通行人が、騒ぎながらクリスタルの話をしていた。夜中にこっそりスキダが打ちあがるのを見ただとか、クラスの子のスキダが告白で弾けて消えたとか。


 カグヤたちの演説が反芻される。

幻覚が見えないものに、その幻の中身をいくら語ったところで、自己満足に過ぎない。恋愛を盲信するやつらにとって、我々が不穏分子であるように。

目元を擦りながら私はゆっくりと話す。


「──代理の私を、見たの」


「代理?」


「いつも、あの人って呼んでいたけど、私の代わりに、歩いて、話して、私になろうとしていた、さっき会った本人から聞いたの」


「それって──せつ?」


「どうして、その名前を」


「パパが、言ってた、迫害がわからないようにみんなに見せている幻が、『せつ』だって」


「うん……その通りだった。せつは、あの宗教がみんなに見せている幻なんだと思う。せつに話し掛けていれば私と話さなくていい制度があるのだとしたら、きっとそれは隣国の企みによるもの」


「企み?」


「悪魔の仲間、を殺していた。うちが悪魔だって広めたのもあの人たちだった」

 

 誰と知り合っても、最後に怪物と戦うことになるのなら──あんな思いをし続けるなら、別に悪魔でもなんでも憎まれても嫌われても良かった。目の前から誰も居なくなれば、私が手をかける必要もない。


「せつたちは最初から、私だけじゃなく国を乗っ取る気でいた」


 悪魔と呼ばれるだけでしか無かった私という概念そのものすら、変えてしまう気だということ。それは嫌われても好かれても関係がなく、居ても居なくても関係がないということだ。

「嫌われるのに絶好の環境だって思ってたのに……」

 既に、私が嫌われていれば済む話じゃない。

「嫌われる必要があるの?」


 担いできたアサヒの重みを感じる。胸が痛い。雨も降っていたし背中が中途半端に温い。


「今は──わからない。44街が、ずっと隠してきた真実が、結局、誰のためのものなのか。学会内でも意見が変わってしまっているみたいだし」

「──ん……」


背中に居たアサヒが、身動ぎした。

「アサヒ? 大丈夫?」


「ほら……今日は……タルタルつき……だぞ……ふふ……」


 優しい声、誰かに向けられた声。

マカロニさんだろうか? 夢をみているらしい。

「タルタルが食べたいのかな」

女の子が言う。なんだか、ぞわぞわする。


「どう、なんだろうね」


 アサヒは、他人を当たり前に好きになれる人。

私とは違うということを改めてまざまざと思い知る。

──彼と、私の絶対的な違いだ。


「そっか。他人を好きになる才能があるんだった……」


 私は、椅子さんのことが好きだ。

人間が好きになれなくても、幸せなのに。

悪魔って呼ばれるなら、悪魔でもいい。

他人を遠ざけていられる理由があるなら。

他人に嫌われてでも、私は幸せなのに。


──他人を好きになれる才能があるのに、当たり前に横に並ぶみたいに話し掛けてくるなんて腹が立つ。


違う、私の幸せを、踏みにじるな。

人間と人間を、見せつけるな。

そう、思った。

そうとしか、思わない。

 人生すべてをかけて、私は、孤独を守ってきた。44街を。

それで良かったんだと思う。

──なんだ、だったら、私が迷うなんて、らしくない。

私が、人間みたいに他人のことを考えるなんて私らしくない。


「──私──もし、これからアサヒがどうかなったって殺すよ。知らないから! 

 悪魔でいいじゃない!

嫌われることのなにが悪いの!

あなたになにがわかる!

私でもないのになんで私が叩かれたくらいで騒ぐの? 私のなんなの!

そのたびに私がたいした痛みを感じないのがバカみたいに!

嫌われて救われる人だっている!

嫌われてうれしい人だっている!みんながみんな、守られたいわけじゃない!

私……っ」



「椅子さんが、好きなんだろ?」


 背中の重みが、ふっ軽くなる。

後ろを向くと、アサヒが立っていた。

はれやかな顔をしていた。


「──お前が、物を好きなことは、疑ってないよ」


「……アサヒ、起きたんだ」


「悪かった」


「──もっと、ギスギスさせようよ。

空気を悪くしても構わない、だって、他人を好きになる才能を見せつけられるほうが、辛つらい」


「まぁ、あれだけの力を、一人で纏めてるなら無理もないか……

気を失っていたけど、なんとなくわかったよ。人間に近付かれる度に、ああやって変異速度を速めてしまうんだな」


「──私と話すと、心を侵食される。

私はそっち側なの。私が干渉を受けたスキダが、侵食される。

 アサヒは観察屋だし、別にどうでもいいって思ってた」


「そうか……ずっと、孤独だったんだな。怪物に変わるせいで、なにも好きな相手を、作れずに。

それなのに偉そうなことを言っちゃって」


「────」


「俺には確かに、他人を好きになる才能があった──それすら、忘れていた」


 何か言おうと、拳を握り締める。

でも、何を言えば良いかよくわからない。孤独は悪いことではないのだから。


「嬉しそうだね」


「……しばらく、夢を見てたから。懐かしい夢だった」


「──マカロニさん?」


「いいや、違う。ただ、昔、学生の頃の同居人……なぁ、これから、椅子さんに会ったあと家に帰るんだよな」


「うん」


「──そうか」





「これから、椅子さんに会ったあと家に帰るんだよな」


「うん」


「──そうか」


「何を、考えてるの?」


 アサヒが何かを言いたそうに見えて、私は言う。アサヒは少し気恥ずかしそうに答えた。


「北の国に向かうときに、あいつも連れて行けないかと思って」


「あいつ?」


「あの家に──居るって、言ってただろう」


「……え、あ、うん……どうして」


「なんとなく、なんだが、そうした方が、良いような気がして。

あの場に縛られてるのでなければ──」


 あのときはいきなり椅子さんが動かなくなるし、私もいっぱいいっぱいで、あまり深く考える時間がなかったけど、そういえばあの子、いつの間にあそこに居たんだろう?


「そうじゃなくて、どうして、アサヒが、あの子を気にするの? 見えてなさそうだったけれど」


「夢で、同居人に会ったからかもしれない。なんだか、暗示的な感じがした」


「そのときの同居人って、マカロニさんじゃないんだよね?」


女の子が聞くと、アサヒは頷いた。


「元人魚だよ」


しれっと言われて驚く。

人魚!? すごい、今や絶滅危惧でほとんど人里に居ないのに。


「学生んときに、古いアパートで暮らしてて、部屋に入ったら居た」


「へぇ……なんでまた?」

私も見たことがない。

アパートで人魚が暮らせるのか。


「そこが建つ前は、人魚が住む湖だったんだが──人間が勝手に湖を潰してアパートを立てたせいで、そこから出られなくなったんだと」


 アサヒが言うには、その人魚はヒレや尻尾があって陸地を動けず、綺麗な湖にしか住まない種類のために住み処もそこにしかない、その為にずっと湖の力が残るアパートの場所に留まったままでいつしか人間の形になって居たらしい。


「あいつら特に害もないし、悪いのは土地を強引に所有した人間なんだ。だから、一緒に暮らすことにした」

「アサヒにも、良いところがあるんだね」

女の子が淡々と言い放つ。


「仕方ないだろう、どうせ、昔も人魚の処遇は良くなかった。通報したところで研究機関で解剖されたかもしれないし…………俺にもいろいろあるんだよ!」

 私はふと、夢のことを思い出した。

「その人、タルタルさんっていうの?」


「うわ、寝言いってたか?

いや、そいつはいつもエビフライばっかり食ってる気儘なやつだったんだよ。普段はとんかつソースとかマヨネーズなんだけど、たまにタルタルソースを作って……」


 ってなんだよその目っ!

とアサヒがキレ気味に言う。

いつの間にか私も女の子も穏やかな目でアサヒを見ていた。


「いや、だってタルタル付きだぞ♥️って、優しい声だったから」


「タルタル付きだぞ♥️ って、やさしい声だった」


「タルタルソースは旨いんだぞ!」


 よくわからないツボに入って三人でしばらく笑って居た。

 通勤ラッシュも終わる真夜中。

そろそろベッドに入っても良い時間のはずだった。

立ち並んでいるビルが、あちこちに魚型のクリスタルを煌めかせる。

夜景に反射して、華やかに空をいろどる。


「うわぁ────ビルの向こう側は、こんな風になって居たんだ!」


私がはしゃいで、女の子も、きれいだねぇとはしゃいだ。

街全体が宝石みたいだ。


「これが44街の夜景名所、

『好きの輝き』だ」


「ダサい名前!」

「ダサい名前!」


「俺に言うなよ!」


 知らなかった。

自分に向けられる狂気、怪物としか思って来なかったスキダだけれど、遠くから見るとこんなに、輝いて見える。

街全体がキラキラしている。



「そっか──観察屋は、ずっとこのキラキラを見てきたんだ」


「そうだな。俺が空を飛んでいた頃、一番……心を慰めてくれたかもしれない」


「なんかズルい」


 私はずっと日陰側の情報しか知らなかった。あっちに近付けば、見えない何かや、怪物の魔の手にからめとられてしまうような気がした。

せつや街自体が許そうとしなかったかもしれないけれど。

 それでも今、こうやって遠くから眺める景色は悪いものでもない。

『好きの輝き』は、少し離れて見なければわからない。

 そういえば近付いて、近付かれてばかりで居た気がする。

この景色と、同じだ。


 私は、ただずっと、こんな風に周りから離れて、景色が見たかったのかもしれない。



「リア充、撲滅☆」

声がかかり、頭上を見上げると、塀の向こう側にカグヤが座っていた。


「カグヤ……」


「何してるの?」


「好きの輝きを見てた」






 あんたらも案外ロマンチストなのねとカグヤが笑う。見飽きているとばかりのあしらいだった。

っていうかカグヤったらなぜ塀の上に居るんだろう。


「──カグヤの方は、みんなは?

「あー、それが、さぁ」


カグヤが塀に座り、言いにくそうに後頭部に手を回しながら言うのは、ちょっと意外な話だった。


「今、私ら揉めてる」


「え、誰と」


「観察屋」


「観察屋と!?」


 アサヒが反応する。カグヤはその勢いに少し驚きながらも答えた。

それもその通り。アサヒは元観察屋だ。秘密を知りコリゴリに消されるところだったように、実は今も追われる身で周りの情報には敏感である。


「どういうこと!? 話して!!」


「いつものようにあのツインテの子……

網端めぐめぐっていうんだけど。

 今、塀の向こう側の公民館のとこに、観察屋と市当局が来て取り調べみたいなのしてるの」


「なにか、観察屋を傷付けることをしたの?」


カグヤが首を横に振る。

「──あの子、盗撮した素材から

部屋の中や、生活をアニメにされてるらしくて」


 そういえば私も、バラエティーとかの下地になったことがある。

あれはBPO問題になったんだっけ。


「観察屋が撮った写真を、外国に委託してるアニメ会社とかで使ってるのね、それで、そこの愚痴を言ったのよ、それで……作家から会社の名誉毀損だって。その作家が親」


なんじゃそりゃああ!!


「っていうか、親が? 名誉毀損!?」


「そう! 作家の名前に泥を塗ってありもしない噂を立てられたっていって! めぐめぐが素材になることよりも自分の名誉が毀損されることを考える親なの」


うーん……

親ってそんなもんなのかなぁ。


「ちなみに新刊は『今日子の婚姻届』

厄介からの次なる依頼は、恋にまつわる「呪い」の解明? だって……」


「煽りに来てるね」


私は率直な感想を述べた。


「だね……対立を煽りに来てるよね。外面だけがいいから……」


みずちも苦笑いする。


「っていうかむしろそのタイトルって私に喧嘩売ってない!?」

 命がけでやっていることを、仕掛けはこんなものと暴くタイプのお話が後味が悪くて嫌いだった。

美女と野獣の野獣が人間になったのがショックだったという子どもみたいに。その人のかけてきた人生を、そんな風に部外者が勝手に決め付けてしまうのが。

なんだか赦せなく感じる。


そうまでして、賢くなりたいのか、と。


女の子が少し悲しそうに質問する。


「カグヤたちは今、その、取り調べを待ってるの?」


「そ、私や、捕まってないみんなは公民館周辺に集まって、めぐめぐが出てきた瞬間に抗議しようか話してるとこ。公民館はよく学会も定例会やるしね」


そうなんだ……

カグヤは肩に網を抱えたままニッと笑った。

「まっ、それまでは、漁だよ☆」

ハニートラップ漁。

 みんなになぞのこなを撒いて、寄ってきたスキダの群れを網で囲んで絡めとる。遠くの方から、仲間のものらしい、急かす声がしていた。

 スキダは海の魚ではなくまるで空気よりちょっと軽いガスのように勝手に浮いているものなので、囲んで引っ張ればついてくる場合もある。

かといって空高く飛ぶことはなくて、人間のそばに回っていた。


「そっか」


「──あなたたちはこれからどうするの?」


 カグヤに聞かれて、私は胸を張って答えた。


「椅子さんを、迎えに行く! それから、私の家に帰るんだ!」



















 真夜中。

星ひとつない空の下、私たちはまずカグヤの家を目指した。

夜中に訪ねて行くなんてという思いはあったし、カグヤの祖父はわからないが祖母が関わるのを許してくれないかもしれない。

 あの柔らかい笑顔が、会員かどうかでコロッと変わってしまうことに、少し寒気を覚えた。カグヤの祖母にじゃない。

 心は条件さえあれば、それだけすぐに変えられるものだということに。


でも、とにかく早く、椅子さんを迎えに行きたい!

 歩いて、歩いて、歩いて──



「ねぇ、アサヒ」


30分くらい道を歩いて、私はふと思って居ることを言う。


「お?」


「私たち、ここまでさっき、トラックの荷台に乗せてもらってたよね?」


ちょっと疲れてきた。

30分で音をあげたとか言うよりは、そう、歩き始めて思い出したのだ。


「あっ……」

女の子とアサヒが声を揃える。

しかも、追跡を逃れようと、かなりがむしゃらに走り抜けてるトラックに。帰りも歩くとあと一時間か二時間はかかりそうだ。

そしたら、もう完全なる就寝時間である。


「つい、行きの感覚で捉えてたけれど、徒歩じゃん!!」


「うおあ、そうだった!! 俺もいつも上空を飛び回っていたから地上を歩く感覚に鈍くなっていた!」


「私もだよ、いつもあのビルの影になってる坂道の周辺しか出歩かないから、こんな遠くまで来たのが10年ぶりくらいだった!」


「ママと車で来ることが多くて……でも歩くのかな? と思ってた」


 女の子がはっとする。

私も笑った。

アサヒも苦笑する。

 

「──これからは、こうやって、ここまで来ようかな、そしたらきっと歩き慣れてくるよね」


 誰にも関われないのなら、外に出ても意味なんてない気がしていた。

『悪魔』には、何をするにも代理が居て──することを横で同じように真似する『代理』が常日頃から貼り付いている。


「そうだね」

女の子が首肯く。

「散歩も悪くないと思う」

アサヒも肯定してくれた。


  チョコレートを買えば、すぐそばで代理も買い、手紙を出せば、代理も手紙を出す。誰かに話せば、すぐそばで代理が代弁して市民に伝える。

それが私の、いつもの日常。

 例えばこんな私の話を語ると即座に似た内容を語る人が現れる。

私がすること、私が話すことに『代理』が存在している。

私が、街に私の存在の証拠を遺す代わりに代理が存在して、行動している。

 あの家の中しか私がいられない。

それが、私の日常だった。


「じゃあ、みんなで行こうか」


──けれど、 本当に自分の為だけにすることは、誰にも止められない。

 キムやスライムの気持ちと戦ったときにも、代理は居なかった。

基本的に、何かせつに利益があるときしか代理をつとめないのだろう。

せつがいなくなる時間があるんだって、考えもしていなかった私が変わっていく。

 帰ってきたら、自分の為だけに『好きの輝き』を見下ろしに行くんだ。




 そろそろ何処かで休みたい、と感じ始めた頃、ようやく見慣れた道が見えてきた。

 カグヤの家、といえば、カグヤたちは元気にしているだろうか……?

そろそろ公民館に向かったかもしれない。

 カグヤの家の前に立って、私は端末から時間を確認した。

すでに明日が来そうだ。

さすがに訪ねていけないなと思っていると、ふと、何かが聞こえた。

 思わずアサヒと女の子に、何か話したかを聞く。

しかし何も言ってないらしい。



──人の子よ。


「……!」


──人の子よ。もうじき、時が来る。そのとき、そこの者は変わる……しかし怯えていては、いけないよ。


「椅子さん?」 


 椅子さんの声だ。

私はちょっと嬉しくなりながらも

カグヤの家を見つめる。

椅子さん……椅子さん、椅子さん。

だけど、なんて言ったの?

振り向くと、女の子がアサヒを見ていた。

「アサヒ?」


「──っ」

 アサヒは頭を抑えながら、何かを耐えているみたいだった。


「アサヒ…………」


少ししてアサヒは無言のまま体勢を戻した。

あれ? なんだろう?

アサヒの目付きが、違う。

何だか──


「えっと、大丈夫?」

女の子が聞くと、アサヒは無言のまま頷いた。いつもなら、何かしら喋りそうなのに。


「アサヒ、だよね?」


 なんだか違う人みたいで、ちょっと怖くて、私は思わず確認した。

アサヒは何も言わず、ニッコリと笑う。

「ねぇ──ねぇ、アサヒ!? アサヒ……あなたは、アサヒだよね?」


なんだか不安で、肩を掴んで話しかける。


「──ew.」


「あ……アサヒ……」


「y^estaeweme」


──違う。

アサヒじゃない。


「……ウフフフ。ウフフフフフ」


「────あ……の……っ」


あの子だ。


「──普通に、コクってやるのも良かったのだが。

この者には、なにやら。少し、通ずるものがあってな」


アサヒの姿で、あの子は笑っていた。


「ウフフフ。姫。会いたかったよ、姫」


姫──?


嬉しそうに、アサヒの姿のその子は無邪気に飛びはねて私に抱きつこうとする。


「どうして、この者が、姫と対話することが出来るのか──ウフフフ。

姫、驚いておるな。姫の前に以て、

『孤独』を差し出す者は久しくおらぬから、少し気分が良い」


 アサヒはクスクスと笑いながら、身体を確かめるようにさする。

 アサヒのことだろうか?

彼の孤独を、私はほとんどは知らない。マカロニさんが誘拐されたことすらほとんど断片を聞いたに過ぎない。

「私はいつでも──孤独を差し出せる者を、見ている……」


孤独を差し出せる者。

 44街に伝わるというあの昔話を思い出す。

 村人たちから突き放された、孤独な存在。村人たちから同じように突き放された孤独な村人とともに、長い眠りについた、44街を見守る神様。


「ありがとう……」


なんだか言いたくて思わず口から出ていた。

「『私』と話しに来てくれたんだ」


 白くてふわふわした髪、優しい声。なぜだかそんな姿が脳裏に浮かんだ。


「──コク?」


けれど、不思議な言葉がひとつ。

普通にコクってやるのも良かったが、って言っていた。


「──パパも、そんなことを言ってた……アサヒがコクってからではおそいとか」


 女の子が冷静な口調で呟く。

コクる?

告白する、ではなくてコクる。

「もしかするとあの怪物と、コクる、には関係があるのかも」


(だとすると、何かしらの理由で、

すぐに怪物にしなかった──?)


「怪物になってからではおそい、みたいないみなら通じる気がする」

女の子も頷く。


「うあーっ、なんか、今更緊張してきた!」


叫びだしたい気持ちで、私は顔を両手で覆う。道端。しかしこの辺りは真夜中に、ほとんど人がいないのである意味安心だ。


「姫って──! 姫に会いたかったって……嬉しい」


あの子は不思議。

理屈ではなく、嬉しいと感じてしまうなにかが、私でさえ思わず跪きそうな、圧倒するなにかがある。

あれが、力────

 この感覚が好かれる喜びのようなものかは私にはわからないけれど、あの子が居る、あの子が私と対話をして嬉しいのが、すごく尊いもののようで……一度に考えると混乱しそうだ。


──だけど、孤独を愛するのだとしたら、私は、周りのちかしい人間に、このことを何も言わない方が良いだろう。あの家に居た家族にも。


「ん──?」

少しして、アサヒが気が付いた。


「あ、あれ? 寝ちまったのか……」

「おはよう」

私はとりあえずは何も言わず、挨拶をする。女の子もそうした。

「おはようアサヒ」

「俺──いつ寝てたんだろう?」

「この辺りにきたくらいで、いきなり爆睡してた」

私が言い、女の子がそうそう!と首肯く。



 カグヤの家の近くでしばらく話して居ると、ちょっと小腹がすいてきた頃に、声がかかる。


「あれー? 三人とも、早起きだね」

 帰宅したらしいカグヤだった。








早朝。

 カグヤたちを追っている万本屋北香が、

観察屋のエリートの一人……同僚から連絡をもらったとき、彼女はまだマンションの自室で目覚めてパジャマ姿のままだった。

昨晩はいろいろとあったが、無事にあの三人を誘きだすことに成功した。

(ヨウさんの言った通りだ。盗撮をアニメ作品として販売すれば何ら問題にならずに情報を利用出来る! こんな抜け道があったとは)

ハクナの一人、そして作家である『ヨウさん』が、メグメグの抗議やたちの活動を快く思ってないのは知っている。

 だからこそ、ヨウさんはこうして公に示したのだ。『止められるものなら止めてみろ、世界は我等の味方だ』と。今もまだ公民館の一室で取り調べが続いているものの、彼女は一度、交替のものとかわり仮眠と着替えをしに帰宅した。


《アサヒの身体が、悪魔と何らかの関わり

を持つ異形に乗っ取られているように見えたんです》

「なんだと……それは本当か」

《ええ、一瞬でしたが。そして悪魔のことを姫、と呼んで居ました》

 姫────か。

もしかすると、もしかするかもしれない。


創立当初の資料のことを北香は知って居る。

 今や、いかにも怪しい恋愛総合化、を掲げる団体の犬をやってはいるけれど、今の会長のことは少し疑問に思っていて、創立当初の資料を漁ったのだ。

 そこには44街の神様信仰の話があった。

姫──もしも、あの神話の続きがあるのなら。彼女たちに、なにか意味があるのなら……


《悪魔が、また犠牲者を生むのでしょうか、監視を強めたほうが?》

「待て。私が会長に聞いてみよう」 



あれは、ハクナたちのほとんど、恋愛総合化学会員のほとんどが今や悪魔と思い込まされている存在。

それが、「姫」と呼ばれる。

 なにより、なぜあの子を、我々が日頃から見張るのだ?

せつ、など用意して。


面白い。

面白そうな、なにかが間違いなく絡んでいる。


(学会当初と、変わった現在────私は、どちら側に、つくのだろう?)



 脳裏に過るのは、幼い頃のクラスメイト。

倉庫のなかで恋を知るために殺した犬。

つがいを信じるものたちが支配する教室。

気持ちが信じられないものたちが、異端視され、排除される空間。

忘れた、わけじゃない。

私にも、他人の気持ちなどわからない。


(会長のいう、運命のつがいが本当にあるのなら──どうして……あの子は犬を殺さなくてはならなかったんだ。恋愛なんて感情が実在する確固たる証拠もないのに)


20212/2316:53












ガタッ……ガタッ……

ガタッ……ガタガタ。

 風が吹いている。

外から入ってくる風に合わせて、椅子の身体に声が流れてくる。

全身があったときのように、枝を広げているような、開放的な不思議な感覚。葉を揺らし、他の木や世界と交信をはかったものだった。

 ガタッ……

 椅子が辺りを見渡すと、すっかり真夜中だった。

「────」

 意識。というものを重みを伴って、思い出す。誰かが、足を繋げてくれたらしい。接続は意識を破壊または形成する。

 椅子、というこの形の身体も一瞬の式のように仕様が出来上がっているようだった。


──今の身体には根が無い…………

この形にならなければ力が分散してしまうらしい。

やっと、姫と会話が出来そうだ。



 椅子は作業台から、窓の外に意識を向けた。人間のような眼球からの視覚はない。しかし、この身体は、視覚に匹敵する皮膚感覚を所有していた。窓の外に魚形のクリスタルの存在を感じる。


──今日も、やっている。

アレが人間から生まれる……


 大昔、44街が出来るよりずっとずっと前……木として根付いていた頃は、あのクリスタルは人間にやたらと視認されるものではなかった。

身体、心の中に留まり、今のような質量を伴ってまでやたら人を襲う為に暴れるほどではなかった。


──椅子が、椅子になったように、誰かが、魚という形を与えている。

 誰かに不当に利用されることで、ただしい場所に留まることの無くなった概念体。


 椅子は、身体を組み立てた誰かの精密な手作業に感心しながらゆっくり身体を起こす。本当はこの身体、あと数日置きたい、完全に嵌まりきっていないのだが────ここまで

組み立てられれば、椅子自身の意識をつかうことは容易かった。

 辺りを確認した後に、身体を黄金に光らせ触手を生やす。

触手たちは、自らの戻るべき位置を理解し、それぞれの部位を自ら修復し始めた。

 やがて、カグヤたちが出掛けたのを感じながら、椅子はふわりと浮き上がり、あとに続いた。








 そして、ああ、そっか、椅子か、と納得したカグヤはすぐに家に向かう。

「ちょっとまっててね、様子を見てくるから!」

「カグヤのほう、今帰りなんだね」

私が言うと、カグヤは振り返って頷いた。

「そうそう! それについてさ、あとで話があるから、私が来るまで待ってて!」

そして彼女は走って家の中に向かっていく。なんだろう?

明るいがどこか慌てた様子が気になる。



アサヒが、椅子!

となにか思い出したように言った。


「そうだ、あの椅子、なにか特別な椅子らしいんだ……」

いきなりそんなことをいうので、私はびっくりして、どうしたの?と聞いてしまった。

「ただでさえ空から来た椅子さんだよ? 特別に決まってるじゃない!」

「カグヤの家のじいさんが言っていた。あの椅子のようなのがかつては、城とかに繁栄とかを祈願して献上されていた特別なものだったって……カグヤの家の本家がそういう家具屋だったんだ」

「そうなんだ、すごーい」

「椅子が空を飛んでた話にも驚いて居なかった」

「えぇ────!?」


アサヒは、特別な家具を見られて感謝するとカグヤの祖父が話したことを私に伝えた。


「……な、なんかすごいね、椅子さん」


 椅子さんが何者なのか、そういえばわからないままでいる。

だけど、可能性がひとつ生れた。

少なくとも椅子さんもなにかそういった力を持つ存在だ。

 椅子さんはどうして、私と一緒に戦ってくれるのだろう。どうしてあの日、うちの近くにやって来たのだろう。

 嵐がやって来て、ヘリが墜落して、アサヒと一緒に椅子さんも倒れていて────


 カグヤが家から出てきて、こちらに走ってくる。

手ぶらだった。


「あれ? 椅子さんは?」

私が聞くとカグヤは目を丸くしたまま言った。


「実は、その椅子さんが、居ないのよ!」

なんだって!?


「昨日までは──寝ていたって、おじいちゃんも言ってて、だけど、今朝見たら居なかったって! なくしたのか、盗まれたのか、わかんないけど、とにかく、どうしよう!」


昨晩のことを思い出す。

椅子さんは、一度私に挨拶して、それからまた隠れた。


「椅子さん……もしかしたら、私に会いたくてあのあとカグヤの家を抜けて──探しにいったのかも」


「空を飛ぶくらいだからな」

アサヒが頷く。


 女の子は、きょとんとしていたが、すぐにカグヤに聞いた。

「ねぇ、さっき言っていた、はなしって」


「あぁ、そうそう! 昨日のことで」


 カグヤはすぐに昨日のこと、を話し始めた。遠くに見える空には少しずつ朝日が登り始めている。もうじき人通りが増えそうだ。


「ヨウさんが、主張を認めてないらしくて──盗撮の証拠はあるのか? って、重ねる為に脱いだ写真を送ってくださいってなってきて……

どうしますか?って感じで話し合いにすらならずに昨日は終わった」


「どうしますか? って、そんなの一々送りたい人居ないよ!」


憤りが隠せない。

なんでそこまでさせなきゃいけないの? 私だって被害に合っている。他人事とは言えなかった。


「メグメグが被害にあってるのに、

名誉毀損の証明義務はこっちにあるんだってさ!」


「ええええええーーっ!?」


びっくりだ。

もはや名誉がなにかわからない。


「証明も何も、ハクナ自体が怪しい集団じゃない。なのに自分たちは無実を証明せずにこっちにだけ、要求するのよ!? 信じられない!」


 カグヤが激昂する。

ハクナは名誉毀損を便利な道具としか思っていないかのようだ。

嫌なもの、隠したいことを、ハクナのためにこちらが証明しなくちゃいけないなんて馬鹿げている。


「みおちゃんの──」


女の子が小さく呟く。

みおちゃん? 私たちが伺うと、彼女はハッとしたように聞いた。


「ヨウ、って──アニメ『さかなキッチン』の人?」


カグヤが、よくわかったねと言う。

私も魚キッチンの名前を聞いて思い出した。


「あっ、魚キッチンのコラ画像なら、うちにも送られてきてたな。私の身体がコラージュでヒロインのみおちゃんになってた!」

「うちにも? あなたの家も、盗撮に合っているの?」


 カグヤがちょっと怖い顔になる。


「うん……あまりアニメ見ないからよくわからないけど」


感覚がマヒしてしまっているが見たくないのに、家にわざわざ画像を送りつけて来た辺りが自意識過剰な気がする。

 しかし確かにそれも大事件だが、私には、とりあえずは椅子さんだ。椅子さんは今、どこで何をしているんだろう……


「うー、メグメグの件だけじゃらちが明かないし……デモをやめるわけにもいかないし」


カグヤが考え込む。


「そういや、ヨウって、誰? ハクナの人?」


私が聞くと、カグヤが頷いた。


「幼いときから学会に入り浸ってる秀才。

学校に通わずに小学校くらいからほとんどを恋愛総合化学会の内部で過ごしている、幹部クラスの人」


「へぇー!」


「ハクナにも出入りしてるって噂だよ。今の面倒な社会のなか、最終学歴が小卒くらいでも

学会内部だとエリート優遇されてるんだから、すごいもんよね……

恋愛総合化学会を無くしたくない一人だと思うわ」


 小学校のときから、ってことは戦場になりやすい学校に行かずに、

学校での襲いかかってくるスキダから怯えずに大人になったのだろうか。 それはそれで、どんな人なんだろうという興味が湧いてくる。


「でも、アニメとヨウさんに何が関係あるの?」


「既に、44テレビ局の内部に入り込んだ構成員やスポンサーが、映像を操作してるのは知ってるよね?」


知ってる、かと言われればよく知らないが、見ているといえば何度も見ているので首肯く。

アサヒが隣で気まずそうに目を逸らした。


「ハクナを使った盗撮映像を管理して、適切な指事を出すのがヨウさんの取り巻きじゃないかって話なんだけど──

それって結局は、ヨウさん自身がやったようなものというか……でもヨウさんは自分で手を汚してないからっていうか……」


「テレビ局で働いてたやつから聞いたんだが」

アサヒがふと口を挟んだ。


「うちは他局とは違う、という放送は44テレビ局のどこも行わないようになっているみたいだな。ある程度のコードが統一されているからだろう」

「じゃあ、44街の放送が全て、誰かの指事と監視によってひそかに統一されているのね!?」


カグヤが拳を握りしめる。

 確かに、管理体制が出来ているとしたら、一部の管轄にそのまま言っても、きっとらちが明かないわけだ。






ふふ……ふふふ。


暗い闇のなか、ヨウはモニターを眺めながら笑っていた。

 44街は今や彼らが支配している。



「44街の市民さんたちは皆、私の圧力によって私だけしか見る事が出来なくなったよ、キム」


相手の意識を強引に操ることで洗脳が効果を発揮する。 思考の強制停止。

圧力によって強制的に『姫』いや『悪魔』やその周囲を思考停止に陥らせる、言わば行動不能。


「私もね、あの大戦から、手段を選んで居られなかったんだよ」


 街には手のひらの賄賂やらなんやらを見せる事で、すぐに手には入るものばかり。

いくらあの悪魔の血筋だって流石にひとたまりも無いだろう。


「キム…………」


ヨウは暗い部屋のなか、ドアに背を向け、何かに向かって語りかけるようにしてニヤニヤ笑っていた。

モニターには、先日の悪魔の家の様子が映されている。


「椅子さん起きて!!!』


クククッ。

彼にはどんな場面も娯楽に過ぎない。

楽しくて笑ってしまって大変だ。

 盛大に脳内に小躍りする。

そうか椅子さんでも椅子で無くなれば寝るんだ!喜んでいると誰かが壁の向こうから怒鳴ってきた。


「ボリューム下げて見られないの?

人が折角悪魔の能力を把握しようと構えている時にぃ! ……ただ、勝手に能力を喋ってくれたのは助かるぅ!」


 音をたてて彼の真っ暗な部屋のドアが開き、紫の髪と眼鏡をした男装女が現れた。


「あれ? ヨウ。この家に来てるやつ、キムじゃん……!!!

悪魔はよく生きてるね、普通ならこれで一撃なんだけど」


「ブン、うるさい、静かに観てて」



────────────

 ××年前。

 映像、音声技術の発展によって、あらゆるメディア分野が不景気の侵攻を受けずに急激な発展を遂げると同時期、束の間の発展、経済成長を嘲笑うかのように44街の人類を怪物が脅かし、各地に鎮められていたキムが目覚める。

 実はこの経済成長の裏では、日々激しくなるメディア間の争いに勝とうとあらゆる禁忌を恐れず侵した者が居た。

 それを押し留めようとしている恋愛総合化学会がまさかその禁忌そのものを『吐くな』と、隠す役目も同時に担っているとは、誰も思わなかっただろう。


 ブン、と言われた男装女子は頬を膨らませながらいーだ!

と挑発のしぐさをする。


「そういや、この映像、誰が観察担当したんだろう」


ヨウは気にも止めずに呟く。



「あぁー、まったく、映像だけではわからないよ。もどかしい。

このキムの生の状況が知りたい。話が聞きたい。ギョウザさんが、アサヒは辞めたって、言ってたな……そうだ、コリゴリを」


「コリゴリも辞めたらしいよっ」

「えっ、あのコリゴリが、私と境遇が近いお友達だったのにぃ……パパーン!」




(2021:2/271:46加筆)










「カグヤ……」

女の子がふいにカグヤを呼んだ。街では、ゴミ収集車が住宅を回り始めている。


「わたし……昨日、救急車とすれ違ったの」

女の子が淡々と呟くと、カグヤは目を丸くした。

「そっ、か……そっかそっか、見たんだ」

救急車?

私やアサヒが顔を見合せているとカグヤはあははと苦笑いしながら言う。

「なんでもないよ!」

「本当に?」

 女の子が食い下がる。

なぜそこまで救急車を気にするのだろう。そう、一瞬だけ思った。

「実は、おばあちゃんが運ばれたの。

急に腰が悪くなったとか、急に血圧が安定しなくなったとか、お医者さんは言うけど……」


カグヤが、仕方ないとばかりに言葉を濁す。

なんとなくだが、何か察した気がした。


「確かにおばあちゃんには持病があったし、普段出かけても家に帰るなり腰が痛い、胃が痛いを繰り返してたよ? だけど……なんか……なんとなくだけど、引っ掛かって」


 学会の関係者か、誰か都合が悪い人がもしも──悪魔と悪魔の仲間を見張って置けないことを理由に手を回していたのなら。私たちにそんな考えが過った。


「倒れたとき、お医者さんが薬を飲ませてたんだけど、その辺りからちょっと様子が変わった気がする……」

カグヤの顔が青ざめる。

お医者さんや製薬会社が、学会の悪い人と関わっていないとは限らないのだ。

 それに、もしもそうだとしたら、違和感をごまかせそう

な理由を用意する知識も持ち合わせている。


「そうなんだ……」


──何よりも、『見張られていた』のだ。

熱心な会員ですら!

こちらの状況を知っている。

観察は続いていた。

きっとどこにいても、なにをしてもつきまとう。


(そっか……見張られずに過ごせたことなんて、ずっと無かったんだ……ずっと、きっと生まれたときから私は悪魔でこの街にとっての生きた素材でしか無かったんだ)


胸が痛い。苦しい。

たったひとつ、「誰からも関わられずに自分の存在だけを感じられる夢」を見ることすらも、私にはかなわなかったんだと知る。


「私が、学会やハクナの愚痴を言ってるのも知ってるって、ことよね?」


「そう、だね」


私は曖昧に返事をする。

見えないが確かに、そこにある圧力。


「ごめんなさい──あなたたちは気にしないで、私が、私が学会を批判するようなことしてるから……」


カグヤが謝る。

そんなに気にすることはなく、気にしていないのに。


「ううん、ありがとう、カグヤ。おばあちゃんが、心配だけど……よくなるといいね」


「うん」


私が居るから争いになるという人が多いなかで新鮮な反応だった。 黙って悪魔として観察され続けていれば、何も起こらなかった気もする

私の生活だけがめちゃくちゃになるだけで、誰にも危害が──ううん、違う。

 めぐめぐも、他の誰かも、ずっとそう思って居たのかもしれない。

 だけど、ちょっとした衝動くらいで44街全体にここまで深く根を張れるわけがない。

誰にも危害がなんてこともなく私たちが皆に危害が既に現れていたのを誰も知らないだけだ。

普通なら学会があのやり方であそこまで栄えるわけがない。ずっと前から、私たちが生まれたときから始まっていたんだ。


「あー。泥棒ジジイ! 返せ、泥棒ジジイ!

かえせえええ! 泥棒ジジイ──────ッ!!!」


カグヤは空に向かって叫ぶ。



「──泥棒ジジイーー!!」


人目も憚らず、その声は辺りに響いた。

(泥棒ジジイ?)

(誰だよ)

(泥棒ジジイ……?)



 そんなこんなで、これから、椅子さんを探したり家に帰る私たちと、めぐめぐたちと話し合うカグヤは一旦わかれた。

 帰りの道を歩きながら、

たった1日でもいろいろなことがあるなと不思議な気持ちになる。せつがまだ見張っているかもしれない。観察屋がいるかもしれない。だけど、それでも今、ここで歩いて居るのは竹野せつではない。


 空にヘリが飛んでいる。

あちこちに、ひこうき雲が張っている。

青空に引かれた罫線みたいだ。


「ふふ、帰ったら朝ごはんだね……」


「────そんな時間か」


アサヒが呟く。

女の子は、なんだか悲しそうだった。


「ハクナたちが、構成員だろうと手にかけるなんて……」


「爆発させないだけ、人目を気にしたのかもな」


アサヒも真面目な表情になる。あのカフェに居るとき、女の子は例の男──パパと話をしたらしい。

ママが誘拐されても、自宅が爆破されてその娘が目の前に居ても特に気にした様子はなかったのだという。

あの、カグヤの祖母だろうと、お構い無しな学会の態度に、いろいろと考えてしまうみたいだ。


「わたしは──パパを選ばなかった。嫌いをすごく嫌う人で、好きしか言わせて貰えないから」


──嫌い、がまるで悪のようで、何もかも受け入れているなんて、自分の存在がわからなくなる。それなのに、見るもの、やること、すること全てに、嫌うことが許されない。

「やっぱり、嫌いが悪になる世界はだめだよ」

女の子はしっかりと前を見据えるように言う。

「街がスキダで溢れて嫌いが存在しない世界になるくらいなら、わたしが嫌う!


ママが嫌った世界を、私も嫌ってみせる!」



街が朝に変わっていく。

好きの輝き、が一旦眠りにつく。家に帰る道中、女の子は

病気の話をしてくれた。


「パパとは小さい頃わかれてて。

 好きに、専念できると思ってたけど好きなものを描きましょうって、保育園の課題でたおれて……それから今もずっと」


 好きを言おうとしても選ばれなかった嫌いを思い出してパニックになるようになって発覚したのだという。


嫌うこと、に酷い対応をされ続けた結果、好きもバランスを保てなくなってしまった。

好き、を得る為には嫌うこと

が不可欠なのだ。

 難病である、恋愛のことを考えるとショック症状になる恋愛性ショックも、もしかするとしっかり嫌えるものがあるだけで緩和するかもしれない。脳内の好き、と嫌いの判断に影響が出ているのは確かなようだし…………


「カッコいいね!」


ぱちぱち、と私は彼女に拍手する。

みんなのぶんまで嫌うことの勇気。私がせめて悪魔らしく居ようと思ったときを思い出した。


「堂々と嫌うことを、しているおねえちゃんが、だからわたしは憧れ」


「そう? ありがとう」



──これから自分のための幸せが例え世界の何処にも無かったんだと知るとしても。私はせめて、私らしく生きて私らしく散ろう。

 そう思えたのは、椅子さんが椅子や対話しやすいものに関わることに逃げずに人間と対話しようとする、諦めない心に気付かせてくれたからだ。

人間同士が一番対話が困難なのに。私はまだそれを見捨てていない。

実は、カグヤの祖母が大変なときに、私はひたすらに非常識なことを考えていた。

悪魔らしく。


 アサヒがしばらく黙っているので、私はなんとなくそちらを見た。


「──なぁ」


「なに?」


アサヒはなんだか言いにくそうにもごもごと口を動かすが、黙ってしまう。


「いや……その……あの男と、お前の家に、なんか関係あるのかって、思って」


「え──?」













「どうして、そんなこと……」


「だから、家に来てたんだよ」


「…………」


私がなにも答えられずにいると、アサヒは男のことを思い出すように呟く。


「そういやあいついろいろ、気になることを言ってたな」


「気になること」


「器、とか『あいつら』が妬ましく思う程度の、仲睦まじさとか、恋をして他人が怪物に乗っ取られるとか──お前の家族がどうとか──」


 「────そう、なんだ……」


「まさか、お前の母親も!」


アサヒがハッとしたように言い、女の子も私を見つめた。更に更にきょうだいが増えてしまうかもしれないと危惧? してるのだろう。

クスッとなんとなく、少しだけ笑えた。けれど、すぐに悲しくもなった。

だから苦笑いのようになったけど、なるべく笑顔で答える。


「ううん──違うの。お父さんは、小さいときに魔物に乗っ取られて死んだんだ。

お母さんは誰も好きにならないって決めてたのにお父さんに根負けして、結婚して──」


「どういうことなんだ、それって」


「──うち、昔からそうなの」

 今になって、さまざまなことを思い出してきた。

コリゴリと戦っても、スライムと戦っても、私は悪魔で居られた。

冷酷で、居られたのに。

あれ……あれ。

大変だ。このままでは、泣きそう。

「意識を…………与えた相手ごと…………、変えてしまうっていうのかな…………たぶん、あれが『コクる』だと思う」

 俯きながら、なんどか呼吸を深くしながら、はやく、上を向かなくちゃと焦りながら──けど、うまく笑えない。

「お母さんたちも、私になるべく話しかけなかった。私もそうした。

誰かと話をしても、すぐにおかしくしてしまって──いつも、不気味がられた」


 ある日、市庁舎に呼ばれた。

家族の紹介の後、市長と少し話して──翌週から、44街中に、私が誰とも関わらないようにというお触れが出される。 


「当時なんか、ニュースでキムの手?

とかいうのが騒がれてて、国が緊急事態がどうとか言ってたんだけど

キムの手は、悪魔を呼ぶとかって噂もあって……」

最初はそんなファンタジーなって、笑ってたのに、スキダが広く視認され始めたと同時期にみんなそのモデルの悪魔を信じだした。

「本当に、市のあらゆる権力で極力の交流が制限されるようになってて。

 帰宅して次の朝からもう、私と会話すると悪魔が憑くという噂になってたのよ」


 お母さんたちも、お父さんが死んだとき、うちは悪魔なんだよと言っていた。

「悪魔だから、あまり他人と関わらないようにしなさい」

私は素直にそれに従い──いつしかお母さんが居なくなったあとも、それに従っていた。

「キムの手は、俺も知っているよ。

悪魔がつくかは知らないがさまざまな憶測が飛び交ってはいたな。

コクる、とか器、とかって?」


「詳しいことは……わからない。

けど、あの子が、対話のために誰かを通じて私のところに来る──今日それが、わかったの」


あの子が対話したいときに、私の意識にある何かを通じて語りかけているのだと思う。ずっと、一緒に会話するのを待っていたのだろう。


「どういうこと、えっ、怪物は?」


アサヒがおろおする。


 私が感じたのは『あの子』は普通の人にはあまりに大きすぎて、受け止め切れないんだと思うということ。

だから、全身がスキダに成り代わって壊れてしまうのかもしれない。

だとしたら、器、は────


「ぅぐ……っ、う……ううう」


「おい、なんで泣いて……」


アサヒが何か、言うがよく聞こえない。

留めていたものが決壊した。


「うああああああ──────」


 なにも聞こえない。なにもわからない。

なにも知らない。


消えてしまいたいと、そうずっと思っていた。

私が歪めた血。私が破壊した魂。汚れていく手。重圧。うち、昔からそうなの。何故?

私は、昔からそうなのに。

何故?

どうして、どうして、今になって、私は

────



「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ────」



 見た目通りに柔らかいスライムの笑顔や、コリゴリがこれをするしかないと言っていた場面を思い出す。

 私が消えて無くなれば無数の誰かが幸せになるのだろうか。

──だとしても、それでも私は結局、こう

やって、存在するしかないのだろう。

 街のみんなを困らせてそれでも対話を望むのが、どれだけ周りを苦しめるだろう。

それがわかっているから、私はただ冷酷で居る方を望む。



2021/0301/0:27














「今の話はキムの手と悪魔の関係がわからないが……とにかく、本来なら神様で良いにもかかわらず、悪魔の話を広げたやつと、キムの手が発見された流れになにか関係があると考えているんだな」


 フライパンに卵を落としている後ろでそんな声が聞こえる。

家は荒れて散らかってはいたが、どうにかキッチンなどは使えるし、器具も残っているので、帰宅してまずは朝ごはんとなった。


「うん……、それと、身近ななかで私を熱心に悪魔と呼んでいたのは『せつ』だった」


ちら、と後ろを見る。棚の側などを 改めて確認したがキムはまだ眠っているようだった。

 それになんだか家の中の空気が変わった感じがする。

今まで、部屋にどこかぼんやり薄暗い霧がまとわりついたような気配があったのに……電話の近くだとか、ちょっと苦手な重々しい空気をまとっていた気がするのに、それが、カラッと晴天のような────そういえばこれがこの部屋だったなと、今更感じ直すような、変な感じ。

完全にとは言えないが、圧倒的な身動きが出来づらいくらい重々しい空気のなかにあった部屋が、どこか、見違えたようだ。やっぱりあのときの戦いが関係するんだろうか。


 ほうれん草とベーコンをいれて、グシャグシャと溶いた卵を掻き回す。バターのいいにおいがする。


「『せつ』 ──今までの話を聞く限りだと隣国が首をすげ替えることを目論んで用意していたスパイ、だったな」


「うん……」


「なるほど、キムのことはわからんが──44街を乗っ取る足掛かりに

組織的に、『悪魔』を利用した可能性はある。

学会を侵食しながら目を付けた獲物を監視し、情報操作をしていた──と。観察屋が今のようになっているのもそれが絡んでいるだろう……俺もいきなり消されかけるし」


 アサヒがクビになったときの話を私はそういえばよく聞いてない。だが彼は当時の上司になにか心当たりがあるようだった。


「信仰は国家間の関係そのものと密接に関わる、国柄といっても良いものだ。

この国の44街の神様信仰を蹂躙する理由としても、悪、と名の付く悪魔のイメージを植え付ける方が早い、か」


「……戸棚から、パン出して」


「おぉ」



──あれから。

互いに何事もないように接している。

私は朝ごはんを作り、女の子とアサヒは、部屋の片付けを手伝ってくれていた。

 落ち着かないくらいに落ち着く日常の風景。


 ──未だに私は、誰かとこんな距離で関わることが、そもそも接することが正しいことかはわからない。


「あ、そっちの食パンの横にあるレーズンパンは私のだからね」

「はいはい……レーズンが好きなのか?」

 好き、それは純粋な好みだけでなく、何かや誰かのための望みや願いでもある。

「嫌いだよ」

 私は『スライムが願う私』を否定した。

それは『私』ではなかった。

私は私が決めなくてはいけない。

「嫌いだけど、でも、いろいろあるの」

「あっそ」


 生まれて何年間もずっと自身の存在自体に確信を持てないでいた私がスライムを否定してやっと自分の存在に気が付いた。


「いろいろ、あったけど、私、嫌いなものがあって、良かった。嫌いなものを否定して良かった。

それだけは思うの。スライムが、ああなったのは悲しいけれど──でも私は、自分の気持ちや、相手の気持ちと、戦って良かった」


受け入れられない誰かを否定して、遠くから周りの景色を見下ろして、やっと手に入るものも確かにある。

近すぎて見えないもの。

受け入れ過ぎて見えないもの。痛みを忘れてしまうと、見えないもの。

気持ちと戦うこともときには必要だ。


「──そうかもな」


誰かを嫌いになるとき、人はやっと、自分を確認出来る。



──ちらりと後ろを見る。

コリゴリの死体も、愛してるが散らばった紙もどこかに消えていた。

(……あの男が、うちに、来たのか)


 女の子が、部屋の奥で何かを言った。私は皿にほうれん草と玉子のいためものを盛り付けて、この前のハンバーグのあまりを乗せながら、気持ち、首を伸ばして部屋の方をうかがう。

彼女は神棚を見ていた。


「どうかしたの?」


「旅の無事をおいのりしてた」


「そっか──」


「うん。早く、嫌うことに慣れたい。だから、こわくないよ」

「え?」


「わたしも行くからね。どうせ置いていく気だったでしょう」


 私は苦笑いした。

アサヒはなにも言わずに席についている。確かに北国に女の子を連れて行けるかは、年齢の面でも危険かどうかという話し合いがないわけではなかったが、母親を見つける、という目的の為には現地で見てもらう方がまだ確実だと感じてもいた。


「戦うのも、北国にいくのもみんなわたしの為の願い事みたいな部分があるのに、なにもできないって、思ってた。

 わたしが、それだけ恐がっているから、自分の臆病なところが目につくのかもしれない。でも、いつまでも嫌いなものが怖い。それが、一番怖いから……」


「うん。行こう」


彼女の目が輝く。

少し焦げた部屋。散乱している紙束。倒れた物。

それらを背にした少女が、なんだかとても頼もしく見えて、私は微笑んだ。











「恋愛が出来なくても良いとは思わないけれど、人間が人間と出会うことと恋愛のイメージが、逐一常識でなくても良い。


誰かを好きになれなくても、嫌いになら、なれるかもしれない。


好きも、嫌いも、私たちには同じように必要なものです。


人間には、どちらも必要なのです。



「何言ってるんだ!」

「嫌われた人がどんな気持ちか考えろよ」

「そうだそうだ!」


「人は人としか恋愛が出来ないのでしょうか? 性別という今までの常識が近年、否定されています。

しかし恋愛に必要な姿形については、まだまだ認知されていません。

彼ら彼女らの全てが恋愛自体を滅ぼしたいというわけではなく、自身が完全であるからという考えも持っていない。

ただ──彼らにとっては、純粋に外部からの『刺激』。体が受け付けることに苦しむような刺激なのです。私の体がもつ難病の恋愛性ショックのような……」








「よしっ────」


 家の窓をちょっと開けたわたしは、気合いを入れてスキダを庭に発現させた。椅子さんがどこに行ったかわからない今、次にやることは北国に向かう準備。

けれどまずは朝ごはん。用意が整うまでは部屋を片付けつつ休んでいる。その合間に、庭に置いた小さな車を、力で少しずつ巨大化させていく。

わたしはこの子が好きだ。




────わたしがずっと好きなもの。

このおもちゃの車。保育園のとき、好きな相手はいないのかと周りに聞かれてあれ、と指差した車。

 それは、家がまだ、爆破されていなかった頃、家族でやったクリスマス会のときのお菓子のおまけについていた小さなものだけれど、友だちがあまり居なかったわたしはそれからずっとポケットや鞄にいれて持ち歩いている。

ヒーローになりたい、が将来のゆめ、で許される保育園ということもあって、さいわいにもわたしの想いは許された。

 そのときにわたしは、初めて他人から認められた、と思った。

 人間でなければ、発作を起こさないという先生たちの同情もあったかもしれないけど──


 それでも本気で、何を好きになっても、誰を好きになっても、誰かが認めてくれるんだ、と。

たとえその相手の性別がどうでも、

たとえその相手が人間じゃなくても、誰かが認めてくれるんだと、そう確かに思った。


 家に帰ると「嫌い」を言うだけでこっぴどく叱られ、好きというまでは家に入れないと閉め出されるようなパパが居る。

けれど保育園で恋人を周囲に認められてからは辛くなかった。


 嫌い、を言わない生活の悲鳴の捌け口のように、わたしはその車のおもちゃのことが性的に好きになっていった。嫌いを言えないけれど嫌いな相手がそこに在る生活から目をそらして抜け出し、車のおもちゃとごはんを食べたりお風呂に入ったりする。

 そのことに、何ら、おかしいことはなくて────


 だけれど。ちょっと前に聞いた話だとお姉ちゃんが役場から恋人届けを突っぱねられて帰ってきたらしい。

人間ではないから。ただ拒否するだけじゃない、アサヒから聞いた話だとまるでバカにしたようだったという。

 胸の奥に、過去の自分を否定されるような痛みが走る。

あれはきっと過去の自分の姿なのだ。


「椅子さん──椅子さん。お姉ちゃんが、待ってるよ」


 車を庭から走らせる。椅子さんがどこかに居れば見つけられるかもしれない。スキダは少しずつ走行してわたしの目の前から遠くに向かっていく。

「車さん。つかれたり、なにかあったら帰ってきてね」


朝ごはん、もうすぐかな……

 お姉ちゃんのため、それにわたしのために、わたしは頑張るんだ。




 朝ごはん、を食べながら、アサヒが北国にいく計画の話をしていた。

「まず、荷物は纏めておけよ。旅先であまり高価なものは身につけない方が良い」


「はーい」

ポタージュを啜りながら首肯く。家が爆破されたからほとんど持ち物などないけれど。

お姉ちゃんは旅行なんて初めて、なんだかドキドキするとはしゃいでいる。


「あなたの服、とりあえずは私が子どもの頃のとか、小さくて着られなかったのとかで良いかな?」


聞かれて、首肯く。

そうだ、服……なにからなにまで世話になっている。

「そういえばあの子、居ないのか……?」


アサヒはふと周りをキョロキョロうかがった。

「ちょっと、食事中だよ! ……でも、そうだね、おはなししてみないと。この間は居たけどなぁ。眠っているのかもしれない」

 お姉ちゃんはちょっと機嫌が良さそうだ。

「嬉しいこと、あった?」

「うん。キムも眠っていることだし、今、本当に普通の家にすんでるみたいで!」

 誰にも関わられず観察されずに過ごしてみたかったという夢を叶えるのは難しい。けれど、彼女は今、新たな夢を叶えた。

普通に過ごすという難しい夢。

「これで、椅子さんがいれば、更に良いのになぁ……」


 椅子さんはどこに行ったのだろう。体調は良くなって居そうだったけれど、そもそもどこから来たのかも定かじゃない。


「まあ、でも椅子さんも立派な成人

だからね、一人で出掛けたいときも……あるの、かな」


 お姉ちゃんはちょっと寂しげにジャムを塗ったパンをくわえる。


「なぁ」


アサヒはコーヒーを啜りながら率直に聞いた。


「クロってのは、なんだ?」


「……そ、そんな話、したかな?」


お姉ちゃんが慌てる。目をそらした。

「身分証明書でクロにばれるから病院に行かないって、お前が、言ったんだ。だが旅行には入国許可証が必要になる。身分証明書がないと発行してもらえないんだよ」


「……だけど」


代理をたてられて、そして何かあっても私の代理が病院に行く、それがせつのことだとしたら。


「──クロはお前の痕跡すべてを、身分証明書レベルで、社会すべてから無くしたいと言ってたな。届けも出せない、外に出られない。身分証明も出来ないと。せつが戸籍屋と通じていると考えるのが自然だ」


何か不穏な動きがあったら戸籍情報を横流ししている連中。

──観察屋と繋がりがあることも知っている。


「要するに、クロっていうのは、戸籍屋なのか? なぜ、そんな企みがあると気付いていた? 戸籍屋のことを知って」


「まって、まって、質問がおおいよ……」


 お姉ちゃんは苦笑いのようなものを浮かべながら答える。


「──見たことがあるからよ」













 どうして──どうしてそこにいるの……

あなたは、昔の私と同じ、犬を殺して喜んだ仲じゃない!

人間に、愛や恋があるわけがない、そうでしょう?


 早朝から、呼び出された公民館の前に訪れた私は、あのときの金髪の少女に詰め寄られていた。


かつてのクラスメート。

今は宿敵のような立場である。

恋愛総合化学会にいる私を、彼女は快く思っていない。

それは、知っていたが、私には私の理由がある。


「学生時代は確かに、恋愛なんて、ふわふわした幻想が本当にあるのかを探すために殺していた。

 人を好きになる才能のない私たちはクラスでも浮いていたけれど、それは間違ってないと本気で信じていた! それは、今も変わらない」


彼女もそう。ただ二人して現実が見えすぎているだけなんだ。と、思っていた。

浮いていたクラスでも苦ではなかったのは、恋というものに懐疑的な人が自分以外にも居たためだ。


 だって、変じゃないか。

恋愛ドラマだって、ただ人が駆け回るシーンや生活の様子を流すだけにすぎない。

──結局は、どれが恋という幻想自体なのかはまるでわからないし、これです、と注釈がつくわけでもないのだ。


才能があれば、解るのだろうか?


  そんな、ありもしない、見えもしない、あまりにも不安定で具体性の無い物のために、浮気だ不倫だなんだ騒ぐ社会が、気持ち悪い。

まず証明してみせてから、言えと。あるのか?

どこにある?

恋はどんな物質でどんな見た目でどういう存在なんだ?

国民に示してみろ。

これが恋ですって。

できもしないくせに。

なぜ、みんな洗脳されてるんだろう。


「万本屋は、言ってたよね? 人を好きになれるのは才能だって!」


──彼女、は『私』に鋭い言葉を浴びせる。

取り締まりをする私。志が同じな恋愛総合化学会でも、やはり違反者や犯罪者は生まれるわけであり、それが、デモをしているかつての同級生ということだってあり得た。


「──ねぇ、どうして変わってしまったの? あなたの口から他人を慕う言葉なんて聞きたくなかった」


過去の彼女と私が同じなら、誰にも靡かず、誰の声も聞きたくないはず!


 まさしく、その通りだった。けれど、私に言い返すことは出来ず、ただ苦笑いした。


「聞きたくも、存在を感じたくもない、叩き潰してしまいたいの、わかるはずだよ」


「それは、悪口だぞ。名誉毀損だ」

私はひとこと、絞り出した声で言い返す。


「悪口? 悪口じゃないよね? 好かれるような甘ったるい言葉より、罵倒や辛辣な言葉の方がずっと私たちらしいって、いつも……」


「うるさいな! 悪口なんだよ! 酷いことを言うんじゃない!」


わかっている。

軽口、でしかないようなものだ。これまで彼女が言うのなら、私にとっては何一つ悪口に当たらなかった。

愛や恋、実在するかもわからないものよりも悪口の方がずっと素晴らしい。


「私の知るあんたは、少しの軽口を、高みから名誉毀損だと批難するような他人行儀ではなかったと思う」


そう。本当に仲が良いのなら、本当に仲があるのならば、名誉毀損なんて言葉が出るはずがない。

 しかし──今は状況が少し違う。

 正直に言ってしまうのが恥ずかしい。

見栄を、張ったんだ。

才能がある人のふりをしたくて、恋愛総合化学会は、恋愛宗教をするやつらの集まり。だから。才能がある自分に生まれ変わりたかった私は、朱に交わろうとした。

才能がある気分になれば、本当に恋が見つかるかもしれない。



「──恋愛総合化学会は、恋愛を研究する機関の中枢。

内部にいれば、44街がやろうとしている恋愛、という宗教の秘密を暴けると思ったの。あなたたちの、やっている、スキダ狩り──それに利用している粉、あれが恋を引き起こすのならそれがあんな違法な形で知られたら…………」


 私は大人びた口調で諭す。

塀の向こうの公民館では、今日も「話を聞く」、という建前のめぐめぐの取り調べが続いている。

カグヤという子は、祖母が倒れたので病院に付き添うらしく、今この場にいるのは彼女だけだ。


「けどっ、スキダを狩れば、告白が始まらない。告白が始まらないなら、恋愛は始まらないんだ、他に方法があるっていうのか?」


 着ていたスーツの裾が、強風に煽られる。

冷たい風が全身に吹き付け、薄いシャツを通して肌に染みた。


「……恋愛が、始まらないと総合化出来ない。総合化して、恋愛というシステムを平等に享受しさえすれば、やがてこんな苦しい世界はなくなる! 蔑んだ目を向けられ、犬を殺さなくていいんだ!」


 彼女は、くっ、と唇を噛み締めた。

恋愛がシステムとして機能すれば少子化対策にもなるし、人を好きになれない才能に苦しむ人も居なくなる。望まない見合いなんて単語は消え、みんなシステムを平等に享受した幸福を得るかもしれない。

私はただ、恋愛なんてありもしない幻想を、より科学的に解明するかもしれない、その瞬間を見届ける場に立ち会いたい。


「でも──このまま突き合う人たちを、見てろっていうの!?

告白を見てろっていうの!?

めぐめぐだって、観察してまで恋愛をさせたいってこと? 恋愛総合化学会はそれで得た幸せでいいのか、万本屋は、それで!!」


 公民館の裏側のドアが開く気配がした。

私たちは慌ててそちらを見る。

どこかに移動するらしい。


「──留置所かなんかか?」


彼女が不思議そうに言う。いや、違う。



「恐らく──市庁舎だ」


「市庁舎! なぜ! 姉貴がなぜ市庁舎なんかに」


「悪いが今それを説明することはできないけれど、乗って!」


万本屋は、近くに止めていた車を指差す。

彼女はぽかんと車を見た。

「私も市庁舎に行く。行くなら早く」


「──どうして……」


「単に、目的地が同じなだけだよ」














「……よく来てくれましたね」


 某日、明け方。

市庁舎に来客があった。明かりのついていない市庁舎の一室は、明け方なだけあり、大きく開かれた窓からの日光だけで充分に明るい。

 その一室、大きなデスクの置かれた部屋の中央にいる市長は、その魚顔からのぞくギザ歯を見せがらニヤリと笑って来客を出迎える。

この頭が魚の存在こそ、44街を治める今の長である。

「前の(さきの)大戦の後、あなたがまさか生きているとは、思いもよりませんでしたが……、ねぇ、大樹さん」


目の前に居る椅子は、軽く頷きながら地面に降り立つ。此処までは空を飛行して来ている。


──なんのために、個人情報を集めた。


「おや、いきなり本題ですか、そう気が急いていては、冷静な取引が出来ませんよ」


──やはり金か。姫が邪魔だという連中に、悪魔として売り渡してまで得た地位なのだろう。


「ウフフフ、それをお答えするとどんないい事があるかしら?」



椅子は光輝いた。手足から触手を生やし、市長の魚頭目掛けていく。

 市長は魚頭に触手をからめられつつも、手元の時計を見て録画したかな、などと呟いている。

「ヒーリングお嬢様、みました? インコ教団地とか……今日の朝からスタートなんです」


──御託はいいんだよ。

私はここで市長とのんびり語る気はない。



 かつて市長と同世代──超恋愛世代の起こした大戦は、人々の著しい精神汚染を招いた。

 癒しを求めてパワースポットに集まった彼らはさらなる土地の汚染を広げ、自分たちの私利私欲で争い合う。

 やがて、人間の薄汚い欲にまみれた土地は大樹が根付く場所をも汚染した。


「まぁ、そう言わないで。

もう、どこにも精神汚染を受けないで生存している大樹はないと、そう言われていたのに……あなたは面白い。旧友にあったかのようで……あぁ! なんとも懐かしい……どうやって、今のようになったの?」


──戦後、確かに人間の身勝手な癒しを求める欲の汚染により、毒素を排出するだけとなった私は、伐採されることになった。 だが、そんな私を唯一、椅子に生まれ変わらせた者が居た。

それだけだよ。


欲にまみれた、癒されたい、逃げ込みたいと各地を荒らしては何も還元しない人間たちのなかで、その者の感情は椅子には新しく、また、自身が汚染から守られ癒やされるのを感じた。



「んー、気になる……木だけにね」


──……。


「あなたの目的は、私が『悪魔』を売り渡すことを容認しているか調べること?」


──いや、それはすでにわかっていることだ。

44街付近の市民データベースへのアクセスには市長の許可が居るものもある。

悪魔、に接触禁止のお触れを出す役目もスーパーシティ条例の裏に盛り込まれていた。


「…………鋭い、椅子ね。素敵よ」


──超恋愛世代の生き残りである市長が、ようやく大戦による精神汚染がまだ浸透していない、新世代を監視するとはね。


「こっちにもいろいろあるの。ねぇ、私がしていることに気付いてるのだとしたら、あなたは」


──辞めさせに来たに決まっている。



 椅子が触手を市長の首にからめ、少しずつ微妙な力加減で締め上げる。

怯えを感じた市長は叫んだ。


「強制恋愛条例──だって……だって私は! 魚頭ナンダモォン!!!!!魚頭を受け入れてくれる人なんか居ないモォン!!! アアアアアアーー!! 好きぃ!!! 好きぃーー!」



────これは……



「夢で、デートする夢を見るの!! 目があった人全員が、市長をオオオオ!!!

イヤアアアア!!! 沸いてくるのぉ! 人間は沸いてくるのぉ!」



──……


市長は髪を振り乱して叫ぶ。

そのとき、ドアがノックされ、秘書の嘉多山が入って来る。


「市長、学会からお電話です」

椅子は慌ててデスクの影に隠れ、市長ははっとしたようにそちらに向かった。


「接触禁止令の許可を? しかし、面談しないことには……はい、ええ、はい、わかりました」




部屋の奥から、市長の通話する声が聞こえる。椅子は、精神汚染が広がるのが嫌だった。

(めぐめぐを閉じ込めたりすれば、またしても彷徨うスキダの数が増えてしまう……

しかしそれにしても、驚いた。

まさかあそこまで体がスキダに一体化した人間が居るなんて。頭まで魚そのものの形に変わるにはよほどスキダを自分自身に取り込み、理性で制御できない程に肉体ごと書きかわったとしか考えられない。

目があった人全員が市長のものという妄想を抱えるほどに肥大化した。もはや現実の区別がついていないのだろう。

────────────




 椅子がひとまず、市庁舎の市長室から様子を伺っていると本当にめぐめぐと誰かが建物内部に入って来たような賑やかな声が廊下から聞こえ始めた。

此処ではなく会議用の部屋のひとつで話すらしい。

「貴方の家にはウォール作戦のときに非常にお世話になりました」


 そーっと廊下に出て聞き耳を立てる椅子に、市長の挨拶が聞こえてくる。

ウォール作戦は知っている。

総合化学会や一部の権力者が失敗『させた』作戦だ。


「残念ながら、大樹を伐採し直接街に用いても、なんの効果も得られなかったことは悔やまれますが……あのときは助かりました」

「壁ごときでは、人類が大樹の防壁の内部に立ち入るくらい出来たこと。元から守れなかったのよ」


 誰かが、話し合っている。椅子は黙ったまま触手を伸ばして輝かせた。クリスタルが空に舞う。




 ウォール作戦、と呼ばれたのは

超恋愛時代の大戦中、キムから逃げる人類が、汚染されていない場所に根付いた大樹を囲む壁を破壊するものだった。

 それは大樹のための防壁で、その近くにあった大樹の街ごとに精神汚染を食い止めるために築かれていた壁だったのだが、自分たちを恐れ、自分たちの進行を防ぐためのものであると思い上がった人間たちが破壊した。

プロの泥棒は防犯シールの貼られた家を狙う、なんて話があるが、壁がまさにその防犯シールだったのだ。


 総合化学会や一部の権力者が指示し、失敗『させた』作戦。その結果44街はどこにいっても、椅子にとってすっかり汚染された街だった。汚染だけではない、大樹にすがる人間が本当に恐れる悪魔であったキムも、喜んで食い物にする街。


 地獄のなか椅子に出来たのは、嵐の吹き荒れたあの日。まだ汚染されていない『壁に守られた』『孤独な』その場所に向かうことだけ。

──迫害され、嫌われる悪魔の子。

誰から嫌われることも厭わない精神は、誰からも汚染されない。



──笑わせる。


一体誰が、人類なんてちっぽけなもののためだけに、壁を築くというのだ?

人間は壁を己の身体のみで破るには相当な気力や体力が要る。通常、精神が汚染されている者はわざわざ壁を壊さない。

少なくとも精神汚染の足止めくらいはしていたのだ。



 それを、よくも思い上がったものだった。

(愚かな……)

 そう思ったときに椅子の足の一部は少しだけ黒くくすんだ。

あの家の外は、今もまだ格段に汚染が広がりやすいことを失念していた。


────……………………



 大樹と同じように、隔離するべきものにすら築いた壁を勝手に壊し外部と繋がりを強制的に持つ人間が増えた現代。


──わかってはいる。

この美しい輝きは、戦争で精神が麻痺した彼らには捉えることすら出来ない。

私は彼らにはただの木だと。





「めぐめぐは、あなたの名誉の道具!?」


と、考え事をしていたら、部屋に誰かが乱入した。


「あら! 万本屋さん!」


市長が驚きの声をあげる。


────さて……


椅子は考えた。悪魔の子、の例は極端だ。めぐめぐを閉じ込めても汚染の引き金にしかならない。

 椅子にもわかる。

もうどこにも、あの頃のような、壁、なんて無い。

ならば闘わなくてはいけない。

 キラキラしたクリスタルの粒子が、椅子の周りで輝く。

市庁舎の周りにクラスターを発生させるべく、それは大気を漂って外へ向かう。


2021030803:42









 朝食後。

「見たことがあるから」と言った少女は、その先を言わずに逃げるように皿を洗い始めてしまった。

『アサヒもちょっと片付け手伝って!』を俺に告げた後は今も黙々と片付けている。

クロの話って言いにくいものなんだろうか。



 ってことで手持無沙汰な俺は、素直にそうして再び部屋の掃除をすることに。どうせ暇だし。

(この部屋で、コリゴリが死んだのか……)


 改めて見ても部屋は本当に酷い荒れようだった。棚は倒され、床に血が飛び散り、紙や物が散乱している。

けれど、この荒れようは、彼女たちが戦ったという証拠。

あちこちに残る血痕は、彼女たちが自分の気持ちと戦って出来た、生きる証。悲しくも、愛しいような、そんな気がして──少しだけ勿体ない気がして、せつなくなる。

(それでも、片付けないと過ごしにくいことくらいわかっている)



 がさ、がさ、と紙をまとめる音が静かな部屋に響く。

一面に広がる血や何かの汚れを拭き取る。

──少し、胸が、痛い。


 床に大量あった『あの紙』は、既にいくらかなくなっては居たが、まだ部屋のあちこちに散らばる盗撮写真や虐めのような言葉が並ぶチラシがないわけではなくて、見つかるその数々にうんざりする。

なんだか馬鹿らしかった。

 「こんなことが、観察屋の本当の使われ方だったなんてな……」


非道だ。鬼畜だ。

『これ』を撮ったやつを殴りたい。

もしかしたら依頼されただけかもしれないけど、これだけ見たら、そりゃ思うだろうな。俺だって思う。

そして黒幕はいつも尻尾を切るだけ。悪天候フライトまでして、やることなのか。コリゴリも、もしかしたらエリートになってまでやらされていたことが何かに気が付いてしまったのかもしれない。


本当のことは、もうわからない。

──俺にはただ、『こんな部屋』で楽しそうに暮らしてほのぼのと会話しているなんて狂気を、頭が固いか脳筋、に極端に偏った『英才教育』のエリート観察屋が受け入れられたように思えなくて……ちょっとだけ、言葉に出来ない何かを、思う。

(──そういえば、少女があのとき椅子と戦っていた『あのよくわからない存在』は、このような紙から這い出てきて部屋中を動いていたような気がする)

 ゾッとする。あれに怯えながら暮らすなんて、とてもじゃないが正気を保てる自信がない。

ただでさえ、こんな文字や写真、嬉しくないだろうに。

(──写真か)

写真は魂を映す。魂を吸いとられる、昔の人たちはよくそんなことを口にしている。

うちの父母も、写真が苦手だった。

小さい頃は写真ごときで魂を吸いとられるなんてわけはないと馬鹿にしていたし、撮影に何時間も動かずに居なくてはならなかったための貧血という何かの解説を信じていたんだが──本当に、それだけだったのか?

 もしかしたら昔の人たちは『あれが』見えていたのではないか。見えなくとも、よくない使われ方をすると何が起きるかを薄々感じていたのかもしれない。

 もしかしたら、俺が観察屋になるより前から、あれは居て、あれを呼び出すだけの依り代を観察屋が作っていたのだろうか。

……だとしたらあれは、俺たちが産み出した、俺たちの罪。


(──もし、彼女や誰かを『悪魔』として隔離してまで、ギョウザさんたちが『この事実』をずっと隠してるんだとしたら……)




「どうかしたの?」


──声がかかって、我に返る。

少女が食器を片付け終えてこちらに来ていた。


「いや、その……」


思わずこちらまで目をそらしてしまったが、周りがあちこち血だらけなので余計に気まずくなった。

「……すごい、部屋だなって」


言ってから、失言かもしれないと慌てる。

「あ、いや、違う……俺に出来ることが、あれば良いんだけど──その……えっと」


「ありがとう」


彼女は少しだけ寂しそうに笑った。


「──私、あの子に会ったときも、

この紙に囲まれたときも、思ったの、観察屋が使ってきたあの紙から嫌なものが生み出せるなら、きっと逆も出来るって」


 迫害にあっても、44街があんな風に自分を遠ざけても、そんな風に考えるものなんだろうか。こんな風に、笑うものなんだろうか。


「……逆」


「観察屋が生み出したものが、すべてが敵意を持つ存在に変わるとしても、きっと、依り代になった存在がそれを望んだかはわからない。だから、きっと逆のことが出来る、私にもアサヒにも。それが出来たらきっと何かがわかる気がする」


 いつだって見えるものは嘘だらけだ。幸せそうなのは、幸せだからじゃない。辛そうにするのは、辛いからとは限らない。

それでも幸せを錯覚しているかのような、幸せを享受しているかのような。


「──よく──わからないけれど、それを、やればいいのか」


「うん。きっと出来る」


スケールが大きいな、と言おうと思った。けれど、それだけ44街から隔離されている彼女は既にそういった大きな影響力の枠組みだった。


「孤独に亡くなって、また孤独を思い出す光景に縛られてしまうより少しでも──孤独以外も思い出して、楽しい思いをしてほしい。せっかく神様なんだから」


何かに急いているようだった。何を想っているかは、よくわからない。


「……きっと──、ううん……見張られて居ても、蔑まれていても『私は』まだ、生きていて、失ったわけじゃない」


「えっと、何を──言って、るんだ?」


「アサヒは、言ってたよね、湖の場所にアパートが建ったから、人魚さんはアパートに住むしかなくなった」


「──あぁ」


「村人さんが亡くなったとき、きっと、スキダも住む場所がなくなってしまってたと思う」

「戦っていたくせに、妙なところに引っ掛かるやつだな」


「そう? 人間とかが苦手なだけだよ」

 俺が棚の中身を整理する横で、雑巾で床を拭きながら彼女は淡々と言って、そしてふと、さっきより真面目な声で聞いた。

「──さっき部屋を見て、自分も観察屋だったから、あれを生み出す一因になったって、だから出来ることはって思ったでしょ?」


「──あぁ」


 確かにその通りだった。

なんだか、確信的な言い方だが、コリゴリも、そうだったんだろうか。


「アサヒがどうするのか──何が一番か私にはわからない。けど、だから、そのために、

まずは旅が成功することかな。

 マカロニさんのことがわかれば、あの女の子のこととか、何か役にたつかもしれないからね」


なんだか誤魔化された気がして、少しムッとしながら問い掛ける。


「自分の、願いはないのか」


「私も、アサヒがする旅に意味があると思う──そんな気がする」


「だから──!」


「私は、私で在ることが願いだよ」


 カチャ、と陶器の音がして、棚に食器が並ぶ。彼女は背後の流しでバケツの水を変えながら呟いた。

今度は、冷えきった声だった。

「おばあちゃんも、お母さんも、戸籍屋に個人情報を奪われて居なくなったから」

 なんだか背筋が寒くなってきた。

居なくなった、それは以前にも言っていた言葉だ。亡くなったとか、家出したとかそんな感じじゃなく、まるで消えてなくなったとでも言うような──


「個人情報を奪って、どうするか知ってる? 整形して、近所に住んで、言葉を真似て──それが現代医学でできてしまう。

 小さい頃、私はそれを目の当たりにした」


 彼女が隔離され続けて、自分からは自分の情報をほとんど出さないようにしていたのは、お母さんから聞いた悪魔、の教えを守って居たからだという。知らなければ整形も性格を真似ることもない。

そう、思っていた。


「お母さんたちが居なくなった後、犯人はクロかもしれない、そう教えてくれた人が居てね──

お母さんの知り合いっていうその人が撮ったっていう写真には、お母さんの背後にお母さんに似た人物がまるでエキストラみたいに、映っていた」
















しばらく黙々と部屋を片付けていると、

玄関の方でチャイムが鳴った。窓からそっと覗くと郵便局員がポストに何か、入れて遠ざかっていく。

外に出てポストを開けると少し厚みのある封筒が入っていた。

「──なんだろ?」


 44街からのお知らせ。恋人届けを提出されていない方にお配りしています。

恋人届けを提出すれば恋人割引や保険料などさまざまなサービスが受けられます。

【人間のパートナー】を連れて役場まで、下記の書類を届けてください。

動物、椅子、文房具、人形などはNGです。




 読み進めていくと、恋人届けの催促の手紙だった。人間の、を強調してある。

あのとき笑っていたのは受付だけじゃない。44街の民は、人間を相手にしない者を嘲笑していたし、人間を押し付けるクラスターが発生した。


「うわああああああああああああああああ!!!!!」


呼吸が乱れる。手紙を破り捨ててしまいそうだった。入国許可にも使う書類らしい。家を爆破されたり処刑されるのは嫌、だけど──

「恋人届けくらいでなんだよ、北国に行くんだろ? 椅子が嫌なら適当な人間を書いたりさ」

アサヒが励ましの言葉をくれるが、私はそれどころじゃなかった。

「そんなの絶対嫌だぁっ!!」


なんで、相手が人間じゃないって言っちゃだめなのだろう。クラスターは『まるで何事もなかったかのように』椅子さんのことをスルーした。そして、笑いながら、人間の相手を押し付けて、私も椅子さんも、私と椅子さんの想いも大勢で馬鹿にした。

視界に椅子さんがないかのように扱った。

およそ信じられないような、その光景は、ただただ現実で、私に深い傷を残した。


──信じられるだろうか。

恋愛素晴らしさを語る街が。

恋愛総合化を目指す学会に支配される街が。

その恋愛の素晴らしさに支配される44街の人が。

椅子と人間の恋人が居ると皆で笑い者にする。どんな想いも祝福する、ではなく結局は相手を見定めていたなんて。

「私、椅子のことしか……見てないのに」


 紙をよく読むと、相手が決まらない方向けのスキドウシシステム、による相性診断もしているとのことだった。

私、椅子さん、って名前まで書いたよね。

それを無視しているってどういう事?


「提出した! 私、ちゃんと提出したのに! なにそれ、私の好みにまで口を出す権利があるの!?」


 44街の人たちだって! 私は、街の人以下!?今まで話しかけもしてこないでせつに関わっていただけの街の人まで、

私が、初めて椅子を好きになっても祝福すらしないで、皆で笑い者にするんだ。


アサヒがちらりと封筒に目をやりながら苦笑した。

 「嘘をつけば済むだろ? 」


私はむきになって声を張り上げる。


「済まない! それに私、初めて、椅子を好きになったんだよ……ワクワクしながら、椅子さんのことを書いた……!

椅子さん以外を書いてなかったことにしたくないよ!」


 気が動転していたが、アサヒが倒れた棚を設置しなおすといって抱えたので私も手伝う。

改めて見るとだいぶん部屋が 片付いてきた。

それは、きっと、良いことだった。

 設置しなおした棚に、手作業でコップや、皿が棚に戻していく。


(コップ、かぁ……)

スライムとの会話が、脳裏に焼き付いて離れない。


 私が、コップのことが好きだったときも、私はコップを手に持ってさえいればカップルに見えているはず。と信じていた。

それだけ『スライムではなくて』コップのことが好きだった。

だから、信じていた。


 だけど──スライムの視界には、私単体しか見えてなかったせいで勘違いさせた。

(スライムの友達、悲しんだだろうな……

私一人のために暴れるなんて。

スライムの友達と仲良くなっておけば、スライムが私に執着する前に止められたのかもしれない。ごめんね、スライム、スライムの友達)



ん?

 そういえば、さっきから二人で片付けているのみで、女の子の声が聞こえない。

あの子はどうしているかな……

部屋を覗こうとしたそのときだった。

ドシン、と床に今まで感じたことのない揺れと衝撃が走った。


「なんだ?」


しばらくだまったままでいたアサヒも辺りを見渡す。そして窓を覗きにいく。私はその背中を見ながらも女の子の様子を────女の子も、窓を見ている。


「どうしたの?」


 私も窓を見る。窓の外に居たのは巨大な人型のロボットだった。

魚の形になって分散しているクリスタルとロボットが戦っている。

「やめて!!」

思わず叫んだ。


「お姉ちゃん……?」


女の子が怪訝そうにする。


「やめて!! 椅子さんを傷付けないで!」


 玄関に回り、靴を履いて飛び出す。

奇妙な感覚。理屈ではなく体が動いていた。まるで恋みたいだ。

「外出するなら、俺も自宅に帰ってきたいんだが」

アサヒが言う。

「着替えとか、荷物を持ってかなきゃならん……看病とかでしばらく世話になっていたが」

「え。だけどアサヒ、探されてるでしょ?コリゴリも来たし、大丈夫?」


「うまく逃げるつもりだけど、わからん」



















 巨大なロボットと戦っているクリスタルを見て『あれは、椅子さんだ』と私は直感的にそう思った。

そうとしか考えることが出来なかった。


「殺すなら、私を殺せばいいでしょ! 私だって悪魔よ! ロボットさんの敵でしかないんだから!」


聞こえるかどうかはわからないけれど叫びながら、見えている方角を目指す。

「えと……たしか、こっちの方だったよね?」


 坂道を下るにつれて普通なら、椅子さんたちの位置が周りの景色に溶け込んでしまうのだが、さすがに巨大なロボットなだけあって、見失うことはなかった。

だけど、どうして椅子さんを攻撃してきているんだろう? ロボットに椅子さんから絡んだ様子は今までなかったのに。

私が知らないうちに何か、あったのだろうか。

──でも、こんなの、一方的だ。


 椅子さんは黙ったまま、市庁舎の近くにあるビルの真上に君臨するように浮いていた。ロボットも同じく、集まってくるクリスタルをものともせずに堂々と佇んでいる。

「椅子さんをいじめないでっ!」


椅子さんの近くに行こうと走る。

椅子さんは上空からちらっとこちらを見て『危ないよ』とだけ言った。

木でいると素材的に摩擦に負けやすいらしくて体をあの光で覆っているようだが、確かに椅子さんだった。


「どうしてこんなことするの!?」


『ハハッ、期待を裏切る者の末路が此方ですか──』

ロボットの口のスピーカー部分から、誰かの声が投げられた。

期待? なんのことだろう。


『処分されたくないなら今のうちに、逃げた方がいい』


「私は、期待なんか知らない! でも、私逃げない。私だってあなたの敵だから!」


『いいから、早く退いてください、次こそは数を減らして我々がもっとうまく使うつもりですから』


「うまく使うって何!?」


 ロボットは腕から短剣らしきものを取り出して構える。


──あら、銃器の許可は降りていない?


椅子さんが質問すると、ロボットはそちらに向かって切りつけた。


『……家具風情が』


椅子さんはそれをかわして静かに浮いている。……不思議な光景だ。


──使うことばかり。

そんなに、あの子たちを素材に使わなければ、自分では何も出来ないのか。

名誉毀損だなんてよく言えたものだ。


 椅子さんの近くに行きたいが、浮いているため届かない。


「ねぇ、何が起きて──」


振り向いて、誰かに話し掛けようとして気付く。アサヒは着替えとかを取りに向かっている。女の子も一緒に行ったらしいので、ここには私だけ。

強い風が吹いて、私の体勢が思わずくずれる。

ロボットが一歩、歩いたのだ。


『うまく使う、使ってみせる──!』


えと……使う、って私たちのこと!?


──迫害や事故、爆撃にあった家をどうコメディにするかしか考えないのか。



『迫害? 爆撃? それにあえば、経験から魔の者に勝てるのなら、安いじゃないか! 私だって虐待に合いたい! 私だって強くなる力がほしい! 虐待にあった子が、目の前で私を飛び越えていくのなら、私も虐待を受けて力を手にしたい。悔しいじゃないか!



力がほしい! 簡単に敵をキャッチ出来るような、虐待にあった子の力、経験が!



簡単に!』


何を言っているのか、よくわからなかった。虐待にあった子が、耐え抜くことが、目の前でそれを乗り越えて先に行くことがそんなに不愉快だなんて……

それが出来るなら虐待を受けてみたいなんて。簡単に、なんていうけど、きっと並大抵の努力じゃないはずだ、それすら、簡単に行ったようにしか想像が出来ない……いや、想像力が、備わっていないのか。

このロボットには他人の努力も、他人の痛みも認識し理解することが出来ないんだ。

ただ、力が欲しい。

力を得るためなら、何だっていい。

傷付いていても、爆撃にあっても、迫害からどうにか抜け出そうとしても、何も、感じない。ちょうどいい力でさえあるのなら


 走り出したロボットが椅子さんに向かって飛び上がる。同時に椅子さんが唸る。そして強い光に包まれて輝きだした。


────ガタッ!!!


────────ガタッ!!!!


────クラスターを発動。


『ハハッ。この近辺はあのお方のクラスターが固めているんだから、他のクラスターが入る隙なんてないのだ!』


確かに、クラスターが集まってくる。気が付くと街のあちこちから、クラスターが現れていた。

「えっ!」

そして、気が付くと、私の両脇に光輝く人型が立っていて、両腕を掴もうとしていた。思わず立ち上がる私の体を両方から引っ張る。

『いいか、そいつは迫害にあった人間のサンプル素材だ! なかなか手に入らんから殺すなよ!』


ロボットが、迫害にあった人間のサンプル素材、の力を殺さないよう指示を出す。


「離して! 私は、素材になるために迫害にあったんじゃない!!その力は、私のものよ!! 迫害されてまで手にした、私のためのものなのよ!」


『そうか、ならば、わかったぞ!

クラスターを発動!

お前に見せよう、だから迫害のちからの本領を見せてみろ!


クラスター効果──再現──事件現場!



 無意識に瞑っていた目を開けたとき、現れたのはいつもと変わらぬ町だった。ただし、それはある一軒の新しい家が建っていることなどを覗いてだ。


(ここは……)


 玄関先に育てられている小さな花やミニトマトを眺めながら、その家、を見上げる。ちょうど、ドアから自分を幼くしたような女の子が出てきた。



「人と、人が、いまーす」


両手で人形をふたつ手にして庭で遊んでいるみたいだ。


「うわーー」


どしん、と片方が庭に投げ出されると女の子は無邪気に笑った。

「地面にくっついたな! お前、土や草のことが好きなんだろう!」

片方の人形に、庭に投げ出された方をゆびさして言わせると、もう片方

も動かす。

「おかしい。くっついたくらいで、恋人なら、接着剤には何人の愛人がいるんですか!」

「なにも触るんじゃない!」


「いいえ、何を触ったとしても、それが恋だなんておかしすぎます。朝おきて、あなたに会うまでにさまざまなものが手に触れました、口にも触れました、だからなんだというのです? それが人に何か、批難する理由になりますか」


「なるさ! それはうわきだ。

これから、家にあるコップを壊してこよう」

 人形は人の形を模していることがわかるくらいで、ほとんどピクトグラムのように表情がなく、人によっては不気味にも映るかもしれない。けれどその子は気に入っている様子だった。


「あなたは、何を触っても良いのよ」


 女の子は独り言のように呟いて、人形を膝の上に置き、自分自身をぎゅっと抱きしめると、ぼーっと座り込む。


「あの人が口にする食べ物だって、触れて体内に入っていく。私はとがめたことがない」


 家の中から誰かの呼ぶ声がして彼女は家の中に戻っていく。

異様な光景をしばらくじっと見守っていたが、同じくしばらく静かにしていたロボットが腕を伸ばして手をグー、パー、と開いたり閉じたりしながら嬉しそうに言った。


『正しく着いたようだな!』


 場所を確認して頷いたロボットの目からレーザー光線が放たれる。視界に見えていた空間が宇宙のように大きく広がり始めた。

『懐かしいだろう? ここにあるものは、お前に映る現場を我々の記録技術によって

一部だけ再現したものだ』


 レーザー光線を放たれると、家や街がどんどん透明に変わっては消えていく。建物の中に人が居る様子が映り、それが次第に溶けてなくなる。此処、は偽物で、生き物じゃないことは知っていてもなんだか良心が痛んだ。なんのために、こんなことを。

 

『この場所の発想はなかったって感じですな。なんだか凄い気が満ちているような気がする! 

これで、これを浴びていれば私も凄い存在になれる……!』


 はしゃいでいるロボットの脇から、むくりと透明の存在が起き上がると、一度破壊した周囲の、あの家の近くだけが修復され始めた。

 先ほど焼き払われた『透明な存在』の、いくつかが雪のように舞い降り、ロボットの周囲に集まってくる。私のところにも降り注いだ。ひんやりして心地いい。


『さあ、透明化させた迫害の力を浴びるときだ!!』


 ロボットに降り注いだ透明な何かがやがて意思を持つかのように金色に輝くと機体に溶け込んだ。せっかく再現したのに空間のみを残して建造物や人間を取り払う必要があるのだろうかと思っていたが消えたばかりの概念体だけを吸収するためか。

確かに一瞬でそれをするには人力では到底難しい。


透明になった雪は、ロボットの身体を禍禍しくパーツごとに変化させていく。ロボットの身体がより固そうに艶と光沢を帯び、継ぎ目が細く引き締まると同時に、固い素材感のある羽が生えていた。

『美しい……! 迫害は、いじめは、痛みは、美しい……! 他人のを纏うとよりいっそう輝くな!』


 私は目で椅子さんを探す。

そういえばどうして、椅子さんはこの人と戦っているんだろう?

あと、このロボットはそもそも何なんだろう? 椅子さんのように、ロボットが好きな誰かの、恋人だろうか。


「──椅子さーん」


『どうした? お前の、空間だ! 

戦いやすいように此処に合わせたんだから、さっそくお前の力を見せてみろ!  

使われたくなきゃ、その迫害の素材にどれだけ価値があるか、証明して見せてくれ!』


価値?

迫害の力?

使われたくなきゃ素材にどれだけ力があるか証明?

何を言われてるかわからない台詞が並ぶ。

そもそも使われたくなきゃっておかしくない?

「私は、こんなところで戦っている場合じゃないの! あなたに証明して何になる?」


『負けるのが怖いのか!』


 ロボットは短剣を構えて腕を振り下ろすそぶりを見せる。

人と人とが仲良く張り合ったり、喧嘩したり、好きになったり、そんなのをわざわざやるなんていかにも他人を好きになる才能がある人がやることで、私は好みじゃなかった。

絡まれて、彼と何か関係があるように思われるのはごめんだ。


「あなたこそ、自分より若い人と同じ空間で張り合ったりしてみっともないと思わないの?」


 走りだそうとして、身体がぐっと両端から押される。そうだった、このロボットのクラスターだ。


『────思わないね!』


嬉しそうな声とともに、ロボットは少しずつこちらに迫ってくる。


『さぁ、戦え~~! 迫害の証明だ~!

じゃないと、《使われる》ぞ~~!!!』


「いやあああああああああああ!!」


 短剣を持っていない片方の手には、血塗れの物体──首から上の無い誰かの死体がつまみ上げられて不安定に指先で揺れていた。

『ふうん、この落ちていた死体は、強さに関係があるのか』

 ロボットは透明な家から、次々と引っ張りだして身に付けていく。透明な死体を食べ、庭に転がった髪飾りを指輪のように指にはめている。あれ、ロボットって死体を食べるんだっけ。

一体化していくのを眺めたまま、私はクラスターのせいで動けない。


 もがく指先に、どこかから飛来した紙飛行機が当たる。


「椅子……さん……」


椅子さんのクラスターだ。

だけど、椅子さんは何処に居るんだろう。


『さぁ、その強さで、これらのパーツになった存在を、すべて私と分離させてみろ!』



 透明になった家の中では、揉み合いが起きている。血の気が引くような光景。

ヒントがあの中にある。

答えが。


『それが出来なければ』────!















(2021/3/13/13:30)



「私たちには話す機会も与えられないのか!」


カフェの席のひとつで、市庁舎から追い出された金髪の少女が嘆いたとき、万本屋北香は横で提案をしていた。


「迷惑をかけてしまったので私個人の選択でやった、すべての責任を負いますから発表の段取りをしてほしいと、嘘の相談をもちかけるのはどう?」


確かに、そうしたら高い可能性で時間を作ってくれるかもしれない。


「会えばこっちのものよ。

自分の学会での功績アピールに話しをすり替える、とかしてさ」





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