第3話 政略(デート・プランニング)

──あぁ黄色い『インコ』ちゃん。

どうやって活用してあげましょう?

 瓶に入れて持ち歩く?

アカシアのように帽子につける?

それもいいですね。

 前の大戦によりあの大樹の1つが滅んだとき、木は残らなかった。けれど、私は信じているのです。

どこかに、あの木の欠片は存在すると。

 そしてきっと形を変えて私のもとに現れるだろうと。


デート・プランニング





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 初めてスキダを向けられたとき。




 政略結婚したときにはなかった発作が、娘が生まれると途端に始まった。

部屋を荒らして、腕に切り込みを入れまくった。痛い、痛い、痛い。

わけのわからない刺激で完全に意識がコントロールをなくしていた。

 胸が熱く、情報の判断が出来ず、麻薬かなにかの作用ように辺りが歪み、ときに幻覚を見せ、世界ぜんたいから判断を迫り、詰られるようだった。


 カッと頭に血がのぼり、ただ、感じたことのない不安と聞いたことのない恐怖に支配されたときに、身体は思わずビルの窓際へと駆けていたほどだった。

 なぜ自分がそうしているのかわからないが、怖い、辛い、痛い、逃れたい。

ガタガタと身体中が震えて吐き気がした。

目が回り、発狂し、自分の壁を作らなくては死んでしまうというパニックに陥る。



 こんなものが、医学書に載っているだろうか?

── 恋は、本当に、病だったのだ。



最悪だったのは、 それが町中に行き渡り監視対象になったこと、そして私の病を市内の住民は嘲笑う対象に選んだこと。

それでも、私は生きてきた。

 旦那からときどき距離をとり、発作が起きないように薬を飲み、壁を作れるように努力してきた。

 そして、そんな市民にどう思われても構わない。だから仕事の合間に強制恋愛の反対を掲げた本を書いたり、チラシを配ったりと活動にも力を注いだ。

これからもきっと、この町、この国に理解されないだろうけれど私は満足しているのだ。



「今ごろ、あの子はどうしているかしら……」


 そんな日々を思いながら自動車庫の暗闇のなかで、椅子に縛り付けられたままに彼女は娘を思った。

 ややしわのある頬。肩まである薄い水色の髪は加齢でほとんど白くなっている。

────今の彼女は爆撃に合い、恋愛至上主義者に連行されてしまっている。娘が瓦礫の下にまだいるかもしれないが、今動くことは出来なかった。

 まだ幸いにもここに、私をスキダという者は現れず、発作は起こっていない。

インフルエンザの新薬の副作用のように、恋にも副作用があるのかもしれない。


「グラタンさん、静かにしていてください」


サングラスをかけた男がにやりとわらう。


「こうやってさらわれたのは、あなたが、それだけ、みんなから愛されているということですよ」


「どうでもいいわ。愛されていようといまいと、私は病気だもの。愛されているなんて知っても知らなくても、変わらない。娘は無事?」


「さぁー、どうでしょうね」


男があきれたようにわらう。


「大方、性被害が怖いのでは? あなた、男嫌いですよね」


「違う」


「うるさい恋愛嫌いは、男嫌いと決まっている!!!」


「キャアアアア!!」


 強い蹴りが飛んできて、椅子ごと倒される。咄嗟に頭をかばった。


「いいか、男嫌いだと言うんだ、殺されたくなかったらな!」


「誰が言うもんですか。同性も嫌いだわ」



「ふん、そう言ってられるのは今のうちだ」


 男はにやりとわらうと背後からなにか取り出した。

「これは、キム金属でつくられた特殊な片手でな」

ゴツゴツした固そうな義手が、わきわきと掌を開いたり閉じたりするのを見せたかと思うと彼女の姿に翳した。


「キムの手に抗える心があるはずがなし!」


キムの手が柔らかくしなりながら、彼女の方に向かう。


『チュキ…………』


「え──」



『チュキ…………チュキ…………チュキ……』


金色に輝く義手が囁きながら彼女の頬に、首に触れていく。

──なに、これ。少しずつ発光するキムの手は、ゆっくりと牙を向いた。

彼女の心臓部から、魚の形をしたクリスタルが少しずつ引き出される。


「──あぁ…………や、めて」


『チュキ…………チュキ……』


男はサングラスの目を俯かせ、表情が見えなかった。










「キムの手が役に立ったな」


 手のひらに乗せられたスキダは淡く水色に輝いていた。

しかしそれが彼を攻撃することはない。

キムの手があれば、他人のスキダは彼にとって無害化したクリスタルに過ぎないのだ。


 寒いコンクリートの地面の上、彼女の方は横たわったままで娘のことを考えてみていた。考えてはみたけど、なにか、大事ななにかが欠けてしまった気がする。

 起きるかもしれない発作に対する不安も急に、スッと収まったのと同時に、何かを無くした気がした。とりあえずは、ただ、帰らなくてはということだけを思って、入り口の方に目線をやる。

 そこに居る男は得意そうにキムの手を見せびらかして言った。


「あんたは死にゃしないよ。俺の前では、な。今は機嫌が良いから教えてやるが娘は生きている」


 彼女はわずかにホッとした表情を浮かべた。それさえわかれば、特に気になることがないような気すらした。


「しかし、あんたが目を付けられたハクナや恋愛総合化学会ってのは、気に入らない主張を見れば昔から相当やり込めているらしい。

 あんたは『恋愛強制化を目指す町で強制反対を謳った』

これは見方を変えれば今の市長や政治家にバックアップもしていた恋愛総合化学会には、邪魔な存在──つまり、戻ったところでどのみち追い回され同じような目に合うだろうな」


「そんな……!」


「次は殺されるかもしれない、次は娘にも……そうやっていけば、あんたのせいだ、あのとき死んでてくれたらと思うようになるだろう。

おっと、もうバラしてしまったから、より監視がきつくなるか……大変だ。

 戻らなきゃ良かったなんて思うかもしれないぞ」


「帰す気など、ないのでしょう?」


「──さぁ、俺は此処に来ただけの野次馬。奴らに帰す気があるのかはわからないが……そこで提案だ。

俺は普段嫁ビジネスをしている。

恋愛強制化で需用が急増した、嫁を販売する仕事だ」


にやり、と彼の白い歯が覗く。


「ここで無惨に蹂躙されて殺されるのより、マシだろ?」


「────」


 スキダを奪われた彼女には、嫁ビジネスが特に酷いものには感じられなかった。それに、どうせ旦那にあっても発作が起きるだけだ。娘は……どうなるかわからない。けれども自分が居ても、更にどうなるかわからない。まさか、恋愛総合化団体に目をつけられていたなんて話、近所に知られるわけにはいかない気がする。


「──し、にた、くは、ないです……」




「それなら握手だ。ここから出してやる」

 彼女はぼんやりした頭で伸ばされた彼のキムの手に掴まった。






・・・・・・・・・・・・・・




「青い子の嫁ぎ先が決まりました!

お迎えありがとうございますっ

名前はサファイア!」


「やばいなー。分けられていないから、まず取ってきて扱う品物を把握するのが大変だ」


城の庭で、人だかりに混じって、挙動不審な男が辺りをキョロキョロして、そんなことを言っていた。角刈りに、黒い学生服のような服を着ている。


「んー、『闇商人オンリーのやかた』だとそれ前提で見れるのですけどな~」


 どうやら彼は盗人で、しかし城の広さであまりにもわからな過ぎて、何の作品なのかほぼ見分けがついていないらしい。


「あいつは、盗賊だ。

初めて盗んだのは『水色の金属』と言われる珍しい鉱石だと自慢していたのを聞いたことがある。キムの手という道具を使う」


近くにいた蛙が、びよん、びよん、と跳ねて俺の肩にのっかってきた。


「え? ああ、詳しいな、蛙」


この世界の蛙は喋る。なぜか知らない。

俺や特別なやつにだけ聞こえるらしい。


「まあな! 蛙は井戸のなかに関しては物知りなんだ」


蛙は得意そうだ。

きれいな敷石のタイルの上を歩きながら、その先に連なる階段を遠目にみている姿はどこか人間のようでもあった


「ピンクと紫のバイカラーサファイアがほしいのですけど、なかなかこれだーっていう子に出会えないな……」


「パパラチア様のチャレンジに敗れたソーティング付きのピンクサファイアちゃんとかにもすごく可愛い子が居たりするので侮れないですね」


「ピンクスピネルもかわいいのだけど、私オーバルカットにあまりときめかないという特性があるので、できれば他の形の子がいい」


 蛙が肩にのっかってきたまま、なんとか人だかりをかきわけ、階段を恐る恐る降りていくと、次々に飛び込んでくるのは婚カツ情報だ。


「この前、ミッドナイトブルーサファイアをお迎えできることになった王太子が居たな」


 みんな、婚約者のことを宝石で呼んでいるみたいだ。強制恋愛条例が招いたまず1つがこの、恋愛オークションではなく立場のあるものから順に、品定めした嫁をもらうという儀式。

 またの名を──品評会、嫁ビジネスとも言われている。











 女を連れて闇の中を歩きながら手元の懐中電灯で手のひらの物を確認する。

手に入れたスキダは、手にしっくりと馴染まないが、そのしっかり握っていなくてはならない感じが逆にマニアの心をくすぐる。

 倉庫を抜け出しながらキムの手、をそっと片手で掲げ、スキダに向けた。

すると、キムの手に変化が現れる。液体のようなものがじわりと染みていく。

「ん……? お、おお?」


 腕全体を包むように広がってきたかと思うときにはキムの手の汚れが剥がれ落ち、綺麗になっていた。

酸とか毒かと少し身構えてしまったが、ただ綺麗になっただけらしい。

「ほう。かわったスキダだ。

これは使うだけで洗ってくれるのか……」


 スキダが変異した物が攻撃や防御に使われることは最近知られているけれど、まさか、洗ってくれるとは。


「しかし、びしょびしょじゃないか……何を考えているんだ。この女のスキダは、あれは、どういう形をしてるんだ!? どんな感情があれば、あんな……いや、もらったものになにか言うのも無粋か」


嘆きながらも濡れた腕をそのままに、ドアを開け外に向かう……ところで、はっとする。

腕からなにやら疾風が巻き起こったかと思うといつのまにか乾いていた。

これには、にやけてしまう。


「フッ。これからも、使うからな……」

 使うだけで洗って乾燥機つきのスキダなどおそらくこの女のものだけ。


「みーんなに、自慢するンゴー!」


 隣にいる彼女は、虚ろな目で使われるスキダを眺めていた。

横をついてきてはいるが、なんだか、スキダが動いたときに余計に体力を消耗したような気がする。

 その場に座り込み眠ってしまいたい……そんなとき、男が叫んだ、自慢するンゴー!で意識をかろうじて取り戻す。

 これから、何処に向かうのだろう。

「……………………」


 帰りたい。けれどあの街には恋愛至上主義者しかいない。どこに? それに、 どうして?

っていうかンゴーって、何?


「そうだ、折角なので家族五人に、回して使うンゴー!」


デュフフ、と男はにやける。


「あぁ、名前を決めないと。

このスキダは特別だから、二号と名付けるンゴ! あのときの女と同じ、珍しい水色ンゴ!」


「あの!」


「なんだ」


男が冷静な口調になる。


「嫁ビジネスって……どこでやるんですか?」


「城のそばにある結婚式場の地下と、ホステスの居る店を購入しているン、だ。今日はもう遅い、ひとまずは小屋に投げ込む」


 夜中の道は寒くて、少し冷えてきた。男が身震いしたが、彼女の方は感覚が麻痺したまま、ただ頷いた。とにかく、今日は眠りたい。


キムの手2

 赤いバイクが走って来て、話をしていた二人の前に現れた。

「あのー、そこちょっと退いてくれます?」


「あ……すみません」


郵便局員が何かを配達にきたらしい。

 坂道の上、一番奥にあるのはあの家だけだ。

アサヒはぐったりした女の子を背負いながら、小さくお辞儀をして退く。そうか、この先の家に、配達なんて来るのか。

しかしそれはそうだろう。山のてっぺんにだって確か住所があれば手紙は届くんだ。


 女の子の方は、急に呼吸が苦しいと言い出したと思えば眠りに落ちてしまった。息自体は出来るらしいので眠たいだけだろうとアサヒは思った。また目覚めるはず。 

 バイクのあとを追って、そっと正面から家の方に向かう。

ビルの上にヘリコプターが居たりするが、郵便局員がどうこうするわけでもなく、ただ平然とポストに何かを差し込み、さっさと坂道を下り始めた。


 少し間を置いてからポストを開ける。そこには少し厚めの封筒、「国民恋愛調査国民は全員受けましょう」

と、一枚の紙があった。


「パートナー制度改正のお知らせに伴い、同性愛に制度がが広く適用されます。人類の恋愛、幸せに乾杯。



 また、国民恋愛調査を行っております。

 提出されないと恋愛制度の否定と見なされ、サービスが制限される場合もありますのであらかじめご了承ください。なお、募集期間中、提出の確認が取れない場合は回収員が伺います。 

 やむを得ず事故や怪我などに巻き込まれる場合につきましては、確認を取り次第、代理の方に書いて提出いただくことができます」



……家族。

背中にいるこの子の家に、確認を取るものが居るだろうか?

自分たち「観察屋」がリークし、家は爆撃に合い、恐らくまだ、ママは行方不明。


 住所があっても人が居なくては意味が無い。事前に根回ししてあれば、あの家を通ることはないだろうし、その可能がある。この子には手紙は来ない?


 見捨てる、というのが適切かはわからない。だがこうやって、さりげなく数字から外す市民が居る。

「くっ! 寝覚めが悪い」


 あぁ、そうだ、それよりも……

 封筒を戻してからアサヒは歩きだす。それよりも、コリゴリと、あいつのことだ。

とにかく合流しなくては。


(確か向こうの方に行ったような気がする……)

椅子に引きずられて行くのを見たばかりだ。しばらく歩いていると、彼女の方も椅子さんと共にやってきた。


「…………、あの」


どうしていいかわからないという風に、こちらをじっと見つめている。


「名乗ってなかったが、俺はアサヒ。観察屋をしていたが、今回の口封じでクビになった、本当に悪かった……さっきも、コリゴリが証拠を隠滅するために家を襲撃したみたいだ。あまり知らないんだが、コリゴリは、観察屋の中でも過激なやつだ。もしかしたら……特に悪いやつからの観察も引き受けているかもしれない、そういうエリートが恐らく居る」


「……そう、なんだ」


彼女は少し、何かを考えているみたいだった。


「あぁ。そのコリゴリは?」


「え? 見なかった。家のなかに居たのは怪物と化したスキダだけ、椅子さんが、逃げるようにって、だから私たち逃げてきたの」

「入れ違ったか……」


「まだ中にスキダが居る……私にいつも送り付けられる紙から生まれてしまった。

今までは抑え込まれてたみたいだけど、どうしてか急に────」


アサヒは冷や汗をかいた。背中にはまだ女の子が寝ている。


「あれ……その子、寝ちゃったんだ。あー、無事に脱出してくれて、安心したよ」


「……あぁ」


 目の前の彼女は、なんだか、そう、最初と変わらないはずなのにどこか、異質な感じがした。


「私の、家────」

確かめるように呟きながら、彼女は脱出した家を見上げる。


「スキダが暴れている。だけど、私がずっと暮らしてきた、大事な家────」


 覚悟が決まっている、というように彼女はもう一度アサヒを見る。


「私は──悪魔だから。きっと慣れるよ。なんの躊躇いもなくスキダを殺るから、そこに居て」


そう言って、再び中に入ろうとする彼女にアサヒは手紙が届いていることを告げた。

彼女はポストを確認して、アサヒと同じように、女の子の家族のことを思った。

話題にならないと言っても、さすがに、何かしら届くはずだ。

けれど───


「ハクナも、きっと見つけに行くから」女の子に囁くと、再び家を目指した。













・・・・・・・・・・・・・・


ベランダから陽射しが差し込んでいる。


寝ぼけながら目を覚ますと、相変わらずなにやら生物が目の前を横切っているので、二度寝したくなってしまうが、彼はしかたなしに寝室から身体を起こす。


「お弁当はエビフライにしてくださぁい」


朝から目の前の生物――、いやたぶん人物は言った。

しかし人物と、表して良いのかも正直なところわからない。

その人物は、少し前までは人魚だったらしいから。

とてとてと、子どものように乱暴でタドタドシイ歩き方で、部屋中を駆け巡る姿は、確かに陸になれていないようにも思うけれど、だからって、人魚。


「あなたは誰? どうしてこの家にすんでいるのかな?」

一応、これまで何回も質問したことを彼は改めて聞いておく。

「私のおうちをぶっ潰して建てられた人間のお住まいに、私が住んではならないのですか?」


たんたんと、無邪気な声が、返答をすることなく質問してくる。

毎度のことだ。

困ったな。

高校生になって独り暮らしを始めた彼がこの安アパートに引っ越してきて数日。

二階からごそごそ音がしたり、忙しくてほとんどシャワーで済ませるので、使っていないバスタブがやけに濡れていたり、不可解な現状でいつも悩まされていたのだが、まさか、やたらとそういうのに遭遇すると言う母上のように心霊現象ではないとは。


バスタブに浸かっていた、つやつやの、増えるわかめのような、個性的な髪質の彼女。


小柄で140センチくらいの慎重。

見えているのかわからない、曇ったガラスのような目は人間の色素とは違うのか、赤いような青いような、独特の輝きを放っている。

素朴さのある真ん丸の目丸い顔。歯は少しとがっているが、それくらい。

ある日、姿を見せてからというもの、彼の会話に噛み合わせる気もなく、エビフライがいいですを繰り返してついてくる。

「ねー、エビフライがいいです」

「はいはい」


朝から揚げ物なんか作る気力がない、と彼は考え、昨晩買っておいた惣菜コーナーからの逸品を冷蔵庫から出して差し出す。

その生き物は、不思議そうに眺めて 暖かくない、死んでます、と通告してきた。物騒である。


「おまえさ、もっと良いとこに行けよ? 俺なんか母子家庭で実家も正直貧しいし、バイトとかで今はどうにかギリギリ独り暮らしだぜ」


アルミホイルをしいた上にエビフライを二つのせて、トースターに入れながら言う。


ほやーんと不思議そうなリアクションをされた。

それから。

「湖が潰されたのでここから動けませーん」


地縛霊みたいな感じだろうか……


「そうなの? といってもな、俺は建設に関わってないからさ」

「ぼしかてーって、食べ物ですか?」

「両親の離婚や死別」


ぶわっと目に涙をためられた。リアクションが大きい生物だった。


「カワイソウな生き物です」

「そうかぁ? そう言ってくれんの、お前くらいだぜ。世間は冷たいからな」


 エビフライが焼き上がるとたんに、元人魚はしあわせそうに目を輝かせ、お皿にそれがのるのを眺めていた。

「本来は家を建てる前に、土地に挨拶すべき、なの、ですよ」

 むしゃむしゃと手づかみでエビフライを食べ始める。右手と左手両方にエビフライが握られていた。

いや……いいけどさ。

うまそうに食べるやつである。


「それなのに……ほんとに。人のおうちを、なんだと……むぐむぐ……すんでやったですね!」


 俺が生まれたときには建っていたこのアパートを建てた人の思想はよくわからないが……

確かにまぁ、その通りではあった。かといっても、俺に出来ることはとりあえずこうしてたまにエビフライを与えたりそのくらいである。今のところ害は無さそうだし、素直で無垢な目をしている。

 そもそもがたぶん人間ではなさそうなので、家賃も増えないだろうし、危害もないし、負担も自分のぶんくらいだから特に追い出す理由はない。

ただでさえ安いしな……


「えーと、それじゃ、学校行ってくるから」

 バスタブに水を張り、鞄を肩にかけてドアに向かう。

 そいつは、座ってエビフライをくわえたままこちらに緩く手を振っていた。

 特に触って危ないものはなかったよな?と出掛けてから思ったが、前の日にもいろいろ質問攻めにあっているし……人間生活に慣れてくるだろう。


「いや……」


 ちょっとざわつく気持ちに気付いて足を止める。

「きっと、そもそもが、大事な場所だったんだ……だから、本当に……」


 あいつには家族とか会いたいやつとか未練とかあるんだろうか。

今更俺が悩んでもどうしようもないが、それでもちょっとだけ罪悪感のようなものがあった。

いまはせめて、楽しく安心して幸せに過ごしてほしいものだ。










 なんとか遅刻しないように『学校』の門を潜る。

教室では44街のことが話題になっていた。


「もしも、将来強制恋愛条例が出来たらどうします?」

きちっと髪を整え、制服のボタンを上まできちっとつけた『眼鏡』が聞いて来て、俺は「適当に付き合えるワンチャン増えるだけなんじゃねーのか?」と返した。


 この頃はまだ、強制恋愛条例、なんて言われる条例はなかった。ただのおとぎ話だった。

何度も何度も決めるか否かで投票が行われ、白紙に戻って来た条例だ。

 けれど、44街にとっては『好きな相手がいる』ことを市民が互いに認識することにやたらと意義やら意味やらを見いだし、広く認知させ根強く計画を進めているので、いつかは強制恋愛条例が通ってしまうのでは、と俺も思っていたりする。

どんな理由があれば、人が相手を思うかどうかを強制出来るというのか?


 一説では人口の減少によるものだった。けれどそれは建前であり別の思惑があるのでは──と陰謀説を唱える人も居る。

特に、どちらが正しいとか有力だとかは俺には判らない。けれどそれでも得たいの知れない違和感のような何かは感じている。

 陰謀説のひとつが「隣国でキムの手が発見された為、国民を把握しやすくする処置らしい」

 というものだ。「キムの手」は強力な何かで出来て居て、この辺りに住むやつなら皆経験する思春期や青春──に起こり、悩ませられるスキダの発動。

それにより怪物的な概念体または異常行動も引き起こす。

その対処の過程で避けられない「告白」や「突き合い」をしかし問答無用で引き裂き突破するという都市伝説なのだ。


 そんなチートな武器が本当に存在するとすれば、市民どころか国民に成すすべがないわけで、恋が戦争として扱われる今の時代の常識が大きく揺らぐかもしれない。

今のところ俺にスキダは発動していないが、前の月に、ませた生意気な女子生徒とガキの権化のバカ男子生徒がバトルになり、そのとき男子生徒の「告白」によって、女子生徒の「スキダを消滅」させたのを見たときなどは大変だった。

 教室で共鳴したクラスターが発生したためだ。

しばらくは男子と女子という派閥に変わっての争いになっていた。

 スキダは闘争本能を呼び覚まし争いを起こしうる力なのだ。


「キムの手、かぁ」


 もし、万が一陰謀があるとしたら、その真相がキムの手の秘密を握っているのか。



 って、わけでHRのあと、眼鏡の席に行くなり俺は真っ先にその話をした。眼鏡はふむ、と相づちを打ち考察する。

「純粋なスキダを目立たせない為とか、そういう感じかのもしれませんね……」

「純粋なスキダ?」

「えぇ、自分も見たことが無いですけど、あるらしいんですね、普通のとは違うクリスタルが」
























コリゴリは意識をほとんど失くしかけていた。体が動かないし、あの生きものが今、どうなっているのかわからない。

 頭を打ったらしく、起き上がると考えるだけで後頭部が鈍く痛んだ。

目を開けるのも億劫だ。

部屋は思い切り荒れているし、それに、愛してると書かれた大量の紙……証拠の品々が、まだ、隠滅出来ていない。

早く戻って報告しなければいけないのに。



「──人を好きになって、それを自慢したい、他の人には出来ないことだから喜びたいのはわかるよ?」


ぼんやりした頭で、ふと誰かの声を聞いた。



「自分が偉くなった気がするんだよね、恋って。

周りからみたら、それって偉そうになっただけなのに」


体が、動かない。

これは、誰の声?

誰に、言ってる?


「私は──性格が悪いなんて、他人を好きなるような人から言われたくないし、あなたも、他人を好きになるような人────だから私は、あなたが嫌い。死んで、ほしい」



────告白!


 誰かが叫んだ。

それと同時にコリゴリは目を開く。


 少女が椅子を担いだ状態で、目の前に立っていた。


「告白───! 告白! 告白──────────っ!!」


「───イウナ……」


 その前にいる怪物は、頭を抱えて唸っている。

その足元に生まれている小さな怪物たちも怯えてひとかたまりになる。


「イウナアアアアアアアア!!!! ナゼイウンダアアアアアアアアア!!!」


少女の抱えている椅子が光りだし、怪物を殴りに行く。

しかしさすがに堅い。


「アアアアアアアア!!! スキダヨオオオオ!!!!」


「私は、嫌い──あなたが!!あなたなんかが大嫌い!!」


「あらぁ……可哀想に」

少しずつ落ち着いてきて、コリゴリはぼそ、っと呟いた。


「ギアアアアアアア────!!!! アアアアアアアアアアアア─────!!ジュンスイナオレノココロ!!!」


 手に数枚、散らばった紙を拾うと少女はそれを椅子に与える。


(──って、いうかあの椅子はなんなの!?)



「折れなさい!!あなたのジュンスイナココロ!!」


 椅子が紙を溶かしながら取り込むと、それが火をつけて吐き出され、怪物に向かって飛んでいく。


「嫌い! 嫌い! あなたが大嫌い!!あなたに嫌われるためなら、私は何度も言う! 心底嫌いなの! あなたが、邪魔で仕方がない」



怪物は耳を塞ぎながら呻く。

火をつけた紙のいくつかが怪物の体につくとその部分を燃やし、穴をあけた。


「イウナ……イヤダ……イヤダ…………イヤダ……イウナ……イウナアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! ミトメナイイイイイイイイイ!!!」


 しかし怪物は多少穴が空いたくらいでは死なず、叫びながらバタバタ音を立てて跳びはね、壁を殴り付ける。

 壁を殴り付けた衝撃でカレンダーが舞い、棚から皿が溢れ、テーブルに数枚散った。

思わず耳を塞ぎたくなる。

 同時に窓の外に様子を伺いにいっていた怪物の体の一部も少しずつ部屋に戻ってくる。


「アーアアアアアアアア!! アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアー!ジュンスイナオレノココロー!!アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアジュンスイナジュンスイナオレノココロー!!」


腕を巨大化させると、少女に向かって振り下ろす。椅子が盾になり、直撃を免れるも彼女も壁に背中をぶつける。


「聞きなさい。

他人を……好きになれるのは、才能よ。あなたには他人を好きになる才能があった……けれど、今はたまたまそれを間違って使ってしまった」


「ナンナンダヨソレナンナンダヨソレーアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」


体ををぶつけた衝撃で、前へ歩きながらも、少女はよろける。テーブルに脇腹がぶつかり、痛そうな悲鳴をあげて踞る。

 そのときにちょうど、コリゴリと目が合った。


「あ……コリゴリ」


無表情で、でも少し安堵したような眼差し。

 なにも言えずに居ると、少女はまた怪物の方に向かっていく。


「キミハア! トクベツウウウウウウウウ!!!」


 苦しそうに叫びながら怪物が少女にまた腕を伸ばす。両腕を巨大化させて挟み込む。

うまく避けられずに抱えられた少女は、怪物に笑顔を向けた。


「で・も・私・に・は、あなたがトクベツじゃない!! あなたに私がトクベツだとしても!!みんな、私を悪魔だと言っているから、みんなにとってそうなの! 何にも響かない!! あなたは、周りとおんなじ!」


 怪物の光る目が少女に向けられる。彼女はそれを冷めた目で見ている。


「スキダヨオオオオ────! チュキ……チュキ……チュキチュキチュキチュキチュキチュキチュキチュキチュキ」


「このっ、鳴き声!」


コリゴリは口から血を吐き出しながらも思わず口にした。


「目を合わせちゃだめ────!」


コリゴリは立ち上がる。

頭がめちゃくちゃ痛い。

気分もよくない。だけど、だけどあれは。

あの鳴き声は、聞き覚えがある。

忘れもしない。あれは。



 怪物が不気味に笑い、その顔から大きな禍禍しい瞳がのぞく。

いつのまにか怪物の顔はほとんど目になっていた。


「……チューキッ……ンーマッ!!」


少女は腕を固定されたままだったが抱えた椅子で、怪物のひざ辺りを強く叩いた。

 バランスを崩した隙に、と思ったのかもしれないが、小さな怪物が群がって怪物の足を固定する。


────クチャクチャ……クチャクチャ……クチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャクチャ

 体をによじ登ろうとするそれを、なかなか振り払えない間に、怪物の目が更に強く光始める。

「チュキ……チュキ……チュキ……チュキチュキチュキチュキ……チュキチュキチュキ」


「ぐっ……」


少女が苦しそうに呻く。これでは身動きが取れない。


「……うるせえ雑音!! 大っ嫌い! 私は嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い」


 コリゴリはテーブルの下に居たまま、冷や汗をかいていた。

あの鳴き声は──昔の現場で聞いたことがある。

コリゴリは声を振り絞った。


「お嬢ちゃん、それは……そいつは、言葉など通じない、たぶん、それじゃあ、倒せないのよホォ」


「……」


一瞬、少女と目が合う。


「あれはね──」


少女は少し悲しそうに、コリゴリと同時に答えた。

「「キム」」


キムが何なのかは誰も知らない。

噂に寄れば戦時中に行われ隠蔽された呪具の類いで、今でもときどき姿を見せるのだという。

 可愛がった子どもを殺し、金属に血や肉を混ぜて作ったもので「好き」のある場所に寂しさから現れる。愛の反対、さみしい、こわい、いたい。


「楽しそうな場所に、昔はよく現れた。おじいちゃんが、言ってた」


「……そう」


「スキに、集まって、スキになろうとして、なれなかった──永遠に、なれなかった」


生きることも、死にきることもなく、何にもなれなかった、それがずっと長い間、争いに使われた。


「だから、わかっては、いるの。

仕方がないんだよ」


「!?、……!?」


少女を捉えている怪物が目を見開きながら驚いている。なにかをしようとして、出来ないでいるらしい。コリゴリも不思議に思った。

彼女はまだ平然としている。(あれ? 昔新聞やニュースを騒がせたキムの手は、問答無用でスキダを取り出すことが出来たのに……)


「残念だったわね、私は────スキダを人間に対して発動させたことがない」


コリゴリは今なら、と腕を伸ばし、小脇に抱えて束ねていた紙束を渡す。



「これを!」


意図を汲んだらしい。

椅子から触手が伸びて紙を次々に飲み込んだ。

──かと思えば、棘のある触手に変化し、怪物にのびていく。

 キツく怪物の腕を捻りあげていると、少女を抱えている力が抜けたため、彼女は椅子を抱えたままそこから抜け出る。

「助かりました」


 少女がコリゴリになにか挨拶しようとしたが、それもそこそこに、怪物はまたすぐにぐにゃぐにゃ蠢きだした。

「ではまた」

彼女を捕まえようと動き回る。部屋のなかを二人がかけまわりしばらく鬼ごっこが続いてい

た。


「はぁっ、椅子さん……」


「わかっているわよ」


「キム、見たのは、さすがに初めてかもしれない」


椅子と話している……?

しかしコリゴリに聞こえるのは少女の声だけだ。


「スキダになれず、キライダになれなかった物、だよね……

今、効いたのは、送りつけられた紙に火をつけたものくらい」





それから……告白を異様に恐れているみたいだった。

コリゴリの方を見ていたようだったが、周りに人が居ることと告白を使うことになにか関係があるのだろうか?

(もしかするとこいつは誰かが周りに居るとうまく力が出せない?)

 けれど、危ないような。

スライムのときも私とスライムが居るだけだったし……


私が椅子さんを構える。

椅子さんが紙を構える。

 睨み合っていたスキダは一旦私たちを追いかけるのをやめたかと思えば突然叫び声をあげた。同時に、テレビや電子レンジ、ラジオが急に作動する。


「なにこれ、電磁波攻撃……!?」


 なにもない空間を暖める電子レンジはすぐに停止し、また回り始める。


「───スキダを、温めています、────スキダを、温めています、───スキダを、温めています、────スキダを、温めています、───スキダを、温めています、────スキダを、温めています、───スキダを、温めています、────スキダを、温めています、───スキダを、温めています、────スキダを、温めています」


 奥の部屋ではテレビのチャンネルが勝手についたかと思えば切り替わり、ラブストーリーを大音量で流す。


「いやあああ!!! ラブストーリーなんて!!なんで聞かなくちゃならないの!?」


 私は耳を両手で覆って踞る。

ラブストーリーは嫌いだった。後ろに何かが居るんじゃないか、ドアを叩かれるのでは、怖くて震えてしまう。

 テレビの画面から、ずるずると登場人物とは関係のない、ピエロのようなものが這い出てきたかと思えば「好きでーす! 好きでーす!」と言い始めたので、卒倒しそうになった。

 紙から出てくるくらいだ。好きがある場所から這い出てきたって、不思議ではない。

ないけれど……



 テーブルをちらりと見る。コリゴリはテーブルの下で固まっている。

(どうしよう、部屋が囲まれた……)

 まだ彼は奥の部屋のテレビに気が付いていないみたいだった。

……?いや、また、気を失って

るのか。


 叫び続ける一番大きなスキダに椅子さんが燃やした紙が飛んで行く。しかし電磁波がバリアのようになっているのか今度は無惨にも叩き落とされた。

「そんな───」

 ずし、ずし、と重たい音と共にスキダはにじりよってくる。

それがだんだん近付いてくる程に恐怖が増していく。


「他人を好きになって、何がそんなに面白いのよ……」


 背後でラブストーリーが盛り上がりを迎える。


「他人を取り込んで、自分を壊していく。それで、みんな悪魔になっていくんだ!!!!」


 ラブストーリーが盛り上がりを迎えるほど私の怒りが増幅されていく。

 スライムも私を取り込もうとした。

もはや理性はなくてとにかく私を倒すような勢いで、一体化しようとしていた。

あれが恋。

あれが、恋愛の姿。

 スライムは恋で怪物に変わってしまった。私がスキダを与えてしまった。スライムが感情を間違えてしまった。

殺した。

感情なんか、なかったらいいのに。


みんなが感情なんか持たなかったら、みんな楽しく暮らせるのに。



感情なんかなかったら、互いを殺さなくていいのに。


スキダなんて生まれなかったのに。




 電子レンジが停止し蓋が勝手に開くと同時に熱くなった小さな塊が、とろけながら此方に跳んでくる。

「きゃあ!」

 あわててしゃがむが、私には当たらずにそれは大きなスキダの元に貼り付いた。

それが何なのかを考える前に私は気付く。スライムのときは、近くにスライムが居た。

けれどこれには居ない。


「まさか──紙と電磁波を通してスキダが存在できるの?」


 テレビや電話を本体の代わりにするなんて在るのだろうか。

けれど電化製品を壊すわけにもいかない。

 生活に必要だし、それをしたら町まで買いにいかなきゃならない。私は悪魔だ。

今、悪魔が買い物に行ったら、どんな噂をされているかわからない。


「私ね、どんな嫌がらせもあってきた、でもみんな私を心から嫌ってたから耐えられた!!

スキダは最悪よ!人を好きだなんて一番最低な嫌がらせ!」


 スキダは先程よりも何か心なしか尖った姿になっていた。

目の下に、口が生まれ、そこから冷たい息を吐く。

 近くにあった新聞や本棚が凍りつく。

そしてスキダは目をキッとつり上げ「ツメタ!!!」と叫んだ。怒っているらしい。

部屋が急に冷却された気がする。

あっという間に2、3度くらい体感温度が下がっていた。


「ツメタイ! ツメターイ!!!!」


「こっちは、さむ、い……!」


椅子さんを振り下ろそうとした。──が、寒さでうまくからだが動かせない。

「さ、さ、寒い……」

恐怖と寒さで半ば錯乱する。

 ──感情なんてなかったら。

そう思うと、ますますそう願わずには居られないような気がした。感情がなかったら。

感情が、なかったらいいのに。


「あなたの持ち主のところに……帰りなさいよ……

勿体ないでしょう!! 他人を好きになる才能を、こんなところで無駄遣いして!!」


 木にしか見えないくせに、どんな素材なのか椅子さんはなぜか凍らない。触手を動かして、スキダに伸ばしている。


「椅子、さん?」


 そのままスキダが椅子さんと見詰めあった途端にスキダは、イヤだイヤだと抵抗して少し冷気を下げる。


──ガタッ! ガタッ!!!


 椅子さんはなんだか怒っているようだった。

叫んでいるなんて初めてみた。

 しかしスキダはすぐに我に返り、再び電磁波のようなものを流し、雄叫びを上げた。


───イヤダアアアアアアアアアア!!!!



私は椅子さんごと転がる。

「これじゃ……近付けないよ……!」


「ツメタイイイイイイイ!! イヤダアアアアアアアアアア!!! イヤダアアアアアアアアアア!!!!」


どたばたと壁にぶつかり、物が倒れてくる。部屋がまた荒れた。

 だんだん疲弊してきている。スライムのこと、それから今からのこと。考えたいことがたくさんあった。無慈悲なキムを見ていたら、本当は感情なんか無いんじゃないかって、たまに思ってしまう。無かったら、もしかしたら怪物にならないかもしれない。なんて。

(どうして、他人を好きな才能を他の、世の中のためとかに使えないのかな……すかれたい人は、たくさん居るんだよ?)


「ごめんね、大丈夫?」


 強風と、落ちる雑貨の盾になった椅子さんを気遣って声をかけながら起き上がる。


──大丈夫だよ。


椅子さんがふっと笑ったときに

急にスキダの攻撃が止んだ。





「え──」

 思わず顔を上げる。椅子さんに言ったのにスキダは嬉しそうにもじもじしている。脳は主語を理解できない、なんて言葉があったけれど、もしかして勝手に思い込んで攻撃をやめてくれるの?

わけがわからなかった。

 攻撃なら攻撃すればいい、倒すなら早く倒せばいい。

それなのにこんな中途半端なことが。

だけど、もしかしたら────


 と、突如外でチャイムが鳴る。

「もしかしてアサヒたちかな?」

しかしだったら入ってくればいいのに、チャイムがただ鳴らされるだけだった。

「誰?」

玄関のドアの方を見ながら、私は問いかける。返事はなく、ただチャイムが鳴る。かと思いきや突如電話のそばのインターホンからノイズがかかったような声が聞こえた。

「かわいいピエロ……」


「え?」


「好きになりなさいよ」


──なんだって?


「好きに、なりなさいよ」


──なにを、たしか、かわいい


「かわいいピエロ」


心臓が暴れだす。胸が苦しい。


「好きに、なりなさいよ。好きに、なりなさいよ、好きに、なりなさいよ…………かわいいピエロ、かわいいピエロ、かわいいピエロ、ラブストーリーが、やっていたでしょう? ラブストーリーが、やっていた、でしょう? ほら、今、やっていた、でしょう?」


「な───に」


今やっていたかどうか、なぜ外から確認しているのだろう。


「受信──受信───受信──受信──」


「……っ」

 何気なく足元の「愛してる」が羅列された紙の残りを眺める。いくつか燃やしたから、ちょっと足元の床が見えるようになってきていた。

そういえば、この近くに居た小さなスキダたちの姿が見えない。


「ワァーーイ!! ワァーーイ!!」


 振り向くと、少し成長し、ピエロの姿になった集団のスキダが──大音量で流されるラブストーリーの……テレビの前に集まっていた。背中に嫌な汗が流れる。慎重にテーブルの下に腕を伸ばしてコリゴリを揺さぶる。

「あの、起きて──ください」


無視している合間にもインターホンがしゃべり続ける。けれど気にしては居られない。

「早く、ここから逃げましょう……」


 何回か声をかけていると、コリゴリはうっすらと目を覚ます。具合が良くないのかもしれないが此処で寝ていられても私にできることは少ない。


 ドアを叩く音がして、男とも女ともつかない声が続く。

「スキダを受信しに来ました───!」

ドンドンドンドン、激しいノックの後

再びその声は繰り返す。

「スキダを受信しに来ました───!」


 外、に逃げても平気なのか?

でも家の中も今荒れに荒れている。

スキダは、受信しに来るものなの?


「……クラスター、か」

 コリゴリが小さな声でぼそっと零したので、私は思わず聞き返す。

コリゴリはそれ以上は言わず、疲れた表情でぼーっとしていた。

 私は倒れた雑貨を避けながらも慎重に奥の部屋を目指した。スライムのときとは違い、家の中というのはそれはそれで心が痛む。物が。私の長年大事にしてきた数々が、こんな風にスキダに蹂躙され

ているんだから。

 部屋を進み、ドアを開け、ローテーブルに置かれたテレビのリモコンを手に──しようとしているのだが、ピエロがわらわら群がって来る。

 今はとにかくまずテレビを消さなきゃ、と思うのに、なかなかたどり着くことが出来ない。

「うぅ、遠い……」


 脳裏で、かわいいピエロ、好きになりなさいよが再生される。どうかわいくても私にはむかない。代わりにスキダが私に引き付けられて余計邪魔する。

 家で、大人数に囲まれるなんて経験、そう無いと思う。無いほうがいい。

 椅子さんを抱き締める。

私が唯一信じられるのは、物だ。



 ちらりと視界に映す大きなスキダは攻撃を止めてただそこにいる今だが……この状態でまた動きだしたら更に大変だ。


「あらぁああっ!!?」

 コリゴリが急に立ち上がる。そして吸い寄せられるようにテレビに向かっていく。

「あーん、もう! みなみちゃんじゃない!? あぁん、かわいいー!」


 驚異のジャンプ力で、部屋を跨ぐと、くねくねしながら、スキダをものともせず、テレビの前に向かう。

画面では女優と俳優が映って一緒にひつまぶしを食べていた。


「えっ」

 ふわっ、とコリゴリの胸からクリスタルが輝き始める。クリスタルはテレビ画面に溶けていき、すぐに画面の中から、ピエロではないスキダが這い出てきた。

 目の前に現れた目は曇っているがみなみちゃん、そっくりな人型のなにかに、コリゴリは興奮する。

「うわぁっ、やだー!」

 みなみちゃんそっくりなそれは他の小さなスキダの興奮も高めた。私の周りから離れてそちらに向かっていく。しかしこのみなみちゃん、小さなスキダをひとつ手にすると、口にほうりこんだ。


「えっ──」


 スキダが、食べられた?

それを期に彼女?の周りにいるスキダだけを、バリバリと音を立てながらみなみちゃん?が飲み込んでいく。

ただ、すぐに満腹感を得たようで、テレビのなかに戻っていった。


「なん、だったのホォ……」

 クリスタルが、ぽんとテレビから飛び出して床に着地する。コリゴリはそれを拾い上げてフッと寂しそうに笑った。

スキダを投げても世界が違う。


「突き合うことは出来なくて、中途半端なスキダだわハァ……」 恋愛をして戦えば世界が変わるかもしれないのに、という響きを含む、さみしい言葉だった。

私にはよくわからない。そんなことがなにか、変えるのだろうか。

 うろついていたスキダが減ったので私はどうにかテーブルからリモコンを手にし、電源を切る。恐怖でぎこちなかった空気が、さっきのことで散らされたスキダを目の当たりにして和らいでいる。


「ありがとうございます」

私が言うと、コリゴリは気まずそうに苦笑いする。クリスタルは少し成長しているみたいにやや大きくなっていた。さっき食べたから?


「にしてもこの部屋、急に寒いんだけどホォ……なんなのなんなの?」


 私とコリゴリが話した途端、叫び声が背後から上がった。


イウナアアアアアアアアアアア───!!


 椅子さんやテレビのみなみちゃんと話をする自体には反応しないのに、近くの人間と話すとそれが引き金になるらしい。玄関の向こうから同時にまたドアを叩く音がする。

「スキダを受信しにきました──!」

近所のおばさんのような声が「あら、逃げたの──?」と笑いながら響く。

「ラブストーリーは終わらないのに」

ハッハッハッハッ!

と数人が笑う賑やかな声。


「なかなかクラスターが散らないみたいね……たぶん家の外、囲まれてるわハァ」


「クラスターって、なんですか?」


コリゴリはしばらく考えていたが、あなたになら、話していいかもしれないと言い、此方を向いた。


「恋愛総合化学会が──ううん、そのバックアップで当選している今の市長も──恋愛至上主義者の国にするために放った、洗脳活動家、工作員、観察屋も、もとはその一環だった」







恋愛総合化学会と観察屋に繋がりがあるとしてもコリゴリがなぜそんなに詳しい事情を知っているのだろう。

私は思いきって聞いた。


「あの、そういうのって、勝手に聞けたり漏れたりするもんなんですか?」

「うぅーん……察しがつくというのかなハァ? 今あなたに話しているのも、あなたにはなんだか、このことを話すべき気がするから」

コリゴリは言う。


「その前に教えてちょうだい。あの怪物、それにスライムと戦ったときの怪物、やっぱりスキダから生れたのね」


 スライム……私の胸がずきっと痛んだ。


「わ……からない」


「え?」


「私のせいなのか、スライムのせいなのか。わ、私……ただ、ずっと、此処で、誰とも会わなければ防ぐことが出来るって……誰からも好かれないなら、ずっと、なにも生まれないって、思ってたのに」

 スライムが、私に異様に執着したのは事実だ。本当は昔からそうだった。スライムだけじゃなく、他にも異様に執着することがあった。 私に会うと干渉すると我を忘れたようになった人が、襲い掛かって来る人が居た。人から、好かれるたびに、私は戦わなくちゃいけなかった。


「もう、そんなこと──起こらないんだって信じてたのに……」


 本人たちに自覚は無くて、意識も無くて、ただ、ずっと、私を追うのをやめなくなる。そうなると相手は自己制御が全くできない。小さいときに誰かに呼ばれ始めた「悪魔」の言葉を背負い、私は何年もこうしてひっそりと誰にも会わずに暮らしてきた。

それ以外に、避けられる方法が、ひとつを除いて、ないのだから。


「そう」


コリゴリは部屋を見渡しながら呟く。


「前にも、同じことが」


 私は、ただ逃げて、叩くしか出来なくて、言葉は通じなくて、異様なまでの暴走から、逃げて、逃げて逃げていた。

彼らに理性など残って居なかったけれど、好きだと言われれば、罪悪感もある。それに犯罪規制法も追い付いていなかった。



──誰が来ても、みんな、嫌いって、言うの。そうすれば、大丈夫───

そうすれば大丈夫、のはずだったのに。

 スライムの視界に入らない相手を想っても、スライムは遠ざけられない。

スライムの意識に入らない相手など、スライムには関係がない。


────誑かして、罪を作る。


だとしたら、私は──



「……。あなたはどうして、悪天候のフライトまでして、観察屋なんてしているんですか?」


「それしか無いから。好きと嫌いの円環からも外れた自分には、こうやって身体を張るしかないから、かなハァ」


「……そうですか?」


なんだかそんな風には見えないけれど、余計なことは言わない方が良い。

 シンプルな生き方、好きと嫌いから外れた生き方。私が探してきたものだけど、そんなの結局──無いも同じ。

ただ、それでも、それしか無いものというのは何にだってあるんだろう。

そうだ、のんびりと話してる場合ではない。動悸がまた激しくなる。

嫌わないと。

 人に好かれたらまた、あれが発動して、戦わなくちゃいけないかもしれない。

「私にはわからないけど──大変ですね」

「ありがとう」

極力冷ややかに言うが、コリゴリは大人の対応をしていた。……まあそんなもんか。

「けど、まさか知らなかった。工作員が送り続けた、私たちが撮り続けていた紙や写真から、あの化け物になるだけの力が生れていたなんて……」


「化け物……あ。キムを、知ってるんですよね」


「昔、ちょっとね……仕事で、見たのホォ、似たような泣き声を上げる怪物。


──私たちはそのときもさまざまなルートに観察した対象の概念をばらまき続けてた。

若い……女の子だった。

でも、そのときは何もわかっちゃいなかった。自分たちが作り上げたものが何を意味するものなのか、まるでわかっちゃいなかった。そのときの子は死んじゃって、怪物だけが何年も、街に現れた。 いつの間にか、ぱったり話を聞かなくなってたけど──


数年前に、キムの手が隣国で発見されたニュースが話題になった頃から、

 今まで鳴りを潜めていた恋愛総合化学会が急にまた話題になり、工作員を募集し始めてた。今考えたら既にそのときには何か知ってる人が居たんだわね。


それでー、私は、それに志願したのホォ」


「……何か、知ってる人……キムを、暴走させたキムを、そのままに……」


亡くなった人。、還る場所のない、行く場所のないスキダたち。キムの手。


「なるほど。概念体は、つまり昔の人たちが放置した部分も合わせてより強化され防ぎ切れなくなっている。なのに今なお工作を秘密裏に続ける為にこうして政策として市民に発令したってこと?」


「まさか。そんな風には考えないわよホォ、悪魔が、勝手に襲ってきた、それだけ。悪いのは怪物」


「……コリゴリは、違うんですか?」


「正直私もそうだった。死んでもまたやってくるなんて、ゾンビかなにか、怖い怖い。そう思ってた。けれど──あれは、これだけ間近でみたら、さすがにわかる、あれは、そんな可愛い存在じゃない。あれは、私たちが産み出した。

 安易に、好きだ、嫌いだって、ただ執拗に騒いだ、まるで誰かを呪うように、誰かを捕らえるためだけに、写真を送り続けた……」



コリゴリは顔を両手で覆う。

 それは感情なのか。感情とはなんなのか。言葉は、感情なのか。感情とは言葉なのか。



「それでも、私にはこれしか……これしかないのホォ……」


 嘆くような、揺れる声。痛みが伝わる声。

私は少しだけ動揺した。まさか、私が戦う間にそんなに、思い詰めていたなんて───


「これからも、写真を撮って、撮って、撮って、以来主に送って、送って、送って、記事が書かれ、記事が書かれ、誰かがそれでどうなったって───これしか、できない……」



なにか──言おうとした。

少しだけ、コリゴリに近付こうとした。

私の肩はぐっ、と後ろに引かれる。


「椅子さ……ん」


触手のようなものが伸び、私の肩をとらえている。


──だめだ


「え?」


 私が進もうとするも、椅子さんはただ止めるだけ。代わりに更にもうひとつ触手を伸ばして、コリゴリに近付ける。

なんだか、コリゴリの様子が、おかしい。ずっと俯いたままだけれど────


「ウアアアアアアアアアアアアア────────!!!!」


突然叫びだした声に、私は思わず身を竦める。キムかと思ったが、どうも前方からの声だ。


「ア───────ッ!!

アア─────────ッ!!!

アアアアーアアーアアー──────!!!ゴメンナサアアアアアアイ!! ゴメンナサアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアイ!!ゴメンナサイ!!ゴメンナサイ!!ゴメンナサアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアイ!!」



 突然立ち上がったコリゴリが、目を見開き発狂していた。











「コリゴリ────!」


 このままじゃ、スキダが怪物になってしまう……!

本能的に悟ったけれど、身体が恐怖で震えている。なぜいきなりこうなったかはわからないが、とにかく今は生き残らなくては。


コリゴリがなにかに憑かれたように私に手を伸ばしてくる。

 どうしよう、どうしよう、そうだ、まずは、コリゴリから私の意識を引き剥がさないと……

 そうすればスライムみたいな力は持たないはずだ。横目でテーブルを確認すると、夕飯の横にいつものティーセットが置いてあった。


 私は震える手をどうにか動かして、それを確認した。

ちょうどポットの中に入れたままになっていたティーバッグがあったので、カップに注いだお湯と僅かな水で適当な紅茶を作り頭からかぶる。

「来ないで! やめて、コリゴリ、私に近付かないで」


 生ぬるい紅茶が、頭から滴り落ちていく。

けれど今はそんなことに興味はない。

あとで風呂に入ろう。

砂糖を入れてないから、まだべたついてなくて良かったな。


「助けて──!」


 叫んだ。


「私が悪いの……この人の気持ちを傷付けたから────! だけど、他人を好きになるなんて意味がわからない」


あまり強い言葉を使うと、やっと静かになったばかりのキムが反応してしまうかもしれない。とりあえず騒ぐ。これはなかなか名案な気がする。 


 確かに観察は続いている。続いているけれど、遠隔が主だ。盗聴に至っては、声があの人に届くだけだ。それ自体が、テレビに放映され、晒されるほどに異様な、おかしなことだけれど。

「コリゴリが暴れてる!」

これについては事実でしかない。

エリートであるコリゴリが、不祥事を起こしている。これが痕跡になるのはある意味では素晴らしいことだった。



倒す、かどうかすぐ考えることも出来る。でもコリゴリが気持ちを少しでも制御してくれさえすれば────もしかしたら少しくらい────

 抱えたままの椅子さんが唸る。そして強い光に包まれて輝きだした。



────ガタッ!!!


────────ガタッ!!!!




────クラスターを発動。



コリゴリは鼻で笑った。

「ふんっ、この近辺はあのお方のクラスターが固めているんだから、他のクラスターが入る隙なんて────」


スキダ……スキダ……?スキダ?

  足元に集まってくる小さなスキダが、口々に何かを言い合いながら戸惑い、ざわついているのを見て、コリゴリは急な出来事にあせる。


紅茶……紅茶……紅茶だ……

紅茶だ……


あらぁ!  まぁ! たいへんねぇ!

 外に居る誰かが、急にこちらを伺うことを言い始めた。

(そとのクラスターが、味方をしない?)


 そもそもコリゴリが不法侵入していること自体が知られて都合が良いわけではない。紅茶をかぶったかどうかよりも観察屋にとってもこれは嫌な展開なのだろう。


「エッ? ジブンデッ……!! チガウノホォ!!! ワタシワルクナイノホォ!!! !!


シズカニシズカニシズカニシズカニシズカニシズカニイイイイイイ! シズカニイイイイイイイイイイイイイイイイイイ


ワルクナイッ、ワタシワタシワルクナイ!!!」


 コリゴリは近付かないでと言われたのに、逆に近付いて来る。

すごい剣幕だ。

だけどまだ、自省との間に揺らいでいる

。完全体ではこうはいかない。

きっとまだ人間に戻す方法が……


 コリゴリの服のポケットから電話が鳴る。コリゴリはしばらく我を忘れていたが、ぼんやりした意識のままに、端末を手にする。


「── 撤収──しろ?」



コリゴリが目を見開く。

良かった、コリゴリが帰ってくれそうだ。私は胸を撫で下ろし────て居たのだが、コリゴリがわかりました、と通話を切ってもなお、場を動こうとしないことに気が付いた。


「社長は……私にまだ、期待してくださっている……」


「何を言っているの?」


「退けと身を案じてくださるということ、有り難いが────だからこそ!!」



本当に何を言っているの!?



 同時に、足元に居るスキダを見て、私は違和感に気が付いた。

ミナミちゃん(偽物だけど)がさっき大半を食べていたはずだ。なのにどうして……

「そういえばこのスキダはみんな椅子さんと同じ光りかたをしている」

私はずっと椅子さんを見ていたからわかる。


「これは、椅子さんが────?」


 集まってくる小さなスキダはやがて人のような形になりおもむろに口から紙を吐き出した。吐き出したというにはあまりにも機械的でコピー機が紙を送るような仕草だったが、その紙には冷たい目をしたコリゴリが映っている。

 数人? のスキダが同じようにあちこちでコリゴリの感情、姿を吐き出し始め、それが紙飛行機に変わる。

 あちこちで行われるそれに、コリゴリは慌てて捕まえたがるがスキダは自由に

すり抜けていく。

 紙飛行機がやがて自発的に外に向かうと、外からもざわついた声が聞こえ始めた。



「……?」


 確かにコリゴリは顔が真っ青に、冷静になった。しかし────


「訴えられたら! エリートで居られない!!! 本当にスキダ!!!」


 いつの間にかコリゴリの身体は、スキダではない別の姿へと、変形を遂げていた。


「私を────スキニナレ!!!」



「なっ……」


「ナアアアアアンニモ聞かない! ナアアアアアンニモわからないもーん!」



 ぐにゃぐにゃとうごく、深緑色の生命体。スキダとは違う……


「私っ、あなたなんて嫌い!」


 椅子さんがクラスターを変形させ、棘のようなものに変えると、くるんと回転してコリゴリに標準を合わせ、一斉に突き刺しにかかった。

 私も同時に叩く。しかし、スキダのときには多少効いたこれも今のコリゴリには弾かれ、歯が立たなかった。


「ハァー? アラソウ!! ナアアアアアンニモコワクナイ!! 

スキダアアアアアアアアアア!!!ヒテイッ、スルナアアアアアアアアアア!!!」


「あなた、ミナミちゃんが好きなんじゃないの?」



「アアアアアアアアアア! アハハハハハ! アハハハハハアハハハハハ!!!」


ぐにゃぐにゃ、と身体を歪ませると、コリゴリはやがて、私に似せた姿に変わる。(骨格は変えられてないが)


「アハハハハハ! スキダ!! ワタシヲ、ヒテイッスルナアアアアアアアアアア!!」


──なんて不気味なんだろう。



「アナタハァ、ワルクナイノヨホォ…………ワタシガァ、チョッド、ジブ

ンヲダモデナイトキニィ、

コーシデ、ツカワセテモラウダケダカラァ!!!」



 ダミ声で、彼はスキダのクリスタルを手にする。それが輝きだしたと同時に、

椅子のような姿になっていた。


「ワタシ……マダマダキタイサレテルカラ……

私を────スキニナレ!!!」



「まさか───あなた、電磁波攻撃を──」



コリゴリはニチャア、と笑った。

私は叫んだ。


「告白────! 告白っ、告白────!」


私に抱えられた椅子さんが輝き、攻撃用に素材を変化させる。


「よく考えて! あなたは自分から逃れたいだけ! 

自分から逃れたいから、私に優しくしようとするだけよ!

本当には私なんて何とも思ってない、

この場が、あなたを狂わせてるだけなの。


目を覚まして──!


あなたが本当に思っているミナミちゃんを、思い出して!」


椅子を振り下ろす。

コリゴリの身体は人間になって触手は伸ばせないものの脚力はあるらしい。すぐによけようとしたが、反対側に回り込んで叩く。普段ならこれで良かっただろう。



「ワタシ、ナアアアアアンニモワルクナイモン!!!!」



コリゴリはそれを容易く弾いてしまう。



(──告白が、利かない?)



「ナアアアアアンニモワルクナイノヨホォ!! ワタシ、マダマダキタイサレテルカラ!! スゴインダカラ!!」



ぎろ、と鋭い眼力で睨むと雄叫びをあげた。



────ワタシヲ、ヒテイッスルナアアアアアアアアアア!!




「アハハハハ! サイコウ!!! サイコウヨホォ!!!」







コリゴリはひたすら好きになれ……好きになれを繰り返す。

 それは、私のこれまでの人生を深くえぐる、否定するには事足りる言葉だ。死ねと言われるよりも酷い言葉。

あえて言葉で表すなら、

生まれてくるな。

存在するな。


「──た……」


目の前が暗くなっていく。

足元に散らばった「愛してる」が乾いた景色となって、私を見下している。

 その最低な存在を否定するような言葉は───時間が止まったような部屋の中に唯一動いている時間を象徴する。

唯一、全てを破壊する言葉だ。

愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる


何度も見てきた言葉。



だから?

だから?

それが、私になんの関係があって、なんの価値があっただろう。


この言葉さえなかったら。


他人を好きにさえなる人が居なかったら。


誰にも感情がなかったら。





「あなた……自分が、今、──どれだけ、残酷なことを…………言ってるかわかってる? 



 どれだけ、血が通わない人間なら、好きになれなんて、そんなことを言えるのでしょうね? 


 自分がわかってないの?

どうしてそんなことを他人に投げ掛ける権利だけはあると思ってるの? 


突き合いたくないなら、一生誰に対しても同じ態度取りなさい。


急に、目の前の一人だけ見下してんじゃないわよ!


ああそうだわ、あなたも、悪魔になりなさい!」


人を好きになれるって、すごい才能で、ものすごい奇跡なんだよ? なれない人にはどう頑張っても永遠になれないんだよ?


「それを、それをそれを、簡単に他人に求めるなんて!! 


エリートだかなんだか知らないけど、どんな育ちかたをしたらそんな酷いことが言えるの? 

最低だわ」


コリゴリは少し狼狽えた。

椅子さんが光る。


「あぁ──そっかぁ」


 思わず口元が緩む。

笑ってしまう。


あわせてポケットに入れているナイフが手のなかで光り出す。


「アハハハハハハハ!! そっか、そっか、こんな、簡単なことだったんだ!」



スキダの前にその手を翳し、私は呟く。


「告白──告白────告白!!!」



 ナイフを握ると、まだ心臓がドキドキと、ときめいているのがわかる。

これが、ときめき。


「告白っ、告白、告白っ────!!」


やっと告白が出来た。

スライムのときと違う、これはコリゴリに合わせずに、私に合わせるんだ。


 コリゴリが、嫌だ、嫌だ!と怯える。

脚力があるのですぐにはナイフを目に突き刺すことができない。逃げ回る姿がなんだか情けなく思えた。

 椅子さんを投げつけても避けられたら意味がないし、家が倒れたら意味がない。

椅子さんを投げるなんてそもそもちょっとサディスティックかな。


「アハハハハハハハハハ!

アハハハハハハハハハ!

アハハハハハハハハハ!!!!

人を好きになれなんて────人を好きになれるなんて──!! 

そんなやつが、居たらいけないんだ!!!


そんなやつが、目の前に居たらいけないんだ!!!


そんなやつが、


他人に、何か喋るな!!!


これ以上、これ以上その言葉をお前が使うな!!



 ふわっと足元で風が起こる。

スキダに似た小さな何か、椅子さんと同じように輝く何かがあちこちから沸きだして紙飛行機になるとコリゴリに向かっていく。

 うーん、やっぱりこれが、クラスター? でも、聞いてたのとイメージが違うような。

 紙飛行機はやがてぴたりとコリゴリの身体中に貼り付く。

逃げ回るコリゴリの体力を少しずつ奪っているらしい。

 高いジャンプでその場を離れる度にコリゴリを追跡しながら背中をつついている。

よく見ると紙から触手が伸び、コリゴリの頭に溶けていく。

貼り付いた紙はみんなそうなっているらしい。

コリゴリの様子もなんだか変わった。


「──愛してる?」


冷めた目になり、ハハハハ、と乾いた笑いを浮かべる。


「どうして愛してるなんて、信じてるんだろホォ? どうして愛してるなんて信じてるんだろホォ?」


なのになぜか目から涙がながれていたのが変な感じだ。

人間に少し戻って見える。

 まさかあの紙に、そんな効果が?


「いや、言ってない、私にこんな辛い気持ちを植え付けようだなんて、許さない!! やめて、私からこの気持ちを取ったら何もないんだから!」


コリゴリが涙を流しながら私を睨む。あまり怖くない。

ナイフを振り下ろす。

コリゴリが何度も避けるので

椅子さんを振り回してコリゴリの意識がそちらに向かうと同時に目の前にナイフを突きつける。

「怪物がさぁ、何を言ってるの。

愛してるなんて、ばかげてるでしょう?


それは、悪役が言わないのよ」


私は改めて言う。

コリゴリが私を突き飛ばす。


「愛してるなん、て……ばかげ……いやあああああああ!!!! いやあああああああ!!嫌だあああああああ!イヤダアアアイヤダアアアイヤダアアアイヤダアアアイヤダアアア!!」


 怪物になり、人間に戻り、また怪物になる。

 人間になったときに椅子さんを構えて叩く。

怪物のときでは叩けないけれど、こちらならときどき当てることが出来そう。


 息切れて、たまによろけるが、まだ、許せない気持ちがあるからか意思がくじけることはない。


「気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!!」


 逃げて壁に上るコリゴリが気持ち悪くて椅子さんを振り回す。ちょっと申し訳ないけれど、包丁がアレに刺さるわけはない。触手が伸びるが、脚力のせいでなかなかコリゴリを捉えられない。



「────あなたなんて、要らない、あなたなんて、要らないあなたなんて、要らない、あなたなんて、要らない、あなたなんて、要らないあなたなんて、要らない、あなたなんて、要らない、あなたなんて、要らないあなたなんて、要らない、あなたなんて、要らない、あなたなんて、要らないあなたなんて、要らない、あなたなんて、要らない、あなたなんて、要らないあなたなんて、要らない、あなたなんて、要らない、あなたなんて、要らないあなたなんて、要らない、あなたなんて、要らない、あなたなんて、要らないあなたなんて、要らない、私に、あなたなんて、要らないあなたなんて、要らないアハハハハハハハ!!!! アーッハハハハハハハ!!! あなたなんて、要らない!!あなたなんて、要らない!!」 


 コリゴリはただでさえ負傷していたのに、どうしてそんなに跳び跳ねるのだろう。


「スキダアアアアアアアア!! イヤアアアアア!! ミステナイデ!!! イヤダアアアイヤダアアアイヤダアアアイヤダアアア」


 コリゴリが泣き叫ぶと、電子レンジがまた勝手にONに切り替わり、暖められたスキダがどこかに向かって走っていく。

 はっ、と振り向くとキムらしい影が奥の方で少しだけ身動ぎした。完全に覚醒はしてないらしいけれど────

 そしてテレビも勝手にONに切り替わった。


「ああっ! 電気代と重なって余計にむかつく!」


(周りを利用するだなんて、下手に攻撃出来ない……)


 テレビから這い出てきたスキダがぞろぞろとこちらに向かうが、椅子さんと同じように光る複数の紙飛行機が同時にそちらに向かっていく。

とにかくまだキムは起きてない……

今のうちに叩かないと。


 コリゴリは、身体からあの溶け出しそうな紙が剥がれたのを良いことに、得意そうに笑った。笑っていた。サングラスの位置を直しながら、胸を張る。


「ホラワダシアマゲイ…………クックッ……」


 持ちこたえるだろうか。

奥の部屋で紙飛行機と戦うスキダを見ていると先ほどコリゴリの出した、偽物が食べてくれたことをおもいだす。


 けれど──今はもう違う。

(そういえば、どうしていきなり、怪物になったんだろう)


 なんとなく、スライムより怪物になるのが早かった気はしていた。

スライムはあれで、怪物になるまでに何日間か私と関わっていたわけだし────

コリゴリが私を視界に捉え、口を開く。


「チュ………………チュキ…………チュキ」


「────っ!!?」


なんとなく引っ掛りはあったけどなるべく気にしないようにしていた。

 気にしないようにしていたけれど……まさか、キムを取り込んだから?

ときめきが酷くなる。


「……」


 とにかくやるしかない。

スキダを避けながら、椅子さんを二回、三回と振り回す。

コリゴリは今はもはや電磁波攻撃に気を取られていて足元がおろそかになっていたためうまく避けられていない。

 もっと早く気づけば良かった。この電磁波攻撃自体、そもそもキムが得意としているみたいだった。


 ラブストーリーが大音量で流れる。スキダがどんどん増えていく。

「あ──あなたなんて要らない、あなたなんて要らない、あなたなんて要らないあなたなんて要らない、あなたなんて要らない、あなたなんて要らない」


 わらわらと足元にも集まるスキダを椅子さんが触手で取り込んでいくが、紙飛行機と椅子さんを合わせても、スキダはどんどん生まれてくる。

きりがない、と言う暇すらない。

「あなたなんて……要らない、あなたなんて要らない、あなたなんて要らないあなた、なんて、要らない、あなたなんて要らない、あなたなんて要らないあなたなんて要らない、あなたなんて要らない、あなたなんて要らない、私はあなたなんて要らない、あなたなんて要らない、あなたなんて要らない、あなたなんて要らない、あなたなんて要らない、あなたなんて要らないあなたなんて要らない、あなたなんて要らない、あなたなんて要らないあなたなんて要らない、あなたなんて要らない、あなたなんて要らないあなたなんて要らない、あなたなんて要らない、あなたなんて要らない!!!!  あなたなんて要らないの!!!」


祈るように唱える。

擦りむいた身体がまだ痛む。

スライムが脳裏にちらついた。

それでも私はラブストーリーが嫌いだ。


──早く、スキダもみんな、燃やして平穏な静かな部屋を取り戻さないと。汗が前髪に滲む。

景色がぼやけている。

 

「私は悪魔──


私は、ね…………あなたに価値なんか感じない」


ときめきが、酷い。

息が苦しい。


 鈍い音と共にコリゴリが壁に叩きつけられる。

さすがに弱っているらしい。


「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ、イヤダアアア……イヤダアアア……ゴホッ」


「──告白、告白、告白、告白っ」














・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 椅子を両手に抱える私が、教室に居る。

前にも、こんなことがあったっけ────


「来るな! 来るなぁああ───!!」


 椅子を両手に抱えた──いや、構えた私は、ただ叫んでいた。

なにかを前にして、なにかを、拒絶していた。

───────────────



ドンドンドンドン!!!

ドンを何回聞いたっけ。


 先生のスキダをうっかり拾ってしまい、告白イベントが始まった放課後。

まだ幼い私は、スキダがなんなのかも、告白イベントがなんなのかも、まだよく知らなかった。


「学校ではね、恋は戦争なの。覚えておきなさい?」

なんて、ある日あちこち骨折しながら登校したクラスメートの言葉に、大袈裟だななんて思っていたくらいだ。

──だからまさか、自分がその立場になるなんて思ってもみなかった。


 職員室を訪ねるなり指導室に呼ばれ──た私が見たのは、椅子に座って待っている先生の胸から私を見た瞬間に飛び出してくる大きなスキダだった。気付かないふりをしようと目を逸らしていたが、すぐに悟られる。


「──見て、しまったんだね?」


先生は、にやっと笑って近付いてくる。

「────、なんの、ことでしょうか」


じりじりと詰めてくる距離に、私は思わずその場から駆け出す。

 

廊下を走る先生との鬼ごっこが始まった。

 しばらくぐるぐるとあちこちを回り、まいたと思う辺りの階で、目についた近くの教室のドアを自発的に閉めて自らを隔離するも、すぐにドアをノックされた。

スキダには追尾能力がある。


「嫌────なんで、なんで私なの?」

ドアの間からは大きな結晶化した魚が顔を覗かせようとしてはドアに押し返されている。

「好きなんだ。恋って、止められるものじゃないんだ。先生のこの気持ちはどうしたら良いんだい?」


急変した麻薬の常習者みたいなことを言って、私が同情するとでも思ったのか。

 


「先生────」


ガチャガチャ、と合鍵を操作する音がしていよいよ私は覚悟を決める。……ということは出来なくて、ただ目の前に起きている異常事態に混乱した。

 

「とにかく会いたいんだ────悪いことはしないから、な?」


 私は混乱したまま、恐る恐る近くに積み上げられた椅子に手を伸ばす。その空き教室には、教室が縮小されたときに移動した机や椅子が積み上がっていた。

そのひとつを、ゆっくり引き抜き、ドアの向こうを見る。

 やるしかない。

ガチャガチャが済みドアが開いた瞬間

──私は叫び、椅子を大きく振り上げた。


「く──来るなああああああ!!」


しかし、先生の姿を見て一瞬絶句して、手を下ろす。 ドアを開けないでいるうちに、すでに先生の頭がスキダに取り込まれており、やけに輝く魚の頭をしたスーツ姿の存在になっていた。


「せ──先生──その魚頭、どうしたんですか」


冷や汗をかきながらどうにか笑うと、先生はなんのことかわからない様子で私に説教し始める。

「とにかく恋というものはね、自然なことなんだ、人間だけでない様々な生物に……」

 気が付くと、呆然とする私に構わずに恋愛とはという話まで始めていた。

恐る恐る、聞かずにドアから外に出ようとした私は、先生の鋭い魚眼を見ることとなる。

「グアアアアアアア────!!!!」


瞬間、牙を向いた魚。

驚いて思わず後ずさり、横に持ちかえた椅子を振り上げた。


「来ないで!! 足軽先生──なんでなんですか!!? 先生奥さん居るじゃないですか!! 結婚してるって言ってるじゃない!!」



「スキダアアアアア────!!! 」



理性を失った怪物は、私の声など聞こえない。逃げて廊下を走る私を見ても、みんな、ニヤニヤしているだけ。

先生に同調している……?


「なんで笑っているの!! これが、笑いごとに見えるの!? 

先生を止めなくていいの?」


そう、先生は結婚している。スキダの向く対象を制限するにも向いているのがこういった契約だった、はずだ。

 なのに──これは何?



結婚してもスキダの発動が抑制できない人がいるなんて、授業で習わなかった……!!

走りながら、誰にともなく叫ぶが、ニヤニヤする人が増えるだけ……異常だ。

この戦争は、止める人がいないだけじゃない。周りまで頭がバカになってしまった。

とにかく、時間を稼いで、それから、早く、私が、殺さないと────!

 何も宛にならない、スキダはいつでも発動する。誰も宛にならない。スキダはいつでも発動する。


「どうして! ちょっと話しただけじゃない!」



 スキダが生まれるとき────スキダが生まれる意味は、理屈じゃない。

しかもそれが怪物になることもある。

急に現れ、急に人々に取り付き、他人を襲う。

たまに脳が錯覚する以前から、無意識に何らかの信号を受信しているような気がするほどに急に起きる異変だ。

これについてはスキダを生み出す『恋愛』という概念が、そもそも宇宙人からのものによる誤作動をふくむのだという人々も居た。

 子孫を残し、地球に溶け込む為にいちばん手っ取り早いのが生物の強い欲求である恋愛をする欲求のスイッチを利用することだというのだ。

独自技術で人間の電気信号を解読し、武力よりも欲求に訴えて人間を破壊しようというのが、一部の宇宙人の主流なやりかたになりつつあるのだという。

 スキダが魚型のクリスタルとなって現れている理由だけは、誰にも見当すらつかないらしいけど……宇宙人説でいくのなら、もしかして、スキダ自身が宇宙人なのだろうか……



 けれど────それは、笑えない。



「私──、宇宙人なの?」


 なぜか誤作動が、私の周りで頻発している気がする。あのときも、あのときも、そして今も。椅子を抱えあげて先生に振り下ろすための足場を考えながらも頭の片隅では絶望的な思想が渦巻く。


 そういえば──世界には、問答無用で他人からスキダを引き出してしまう金属が存在するらしい。

スキダを抜かれた人たちがその後どうなったかは知らないが、それは魂のようなもので、亡くなる人も居るという噂だ。


 椅子を抱えたまま、私は結局、先生が用事で出かけるまで、校舎中をさ迷った。そこに居る誰もがすでに人間らしさを無くし、洗脳されたままニヤニヤしたバカになってしまっていて、私には手のほどこしようが無さそうだった。


「……ううっ……」


孤独。校舎裏の渡り廊下を歩きながら、先生から解放された、と気付いたときには涙が溢れてきて崩れ落ちるように泣いた。


「────恋愛なんか、無かったら、みんな楽しく暮らせたんだ……! 変な信号でみんなおかしくなってしまった……先生もおかしくなってしまった……! 結婚しているのに! 

とうとう私の前で顔が怪物になってしまった!! あれじゃ学校に居られない!」


 怪物を間近で見た。

おぞましかった。

……あれが、人間だったのだ。

異常な世界のなか、しかし椅子だけは変わらないで私のそばに寄り添っていた。

そして、少しだけ持っている背もたれの部分が光って────


「え?」


スキダと同じような輝きに、一瞬驚くが、すぐに消えてしまう。

(気のせいか……)


「椅子や、鉛筆や消しゴムは、スキダが効かない……? のかな……」



 いつの間にか私は、次第に物を好意的に見るようになっていた。













足元に散らばった「愛してる」が乾いた景色となって、私を見下している。

 その最低な存在を否定するような言葉は───時間が止まったような部屋の中に唯一動いている時間を象徴する。

唯一、全てを破壊する言葉だ。

愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる…………



『だからなんなのか?』


という純粋な問いすら、許されない好意の言葉は、人を呪うにはあまりにも充分だ。


『それが、なんなのか?』


それさえ問いかけられたなら────

それが、一体、自分になんの関係があるのかと、 強く叫ぶことが出来たなら。

一体どれだけの魂が救われたんだろう。

どれだけ私の時間が救われたんだろう。



だから、改めておもう。


だから、なんなのか?



私に。


    「貴方なんて、要らない!」


貴方なんて要らない。

貴方なんて要らない貴方なんて要らない

貴方なんて要らない貴方なんて要らない

貴方なんて要らない貴方なんて要らない

貴方なんて要らない貴方なんて要らない

貴方なんて要らない貴方なんて要らない

貴方なんて要らない貴方なんて要らない。

頭が痛い。ときめきが酷くなる。

動悸と共に言葉が止まらなくなる。


「勝手に死ねー! 勝手にいじめられろー! いい加減にまとわりつくな! 他人を好きになれるやつが生きられるところで、他人を好きになれば良い!! 

それを他人に強引に向けて、どれだけ良い気分? 他人を好きになれたから勝ちました、それでいいでしょう?

私と、あなたの気持ちに、なんの関係があるの!!!無いわよ!!!

邪魔なの、みんな、みんな邪魔なの!!

みんなみんな、邪魔なの!! あなたが邪魔なの!!

どうしてわざわざ、此処まできて、

こんなところまで来て!!あなたの気持ちごときに!!


あなたがいなければ、あなたの気持ちなんて邪魔が無いのに!!あなたが居なければ、あなたの気持ちなんて邪魔が無いのに!!」


 こんな部屋で、わざわざ生まれてくる怪物。そして『それと同じ言葉』を発する、人間だった物。彼がどこまで本心でスキダを発動したのか。

 そもそも本心でなければ扱えないのかすらもわからないけれど、どちらにしろ、誰も来ないはずだったこの部屋で、微量でも反応を示した。怪物に取り込まれた。


わざわざ、皮肉のように全てを否定したのだ。

わざわざ、此処で、此処まで来て、

避けてきたことを、わざわざ再現された。

わざわざ、そこまでして他人を好きになるなんて、なんという嫌味なのだろう。

そこまでして、私でなくても良いじゃないか?

酷すぎる。酷すぎる。酷すぎる。酷すぎる。



やりすぎだ。



「どうして────!!」



意識が、漂って落ち着かない。

ふわふわと浮いて、あまり感覚がない。ナイフがコリゴリだった、怪物の顔面を抉る。肉と油の重みを感じた。サングラスが床に転がる。


「関係無いのに! 関係無いのに!! 関係無いのに! 関係、無いのに…………」


 固かった怪物の皮膚が徐々に部分的に弛緩し始めた。

 なぜだか怪物が弱るよりも家具が汚れることの方が、私の為に停止する時間と空間に、この不純物が混ざることの方が、ずっと胸が痛んだ。

スライムもそうだ。私『しか』見えないのだ。勝手に他人を壊れたことにし、勝手に孤独にする。勝手に好意を押し付けることでマウントを取りたがる、汚い人間。


 彼はネガティブに言えば、詰まるところヒモだ。ただの観察屋だ。同情しなくていい。あちこちで見張って標的を殺すために合図を送るだけのスパイなんだ。

でもわざわざ、目の前で会うことも今までは起こらなかった。今までは。


コリゴリが目を見開く。



私はすかさず叫んだ。


「告白っ、告白、告白っ────!!」


「嫌ぁ、嫌、嫌、嫌あぁーー!!! ごめんなさい、ごめんなさああああーい」

 

 固いけれど何度も叩くとなかなか戻らない。

でも、一点に集中することになるし、固さの為にどうにか空く穴が狭い。


「貴方なんて要らない」


怪物が身を捩る。なかなか刺さらないが、繰り返して言うと、少しずつ絶望の表情を見せるような気がした。


「貴方なんて要らない。私に貴方なんて要らない。貴方なんて要らない。貴方なんて要らない」



椅子さんからも、触手のようなものが蠢き、スキダが入った腹部に触れていた。


「見下して、勝ち誇ってきた側が──わざわざ、好意ごみを増やしに来ないで。


上級国民にだけ特別に与えられた感情なんて、理解出来るわけがないじゃない! そんなことも考えないの?」


ナイフが強く輝いて、顔から出てくる魚───スキダの目をもう一度抉り始める。


「貴方なんて要らない!!!

あなたのおもりをするために生きてるわけじゃないの!! 上級国民の遊び道具になんかならない」



─ギャアアアア!!スキダアアアア

アア!!?


スキダが喚く。


「どうして解らないの? どうして『この部屋を』見ても、それが有害な言葉だって解らないの? ねぇ!!! 


此処で、わざわざ、スキダなんて見せて、どうして解らないの?」


──スキダアアアアアアアア!!

ゴメンナサアアアアアアアアイ!

ゴメンナサアアアアアアアアイ!



「そうだ! ずっと詫びてろ────!!! 悪魔に同情なんか求めるな!!!」


ナイフを引き抜き、脳天に向かって突き刺す。腕が重たい。からだが、重たい。

ときめきが酷くなる。汗で視界が滲む。

触手が足や喉に絡まる。まだ、うまくほどけていないようだ。


 コリゴリが跳び跳ねようにもそれによって阻まれていた。

手が震える。刃についたスキダが滑る。


「悪魔と呼んできたものに、天使を求めるな!!! 卑怯者!!

一生詫びてろ!!! 声が小さい!!」


「ゴメン……ナサア……アアアアア…」


少しずつ顔が崩れるコリゴリが掠れた声を出す。

 ふらつくなかで椅子さんからのびた触手のひとつが、私に向かってきた。

その触手の先から、小さな丸い形の銃が現れる。

椅子さんがなにかを言った。

私は小さく頷いた。


「ゴミは、捨てなくちゃ────」



 部屋と、コリゴリ(ごみ)が数回、発砲に合わせて振動する。なにかが跳ねる音、火薬と煙のようなにおい。なぜだか笑いが込み上げてきて、私は笑っていた。


「アハハハハハ!!!アハハハハ!!!!

あぁ、おかしい! 私は悪魔なんでしょう? 期待しても感情なんか何も無いのに。 空をずっと駆け巡って撮影してれば良かったんだ。アハハハハハ!!!」


 コリゴリは目を見開いたまま、床に転がっている。さっきまでは人間だった。

悪魔を好きになるまでは、人間だった。

スキダを食べても感情を抱かなければ良いだけなのだ。簡単じゃないか。

上級国民なのに、そんなことも出来なかったんだ。


「アハハハハハ!! また死んだー!

悪魔には関係ないけれど────どうしようかな……ねぇ」


────とりあえず、捨てたら良いんじゃないかな。


椅子さんが、淡々と答える。


「うん……そうだよね、ねぇ、私悪魔なんだよね、私に価値が無いのにすり寄って来たら、それって単に嫌味だよね? なんでわからないかなぁ。悪魔に詫びても面白がるだけなのに」


椅子さんが、腹に触手を突き刺すと、内臓と共に、小さなスキダが溢れるように出てきた。まるで赤ずきんの狼の腹に詰められた石みたいだ。


「うわ、気持ち悪い」


────キムは……簡単には死なない


「椅子さんでも、そう思う?」



────……


 椅子さんの体が私の手から銃を取り込んで行く。

触手が元に戻る。椅子さんに抱き付いた。

ごわごわした木の感触が優しく肌に触れ

る。

世界の何よりも安心した。



「───スキダにも、キライダにもなれなかった命から生れた者。


まるで…………私みたい……」



頭が酷く痛み、体がだるい。

ゆっくりと目を閉じる。



「この時間が────誰からも好かれずに、椅子さんだけが居る時間が──続けば良いのに」












『きょうせいれんあいじょうれい、がかけつされると、みんなが誰か 好きにならなくてはいけない』


去年からたまに、しょうらいのゆめ、とかでお絵描きする課題があったけれど、その年からは好きな人、も描かなくてはならなくなった。

数人は家族や友だち、自分の顔を描いていたけれど、私は真っ白。


「好きな人って、ことは、嫌いな人がバレてしまう」


 選ばれない人を、皆の前で選んでしまうんだ。

呼吸が急に速まって、速まって、目の前が真っ白になる。動悸がする。もし、好きな人を適当に描いて嫌いな人がバレたら…………

心臓がばくばくうるさい。

目の前がチカチカする。体温が、すっとなくなり、冷えていく。からだが震える。

 幼い日々。

誰かの影が、耳を引っ張りながら、頭のなかに捩じ込むように罵声を吹き込んでいるのがフラッシュバックする。

「どうして私を選ばなかった? 可笑しいじゃないか! 私を選ばないと可笑しいじゃないか! え? 私を選ばないなら私が可愛がる責任がないじゃないか!」


……好き。


それだけで、他人を傷つける。


……好き。


それだけで、他人が目の色をかえる。


「好かれないなんて絶対に赦さない」


「選ばれないなんて絶対に許さない」



好き、嫌い、それは理屈じゃない。

理屈よりも悲惨で凄惨な、引き金。

「許さない」「許さない」「許さない」

「許さない」「許さない」「許さない」


好きを選べば、嫌いを選ぶ。頭のなかに入ってくる地獄のような光景に耳を塞ぐ。

選ばなかった相手がどのような行動に出るのだろうか?

それをみんなの前で展示して、果たして選ばなかった相手が、どのように残虐な化けものに変貌するのだろう。


「嫌いな人がバレてしまう……!」


ぎゅっと目を瞑っても、嫌いな人も、目の前の白紙も無くなりはしない。

そう、これは夢や希望をきいてるんじゃない。


誰を敵に回すかという、アンケート。

誰かを認めれば誰かは省かれる。



 善人みたいな口調で、偉そうに平等なんか語る恋愛至上主義者の身勝手な薄っぺらさは、もはや偽善者であり、詐欺師のそれだ。


なにが幸せを願いますだ。

希望なんか無いくせに。

幸せなんか無い。

ただ、誰と戦うかという選択肢を決めているだけ。



『なぜ私を選べないんだ!?』


脳裏で罵声が響いている。

身体が浮き上がり、畳に叩きつけられる

感覚、血が流れる感覚。首を絞められる感覚。

総てが他人が選ばれなかった痛み。



『他人を選ぶ』


生きるか、戦うか(好きか、嫌いか)

生きるか、戦うか。




「…………ん」

 ぼーっとしたまま目を覚ます。

何故かわからないがアサヒの背中に居た。

何故かわからないが。

……何故? えーっと。

キョロキョロと辺りを見渡す。

アサヒはというと何かと話しているのか前を向いており、こちらを向く様子はない。


「お姉ちゃんは?」


確か、みんなで春巻きを食べようと思って居たような気がする。

それで、お風呂に入って……

おかしいな。

空を見る間でもなく、夜だ。

暗くなって来ている。

お姉ちゃん、おともだちが怪物になったと

か、戦ったとか言ってたけれど……

──少し考えたところで胃が収縮し、小さく空腹を訴えた。


「そういえば夕飯まだだったな」

そのタイミングでアサヒがこちらを振り向く。

「うん……」

「よく眠れたか?」

アサヒは淡々と、しかしどこか上の空で聞いてくる。

「うん」


ぼんやりと思い出してくる声。

そして、あの化け物。


『ワカッテ……スキナンダヨ……』


恐ろしい怪物だった。



 ふとアサヒが何か見ているのか気になって視線を追って、『それ』をすぐに理解した。

ヘリコプターだ。それが独りでに動き、

家に向かっている。


「何───あれ?」


「コリゴリが証拠隠滅の爆撃に使う予定だったヘリらしいな。何か設定されていたのか、それとも何か命令を受信出来るのか……」


「アサヒも観察屋でしょう! なんて呑気なこと」


 ヘリコプターはそのまま中へ進もうとしている。

どうしよう、と二人で慌てて居たときだった。

 黒い仮面……ではなく、工事用ヘルメットを付け、腕にクリーニング用品会社のレジ袋を提げた男性が、二人の背後から歩いてきた。

みし、みし、と重みのある音で地面を踏みしめながら彼は家の中へ向かって行く。


「──お姉ちゃんの家に、何の用?」


咄嗟に身体からクリスタルが浮き上がり、

車に融合すると、男性の方に向かって飛んでいく。

 男は、一瞬こちらを向き、じろっとにらむようにする。

 そして牙をむいたミニカーを見ても驚きもせずに、片手ではね除けようとして──すぐその車が急に巨大化したことなどで彼を轢こうとすることを知った。

避けても間に合わない。

 ……だが男はやや面倒そうに不思議なバリアを目の前に展開すると、スキダごと車を弾き飛ばして階段を上っていく。


「油の人だ……」


彼女は直感的に思った。

やばい。


 お姉ちゃん、の日記を思い出す。

悪魔、のお姉ちゃんと接触する相手は死んでいく。

 しかしあとを付けてみると、悪魔の仲間と判断した相手に誰かがこっそり油をかけていた……

 それが彼かはわからない。わからないが、何故かそんな風に感じてしまう。

どうやって判断したしたか?

観察屋のことも、観察していたに決まっている。



「油の人?」

アサヒが不思議そうに呟いた。

「ハクナかもしれない」


脅迫、恐喝専門部隊。

恋愛総合化学会の専門部所。

 かつては恋愛に関した論文の差し止めとストーカーまがいの脅迫、不都合のある出版の妨害、活動家への圧力などが知られている。

 アサヒはハクナと聞いた瞬間に一瞬だけ目の色を変えた気がしたが、すぐに無表情になった。


「わからない、だが──もしかしたらコリゴリが、死ぬか何かしたのかもしれないな。

証拠隠滅が出来ないことすら証拠を隠滅しなくてはならない。俺たちがやるのは限りなく黒なグレー行為なんだから」


アサヒが独り言を呟く。

なんとなく苦しそうな声だった。


「ざっと空を見たところ、44街への上空監視をしている他のやつらも来ていない。

他とは交信してないみたいだ……

そいつらじゃなく直接始末しに来たとなると恐らくは本当に極秘の──」


私は背中から降りると、アサヒを引っ張って階段に向かっていく。

「今は! 助けるの!」


「助けるっつったって……」


アサヒは戸惑いならよろよろとついてくる。


「あれはなんかヤバそうなやつだったぞ」

「わかってるけど!」


 注意をそらすくらいなら、もしかしたら出来るかもしれないじゃないか。

そう思ってみるけれど、しかし本当は少し足が震えている。行かなくては。

彼女はあのなかに居る。

ずっと自分よりも、恐ろしい中に────

 急な立ち眩みで景色が歪む。

ときめきが凄い、胸が苦しい。

あそこは「愛してる」に満ちた部屋。

見えない何かで拘束されているかのように、目に見えるものだけではない、あちこちから見張られている。

もはやあの部屋から聞く愛してるは、ただ、生々しい呪詛であり、なにかを食らって這いずり回る化け物だ。


「う……」


階段にかけた足が、そのまま地面に転がりそうになる。どうにか手すりをつかまえるが、ひどくだるい。

まだ万全じゃないらしい。


「どうした?」


アサヒが聞いてくる。


「実は、ママも私も、恋愛性ショックがあるの。重たい『好き』に触れると、意識がなくなったり身体が勝手に暴れたりする難病……」


「そ、そうか──」


 アサヒは驚きというよりも真顔で、しかも何故か少し泣きそうになっている気がした。


「普段は発作が無いんだけど、この家は、なんだか嫌な感じが充満していたからか、久しぶりにちょっと疲れた……」


「なるほど」


「たぶん薬、中に置いたままだった」


「わかった」


アサヒの目付きが変わる。

何かあったんだろうか?


「そういうことなら、俺が役に立つかはわからないが、一緒に行くよ。これも運命かもしれないしな」


「え?」


「何でもない」






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・








「告白っ! 告白っ!

こーくはくっ! こーくはくっ!」


──誰かが楽しそうに手を叩き、無邪気なマウントをとっている。

誰かが、自分を囲んでいる。



「こーくはくっ! こーくはくっ!」


一人、二人、三人、四人。

マウントをとる人数は次第に増えていき、他人を愛せることがいかに他者より優位に立つための卑しい武器であるのかということを周りで見ているだけの周囲にまざまざと見せ付けていた。


「おまえ、スキダを持ってるんだろ?」


「スキダを持ったら、戦いに行かないと」


「うわー。スキダを持ったやつ、この前すごい怪我してたぜ」



教室が嫌な笑いで満たされている。


 恋愛をすることを面白がるようなこいつらには、おそらく人の心などない。

けれど──美徳として語られるこの行為は残念なことに、虐めには当たらなかった。


 学校がいつしか、道徳教育などを行いいじめはダメだよと教えることが増えてしまったとはいえ、未だに恋愛はだめだとは教えるきまりがない。

 いじめと呼べば犯罪になってしまうが、恋をしていることにさえすれば、美しい青春として語られる。絶対にいじめがだめだとしても、恋愛は絶対に許可される。

 それが、この44街の人々の陰湿な生活の知恵なのだ。



(嫌だ……スキダなんていらなかったのに)


声を出そうとして、声が出てこない。


(戦争をしなくちゃ、いけないんだよ。

他人を好きになることは、古来からずっと、戦争をする合図なんだから)


このままじゃ、戦争になってしまう。

私は、スキダなんかいらなかったのに。


(誰から愛されなくても、戦争をもたらす『理屈じゃない未知のもの』を抱えるリスクは減らせるというのに───)






 動かなきゃ、と思ってみても、身体が動かない。

まぶたが重くて、あちこちが痛い。

まだやれる。まだ、やらなくては。



「こんばんは、実験動物。

よく寝ているみたいだね?」


誰かの──声が、する。

けれど、身体がうまく動かない……

疲れた。いっそこのまま、誰からも好かれない夢の中の世界で、誰も怪物にならない幸せな世界で、眠っていたい。


「よく寝ている……それから、こちらは? おや……? コリゴリ、中々帰らないと思って見れば。こんなところでおやすみなさいか?」


うるさい、な……



「あーあーあー、今までのたくさんの迫害行為、こんなにばらまいて……」


みし、みし、と部屋を踏みしめながら、彼は歩いて行く。


「いけないな。こんなにばらまいているのを誰かに撮られれば、迫害が事実でないと判断される可能性の方が低い。バレてしまうじゃないか」




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・







「会長────」


 会長室がノックされたとき、会長はお茶を飲んでいた。仕事の合間を縫った束の間のひとときだ。まだまだヒューマン以外の種族や、異常性癖の持ち主の洗い出しは終わっていない。

「入りなさい」

会長は目の前のドアを見ながら淡々と呟く。

「戸籍などを調べに資料室に行っていたのですが、こんなものが────」


 目の前に居る男の表情は眼鏡によりよく見えない。彼は分厚い一冊の本を会長に向けた。













 むかしむかし、あるところにキシモサマがおりました。


 もとをただせば志半ばで不幸な死を遂げた女でした。

女はあらゆるものを壊されあらゆるものから否定されたので、

■■■■■■■■■■■■■

■■■■■って、■■■■■■■■■■■しまいました。

しかしながら■■■■■■■■■■■■■■■■■■ったため、■■■■■■■■■■が、■■■■■■■■■ったのです。


 それをキシモサマに魅入られ、

あらゆるところで他人の子を食らったので、呼称としてキシモサマと呼ば

れておりました。

村人に怒りを鎮めることは出来ず、

何をしたところですべて■■■■■■■■■■■■■■■■■■しました。

なぜなら彼女は■■■■■■■■■■■■■■■■■であり、それこそ、村人が元気に幸せそうに結託していたためです。



 誰にも彼女を救うことが出来ませんでした。

彼女が他人の子を食らうことを止められませんでした。それはそれは長い年月。

彼女は泣き続けました。ずっと嘆いていました。彼女は悲しい声で泣いていました。

彼女の泣き声は子どもにはよく響き、

聞いた子どもたちは浚われてしまいます。

 村人は子どもが欲しいのだと考えて、毎年、子どもを山に捧げました。


しかし、彼女は■■■■■■■■■■■だったため、■■■■■■■■■■■なのですから。■■■■■■■■■■を、■■■■し、数年だけ怒りを鎮めること

にして、殺しました。




むかしむかし、

誰からも愛されず、誰からも認められない少女がおりました。


「泣いてるの? 何が、悲しいの?」


山に捨てられた彼女は、キシモサマに会いました。

キシモサマは泣くだけでしたが、すぐには彼女を食らいませんでした。

なぜなら、怒りを鎮めることに躍起になる村人と彼女は違い、なぜ悲しいのかを聞かれたのは何千年振りだったためです。


──そう。なんだ。私もね、誰もいないの。周りに、誰もいないのよ。


 彼女はあまりに淡々と自分のことを話しました。

怖がることもなく、臆することもなく。

彼女にはわかりました。

痛みが、苦しみが。自分のことのように。

キシモサマはずっと存在するだけでとても苦しんでいる。



──私にも、好きなものも、好かれることも、

なにも無いのよ。


 少女には好きなものも、好かれることも、幸せそうにすることもなにもありません。

村の貴重な男手として長男が優遇されるので彼女には期待されることもないので、

生れた意味がありません。

かといってこれからやりたいこともなく、

家は貧しく、ただ孤りで消えていくのみでした。



──なにかを好きな人が、妬ましいね。

なにかを期待し続けられる人は、憎いね。

生きてても、出来ないなら、どうして

私もあなたも、生れたのかな。

とても不公平だわ。

キシモサマは、ずっと頑張ってて、すごいね。



キシモサマは彼女に聞きました。


お前も捨てられた。

自分とは違うのだ。

お前にはまだ未来があり、幸せがあるかもしれない。かもしれない考えることが出来るだけで自分とは違う。妬ましい。


──うちで、期待されるのは長男だけよ。

長男以外は力を持つだけでも許されない。

私は山に来るまでに勉強をとっても頑張ったのよ。 

 けれど、父様が女が字を学ぶな、家事や裁縫をしろって言ってこうやって死ぬの。

やっぱり私はそれ以外に価値がなかった。

だけど、やっと良いことがあった。


 キシモサマは少女の話を珍しく、じっと聞きました。彼女がまだ村の女だった頃

もまた、彼女に価値はなかったのです。



──他人の子を食べても、

ずっと、また、なにかを好きな人が、結託してあなたを責める。

そのたびにあなたは苦しむわ。


 少女はキシモサマだけが、味方であると理解しました。

なにかを好きな人は、なにかを好きにすらなれなかった人をまるで人ですらないような目で見てしまう。


──私も、長男になれず、勉強も許されない、好きなものも、好きなこともなにもかも奪われた。きっと更に頑張っても痛い思いをするかもしれない。

私の持ち物も全部長男に渡るのでしょうね。




「あなたは、私を必要としてくれた」

少女は幸せそうに、そしてその幸せがキシモサマの為であると言いました。


──あなたは他人を幸せに出来る人。




キシモサマは、彼女の好きなものと引き換えに、彼女を食べずにずっと山で暮らしま

す。



 やがてキシモサマは愛情深い優しい神様として、村人たちに崇められました。


「まぁあ……44街にまだこんな古い本があったなんてね」


「昔話です。フェミニストの肩を持つわけではありませんが、この時代、女は価値が低く、長男は働き手として優遇されるも、

女は家事だけをさせ、恋愛というのも家庭の繁栄の道具でしかなく子どもが生まれても売りに出されて居ました。

──好きなものと引き換えに……つまり、キシモサマに与えられる幸せ以外と引き換えに。どのみち誰からも認められない、価値がない為に苦ではなかったのでしょう。幸せになって居ますし彼女は幸せになったとも言えますね」


「……スキダの、怪物化」


好きなものも、幸せになることもなにもかもが蹂躙されつくしているとしたら──


「──総合化学会には、

人間の幸福から人間を幸福にする、魔のものは恋愛による幸せで遠ざけられるとしか伝えられていません。

これも二人が出会ったことによる幸福を書いていたともとれます」


「そうとも、解釈出来ますが……」


眼鏡が苦々しい顔をする。

会長はあわてて笑顔に戻ると釘をさした。


「とにかく、このことはまだ外部には内密に!」















「いけないな。こんなにばらまいているのを誰かに撮られれば、迫害が事実でないと判断される可能性の方が低い。バレてしまうじゃないか」


 男? は抑揚のない声で呆れながら、部屋をぐるぐると一周する。部屋の中はあちこちが荒れており、足の踏み場がかろうじてあるような状態だった。

 コリゴリと椅子を大事そうに抱えて眠る彼女 を交互に見て、まずは彼女に声をかける。


「こっちはまだ元気そうだな。ハハッ、コリゴリがこんなんなってるのは、やっぱり、『奴』が現れたか……? 

って、聞いても寝てるか……ったく、相変わらず気味の悪い部屋だ」


 とにかく、と彼は改めてコリゴリを見る。それから懐に忍ばせた拳銃を取り出す。恐る恐る、さっき後を追って部屋に入り壁際に隠れているアサヒたちは、動くことも出来ないままそれを見守っていた。


「コリゴリが何を見たかは知らないが、此処でスキダを発動してもお前程度の器じゃ、このザマだ……ハッ、情けない」


 アサヒは、彼の声を体温が急に下がるかのような、生きた心地のしない気持ちで聞いていた。気付かれない内に退散した方が良いのかもしれない。


(お前程度の器? 何の話をしているんだ──?)


 そっと壁際から身を乗り出す。

コリゴリが倒れている。

ほとんど生気を感じない。腕や体のところどころが中途半端にねじまがり、人間と怪物が混ざるかのように奇妙に変形していた。スキダを発動して怪物になってしまった、ということを指すのだろうか。


「紙と、何か目覚めさせる対象、を見付けてしまったかな? コリゴリがお嬢ちゃんの趣味には、見えないが────いや、どうかな、案外……

『あいつら』が妬ましく思う程度の、仲睦まじさがあったのかもしれんな?」


 アサヒは何故だか、ビクッと肩を震わせた。


「となると、いやはやこの地域に『脳筋』を配置したのは失策だったか……

やつには孤独というものがまるでわかってないのに」


 ぶつぶつと呟きながら彼は提げている袋から更に何かを取り出す。油では無さそうだった。それをポケットにおさめてから、躊躇いなく拳銃をコリゴリだったものに向ける。


「証拠隠滅の手間を取らせやがって……ほうら、お前ら、『残念なエリート』だ!」


 額に穴が開いているので、多分一度撃たれている気がするが、彼は胸に銃弾を放った。振動、音。

ぱしゃ、と水溜まりのように血が跳ねる。


───にしても、お前ら?

 そういえばとアサヒたちが足もとの紙の周りをよく見ると、得たいのしれない人型の小さな何かがあちこち蠢いている。

それらの多くが残念なエリート、に向かって集まっていく。


「せっかくエリートになっても、好きなヤツからは愛されない。その上此処で怪物になったから余計に嫌われただろうコリゴリにお疲れ様でしたを送ろう!」


 男は急に、歌でも送りそうな朗らかさで言い、手についた血で近くにあるわずかな紙全体を使い何か図形を書き込む。

鳥居か家の屋根? 独特な何か建物のようなそれだった。


「『そいつ』を食ったら、『そこ』から家に帰るんだな! そうすれば今は見逃す」


 小さな何らか、は集まって来るがその男を攻撃することは何故か無かった。

コリゴリに向かっていくと、嬉しそうにむしゃむしゃと実に良く食い付き始め、そして少しずつ消えていく。

『そこ』に帰っているのかはわからないが……

 紙に書かれた大きな家が、少しだけ光っていたような気がした。




 アサヒと女の子は混乱していた。

こいつは誰で、なんなのだろう。


「椅子なんて大事そうに抱えちゃって……まぁまぁ……誰のことを想っている? 俺ではないのか?」


男はニヤニヤと彼女を観察する。


「気に入らないんだよなぁ」


椅子を彼女の手から引っ張ろうとするが、彼女も大事そうに抱えるだけあって、なかなか引き剥がせない。

しばらく揺さぶる後、椅子を引っこ抜いた彼はその場に椅子をたたきつけた。


「人間を愛せよ? 椅子は人間の代わりにはならんぞ」


 椅子が気に入らないのか、強めにけりを入れ、ゴミ箱に投げつける。椅子はゴミ箱には入りきらない為、跳ねて床に戻った。

「汚い椅子だな。血まみれじゃないか」



 隠れて見ていた女の子は小さく許せない、と呟く。アサヒも唖然としといた。

けれど物は物であり、人は人であるというのはときにこういった現実を突きつけてくる。


 椅子が無いまま倒れている少女は本当に疲れきっている様子でピクリとも動かない。

「あー、ムカつく。家族揃ってムカつくやつらだ」


 そのまま、彼女のいる場所を通りすぎてやや焦げ付いた部屋の方に歩いていく。そして机の引き出し、棚、クローゼットなどを次々開けて中を確認した。


「あやしいものは…………まあ、ないかっと」


 彼は安心したように窓際に向かう。そこには先ほどから待機するヘリが居た。


「よーく撮影しておいてくれ。これが彼女の部屋だ。残念だがどんなに燃え、荒れようと、撮影はやめないぞ? ふふふふ……

むしろ炎の中のお前にはとてもそそられたし、意欲がわいたんだよな、火事と少女──是非次に作る映画のネタにさせてもらう」 


 ヘリに言い聞かせると、それに強引に飛び乗ろうとして、何かにつまづく。

足元には神棚のような物が転がったままになっていた。


「痛い……こんなもの、片付けて置けよ!!」


彼は短気らしい。

その場ですぐに叫び散らした。


「──チッ、そんなに良いのか、孤独が!! 

そんなに俺はその器じゃないのか!? 神様なんて居ないんだよ!!

居るなら何故俺には救いをもたらさない!? 

 

その器じゃないから愛せないって!!こんなに俺も孤独を理解しているのに!!現に、お前らが恐れているスキダに成り変わることもないだろうが!!!


恋をして他人が怪物に乗っ取られる!? そんな馬鹿げた話があるか!?

お前の家族だって皆単に気が触れただけだろう! そうなんだよ!!」




 肩で息をしながら、彼はやっと落ち着くとヘリコプターを出来る限り窓際に近付けて飛び乗った。
















「ちょっと、言い過ぎじゃ無いですか?」


 男、が『部屋に』 戻ったタイミングでちょうど恋愛大好き会長、と彼が呼んでいる学会長が部屋を訪ねて来た。

火事だろうが中で誰か暴れようが、大事な書き物をしていようが、常に本部の観察は怠っていない。


「これから恋愛をする人たちが、あなたの言葉で傷付きます」


「だからどうした!」


男の決意は揺らぐことがなかった。


「ちょっと泣くだけで済むやつと、

これから先未来の無いやつの痛みが同じだとでも言うのか?」


会長には彼のことがわからない。

悪魔の家に入り浸り、悪態を吐き、油を撒いて帰る、頑固な鬼のようだった。


「ずっと──あの家の者が納めるまで、長い間多くの土地が食われた。孤独を馬鹿にし、孤独を否定し、多くの者が他者と生きる為に戦ってきた。

俺だって他者と生きる為に戦った!


だが『それとこれ』とは、話が違う。

優しい言葉なら傷付かないのか?

今お前の優しい言葉に、俺が否定されたと感じたが」


会長には、彼のことがわからない。

だから気分が悪くなってしまった。


「あなたって最低のドクズですよね」


男はしばらく反論を考えてみたが、やめた。


「コリゴリがアサヒを取り逃がした。

夜になるから引き上げたが……アサヒが『コクる』までにはどうにか捕らえねば! コクってからでは取り返しがつかない」


「単に、貴方は、他人が怖いのよ」


 会長は彼の考えを見下していた。

恋愛は何があっても絶対に否定してはならない神にも等しい、全能感に溢れ、祝福されるべきものだからだ。


「俺は優秀だ。他者など怖くはない。

だから寂しさもない。

だが、奴はそのような器ではなかったのだよ。だから、コリゴリはコクった、コクって頭が馬鹿になったんだ」


会長は頭を抱えていた。

ちょっと始末してきただけでまるで大事のようにいばる。他人を恐れて妄言を吐くだけの情けない人物。

学会員ではあるものの、恋愛大好き会長と彼の意見は、平行線のまま対立を続けているのだった。


「コクるだの、憑かれるだの、本当にそのようなことがあるわけがないでしょう?」


会長は資料室で見た昔話を思い出す。

44街に古くから伝承されたものらしいが、やはり恋愛の素晴らしさを語っているようにしか思えないのだ。


「二人が出会い、恋愛をして世界に平和が訪れた、それが昔からある話では?」


「ああ、資料室の本を読んだのか……」


彼はちょっとだけ落ち着きながら言う。


「最後だけ読むとそうともとれるな。

だが、どうしてあの家が、家族やきょうだいすら『中に入れない』と思う? 


スキダに妬まれコクられて死んでしまうからだ」


「そういえば貴方、あの家の母親をご存知なんですよね? 我々が観察している──」


 彼女は思い出す。

確かに、10年ほど前、悪魔と言い触らして、44街が直々に「悪魔の住む家に他者が近付かないように」とお触れを出した

そして今もなお、観察屋やハクナが徹底的に監視している状態だ。



「ああ──マドンナだよ。美人だったなぁ……今は各地を点々と飛び回りながら忙しくしているらしいが……元気かなぁ……イケメンを否定するのが楽しいのかと聞かれ『私も美少女って言われたことくらいありますから!』はなかなか痺れたよ……」



「はぁ……」


あきれた目をする会長。

こほん、と咳をして彼は仕切り直す。


「あの家の者がコクられずに済むのは、自己を否定し孤独を愛するから。ある種の悟りだよ」


「自己否定……」


 スキダが妬む、などという話は初めて聞いたことだった。

彼女悪魔が、物心ついたときには独りで暮らす理由。それがまさか、あのスキダに関わっているとは。



「ただの雑魚スライムですら、

彼女を愛そうと狂暴になってしまう。

または──スキダの『生きたかった』執念、呪いをそのままかぶり皮肉な道化を演じ、コクって、狂ってしまうんだ」


「はぁ、仮に、そうだとするなら、一体なぜ──孤独を愛するスキダが……」



「『お前が幸せになるくらいなら』自分が彼女を愛する方がまだ孤独がわかる、ということかもしれん。

奴は多分、幸せなまま、幸せになるやつが許せないんだ……」


「だから……コクって、身体を奪う……」


「その点俺は違う。家族は死んだし、常に独り身だ。生活はこの泥商売で安定している。愛されるより嫌われる方が多い」


「でも、本命に好かれないんですね」


会長が吹き出す。

「やかましい!」と男は怒鳴った。


「例え彼女や、お嬢さんに嫌われようと今後もハクナの指揮は続けていく」














 誰かに呼ばれたような気がして、ぼーっとしたまま目を覚ます。視界いっぱいに、アサヒとあの子が映った。

身体中が痛くて動かせない。


「痛い……」


椅子さんが見当たらない。

椅子さん……あの男が投げ飛ばした。

はやく、無事を確かめなくちゃ。

はやく、会いたいな。

頬に雫が伝う。


「大丈夫か!?」

アサヒが慌てたように私を覗き込んだ。

「痛い……痛い」

痛い。

口にして、やっぱり痛いと思った。

「待ってろ、病院に……」

アサヒが何か言うが、よく聞こえない。苦痛で苦笑いのような半泣きのような顔しか出来ない。

「痛いよ……痛い……他人が、他人を想う気持ちが、痛い……痛いよ……」

 女の子がしゃがんでじっとこちらを見ていた。無事で良かった。

「病院にいく?」

近くで聞き取りやすく言われて首を横にふる。

「そんなに深くないから……大丈夫。私、傷なおるの早いんだよ」


 身体を起こそうとして、全身に激痛が走った。二人の優しい顔を見ていたと同時に、スッと何かが入り込むような、何かが目覚めるような、不思議な感覚で、発狂した。


「私、悪魔なんだよ!! 悪魔に優しくしないで! 私に近付くな!! 許さない、許さない、許さない、許さない、お願い……私、」


 私が何を言っているのかはわからないけど、だけど私はさっきまでの痛みが嘘みたいに強引に身体を起こしていた。


「ああああああああ────

ああああああああああ───────


独りにして、独りにして独りにして独りに……


「どうしたんだ?」


アサヒが驚いている。女の子はじっとこちらを見ている。

私にも、わからない。

だけど、わかる気がする。


「お……お願い……私……私」


私の目の前に、女の子が立っている。あの瓦礫の下に居た子ではなくて、もう少し、中学生くらいの子だ。顔だけが、ぼやけたままわからない。

背中に羽が生えている。


「ああぁああぁああぁああぁああぁああぁ……」


私がうめくと同時に、女の子は胸を抑えて泣き出した。

透けた体は、私と重なっているかのように見える。


「────ああぁああぁ」



 出来るだけ意識を保とうと思いながら、一歩前に踏み出す。

その子に触れたら何か変わるのだろうか?

知らない子だという気がしない。

でも、わからない。


「お願い……独りに……独りに」


 その子が私の手を引いて走り出す。

私はいつの間にか近くに転がった皿を手にしていた。


「アハハハハハ!!!」


アサヒたちはびっくりしている。私は繰り返した。


「お願い、よくわからないけど、独りになりたいみたいなの」


私が言うが、アサヒたちは「何を言っているのかわからない」という顔をしている。


「ほら、そこに居るじゃない、女の子が……驚いている……こっちに来ないでって、怖がってる」


「え?」


 もう一人の女の子がきょとんとこちらを見た。もしかしたらアサヒたちにはわからないのだろうか?


皿が放られる。


「アッハハハハハ!!!! みんな死ねみんな死ねみんな死ねみんな死ね みんな死ねみんな死ねみんな死ねみんな死ね みんな死ねみんな死ねみんな死ねみんな死ね!!!」


「他人を想う気持ちが痛い。痛い! 痛い……! あれに触れると」

「「殺したくなる」」



自分が喋っているのか、あのこが喋っているのかどちらだろう。私はニタリと笑って、再び皿を持ち上げ、床に叩きつける。


「出ていけ!!!」


女の子が叫ぶ。


「出ていけ!!!」


なんて悲しい声をしているのだろう。私は、彼女を憎むことが出来なかった。

部屋のガラスが割れ、飛び散る。


アサヒの顔に、破片が跳ねる。


それを労りもせず、「私」は叫ぶ。


憎しみを込めて。



「出ていけー!!!!」




 アサヒたちが慌てたように部屋から出ていくと、私の身体は再び床に崩れ落ちた。安心したように、安らいだ気持ちになる。羽根の生えた女の子が泣き叫ぶ。

「もう、行ったみたいだよ」


割れた破片を広い集めながら、私は微笑んだ。


「────?」


不思議そうに彼女は私を見る。


「ぁ……ew、ぉ、をえ、ぁqあ?」

何かぼそぼそと喋って、彼女は部屋の隅、やや焦げ付き荒れたままになっている部屋に向かっていく。


「……あなたは、だあれ?」


「う……q3ぇ、らに、っ」


「怖かったんだね、なんかごめんなさい」


「て、t……、と、e…a…awみら、」


言語はよくわからないながら、なんとなく、嫌いにはなれないと思った。


「……えっと……部屋の、お片付けしなきゃならないからちょっとうるさくするよ?」


「うあうあう……」


「ん?」


「…x…eawにぬ」


とりあえず、キムでは無さそうだけど……なんだろう。うーん。

 そういえばアサヒたちを追い出してしまったが、まあ仕方がないか。

その子が歩いて行った先には、昔親が付けていった祭壇……倒れているそれがあった。

それを悲しそうに、ぼんやりと見ている。


「あー……倒れてる……あのときに誰かが倒したんだな、まったく」


 手で起こす。

腕がちょっと痛む。


「ものは大事にしないとね」


部屋は荒れちゃったけど、椅子さんも、探さなきゃ。


「私、昔から理屈じゃなく、他人から好かれてもうまくいかないんだよね……あなたもそうなの?」


「ありがとう」


「いいよぉ、別に……」


え? と目の前の彼女を見ると、再びありがとうを繰り返した。言葉が、通じてる!


「あなたのこと、知らないけど、私も誰かが誰かに優しくしてるのを見ると、なんだか苦しくなるから、アサヒたちは気の毒だけどちょっとスッとした……変なの」


「私、嫌い?」


「ううん」


「……」


 他人の心が、自分に入って来るみたいで目を合わせるのも会話するのも全部が嫌になることがあるけれど、それは恋と同じで、理屈ではないのだ。


「誰にだって、怖いものはあるよ。理屈じゃない」


「……」


「人が人と居るの、嫌な気持ち恋人たちは死ねばいい」


淡々と話すその子にそっと近付く。何だか元気がわいてくる気がする。出来ることがあれば良いのになと思った。


「でも私、あなたと話すの、なんだか楽しいよ」


「…………」



「あれ?」


気付くとその子の姿はなく、何処かに消えていた。

ピンポン、と呼び鈴が鳴る。


「あの、入ってよろしいでしょうか?」


またアサヒだった。


「何か?」


「入るぞ」


 有無を言わせない態度でドアを開けられる。鍵はさっきあの男が開けたままだった。


「──良かった、これ、あったな」

テーブルまで歩き、薬のケースを手にしたアサヒが言うと同時にまたドアが開く。

「失礼します」

女の子がぺこっと頭を下げて入ってきた。


「と、いうのは半分本気で半分きっかけだ」


すまなかった、と頭を下げられる。

「アサヒ?」


「俺のせいだ……さっき何があったかは知らないが、こんな戦いになったのは俺の居場所を察知してやつが来たからだ! こんなことになってしまって」


「私が……さっき言ったことを覚えてる?」


「女の子がどうとか……」


「さっき居たんだよ。本当に居たんだよ」


「そうか、今日は疲れてるだろうからもう休んで──」


「あの子もきっと、好かれて怖かったから、殺さなきゃって、思ったんだよ。殺さなきゃ、殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃって」


「……」


「誰かに好かれるたびに

『殺さなきゃいけない』と思わなきゃいけない人が居る。


 殺さなきゃいけないと思わなくて良い友達に──なれるかな、私がなれたらいいのに

好かれなくても、友達は友達で、ずっと、重くならなければいいのに」




















「どうやって可愛がってあげましょう?」

 あぁ……可愛い私の柴犬ちゃん。

彼女はひきつったように笑い、私を見下ろす。





 他人を好きになる才能に恵まれなかった。

他人を好きになる才能は努力や理屈じゃ身に付かない特別な能力だ。他人を好きになる才能に恵まれない子どもたちには、当然現実に居場所などなく──

生まれたときから敗北が決まって居た。

生まれたときから愛想笑いをし、適当に空気に馴染むふりをしてこそこそと生きねばならないことが決まって居た。


他人を好きになる才能がある、特別な人間になれない。



 そんな私に声をかけてきたのが、同じクラスの教室で後ろの席の彼女だ。


「ねぇ、面白いもの見つけたんだけど、あなたもやらない?」

 彼女はいわゆるサイコパスで良心など感じない。

趣味は生き物の虐待。

前は猫、今度は犬を縛り上げて、小屋に監禁したらしい。


「服新品だし、血で汚れるからいいや」


私は笑った。

 彼女の良心など全く無い、というところが私のお気に入りだった。恋とかそういうのではなくて優しさなどまるで期待出来ないところが、優しくされる屈辱、他人と仲良くしてへらへらすることを義務づけられる痛みから切り離してくれる。


「じゃあ、見ていく?」


 彼女は、今可愛がっている柴犬を、領地の倉庫にいるそれを見ていくか聞く。

その、微塵もない良心からの、薄っぺらいノリの優しさは、周りの仲良しこよしな空気で荒んだ心の慰めだった。


「うーん……ちょっとだけ」


 他人を好きになれないなら、他人を痛め付けても良いわけじゃないことくらいは私にもわかっている。

 けれど私には人間を好きになるのは才能だが、柴犬を可愛がりましょうは才能ではなくて──もっと、常識、愛護法、そういう、自分のなかからは切り離された決まりごとでしかない。


 決まりごとという、セーフティを持った、好きになるごっこ。

これならば、私たちにも、抵抗なくわかる。人間どうしのコミュニケーション、で常識を問いただされ、才能を見下されて

「あなたは良心などない、あなたは他人を好きになる才能が人間のくせに欠如している」なんて聞かされて心がズタズタになることもない。


 学校では性教育しか行われないけど、恋愛という電気信号の誕生を、間近で擬似的に体感出来るのだ。

これは強制的な恋愛に賛成する空気が年々増している中で、救いのような画期的な実験、革命的な遊び。

私たちだって人間だ。

私たちに他人を好きになる能力がなくたって私たちは人間だ。


他人を好きになれないくらいで、なぜ見下されなくちゃならないんだ。

 理不尽だった。



才能がある人が世界を牛耳るなら、私たちの居場所は何処にある?


そんなに偉いか?

他人を好きになれれば、そんなに偉いのか?



 『好きになるごっこ』の延長が犬を虐待することなら、それも恋なのかもしれない。

──いわば、恋を、してみたのだ。


人間に、なってみたのだ。



倉庫の犬を縛り上げ、恋をしてみる。

友達がする恋を、私はわかってあげる。

なんて、普通の青春みたいなんだろう。

 寂しいが、埋まっていく。


どこにもない居場所。強制される感情。誰にも向かない感情。

全部のやり場が、そこにある。

見つけられたらきっと私も彼女も、輪の一員になれる日が来るかもしれない。

だからこそ、彼女を止められない。

私も、止められない。


だって、恋愛は特別な才能なんだ。

見下したような恋愛漫画とか、自尊心を問われるだとか、誰かが付き合うかを聞かされ続けるとか、性格が悪いのではと否定や心配されるだとか。

 そんななかで特別な才能の無いものが何を出来るだろう?


冷たい、ひどい、それしか言わないんだ。

優しい、暖かい、そんなもの、どこにも無い幻想なのに。



「でもあまりひどくしたら、柴犬が死んじゃうんじゃないの?」


 ゴミ箱に投げ捨てられた靴を拾い、教室で体操服に着替えながら私は聞いた。

彼女は背中まである金髪の髪をぐしぐしとかきみだし、そしてひとつに結びながら、平気だよと、冷たい声で言う。


「意外とあいつら、頑丈なのよね、叩いてるのに、どこか愛情を待ってるような顔するの、ウケるのよ」


 彼女は本当に満足そうに笑う。

切れ長の目が細められ、宝石みたいに鋭く輝いた。


「愛情ってなんなのかね? そんなに電気信号が欲しいなら、向精神薬でも餌に混ぜてあげようかしら? きっと笑顔になる……」

彼女はしあわせそうに言う。嘘や冗談には見えない。なのにちょっと寂しそうな声。

はぁ、と彼女がため息をつく。

「恋って切ないのね」


 なんて言うけど、きっと本気で思って居ることを、冷たい、と頭ごなしに否定されたことがあるのだろう。


愛情や恋が信号から結び付く刺激を体に統合したシステムならば、別に彼女の言葉が冷たい、ということもないけれど、世間一般的に見ると「見えもしない感覚」だとか「熱に浮かされた曖昧ではっきりしない高揚感」だとかを、ことさら特別なもののように語り、暖かい、しあわせだと言って集団で持ち上げる姿勢が根強くある。


「混ぜてみたら? でも、人間用のって、犬には合うのかわからないよ」


「そうよねぇ……お医者さんに聞いてみた方が良いのかしら、犬用のがあるかもしれないし」


 みんなが更衣室で着替える中、本当はいけない、教室で体操服を着てるのは私たちだけ。普段みんながいる教室。

二人しかいない教室。


 私たちに『先生』はおらず、私たちはちょっとだけグレたふりをしながら、自主性を育む。ゴミ箱に投げ捨てられたジャージのほこりを払い、着ながら「完了だよ」と私は言う。

先に着替えていた彼女は嬉しそうに首肯く。


「まさか、ラストが体育なんてね」


「ねぇー、体育、運動部しか得しない」


・・・・・・・・・・・・・・・




 はっと目を覚ましたとき、私は会長室

の扉の前に居た。

「失礼しまーす……万本屋マモトヤ・北香キタカです」

 ちょっと前にばっさりショートカットにした髪がまだ体に馴染まずちょっと寒い。手でさりげなく撫で付けながら、ドアの向こうの応答を待つ。

 早朝だ。まだ部屋で寝ているかもしれないし、此処に来ているかはわからないけれど────


「まぁあ、ハクナの……」


入りなさい、と中から会長の声がして、私は中に向かった。





「それで?」


「雑魚スキダを粉にした薬物を新たに学生から押収しました。

我々の、人類恋愛拡大のため、あちこちにある観察屋のヘリがまいているものと、成分が一致しています。

 しかしなぜこんな濃いものが学生個人から……」


 スキダを粉にするものを吸うと快楽が得られる。何処かから漏れたその情報は、今ひっそりと44街の若者の間で流行っていた。他人を好きになれない劣等感から吸うものもいれば、他人を好きになり過ぎるために神経が過敏になりすぎ、それを落ち着かせる為に吸うものも居る。

会長はふふふと低く唸るように笑う。


「学生時代の恋愛は、買ってでもしたいという人が居るものよ」


「会長──」


会長が苦手だ。この優しい目。

何を考えているかわからない、ねばねばした、ねちっこい目。

ピアスを開けた耳が意味もなくむずむずした。



──スキダを安く手にいれる為の国の暗部。

44街の風俗営業。普段の私はそこでイケナイコトをして、スキダを稼いでいる。


 風俗営業でおじさんたちから手にはいるスキダは普通のスキダとはちがい、中身の無い、外側だけのようなクリスタル。

 だけど、快楽成分が含まれている。誰がつけたのか、普通のスキダが宝石で、こっちはガラスと呼ばれていた。

このスキダは中身がスカスカだから普通に所持するぶんには怪物になりもしない。


「やめろー! 離せーっ!!!」

私が紐をつけて連れてきた女子高生が、後ろでじたばた暴れた。忘れてた。

 つけまがバサバサで、ウエーブのかかったツインテールが小顔を強調し、制服の胸ポケットにやたらとお洒落な形のコンコルドが刺さって重そうになっている。なんだか懐かしいスタイルだ。


「このっ変態男! オカマ!! 女装!!」


「……この犬、どうします」


「おい」


会長はドスのきいた声を出して彼女を睨む。


「粉を何処で手に入れた? 顧客に観察屋が居たの?」


「大変です!」


会長室に、いきなり男性が割り込んできた。普段はハクナの雑用なんかをしている一般寄りのおじいさんだ。

会長が不思議そうにそちらを見やる。


「まあぁ! なんです、騒々しい」


「異常性癖の持ち主を調べていた会員から報告、44街付近で恋愛潰しが出たとのことで!」


「恋愛潰し?」


「観察屋が用いている薬の強いものを撒き一気に雑魚スキダを回収し、それを一気に潰して回っていると」


そちらにみんなが気を取られるうちに、女子高生はポケットから出した丈夫そうなナイフで紐を叩き切る。


「やっばもう来たんだ!」


 あっと気が付いたときには、会長室のガラスが割られていた。

ベランダに飛びうつる女子高生。



「じゃあね! これからも他人に粘着して楽しく生きな!」




2020.12/14PM1:38














椅子さんは、近くにあるごみ箱から発見された。

血塗れで、足をもがれた状態で。



 ショックでその場に座り込みたくなる。まるで、取り残されたような絶望が私に襲い掛かった。

「……ぁ───」

叫びたいのに、うまく声が出てこない。

飛び付くように駆け寄って、一心不乱に足を探す。アサヒや女の子も一緒になって探してくれた。


「……これじゃないか?」


アサヒがやがて、倒れた棚の後ろから足を一本。

「見付けたよ」

女の子がテーブルの下から足を二本。

「あ、これだ……」

私がごみ箱の中から一本見つけた。

椅子さんは固定するためのネジ式ではないので、組み直せば完成のはずだ。

なのだけど────

どれも確かに同じ材質の同じ長さのはずなのにどうやってもいい具合にはくっつかない。


「あ……あれ? あれ?」

なんなの、この椅子。いやそもそもが謎だったんだ。椅子さんはいきなり空から降って来るし、喋るし────戦うし、羽が生えるしさ。

 考えていると、短い時間にも沢山の思い出があって、涙がこぼれてくる。

椅子さんは目を閉じたままだ。


「──椅子さん……椅子さあぁん!」


 せっかく椅子さんと知り合えたのに。

せっかく、さっきまで、一緒に居たのに。

「椅子さん、起きてよ! うわああん!」


 泣き崩れる私の側で椅子さんは冷たくなっている。なんでこうなっちゃうんだろう。確かに椅子さんは、椅子だけど、それでも──それでも生きている。


《緊急警報が───発令されました───! 44街の皆さんは、ご自身の好きな対象者から──離れないようにしてください》


「え……」


思わず涙が引っ込む。アサヒはなんだなんだと驚き、端末で検索する。

女の子も目を丸くした。


「『恋愛潰しだ』! 近くまで来てる」

アサヒが突然よくわからない単語を叫んだ。


「な、何それ……」


「要はスキダ狩りだよ。恋愛至上主義団体が目の敵にしている」


「そうなんだ」


《緊急警報が───発令されました───! 44街の皆さんは、ご自身の好きな対象者から──離れないようにしてください──》


「やっぱり好きな対象者から離れていたら、狙われやすいのかな」


「かもな」


「でも、スキダを狩ってどうするの?」


「さぁ?」 


《───皆の者! よく聞け! 我等は他者を好きになる感覚がわからない! 

これまでの頭領たちは皆

人類に等しくそれがあるという幻想を広めた!! 》


「ジャックされたね」


女の子が言う。


「あーあ」

私は呆然とする。それになにより椅子さんを思うとまた胸が痛んだ。

(うん。私、椅子さんから、離れないよ)例え足がなくなっても例え会話がなくなっても。同じ時間を生きた仲じゃない。


《他者を好きになるために、いったいどれだけの才能が必要なのか! どれだけ、それが無いものたちを邪険に扱って来たのか!》


キーンと高いハウリングのあと、別の人物の声が響いた。


《ぐだぐだうるせえな! こんなまだるっこしい街宣はそこそこに、さっさとやりましょう!》


ついには44街中に、ズンズンドコドコと楽しげなダンスナンバーがかかりはじめる。

続く阿鼻叫喚。

外で何が起きているんだ……


「っていうか本当に近くない!?」


これは驚いた。何故なら私の家は、孤立するようにぽつんと坂に立っている。

ビルに遮られ影にすらなってしまう目立たなさなのに、声がやたらと近くに聞こえるだなんて。


「ちわーっす!」


がらがらー、と窓が開く。

ベランダから二つ結びの少女が部屋に降り立った。

「まだ此処、回ってなかったなーってんで!」


「……!?」


えっ。誰?


「リア充撲滅☆」


どこかから取り出した平たい形のサングラスを目につけると彼女は私、とアサヒをじろじろ見比べた。


「あれ? おっかーしーなー リア充の気配に近いんだけど……リア充表示出ないし」


私がぽかんとしていると、彼女と目が合う。やがて彼女の目は私の膝の上にあるぼろぼろになった椅子さんに向いた。


「うわちゃー……なにそれ、うわうわうわ……うわー、椅子マジでぼろぼろじゃん、可哀想……ちょっとこの椅子メンテしないと」


「な、なんなのよぉ……貴方」


 椅子さんの側まで来ると、じろじろとパーツを眺め始めた。


「わー、この椅子面白いナリしてるね。初めて見た」


「私、椅子さんと付き合うの! 人間のリア充なんて知らない! 帰って!」


椅子さんにベタベタ触れているのがなんだか悲しくてむきになる。彼女は後頭部に手を当てながらちょっと待ちなってと言う。

「私、カグヤ。家が家具屋だったんだ」









 真っ暗な道を、椅子さんを抱えて外を歩く。女の子とアサヒ、そして私の先頭にカグヤが居る。

こんなに他人に囲まれたのは、いつ以来だろう?

胸が痛んだけれど、今更な気もする。

悪魔が、こんなことで良いのだろうか。


「へぇー、大変だね。それで戦うことになったんだ」


「そう。せっかく、代々人を遠ざけていたのに……あのとき、生まれて初めて沢山の人を見たの。避けていたくせに、感情を向けないようにしてきたくせに、都合よく感情を向けてきた。

初めて、向けてきた。

 私『この役目の』為にずっと、家を一人で守るって、覚悟して、ちゃんとやっていたのに、役目も私も無視されてた。

役目が守られているなら私に話しかけたりしないはずだったのに」


「そっか。その役目が、何よりも大事なんだ」


「うん、嫌われるよりもずっとずっと尊い」

それが守れるなら私が嫌われたって叩かれたって痛くない。

痛くても、全然痛くない、ずっとずっと、役目があれば幸せだった。

自己評価が低いとかいう話ではない。

嫌われることを選ぶ代わりに、孤独を勝ち取って居たのに、それすら侵害されたことがひたすらに悲しい。

 孤独の中で安心することを許さず、輪に入ることも許さない、これでは、役目を果たせば済む話ではない。

話が全然違うじゃないか。


 役目を無視したことは、私を嫌うよりも私には重罪なのだ。遠ざけさえすれば済むものを、それらを同時に行った。



「ずっと、誰にも触れさせないで、守り通すんだって──うちは、そうやって続いて来た家なんだ。


悪魔だから、周りから遠ざかって

。44街からお触れだって出てたくらいに、厳重に私に、誰も触れさせないようにしてきた。家族だって追い払うくらいに慎重になってきた」



 さすがにデモが収まっている深夜。

カグヤにこれまでのことを話しながら、私たちは外に向かっている。

カグヤの家には、椅子さんの病院があるらしい。

 家に、キムが集まってきたのは、観察屋が直接私に触れたのと同じくらいの時期。家が、まさか、あんなに荒れるなんて思ってもみなかったけど……

観察され続けているくらいだ。

いつかは起きたことかもしれない。


 こうなったら私以外を家に入れておいていいかわからない。とにかくみんな出てほしいというと、カグヤが寄って行かないかと声をかけてきた。そのまま道中で椅子さんを何に使ったか聞かれて、敵を倒していたという話になった。



「子どもを入れた呪具は母親を求める。

大人を入れた呪具は、子どもを求める。

不幸を入れた呪具は、幸福を求める。

好きを奪われた呪具は、好きを求める。避けるものが、決まっている。

 強く、強く、呪うために、恨むものは、指定されてる」


 だから私はただ、真っ直ぐ、誰からも好かれず、誰から嫌われたって、嫌われる役を全うすれば良かったし、それで済む話だった。私は悪魔で居れば良かった。ずっと町ぐるみで他人を避けてきているのに、いきなり歓迎するという陽キャな考えは通用しない。


「だからね、私も、他人を好きになる人を恨んでいる。

私をそこに、あなたの感情に巻き込まないでって、私、は痛みや寂しさよりも守りたいものがあったから。

なのにその、捨ててきた感情で、もっと大事なもっと守りたかったものを、壊そうとした」


失くしたけれど、確かにあったものだ。

キムがまた起きてしまったけれど──


「変な話だな」


口を挟んだのはアサヒだった。


「ずっと裏でこそこそ観察しておいて、孤独かどうかなんて前提」


「ううん、たぶん、私がキムを眠らせていられるための暗示だから関係ないの。

 此処に人間の家族を入れない、人間の恋人も入れない、私との繋がりを作らない、入れないことで私しか認識しない、私しか認識しなければ、キムは起きて来なかったのに」


アサヒたちは、うっすらと戦いのことは把握していたようだが私から改めて話を聞くのはまた違う新鮮さがあるようで、 さっきから、ほとんど静かに聞き入っていたがカグヤに話終えたあたりで緊張がとけてきたように会話に加わった。

「観察屋がそこまで理解しているとは思えないな。ハクナだってそうだ」


 アサヒの意見では、役目も私も無視して観察しているくらいだから、何か別の私的な理由があるのではないかという。


「攻撃だって、独断的過ぎる──強制恋愛条例に観察義務はないはずだが。

それに誰も近寄らないようにしてる家ってなら、さっき居たコリゴリとは別の、あの男は、なんなんだ?」


「え?」


「がたいのいいおっさんだったが……何か、家に居た小さい怪物みたいなのをまとめて消してから帰って行った」


「あぁ────来ていたんだ」


 椅子さんを胸に引き寄せながら、ごちゃごちゃしている感情を隠すように笑う。


「たぶんあの人だろうけど、わからない。私には、何にもわからない。

親が本当に親なのかも知らないからな」


 生れたばかりの小さい頃だけは、うっすらと家族が居たような記憶がある。

知らない人が常に家を出入りして、私以外が知らない人の話をして盛り上がる。

私は周りが知らない人の話をして盛り上がる中で初めての孤独を経験する。

彼らと私との別れが、その時点で既にわかっていたからかもしれない。

独り暮らしを始めても、全く寂しくなかった。





「全然会話に入れなくって」


「あれでしょ、屋号とかお客さんとか、

昔の知り合い何でも話題にするから、子どもは入れないやつじゃん」


「そうそう」


「うちも、活動家の話や、政治家の話をするから、ママが何を言ってるか全然わかんないままだった」


女の子が頷いて会話に加わった。


「家具屋さん家、昔からの家具屋さんだから、うちきょーだいいっぱい居るくせに、末には何の話もしてなくってさ、

宇宙人と同居状態。もう家とか全然わかんない。完全アウェイだわー、家庭内孤立。食事する場所、みたいな? もうコミュニケーションは諦めました」


「どこも、そんなもんなんだ……」


 少し視野が開けたような気がした。

屋号とか、昔からの付き合い、親同士の家の話、何を言っているかは全く伝わらないそれらをBGMに、ただ養育の感覚がそこにある、不思議な空間。


「長男長女と親は連帯感あるけど、

その他はこいつら何言ってんだ?

状態で育つから、どっか違う~ってことで、うちも、あまりアットホームでは無いわけだけどまあ気にすんな!」




 しばらく坂を上り、言われた道を曲がり、奥へ奥へ歩いていくと、大きな一軒家に到着した。すぐ裏側に店が隣接しているらしい。

 ガラガラ、と引き戸を開けて「ただいまー」とカグヤが叫ぶが、中からは反応がない。

あちこちから木のにおいがする。電気をつけながら、カグヤはあがってあがってとこちらをせかした。

「たーだーいーまー!」

のっそりと、小さな目を瞬かせる白髪のお爺さんが出てきて、彼女に話しかける。

「あら、お客さん、あのヤスダンとこはこの前うちと騒ぎになったから、」


「おじーちゃん、何いってるかわかんないよっ! 友達友達! ごめんねぇ!」


カグヤは明るく謝りながら、さ、靴をぬいでと気にかける。


「おい、あのときは自転車がなぁ本当に大変だったんだぞ。またカワノたちと来てるかもしれん、ちゃんと身元は」


「おじーちゃん……!」


お邪魔して良いのだろうかと焦りながら一応中に上がる。横ではカグヤがおじーちゃん、さんに必死に何か説得していた。

「誰彼構わずそういうのやめてよー」

「ミチ、忘れたのか? エダマメの逆襲を、ナカハラの途中にあるあの坂の」

「私、カグヤだよ! ミチとなんの話してんの? それ何語? 大丈夫?」

「敵を見たら打つんだ、ミチ!」

「おじーちゃあん!」





 案内された通りに玄関から角を曲がると、台所になっていた。組み木の床がお洒落なダイニングだ。


「帰ってきたか」


 部屋から油が跳ねる音とこんがりと何かが揚がる音がする。

菜箸を手にした白髪のおばあさんが糸のような目を細めてカグヤに声をかける。


「おや、お客様まで。よく来たね」


「ただいまおばあちゃん」


「みゃん……今コロッケを作ってるんだ、もうすぐ終わるから」


みゃんというのは方言のようなもので、地域のお年寄りがよく発することがあった。深い意味はないが、相づちのようなものらしい。


「はーい、手を洗ってくるね!」



 テーブルにはクッキングシートを敷かれた大皿に、エビフライ、唐揚げ、ポテト、そしてコロッケが沢山並んでいる。美味しそうだ。そう言えば夕飯はまだだった。アサヒたちも感じていたらしく、

並んでいる料理に目を輝かせた。


「食べてくでしょ?」

 カグヤがドヤ顔で三人に聞いてくるので私たち三人はあわてて頷く。

 そして夕飯完成までまだ早いので、一旦二階に行きカグヤの部屋で待機することとなった。

 カグヤがドアを開けた先の部屋は、ベッドとクローゼットと机のあるシンプルな個室だ。

「入ってー」

と中に通され、壁際に立て掛けてある折り畳み式のテーブルを部屋の真ん中に置き──それをみんなが囲むと改めての本題だった。


「みゃん、改めて紹介する。私はカグヤ。恋愛至上主義に反対してるんだ」


「理由、聞いていい?」

私が言うと、もちろん、とカグヤは笑った。

「うちの父、すごいチャラ男でさ、

スキダを乱発する機械みたいになってて治らない。それが原因で、何回か家庭崩壊しかけてる。

浮気のたびに母が取り乱すのが怖くて、父に張り付くように観察するうちに、いつしかスキダが生まれる瞬間がわかるようになっていた。家庭を破壊する「病気」が許せなかった。私の平和を脅かす

病気。

学校に行ってもみんな好きな人の話をする。仲の良い両親だとか、浮気がない家庭とか、そんな話をする。

恋愛のせいでクラスに馴染めない。

恋愛のせいで、私は孤立した。

恋愛のせいで、嫌なことが沢山あった。



 何回か44街では恋愛に反対した近所の家の焼き討ちがあった。

私と唯一気が合ったクラスメートの家が、父の浮気に絡まれたこともある。

許せなかった。

全部、許せなかった」


 恋愛がいけないんだ、誰かに執着してしまうこの病気がいけないんだって気付いた。

純粋にぬくぬくと一途な恋愛をする他人からの好意も壊して恋愛至上主義が作るこの戦争も、爆撃も全部を壊してやりたい、

台無しにしてやりたい。




「恋愛を破壊して、私は今度こそ平穏を手にいれる。そう思うようになった。

 スキダが生まれる瞬間に、まだ雑魚なうちに破壊しちゃえば良い。他人のも全部、全部、私たちが撲滅して、早いうちに処分しちゃえばいい。私はもう、恋愛による犠牲者を出したくない」


「カグヤ……」


カグヤは優しく、そして強い志を持って恋愛に反対している。


「なんか、感動しちゃった」


私はつられて涙ぐんだ。

理由は違えど、彼女もまた、恋愛という病気の制御できない狂気に脅かされ、生活を壊され、毎日のように他人のスキダに怯えてきたんだ。

 あれを、市が推奨していること、恋愛の強制反対が表に出ないようになっていることは異常事態だ。

恋は病気。病気を広めて利益が出る存在があるわけだ。

女の子も目を潤ませ、小さく拍手していた。彼女も恋愛の犠牲者だ。


「あなたたちなら大丈夫そうだし、今度また、友だちも紹介するね☆」


アサヒは、一人、なんだか渋い顔をしている。

「どうかした?」


私が聞くと、アサヒは辺りを見渡しながら聞いた。


「……この家、なぜ、その……」


アサヒは、ちらりと女の子の方を見る。

それから私を見た。


「恋愛に反対してて、焼き討ちに合わないか?」


カグヤが聞き返す。






「実は私の家、ハクナの構成員なんだ。だからだと思う」


 カグヤが言った言葉に空気が一瞬凍りつく。アサヒだけは、なにか察していたように頷いた。


「そうか」

カグヤは慌てたように手を振る。

「あ、私は、そんなに関係ないんだよ? お父さんとかがね? ちょっと特殊というか……恋愛を推進してるというか」


カグヤにとってあまり愉快な話ではないのだろう。それに、カグヤの家は私たちが戦っている相手、圧力をかける側を背後に持っているから気を遣っているらしい。


「でも、だからこそ尚更、私の居場所が無いみたいで嫌……だから」


 だんだん声が小さくなっていくカグヤに代わるようにアサヒが言った。


「実は俺は、観察屋をしていた。代金をもらってあちこちから対象を観察していたが、クビになった。お前の友人たちももしかしたら、俺らの仲間が密告したからかもしれない」


「……へぇ」


今度はカグヤの表情がひきつる。


「お互いに、いろいろあるもんだね」


 アサヒがカグヤの友人の家に関わったかはわからない。それでも少し複雑な思いはあるはずだ。私もそう。横でじっとしている女の子もそれぞれ思うことがあるだろう。けれど、すべてをいちどに吐き出してどうなるわけでもない。

  ちょうどそのときカグヤの祖父からこっちに来て手伝ってと号令がかかり、アサヒが重いもの(家具?)を運ぶのを手伝いに降りて行った。


 その背中を見つめながら女の子はしばらく考えこんでいたけれど、カグヤに口を開く。


「私のママは、強制恋愛に反対してるの……だからハクナにとっても邪魔者かもしれない」


カグヤは彼女の手を握り、そんなのは私たちには関係ないと言った。

「でも、そっか、私たちみんな、秘密があるんだね」

少し悲しそうにカグヤが言うと、みんな、はそうだねと口々に言い頷いた。


「そういえばカグヤ、椅子さんは──」


「あぁ、まずは汚れをきれいにしなくちゃいけないから。まだかかるけど、大丈夫、きっとよくなるよ」

ホッと胸を撫で下ろす。

女の子が机の横でなにかパンフレットを見つけた。


「『あなたは運命を信じますか?』」


仲良く手を繋ぐカップルたちの写真が並ぶ表紙に大きく地球が描かれている。

カグヤは苦笑いしながらそれは親からもらったと言った。


「恋愛総合化学会たちは、今『運命のつがい』をテーマに運命を探してるみたい。運命のつがい、運命の人、いると思う?」


「運命は決まっているものじゃなくて、出会うものだと思う。

相手が生れたときから決まっているなんて、予言で恋をするなんてありえない」


心が運命にプログラムされてたから好きにならないといけないってあんまりだ。

最初から自由なんかなかったって、人生の全部がお芝居を演じていただけというようなものだ。それも、好き嫌いという固人を決める大事な部分さえ選ばせてもらえないことになる。

それをいくら美化しても、美しくないように感じた。


「運命とかそんなのじゃなく、ちゃんと自力で学習するべきじゃないかな」



私は強く否定した。運命だかなんだかというわからない予言でつがいを選ぶなんて残酷だ。

 そんなものがあるのならみんな誰も自分で好きにならなくて良いし、心が存在する意味もない。

 未来の恋人が見えるなら、恋なんか存在する必要が無い。ただ本能に従うだけじゃないか。

 けれど──椅子さんと出会うことは、運命な気がしていた。

人間同士がすべて決まっているという意味でないのなら、運命はあるのかもしれない。


「私も……運命があるなら、恋愛性ショックの発作にも、こんなに悩まない。家だって……ママだって……最初から救われる道があったなら、こんなことにはならなかったんだ! 

もしもそんな運命があるのなら戦わなくちゃ。

好きな人も嫌いな人も、運命が決めるんじゃないって、証明したい」



カグヤはちょっと驚いた、と目を丸くした。

「周りのみんなは、これを聞くと素晴らしいことみたいに言うから、驚いた。


…………遺伝子に操作されてますよって聞いてるだけの、何が素晴らしいんだろって」


ぽつり、こぼされた本音と共に、カグヤの瞳から雫が落ちた。


「私も、遺伝子に操られて生まれて、遺伝子や占いで相手が決められて、そんな、運命──むなしいだけだと思ってる。都合のいい妄想だよ。父はずっとそれを探してる。

相手を好きになろうとせずに、運命を探してる。運命があるなら、予言があるなら、恋愛なんかいらないのに」


 カグヤが近くの本棚から、アルバムを取り出して、机の上に広げる。

クラスの集合写真らしいが、リア充……クラスメートのほとんどには×がつけられていた。


「これ──クラスのやつらはみんなやられてるの。恋愛に操られ、ふわふわした運命を信じて化け物の手下になった。


 私は違う。生き残らなくちゃ。楽しい青春時代、なんて時代はおじいちゃんお婆ちゃんのときに終わったんだ。


操られたりしない。戦うの」


「私も」


「私も」


 三人が話し合っていたそのとき、下から「そろそろ支度が出来るよ」とカグヤの祖母が呼んだので、みんなはぞろぞろと一階に向かった。



(PM10:041月1日

















公民館の一室を借りて行われる定例会。禿げた男……タイクレーが壇上に立ちながら資料の紙を近くのスクリーンに映す。


「私はヒューマン以外と、異常性癖の持ち主のデータを役場と戸籍屋のツテで洗い直しました。

 まだ恋人届が出されていない三割のうち、1割近くの精神異常者や自殺者があります。精神異常者にも恋愛をさせますか?」


 椅子に座る会員たちがざわつく。精神異常者についても出来れば適当に相手を作るようにとなっているが、義務教育辺りまでの子どもと同じ引き延ばし措置をしている段階だ。

 しかし、当然処刑を恐れて精神疾患のふりをする者も居り、厄介な管理となっていた。


会長は、まぁあ、と口をおさえて驚いた。

「そうだったわ」

 どのみち自殺者を増やして居ては、国や支援者からも恋愛総合化活動が怪しまれる。


「精神に異常がある場合は、病院を勧め、幸せになるお薬を差し上げましょう」


「畏まりました、ボーレ製薬に手配しておきます」


 スキダを粉にすることで促進剤が精製出来ることは、学会の息がかかった製薬会社の惚れ薬の開発中に伝わっている。

 学会が風俗を利用して中身の無いスキダを提供することも出来るので取引が成立していた。

恋愛感情は無料で手に入る、人間にとって最も手軽な麻薬として重宝されあちこちに流行っている。促進出来れば出来るだけ良い金蔓になり得た。


拍手が巻きおこる。

 

「それって、大丈夫なんですか? 真の、真実の恋とか……じゃなくて……薬で」


 まだ会に入ったばかりの女性が挙手した。

禿げた男が笑顔を見せる。


「薬の心配ですか、合法なものですよ、ただ、深層心理の理解を深め背中を押してくれるだけのもの。それに、誰でも恋愛感情を持ち得ますからね、捜査の手がまさか恋心に及ぶことはありません。

プライバシーの侵害だかなんだかになります」


ほっ、と女性が胸を撫で下ろす。

 恋愛を強制的にでも決定し、世界をこの合法な麻薬漬けにすることは後の貿易の為にも、多幸感を増幅して魔を寄せ付けない為にも一番有効な手段でもある。

「恋愛を勧めることは恋愛学者がすでに行って居ますし、もし恋心が違法なものなら恋愛のれの字すら口には出来ません。私たちは幸せな恋愛で世界から悲しみを救済するのです」


会長がみんなの前まで来て、高らかに告げた。


「魔のものは、恋愛や幸福が嫌いなのです!

取り入る隙を与えないような恋をしていれば、怪物は現れない!」


 怪物を遠ざけ、世界を救済する。多幸感に満ちた人々は永遠の幸せを得る。

それが恋愛総合化学会の素晴らしい教えだった。恋愛には運命のつがいがいる、として恋愛がまだな人々も、多幸感のお裾分け《ギフト》などで勧誘している。

自分自身のせいではなく、つがいが現れていないからだといって慰め、多幸感からまずは高めようという具合だ。恋愛促進剤のお薬もこの一貫、幸せな救済措置なのだった。

「私にもつがいが現れますかね」


 まだ雑役だが大分馴染んだ男性が挙手をする。


「大丈夫ですよ。トリオキニさんがギフトで恋愛の素晴しさを広めれば必ず現れます」


「はいっ! がんばります!」


会を締めるときなどのコールが一斉に上がった。


「恋愛サイコー!

胸キュンキュン!」

「恋愛サイコー!

胸キュンキュン!」

「恋愛サイコー!

胸キュンキュン!」

「恋愛サイコー!

胸キュンキュン!」

「恋愛サイコー!

胸キュンキュン!」

「恋愛サイコー!

胸キュンキュン!」

「恋愛サイコー!

胸キュンキュン!」



















 運命のつがいなんてあるのなら、どうして恋愛があるのだろう?


わざわざ葛藤する価値もなく、わざわざ気に入られる価値もなく、わざわざ会話する価値もなく、わざわざ思いやる理由はなく、ただ、決められているからで済むはずだ。


 好きも嫌いも選ぶもの全てが運命なら、

どうして個人は存在するのだろう?

どうして、生きてゆくのだろう?

敷かれたレールに従って、示されたものを食べ、示されたものを見て、示された子孫を残すだけ、その為に示された相手を選ぶことが人類の使命であり、生命の役割ならば、あまりにも残酷だ。



それはあまりにも

人間の心を、根底から覆す、残酷な運命だ。











ふと、薄暗い地下でグラタンは目覚めた。

隣から自分のものではない圧し殺したような嗚咽が聞こえてきて、ますます意識が覚醒する。

「ここは……」


 身体中が痛く、ぼーっとするが、ひとまず生きては居るらしい。

隣に居たのはまだ若い、灰色の髪をした10代ほどの女の子だった。娘も生きていればいづれはこのくらいの年になるだろうと胸が痛む。

「おはようございます」

悲しみには触れないようにひとまず挨拶をする。彼女はビクッと肩を震わせたが、膝までかけた毛布を手繰り寄せてうなずく。

 地下の部屋は暗い。



 謎の男に誘拐され連れてこられた彼女たちは、3、4人ごとにそれぞれその牢獄に管理されて居た。

彼女もその仲間入りしたばかり。旅先の安価な船の中のような、薄くてざらついた毛布が二人で1つの割合で支給され、薄いビスケットのようなもので食事を済ませていた。


「おは……よう」

少女はかなり痩せこけていて、ここに来て一年は経ちそうだという。

「あたしたちの番はまだみたいだね」

呼び出された人の部屋の鍵が開き、順に地上で労働があるが、基本的に人気の者とそうでない者が居り、新入りはまだまだ雑役がメインだったので、忙しさよりまずは、暇、という言葉と、激しい不安にかられた。労働がない時間も逃げ出すことは許されていない為に、彼女たちはよく当たり障りのない範囲の話をした。


 嫁市場、品評会に出される為に管理されること、良い土地や見た目で価値が変動すること、スキダを奪われた者が多いこと。

ほとんどが誘拐であること。


「さっきは、うるさくしてごめんなさい」


彼女はグラタンよりもこの現実に慣れていたが、それでも夜中にこうしてこっそり泣き出すことがあった。まだ幼く、まだやりたいことが沢山あるだろうにとグラタンも気にするよりは同情のようなものを持っている。


「何かあったの?」





「売れ残り過ぎたら、奴隷にされるかもと考えてしまって」


「そう……」


それはあり得なくはなかった。

商品である価値が無ければ内臓を売るなり

本当に危険な仕事をさせるなり、処分するということも考えてしまっておかしくない。彼女は一年売れ残りなのだ。


「自分が何を好きかも、何も知らないで、

自分がどういう人間か何も判断出来ない

まだ知らない、知りたいこと、何も知らないで一方的に他人から好かれたり嫌われて点数を付けられて……」


「好きなものは、ないの?」


彼女は首を横に振った。


「好きなものがあるなら、もっと励みになるものが、生き甲斐になる勇気があったはず!

誘拐する人がどんな気持ちなのかまるでわからない! 

あたしは誘拐されて、道端の石にさえ満足に触れなかったんだわ! 周りは、そんな好奇心すら嘲笑うように気軽にそれを投げつけてる」


毛布を抱き締めて、彼女は泣き出す。


「目の前にごちそうがあったのに、ごちそうごと、テーブルをひっくり返したみたいに、家が、そこで味わうはずだった

好きなものという仮定の話が頭から離れないの」


「……そうね」


彼女にも家族が居たが、どんな気持ちで想っていたのかは今となればよくわからない。好きとはなんだったのか。

 自分をそれの対象として他人が品評する行為が、自分にない何か欠けたものを使った優越感に満ちた贅沢な遊びである気がする。

「好きなものは、勝手にわいてくると思っていたけど、そうじゃなかった。

与えられている環境に合わせてそれをより生かす為に送られる快楽信号。

勝手にわいてくるのならこんな場所に居たって楽しいはず、それなのに、それなのに……」


 彼女の握りしめた拳に涙が落ちる。

地下室には、彼女たちのスキダの生まれる環境がなかった。ときにスキダは怪物になることがあると聞いたことがあるけれど、ここではその心配も、『発作』の心配も無さそうだ。

けれどいつまで生きて居られるかとか、そういった心配は尽きないし、出られるに越したことはない。

 同時に彼女は実感した。

与えられる環境に合わせて生まれる快楽信号で育つのがスキダなら、こんな風に誘拐されたり強奪にあわずに、馴染んだ環境でスキダを持てる人は恵まれている。


「好きなものが……欲しいよぉ」


わんわんと泣きわめく彼女に、グラタンもかける言葉がない。

好きなものが手に入らない、スキダも育たない、それでいて、他人は勝手に品評会を開くのだ。自分の環境で恵まれた自分を喜ばせるために。


ガチャガチャと鍵を開ける音がした。


「そこの女ども、仕事だ」


 ガタイの良い覆面の男が、乱暴に告げて鍵を開ける。少女は慌てて泣き止み、グラタンも覚悟をした。

結婚式場の地下からそのまま通路を歩いていくと、やがて繋がった地下通路から風俗店に通じる。地上での警察の取り締まりなどが強化されているためこのようなトンネルからの行き来は役立つ。

何よりも、ボロボロの姿で見知らぬ町を歩かなくて良いことは彼女たちにも悪いことばかりではなかった。

仕事を終えた後、彼女たちはまたボロボロの姿になって寝床に戻る。道中に見知らぬ人や見知らぬ町を見ていては、憎しみが募るだけだ。

何より、脱出しにくくしているのだろうけれど。


そんなトンネルを潜り、ネオンの煌めく怪しい店内、という地上が見えてくる。

そこは控え室とされており、スタッフしか近付くことのない部屋だった。


「いつみてもキラキラしてるなあ」

 少女が目を輝かせる。

彼女も苦笑しながら後に続く。先頭に居る男が売れ残りをじろっと見たがやがてスパンコールの目立つドレスを着た派手な女に二人を引き渡した。

彼女は夜会向けの派手な髪をかきあげながら見下すような笑みを浮かべる。

「はい、こんにちは、少し待ってな」


挨拶をされ、二人ともおずおずと挨拶するも、それを無視しながら壁の内線から電話をかけた。


「バンバン! 奴ら来たよ。あぁ、あぁ、そうだそうだ、バンバンがこの前に見せてくれた水色の……うんうんうん、それそれ」


しばらく立っているうちに、重みのある足音とともに男が現れた。


「っ────」


強い衝撃が彼女たちを揺さぶる。


「あ……あ……あぁ……」


彼は、義手にスキダを持っている。

少女がうっとりと腕を伸ばした。

「私の、スキダ……」

ふらふらと密に引き寄せられるように男に向かっていく。彼はサングラスをかけた顔でニコッと笑う。

「おやおや、モテる男は辛いな」

グラタンは警戒しながら彼を見た。


「お前も意地を張るな」


義手から綺麗な水色の光が溢れると、彼女の胸が痛くなって、勝手に涙がこぼれてくる。その輝きに目をそらすことが出来ない。スキダだ。

あれは自分が奪われたスキダだ。

本能が喜んでしまう。


「グラタン。お前のスキダは優秀だよ。

せめてもの礼にお前を品評会に出してやる」

彼は嬉しそうに笑って、義手を見せつけた。スキダで光輝くキムの手が彼女に伸ばされる。

頭が、頭が……ぼーっとする…………

少女が自分のスキダの輝きを放つもう片方の手に向かって吸い寄せられる。

「あたし……あたしは……? あたしは」





 意識が安定しない頭では少女がどうなったのかわからないまま、グラタンは男に連れられて部屋の奥へと向かって行く。

 ぼーっとした頭が、先程の女に似た顔に見覚えがあったなとふと思った。

なんだっけ。

なんだっけ。

サングラス。

義手。

キムの手。



「あ……」




昔、活動中に見た、恋愛総合化学会の幹部だ──

















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 ♥️8623株式会社 めぐみ友昭 、代表木村
















 アサヒは椅子を抱えながら奥にある部屋へと向かう。血まみれでボロボロになったそれは、物とわかっても心の痛むものだ。彼女の愛する椅子。

 彼女が──市役所で恋人届を出しにいくのに付き合ったのは単にあのときの観察屋の罪悪感からの罪滅ぼしみたいなものだった。

最初は、人が物に好意を抱くなんてにわかには信じられず、もしかしたら嫌がらせなんじゃないかと思って居たけれど、まさか本当に…………と考えて、受理を拒否されてからすぐ起きたクラスター発生を思い出す。


 悪魔、と呼ばれている彼女。『ああいうもの』と戦わされるから、恋愛が出来ないのだ。そして戦わされない為に孤独を受け入れていた。本来ならそれに関して自分が悩む必要はないけれど……

ないけれど……ないけれど。

 あのときすれ違った謎の男。部屋に散らばる愛してるが大量に書かれた紙。どろどろとまとわりつき、あの家を縛り付けている何か。

(そして、奴は紙に血で鳥居のようなものを書き、ここから帰るようにと促していた……)

 やって来るからには、帰ることも出来るという発想は目から鱗だった。だが紙と紙ならいざ知らず人が変化した物はもはや殺さないと無理なんだろう。


──自分が、今まで観察してきたものは何だったんだ?

何のために、あんなに見張る必要性が?

 やっと愛することが出来たのが椅子なのだから、あんなに必死な顔なのか。

また冷や汗をかきそうになる。

「もし、俺が……」


 友人だったらしいスライムが、怪物になり、彼女は自らの手で殺した。

それを──見ているだけだった。

 頭を振り、考えかけた何かを追い払う。

もし、俺が……

何かにとりつかれたように叫び、どろどろとまとわりつき、ただ彼女を取り込むだけの怪物に変わる自分を想像してみるとこんなにおぞましいものはない。



スキダアアアアアアアアアアアアアアアア──


「って、違う! 何を考えているんだ!さっき振った頭はどうした!」


「田中、よく来たな」


 椅子を抱えたまま、奥にある部屋に着いた。

 強い木のにおいが立ち込める室内。

そこら中にくずが舞う床。机には糸のこぎりやカンナ等が並んでいて、あちこちに作りかけの椅子や、やすりをかけているミニテーブル等があった。

カグヤの祖父が淡々と歓迎の言葉を述べる。

「俺はアサヒです……」


「そうか、吉田」


「……アサヒです」


「それでお前さんの椅子だが、そこで少し洗って来て」


 カグヤの祖父はすっと部屋の隅の方に備え付けられた蛇口を指差す。


「わかりました」


 そーっと部屋にお邪魔して椅子を抱えてそちらに向かう──辺りで、どくん、と心臓が跳ねる。

あれ。

(……?)

さっき椅子が、何か話したような。

まるで彼女のようなことを言う自分に戸惑いを覚える。椅子は椅子だ。

疲れてるんだ。折れた足の部分をそっと手にして──「すいません、スポンジ使

っていいですか?」

「優しく手早く洗え。もたもたするな」


「は、はい」


水を出して手早く洗いながらアサヒは考えてみた。あのとき自分もスキダが出せて戦えていたら──?

(けれど俺の……俺のスキダは……)

アサヒのスキダは、わけあって発現しない。だからといって、あのとき逃げたことは彼の中のプライドにも傷を残した。

 男が行ったあれができたら戦えない代わりになるのでは。でも、素人でも出来るのだろうか。ああいう術遊び半分で気軽にやってはいけないとかも聞くし。

そもそも奴は誰なんだろう。


「洗えたか」


「あ……はい」


「早く拭いて」


「はい……」


「少し待ってなさい」



 カグヤの祖父が丹念に椅子を拭いて、

台に寝かせる。そして足の接合部を見た。

「この組み方、今は44街辺りではあまり見なくなったが……釘を使わずになるべくしっかりと嵌め込まれてある、余程この木に対する思い入れがあるのだろう」


「……そう、なんですね」


「これを、どこで?」


「空から、降ってきました」


「──空から? そうか」


バカにするでも笑うでもなく、彼は神妙な顔付きで首肯く。


「家具には魂が宿っている──こともある」

「え?」


「武田よ、じつはわしも昔、これとよく似た椅子を見たことがあるんだ」


「アサヒです……え────?」


「空こそ飛んでは居なかったものの、城から城へ、家から家へと、繁栄の象徴や厄除けとして、かつて、44街が出来るよりずっと昔は、そういった特別な家具が多かったんだよ」


「その椅子は──どこで、見たのですか?」


「家の──本家だ。44街に統制されるずっと昔は、領主の城があちこちにあり、そこにうちは家具を、献上していた」


 44街がずっと昔、もう少し小さな町だったころがある。

その頃はまだ、個人の時代で、個人的な自由を主張する人が多く、一人で食べ歩く、一人で出かける、なんて今ではありえない遊びが流行った。

それより、さらにさらに昔。


「まさか……こんな、こんな、懐かしいものを……治せるとは……冥利につきる」

 カグヤの祖父は感激のあまり目に涙を浮かべた。アサヒは考えた。ガールズトークに混ざっているのもなんとなくそわそわして落ち着かず、こうやって呼ばれたのを理由に手伝いに降りて来たのだが、彼女に聞かせてやりたい。

そして、聞きたい。

(本当にお前の家、どうなってるんだ?)


 家具が空から降って来たことも、悪魔と呼ばれている彼女があれを一体化させられることも、あの家だけがなぜか44街では強制的に孤立させられていることも。

「厄避けか……」


 あの椅子は、戦っていた。

彼女のために、彼女と共に。

それはつまり、あの家具に宿される彼女のスキダは怪物にならないということか。

「礼が言いたかったのだ。ここからはわしが治しておく」


「はい、よろしくお願いします」


めちゃくちゃ感謝されてしまった。彼女に伝えなくてはと思いながら部屋を抜けると、ちょうど降りて来たらしい彼女たちに会った。


「もう、ご飯出来るって!」


カグヤが手招きする。


「あぁ……」


「椅子さんは、大丈夫そうだった?」


『彼女』が心配そうに聞いてくる。


「まぁ……な、大丈夫だと思う。ちょっと組み方が特別な椅子らしいから、少し時間がかかるみたいだが」

「そう」

 胸を撫で下ろす彼女。隣に居た『女の子』が「アサヒ、顔色、よくないね?」と聞いてきた。


「あとで……話したいことがある」

アサヒがみんなに向けて言うと、みんなも頷いた。


「私たちも、アサヒがいない間に話したこと、話すね」


「あぁ、わかった」


カグヤの家は、ハクナの構成員。二人とも打ち解けているがアサヒは複雑だった。観察屋や戸籍屋と手を組んで裏でこそこそと何かを、隠してる。何かをかぎまわっている。アサヒを狙ってコリゴリが口封じに派遣されたほどだ。

もしかしたら、罠があり、食事に毒でもあるかもしれない……そう思うとあまり笑顔になることが出来ない。




20211/2614:50







「以上のことを、纏めると────」


男が眼鏡をくいっと押し上げながら、ボードに指し棒を叩きつける。


「スキダの生成環境や健康的なスキダの発達以外の要因とは別に、生物には異性や同性、その他対象を対象とする為の識別、選択する為のみの能力が備わっているという仮説がたちます。

 フェロモン、相貌認識力、空間把握力など多岐に渡るものであり──

簡単にいうならば、何を持って相手を認識するかですね」


 市長は、彼の姿を固唾を飲んで見守る。

恋愛史や、44街に関することについて何かあれば逐一報告するようにというのが定例会を行う主な目的だが、今回はある理由、ある目的のために個別に話を聞いている。


「何を持って相手を認識するか、これは簡単なことのようで、とても複雑なことなんですが……

恋愛は大まかには『好き、嫌い』という感情と、本能や生理的な衝動によるもの、またはそれに付随する遺伝的な要因という考えが44街では一般的でした」


「それが、違うというの?」


恋愛総合科学会では政治利用などを視野にスキダの生体調査なども、秘密裏に行われていた。眼鏡はその辺りを仕切っている。

彼は手にした資料を彼女の机に並べながら

極めて冷静に説明を続けていた。


「元は地上に住んでいたとされ今は深海に住む44コイも、普通のコイとは異なり、ひげに触れた電波からしか相手を認識しないため、地上種とは交尾を行いません。

相手を認めるまでに、外的な、選択能力がスキダの誕生以前に、まず先に存在しているんです」


 市長は、深く息を吸い、言うことを考えた。考えて、また息を吸い込む。胸騒ぎのような、何か、落ち着かない感覚を覚える。総合科学会はここ数日、市長の命令で戸籍屋の手を借りてヒューマン以外の者や、異常性癖を持つものを洗いだしていた。

 そしてそのリストにあがった中に、ハクナが襲撃した、強制恋愛反対デモの首謀者の女の存在があった。

彼女は恋愛性ショックという病を抱えていたが、厳密には正式に難病と認められているものではないし、例が極めて少なかった為、強制恋愛条例を推し進める市長たちには邪魔でしかなかった。

 スキダ、という名前の通りに感情から生まれる筈のクリスタルが生まれないものは、単なる感情の欠如した異端者だが、感情さえ育てば良いはずだ。それすら真面目にやろうとしないどころか、強制はおかしいなどと言い、周囲に公演を開いたり騒ぎを起こしていたのだから排除されてしかるべきだと、そう考えられていた。


 外的な選択能力────?


──44街のあの古い民話。


──排除されてしかるべきだと、そう、考えていた。

誰が?


運命のつがいが、私たちを、幸せに導いてくれる────


「そうですか──なるほど、」


運命とは、何?

感情を動かされるもの?

身体を、動かされるもの?


 なにか、いけないことを、したのではないかという、漠然とした焦り、不安、恐怖。

市長は精一杯に笑顔を作る。


「報告、ご苦労様です」


眼鏡が一礼して部屋を出ていくと同時に、市長は叫んだ。


「うぅ、う、あああああああああ───!!!!! 間違ってない!! 私は間違ってない!!!! 間違ってない!!!!」


 彼女が学会長になって、もう10年は経つ。恋愛、運命のつがいが、人類を幸福にすると、本気で信じてきた。

スキダが両親を殺した日。

居場所も財産もなにもかも無くした彼女は恋愛総合科学会によって救われ、彼女の運命のつがいであった前会長によって、救われた。

 だから今も本気で信じている。

運命が、恋愛が、つがいを、幸せを作る。

彼女が恋愛によって自分を生まれ変わらせたように。


 スキダは自分の入り込めない相手に奇生することはないはずだ。そう、完全に正解でなくてもいい、44街はこの強制力により、今も怪物から守られている。

少しでも、守られているはずだ。

みんなが、気持ちをひとつにしさえすれば、もう、誰も怪物に殺されないと、そう、信じていたって────

(信じて、いいのかしら?

 どうやら、最近スライムがクラスターを起こしたことなどで、疑心暗鬼になっているらしい。この今まで経験したことのない想定外の事態に、四苦八苦している。

彼女は必死に自分を弁護した。

大事なのはこれから先だ。

 どれだけ抜け無く、パーフェクトな対応が出来るだろう。

トップが責任感の抜けで「またか……」などとみんなに慣れられては示しがつかない。いつも堂々として、会長が居てくれるから安心という安心感で居なくてはならないのだから。


「ああ……あぁああ……しっかりして!!!! ただでさえ!!みんなあなたの失態のために日夜対応に追われ、あなたのために大変な想いをしているのよ!!」


会長は自身を鼓舞しながら、目を潤ませた。あの人に会いたい。あの人に……


「あなたは責任ある立場でしょう? 一般の何倍も影響力がある……人一倍配慮をすべき立場だ。逆にいえば、あなたのとる行いには、通常より何倍も重い過失、責任がジャッジされ、くだされて当たり前なのよ?」


 彼女は自身を鼓舞し、宥め、諫めて、自分を抱き締めるようにしゃがみこみ、頭を抱えた。













定例会などを重ねるごとに彼女の厳しさが、後ろめたさの裏返しなのは上層部をはじめ、みんなが気付いてきている。他人の恋愛をつつきやすいのは、はっきりいうなら結局のところは私利私欲のため。

建前であった、恋愛による幸福までもが、今まさに、揺らぎかけている。

なんて、無様だろう。

なんて、残酷なのだろう。

(とんだ恥知らず者……裸の王さまね)

痛くて苦笑いしてしまう。

────いや、まだ、研究所もスライムのスキダが変異した理由の特定には至っていない。

だがもし……万が一、恋愛が、なにかの対外的な要因で大きく歪むとしたら。

(抜け目なくパーフェクトな組織を形成できる自信はある?)

こんなに混乱ショートしかけている思考回路で。


──いいえ、私はやりとげなくては。

ハクナの罪は、会長の罪。

私は、その罪により今まで甘い汁を啜りつづけてきた。

これからも。だから。

『悪魔』は、この手で再び、封じ込めてみせる!!!!



 会長は覚束無い足取りで、手にした資料のリストにあった悪魔の家の写真を握りしめたまま立ち上がると、建物内の自室から、どこかに電話をかける。電話はすぐに繋がった。



──はい。用件はなんでしょうか。


「……今日、サーチの結果をもらいましたが、観察部隊が尾行に使っていたナンバーの車、ヘリが、まだまだ活躍しているようです。アサヒを仕留めにいったという、コリゴリも帰って来ないし……

あれを置いておくと動かぬ証拠になります」



──わかりました、探させましょう。

他に?


「テレビ局が彼女の家を模して芸能人に訪ねさせて、視聴者ゲストに笑わせる番組を流しましたが──ヘリが万が一周辺に墜落していた場合、ハクナが関わっていることが奴らにも気取られてしまいます」


──わかりました、局には口止めをしておきます。


「いいえ、局だけではだめ。そこにいたタレントも、じっくり、ゆっくりと沼に浸からせなさい……違和感を口にしないかよく見張らないと」


──わかりました、事務所にも話をしておきます。


「小林を呼んでも構わないわ」


──わ、わかりました。

考えておきます。


 スライムがクラスターを発生させたとき、近くに居たのはあの悪魔だった。

スライムは当初の健康診断では異常が見られなかったし精神も普通の範疇だったと保険関係者の調査から聞いている。

要は、あの悪魔にこそ、なにか秘密がある。会長は疑っていた。とにかく隔離してみないことにはわからないけれど────


──ところでその、観察している悪魔の家があった場所、なんか、報告によればすごく荒れてるらしいですけど人が住んでるんですかね……あっ、帰ってきた。

調査員が今来まして、

どうやら、スライムに引き続き、悪魔の家を訪ねたコリゴリが変異したまま亡くなったと───


「……あ……あぁ……あぁ」


二度あることは、三度ある。

会長は蒼白になりながらも悲鳴を堪えた。

彼女の望みは恋愛と運命のつがいで世界を幸せにして怪物を退けること。 

(────対外的な、選択能力……なんて)


嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。

24時間朝昼夜、いつでも観察部隊を呼びつけられる。いつでも。危険性を察知したらすぐさま、他人の淫らかつ冷酷なスキャンダルを報告できる。片手ひとつで、誰であっても消し去ることが可能だ。

それでも、怖い……

 彼女によって人生を翻弄され奪われた犠牲者の叫び声が聞こえてくるかのようだった。あのタレント、あの政治家、あの資産家、あの弁護士、あの研究者、あの活動家…………みんな消し去ったが、露見することはなく、今でも平和はつづく。

(いけない、何震えてるのかしら、放送も、フライトも、私が命令したことでしょう?  恋愛総合化学会長の私が悪いからな。理性ある行い、大事にしないと、もし、恋愛が感情のみで引き起こされるわけでないとしてもそれは少数の不具合にすぎなくてつまり)────



──会長?


「あ、いえ……よろしくお願いします」


──わかりました、それではまたなにかあればお申し付けください。



通話が切れる。悪魔を追い詰めていけば、いつか自殺する可能性だってないことはない。あれだけ観察していても、警察やらBPOの手が全てに回りはしない。


「はぁ……私は会長なんだから、しっかりしないと」

罪は、完全には裁かれない。それは不完全な人間と同じく、いつも不完全に存在する。

 悪魔の家に証拠隠滅にいったコリゴリが亡くなっているとなれば、誰かがさらに証拠隠滅にいかなくてはならないが、同時にそれはアサヒを取り逃がしたこととなる。

ハクナが荒れそうだな、と会長は考えてみた。

 ハクナは総合化学会が元々市民の恋愛の様子などを監察させていた部隊だった。

いつの間にかそれが裏金や暴力関係へと繋がり、今の形に発展を遂げた。

 監察部隊の活躍で資金が潤い始めると、それだけ立派な宣伝が出来る。一気に会員も増えた。何であれ、彼女の目的には沢山の会員が必要だ。資金の流れは会長にも流れてくるが、今では当初と目的が変わったとはいえ、無くてはならない部隊である。


 固定電話から離れ、ふらつきながら机に向かう。今はただ、目的に集中していたかった。









・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・








「うわー! 美味しそう」


台所ではしゃぐ女の子や私たちに、カグヤのお祖母さんが嬉しそうにこたえる。

 テーブルにはコロッケだけでなく、肉汁たっぷりそうなハンバーグやサラダ、魚介が入ったスープなどが並んでいる。ごちそうだ。

「テレビでね、有名シェフたちが、ファミレスやコンビニの料理を査定していたの。それを見ていたら、絶品と言われていたハンバーグを是非食べたくなって……私なりに作ってみたの」


カグヤが笑みをこぼした。


「最近はコンビニのでも美味しいもんね、うわぁー、人が来るとちょっとご飯が贅沢になって良いね!」


「オホホ、毎日ではないわよ……今日はたまたま、食材があったの」







「すごく美味しいです!」

私やみんなが口々に言うとカグヤの祖母は穏やかに微笑んだ。

「良かった、まだあるから沢山食べてって」


「ありがとうございます」

女の子が笑顔を見せる。私やアサヒも礼を言った。

「ありがとうございます」


わきあいあいと食事がすすむ。

こんな風景、何年振りだろう?

10年くらいは知らない気がする。胸の奥が、ざわざわ、落ち着かないさざ波を立てたけれど、表に出さないように笑顔につとめた。女の子やアサヒは純粋に楽しんでいるみたいに見える。カグヤも、みんなに合わせて話したり、醤油やソースを取ってあげたりして楽しそうにしている。


 カグヤと私と女の子はダイニングに来るまで、ちょっとだけ秘密の話をした。ハクナの構成員だという彼女の父の話。私たちの話。

仲良くなった、はずだけど、本当は心のどこかで、まだ恋愛総合化学会の勧誘を恐れている。

 女の子も、活動家の家の子なだけあって、感じるものがあるのだろう。楽しそうにするものの、時々視線をさ迷わせて、表情が暗くなる瞬間を私は見ている。

────だけど、だからといって、あの演説、あの出会いを忘れたわけじゃない。

距離をはかりかねながらも、友情にも似た何かが生まれようとしていた。


「それで、みんなはどこから来たの?」

 盛り上がりに──突然、水が刺される。

カグヤの祖母の言葉に空気が凍りつく。

 社会からそっと隠されている悪魔、強制恋愛に反対する活動家。観察屋。みんなそれぞれ、さすがに気軽く情報を知るものを増やす気にならなかった。


「あ……えっ、と」

私が何か言おうとしたタイミングでカグヤが「同じ塾の子なの」と言った。

「あら、そうなのね」

祖母はあっさりと信用する風に見えた。

「あ、そうだ、それならその人は誰の恋人?」

 祖母は次の質問とばかりに、アサヒを指差す。女の子も、私も、一瞬戸惑った。アサヒは驚きはしたものの、異性がこの場に一人だからだろうと、納得したらしかった。納得はしてみたらしいが、しばらく考え込む。


「あー、もしかしてそこのあなたが彼女?」

 私に話を振られて、ええっと戸惑った声をあげてしまう。

「あ──あの……その」


 頭によぎるのは、椅子さんと恋人届けを出そうとしたら沢山の人が群がって来た光景。

スライムが暴れて、追いかけて来た光景。燃え盛る炎。

人を好きになり、怪物になった者の末路。私を好きになり、怪物になった者の末路。怪物が、怪物を殺した痛々しい物語。

椅子さんが恋人だなんて市民に到底口に出せるわけがない。

かといって、アサヒに嘘をつかせる気にもならない。

 私は、自分が悪魔だということを、忘れたわけじゃない。

周りのような誰かを幸せにする為に誰かを愛する立場ではないのだ。


「あ──あの……」


 だから。なんて言おう。

どうしよう。

カグヤの祖母は見た感じ、私たちよりちょっと前の世代──超恋愛世代の生き残りだ。この、個人の心にずかずか入り込むような質問も、彼女たちにとっては、かるいじゃれあい、一種のコミュニケーションでしかないのだろう。

 迷ったまま、チラッ、とアサヒを見る。

アサヒは酷く冷静に、だけどちょっと寂しそうに言った。

助け船だった。

「──いいえ、俺、昔に恋人が居たんですよ」


それは、初めて聞く話だ。

「昔に?」

カグヤが興味を示した。

私もじっと聞き入った。

「別れたんです、その、性格の不一致で……ははっ……」

 アサヒの指が、わずかに震えている。私も、カグヤも、カグヤの祖母も深く追及しなかった。女の子は、じっとアサヒの方を見る。

カグヤが慌てて明るい声を出す。

「まあまあ、元気出して! たーんと食べてね」

「そうそう、召し上がって」祖母も何か察したように笑顔を向けた。私たちも明るくして食事を再開した。





 食事を終えると、カグヤが私たちを呼び止めた。


「さーて! 部屋で話をするわよ」

「あ、うん……」

私はアサヒの反応が頭から離れない。女の子も、何か、思うことがあるみたいだった。

アサヒは、みんな暗い顔してどうしたんだ? なんておどけて見せる。

 階段を上り、部屋に入る途端に、私は思い切って、アサヒに聞いた。

「あの。恋人が居たなら、スキダは──?」


 アサヒは異性だから余計に、怪物になるような気がしていてずっと気になっていた。アサヒのスキダはどんなクリスタルなのか。スライムのときだって、女の子が戦っていたくらいだけど、アサヒは何だか思うところがありそうに見えつつも戦いはしなかった。

アサヒはスキダを発現出来ないのではないか。

けれど、それは、私が知る中では私くらいなものなはずだった。


「俺のスキダは────あいつと共にある。だから、発現しない」


「どういうこと?」


「誘拐、されたんだ……行方不明だが、犯人はわかる」


「誰なの?」

私が聞くとアサヒは少し悲しそうに答えた。


「恋愛総合化学会」


驚き、はしなかった。

他の人もそうだったのかもしれない。


「まだ、ハクナの活動をそんなに力入れてなかった頃に、嫁市場って闇市場が出回ってて、それがハクナが隣国と手を組んでるってずっと言われてた」


カグヤが真剣な顔つきになる。


 それにしても目から鱗が落ちる。スキダ、発現しない要因は、相手が行方不明ということ。好きな相手の存在がわからない場合に、うまく現れないことがあるだなんて。

「誘拐に、手を回してたってこと?」カグヤが聞く。

学会員が、とは彼女は言わなかった。

「なんで、関係あるみたいに言うのよ」

「彼女は、44街に、突如恋愛総合化学会みたいなのが政治のバックにつく前から、強制恋愛に、反対していたんだ──

そして、対外的な要因で恋愛的判断に狂いや乱れが生じる、今でいう恋愛性ショックが、

病気である可能性について論文を発表していた。

やつらが動く動機は充分あった」

「私の、病気だ……」

女の子が、目を丸くする。

「その人って」

「マカロニって名前だったかな」

 女の子の瞳から、雫がぽたぽたとこぼれた。

「お──おかあさ、ん……おかあさん……」


「おかあさん、マカロニさんなの?」


カグヤが聞くと、女の子は首を横にふる。昔っていってたから確かに時系列があわない。

「でも──わかる……おかあさんは、たぶん、そこにいる……」


 あの日、爆発した家の瓦礫の下から、彼女の家族は見つからなかった。だけど彼女は直感したのだろう。彼女の母親も活動家で、同じ病気の話をしていて、ハクナに目を付けられていたのだから。

 爆破された家、さらには観察屋があそこまで執拗に、私の家を見張り、探り続けていることも含めて、そこまでするハクナに可能性が充分あることを感じ取っている。

「なんで? その論文がなぜ狙われるの」

カグヤが首を傾げる。

「恋愛総合化学会が、

恋愛を感情論だけで謳っているからだ」 


 部屋の机の下に滑り落ちていたパンフレット。そこには、運命のつがい、幸福を感じる日々を手にする、感情の浄化、などが謳われていた。













──なにかを好きな人が、妬ましいね。


──なにかを期待し続けられる人は、憎いね。

──生きてても、出来ないなら、どうして

私もあなたも、生れたのかな。

とても不公平だわ。


──好きなものを、守り通すこと


──好きなことを、守り通すこと


それはとてもとても、遠い場所にあって、とてもとても儚く脆い願い事。

誰かが夢見たこと。

ずっと、夢見たこと。

何もかも、あらゆる全てを使ってでも、誰かが叶えたかったこと。

何もかも、あらゆる全てを使ってでも、誰かに届かなかった、とても困難で、残酷な願い事。

 ちょっと泣くだけで済むやつと、

これから先未来の無いやつの痛みが同じだとでも言うのか。

死者は死者として可能性を見せつけられ続ける。


悪魔の家。

 10年ほど前、悪魔と言い触らして、44街が直々に「悪魔の住む家に他者が近付かないように」とお触れを出した。そして今もなお、観察屋やハクナが徹底的に監視している家。



「コリゴリがアサヒを取り逃がした。

夜になるから引き上げたが……アサヒが『コクる』までにはどうにか捕らえねば! コクってからでは取り返しがつかない」


会長は部屋で一人、ハクナの指揮をとる男の言葉を思い出していた。


「悪魔の周辺で、スライムに続き、コリゴリまで亡くなった……」

 コクられるというのが本当なのかは会長は知らない。確かなのは、あの家でなにかがあったということだ。

会社を建て、日陰に追いやるように隠し続けてきた悪魔の家。

 悪魔の彼女を、そうやって蚊帳の外にして、強制恋愛政策を強引に進めてきた。

スライムのクラスター発生を予測出来なかったのは本部のミスだ。

 観察され続けるとはいえ、外出は出来るし、役場に出向いて恋人届を出すくらいなら悪魔にもいつでも可能だったのだから。

しかし、(『代理の彼女』が働かないってことよね────?)

彼女が何かアクションをするときには、代理の彼女、を横に設置し、人間のみんなは本人じゃなくても代理の彼女に話しかけることで悪魔と会話したことにしてもらえる制度も出来ていた。

なのに……観察屋によると役場に訪れた彼女が出した恋人届けは、普通に提出され──だからこそ、クラスターが発生したのだ。

この時点で不審に思わねばならない。

なぜなら。

「代理の彼女」が、彼女と同じ動きを出来なかったのだから。







「アハハハハハハハハハ!

アハハハハハハハハハ!

アハハハハハハハハハ!!!!

人を好きになれなんて────人を好きになれるなんて──!! 

そんなやつが、居たらいけないんだ!!!


そんなやつが、目の前に居たらいけないんだ!!!


そんなやつが、


他人に、何か喋るな!!!


これ以上、これ以上その言葉をお前が使うな!!






 



「って、何気なく聞き流したけど、あなた、病気なの?」

私が思わず率直に聞くと女の子ははにかみながら頷いた。

「うん……普段は発作が出ないようにしてる」

あの薬ケースは、あの子の、それを抑えるものだったのだ。

「そっか……」

気付いていたらすぐに届け──られはしないか、コリゴリやキムと戦わなくてはならなかったのだから。

「あのときは、ありがとう」

「うん……」

女の子が少し恥ずかしそうに首肯く。

「……でも、スキダに体力、なくて、あまり、助けてあげられなくて」


「いいの──私は、悪魔なんだから。

誰にも映らないし誰にも関わらない私に気を遣わないで。

みんながそうしてるのに、変だよ?」


 恩義でも感じてるんだろうか?

悪魔に気軽にそんなことをしていたら、憑かれてしまうかもしれない。

みんなのように、排除しようとしないのは変なことだった。私が違和感を口にすると、女の子は曖昧に頷いた。

あ……そっか、悪魔だなんて自分で言うから引かれちゃったかもしれない。


 それに恩など感じなくても、そりゃ嫌なこともあったけど、聞いて欲しい。


「今、私は夢みたいな時間を過ごしているの」


「えっ──」


もしあなたが現れなければ、一生私に機会が訪れなかった幸運。


「ほら、椅子さんとも会えたし」


────それに、なななんと!

「観察されないでちょっとの時間過ごして見たかった」という夢が叶っている。

生まれてからずっとかなわなかった夢が!

少なくともあのファックスは届かないし、変な番組を見せられたりしない。

沢山のスキダに絡まれたりしない。

果たして、こんなことがあっても良いのだろうか?

悪魔が、こんな幸せな夢を、見ても良いのだろうか?

あまりに幸せ過ぎている気がする。

ここ最近までの人生で一番の幸せかもしれない。ちょっと怖いくらいに。

「──私ね、今が、今でもまだ、信じられないほど幸せなんだ。だからお互い様、ねっ?」


女の子はきょとんとした。

「わかった」


「アサヒ──」

私はアサヒに声をかける。

「もう少し、嫁市場の話が聞きたい」


アサヒが何か言おうとしたときだった。カグヤがおもむろに壁の時計を見上げながら立ち上がった。

「あ──ごめぇん、みんな、夜バイトあるから……支度したいんだけど」


「そうか」

アサヒが慌てて身体をずらしてドアを開けられるようにする。

「って、あぁ……! 洗濯物……!

ちょっと下行ってくる、話してて~」

 彼女は何かに気がついたように廊下に出て階段を降りていく。私は何となく、彼女の背中に何か感じた。

「アサヒ」

「アサヒ」

女の子も、私と同時にアサヒを呼んだ。

どちらも真剣な声音だ。アサヒは何か察したのか「俺が」と短く返事をして、階段を降りていく。ぞろぞろ降りても変だ。

だけど……だけど……。

「アサヒ、私も! 椅子さんが気になるの」

「お姉ちゃんが行くなら、わたしも行く」


三人で、ひとまず、家具屋に続く部屋に向かうという口実、半分本気だけど、それを持って、そーっと階段を降りることにした。





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