第2話 付き合い!!!/コリゴリ


 人が人を好きになるのは才能でしかない。いじめだって好きなやつと嫌いなやつが両方いるから生まれる文化。

つまりいじめを無くすには誰も好きにならなければ良い。

 いじめにはそれなりに理解はあるし、いじめの大半は仕方ない理由があったという意見になると思ってはいるけれど────

これは、いじめじゃないということについては納得がいかない。







「ほら告白だぞ! スキダだぞ! 早く戦って来いよ」


 保育園でも野蛮な遊びが流行っていて、みんなが口々にごっこ遊びをしていた。

ごはんの時間になるまで、近くの席に座ったまま私は空を見る。

きょうせいれんあいじょうれい、がかけつされると、みんなが誰か 好きにならなくてはいけない。


去年からたまに、しょうらいのゆめ、とかでお絵描きする課題があったけれど、その年からは、好きな人、も描かなくてはならないので沢山の子が困惑していた。

数人は家族や友だち、自分の顔を描いていたけれど────



私は真っ白。

朝から、ずっと、描こうとしてるけど、好きな人なんて考えさせて、これがいじめじゃなくてなんだというのだ。


「好きな人って、ことは、嫌いな人がバレてしまう」そう思ってしまって、呼吸が急に速まって、速まって、目の前が真っ白になる。動悸がする。もし、好きな人を適当に描いて嫌いな人がバレたら…………

心臓がばくばくうるさい。

目の前がチカチカする。

体温が、すっとなくなり、冷えていく。からだが震える。

こんなこと、わざわざ、きょうせいするなんて。


「す…………き、な…………はぁ、はぁ、はぁっ、はぁ、っ、す好きな、あ…………」


ガタガタ、ガタガタ、震えがだんだん大きくなり、席から転げ落ちた。

嫌いな人と好きな人をえらんで、選ばなかった嫌いな人側がどういう態度をとるのかは知っている。

これは、人を選ぶ為の勉強だ。

人の価値を決める為の課題だ。


先生が、大丈夫ですかぁ? と聞いてくる。

お前のせいだろ、と口にできないので、ただ口から泡を吐いていた。





ひた、ひた、と肌に冷たい感触。

目が覚めると、病院。

医者が聴診器を当て「恋愛性ショックだね」

と言っていた。


「気分はどう?」


「いい、です。恋愛性ショック?」


どうやら私は運ばれたらしい。

診察用のベッドは固くてあまりいい寝心地ではないけど、腕にささっていた点滴のおかげなのか、ちょっと楽になっている気がする。


「そう、誰が好きか、とか恋愛の話題になるとショックの大きさから気絶してしまう子がたまに居るんだ」


「……そう、ですか、保育園のかだい、で好きな人を描いていました」


私を此処に連れてきた先生が、安心したように良かったねと頭を撫でてくる。いや、お前のせいじゃないか。


「保育園の段階からそんな難しいことを聞くものではないと思います」


先生はそういいながら苦笑いした。


「前の年代は、とにかく『好きコミュニケーション』といって、『好き』さえ言えば丸く収まるというコミュニケーションを築いていたんだ。反面で『嫌い』をないがしろにして、叩いた」


「ないがしろ?」



「嫌いって、言葉を使う人は許しませんってことで、聞かなかったことにしていたんだよ、なかったことに」


「そう……」



 私たちより前の世代は、とにかく、好き、以外の語彙が無いんじゃないかというくらい「嫌い」を許さなかったらしい。

つまり、先生たち、『好きコミュニケーション』に染まった大人が育てるのが私た

ち。


 私は嫌い、が何かと好きが何かということに極端になって生れた。近所にも親戚にも、好き、に拘っている人ばかりがいて世間的に「嫌い」は禁句だった。

 ただし、ママは変り者で嫌いな恋愛物に、嫌いと言ってる。

嫌い、嫌い、聞いてると安心する。

嫌いが滅びかけてる現代で、嫌いを言える。なんてすごいんだろう。


「また発作が起きることがあるでしょう、けどそんなに気負わず、恋愛性ショックは、よくあることなんです」








「おーい、大丈夫ー?」


景色が滲み、うっすら誰かの声がして、意識が覚醒する。


「あ……おねえちゃん」


寝て居たらしい。部屋は極力片付けたんだけど、頭の上からひらりと何かが舞った。

「え?」

いや、体の周り、私を取り囲むように、紙があちこちにある。

電話の棚の下で寝ていたようで、頭に載ってたのは愛してるよぉぉぉと書かれた紙。

電話から送られて来たらしい。

私を囲む紙にも、同じように愛してるが書かれたりおねえちゃんの盗撮写真だったりが貼られている。

「うわっ!!!?」


「ごめんね、今片付けるから」


彼女は無表情のまま紙を慣れた様子で纏めて束ねていく。


「お、ねえちゃ……こわくないの?」


「慣れたから。それよりこわくなかった? こんなところで留守番させて、ごめん」

「うん……平気」

がさがさと紙を纏める音。私の周りの紙がどんどんまとめられていった。


「ハクナが、こんなとこにまで来ていたなんて、ちょっとびっくり」


「ハクナ? たしかママを誘拐したとかって言ってた……」


「うん」


頷く。


「ハクナは名前通りの、脅迫、恐喝専門部隊。チンピラというより、恋愛総合化学会の専門部所」


「──詳しいね。あなた本当に保育園児?」


「えっ、今は小学生だよ!」 


「えっ! ごめんなさい」


彼女は目を見開いて両手で口を覆う。

……もう。昔から言われるけどまた間違えられてた。


「脅迫のためにママを誘拐したんだと思う。おねえちゃんも、ハクナに目をつけられてるんだね」

















要するに、ハクナが観察さんと繋がっているってことなのだと思う。

私はちょっと怖くなった。

おねえちゃんまで、ママのように誘拐されるのなら私は早く此処から立ち去るべきだ。


「わた、私……此処にいたら……」


あわてて玄関に向かおうとした私を、おねえちゃんは呼んだ。

私の目を見て頬笑む。よく見るとあちこち傷だらけで、服も汚れてボロボロになっていた。一体、外で何があったんだろう。


「此処に居て。これから夕飯を作るから食べよう? 外はみんな、恋愛至上主義者だから、危ないよ」


「……でも」


「私なら、大丈夫。だって私は悪魔だから」


「あ、悪魔……?」


「そう。悪魔。でも嫌な悪魔じゃないよ」


悪魔……


「……だけど。あなたが悪魔と一緒に居たってことは、ハクナにはバレてると思う」


日記を思い出す。悪魔……悪魔に関わった人は死ぬ。油をかけられていた。


「悪魔に関わった、私の仲間だと思われたら、きっと彼はあなたを殺しに行く。

助けたのが私でごめんね」


「ううん、謝らないで。でも本当に悪魔なの? 悪魔って、そんなに嫌われているの? 

あっ、そうだ、それより、恋人届けを出しに行ったんじゃ……」


おねえちゃんは、悔しそうに首を横に振る。

「対物性愛は、恋愛じゃないよって、やっぱり追い出された」


「そっか……あ。その傷は」


「私がそこを追い出されたのと同時に、なんか、人が群がって来たの」


 妙な話だ。今まで静観し、悪魔と呼んでいるのに、急にわいて出てくるというのか?

「群がって、喧嘩に?」


「──ううん、そのなかにいた人のスキダが発動して、暴走したのよ!」


目の前の彼女の目から次々に滴が溢れ出る。肩が震える。ずっとこらえていたのだろう。


「うん……それで」

私はなるべく優しく続きを促した。


「それで、譲るつもりは無いって、椅子さんのことも否定して……

 その上悪魔が、人間と同じ場所で生きるのはどうしたって隔たりがあるのに、私に出来ないことを簡単に言うの」


私は悪魔。既に笑い者になっているのに、

きっと役場に行くのも見ていたのに、変なことを言うと思わない? 


「スキダは……」


私まで泣きそうになる。

笑われて、否定されて、さらにその否定を持ってスキダを投げられたのだ。

まるで何でも肯定しろといわんばかりに。

まるで下等な存在に意思はなく、悪魔には人間への拒否権はないとでもいわんばかりに。


当然のような顔で、スキダを投げられたんだ。


──受けとるだろ?



「恐ろしい化け物だった。しつこかったけど、倒せたよ。だからちょっと遅くなっちゃった」


「そっか」


 後ろで戸を開ける音がして、観察さんが入って来る。

「おーい。とりあえず風呂入って来いよ、すごいぞ……それ」

それ、にぎょっとして振り向いた彼女は少し照れながらむきになった。

「わっ、わかってますよーだ!」


 私もおねえちゃんいってらっしゃい、と小さく手を振る。っていうか、なぜこいつまでまだ居るのだろう。

彼女が、ちょっと失礼、と勢いよく私の背後の扉を開けて部屋に入りタンスかどこかの開閉音の後に着替えなどのお風呂セットを二人ぶん持って出てくる。

「それじゃあ、行ってくるけど、居なくならないでね!? 私・は・悪・魔・な・ん・だ・か・ら!」


彼女は元気な様子でどたばたと、玄関のわきに居たらしい椅子さんを抱き抱えて、奥の廊下に向かって行った。

「はーい」

背中に返事をしながら、私は改めて棚のなかを思い出す。悪魔の仲間は、どうして殺されるんだろう。










「お湯加減はどう?」


 このまえピカピカに磨いた壁や床のタイルが、ランプの灯りで淡くオレンジになる。湯気のなかに見えるその色合いが私はちょっと気に入っていた。

静謐な間の空気にちょっとずつ染み込むように、お湯の流れてくる音が柔らかく響き渡っている。柔らかい風合いのその中に

──固く鋭い存在感を放つ椅子さんが居るのが奇妙な感じがして面白い光景に見えた。

椅子さんとお風呂!


……って、ちょっと恥ずかしいけれど、

それは椅子さんも同じかもしれない。

さっきから口数が少ない。

でも放って置いたら椅子さんは自分で洗わない気がする。

 自分の身体を洗いつつ、椅子さんの足をタオルで拭きながら洗っている。


「今日は疲れたなぁー」

あわあわ、泡に包まれていると、このまま疲れが溶けていくきがした。そうなら良いのに。


──……うん。


「椅子さんは、どこから来たの?」


──……


椅子さんはそっと私から目を逸らす。

 答えたくないのかな?


私はお湯をすくって自分の方にかけた。

暖かくて眠くなりそうだ。


「いい気持ち……」



──なんか信じられないんだよ。

椅子のこと、椅子だって言って、バカにするかと思ってたのに。


「そんなことしないよ、私、悪魔だもん」


──椅子は、椅子だ。


「ふふふ。助けてくれてありがとう。なんか気が楽だなぁ。

人間といるよりずっと…………人間ってね、優しいか優しくないか、すぐにそうやって総合的な内面の判断で他人を評価するの。


 椅子さんは、椅子として素晴らしい椅子でも、ちょっと歪んだって、椅子だとか芸術だとか思えるのに。人間の場合はそうはいかない。プライドが邪魔して『個性』も嫌味なの。物は物でわかりやすくて、やっぱり私は、物が好きだなぁ。生身の人間って、面倒。内面まで考えて好き嫌いを選ばなくちゃならないなんてどんな拷問?


もういや、あれでうんざりした。物と人は違うんだ」


──それって人間らしく生きてこないと持てない尊厳思想だからね。


「…………そう、なんだよね。自分を人間だなんて思い上がって、やんなっちゃった」



────今日は疲れたね


「うん…………椅子さんは、どこから来たの」


───空




















「はいっ、今日の夕飯は春巻きです」

 テーブル中央には大皿に詰まれた春巻き、そしてスープ。  

「おぉー」

女の子が手を叩く。

ちなみに監察さんはお風呂に入っていた。


「あと、こっちが水餃子で、しゅうまいね」

 椅子さんは私の隣に座って……くれたら良かったけれど、乾かす為にベランダ際だ。今日は良い天気だし、あとで一緒に星を見よう。きっときれいに見えるはず。

三人ぶんの箸を揃えると、監察さんより先に食べることにした。女の子は美味しそうに食べるし、私もなんだか嬉しい。


──けれど、ふと彼女の箸が水餃子に向いたまま止まった。

「ママ……」

女の子は少し切なそうに呟く。


「ハクナが狙っているのはうちだけだと思ってた」


私も恋人届けが受理されなかったことを思っていた。確かに、あの様子では何年も経ってしまう。だけど……

……私は悪魔だ。

ただでさえ笑い者なのに、この前のスライムのことで更に恐れられてしまったかもしれない。

──悪魔が届けを受理なんて本当にされるんだろうか?

尚更良い理由を見つけたかもしれない。

考えてから一旦思考を止め女の子に提案する。


(どうなるかはわからないけれど、私は悪魔だよ。

悪魔って、呼ばれて、みんなの中にから最初から居ないんだ……


私はしがらみなんてないんだ。





「ママを…………探しに行こ?

ハクナも、きっとなんとかなるよ! 


私は悪魔だもん。誰も怖くないよ!」


胸を張って言うと、女の子は少しだけ安心したように笑う。


 ちょうどそのとき、びーっ、と音がして隣の部屋の電話機から紙が吐き出される。

席を立ち回り込むと足元に紙が散乱していた。

 目についたのはプリンを食べる女の子と、いびつに歪んだ悪魔の絵が貼り付けられた、コラージュ写真。

────かわいいですね?


小さくメモが書かれ、連続で来たあとで、また「愛してる」「別れないからな」

「やりなおそう」「愛してる」「愛してる」

紙が連続で吐き出される。

それから、エラー音がした。

「カミヲ、イレテ、クダサイ、カミヲ、イレテ、クダサイ、カミヲ、イレテクダサイ」


「うわっ! もう紙が……」


女の子は私の方まで向かって来て少し不安そうだった。


「悪魔だからね、仕方ないよ」


私はそう言って返すのが精一杯だ。

  うん、まずは監察さんにお願いしてみよう。

それから────それから────


そのとき、外で大きな音がした。

床や壁がわずかに揺れる。


「え?」


ベランダの椅子さんを抱えて窓を開けると

サングラスをかけたやや顎の突き出た長髪の男が立っていた。


「────やぁやぁ! 失礼! 我が名はコリゴリ! 此処に、アサヒは来ていないかハァ?」


「アサヒって、誰ですか?」


「監察屋だよ────といっても、不祥事を起こして先日クビになってるんだけどホォ」


もしかして────そう思いかけたとき、

監察さんがコリゴリの背後からやってきた。

「俺なら此処だ」


「おーんや、アサヒィ!!? 」


「俺に用事か? それともその家になにか用事か?」


「同・じ・こ・と・よホォ! あれで!」



 見上げると、彼の背後のビルの屋上にはヘリコプターが止まっている。


「証・拠・隠・滅」



 その言葉を合図にヘリコプターはいきなり浮き上がり、こちらに向かって飛び始めた。








 私があわてて外に出たときだった。家の背後からも何か悲鳴が上がる。


スキダアアアアアーーーー!!!!

スキダアアアアアーーーー!!!!!

スキダアアアアアーーーー!!!!!


「タイミング悪いわね!」


 まさかと思っていたけど、発生、したのか……スキダが。


「一体、どれだけの執念なんだろう。

あの気持ち悪い人は」


ヘリコプターが飛ぶのにかまっていられない。私は家の中に走りながら叫んだ。


「おーい! 早くそとに出て!!」


女の子は、紙から現れたスキダに驚いている。それは朽ちかけた人のような形をした、どろどろした小人で、紙から沸いては歩いて来ている。

枚数ぶん、それから恐らく棚の中からも。



(……小さい、けれど数が多い。

 さすがに文章や写真からなら平気だと思ってたけど、スキダってどこからでも来るのね)


どうしよう。

私が近付いたらさらに強大化するかもしれない。だけど、女の子が心配だ。

だけど────────



 女の子はポケットから赤いミニカーを取り出す。


「あなたが、おねえちゃんに付いてきたの?」

ミニカーは光りながら少しずつ大きくなり

やがてスキダよりも大きくなった。


「でも私は、あなが好きじゃない。だから、あなたを否定する」


彼女が手を広げた途端、ミニカーはエンジンがかかり、一気に放たれる。

片足でつぶれそうな小さなスキダを次々に轢き殺しながら素早く回転。


「すごい……」


小さなスキダたちはなすすべもなく薙ぎ倒されていく。


「みんな消えろ! 死んじゃえ! すきなものなんか! 好きな相手なんか選べるのは、上級国民だけなんだ!!!



私は! 好きなんて信じない!!」



 このままスキダが潰せれば────と思っていると叫び声がした。

スキダアアアアアアアアアアーー!

スキダアアアアアアアアアアーー!!!


そう、小さなスキダは囮だ。

 彼女の背後、電話機が形を変えてゆき、みるみる巨大化し、人の形になっていった。

大きな腕で小さな体を持ち上げ、首を掴む。

「ぐっ……は、離、せ……!」


スキダは、彼女の顔を覗き込み、ニヤリと笑うと呪詛のように、スキダ……スキナンダヨ……と呟き始めた。


「だ、め……共感、できないっ……!!」


女の子の目から涙が溢れる。

スキダの腕は、彼女には引き剥がせないらしい。ミニカーが小さくなって行く。


『ワカッテ……スキナンダヨ……』


「いやぁ! いやあぁ!」 


離しなさい、とそちらに向かおうとしているとき、頭上でヘリコプターの音がした。庭から油のにおいもする。


「コリゴリ……」


火を、つけられる前に逃げなくちゃ。

だけど、あいつのスキダは、私にも共感出来ない……。

怖くて椅子さんにかかる手に力が入る。

木のざらざらした感覚をなぞると、まるで、心を落ち着かせようとしてくれるみたいだ。そうね、深呼吸、深呼吸。


「あなたって、ロリコンだったの!?」


 私は椅子さんとともにスキダに向かって行く。

スキダはすぐに標的を私に変えた。

椅子さんがスキダに触手を伸ばすと、女の子にかかっていた腕が蒸発して柔らかくなる。女の子は慌てて頭を振り、その場から抜けた。


「おねえちゃん……」


「早く逃げて! 私は悪魔だから大丈夫!」






女の子が外に走って行くのを見届けて、

もう一度椅子さんを抱え直す。


「悪魔だから大丈夫。大丈夫」


もう一度呟くと、なんとなく辺りに、シンとかわいた静寂が響いた気がした。

「……」


 私は、こうやって生きている。

騒ぎで足元に散らばった紙が、生々しくそのことを遠回りだけどダイレクトに伝えていた。そこにある写真が、言葉が、汗や血で滲む。


──こうして、画面の奥に居た。

誰にも知られず、誰かに知られて、透明だけど、確かに私は私だった。

 スキダが動くと、それに合わせて盗撮写真が、ばらばらと宙に舞う。

私は「私というメディア」をみて、私だけの世界で、悪魔で、透明ななかで、ずっとこうやって、なにかと対峙することをやめていた。


「さて、それじゃあ此処から……」


新しい盗撮写真が、私の最期まで飾ってくれるだろうか?

それとも、初めて、

写真にも映らない、観察されない可能性を秘めた時間が此処に内包されるのだろうか?


「不思議。悲しいのに、自由だ」


ドロドロした巨大な人型になったそれと改めて対峙したときだった。

椅子さんがふわっと浮いた。


「えっ? なんで、まだ、あそこに……」


 強引に私ごと動いて玄関に向かって行くので、怪物の方も同時に此方に向かって来る。

 怪物が退いた背中越しに奥の部屋が見える。焦げているようなにおいと共に何か、うっすらと白い煙が見えはじめていた。

「私の部屋!!」


 思わず走りだそうとした私の身体はしかし椅子さんに支えられたまま、そとへと向かっていた。


「椅子さん……!」


椅子さんの決意は固いのか、ずるずると引きずられるままに玄関に足が向かっていく。


「ねぇなんで逃げるの? 今、やっと自由になれたんだよ? こんな争いのなかではきっと盗撮なんて出来ないよ、今なら好きなように私は、存在していられるかもしれないんだよ? 誰からも映されないで本を読んだりとか、ごはんを作ったり……そうだ、ごはん、まだ、食べ掛けだったんだ……、ねぇ…………なんか、言ってよ!」

 

──────…………。


椅子さんは無視してドアにぶつかろうとする。さっき女の子が出ていってから閉めたのだ。


「鍵、開けられないんだ」


私はなんだかちょっと安心する気持ちになっていた。部屋の奥のほうでちょっとずつ赤い光が見えてくる。意外と火がなかなか広がらないのは、ここの高さ上、

法律で防火カーテンが義務付けられているからだ。


「そうだ、せめて、鞄くらい持ってこようかなー……」


口と鼻を塞ぎながら、奥に歩こうとしたときに、ガチャ、と鍵が開く音がした。

椅子さんが鍵を開けたようだ。

強い力でからだが外に引きずられる。


「いやっ!  私、あのなかに行くの! あのなかは! あのなかはきっと、盗撮されないの───────!!燃えてる場所ならきっと………私が人間に────」



 奥の部屋の窓が開き、外からも誰かが入って来た気がしたけれど、身体はほとんど外に向かって居たし、ドアが閉まるにつれて部屋のなかはわからなくなった。






 火をつけたが良いがなかなか燃え広がらないことにちょっと腹が立ったサングラスをかけ、やや顎の突き出た長髪の男、コリゴリは、その次の予定だったヘリコプターで追撃──を一旦やめ、ベランダに着地した。


「────やぁやぁ! 失礼! 我が名はコリゴリ! ってか、燃えるのまだァ?」

挨拶をしながら中に踏み込む。

足元の火はちょっとずつ広がるが、さほど致命的な火災にならなさそうに見えてイライラした。

「あーっ、もう、いい!」

 窓を開け、中に入るなり、驚異のジャンプ力で台所に向かう。

腹が立ったコリゴリはテーブルにあった

マヨネーズの容器を火の中に投げ入れて、適当に毛布を被せながら舌打ちした。燃えていたところで彼は鍛えているのでちょっとくらいなら空気が悪くても平気だったけれど、中途半端はそれはそれで気に障る。


 部屋を見渡すと、あちこちに盗撮写真や送りつけられた紙が散乱しており、部屋のなかの物もまるでこの家だけ長い間時間が止まっているかのように古い家電や昔の雑貨に囲まれていた。


「ふーん、まるで何年も動いてないみたいな家ね……」


──これだけ貼り付かれて、常に監視と嫌がらせを受けていれば当然か。

相手もどうせハクナや観察屋だ。


 観察さん、はそもそもが悪いヤツである。善人みたいな気持ちでやる若者も居るが結局のところは違法。

国が許可したのも、隣国のニュースにあるような監視社会と思われないように国民をさりげなく水面下で監視するためであって、秘密裏ということは結局は、そういうことだ。


 ──ゆら、と影がゆれて、コリゴリの背後に立ちはだかる。


「…………あら?」


「ス、キダ……」


 巨大なドロドロとした形容しがたい怪物が、うめいていた。

コリゴリはポカンとしたまま、それ、を眺めてしまう。

コリゴリには告白や突き合いなどがなかったので、それが何か分からなかったし、先ほどスライムを上から見ていたが、やはり詳しくは分からないでいた。

見たことがないし生物なのかもわからない。


「アーッ!……ハヤクコロシテクダサイ……コロシテクダサイ……ハヤクコロシテクダサイ……ハヤクコロセー!ハヤク、ハヤクコロセ、ハヤクコロセー! ハヤクコロセー! ハヤクコロセー!」


 胸を押さえながらくねくねと動いて辛そうに呻きだすそれが、動いた際にとんだ透明な粘液がコリゴリの顔にも跳ねる。

触手が伸び、それだけは窓の外に向かっていたが、どうやら身体自体は紙だらけの場所から動かせないらしい。


「何なのホォ、こいつ……?」


涙、だろうか、人の顔に似せた部分が、粘液でべったり濡れていて、スキダは懇願するように吠えた。

「てか、なんで、泣いてるの」



「ハヤクコロシテクダサイ! ハヤクコロシテクダサイ! ハヤク! ハヤクコロシテクダサイ! ハヤクコロシテクダサイ!ハヤクコロシテクダサイ! ハヤクコロシテクダサイ! ハヤク! ハヤクコロシテクダサイ! ハヤクコロシテクダサイ!!」


 コリゴリは少し引きぎみにそいつを無視し、まずは観察屋の証拠を隠滅すべく、様々な足元の紙などを手で拾おうとした。しかし、手元の紙からもどんどん小人のような何かが溢れてくる。


「ひっ! 気持ち悪い!? 何これ。悪魔が飼っているの!?」 

『観察されたもの』から這い出しては、それらは元気に動き回る。


ハヤク!

ハヤクコロシテクダサイ!

ハヤク!

ハヤクコロシテクダサイ!

ハヤクコロシテクダサイ!


それはひたすらそう呟き、叶うかもしれない願いをかけている。


「悪魔ぁー! いったい何を連れてきたぁー!!!?」


 コリゴリは真っ青になりながら小人から逃げる。

 そもそもはアサヒを消すことが優先なのだが、アサヒは「この家の監視は上司が命令してるのに、今無視して俺に関わっていたら大変だぞ」などと抜かすから……

 コリゴリは悪魔女に至っては証拠を隠滅すれば殺していいと思っていたからアサヒを追おうとしたのだが、アサヒは違うと判断しているようだった。

わざわざ見張らせているのは殺してしまう為というよりも別の意図があるというのだ。


 けれど、確かに気になるところがあった。それがあの『椅子』────

(あの椅子、やはり、まさかとは思うけれど……だとしたら、悪魔を見張らせているのも)────


コリゴリは近くにあった包丁を手にしてスキダに向かっていく。

「ええい、死ねえ!!」

スキダは錯乱した様子で電話の上に大きな図体で座りながら首を左右に振っていた。

「メノトドク、ハンイニナイナイ!!!カノジョ、ナイナイ!!! アアアン! スキダアアアアアアア!! スキイイイイイイ!!!」


胴体に刃を突き立てるが、びくともしない。泣きながら叫ぶスキダはコリゴリには目もくれず、触手をさらに伸ばして窓から身体を少しずつ出そうとしていた。

 なにかはわからないが、スキイイイイイイと叫びながらこうやって、存在するそれが、何を探しているのかは察せられる。

「チカクニナイナイ!ナイナイカラ、カンサツ、テイサツ!」


コリゴリは悟った。

自分たちが、これを産み出した、それか呼び寄せてしまった。


「ハハァ、観察屋の正体の真の恐ろしさは、コレって、わけ、だ……」


刺さりもせず手に握られたままの包丁をもう一度構える。スキダはそんなものに興味は無いようで、それよりもやはり窓から少しずつ外に向かって居た。


「まあいい、今のうちに」


足元の紙を集める。集めると同時に「悪魔の観察」が一体どのような物なのかを理解した。


「でもこれ、現場の指示が出てるんだから、逆らえないのよホォ」


小人が手にぶらさがって来るのを振り払う。俺の思いを邪魔するな、というように足元の小人はそれぞれギャーギャー喚いた。


「悪魔に人権は必要ない。それが現実よね」






 振り払われた小人は団結して騒ぎ立てた。

スキダ、スキナンダ、スキダ、スキダ、スキナンダ……スキナンダ、スキダ、スキダ、スキナンダ……

よほど腹が立ったらしい。寄せ集まって抗議している。


「そんなにぶつぶつ影からうるさいなら、当人に言いなさいよホォ。あんたら、卑怯だわ、こそこそこそこそ! 

どうせ家主に会うことになるし、ついでに

此方が言ってきてあげようか?」 


小人たちは聞く耳を持たない。


「うるさいから死になさい!」


 叱りながら叫びつつ、とにかく書類を束ねて脇に抱えて……

居たところで、ふと不思議なものが目に止まった。


「なにこれ、薬……」

 手のひらサイズの透明な薬ケースに入った錠剤だった。俯いて垂れてくる長髪を振り払い、観察する。普通のカプセルだ。なにかはわからない。


「何か病気持ち? そんな話は戸籍屋は言ってなかったけどホォ」


──向精神薬だろうか?

確か、ニュースで連日やっていた限りでは強制恋愛条例が出来てから、精神的な疾患で病院にかかる人が急増していた。

 またそれだけではなく、脳の問題で特殊な発作を起こす人が現れ始めていることもわかっている。

恋愛性ショック……とかいったはずだ。


 ポケットから端末を出してさりげなく記事を探す。

 扁桃体付近に過剰な負荷が急激にかかるらしくオキシトシンやアセチルコリンがどうのとか、近年になって発見された感情の伝達エラーが重複してしまう難病とされている。 判断と感情が安定して機能せず、体が暴れたり呼吸困難になったり、発狂するらしいが、今まではうつ病の一種とされていたとかが書かれている。


「まぁ──マニフェスト、ですからね」


 端末を閉じ、とにかく早いとこ玄関に向かおうとしたコリゴリは、紙を抱えられるだけ抱え、食べ掛けの春巻きなどがのったままのテーブルの横を抜け、ドアを目指して進む。

──途中で、目の前に、影を見た。


「──────え?」


目の前に。

進行方向にスキダの本体が回り込んで居たのだ。


「ギャアアアアアアアアアア!!!」


『────スキダ』


「私は、好きじゃ、ないいいいい!!!」


「イウナ────────!」


「え?」


「イウナ──」



ぞわ、と全身に鳥肌が立つ。

スキダは、鳴き声に過ぎないわけではなく、しっかりと意思を持ち話し掛けてきていたのだ。


「イウナ────スキダ────イウナ」


「も、しかして────告白を、恐れているの?」


「イウナアアアアアアアア────!!」


ゴォォォ、と低く唸る風のような息と共に、スキダは吠えた。

コリゴリを外に行かせたくないらしい。


「───イウナアアアアアアアア!」


 腕を振るい、コリゴリの顔を殴り付ける。強い衝撃とともにコリゴリの体は飛んでテーブルにぶつかった。

痛みで声が出せない。口から血の味がする。意識が少し朦朧としていた。


──なにが、起こったの。


スキダの体は真っ赤になったり真っ青になったりを繰り返しながら、体から湯気を出していた。かなり怒っている。


「ウアアア!  ウアアア!」


──好きなら……言えば、いいじゃない! 言えないような相手? あなたが好きなのは……恥ずかしい相手、なの?


スキダの足が伸び、朦朧としているコリゴリの頭を蹴りあげる。テーブルの足に頭をぶつけ、目の前が一瞬真っ白になった。

じわー、と冷たいような衝撃が頭のなかで広がって皮膚に染みていく。

「か、らだ、痺れて……だめだ……ああ」


足元にバラバラと紙が散らばった。

紙には、ほとんどが同じような言葉が添えられていた。

愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる

愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる

愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる

愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる

愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる

愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる

愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる

愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる

愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる








・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



その頃、街には少し変化が現れていた。

『わかりました、同・性・愛・は・認めましょう!』


 昨夜のおぞましい騒ぎの様子は一夜にして市長にも知れ渡っていた。


 けれど、椅子は椅子だ。人権などあるわけがない。対物性愛の醜さから逃れたいが少しは恋愛に対して市民に前向きな姿勢を見せたい。

そんな理由から今ではとにかく『生きものでさえあれば』幅広い支援をすることをより確約する企業なども増えているらしい。

──意地でも、生きもの以外には恋をさせるわけにはいかない。

それが恋愛時代に生まれてきた旧世代のプライドだった。

これにより、より一層対物性愛への迫害が強まっていく……

















「あ……薬」


 必死に促されるままに慌てて外に出た女の子は、道の途中で気付いた。薬……薬がない。

恋愛性ショックの発作をおさえる為のものだ。この病気はママもある日いきなり発症して持っており、遺伝的な病気だった。


 熱心に強制恋愛反対を 訴えたママがそれだけでハクナに目をつけられたことは不幸でならないが、反対を続けて来たことは間違ってはいないと思っている。

 こういう病気や、理由がある人をろくに知りもせずに、

平等な恋愛などというおしつけがましい卑劣な政策を行ったのだから。

「なにが幸せだ、バーカ! じごくにおちろ」

 幸せになりたい、なんて所詮はどこまでも自己中でしかないのだ。誰かを認めれば誰かは省かれる。善人みたいな口調で、偉そうに平等なんか語る恋愛至上主義者の身勝手な薄っぺらさには辟易する。


 後ろを振り返ると、まだ心臓がバクバクと鳴った。

……おねえちゃんは無事なのだろうか。


 理由はわからないが、スライムを殺したって、言っていた。

あの禍禍しい執念の怪物と戦ったのだ。

 傷付いた姿を思い出すとなぜか涙が溢れてくる。


 何もかも、恋愛至上主義者が、勝手に好きな相手同士を結ばせよう、それ以外は迫害させようとしてきたせいだ。

恋愛のせいで、めちゃくちゃだ。

「偉いかーー!!!」


怒りと悲しみで震える声で、私は誰にともなく叫んだ。


「他人を好きになって、偉くなったかーー!!! そんなに、誰かを好きな自分が好きかーーっ!!!」


 手にしたミニカーはもとのサイズに戻っており、彼女の手のひらにすっぽりと収まる。

感触を確かめながら、ゆっくり呼吸する。さすがに……さっきのスキダの攻撃のせいで、また頭がふらふらしてきた。

瓦礫の下から出てきたときに巻いてもらった包帯が剥がれかけているのを押さえつけ、倒れないように踏みとどまる。

 (……私のスキダは、まだ不完全で、長く使おうとすると疲れてしまう)


──花畑や野菜畑を抜け、ビルの影になった道に向かって下っていく。

あのときはあまり周りを見れていなかったけれどあの家は薄暗い要塞みたいだ。社会から閉じ込められ、隠されているみたい。


どうして、悪魔だから?

ずっと、悪魔は、ああやって暮らすの?


「おぉ、居たか」


──目の前に、観察さんが立っていた。


「かん、さつさん……」


いや、確か……


「あ、アサヒ、さん」


「……まぁ、アサヒでいいよ。あいつは……」


「家の中で怪物が現れて悪魔だから平気だって、言って……」


「なに!? あぁ……たぶん、俺が、あの部屋に来たから……」


ゴニョゴニョ言っているアサヒの頬を引っ張る。


「とにかく、あの怪物は、私には、倒せなかった……行ってもたぶん足でまといだ。アサヒは、戦ったことある?」


.


「ない……あの中に、まだ居るのか?」


「うん」


「さっきのあのコリゴリって人が、俺を無視して家の中に入っていったんだ。証拠隠滅だとか言って……家ごと消した方が早そうなのに、どこかから指示が出たらしい。

耳についてる受信機みたいなので何か聞いた直後からなんだか雰囲気が変わっていた」


────どうしよう、二人は戦うだろうか。

顔を見合せて焦っていたそのときだった。

中から、彼女の叫ぶ声が聞こえる。


「いやっ!  私、あのなかに行くの! あのなかは! あのなかはきっと、盗撮されないの───────!!燃えてる場所ならきっと………私が人間に────」


 悪魔が願う、唯一の救いがあるかもしれない場所がその火の中だということが、あの異常な世界をよく表していた。

盗撮や、沢山の迫害行為、市民たちの目の前での嫌がらせ。すべてから、生きられるのが火の中なのかもしれない。

ドタバタと揉める音がして、ドアが開く。

 やがて、椅子さんが彼女を引っ張ったまま飛んで出てきた。


「椅子さんって、とべるんだ」


 呟いている横でアサヒは少し戸惑ったようすで二人を見つめている。コリゴリ、というのは出てこないが……どうかしたのだろうか。

 と、アサヒに言おうとしたとき、頭のなかがふわふわして、体から力が抜けてくる。

あぁ────ちょっと、疲れた。



(10/17AM2:15)
















「諸君。


スキダはただのクリスタルだが……ときどき、不思議な現象を引き起こすらしい。

これが、このたびの強制恋愛条例でより顕著になってきた。


──つい昨日の観察班の報告によれば、

スライムが凶暴化して対象のもとに乗り込んだとのことだ。

数十、から数百のクラスターを連れて!!!」


公民館内に設けられた、恋愛総合化学会の定例会会場で男がボードを叩きながら声を張り上げる。その力で彼の頭の上の疑似髪もふわっと舞い、すぐに定位置に着地する。


「まぁっ!!!? あぁ~……」


藤色のスーツを着込んだ会長が、両手で顔を覆いながらしなっと崩れるように事務椅子に倒れる。


「会長!! 倒れるのは早いですよ」


「だが、このスライムは数時間後には死体となって発見されているのです!」


 会場がざわめく。

スライムが凶暴化させたスキダが、対象を殺さずに、殺されているというのだ。

彼らはこれに驚かないわけにはいかなかった。


「その相手というのは……」


「スライムがスキダを向けたのは、あの『悪魔』。

悪魔には冷酷な感情しかありません。

スキダを躊躇いなく殺しました」


おおっ、と会場が沸き立つ。


「これは恋愛総合化学会内部での秘密にしましょう。万が一、市民にこのことが知られたらマニフェストが台無しです」


会長は頭痛を抑えながら苦々しく呟いた。


「……クラスターを引き連れたというのは、つまり共感を内外に広げられるということですよね。場合によっては我々が後押しした政治にも関わってきます」


禿げた男が汗を拭きながら答える。


「今のところは……異常者の体質、個体の差によって過剰に能力が引き出されると思われます。昨日の発動者もスライムでしたし……コリゴリが調査に向かったはずですけど。異常者を調べあげておけば、対処可能かと」


会長は、近くにいたひょろ長い男に指をさす。

「ヒューマン以外の種族のデータ、それから、異常な恋愛対象保持者のリストを手配するように」



















「どうして」


 椅子さんに引きずられながら、私は地面を睨む。苛立ちを堪えきれなくてぎゅっと手を握りしめる。椅子さんと私はしばらくして、家の裏側に着地した。

地面に足が届くと同時に、悲しみもとめどなく溢れた。


「どうして! 私を生きさせてくれないの! 観察されないでちょっとの時間過ごして見たかっただけなのに」


──火のなかに居てもそれは出来ないよ。間違ったら……


 やっと話してくれた。

安堵と、やはり腹立たしい気持ちが同時に沸き起こる。どうしても聞いておきたい気がしたから私は椅子さんの言葉を無視して続けた。


「悪魔が死ぬとか生きるとかどうでも良いじゃない! もともと望まれない子だし、社会も望まなかった、誰も困らないし、それに──それに」


 改めて何か言おうにも、やはりどういう気持ちなのか、自分でもよくわからない。けれど黙ることはしたくなかった。


「炭や、灰になったら空気になって、物になって、きっともっと近い形で椅子さんのそばにいられる」


───きみは愛されているんだよ。

人間の形でも。


「あんな紙ばかり見ても、何もわからないわ……とおくから、こそこそ、こそこそ、

愛されるって、とても辛いのね。

愛されるって、詰め寄られて、会話が通じない!」


 椅子さんは体から触手を伸ばして私の頬に触れた。


──椅子だって、此処に居るよ。

此処に居るのは人間だけではない。

人間以外も、生きてこの世界に居るよ。

それに。


がた、と直立している私の足にもたれ掛かり、椅子さんは言う。


──私は、木だった。

森に根付き、大地にそびえていた。

椅子という物となり、人間の元に来たのは私の方だ。

それは死であり、命の始まりだった。


「木……そうだ、椅子さんは、空から来たのよね? 神様が椅子にして大地に投げたの?」


────。


ガタッ。椅子さんの木の感触が足元に絡み付く。触手が伸びて身体を包んだ。


「…………」


────人間が憎いなら。



「うん……?」



────物でいいじゃない。

どうして椅子の前で、人間の話をする。嫌いな人間の話をしたって、そいつらは君を悪魔としか思わないじゃないの。


「椅子さん……」


──椅子さんは、椅子の話がしたい……


「椅子さん!!」


 しゃがみこみ、椅子さんにしがみつく。


「私──どうして自分が悪魔なのかわからない。だけど物心ついたときから、ずっと悪魔だった……! 

 椅子さんが、木だったこともそこから生まれ変わったことも覚えてて羨ましい。私も木なら良かったのに」


──うん。


「椅子さんが、椅子さんなの、すごく……うれしい」


──そう。


少し照れた椅子さんが私を撫でる。身体は傷だらけ、服は汚れていたけれど、穏やかな時間だった。


「──私はなぜ、あれに好かれているの? こんなに迫害される悪魔を好きな人なんて、ろくな人間じゃないに決まってる」


 あのスキダは、私が悪魔と言われたときからずっと私を見ている。

改めて直視して外に出た途端、それが急に現実味を帯びて実感してしまった。

 それに、スライムのこともある。私は他人のスキダを、冷酷に殺せるのだ。


戦う。殺す。

恋愛に与えられた使命。

恋は戦争。


椅子さんにしがみついていると、なんだか人間とは違って、心が安らぐようだった。

──きっと悪魔として私を育て、何も知らないまま悪魔として見守り、最後にあのスキダで悪魔として私を取り込む気なんだ……その為の、愛情なんだ。

 両親が物心がついたときから何も言わないで放置しているのは、悪魔として冷酷な心を育てる為に。そう思っていた。


 だけど、それならスキダを差し向けて殺しにかかる必要はない。冷酷な心には毒にしかならない。

ぬくもりは毒にしかならない。


「せめて、告白、は無いよ。

理由など無いはずだよ。


どうしてスキダなの……

何年も、悪魔として育てて……スキダなんか要らないの、わかるじゃない……


──執念の塊、怪物としての概念的存在を他人に差し向けているようにしか見えないのは、私が悪魔だから?」



────私は。


椅子さんが言う。


──あの日の嵐で飛んできた。

だけどずっと、椅子と話せる存在を待っていた。

それが悪魔なのか何なのかはどうでも良い。

ただ、この今の瞬間が椅子と、君が話す運命なんだよ。


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