椅子こん!

たくひあい

第1話 椅子と付き合うから!



 恋愛をしないと処刑されるという社会が生まれたから成りゆきで、目についた椅子と付き合うことになった。

椅子とイチャイチャしたり、恋愛について考えたり、椅子と仲良くしたり、友情について考えたり、もちろん、椅子といろいろする。といいな。


「はい、椅子」


私は椅子にスプーンを向ける。

口がどこかわからないけど。

ぽた、と椅子の上にスープがこぼれるのをなめとって、ヤバい。やっぱり、私椅子のこと好きかもしれない、と思った。笑わなくても泣かなくても会話しなくても。


椅子と人間。

それは案外幸せで、みんなが笑うとしても、幸せな毎日ならいいと思える…………


*********************


恋愛する人って、嫌い!

嫌いって、いうか、なんだかずっと気持ち悪いって、思ってきた。

お父さんもお母さんも家に居たことがほとんどないし、正直言って一人愛を学ぶにも限界があるよね?

カッコいい人が現れればどうにかなる?


それは、ファンタジーのなかのお話!

恋愛にしか理解がない人が、都合よく作った設定なの!

何も知らないってのは結局、何も知らないってことなのよ!

私もずっと、そう思ってた。椅子に会うまでは…………










『44街は、スーパーシティ条令に基づき、全員恋愛を目指します!』


 私の住む44街の朝が歪み始めたのは、ちょっとまえ。

あちこちで過疎化が進み労働力の確保が難しくなり始めていたことを受けて、超恋愛世代の生き残り…………私より、前の前の前の前の前の前の……とにかくちょっと昔の世代の大人が決めてしまったのが『市民は全員恋愛をしなくてはならない』というおぞましいものだった。


 けれど、別に細かいチェックが入るとは聞いていないし、家でおとなしくしてればいいでしょと思うわけです。

恋愛といっても、やむを得ない場合なら二次元でも良いらしい。


 だからその日も、扇風機の風に当たりながら「今日も暑いなあ」ってなりながら、部屋のなかでおとなしくしていた。


 44街にある私の家。三重の鍵を開ける先にある私の部屋。

ごちゃごちゃと壊れたラジコンとか謎の人形とかが本棚に乗っかり、くたびれてあちこち継ぎ接ぎされたソファーがあって、はだか電球風のライトがついている落ち着く空間だ。


 私はその真ん中あたりで、恋愛強制法とも取れるあの条令の新聞を読んだ。ポストに入ってたやつだ。無料だって!

「ふむふむ、『恋愛が出来ない者は、非生産的な存在である』……『甘えだ』『自分がかわいいだけである』……」


こいつはヤバい。

コラムが、完全に片寄った内容だ。


いやいや、自分がかわいいから好かれたいんじゃないんかーい!

と思うんだけど。ブーメランだわ……


新聞を眺めて、畳んで、私は思う。

呟いた。

「アホらし……」



そのとき、外で派手な爆発音がした。

あわててサンダルを履いて引き戸を開ける。

「なんか恋愛をしていない者を発見したらしいよ」

「うそ~」

「甘えが死んだだけか~」


ひどい……



拳を握りしめた。

けど、変だ。恋愛をしてないだけで、爆破されるなんて聞いた試しがないし、そんなことは、どこにも載ってなかったはず……

周囲がざわざわしている。

慌ててポケットに入れていた端末を操作してテレビをつけた。


チャンネルを地元に合わせて、数秒待つ…………少しして映る画面は、いくら局を変えても、普段の平和ボケした番組ばかりやっていたので、少なくとも今の時点でなにか放送されたりしないらしい。

(それとも、これからも?)



「とぉ!」


と突撃されてびっくりしながら横を見ると、同級生のスライムが居た。


「なんか恋愛してないと処刑されるって、噂だよー!」


「嘘……」


恋愛してないと処刑される?


「あの家の人、恋愛なんか絶対反対だって、言ってたんだって、

本屋に恋愛ものばかりスペースがあるのも、みんな馬鹿げてるって……その活動が、目障りだったみたい」


……なるほど。でも、確かに本屋には恋愛ものばっかり置いてあった。

それも、人と人とのものばかり。

私やあの家の人のような人は、孤独を感じるのもしょうがなかった。

 スライムは困り顔で私を見た。

「私も、相手がまだなんだけど……決まった?」


「あー…………うんうん、決まった」


少し考えてから私はうなずいた。友達が恋人なんて駄目だよね!

兼用とか情報量多すぎちゃう。


「そうなんだ……」


スライムはぽよぽよしながらも、少し項垂れた。








私は昔から、好きって言葉が嫌いだ。

肉や野菜じゃないのよ?

人間なのよ?

食べ物みたいに選ばれて、好き嫌いで選別されて、あなたのために生きてるわけでもないのに、って、思うと、すごく惨めな気持ちになるからだ。


だから、好き、と言われることが多い告白シーンなんてやってられない!!

気持ち悪いわ!

 告白シーンがまず大嫌いな私は、恋愛への増大な憎しみを胸に、ごはんの支度をする。

小さなテーブルの置かれた比較的綺麗な台所。床のタイルは花が咲いたみたいに鮮やかだし、ついでに窓際に花瓶に入れた花も飾られているお洒落空間だった。


続いてごはんの支度!


たまねぎ、合挽き肉ミンチ、牛乳、たまご、パン粉、調味料!


1.まずたまねぎを細かく切ります。みじん切りって言うんだって。

皮を向いたら縦横に適当に包丁を動かして、とにかく、細かくすることしか考えてない。あとたまねぎは目がいたい。


2.肉とたまねぎを混ぜてボールに入れて、塩を小さじ、砂糖を大さじで1杯ずつ。

胡椒とかもいれて、卵を割っていれる。


3.牛乳をちょっと全体的に肉より少ないくらい入れてパン粉をつなぎに入れる。



これを捏ねる。


「うわー! ごはん出来る?」


 後ろから声がして、振り向くと小さな女の子が立っていた。

寝かせていたのにドアを開けてきたようだ。恋愛を拒絶して爆破された瓦礫の下から見つけた子で、頭に包帯を巻いている。というか私が巻いたんだけどね。


「お姉ちゃん、好き!」



私は頭をぐりぐりする。



「だーかーらー好きって、言われるの嫌いって、言ってるで、しょ? 私は食べ物や素材じゃないの!」


「ごめんなさいー」


まだ幼くて、3歳くらいだろうか。

耳元くらいまである髪は綺麗な水色をしている。宝石のような瞳が楽しそうに輝いていた。


 肉その他を、柔らかさが、ハムスターくらいになるまでしっかり捏ねる。

ちょっと水をスプーンくらいの量で混ぜながら捏ねるといいらしい。


やがて女の子が椅子におとなしく座っているのを見ながら、作業を再開した。

 えっと、そのあとは、伸びたハムスターくらいの俵がたにして、ちょっと薄めに伸ばして、火が通りやすいように真ん中に穴を開けて……

ブルーサファイアくらい色までこんがり焼き色をつける。



台所にだんだん良いにおいがしてきた。



「あの……さ……」


私はハンバーグを焼きながら改めて確認する。


「いいの? お家に、帰らなくて」



「いいのっ!」



彼女は頑なだった。



「国も、先生も、守ってはくれない。


恋愛をしない人が居ることが、非常識だから、助けてはくれない。だったら、にげるしかないもん」


こんな小さな子まで、恋愛への重圧を感じ取って自分なりに意思を持った行動をしてる。当たり前ではあるけど、なんだか、胸が痛かった。

非常識だから、なんて、どこで覚えてきたのだろう?


「そっか……ねえ、変なこと聞くけど。恋人とか、居ないの?」


ひっくり返して両面焼き色をつけながら私は聞いた。本当は、小さな子は就学適正年齢まで恋愛を待ってもらえるんだけど、なんとなく。


「これ」


彼女はワンピースのポケットから、赤いミニカーの玩具を取り出した。


「恋人」


真剣に目を輝かせるので、本当なのだろう。


「人間の恋愛ばかりは反対だけど、どう

してもっていうならって」



一旦火を止め、私は彼女の綺麗な髪を撫でた。


「偉ーい! それってすごいね! そっか!」



 人間ばかりに気をとられていたけど、恋愛はいろんなものにすることが出来る。




ハンバーグを食べている彼女を見ながら、私は考えた。彼女にはまだ猶予がある。

けれど、私がこのまま恋愛をしなければ……此処も 狙われてしまうだろう。そうなったら彼女はまた一人だ。



「よしっ!」


私は椅子に座ったまま、拳を握りしめた。横にある換気扇がカタカタ、とわずかに回る。

強制恋愛条例を、乗り越えるぞ!

 決意を固めている横で、女の子は大人しくフォークを駆使してハンバーグを食べている。おいしー! と喜んでいた。



それから……恋愛嫌いの人が狩られてる理由も、探らなきゃ。

そっとテーブルの下でポケットから出した端末をいじる。テレビが付き、ニュースが放映された。

 人気俳優が謎の死を遂げたという。

彼は恋愛ものには出ないことで有名で、恋愛強制にも反対する活動をしていた……


(消されたんだ…………恋愛条例を、拒絶したから……)










ネットワークに繋いでみると、愛至上主義テロリストの話題が盛り上がっていた。

どうやら、恋愛至上主義の団体で、しかもそのわりには、獣姦や対物性愛は認めてないらしい。


(集まってどうするんだろう。乱交パーティーでも開くのかなぁ)


「お姉ちゃん、食べないの?」


女の子に聞かれて私ははっとした。

「ごめん、ちょっと調べものしてた、さっ、食べよー!」


箸を手にし、いただきますをする。

うん、無難なハンバーグの味……なかなかうまく出来たのでは無いだろうか。


「おいしいー!」


咀嚼していると、彼女は食べ終わるところだった。


「冷蔵庫にプリンがあるよ」


私はついでに言う。

ぱっ、と女の子の目が輝いた。

「待ってね」


近くの棚からスプーンを出してきてテーブルに置いて、冷蔵庫からプリンを出してきて、テーブルに置いた。



「……あのね」


女の子が、プリンを両手に抱えたまま項垂れる。食べないのかな?と見ていると、少し間を置いて話し出した。


「わたし、どおして、皆が、恋愛が嫌いなひとを差別するか、わかんない」


つきりと胸が苦しくなる。


「自分は好かれて当たり前だ」

みんな、心のどこかで思っていると思う。

好かれて当たり前だから、相手も好きになる。そうやって、続いてきたんだと思う。


「わたし……恋愛が嫌いだって言ってるママは、輝いてると思ったよ。とっても、頑張ってると思ったよ」


両目からみるみるうちに雫が溢れだして、頬に伝った。


「みんな、人が好きなんじゃないの?

どおして、ママは嫌いなの?」



私にも、答えに困る問いだった。

人が好きな人は、人を嫌える人。

人を守れる人は、人を倒せる人。

プリンに輝かせた目が、みるみるうちに曇ってしまうのが彼女の痛みの大きさを現すような気がする。


「ママは……」


私は恐る恐る聞いた。


「見つからないって、がれきの下を探してる、みたい……でも私はわかるよ。きっとハクナに誘拐された」


「ハクナ?」


彼女はハクナについてそれ以上は語らなかった。口を両手で押さえ、首をぶんぶんと横にふる。


「お姉ちゃんも……気を付けて」


恐る恐る、プリンの容器に手を伸ばすと彼女はラベルを剥がして食べ始めた。


「あ……甘い……」


ハクナは、恋愛至上主義団体と関係があるのだろうか。

















・・・・・・・・・・・・・・


ベランダから陽射しが差し込んでいる。


寝ぼけながら目を覚ますと、相変わらずなにやら生物が目の前を横切っているので、二度寝したくなってしまうが、彼はしかたなしに寝室から身体を起こす。


「お弁当はエビフライにしてくださぁい」


朝から目の前の生物――、いやたぶん人物は言った。

しかし人物と、表して良いのかも正直なところわからない。

その人物は、少し前までは人魚だったらしいから。

とてとてと、子どものように乱暴でタドタドシイ歩き方で、部屋中を駆け巡る姿は、確かに陸になれていないようにも思うけれど、だからって、人魚。


「あなたは誰? どうしてこの家にすんでいるのかな?」

一応、これまで何回も質問したことを彼は改めて聞いておく。

「私のおうちをぶっ潰して建てられた人間のお住まいに、私が住んではならないのですか?」


たんたんと、無邪気な声が、返答をすることなく質問してくる。

毎度のことだ。

困ったな。

高校生になって独り暮らしを始めた彼がこの安アパートに引っ越してきて数日。

二階からごそごそ音がしたり、忙しくてほとんどシャワーで済ませるので、使っていないバスタブがやけに濡れていたり、不可解な現状でいつも悩まされていたのだが、まさか、やたらとそういうのに遭遇すると言う母上のように心霊現象ではないとは。


バスタブに浸かっていた、つやつやの、増えるわかめのような、個性的な髪質の彼女。


小柄で140センチくらいの慎重。

見えているのかわからない、曇ったガラスのような目は人間の色素とは違うのか、赤いような青いような、独特の輝きを放っている。

素朴さのある真ん丸の目丸い顔。歯は少しとがっているが、それくらい。

ある日、姿を見せてからというもの、彼の会話に噛み合わせる気もなく、エビフライがいいですを繰り返してついてくる。

「ねー、エビフライがいいです」

「はいはい」


朝から揚げ物なんか作る気力がない、と彼は考え、昨晩買っておいた惣菜コーナーからの逸品を冷蔵庫から出して差し出す。

その生き物は、不思議そうに眺めて 暖かくない、死んでます、と通告してきた。物騒である。


「おまえさ、もっと良いとこに行けよ? 俺なんか母子家庭で実家も正直貧しいし、バイトとかで今はどうにかギリギリ独り暮らしだぜ」


アルミホイルをしいた上にエビフライを二つのせて、トースターに入れながら言う。


ほやーんと不思議そうなリアクションをされた。

それから。

「湖が潰されたのでここから動けませーん」


地縛霊みたいな感じだろうか……


「そうなの? といってもな、俺は建設に関わってないからさ」

「ぼしかてーって、食べ物ですか?」

「両親の離婚や死別」


ぶわっと目に涙をためられた。リアクションが大きい生物だった。


「カワイソウな生き物です」

「そうかぁ? そう言ってくれんの、お前くらいだぜ。世間は冷たいからな」













「告ー白!」



「告ー白!」


「ノハナちゃんは、先生と付き合ってるんだって!」



付き合う、が目新しい文化になっている現代で、その噂が流れることが意味するのは『いじめ』だった。


「私、牛じゃないもん! 付き合うって、何なのよ! ねぇー! 私、ツノないんだよ? なんでつきあわなきゃいけないのー?」


意味のわからない、侮辱的な言葉がまず襲いかかった。腹が立つ。

 しかしこの旧人類の語彙力を気にしている場合ではない。「スキダ」を手に入れたら「告白」というミッションが課される。告白というミッションがどのように行われるかは、皆が、見守り、やらない場合には残酷な刑が待っている。


「うわああああああああああ!」



ノハナは走った。ひどく錯乱してはいたけど、要ははやく終わらせればいい。

途中、恐怖で足がすくみ、コンクリートの地面に頭を打ち付けた。


「あーっ!あーああああっ!」


血が流れる。皮膚がヒリヒリと鈍い痛みを貼り付けたようになる。


「うああああーっ!あああああああー!!あああああーあああああー!!」


告白が何をすることか、よく知らないが、

彼女は近くにあった鏡の前にふらふらとしゃがみこみ、叫んだ。怒りと、激しい悲しみ。ドキドキと胸が高鳴ってこの足元がぐらぐらと揺らぎ、震えが止まらない。

逃げても、残酷な刑が待っているし、逃げなくても、こうやって戦場に向かうだけだ。


「告白ー! 告白ーっ! うわああああああああああうわああああああああああうわああああああああああうわああああああああああー!!」


楽になりたい。楽になりたい。

楽に。

付き合う、をする必要を思いだし、鏡に向かって突進する。わけがわからないなりに告白と叫べば、告白になる気がした。

こんなものがどうして面白いのだろう?


カシャーン!


 鏡が割れた。

案外軽い音がして、辺りにガラスが舞った。光の粒となり制服にこびりつく。

それは彼女の皮膚を切り、顔や腕から血を滴らせた。痛い。痛いけれど、それよりも

このいじめの方が痛い。

「好きー! 好きー! はやく終わって! はやく!」

怖い。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


なんでこんなことが楽しいんだ!!


 クラスメイトは彼女の告白にときめいていたけれど、あえて上げるなら、鏡にではなく噂のある先生にしなくてはならないので、パチパチと拍手を送ったあと、ふたたびコールが始まった。


「え……」


勇気を出したのに……

つきあうも、告白もしたばかり。

彼女は青ざめた。

 あとから思うと、廊下の鏡の木枠に好意を抱いていたからの行動だがこのときはただ間違えたのだと思った。


「わかった」


だから、胸元に忍ばせている短剣を手にした。鞘から抜き取り、軽く構えて職員室の方向を睨み付ける。


ここは中学校の職員室の途中の廊下。

鏡は廊下にあったものだった。


「先生をだしな!!」



生きるか死ぬか。


額から汗が溢れる。


まさか、当人でなければ、ミッションが成功ではないとは。


周りのクラスメイトは、一気に沸き立った。

「先生なら職員室だ」

クラス委員のコメコ女史がメガネを動かしながら言う。


「ひゅー!!」

「告ー白!」

「告ー白!」


 この前、告白で死んだやつが出たばかりなのに。どうしてみんな、この陰湿な遊びをやめられないのだろう。「告白」は、体よくいじめをするために始まった文化。

そして恋愛は人殺しを減らすために始まった文化だと言われている。


「告ー白!」

「告ー白!」


ぱち、ぱち、と手を打ちならしているギャラリーはみんな目がにやけており、不気味に口元が歪んでいた。


「妄想が、捗るわ!」


「一日の憂さ晴らし!」


『また、見せてね!』


好き好き好き好きって、バカみたい。

みんな、

思わないの?


「ナナワリ。はやくスキダって、言った方が身のためだぜ?」


 ひゅんひゅん、と輪っかを投げ回しながら坊主頭のクトーが笑った。もう、おかしくっておかしくってたまらなかった様子。

 スキダが与えられた者は人権を無くすことが決まっていた。7割くらい。ナナワリとも言われている。


制服のスカートをきゅっと握りしめて、職員室に特攻する。

ギャラリーは面白がってディフェンスに走った。


「邪魔を!するなぁあああ!」


ガラスの破片が舞った。彼女の血も舞った。身体中が痛いけれど、立ち止まれば殺されてしまう。

彼女はスキダを手にする予定はなかった。


昇降口下駄箱テロにより、数名に

ラブレターといわれる脅迫状が送りつけられたことから始まったのだ。

中身は、


魚の形をした半透明なクリスタル。

『スキダ』だった。


スキダなんていらない。

ミッションに走らなきゃいけない。

けれどそれは強制措置であり、断ったとしても、親族や血族にスキダを回されることが決まっていた。

 ただし、スキダを欲しがる人もいる。

なんとこれ、粉にして吸うととてつもない快楽が得られるらしく、『ビッチ』たちの間では大人気。ビッチたちはスキダを渡される人を侮蔑で『マクラ』と呼んだりした。枕営業のことだが、恋愛が戦争な今、そんな言葉を喜ぶのはむしろ彼女たちくらいだった。彼女たちの語彙力は低いのだろう、ずっと、告白とか付き合うとか、恋愛関係のことしか言わない。恐らくは性に関した言語でしか他人を表せないのだろう。


 とにかく、スキダを手にすることは、対立候補や対象と戦い生きるか死ぬかということ。個人の感情など関係なく行われるテロだ。


 職員室のドアに向かう彼女は途中でずらりと並んだ女性たちを見た。

『スキダ』を手にしたいので邪魔してやろうと待ち構えている、ビッチ集団の『コネコネ』だった。

「コネコネ!」「コネコネ!」

コネコネは、特有の奇声を上げて嘲笑しながら、小型の銃を向けてくる。

水鉄砲だが、中身は「何」かわかったもんじゃない。

似たような顔の5、6人の女の子たちがずらりと並んで真っ先に彼女に詰め寄った。


「はずかしいんでしょ!」


「そうでしょ、そうでしょ!」


「緊張でしょ!」


「そうでしょ、そうでしょ!」



一見ポジティブな言葉を向けてくるけれど、当事者にとっては、あまりにも最低な言葉。

ただ、彼女たちがわかることは無いのだった。



「緊張でー! こんなに怒り狂うかああああああ!!」


彼女は、コネコネ全員にあたるようにスクールバッグの持ち手を握り、回転する。

密着してきていたのもあって、全員がスクールバッグに頭をぶつけた。


「きゃあ!」「きゃあ!」

「きゃあ! 」「きゃあ!」


「全く、人を侮辱しないで」


よろけたコネコネはすぐに起きあがり、彼女を囲い込もうと腕を伸ばしてくる。

窓の外ではヘリのプロペラのような音がしている。


「観察さんだ!」


「きゃあ!観察さんだ!」


「観察さんだ!」


「観察さーん!」



コネコネは、彼女を放り出すと慌てて、窓際に向かって走り出した。観察さんは屋上のヘリポートではなく、校庭にどうにか着陸し、廊下にいるこちらに向かって手を振る。忍者のような頭巾をかぶっていてサングラス。顔はよくわからなかった。


「今日も、いいのが撮れたよー!」


首に下げている大きなカメラを掲げて、観察さんは叫んだ。


「観察さぁん!」

「観察さぁん!」

「観察さぁん!」

「観察さぁん!」



観察さんは、学校も国も公認の写真やさん。別名は盗撮やさんだ。

窓際からいろんなVIPや芸能人や近所の奥さん、クラスの可愛い子からイケメンまで、あらゆる写真を撮り売り渡している。


「今日もお仕事ですかぁ~」


女子生徒が一人、窓を開けてそこから外に這い出てくる。

他の数人が続いた。

観察さんは彼女たちにモテモテている。








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──あぁ黄色い『インコ』ちゃん。

どうやって活用してあげましょう?



瓶に入れて持ち歩く?

アカシアのように帽子につける?

それもいいですね。


前の大戦によりあの大樹の1つが滅んだとき、木は残らなかった。けれど、私は信じているのです。どこかに、あの木の欠片は存在すると…………



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





「観察さんだ……」


 私は、お洒落な台所の窓からそのヘリコプターを見上げた。ドローって、いうんだっけ。食べたお皿を洗い、プリンの容器を片付けて居ると、外から家の近くを飛ぶそれを見つけたのだ。

「観察さん、やっぱり恋愛至上主義者に雇われてるって、本当なのかな」

ポツリと呟いてみても、答えがどこかから聞ける訳じゃない。


 観察さんというのは、いつからか空を飛んでいる不思議な存在だった。時期同じくして芸能人のスキャンダルや、宗教団体のテロがメディアに劇的に増えた。

「あれ、こわい……」

 女の子は頭を両腕で庇うように覆って踞った。


(あの家の爆破も、観察さんのリークなのかしら)


シンクにいる私の横にやってきた女の子の手をきゅっと握りながら、私は思考する。皿を拭いて、棚のいつもの場所に並べて…… なるべく不安を見せないように気を付けながら窓をもう一回見る。


 台風が近付いているだけあって、外は悪天候と言って差し支えなかった。

先ほどまでは曇るだけだったけど、夜に近付くにつれ、風が強くなってきている。



悪天候時のフライト……


こんな日に、わざわざ好んで飛ぶだろうか。


全くもう!!

困っちゃうよね!!


そのとき、外で、ズドーン!!なのかウドンなのかわからないなりに大きな音が響き、地面が揺れた。


「雷!?」

…………あれ。

そういえば、観察さんのプロペラの音も同時に止んでしまった。



私は慌てて台所を飛び出した。



そして恋に落ちた。



椅子が、椅子が、草原に佇んでいる…………

背凭れのあるちょっと古い感じの椅子。

それが、雨風に晒されながらも微動だにせずにじっと、存在していた。後ろには倒れた男性と無惨に羽が大破したヘリコプターがあったので、もちろんずっと見とれているわけにはいかないけれど……それでもやはりときめかずには居られなかった。


からだが硬直する。


ピシャーンと、雷が私の中に走った。


なに、この、木の質感…………!!


なに、このたたずまい…………!


ドキドキがおさまらない。



頭に回想が走った。


ネグレクトで強くなると言われて育った私。

放置で強くなる、と親は真面目に信じていた。

──確かに強くはなったと思う。


けれど、ネグレクトはネグレクトだ。強いなんて、間違いだ。……本当に強い人間は、周りに頼ることが出来るのだろうから。

放置されてきた人間は、放置されない状況を受け入れられなくて、最終的に、誰の感情も本当には理解出来ない。



 放置されてきた私は物や他人以外と過ごす時間が他人よりも長かった。密接な関係性を築けたのは、物や人間ではない相手。

このまま修正不可能!!!


やっぱり、運命って、存在しちゃうのでは?

ウゥッヒョオアアァアアアァ!


心が、いけよ、いけよ、と急かしている。私は両頬に手を当てた。

顔が火照る……どうしよう。


椅子だよ?


椅子。


木製の家具。


椅子。


家具。


椅子、椅子が、椅子が私をみてる……!!!










「青い子の嫁ぎ先が決まりました!

お迎えありがとうございますっ

名前はサファイア!」


俺は……夢をみているんだろうか。

美しい女の子が、城の前でペコリと頭を下げているのが見える。

フラワーシャワーが、彼女を彩り、より世界を美しく祝福していて……

 ああ、これは結婚式。彼女の隣をあるく婿どのが少し得意そうに胸を張っていた。


俺は、それを見る通行人。両脇にいる人だかりの、一人。仕事がひと段落付いたのでオージャンと一緒に此処にきている。

なんで、だったっけ…………

 まあいいや、みんなに習って拍手をしながら、ちょっと抜けてみようか考えていたら、ふと、視線が妙なものをとらえた。


「やばいなー。分けられていないから、まず取ってきて扱う品物を把握するのが大変だ」


人だかりに混じって、挙動不審な男が辺りをキョロキョロして、そんなことを言っていた。角刈りに、黒い学生服のような服を着ている。


「んー、『闇商人オンリーのやかた』だとそれ前提で見れるのですけどな~」

 どうやら彼は盗人で、しかし城の広さであまりにもわからな過ぎて、何の作品なのかほぼ見分けがついていないらしい。


「あいつは、盗賊だ。

初めて盗んだのは『水色の金属』と言われる珍しい鉱石だと自慢していたのを聞いたことがある。キムの手という道具を使う」


近くにいた蛙が、びよん、びよん、と跳ねて俺の肩にのっかってきた。


「え? ああ、詳しいな、蛙」


この世界の蛙は喋る。なぜか知らない。

俺や特別なやつにだけ聞こえるらしい。


「まあな! 蛙は井戸のなかに関しては物知りなんだ」


蛙は得意そうだ。

きれいな敷石のタイルの上を歩きながら、その先に連なる階段を遠目にみている姿はどこか人間のようでもあった


「ピンクと紫のバイカラーサファイアがほしいのですけど、なかなかこれだーっていう子に出会えないな……」


「パパラチア様のチャレンジに敗れたソーティング付きのピンクサファイアちゃんとかにもすごく可愛い子が居たりするので侮れないですね」


「ピンクスピネルもかわいいのだけど、私オーバルカットにあまりときめかないという特性があるので、できれば他の形の子がいい」


 蛙が肩にのっかってきたまま、なんとか人だかりをかきわけ、階段を恐る恐る降りていくと、次々に飛び込んでくるのは婚カツ情報だ。


「この前、ミッドナイトブルーサファイアをお迎えできることになった王太子が居たな」


みんな、婚約者のことを宝石で呼んでいるみたいだ。強制恋愛条例が招いたまず1つがこの、恋愛オークションではなく立場のあるものから順に、品定めした嫁をもらうという儀式。











そうだ、それだよ……それなんだ。


 復讐に捕らわれた俺が、観察屋をすることになった理由。


あの子が……あの子が…………ガラスのやつに……………………

いや、そんなことよりも。


恋愛が強制でなかったなら、もしかしたらあの子はまだ──




はっ、と目を覚ますと知らない家だった。

ごちゃごちゃと棚に積まれた雑貨。

裸電球風のライト。

それから…………知らない少女が二人。


俺はその家の床に寝ていた。


「大丈夫?」


幼い女の子の隣にいる彼女が訪ねる。


「ここは」


「私の家」







「きみたちが、運んでくれたのか」


 礼を言うと、コップにくんだお水を渡してくれながら彼女は改めて真剣にこちらに向き直る。ツインテールがぽいんと揺れた。


「あのっ!」


「はい?」


「たたた、対物性愛者だったりしますか?」


彼女から出た意外な言葉。


「えっと」


「ああああの、椅子がですね、椅子が、あなたと一緒に、降って来て……」


椅子?

椅子がなぜ、空から?

 フライト途中、ヘリが何かにぶつかった気はしたが、まさか椅子だったんだろうか。


「俺は、椅子のことは知らん」


正直に告げると彼女はちょっとほっとしたように胸を撫で下ろした。


「よ、よかったぁ……ライバルかと思って、私……」


「ライバルって、なんの」



彼女はかああっと顔を赤くする。

そして自分で驚いていた。


「えっ、嘘、やだ……っ私、なんか、暑い…………っ」



「お姉ちゃんはね、椅子に一目惚れしたんだって」


彼女は目を潤ませて恥ずかしい~と首をぶんぶん横に振る。それから口を開閉し、またこちらを見た。


「私、放置されて強くなるって、言われてずっと放置された子だから……そのっ……好みの物とか、人外とかっ…………前から好きなんだけど、でも、あの椅子さんくらいの衝撃って、初めてかもしれない!!」


 隣の部屋に向かうと、その椅子を抱えてこちらに戻ってくる。木で出来た、ちょっと洒落た背もたれの椅子だ。


「今私に笑いかけた……っ!! 椅子さん」


椅子を見ては、目をそらし、また椅子を見ては、目をそらす。


「あ、あぁ、安心してくれ。その椅子は、少なくとも俺じゃない」



彼女は喜んだ。それから、告白をするかどうかに悩み始める。

彼女は『スキダ』を持っているのだろうか?



「あ、えっとそれで、あの、あなた、観察さんですよね?」


隠していても仕方がない。


「そうだ。この家や、他の家の写真を撮っている」


彼女は少し瞳を曇らせた。

そして途端に畳み掛けるように話し掛けてくる。


「やっぱり……どうして家の写真を真上から撮影してるんですか? この前もテレビで見ましたよ、うちの近くの山みたいな場所で芸能人がロケをして、焼き芋やさんに入って店主のことを笑ってるやつでしたが、その店の飾りが、この家みたいな配置で…………」


「テレビ? なんのことだ」


「……恋愛主義の出資者がやっているバラエティー番組。うちの中を笑われてるみたいな番組。毎日やるようになったから最近、たまにニュース観るくらいしかしてませんけど、あれが撮影出来るのって」


 「おい、おい、ちょっと待ってくれ、撮影するやつは、俺だけじゃない。観察さんは俺だけじゃないんだ……」


アッコのやつ……

聞いてないぞ。

『アッコ』に対する苛立ちが沸いてくるが、ひとまずはぐっと堪えた。

サングラスで目付きが鋭くなったのはわからないはずだ。

確かに観察さんは、恋愛主義者と繋がりを持っている。

テレビ局にも、局長絡みでスパイが居ると聞いているがそんなヤバイことに頭を突っ込めるわけがないのだ。彼らも見つかると、北国等に強制送還されてしまう為に全く口を割ろうとしないだろう。









 なぜ北国かというと、恋愛至上主義者の根城がそう言われているからだ。


ウドドーン!!


外で巨大な花火、のような雷鳴が鳴り響いた。一瞬部屋が暗くなり雷が辺りを照らしたが、女の子も、彼女も平然としている。

……キャッ!

とか言わないのだなと少し驚く。『あの場所』のやつらは皆かなり悲鳴をあげ雷怖いと主張していたから。

すぐに灯りが再びつく。


「よーし、天気が良くなったら恋人届けを出すぞ!」


彼女はむしろ元気そうだった。

女の子はちょこんと近くに佇んでいる。


「言っておくが……結ばれたとしても役場では、対物性愛を恋人として処理してくれないぞ」


「ええええっ!!!」


「ええええっ!!!」


彼女は頭を抱えて叫んだ。

隣の女の子も涙目になる。


「せっかく恋人が出来るかもしれないのに!」


彼女のショックを表すかのようにまた外で雷鳴がとどろいた。

なんだか本当に、悲しそう。


 

( 物、か……)
















ヘリコプターに乗った何者かが、地上を見下ろしていた。



「興味深いな。スキダはただのクリスタルだが……ときどき、不思議な現象を引き起こすらしい」


「どうしますか?」


無線相手が訪ねてくる。


「さあて…………どうだろう。強制恋愛はうちのマニフェストだからね」


その者はサングラス越しに、にやりと笑った。


「楽しくなってきたな」

家に溢れた雑貨類は少し古い時代の物がいくつかあった。

アンティークな趣味でないのならこれは、親か誰かの時代のままなのだろう。


「どうしてもってなら、名義的に俺と付き合うか? そのあとで、対物性愛なりなんなりすればいい」 


「人間と付き合うなんて習ってない! 

親だって私に話しかけなかったの! 話しかけたってすぐに止めに入られるだけよ」


「止めに入られる?」



彼女はハッと口を襲った。


「何でもない、です」


「はあ……」


「とにかく、あの、ありがとう……あの、どうして、そこまで考えてくれるの?」


どうして、だろう。

聞かれて、考えてみた。

どうしてだろう。

けれどあんなに嬉しそうにする

子を俺はこれまででも見たことがなかった。


「いや……」


放置して強くなる、そうやって育てられた子ども。


まっすぐな目をしている。

雷を怖がらない。

強くなる、の結果なんだろう。

付き合うことを、何かの壁で遮断されている。

けれどコミュニケーションが物や人外とならとれるのなら、それもひとつの生き方。


「……はぁ、と言っても、椅子との交際を認めて貰うのを待っていたら、何年も経ってしまうぞ」


なんで、俺はこんなに、気にかけているんだろうかと思いながらもそう口にする。

罪滅ぼしに近いのかもしれない。よくわからないが、観察さんが家の真上を飛び回るようになってから彼女のプライバシーは、あって無いようなものなんだろう。それに、誰からも避けられている。とても、これが苛めで済む話には見えなかった。

それに多少なり荷担していることは、やはり実感は無いがそれでも、とんでもないことなのだろう。

戦争から抜け出した国に、爆弾が落ちてしまえば良いと言う政治家のような。軽い気持ち以上の意味がそこにはあった。


「わかって、る……わかってるけど……ちょっと、その、人間同士しか、認めて貰えないのが、思ってたより、キツくて…………ほら、放置されてたのに、放置してる側だけが、認知されるみたいで」


今にも泣き出しそうな彼女。

強く逞しく、なったというにはあまりに小さな肩。

頼りなく震えている。


放置して強くなった結果。


「なあ、もしかしてサ──」


サイコに狙われてるんじゃないか?

そう聞いてしまいそうだった。

サイコは盗賊団体の頭で、自らをガラスと名乗る。

 その活動は、「ティラル」とか「飲み会」「ゴロゴロ」などと呼ばれていた。


「え?」


「いや……知らないなら、いいんだ」









告白。

それは誰もが一度は受けたことのある虐めのことでもあった。


「告ー白!」


「告ー白!」


 男女を二人きりにさせて、周りからクスクス笑うのが流行っていた。

私もそれを受けたことがある。

全然、何も思っていない子だった。相手もそうだったと思う。


 正確には最初に彼、が虐めの対象だったのだが、空き教室に呼び出されて、二人鉢合わせするように仕組まれていた。

 そして何も聞いていないまま二人にさせられると、まわりが一斉に鍵をかけた。

クラスは話題に飢えていて、そんな青春を彩るにふさわしいのがこの恋愛ごっこだった。彼らは、虐めではなくて、善意と呼んでいた。


「ちょっと、出しなさいよ!」


私はドアを叩いた。

彼も、反対側のドアを叩いた。

この虐めの陰湿なところというのは、相手が自分をどう感じているかも同時に悟るところだ。

相手もまた「ふざけんな!なんでこんなやつと閉じ込められるんだ!」と苛立っていた。

胸がじわりと痛む感覚と、同時にそれは自分のことでもあって、他人という距離が、他人によって強引に破壊されることの圧倒的さは半端ではなかった。



しばらく、ガンガンとドアを叩いていたが、ギャラリーの告白コールが誰も居なくなると窓からベランダを伝ってそとに出た。

学校はずっと戦場だ。

恋愛という価値観すら現代には既に戦いの道具以外の役割はないし、甘美な響きなどおはなしのなかに過ぎないのである。



何日も、何日も、何日も。

冗談で作られたラブレターによる戦争、別の子と閉じ込められる戦争。誰かしらを二人きりにしては、周りの生徒が手を叩き、嬉しそうにニヤニヤ笑っている。

一番驚いたのは、先生だ。




「青春、だねぇ~」



と嬉しそうに、窓の外から、こちらを眺めていた。


 そんななかに、いつの間にかうまれたのが『スキダ』を受け取ったら決闘していいという物だった。

スキダは、思春期の結晶とも言われていて特定の相手に対して生まれる魚型のクリスタル。

そして成長すると対象を常に追尾するようになる。

追尾がときどき攻撃に変わり、相手を殺すことも珍しくはない。

真正面から叩ききれる唯一の方法はスキダを送りつけた相手と向かい合って命懸けで戦い、突き合うことだった。


 そのときはまだ小学生で、生まれるのを見る機会はなかったスキダは、やがて進学につれて大戦争の定番へと変わっていく…………











「許してください! ごめんなさい!

あああああああああああああーー!あああああああああああああー!許して!ください! スキダは要らない!飲み込まれる! 飲み込まれる! わああああああああああああああああああああああああああああああああああああ閉まってる、ドア閉まってる! ドア閉まってる! スキダが来る! うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ───────────────────────────────────────────────────────────────」



「お姉ちゃん?」


そっと腕を掴まれ、意識を取り戻す。

私はまだスキダが発動したことがない。

「ごめん……なんでもないの」


彼女の水色の髪を撫でる。ふわふわしていた。

開かないドア。

笑い声。

大口を開けてくらいにきた魚。

迫る恐怖。

逃げ場はなくて、「青春だなぁ~」と先生は笑う。


「……うん、恋人、とどけ……私、頑張る!」


女の子も、私も、まだ処刑されるわけにはいかない。












『44街は、スーパーシティ条令に基づき、全員恋愛を目指します!』


 私の住む44街の朝が歪み始めたのは、ちょっとまえ。

あちこちで過疎化が進み労働力の確保が難しくなり始めていたことを受けて、超恋愛世代の生き残り…………私より、前の前の前の前の前の前の……とにかくちょっと昔の世代の大人が決めてしまったのが『市民は全員恋愛をしなくてはならない』というおぞましいものだった。


────けれど、恋愛は個性、恋愛は誰もが一度は経験する夢であると決め付けているから可決されたんだと思う。

少数派からの気持ちが悪いという考えは否定され、異端扱いを受けてしまうことが長年続いてきた。

 恋愛が苦手な人のためのネットワークもあるのだが、この国ではそれも規制されていた。

実際に探してみると、大衆が使うメジャーなSNSでは検索してもほとんど恋愛を叩く人、否定する人が存在しない。

それどころか、恋愛好きの減少を懸念して同性愛などを受け入れる方向に走るのみだった。恋愛、恋愛、恋愛は素晴らしい、恋愛をしましょう、そうやって、客を引き込む。これで尚更、恋愛を叩きにくくなり、

恋愛に抵抗がある者や、人以外が好きな者の意見は埋れてしまう。

これが街の現実。もはや、恋愛嫌いはこんなところで探したって見つかりやしない。居ても片手で数えられる程度。


まぁ、実は恋愛嫌いを、こっそり処刑していたとなれば、確かに嘘でも好きな人などとでっち上げたくもなるよね!



 嘘をつくことすら不器用な私はあまりメジャーなものに関わらなくなって久しい。


何処に居ても、恋愛は個性だった。

何処に居ても、恋愛は無くてはあり得ない、コミュニケーション能力の欠如でしかなかった。

こんな馬鹿げたことがあるか。

人を好きになれなければ人権は保証されず誰からも叩かれる。


 コミュニケーション能力を駆使したら、恋愛問題に少なからず発展する機会が増えてしまうという思考が彼らにはないのだ。

彼らは既に、恋愛が戦争の道具でしかないのだから。

それに満たなければ殺せばいいだけ。






 台所に置いた、椅子に会いに行くと、椅子は変わらぬ様子でそこに居た。

緊張する…………椅子にだけは目を合わせられないような気がしてしまいそうだ。

家具だとしても、胸が高鳴り苦しい。

 そっと土を落とし、綺麗な布で身体を拭く。

さっきも乾かしていたけれど、足にまだ土が残っていたので、改めて綺麗にしていた。

「……木のにおいがする……」


ちょっと幸せな時間。

椅子はガタッと返事をしてくれた。


「は、初めまして! あ、ああああの……! 倒れてらしたので、その、心配で……勝手ながら看病させていただいてるんですけど」


椅子はにっこり笑ったように見える。

ちょっとだけ艶が出て、私をその目で見つめていた。


「うー…………緊張する」


椅子の前に座り込む。

観察さんが、早く書類の写真を撮れと急かすが、私はそれどころじゃなかった。


「相手の気持ちもあるでしょう!」



思わず言ったときだった。


「椅子に、気持ちなんか、あるか?」


体温が奪われていくような衝撃。

続いて、頭に血が上る感覚。

考えるまもなく、私の手は彼を叩いていた。

「最っ低!」


観察さんは何を言われているかわからないらしくぽかんとしている。


「どうしてそんなことが、言えるの? あるよ、椅子にだって、気持ちくらいあるよっ!!」


「……悪かった、物に心はなく、ただの、性慾を処理することを恋愛と呼んでいると思っていた」


「そんなの、恋じゃないよっ!

悲しい。同時に悔しい。

けれど彼の言い分もわかる。

テレビや新聞、漫画や小説に、恋愛が無いものは出てこないように決められている。スライムが言うには描写に恋愛を入れなくてはならないというガイドラインが作られている噂もあった。そんなものを見て育てば、当然だ。彼には、椅子はただの道具なんだ。


「大丈夫?」


部屋で寝ていた女の子が、起きたらしい。

こちらにやってきてちょっと不安そうに見つめた。

「うん……大丈夫だよ」


端末を手にして、カメラを起動する。


「確か写真を撮って、役場宛に送るんだよね」


すー、はー、と呼吸を繰り返す。


「ぶしつけなお願いではあるんですが、写真、撮影してもいいでしょうか」


椅子に聞いてみる。椅子はじっ、とこちらを見ているだけだった。


「……………………」


「あの、あの、」



────────いいよ


「え?」



声が、聞こえた。

辺りを見渡すが、二人は何もしゃべって無さそう。


────────だから、いいよ。



椅子さんだ!!!!!


「ありがとうございます!」


 撮影した後そのまま会話を始めてしまった彼女を見て、「観察さん」は考えていた。

(あいつ、まさか本当に──話してるのか?)


突然降ってきた謎の椅子。

どこから来た椅子かわからないが……

彼女には何が見えるんだろう。

聞いたことは無いが、無意識に何らかの対話能力を────────いや。

ただの変人かもしれないし。

叩かれた頬と、心がずきっと痛んだ。

こんな風に怒られたのはいつ以来だろう。


 考え込んでいるとふと女の子が、歩いてきて、自分の腕を引いた。


「観察さんは、ママのことも、ずっと、観察してたの?」


「え…………」



「恋愛きせい、ってので、恋愛以外の情報は外に出ない。どうして、ママのこと、撃ったの?」



椅子と話している彼女は椅子に夢中でこちらに気付いていない。

女の子はこのときを待っていて、聞いてきたらしい。


「ママのこと、密告したの?」



まっすぐな目をしている。


けれどなんだか、どこか、吸い込まれそうなよどんだ目だった。













 幸せそうな二人の横で、女の子は俺を睨んでいた。

一瞬、言っていることがわからなかった。けれどふと、爆破された家のことを思い出す。あのとき俺は近くを飛んでいたんだ。


「指定された場所をとんだだけだ。

だが、中の様子や家の持ち主の情報は全て調べた。

密告、という形には、なったかもしれない」


女の子は、黙りこんだ。

どうしようか考えているのだろうか。

椅子と戯れている彼女をちらりとみる。

理解できない光景だった。


「愛に餓えているなら溺愛してやるのに」


「ちょっと」


女の子は、ぐっと腕を掴んだ。

どこに握力があったんだがギリギリと

締め上げてくる!!!


「今の言い方、お姉ちゃんの前で、しないで」


「はあ?」


「愛って、そんなに偉いの?


恋って、そんなに凄いの?


溺愛──? バカにしないで!!!」



なんてヒステリーな女たちだろう。さすがに恋愛条例を拒むだけある。常識が備わっているなんて考える方が間違いなのかもしれない。


「溺愛の何がいけないんだ?」




 女の子は俺をまた睨み、それから背を向けて椅子と彼女の方に向かっていく。

彼女も彼女で、椅子とある程度仲良くなることが出来たらしい。嬉しそうにしていた。女の子も嬉しそうだ。





────ふと、彼女の椅子に対する真摯な気持ちに、性欲をぶつけるだけだと思って発言したのを思い出して、思わず目をそらす。椅子の気持ちを考えては居なかった。


(まっ、書類を出すのを見届けたら、帰るか…………)






 しかし。


書類を出しに向かった役場で、彼女はやはり門前払いをくらった。


「いけません! あたまがどうかしてるんですか? あなた愛されたことが無いんでしょ」


他人から改めて聞くと、結構差別的な発言だ。


「もっとねぇ、冷静に考えて?あなたきっと本当の恋を知らないから」


「何が本当の恋だ!!恋愛アドバイザーかあんたはぁ!!」


机の前でじたばたする彼女を周りはクスクス笑って完全にバカにしている。

恋愛条例で強制した癖に、やっと出来た好きな相手をバカにしている。

あの笑顔は、確かに本物だったのに。


「あなたこそ、なにかを愛したことが無いんでしょ! 椅子さんの許可ももらった、ちゃんと二人話し合って決めたのよ!」


受付は耳を塞いでいる。



結局、悔しそうに地面を睨みながら、彼女は早足で役場を飛び出した。


「なんでっ!!」



スタスタ、スタスタ、歩きながら、涙をぬぐう。


「なんで!!! 私っ、悪いことした? 私…………私せっかくっ、好きな相手が出来たのに」



 だから言ったのに、そう言おうとしてやめた。失言ばかりではいけない。

受付が椅子とかかれた部分や写真を見て、あからさまにバカにしている態度だったの

は俺にもわかった。


「人間なんて、会話させてももらえなかった! 好きなだけ無視して、都合が良いときにスキダを投げつけて! 


初めてスキダを見たときは、

恐ろしくて、殺されるとこだった!



あんなの自己満足じゃない!


あんなの、人のなかで生きるのが許された人間同士でやればいいんだ」


ふと、いたっ、と彼女が植え込みのそばに座り込む。頭を押さえている。

石が、降ってきて投げつけられる。


「椅子となんだってー?」


おばさん。


「椅子と付き合うとか言ったやつこいつだよ!」


小学生くらいの男の子。


「ふん、ろくな生まれかたしてないわね」


またおばさん。

人がどんどん集まり、雪崩のように辺りを埋め尽くす。

「おい! 大丈夫、かっ」

いつのまにか人混みに流されて俺も彼女を見失っていた。

そのとき、隣に、すっ、と何かが現れたかと思うと、一番固そうな石を、彼女の頭をめがけて投げた。慌てて取り押さえる。

そいつは、スライムだった。

「あいつが悪いんだああああ! あいつが!あいつが悪いんだ、あいつが悪いんだ! 共感されなくてもいい、あいつが悪いんだ! あいつが、あいつが、スライムのこと、好きだって、言わなかった!」


まずい────

雪崩をかき分け、彼女の行方を探そうとした俺はスライムの体が輝いたのを見た。



スキダ、が現れて、どんどん巨大化していく。



「俺だけをみろー! 椅子に心などない! 俺には心が、あるんだー!」





スライムのスキダが飛んでいく。巨大化しているので、すぐに彼女に辿り着いた。

更に民衆? は更に取り囲むために結束した。

「正しい恋愛が出来ないやつはね、死刑なんだ」


 役場が突っぱねたことからも、椅子に心などないという言葉からもわかるように、彼女は正しくない。

「あんたくらいなら、きっといい貰い先くらい──」

先頭にいるおばさんが話し掛けている。

スライムがまた叫んだ。

「俺から逃げるな、俺から逃げるな、俺から逃げるな、俺から逃げるなああああーっ!」

 どうにか少しずつ人混みを掻き分けて行くと頭から血を流しながらもぼんやり立ち尽くす彼女の姿が確認できた。奇声のような、喋っているような、何かを話していた。

「あ、ああー、ああああー、ああああ? わわわわ、わわー、わわわ? あああー、ああああああああ。ああああああああ」


「言語が……」


 感情は言語と深い繋がりがある。

彼女は、恋愛や、他人を見たことがほとんどないのだろうから、これも恐らくそのためなのだろう。

 生まれたときから彼女の近辺には誰も近づけないように細工をされているらしいし。だからこそ、誰とも付き合わないように生まれたときから自分の内部の情報まで制限してあるのだ。


「わわわわ、わわわわー、わわわわわー」


スキダが触手を伸ばし、スキダ、スキダと鳴き始める。彼女はどうにか避けたらしいが、右腕が捕まってしまった。護身用らしい小さなナイフで、がっ、がっ、と突いているものの、スキダは外れない。

見下ろすように浮いているその魚は、スライムの気持ちの大きさだった。


「息子と付き合わないかい?」

おばさんが嬉々として訪ねる。


「息子とわわわわわわわわわわわわわわ?、あー、あああー、わわわわわわ、あー、ああああ、ああああ?」


理解が追い付かないのか、頭を抱えたまま涙目になっている。


「ねっ、椅子なんてやめてくれよ」


「椅子…………」


「そうだそうしよう椅子との恋愛は認めません!」

おばさんが言うと、まわりがわぁっと沸き立った。あの嬉しそうな顔を、思い出す。

スライムも後ろからこちらへ掻き分けてやってきた。


「スライム、ずっとお前が好きだったよ」


「好き、わわわわ、ああああああー、うわわわわわわ、ああああー、ああああああああああああ、ああああ、あ?ああああああああー好き、だ、っああああああああああああああああああああ?」


疑問符でいっぱいになり、彼女はとうとう泣き出した。俺がみていたときの、快活な様子は見えない。信じられないくらいに弱っている。


「わわ、わわわわわわ……」


「だって好きなんだもん!」


スライムはぴょいんと跳びはねてアピールした。


「あああー、ああああうあああああああああああああうわああうああうああうあうああああああああああああー、ああああああああああああ?ああああああー」


「なーに、ふざけてるんだよっ」


スライムは楽しそうに彼女を小突く。


「す、き? 、あ、ああああああー、ああああー、わわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ」


完全にパニックだった。彼女の腕が変色していく。ナイフは刺さらない。

投げられた石を拾い、スキダに擦り付ける。

スキダは抵抗をやめず、急に全身にトゲを生やしたので、彼女の腕からは更に血が流れた。


おばさんたちからは、笑い声が漏れる。


「ちょっとー、言葉、話しておくれよ!」


彼女は目を回していた。

生まれたときから、誰も近づけないようにされてきた子にこんな風に付き合うだなんだと取り囲むなんてキツすぎる。

さすがに俺にもその異常さがわかった。

スキダはトゲを指して得た血を飲み込むと更に大きさを増した。首の方に這おうとしている。

魚の形から触手が生えて伸ばされている様はグロテスクだった。

潰すには人が多すぎるのだろう。



そもそも誰なんだろう。生まれたときから、誰も近づけないようにしたやつは。


今になって、なにも知らせずに、恋愛条例の渦中に置いたやつは。



人並みに交流が許されていれば、こんなことにもならなかったかもしれない。


 彼女は最終的に叫びだした。

スキダが離れないし、役場は認めなかったし、民衆は自分勝手に恋愛を押し付ける。

スライムが近付いて行く。



「ああああああああー! ああああああああああああああああああああああああああああー!!」


周りからは告白コールが沸き上がった。




「告ー白!」

「告ー白!」

「告ー白!」

「告ー白!」


「告ー白!」



固定された方の腕を自らの方にぐい、と引っ張ると服の肩口が大きく破れた。露出するのみになった衣服には目もくれず、彼女は頭上を見上げる。


頭上。

ヘリコプターの羽の音がする。

パタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタ…………



「観察さん、だ!!!!


恋愛を正しくできないから殺しに来たんだ!!」







威嚇のためだろう。

 観察さん、のヘリコプターは真っ先にこちらを攻撃はせずに近くのスーパーの駐車場に二、三、発の何かが打ち落とされた。轟音。

一瞬何が起きたか誰にもわからなかった。

伏せていた体を起こすと、目の前では煙が上がり、激しく燃え盛る。

ぱちぱちと火の粉が跳ねて躍りながら屋根やアスファルトにそれが舞っている辺りの様はどこか危なげながらも儚い危険な美しさを供えていた。火だ。火が、燃えている。目の前で、火事だ……

あとで観察屋の本部に連絡を取らなくては。



あ、そうだ!そうだ!

大丈夫か?

慌ててスキダに捕まる少女のもとに駆け寄ると少女は目を回していたが、一応生きているようだった。スキダは少し負傷しているらしい触手はわずかに破片が刺さっていた。


 そういえばやけに静かだと気付き、振りかえると、ギャラリーはほとんど居なくなっている。さわぎで逃げたのだろう。

 少女に腕を伸ばし、スキダの触手にさわる。ビイイインと鋭い音がした気がしたときには腕は痺れながら弾かれていた。

「いってぇ!」


「さき、にげて…………」


 背中越しに、未だに燃える駐車場が見える。

ヘリコプターは旋回しながらこちらへと戻ってきた。

彼女はもう一度、にげてと言った。俺だって腕に蚯蚓脹れが出来て痛いがそれどころではない。


──まったく。椅子と付き合うためだけで、どうしてこんな目にあっているのだろう。


スライムがぽよんぽよん跳ねながら、慌てた。

「だって、でも、諦めたくない!」

触手は、意思に反応してさらに強く彼女を締め付ける。


「嫌だ、だって、スライムが先に好きになったんだよ。そんなのって、ないよ……どうして椅子なのだったらスライムでもいいはず!諦められない、嫌なら決闘して、スキダのなかのひとと戦えば、スキダは無くなる。なかのひと同士が決闘に突き合えば、恋愛はしなくていい!」


彼女は悩ましげだった。

「スキダを出せたことも、告白も無い。それにスキダはただのクリスタルだと聞いていた。それなのに……これが、スライムの力なの」


彼女が腕が動かせない中、後ろでは消火活動が始まった。

少女の目に涙が伝う。


「私、スライムのこと、そんなふうには見られない……ごめん

なさい」


スライムは発狂した。



「カエシテエエエエエ!カエシテエエエエエン!カエシテエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエン!カエシテエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエン!」


けど、戦うって、いったって……スライムの力を得たスキダとどうやって。


ザシュッ!!


頬に風を感じた。なにかが風を切る音がした。

一瞬、肝が冷えた。

「……な、なん……」


いま、何か。まさか

────内心冷や汗をかきながら目の前をもう一度確認。

椅子が地面に着地し、牽制するようにスライムと少女の間に佇んでいた。



「椅子さん!!!」


椅子は、目がどこかわからないがスライムをじっと見据えている気がする。


「椅子さん、来てくれたんだ…… 」


スライムは叫んだ。

スキダが彼女のもう片方の腕に向かう。


「え? 椅子さん、いいの?」


椅子が彼女に何か話したらしい。彼女は黙って恋人を抱えあげた。

スキダの触手が椅子に絡むと同時に、彼女の身体も光った。


「私、椅子と付き合うんだからっ!!!」


椅子が金色に輝いて硬くなる。

彼女は腕を振り下ろした。

ザシュッ!!

彼女の片方の腕にしがみついているスキダは、破片が刺さっているのもあり、より痛みを感じたらしい。グアアア、と魚の口から低く唸ると少し触手を緩める。そこに腰を捻ってもう一度椅子を振り下ろした。


「いや!いや! 人間や周りと付き合うなんて、習わなかった! 習わなかったの!! 自分で好きになったのはこの椅子だけなんだから……!!」


顎から汗が伝う。スライムは、諦める気はないらしい。

俺は上を見張っていた。まだ観察屋は観察している様子だ。


「離して、嫌あ! 私っ、やっと椅子さんと知り合えたんだから!」


「対物性愛は認められない!!!!皆を見ただろう? 話したが最後、引いて、人間をすすめてくるか、叩いて嘲笑うしかないんだ!!! あれが、皆の、この町の総意なのさ!!賭けてもいい!!


ネットワーク上で、物と恋愛や結婚した人は実質皆から、笑われているんだよ。見ものとして、ギャグとして消費される話題でしかない。ほとんどがにわか。ほとんどが本気じゃなく、単なる目立ちたがりしか居ないのさ!みんな普通のやつらだ。みんな、君みたいなのはもう何処にもいない!試してみるといいよ、例えば対物性愛の本を書いてネットにアップしてみればいい、きっと顰蹙を買うはずさ」



「周りなんて、関係ない!」


 彼女は強く言い放った。

さっきまで、不安そうにぐるぐる回っていた瞳は、いつの間にかキラキラと輝いている。


「私は、どんなに笑われても、どんなにバカにされても、椅子のこと嫌いにならない」



 放置されて強くなると放置されてきた彼女が唯一、遠ざけれずに関われたのが物や人外だった。悔しいが思い入れは、どんな人間より彼らの方が上だ。

ずっと会話をし、ずっと関係を築いてきたところに割って入ることはきっと出来ない。


(ん? いま、悔しいって……)



 彼女の身体はそのまま浮き上がった。そして椅子を構えると、魚の頭に振り下ろす。魚はギャアアアアと大きな声を上げて彼女を睨んだ。頭にわずかに亀裂が入る。


(スキダが、椅子と融合しているのか……)


一旦着地した彼女を目掛けて、今度は魚の図体が降りかかる。恋愛至上主義が産み出した化け物……


「スキダ! スキダッ! スキダッ!」 


間一髪でかわすと、椅子をもう一度振り下ろす。

スキダは勢いよく尻尾を叩きつけた。


「きゃっ!」


彼女のからだがゴロゴロ転がり、椅子が放り出される。

片腕は変色していて、多少ましになったが触手が切れないでいるぶん、扱いにくそうだった。彼女は唸りながら、椅子に手を伸ばす。


肘から血が流れる。


「血が、どきどきしてる……くるしい……」






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヘリコプターに乗った何者かが、地上を見下ろしていた。



「興味深いな。スキダはただのクリスタルだが……ときどき、不思議な現象を引き起こすらしい」


「どうしますか?」


無線相手が訪ねてくる。


「さあて…………どうだろう。強制恋愛はうちのマニフェストだからね」


その者はサングラス越しに、にやりと笑った。


「楽しくなってきたな」












「ねぇ……」


スライムは、ぽよんぽよん、と跳ねた。

みんな見向きもしないで通り過ぎていく。

「スライム、悪いスライムじゃないよ?」


教室のなかで、スライムは跳ね、跳ねた。跳ねて必死に自分のことをアピールする。 スライムは昔から他人との距離が掴めなくて、でもとにかく、仲良くなりたくて……


 結果的にクラスでは常に浮き、嫌われていた。

「お前もうついてくんな!」


 同級生からの、モンスターを追い払うみたいな言葉。

「昨日はスライムのこと、好きだって言ったくせに!」


 学校でも最初はクラスの一員って、扱いをされてる。でも、友達が出来てもすぐに嫌われてしまう。

原因はいつもひとつ。

重すぎることだ。

けど、何が、どう重すぎるのかはスライムには理解出来なかった。人間社会は難しい。


「友達と、恋人の区別も付かないのか?」


友達はいつもそんなことを言う。

スライムは、空気を読むのが苦手だ。

友達とも常にべったりしていたし、友達がやることなら何だって影響されて真似していた。そうしていれば友達との一体感が生まれるって、思ったから。

だけど、スライムはわかっていなかった。

「彼女とお揃いで買ったのに、なんでお前も同じの付けてくるんだ? 話聞いてたか」

 ちょっとがらの悪い友人のシダが、ゴツい指輪をつけまくった指でスライムのぽよぽよを、つんつんしながら睨み付けて来ても、スライムは不思議そうに鞄につけたキーホルダーを見て笑顔を浮かべている。


「いいなと思ったから! スライム、友達でしょ! スライムも入れて」


「なんでだよ、この前もシャツ揃えて来たし、その前も昼にいちいち何食ってるか詮索するし」

「怖いよあんた」

「俺もされた。同じにして何かあるの?」


「それに、スキダが出たことないだろ?」


キモい、キモい、キモい、キモい、キモい、キモい、キモい、キモい、キモい、キモい、キモい、キモい、キモい、キモい、キモい、キモい、キモい、キモい、キモい、キモい、キモい、キモい、キモい、キモい─────────────


「う、う、うぅ……!」



こいつ、もういいよ、帰ろう。

やがてはそんな風に、誰かの合図でスライムは取り残される。

え、なんで、どうして。

そんな、だって、昨日は。

言葉が、ぐるぐる回る。

意味がわからない。

自分のせいなのか?

だけど、仲良しが仲良しになれば、もっと仲良くなるんじゃないの?

 スライムは、友達とうまくいかないことが多かった。

みるみる、涙が溢れてくる。

悔しさと恥ずかしさと、怒りで胸がいっぱいだった。


「だって! 仲良くなりたいじゃん! お揃い、してれば仲良しって、感じする!

なんで、みんな、仲良くしてくれないの。

 うわあああああん!!」 


 夕焼け空に向かってスライムは叫んだ。

スライムは寂しかった。

けれど、友達の作り方がわからない。

孤独だった。

もしも、目の前に誰かが来てくれるなら、誰であろうと好きになってしまうだろう。


「スライム、スライムのこと好きになってくれた人のことずっと好きでいるんだから!」


────あいつらの冷たい友情と違って!


スライムは涙を堪えて町の裏通りを走った。足が土で汚れても、気にならない。

悲しくて、悔しくて。




「どうして泣いてるの?」


 いつも来ない路地裏まで足を運んでいた。

不思議そうに、きょとんとした女の子が、髪につけたリボンをなおしながらこちらを見ていた。この辺りにこんな子が居たなんて。なんだか、見たことない子だ。

ちょっと不思議な雰囲気。

町に馴染んでいないような、まるで一人だけ遠くの町から着たような。

彼女の人形じみた顔立ちのせいだろうか。

うまく言葉に出来ないけれど、そう、なんだか、異様に真っ直ぐな、孤独に慣れきったような眼をしている。


背後には、ビルに囲まれてまるで世界から隠れるように立つ小さな家。

手入れされた畑には花が咲き、野菜が育っている。

 じょうろを手に、女の子はスライムを珍しげに観察していた。

はじめて生きものを見たと言わんばかりに、驚きと不安の混ざった顔。


「うぅ…………」


──俺は一人だ、友達すら出来ない、そう泣きつきたいけど、スライムは思い付いた。

「俺、シダって言うんだ! 彼女にフラれちゃって、これはそのときのキーホルダーさ!」 

 鞄を揺らして、スライムはキーホルダーを見せた。ラメが入ったプラスチックのもので、可愛い猫の形をしている。


「へぇー、そうなんだ、えっと、シダは失恋で、泣いてるの?」


「そうだよ、全く、スライムだからって馬鹿にしてさ!」


「スライムだと、馬鹿にされるの? 私もお友達、居ないんだ。居てもみんな

『居なくなっちゃうから』」



スライムは思った。

自分を好きになってくれるのはこの子しかいない。







・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






 俳優や女優が、画面のなかでコップに口をつけるとき、キスシーンじゃんって、思うと思う。

私もその一人だ。

だけどそれを、キスしてるなんて言う雰囲気はなくてみんなのなかに暗黙の了解の雰囲気が漂っている。コップは物だ。物に触るということは少なからず物からも思われているってことになる。

それはわかった上で、あえて水分補給なんて言い訳して、好きとは言わない。

言い訳をやめてちゃんとコップに気持ちを伝えずに、人間と付き合う人もいる。




 私はみんながコップと役者の紡ぐ一時の関係を受け入れてるって、思っていたし、今でもちゃんと信じている。

コップに口を付けてお茶をのんでいた

ときも、私はそれでスライムにも意味が通じてるんだって、思ってしまっていた!

スライムの目の前で、コップと密着している……!


「おいしそうに飲むね」



初めて会った日。いつもどおりに一人きりで、みんなから隔離されて過ごす、私の毎日が、突然変わった日。

 スライムは、水やりをおえたあと、縁側でコップとコミュニケーションを取る私を見てそう言った。


そんなの言われたのは初めて。

誰かが絡んできたのも初めて。


──だけど、私が、そのとき好きだった相手がコップだったことを、ようやく理解してくれる人が現れたんだって思った。


「一緒にいると、優しい感じがして、落ち着くんだ」


「へぇー」


コップに口を付けても、何も変じゃないんだ……

私ね、コップに触るの好き。ずっと……何かに触ると怒られると思ってた。話しかけると、怒られると思ってた。


「どうして泣いてるの」

スライムが話しかけてくる。

私の両目からは、ぼろぼろと滴が溢れて、次々流れ落ちていっていた。

悲しいのか、嬉しいのかわからないけど、だけど私は、奇跡を見たんだ。

生まれて初めて。


「何かに触るの、他人の前で何かに触ると、気分を害されないの、初めてなの!!好きな人と、おはなしして、やめろって、決められた人と話さなきゃいけなくならないの、怒られないで、お茶をのむの初めてなの! うわああああん!」 


スライムは不思議そうに私を見ていたが、ハンカチを取り出して聞いた。


「コップを使うとなぜ怒られるんだい?」


「ううん、コップをつかうからじゃないんだ。私は生まれてからずっと決まった人としか話さないようにって、お触れが出てて……決まった人以外に触るときっと呪ってしまうのかな」


「きみは何を言ってるんだ?」


「私、このコップが好きなの」


「……素敵なコップだね」


 一通り泣いてから、さっき、口を付けていたことを思い出して少し恥ずかしくなる。「ありが、とう……」

どきどき、心臓が高鳴って、息が苦しい。二人を祝福してくれるスライムが、なんだかとても優しい人に見えた。


──薄くて形のいい曲線を描く取手。

ざらざらしているけどどこか艶のある肌。丸い飲み口。淡く儚い色合いの朱色。それをすべてあわせ持っていて、水をそそぐと、とても滑らかに口に運んでくれる。

私はコップに想いを抱こうとしていた。



そのときスライムが、何を思っていたのかも知らないで。







・・・・・・・・・・





「起きろ!! 起きろよ!!壊れやがって!!! スライムと!! スライムと付き合って、たんじゃないのか!!!


壊れてんな!!!椅子だと? 椅子に心なんかあったらな、みんな、あんな態度とらないんだよ!!」



なに…………何。

スライムが、なにか騒いでいる……

ぼんやり目を開ける。


「物と! 人の!区別もつかないのか!!」


はっ、と目を覚ますと、私は道路に転がっていた。肩からは血が流れて顔にも泥がついている。

浅い息を繰り返しながら、よろけて、でも、身体に力を入れ、立ち上がる。



「壊れてない! 勝手に私を壊さないで……」


椅子さんは、まだ、輝いたままだった。


────まだ、やれる?


「うん。私、まだ……がんばる」

椅子さんには心がある。

ちゃんと私には聞こえている。

 一体、スライムはどうしてしまったのだろう、スキダを解く気は無いらしい。

心の奥がじわりと痛んだ。

(スライムはそう思っていたんだ……)


「スライムは、ずっと、会ったときからずっと、二人で話してたと思って!!なのに!」


「あ……」


スライムは私が初めてコップと一緒に居たときも私単体にしか興味がなかったし、私が大好きだと言ったときも、スライム自身しか周りに居ないと思い込んだ状態でいて、自分に向けられたと思い込んだんだ!

自己中心的に、考えてしまった。

 お互いに、自己中心的だった!

自分のことしか見えていなかったことを、美化して言い訳してたんだ。

ただの、歪んだ記憶なのだ。

醜く、歪な、綺麗だと必死に肯定してきただけの単なる記憶。



わかってる。


ぜんぶ作り物だとしても、わかってる。

私は、いつも、すべてが作り物のなかに居たのだから。スライムよりは慣れている。



──だけど同時に、だからといって、ここまで残酷なことは私は言わないと思う。


 それは既に、椅子さんの人格を否定している。私が何よりつらいことだ。


「私は壊れてないよ! ……う、わっ!?」


身体が浮いた気がして、見ると椅子さんの身体がふわっと上に向かっていた。

椅子さんの背もたれから白く大きな羽が生え、私ごと浮いている。

改めて意識を戻すと、擦りむいてるらしく、肘や膝があちこち痛い。もしかしたら、椅子さんも気遣ってくれたのかも。


 触手がまだ刺さったまま、スキダ自身の本体、大きな魚の前に向かう。

椅子さんの身体につかまっていた私は、改めて椅子さんに座った。不思議と落下はしない。


 そして────

「告白!」スキダの前に手を翳した。学校でやってる人も居たからなんとなくわかる。

「告白! 告白! 告白!」


 ポケットに入れていたナイフが手のなかで光り出す。少し折れたそれを構えて、スキダの身体、魚の目に向かって突き刺した。擦りむいた肘が揺れて風を感じて染みる……汗が滲んだ。ドキドキと、ときめいているのがわかる。


「告白っ、告白、告白っ────!!」


下で見ているスライムが、嫌だー!!!と叫んだ。


「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だーー!!!」


 触手が僅かに亀裂を広げる。

何か振動を感じてはっと足元を見る。椅子さんからも、触手のようなものが蠢き、スライムのスキダに触れていた。


「椅子、さん……?」


 スライムは必死に執着しているらしく、嫌だ、嫌だ、と繰り返したままだ。

スキダはすぐに傷を塞ぎ、また強度を取り戻し始める。


「聞いてスライム、私、あの日、コップのことが好きだったの!」


ナイフが輝いて、スキダの目をもう一度抉り始める。


────ギャアアアア!!スキダアアアアアア!!?


スキダは悲鳴を挙げてうねうねと身体を捩らせた。


ずっとスキダ───────────!!





「私には、何かを好きになる権利もなかった、何かを触ることも恐れて、何かを視界に映すことすら怯えてきた。

────お触れが出てから、ずっと!!


禁止されてきた。誰とも、話すな、誰とも、笑うな、『あの人』だけ見なさい


────お前は、悪魔だ」



スライムの目が見開かれる。


「物って、おかしいだろ!!!?

それに……え?」


「私は、悪魔なの。

ずっと、生まれちゃいけなかった! 今までいじめられてるなんて嘘ついてごめんなさい。


生れたときから『悪魔』は人と関わっちゃいけなかった。

みんながしているのは、正しい苛め。

市から許可された、私の駆除のための作戦だよ」



 ナイフが抉りとった目を、私はたからかに掲げる。


「だけど────


嫌われることで力を増す。憎まれることで、力を増す。放置して強くなる。


放置して、残酷な心を育てるのが、我が家の決まり。


私は、あなたを殺せる」


スキダがぐるんと方向転換して尻尾で殴り付けようとしたのを見計らい、腕をぐっと引く。


────尻尾に触手が絡まったタイミングで自分の腕を回す。縄跳びの要領で、尻尾に触手がどうにか引っ掛かった。少し意識がずれてスキダが動く瞬間を待っていたのだ。


「私は、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない」


 スキダが身動き出来ずに悲鳴をあげるのを、畳み掛けるように叩く。椅子さんも触手を伸ばして私の腕に加担した。


「コップが殺されたとき、スライム、笑ってた。代わりを買えって笑ってた……私も、そう」


スキダは叫びながら強く身体を揺らした。

身体にぶつかり、痛みに唸る。


「私には、周りが悪魔だった。

────でも、私は悪魔だ。


好かれて、どんなふうに裏切れるか、いつも、考えているよ」



何かを触るのが、うれしい。


何かを、視界に映すのが、うれしい。


「私を好きなことは、誰も好きじゃないことと同議」


うれしいな。


「あなたは誰も好きじゃない」





───────『素敵なコップだね』





 ナイフを引き抜き、脳天に向かって突き刺す。腕が重たい。からだが、重たい。

触手は本体に絡まり、まだ、うまくほどけていないようだ。


 あげて、おろす、それだけの動作がとても、だるい。刃についたスキダが滑る。

研がなきゃ…………

あぁ────私まで、どっか、いきそう。



 ふらつくなかで椅子さんからのびた触手のひとつが、私に向かってきた。


「なに?」

その触手の先から、小さな丸い形の銃が現れる。

こんなものまで出せるのか。


「わ。スキダのこと、私、よく知らないけど…………すごいんだ」

受けとるとずしっと重たかった。


───どうぞ。


「ありがとう」


椅子さんは、何者なんだろう。

今さらまだ聞いてないなと思った

これがスキダの重さなんだ。

スキダを殺すための、重さ。

手が、震えた。

心が、震えた。

けれど、けれどそれ以上に、恋は戦争だ。


「役場が、みんなが、何かを言ったって、私、椅子さんが好きだよ。

『あなたが殺した』コップのことも。


私の意思は、常にみんなが何かを言うためのものじゃ、ないから






私は好きじゃない、





「私は、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない、好きじゃない」



何回か、音がして、空が揺れる。

煙が上がった。













・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





「おねえちゃんたち、遅いなぁ…………」


 恋愛至上主義者と何かあったんだろうか。一人になった部屋で、することもなく窓を見ていた。

そもそもあの観察さんが、味方かなんてわからない。

心配になってきた。

 空はすっかり暗くなっていて夜が近付いている。

「おねえちゃん、なんだか普通と違うにおいがした……」


 そーっと、庭をのぞく。

この家。たくさんのビルや、たくさんの会社の影になって、まるで忌まれているみたいだ。人工的に強制してつくられた日陰にあって、物干し竿だけは屋上の、高い場所に突き出ている。

(この家で、おねえちゃんは、ずっと……)

 何か、何か、掃除くらいならと、近くにあったはたきを手にする。が、後ろにあった棚にぶつかってよろけた。

「う、わっ!」

振り向くと、棚からドサドサと紙が出てくる。

中身は同じ文字が羅列されていた。

愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、

────それから、盗撮写真。

パジャマを着て寝ていたり、ぼんやり座っていたり、料理の写真まである。日付がつけてあり、毎日、1日3分ごとに送られているらしい。

「な、に、これ……」


棚の上にあったほこりをかぶった電話が、ピーッと音を立てたと近付いてみると、なにやら紙を送ってくる。

 動画サイトでやっているアニメ『さかなキッチン』のキャラクター画像だ。

おねえちゃんが、ハンバーグを作っている身体を切り抜き、顔だけがヒロインのみおちゃんになっていた。雑なコラージュ。

二枚、三枚、と送られてくる。


「えっ…………?」


この家の中、今も、見ているってこと。

────観察さんなのだろうか。

私の頭の中にそんな考えが浮かんでくる。


「おねえちゃん……」


 おねえちゃんは、どうして私を助けたのだろう。

それに。なんだろう、これ。


「…………」


 棚のなかを少しでも戻そうと、散らばった紙をまとめる。それから、たぶんこのへん、と箱の上に載せたとき、棚にもうひとつ、日記みたいなのを見つけた。

いけない、いけない、と思いながら、だけどどうしても開いてしまう。



月 日

また、人が死んだ。



月 日


また、人が、死んだ。


月 日

また、人が、死んだ。

おかしいと思ってあの人の後をつけた。


悪魔の仲間、って、言って油をかけていた。


月 日

吐くな、吐くなよ?

悪魔の仲間

私と話すと悪魔の仲間だと思ってしまう

らしい。



月 日

悪魔の仲間なんて、間違い。

あの人は、聞く耳を持たない。

また、人が死んだ。


月 日

私が死ぬ人に話しかけていると

噂が立っている。



月 日

また、人が死んだ。



月 日

死は見えない。終わりが見える。

あの人が、悪魔の仲間だと思った人が、死んでいく。


月 日

また、写真。

写真。


月 日

こんな、愛してる、は、悲しい。


月 日

次は誰が死ぬんだろう?













「……おわ、った」


 椅子さんがゆっくりと下降し、私を降ろす。

かく、と身体から力が抜ける。



短い時間だったかもしれないが、途方もない時間に感じられた。

まだドキドキしている。


これが、告白。

これが恋というものなのだ。


 アスファルトに座り込みながら、スライムを見る。スライムの身体はほとんどスキダと同化していたらしい。

スライムはもう居ない。

 ほとんど溶けていった身体。

しかしわずかに残った肉片が、小さな塊になって残っていた。


「スライム…………なんで、恋なんかしたの? しなきゃ良かったのに」


恋は戦争。そして治療薬の無い病。

病院でもどうにも出来ない。


「バカな、スライム……」


両手でわずかに残った肉片をかき集めると、その場に埋葬する。

手が砂でざらつくのが不快だ。

土のにおいがする。

イライラしている。

「本当に、バカだなあ。そんなになるまで感情を持たなきゃ、良かったんだよ。自制心がないなぁ」


汗でシャツが背中に張り付き、ちょっと寒い。頬に熱気が集まって顔が熱かった。これが、恋の照れ、だ。


「あは、初めて、殺しちゃった。

悪魔らしいかな?」


ふと、振り向くと観察さんがいなかった。さすがに逃げただろう。軽く掘った穴を改めて塞ぎ、手から砂を叩く。

冷たい風が吹きつけて汗ばんだ肌を冷やした。

 気づけば遠くに見える町は青みがかった暗い色の空に染まっていて、電灯のオレンジの光がほのかに照らす。

どこかから、電車の音がする。


「ふー…………うん、早く帰りますか」


───私は、悪魔。

確かめたことはないけれど物心ついたときから悪魔として扱われている。

 そしてビルの影になる小さな家で、誰とも話さないように念を押されて暮らしている。

 スライムがなんであの場に居たのかは知らないけど、所詮外からきたやつだったんだ。恋だなんだってまるで上級国民みたいなことを言って。がっかりした。


「コップを殺した、仇、とったよ」


 天国にいるはずのコップを思い浮かべ──るところで、そういえばと空を見る。

飛んでいた観察さんのヘリが見当たらない。

「こんなところを見つかったら、もっと悪魔の悪評が広まってしまうわ」


物に心は無いと言っているやつらだからスライムが可哀想だ、とか言うんだろう。悪魔の異常性とかってコップが槍玉にあげられるのは嫌だ。

観察さんは、どこだろう。

でもどうせ、すぐにこっちに戻ってくる。

悪魔を観察しない日はないんだから。

ネタにされる前に帰らなきゃ。


「椅子さん…………」


 すぐそばにたたずむ椅子さんに手を伸ばす。


「椅子さん…………」

抱き抱えて身体を寄せる。

落ち着く。


──帰ろう


「うん……」


私は悪魔。

悪魔だから、いつか町から駆除されるんだ、って、そう思ってきた。

そう思っていたんだ。

気にすることなんてない。

悪魔がなにかが証明されないところで、私はこうやって周りから遠ざけられて、話したくもない気持ち悪い顔にだけ対峙させられて…………

せめて、椅子さんくらい好みのタイプなら良かったのに。





 ずきっ、と頭痛がして頭を抑える。


──なのに今は、気になっていることがある。

悪魔に息子を紹介して恋人届けを出そうとしたおばさんのこと。

ううん、周りの彼女らもそうだ。

他人を遠ざけられて、悪魔として排除されるのを待っているだけになってるような私。

何をしても話し掛けては貰えなくて、

代わりに人間が「代理の私」を作り、

私役に話しかけることで、間接的に関わったことにするまでになっている。

 人間には奇妙な習慣があって、それがこの、間接的な代理の私を作ることだった。


何かの用事でホテルとかお店とかの受付に行くと、電話しますね、と言って近くにいる「代理の私」に電話する。そのあとは代理の私の、意見を聞くのだ。

私は結局『決められた場所』に向かわされていた。

悪魔の自由意思を持たせないためだろう。


なのに。



なぜ、恋人届けだけは熱狂して阻止する

代理の私、が出てこなかった。


恋愛だけは。




投稿日2020/9/26 1:54 文字数948文字

















「おお、アサヒ!! 何かあったのか? あれから連絡よこさないもんだから……無事だとは思ってたんだがな」 


 通話口の向こうから嬉しそうに呼ばれて、思わず昔の癖で笑みを返しそうになった。だがそんな場合ではないのはわかっている。観察屋、で一番世話になった上司の電話番号にかけてみると、彼は機嫌良さそうにすぐに応答した。


「実はちょっと、指示された地域で、いろいろありまして……」


 ヘリが破損して俺もついさっきくらいまで意識をなくして……

と言う話を本来しなくちゃいけないが、なぜだろう、言葉が出てこなかった。

──なんとなく、けれど、たしかな確信を持って俺は疑っていたからだ。

誰かが、ヘリコプターをわざと墜落させたんじゃないか、って。

だけど、なんのために?

そんなの決まってる……口封じだ。



「まあ、ゴタゴタしてるからな」


いつももう少し質問攻めにしてくるギョウザさんがやけに物分りよく頷いたのが、より一層俺のなかの不信感を募らせる。


「だけど爆撃許可なんて……」


「爆撃? 何を、言ってるんだ」


とぼけた声で不思議そうに返された。

っ?と自分を疑いそうになる。


「いや、不自然な火災とか……」


「あー、あー、『テレビの観すぎ』だなこりゃ」


俺は確信した。わざと話を逸らしている。

ぼそっ、と息のかかる音がして、ギョウザさんの潜めた声が続いた。


「あのな、あまり、言いたくないんだけど……君の、そのことは、こちらで処理するから」


「……」


「挨拶とかみんなで出来ないけれど。

世話になったね」




 通話が遮断されると、現実に引き戻された。気づけば真っ暗だ。

通話してる間は見えなかった辺りの暗さを一気に背負ったかのような、漠然とした不気味さを感じてしまう。


 少し歩いたビルの前、やや大通りに面した方に来ていた俺が改めて火災のあった場所に向かっていると、よろよろとふらつきながら少女が椅子を抱き抱えて歩いているのが見えた。家に帰る方角だ。


「……あ、観察さん」


ボロボロで、傷だらけで、なんて声をかければ良いか見当もつかない。


「そ、その……痛いか? 病院とか」


なんとか心配を表すと彼女は首を横に振る。

「いいの……身分証明書でクロにばれちゃう」


「身分証明書って……使うためにあるんじゃないのか」


「観察さんなら、戸籍屋を知っているでしょう?」


 まっすぐな目が俺に問い掛ける。

……知っては、いる。

何処にいる誰なのかまでは知らないけれど。

確かにそういうやつらが居るんだ。

何か不穏な動きがあったら戸籍情報を横流ししている連中。

──観察屋と繋がりがあることも知っている。


「私は、代理をたてられて、そして何かあっても私の代理が病院に行くのだから」


「どういう意味だ」


 話しながら、ビルとビルの隙間を歩く。

隠されるように、隠されるように連なる、建物や木の間を抜ける。


「──クロは私の痕跡すべてを、身分証明書レベルで、社会すべてから無くしたいの。だから、私は届けも出せない、外に出られない。身分証明も出来ない」


ますますわからない。


「スライムはどうしたか、聞かないんですね」


「死んだのか」


「殺しました。私が、私の手で」


「そうか……」


やけに、落ち着いている。

 俺が子どものときはもっと元気いっぱいで明日のことは明日悩もうみたいな、感じだったと思うからか、それが気になった。


──そして、この家に続く道。

あのときは意識が不安定であまり見ていなかったが、やけに日当たりが悪いっていうか、いろんな影に隠れている。

 クロが何かわからないが、俺が当然のように戸籍屋を知ってると思っている辺り、それに妙に孤独に慣れている辺り、ずいぶんと長く『身分証明』から逃れて暮らしている。恐らくは余程の罪もないはずなのに。放置して強くなる、とかいうのもなんだか気になる。


「幸せになれ、って、命令する人ばかりで、ずっと嫌でしたが観察さんはなにも命令しないから気が楽だな」


ふらつきながら、先に進む彼女は、やはり、ちょっと息切れぎみで、ときどき立ち止まる。

何回目かに立ち止まった彼女に、俺は近付いて聞いた。


「ああ。俺はその通り、上から観察して、撮影してテレビ局や新聞社に売り渡して生計を立てていた。

──お前は、何者だ」


「悪魔」


相変わらず、まっすぐな目で、なんてことないような声で彼女は言った。


「悪──魔?」


「みんなが、悪魔って呼んでる。

私は悪魔。生れたときから人権はあってないような仮初めのなか。

親が『悪魔は放置して強くなるから』って言ってて、こうやって周りから強引に隠された場所に暮らしてる」



悪魔は身分証明書でバレてしまうのだろうか? と言おうとして、それが先ほどの繋がりの話だと気付いた。


「俺は、幸せになれなんて命令しない。わからないものになるのは誰だって難しいからな。



──ただ、お前は、本当に悪魔、なのか?」


「本当かどうかは関係がないんだよ。

悪魔なら、悪魔でいい。

理由がなかったら、私のなかの私は、

悪魔でもないくせに何故こんな状態で生きてるのか思考を続けてしまう。性格が悪かろうと身分証明書を奪われる人は私以外知らない」


 そうか、嫌われて拗ねている、なんて可愛いものではない。

悪魔と言われるなら悪魔で構わない。

ゴミと言われるならゴミでもいい。

生きる価値を感じられない日々に耐える正当な理由がほしい。

それが、すべてから無くされそうな彼女が今唯一願えることなのだった。

嫌われることにすらすがることができる。



「嫌われることは幸せなことです。

理由を教えて貰えるのはありがたいことです。それがなかったら私は存在さえ許されない」


とても嬉しそうに、そう言って改めて椅子を両腕に抱き抱えた。


「嫌われるから、人は生きていけるんです」






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