第7章 森(もり)
小さな芽は、いつか森をつくる。花や実をつけ、その種子によって樹木が増えて広がるだけでなく、そこに様々な生物が集まって生活するようになり、森がつくられる。動物や昆虫、そして地中の菌もまた森の住民である。
森のなかで、太陽エネルギーを直接利用できるのは植物がもつ光合成の力だけ。無機物(水と二酸化炭素)から作り出した有機物(糖)を、さらには根から地中の無機物(窒素などの養分元素)を取り入れ、複雑な蛋白質や脂質などの有機物を合成して、他の生物に提供している。この植物の力が森全体の原動力になっている。
植物から他の生物に一方通行で提供されるだけでなく、お互いのバランスが成り立って、森全体のシステムができている。ミミズやダニが植物の落ち葉や枯れ枝、虫や動物の排泄物や死骸などを食べて細かく砕く。それが土壌の微生物によって分解され、養分になって植物に提供される。
そんな森に、異なる種類の植物が入ってきて、森全体のバランスが崩れてしまうことがある。ある島では、在来種の照葉樹林が茂っていたところに、島の外から外来種の植物が持ち込まれた。この外来種は、地上に密な葉の毛布を形成し、在来種の苗木を締め出してしまった。そこに暮らしていた島固有の鳥たちは餓死していった。
*******
「樹には、切っていい枝と、切っちゃいけない枝があるの知らないかなぁ」
荻野さんの機嫌が悪いようだ。
彼女は最近、「就職しようかなぁ」と考えていて、来週は1週間、県の農業試験場で開催される合宿セミナーに参加するらしい。それもあって、今朝、美容院に出かけたそうだが、そこの新入りの店員が「最近の流行です」と、彼女にとって切るべきでない部分の「髪」を切ってしまった。
「自分の技術より、お客さんの希望が優先だって考えないかなぁ」
こんなとき、研究室は、かなり窮屈な空間である。
そこにタイミング良く、ポーラベア電子の社長から電話がかかってきた。出張のお土産でお菓子があるから食べに来ないかと……
こんなとき、甘いものは最強である。
ポーラベア電子と吉田電機との協力関係によって製造能力が高まり、需要に応えられる十分な数量の商品が出回るようになって、店頭での価格も下がっていった。両社の生産ラインも余裕を持って稼働している。
午後に荻野さんと一緒にポーラベア電子に出かけ、社長室で「最近話題の洋菓子店のスイーツ」をいただきながら、社長が話す会社の最近の話題を聞いていた。
「手紙が来たんだ……」
大きめの封筒と、小さな封書が応接テーブルに置いてあった。
僕が手に取った大きめの封筒は、北海道の大学の住田教授からだった。
「ヨーロッパの大学がフォトン技術について論文を発表しました」
その内容について、住田教授が解説を送ってくれていた。父の特許技術を「フォトン技術Ⅰ」とすればヨーロッパの技術は「フォトン技術Ⅱ」と言える、と説明されていて、使う光は違っているが「Ⅰ」でも「Ⅱ」でも同じように診断ができるらしく、どちらが優れていてどちらが劣っているというものではないらしい。
社長が「驚いたよ」と言うように、僕も驚いた。それとともに、僕の気持ちの中では、ヨーロッパにも父と同じ夢を持った研究者がいたということ、そして、その研究者よりも早く父が答えを見つけたということが、なんだか誇らしくも感じた。
でも、ポーラベア電子の製品の販売に影響はないのだろうか。
もう一つの小さな封書は、荻野さんが手にとって読んでいた。折りたたまれた便箋に手書きの文字が見えた。地方の企業からの手紙で「フォトン技術を使いたいので、特許を許諾してほしい」という内容らしいと、社長は部下から聞いたそうだ。
「駄目なんですか?」
荻野さんが尋ねた。
社長としては、フォトン技術を使うには品質確保のために駒井さんの技術指導も必要だし、そもそも製品の生産は2社で十分に足りているから、「丁寧にお断りしてはどうか」と考えているそうだ。
社長はヨーロッパの「フォトン技術Ⅱ」の話題に戻り、来週早々に、関係者を集めて対策会議を開きたい、だから僕たちにも来て欲しいとのことだった。
ポーラベア電子で金曜のおやつの時間を過ごした後、僕たちは週末に備えて大学に立ち寄った。
夕陽色の研究室で、荻野さんは黙ったまま、自分の机を片づけている。不満げだった髪型に、少しは慣れただろうか……
僕は、机から父の封筒を久しぶりに取り出して、窓の向こうの夕陽とともに眺めながら、ヨーロッパの「Ⅱ」に思いを馳せていた。
ふと気付くと、彼女が僕のそばにいた。
「お父さんの封筒?」と尋ねるので、僕は、新しい髪型の彼女に向けて笑顔になって「うん。懐かしい?」と手渡してあげた。
「さっきの会社に使わせてあげれば?」
ポーラベア電子で彼女が読んでいた小さな封書のことだった。そのことは、社長が考えているとおりだと、僕も思う。フォトン技術にとって、あまり意味はない。
「もういい」
強い口調ではなく言葉を吐くようにサラリと言い、そして彼女はそのまま父の封筒を研究室のゴミ箱にすべり込ませた。
バサッという乾いた音が耳に届いた後、全ては静まり返った。
思考停止した僕の前から、彼女は消えていった。
週が明け、月曜がやってきた。
ポーラベア電子の会議室で「フォトン技術Ⅱ」対策会議が始まる。社長と駒井さんのほかに、吉田電機の社長、特許事務所の浜野弁理士、銀行の拓也と、そして僕がそろった。北海道の住田教授にはテレビ会議で繋がった。
荻野さんは、いない。
浜野弁理士の解説によれば、ヨーロッパの大学の「フォトン技術Ⅱ」は、父の特許の「3つの条件」には合致しない。つまり、「フォトン技術Ⅰ」の特許の範囲外、「抜け穴」にあたる。
「フォトン技術Ⅱ」を使った製品が販売されるのかは定かでない。将来、「フォトン技術Ⅱ」の製品が日本に輸入されるかもしれない。逆に、僕たちが製品をヨーロッパに輸出するかもしれない。そのときは、それぞれの製品が競い合うことになる。駒井さんは、競争することは悪いことではないと言った。お互いに競争すれば、もっと小型化しようとか、もっと使いやすいデザインにしようとか、追加の機能なんかもどんどん開発しようと、技術者は努力するからだ。こっちには吉田電機も住田教授もいるのだから、技術やアイデアで勝つ自信はある。
そんな頼もしい意見も出て、長く続いた対策会議は、来週に持ち越すことになった。
日々が過ぎ……荻野さんがいなくなって5日目の金曜日。
大学の研究室の陽あたりが強くなってきたので、僕は観葉植物を日陰に移動させた。
月曜の対策会議は「時間をかけて検討していきましょう」ということで終わったけれど、この1週間、僕の思考回路はほぼ停止したままで、拓也とダラダラ、LINEを交わす日々が続いた。
北海道の住田教授が、ある「問題」を対策会議で指摘していた。
「問題は、診断するときの操作方法がⅠとⅡでは違うことです」
将来、日本で、またはヨーロッパで、ⅠとⅡの両方の製品が一緒に売られることになったとき、製品を使う医師や患者さんが操作方法で混乱することが考えられる。例えば、医師が別の病院で診察するときや、患者が違う製品に買い替えたときにも、それがⅠかⅡで操作方法を変えなければならない。操作方法を間違えると、正確でない診断結果が出てしまい、人の健康や命にもかかわる。そんな不便な製品だと噂が広まれば、「フォトン技術」自体が信用を無くし、世界に広まらない。
困ったことだよなぁ……進展のない拓也とのLINEのやりとりが今日も続いた。
そしてまた、LINEの着信音がしている。
攻略本があるなら、もうそろそろ見ても許されるような気がしてきた。
「私がいなくて『枯れそうな』茄子くんへ」
それは荻野さんからだった。1週間の合宿セミナーが終わり、土曜には農業試験場の体験ができるので「茄子くん」も来てみないか……と。
拍子抜けした。
ついでに、頭の冴えが戻ってきた気がした。
農業試験場は、大学から2時間ほど電車とバスに揺られた場所にある。ずっと狭い研究室に閉じこもっていたら、山間に開けた緑地の光景を目にするだけでもストレス発散できるようだった。
荻野さんは、勝手知ったように農業試験場の中を案内してくれた。
ここには、数多くの施設があるが、その多くは植物ではなく、牛や豚といった家畜の研究をしている。1週間の合宿セミナーの成果を発揮して、彼女は動物の飼育方法について次々と僕に解説してくれる。
広い敷地を順番に案内され、その中に、大きな牛舎や豚舎とは別に、小さな部屋に牛や豚が数頭ずつ横たわる近代的な施設があった。
「この子たちは、病気なの……」
この農業試験場では動物の品種改良だけでなく、動物の病気の治療法の研究や、ストレスを少なくして健康に成長させるための研究も行われているらしい。ガラス窓の向こうで研究員の人が、肌色の豚のおなかを力強くさすっている。
「この子たちのために、特許を使わせて欲しい、って書いてあったの」
あの小さな封書のことだ。
父のフォトン技術は、動物の診断にも応用できる。もちろん、動物の種類に応じてセンサーの形状や大きさ、データの処理方法などは工夫する必要がある。「そのノウハウが、わが社にはあります」と、小さな封書の送り主は書いていたそうだ。それは、動物用の治療装置を専門に開発している会社の技術者だった。そんな送り主の「希望」を、彼女は、あの手書きの便箋からしっかり読み取っていた。
「特許を……使わせてあげて」
ガラス窓の向こうに横たわる数頭の豚を見つめながら、彼女はそう言った。
僕は、ガラス窓に写る彼女に約束をした。
月曜。
ポーラベア電子で2回目の「Ⅱ」対策会議が行われた。
前回の参加者と、今回は荻野さんも僕の隣に座っている。すでに、ポーラベア電子の社長には、動物用治療装置の開発会社に父の特許を使ってもらいたいことを相談してあった。だから、さっそく口火を切って社長が「対策会議の前に……」と、僕からの相談について説明をしてくれた。
みんなから意見がもらえるよう、しばらく沈黙の時間を空けた。
突然、特許事務所の浜野弁理士が「それは『Ⅱ』対策としても、いい戦略かも知れません!」と立ち上がる。
そして、思いもよらない「戦略」を、僕たちに時間をかけて詳しく提案してくれた。
全員が賛成したその戦略は「特許を開放する」というものだ。
そして、父の特許は「開放」された。
つまり、ポーラベア電子と吉田電機だけでなく「希望する会社は特許が使える」ようにした。特許を使いたいと希望する会社があれば、特許の契約は結ぶけれど、その使用料は妥当な程度に抑えてあるし、必要なときは技術指導や品質管理の約束もして、誰でも僕たちの仲間になれるようにした。
あの動物用治療装置の開発会社には、特許の契約とともに駒井さんが技術指導もした。先方の企業には、製品の品質管理を約束してもらった。その結果、動物用の診断装置は順調に開発が進み、今は農業試験場で試作品がテストされている。
驚いたことに、フェイム社からも希望があった。その結果、大病院で使われる大型の診断装置に「フォトン技術Ⅰ」が使われることになり、そのセンサー製造の一工程をポーラベア電子と吉田電機が担当してフェイム社に納品することになった。ちなみに、既に売られている小型の診断装置については、「ポーラベア電子の『新フォトン技術』」として有名になっていたし、技術開発室が開発した豊富な「新機能」も好評だったから、フェイム社としては、それを追いかけて製品販売する考えはないようだった。
フォトン技術Ⅰを使った専門的な大型診断装置が登場したことで、大学病院の教授がその診断方法について研究成果を発表することにもなった。農業試験場での動物に対する応用実績も増えていった。こうした様々な発展を取り込んで、フォトン技術Ⅰの社会的な位置づけや価値はますます高まっていった。
海外からも問い合わせが殺到した。「フォトン技術Ⅰ」が海外に進出する日も遠くはない。
「フォトン技術Ⅰ」は、様々な応用分野と企業に浸透し、全世界に広がった。父の特許を中心に「森」ができた。
こうして「Ⅰ」が「共通」で「標準」になったから、わざわざ「Ⅱ」を製品化する企業は出てこなくなった。誰かが使い方を間違って事故になる混乱は避けられた。
それはまさに、浜野弁理士が提案した「Ⅱ」対策の戦略が描いた「筋書き」どおりだった。
「競争することで多様なアイデアが生まれることは良いことです。でも、そうした技術が使われて生活が本当に便利になるには、使う側の身になって『共通』である方がよいこともあります」
それをコントロールできるのも特許の力だと、浜野弁理士は教えてくれた。
僕の隣で荻野さんは「私たちの充電器も面倒だもんね」とささやいた。僕と彼女のスマホはタイプが違うから、一緒にいて充電器を忘れたことに気が付いても借りることはできない。例えば、USBのように共通していれば……街のカフェや高速バスの座席にも、あらゆるところにUSB端子が付いているように、広がっていく。
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『特許を中心に、連携して共存共栄する世界をつくる』
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