第6章 仲間(なかま)
荻野さんによれば「茄子を育てるときは、インゲンを一緒に植えておくと良い」らしい。
茄子は日光を好み、インゲンは茄子が作る半日陰でも育つ。インゲンは根に共生した菌で空気中のチッソを地中の栄養に変えることができ、インゲンが作りだしたその栄養を茄子は利用するので、茄子だけを植えたときよりも茄子は良く生育する。
彼女によれば……僕は「茄子」。
「インゲン」の彼女がいることで僕は研究で良い成果をだせるらしい。僕が作った品種なら、それがどんなに珍しいものでも、考えていることがボンヤリとわかってしまうから「うまく育ててあげられる」のだそうだ。
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「なるほど、勉強になるなぁ」
偽物事件も落ち着いたある日、午前中の爽やかな陽射しが差し込むポーラベア電子の社長室に、僕と荻野さんはいた。社長は、荻野さんが解説する茄子とインゲンの共生の話を、興味深そうに聞いていた。
今回の偽物事件で考えさせられたことがある。それは、誰だって安い物を買いたいということ、そして、もしかしたら患者さんの中にはポーラベア電子の製品が高くて買えない人がいるかもしれないということ。父の技術を少しでも安くできれば、もっと多くの人に製品を使ってもらえるかもしれない。
そんな僕の想いを、少し前に社長に話したら、社長も同じことを考えていたそうだ。しかし、製品の販売が順調で製造が追いつかず、品物が足りないから店頭での値段も下がらない。生産ラインはフル稼働だが、フォトン技術に関連した幾つかの重要な部品には、技術的に高度で人手がかかる製造工程があるそうだ。高い技能を持った社員を増やし、生産ラインに設備投資をすれば、大量生産による効率化でコストも下がるかもしれない……それは単純なことのようだが、残念ながらポーラベア電子のような中小企業では、かなりハードルが高いことらしい。
荻野さんの解説を一緒に聞いていた駒井さんは「茄子とインゲンの天ぷらが食べたくなった」らしく、昼食の時間には少し早かったけど、ご馳走してくれることになった。会社からは少し離れた天ぷら屋まで3人で出かけると、駒井さんは「社長がポケットマネーくれたから、特上でいいよ」とニコニコしている。
駒井さんは、製品の改良を続けていた。診断の精度を上げたり、測定時間を短縮したり、色々な機能を加えれば、バージョンアップした新製品ができる。
それも嬉しいけれど、僕としては、値段が下がることを期待した。製造を簡略化する方法が見つかれば、生産スピードも上がって、より多くの製造ができるのではと提案してみた。しかし、駒井さんによれば、父の特許を使うセンサー部分を製造するには、ちょっとした「コツ」というか、技術的な「ノウハウ」があって、他の方法がなかなか思いつかないらしい。それは、独特なテクニックが必要な何段階にもわたる作業工程で、他の社員の人たちも少しでも効率化しようと工程や工具を一つひとつ何度もチェックして工夫してくれていた。それでも、大幅な改善は難しいようだった。
初めての「特上」天ぷらを堪能し終わった僕たちが、運ばれてきたお茶を飲んでいると、男性2人が暖簾をくぐって店に入ってくるのが見えた。その1人は、ポーラベア電子の作業服を着た見覚えのある若者。もう1人は、別の会社の作業服を着た年配の人だった。2人は店員さんに導かれ、僕たちに気付くこともなく別の席に向かって行った。
そういえば……見覚えがあったのは、僕が以前、ポーラベア電子の技術開発室で「J-PlatPat」の検索をしたときに手伝ってくれた、駒井さんの部下の人だ。駒井さんにそれを告げると「あぁ。若山だったな……」と、なぜか暗い顔をしている。
その訳を駒井さんは「もう1人が、吉田電機という会社の作業服を着ていた」からだと説明してくれた。吉田電機は、ポーラベア電子のライバル会社で、やはりセンサーの研究開発をしている。今のところ吉田電機が作っているのは、新幹線や業務用電子レンジに使われるセンサーが中心で、ポーラベア電子のものとはタイプが違っているから、うまく棲み分けている。ただ最近、吉田電機は「医療関係のセンサーの開発を計画している」という噂があって、気になっていたらしい。そうなると、まさにポーラベア電子と競合することになる。
「若山が、妙な気を起こしてなければいいが……」
技術開発室の中でも、駒井さんと、その弟子のような「若山さん」は、センサー部分の製造に重要な「コツ」や「ノウハウ」を熟知している。そのノウハウを吉田電機は、のどから手が出るぐらい……もしかしたら「盗んで」でも欲しいだろう。吉田電機にとっては、ウン千万円の価値があるはずだ。産業スパイという言葉を聞いたことがある。世間では、技術者ごとライバル会社に持って行かれたという事件さえ、日常茶飯事らしい。ちょうど今、フォトン技術の製品は売り上げが順調に伸び、評判が高まっているところだ。吉田電機は、そのフォトン技術を吸収して使いこなすだけの高い技術力を持っている。
「すぐ、止めなきゃ……」
「いや。俺がしばらく様子を見るから、任せてくれないか」
急にそんな話になって、荻野さんは悲しそうにうつむいていた。
奪い合うんじゃなくて、共生できれば良いのに……と、彼女の言葉でつぶやいていた。
僕と彼女は、その後しばらくポーラベア電子に行くのをやめようということになった。気が進まなかったし、若山さんのことは駒井さんがきっとなんとかしてくれると思ったから。それでも、父の技術が原因で、人と人、会社と会社が敵対し合うなんて、虚しい気分にしかなれない。
それからすいぶん経ったある日のこと。僕は、社長から呼ばれた。
何のことかは察しがついた。
荻野さんも一緒に行こう、と誘った。驚いたのは、拓也からもLINEが来て、拓也も社長から呼ばれたらしい。
その日、ポーラベア電子の会議室には社長と駒井さん、そして拓也も先に来て座っていた。それから特許事務所の浜野弁理士も。でも……若山さんは……いない。
その代わりのように、見知らぬ人が座っていた。社長が立ち上がると同時に、その人も立ち上がり、僕たちに紹介された。それを聞いて僕は、驚いた。というより、今ここで何が起ころうとしているのか、頭が混乱した。
その人は、「敵」である吉田電機の社長だった。
「吉田電機も、うちの銀行のお客さんなんだ」
拓也が、僕の様子を察して、僕たちに説明を始めた。
吉田電機は……センサー製造の高い技術力があって、大手企業に部品として納入している。ところが最近、その大手企業の1社が製品の仕様を変えるらしく、長年続いてきた吉田電機への大口の発注をストップすると通知してきた。それは、吉田電機にとって、かなり大きな打撃で、多くの生産ラインを停止しなければならず、今後の状況によっては人員削減ということになる。しかし、社員の解雇だけはどうにかして避けたいと、銀行とも相談しているところらしい。
「だから、フォトン技術の部品製造を分担できないかって話になったんだ」
吉田電機には、人員や生産能力に余剰ができる。ポーラベア電子は、フォトン技術を増産したいが、その余裕がない。拓也は、簡単には社員や設備を増やせないポーラベア電子側の事情も、社長から相談を受けてよく把握していた。
そこで、両社で考えたのは、センサー部品の製造には何段階かの工程があるので、それを、ポーラベア電子と吉田電機で分担するということだ。例えば、作業工程を二段階に分けて、第一段階を吉田電機で担当してもらい、第一段階が終了した部品を送ってもらって、第二段階の作業工程をポーラベア電子で担当して完成させる。そうすれば、ポーラベア電子が単独で全ての作業をするよりも、それぞれの作業工程に集中できるので、大幅に効率化もできる。製造できる個数は多くなり、価格は安く、そしてポーラベア電子の利益も多くなりそうだ。吉田電機は、社員の解雇を避けられる。
実は、後で知ったのだけれど、天ぷら屋で会った若山さんと吉田電機の人は、両社の作業工程の分担について、ちょうどあの日に双方の社長から指示されて、さっそく情報交換を始めるところだったそうだ。
「ただ、それには……」
弁理士の浜野先生が、僕に向けて言った。
「君の特許で、2つの会社をつないでもらう必要があるんだ」
吉田電機は今、父の特許の「柵」の外にいる。特許を使う権利がないから、部品の製造もできない。
吉田電機を「仲間」にするには、特許の「柵」の中に入れてあげる必要がある。それができるのは、特許を持つ「僕」だけだ。
僕との特許の「実施許諾契約」があれば、吉田電機は柵の中に入って、ポーラベア電子と協力して製造できるようになる。2社が協力関係を結ぶには、僕の力が必要なんだ、と浜野弁理士は言う。
「特許って『独り占め』するための道具だと思ってた」
荻野さんは、2つの会社が助け合って成長できる道を知って、彼女らしい笑顔に戻っていた。
「独り占め」したいとは思ってない。父の技術を少しでも安く、そして多くの人に製品として使ってほしい。ただ、あんな偽物事件が二度と起きないよう、技術が「誰かに勝手に使われる」ことは絶対に防ぎたい。
特許には、それをコントロールする力があった。
最初は、ポーラベア電子という信頼できる会社に、父の技術を育ててもらう「選択」ができた。それから、偽物を相手に「戦う」力を発揮した。そして今、助け合う仲間同士を「つなげる」ことに、その力が使える。
父は、その「力」を僕が持てるように、病床で最後の力を振り絞って、技術を「特許」にレベルアップして遺してくれたのだ。
……助け合ってもらいたい……
僕の返事を受けて、2人の社長は笑顔になって握手を交わした。
製品の品質を確保するために、駒井さんたちのノウハウを吉田電機に技術指導することになった。ただ、他の会社には秘密にして欲しいこともあるので、浜田先生は「秘密保持契約」を結んでおくことを提案した。
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『特許は、仲間をつなげる力になる』
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