第5章 鉾(ほこ)
父は子どもの頃に、母親(つまり僕の祖母)から「ご飯は残さず食べなあかん。お百姓さんが一粒一粒、一生懸命に作ったんやから」……そんな風にしつけられたらしい。大学の学食で荻野さんと一緒にランチを食べ終えながら、お椀に残ったご飯つぶを見つけて、そんな父の話を思い出した。それを荻野さんに話したら、クスッと笑って、「私がお母さんになったら、こう言うけど」と真顔になった。
「こんな美味しいコシヒカリを開発した人に、感謝して食べなさい!」
昔の人が、美味しい米がとれて寒い地方でも育つ強い稲の品種を夢見て研究を続けたからこそ、僕たちは美味しいご飯をいつも安心して食べることができている。それは長い年月がかかる道のりだ。品種改良では、組み合わせたい特徴をもった品種と品種を、両親として選んで掛け合わせてみる。できた種を取って子の世代の種が取れるまで育てる。その後、その種を育てて孫の世代の種を取る。そこには、父親の特徴Aを持った種、母親の特徴Bを持った種、そして両親の特徴(A+B)を兼ね備えた種ができている。そこから、両親の特徴を兼ね備えた種だけを選び出して育て、良いものを選び出す……それを繰り返すことで、新品種に到達する。それほどの年月をかけても、期待していた特徴が出なければ、最初に戻って、組み合わせる品種の選び出しから始めることになる。
そんな努力をして良いモノを創り出し、残してくれた先人たちに、僕たちは敬意を払わないといけない。
*******
フォトン技術の診断装置に、北海道の住田教授の技術が組み込まれた試作品ができた。試作品のテストが始まり、動作の不安定は解消、そのほかの性能試験でも順調な結果を出した。公的な試験機関の検査もパスし、ようやくポーラベア電子から製品として販売されることになった。
「新フォトン技術」と宣伝された新商品は、大型の家電量販店の店頭などで好評に売れていた。弁理士の浜野先生が、住田教授との特許ライセンス契約についても丁寧に対応してくれて、製品の売り上げに応じて僕や住田教授の大学には特許の使用料が支払われる。
日本全国で売り上げを伸ばし、ポーラベア電子の生産ラインはフル稼働となり、社員の人たちも忙しくなった。僕と荻野さんは、大学に近いポーラベア電子に時々顔を出し、技術開発室で駒井さんの研究の手伝いをしたり、社長とも一緒に談笑したりして過ごすようになっていた。
そんな頃、九州の病院からポーラベア電子に、ある相談の電話がかかって来た。
「ポーラベア電子の診断装置を使っていて皮膚が荒れたという患者がいる」
病院の医師は、製品から出る光が人体に有害なのではないかと疑っていて、同じ被害が他にも出ていないか、何か対策はないのか……と相談してきたそうだ。
製品で使っている光は父の特許の中心となる技術だけれど、人体に害のないことは、ポーラベア電子はもちろん、公的な試験機関でも検査がされて十分に確認されている。それでも社長は、関係者を集めて会議を開き、直ちに調査するよう指示を出した。
ポーラベア電子の社員が総出で、在庫の製品に不良品や欠陥品はないか、そして、製造途中の部品の一つ一つ、工程の一つ一つを点検していった。技術開発室では、精密な検査や分析を繰り返した。それでも、有害な結果を引き起こす原因が突き止められない。
そこで、社長の指示で、九州の病院を通じて、被害のあった患者さんに製品の代金をお返しして、実際に使っていた製品を送ってもうことになった。
一週間ほどして届いたのは、ポーラベア電子の製品によく似た「偽物」だった。よく見ると「Polar・Bear」という会社のロゴが「Palar・Beer」になっている。こんな見間違えやすいロゴは、消費者を巧妙にだますためのものに違いない。本物の半分以下の値段でネット販売されていたらしい。
技術開発室で、その製品に電源を入れてみる。駒井さんが自分の身体で試しに測定した数値は、ポーラベア電子の製品で測定する数値とは確実にズレている。肌に触れるセンサー部分も、色が少し違っているように見える。ネジを外して装置の中を探ってみると、そこに収まっていたのはポーラベア電子には存在しない雑然とした電子基板と配線だった。
その偽物は、ネット通販で「新フォトン技術」と宣伝されて、日本全国に販売されていた。誰も今まで気が付かなかった……もっと早く気づいていたら、被害を防ぐことができたろうか。被害が出ているケースが他にもあるかどうかはまだわからないが、これを止めるのはもう手遅れなのか。
社長は、製品を送ってくれた患者さんに宛てて手紙を書いた。偽物だったことを説明し、これまでポーラベア電子が偽物の販売に気付かなかったことと、当社の製品と信じて買ってくれたお客様にご迷惑をかけてしまったことを、お詫びする内容だった。
ポーラベア電子の会議室に、社長をはじめ、駒井さんなど会社の中心メンバーが集まった。会議室に怒りの声が飛び交う……わが社のイメージダウンだ。被害がこれ以上、広がらないように早急に食い止めるべきだ。『悪貨は良貨を駆逐する』。このまま放っておけば、安い偽物によってポーラベア電子の製品が店頭から追い払われてしまうぞ。そんな事態は断固阻止すべきだ……
拓也もLINEで「そいつは、特許侵害だ!」と激怒している。フォトン技術は特許をとっているから、勝手に使うと特許権の侵害になり、違法な商品になる。
偽物の製品パッケージに枠囲いで表示された「製造」の欄は外国の国名だったが、「販売者」の欄に書かれているのは、大阪の住所と社名だった。
社長と駒井さんと僕は、その大阪の住所に向かった。
狭い道路の両側に古いビルがひしめく街。大阪の住所に建っていたのは、灰色の小さなビルだった。狭い階段を3階まで上がると、ペンキのはげた金属の扉に、あの偽物のパッケージに書かれていた社名と同じ表札があった。
狭い事務所の中は、仕事をしている様子はなく、所々に段ボール箱が乱雑に積み上げられ、その中で黒い革張りの大きな応接用ソファーだけが目立っている。
そこに案内されて社長が座り、その両側に駒井さんと僕が座る。
対面して向こう側のソファーに腰を下ろしたのは、黒スーツの身なりの長身が1人。あと1人は、その後ろに立ったままで落ち着きがない、ジャージの男。
名刺交換もなく、黒スーツの「何しに来られたんですか?」という一声から始まった。
社長が、持参した「偽物」を鞄から出し、「実はですね……」と切り出して、九州の病院の話からこれまで調べたことまでを説明し、「つまり……」で一呼吸おいた。
「御社が販売しておられるこちらの製品で、健康被害が出ているようなんです」
それを聞いて間髪入れず、後ろのジャージが身を乗り出して怒鳴った。
「なんだとぉ? 因縁つけんのかぁ?」
すかさず黒スーツが「黙ってろ!」と、大きく開いた脚に、片方の肘をついた体制のままで、太い声を響かせた……
予感はしていたけれど、自分たちが「来てしまった場所」がどこなのか、この相手のやりとりがキッパリと教えてくれた。
ジャージが「すいやせん」と一歩下がる。長い一呼吸をおいて、黒スーツが僕たち全員の目を見据え、語り始めた。
「社長さん。うちの製品を喜んで買ってくださるお客さんも、たくさんおられるんですよ。そういう人たちのために、うちは真面目に商売してるつもりです。それを社長は『健康被害』だと騒がれるんですか? 妙な噂を流されたら、うちのような弱小企業はすぐにつぶれちまうんですよ。皆さんのやってることは『営業妨害』、『名誉毀損』でしょ。社長さんも立派な方なら、気をつけて行動された方がいい」
偽物のセンサー部分に有害物質が混ざっていることは確かめた。しかし、そのことと皮膚が荒れたこととの関係については、原因となっている「可能性がある」だけで実験で確実に証明されたわけではない。それが原因で健康被害が出ているとこちらが主張して、もしそれが違っていたら、営業妨害とか名誉棄損とかで逆に相手から訴えられてしまう可能性がある。
社長はひるまず、今度は特許の説明をした。
「『新フォトン技術』は特許なんです。ですから、御社の製品は特許侵害の違法な製品なんです」
「なんだとぉ、おらぁ!」
「黙ってろ、って言ってっだろ!」
「すいやせん」
ジャージがまた身を乗り出しても、黒スーツは微動だにしない。
そして、僕たちに向かって笑みを浮かべ、諭すような口調で語り始めた。
「社長さんは、うちのが『光』だから犯罪だって言うんですか?」
「いぇ、そういうわけでは」
「いいですか、社長。そこまで『犯人』扱いしたいなら、『証拠』、持ってきてくださいよ。うちの製品が特許侵害とやらの犯人だって証拠をね。ほら、刑事ドラマで犯人のDNA鑑定とかやってるでしょう」
ジャージが、ヘラヘラ笑って「科捜研いってこい!」と言う。黒スーツは、今度はそれを制止することなく、そのままこの場に終止符を打った。
「そういうことですから社長。そのお話はこの辺にしときましょうよ。お互いに面倒なことは損でしょう」
これ以上は何も言わせない……そんな雰囲気を黒スーツは漂わせた。
この大阪の住所の会社に、僕たちが訪れることは二度となかった。
大阪からポーラベア電子に戻った僕たちは、会社の他のメンバーとともに会議室で静まりかえっていた。
もちろん、誰も納得などしてはいない。
そこに、連絡してあった特許事務所の浜野弁理士が来てくれた。
さっそく社長が、九州の医師の電話がきっかけで偽物を発見したことから、僕たちが乗り込んでいったことまでを説明した。
「それは勇み足でしたね」
確かに十分に考えずに行動したかもしれない。でも、偽物を許せない気持で皆、居ても立っても居られなかった。そして今、情況は僕たちに不利に思える。偽物業者から「証拠を出せ」と言われて、僕たちに出せるものは何もない。だったら、このまま引き下がるしかないのだろうか?
浜野弁理士は、頬を緩めて優しく言った。
「そうですね……じゃぁ、DNA鑑定しましょう」
えっ?……全員、あっけにとられた。
コシヒカリでもDNA鑑定ができる。
「稲」のDNAには膨大な遺伝情報が含まれている。その中に、コシヒカリという品種に共通した特徴の「DNAの部分」がある。その部分は「あきたこまち」や「はえぬき」といった他の品種とは違った特徴を持っているから、調べたい稲(コメ)のDNAを分析して、その部分のDNAが、コシヒカリのDNAの特徴と一致していれば、その稲は「コシヒカリ」の品種であることが特定される。
浜野弁理士の説明によれば、「フォトン技術」の特許を侵害しているかどうかを鑑定するときも、DNA鑑定のように、製品の全ての要素の中で「ある部分」の特徴が一致しているかどうかが鍵となるらしい。その「部分」、つまり「フォトン技術」の特徴を表すDNAの部分を、父の特許は「3つの条件」で定めていた。
1つ目は、照射する光の波長とパルスの形
2つ目は、検出する光の波長とタイミング
3つ目は、検出したデータの判定方法
疑わしい製品を調べて、この3つの部分が条件に一致していれば、その製品はフォトン技術の「特許を侵害している」と特定される。科捜研に分析してもらう必要はない。
「1つ目は、一致するぜ!」
駒井さんは、すでに偽物を調べていたから、照射している光がフォトン技術と一致していることを知っていた。しかし……「あと2つは、やっかいだなぁ」と難しい顔をした。3つの条件が全てそろわないと、特許侵害の「証拠」にはならない。
「絶対に、俺がなんとかする!」
駒井さんは技術開発室にこもって、残り2つのパラメーターを調べ始めた。
僕も手伝わせてもらった。
技術開発室の実験テーブルに2人で席を並べているとき、駒井さんが、父と一緒に研究をしていた頃の話をしてくれた。まるで僕と拓也のように、いつも2人で七転八倒しながら共通の技術課題に向かっていたんだと話してくれた。
「その頃から、お父さんは、自分の身体の異変に気がついていたようだったよ」
すぐに入院して治療するよう、母や駒井さんは説得した。しかし、父は違った。残りの人生を使ってフォトン技術を完成させると決心して、会社を辞め、自宅での研究を始めたそうだ。無理をして、がむしゃらに研究をした。そして身体が辛くなったときに、あの観葉植物のそばに腰を下ろした。
フォトン技術が完成する日まで、自宅で自分との戦いを続け、そして、それが完成すると、ようやく入院をして治療を受け始めた。そして今度は病室で、パソコンを使って特許の出願手続きを始めたのだった。そして、特許が登録されることになったという通知が来て、ようやく父の戦いは終わった。駒井さんは、そのことを最近になって母から聞いていた。
「絶対に俺が、証拠をつかんでやるよ」
一人の人間の想いが込められた技術。それを、黒スーツやジャージが「何の敬意もなく使ってやがる」ことが、駒井さんはどうしても許せない。
技術開発室に泊まり込んで偽物の分析をする日が続いた。僕も手伝った。「帰って休んだ方がいい」と言ってくれたけれど、僕という存在にとっても今という時間は大事なんだ。そんな様子の僕に駒井さんは、何も言わず手伝わせてくれた。荻野さんは、研究室の観葉植物を「私に任せて」と言ってくれた。
そして、偽物の分析の結果は出た。
2つ目も、3つ目も「黒だ!」。
これで3つの条件がそろった。特許侵害の証拠になる。
僕たちが偽物の分析をしている間、拓也とポーラベア電子の社員の人たちも、手分けして警察に相談し、国の試験機関や消費者相談センターにも相談に行っていた。国の試験機関が分析した結果では、センサー部分に混ざった有害物質が原因で健康被害のおそれがあるため、日本の製品検査はパスしないということだった。
駒井さんの分析結果をもとに浜野弁理士が特許侵害の「警告書」を書いてくれた。それに、国の試験機関の分析結果のコピーも添えて、あの大阪の住所に郵送した。浜野弁理士の特許事務所は、警察だけでなく、輸入を止めてくれる税関や、海外での偽物対策を支援してくれる国の機関にも、連絡を取って対策を依頼してくれた。
久しぶりの大学の研究室。
お帰り、大切な観葉植物は元気にしてるよ……久しぶりの声。
偽物はネット上から消えていった。大阪の会社はいつのまにか消えてなくなり、既に出回っていた偽物は国の機関が対策をとってくれたらしい。
*******
『特許は、侵害品と「戦う力」を授ける』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます