第4章 進化(しんか)
荻野さんに「手伝って」と言われて、大学構内のビニールハウスの中で彼女と一緒に実験用の新しい苗を植えていた。花が咲いて実がなるまで間に、他の品種の花粉と交雑しないように、ビニールハウスで育てていく。
自然界で植物は、昆虫の目印となるように花を咲かせ、香りを漂わせ、蜜を蓄えることで、昆虫の助けを借りて花粉を運んでもらい受粉して交配する。ときには、遠く離れた場所に咲いた違う品種の花から昆虫が飛んできて、違う品種の花粉が受粉する。すると、両方の品種が混ざって「交雑種」という新しい品種が生まれることがある。全ての品種の間でそういうことが起こるわけではないけれど、植物が進化するとき、自然の中ではそんなことも大切なきっかけになっている。
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実験の準備が一段落して、僕は荻野さんと一緒に、ポーラベア電子に顔を出すことにした。
展示会での試作品の評判が高かったことを社長はとても喜んでいて、会社の人たちも製品の販売に向けて活気があった。駒井さんといえば、そんな中でも真剣な技術者の表情のまま、技術開発室にこもって製品の品質や性能について最終確認を進めていた。
駒井さんがポーラベア電子に来てから「技術開発室」の雰囲気が変わったそうだ。どんな技術の難関でも「なんとかするぞ!」という駒井さんの大声が、ほかの技術者にも届く。若い技術者のアイデアも全て同じテーブルで検討する。だから、目指す技術に向かって多彩なアイデアが出る、そして技術開発室の全員が、がむしゃらに実験装置に向かう。それが、ポーラベア電子の技術開発室の強さだった。
実験装置に向かっている駒井さんは、いつも近寄りがたい雰囲気がある。
しばらく、近くで様子を見ていた後、思い切って声をかけてみると、返ってきたのは重々しい言葉だった。……このシステムには欠陥がある。ときおり動作が不安定になる現象が起こる……そのことを、駒井さんは少し前に気づいていた。
なぜ動作不安定になるのか、その原因が判明するまでに、それから1ヶ月かかった。結局、父の技術自体に問題はないそうだ。父のセンサーにつながる駆動回路に問題があることまでは判明したが、それを解決する方法が思いつかない。父の技術に詳しい駒井さんでさえ、ずっと頭を抱えていて、行き詰まっている。
フェイム社ならこれを解決できる技術も持っているのだろうか。いずれにしても、このままでは製品として販売するのは無理だ。駒井さんの説明を聞いた社長は、僕に「すまない」と頭を下げた。
荻野さんと大学の研究室に戻った。
駒井さんは「必ず、なんとかする」と言っていたけれど、本当は、この課題は相当難しいのかもしれない。そんな悪い予感が頭を離れなかったから、僕も荻野さんも黙ったまま机に向かっていた……と、突然。
「ネットで検索してみたら?」
彼女が座ったまま僕のほうに顔を向けて言った。不安定な動作を解消する方法がないかネットで探してみたら、ということらしい。あまりにもストレートすぎる発想なので、冗談かと思った。
「だって、お父さんの特許も『ネットで調べた』って言ってたじゃない」
確かにそうなんだけど……でも、父の特許にたどり着くのとは、今回は訳が違う。どんな技術を探せば良いのか、駆動回路の不安定動作を解消できる技術って言われても、それが何なのか……僕は電子回路の専門家ではないから想像さえつかないし、仮に特許の文献がヒットしても専門用語さえ理解できないと思う……
僕がそんな弱音を吐いても、荻野さんは表情すら変えない。「やるだけやってみれば?」
こうして僕は次の日に、ポーラベア電子に出かけることになった。
大学でもネット検索はできるけれど、仮に文献がヒットしても、僕には技術が理解できないから、駒井さんに見てもらう必要がある……そう駒井さんにお願いしたけれど、忙しそうで乗り気になってくれず、近くにいた若い研究者に「若山。手伝ってあげて」と、頼んでくれただけだった。
作業服を着た若い人が寄ってきて、僕の耳元で「駒井さん、こういうの嫌いなんですよ」とささやく。
「自分の頭で考えろ、手を動かせ!って、いつも怒鳴られるんです」
駒井さんの気持ちは、僕にはわかる。
研究者は自分の力で新しいものを生み出し、発見することが大切だと思う。それに、フォトン技術は、父のオリジナル技術だ。他人を頼ることはできないし、僕たちの技術として、ちゃんと育ててあげたい。
そうは思いつつも僕は、若い技術者からパソコンと机を借りて、特許情報の検索サイト「J-PlatPat」にアクセスし、父の特許のキーワードをいくつか入れてみた。
ヒット件数が膨大になったり、父の特許しかヒットしなかったり……ネット検索なんてそんなもの、時間はたっぷりあるのだからピンとくる公報を手当たり次第に読んでみよう。もちろん、難しい説明は読み飛ばして……
いろんな会社の名前が出てきた。会社によって、いや同じ会社でも、装置の種類や技術の内容は、少しずつ違っている。注目しているポイントが違っていたり、構造を変えたり材料を変えたりと工夫も様々だ。
ヒットした文献をそんな風に順番に眺めているうちに、いつしか、その「世界」がぼんやり見えてきた気がした。父のキーワードにヒットする特許情報が集まるこの世界は、一つひとつの技術に違いはあるけれど、発明者たちの「想い」や「夢」、「目標」は、みんな共通しているように感じた。そんな世界のなかに、父の特許も同じようにあった。
こうして数百件の公報を順に流して見ていたとき、ある特許公報の画面で、僕の視覚に飛び込んできた文字列に、息が止まった。
その特許公報には、父の特許出願の説明が最初に書かれている。そして、「そのセンサーに適した電子回路」を提案すると書いてある。技術の詳しい内容は理解できない……しかし、よく見ると最初のページには、北海道の大学名と見覚えのある名前が発明者として載っている。たしか、展示会で会ったあの大学教授だと思う。
その公報を若い技術者の人に見てもらったら、ピンときたらしい。すぐに、駒井さんに知らせに行った。
駒井さんの顔色も変わった。
ポーラベア電子に保管してあった名刺を頼りに、駒井さんと社長、そして僕も一緒に、北海道の大学にその教授を訪ねることになった。
北海道の大学で電子回路を研究している住田教授は、特殊な電子回路を考案したことで世界的にも有名な先生だった。父の知り合いと予想していたけれど、そうではないようだった。
「お父さんのセンサーは素晴らしい。ただ、動作を安定させることが難しいはずです」
教授は見抜いていた。
「ああいった素子には、私の研究も使えると思いまして。私の理論と組み合わせるのに苦労しましたが、新しいタイプの電子回路として特許も認められたんだと思います」
展示会で試作品は発表していたものの、なぜ教授は、父の技術の詳しい内容まで知っていたのだろう。
「お父さんの技術の詳細は、ずいぶん前に特許の公開公報を拝見して知りました。発明者に書かれていたお父さんのお名前もよく覚えていたので、展示会でお名前を聞いたときも、あぁ、あの特許だなとすぐにわかりました」
父が生み出した技術は、父が特許出願したことで、その1年6ヶ月ほど後に公開公報になって世界中に情報発信されていた。そう、あのネット上の「J-PlatPat」のサイトで誰でも簡単に見ることができる。
教授はその情報をキャッチしたのだ。そして、互いに遠く離れたところで生まれた父の技術と教授の技術とが、融合した。それは新たな進化になった。
住田教授の話を聞きながら、大柄の身体の駒井さんが、肩をすぼめて小さくなっている。
「俺たち技術開発室も、死ぬほど頑張ってきたんだが……『負け』だな……」
駒井さんはずっと、技術者として自分の技術に自信を持って活躍してきた。そして今は技術開発室というチーム、そしてポーラベア電子という会社に大きな誇りを持っている。だから「なんとかする」というあの決意は、「自分たちの製品のことは、自分たちで全て何とかする」の意味であって、それ以外ではなかった。
つまり、よその技術で解決されたことは、駒井さんにとって「負け」を意味する。
いや、駒井さんだけでなく、僕も同じだ……何もできなかった。
「それは違うよ」
社長の言葉に、駒井さんと僕は、顔をあげた。
僕の父は、僕たちのことを決して「負け」だなんて思わない……そう、社長は話してくれた。
植物は自然の中で様々なきっかけで進化する……そう、荻野さんも言っていた。
父は、自分の技術が1年6ヶ月後に公開公報となって世界中に情報発信されることを知っていた。だから、世界に広がった自分の新技術が、どこかで誰かの技術にめぐり会い、それぞれの遺伝子が合わさって「新たな進化」が起こることを父は、「むしろ望んでいたはずだよ」と社長は説明してくれる。
実際に、こうして住田教授の技術にめぐり会った。
父と駒井さんが夢に描いた技術は「僕たち」の小さな世界ではなく、同じ「想い」、「夢」、「目標」を持った人たちが集まる大きな世界の中で進化させていくことがいい。同じ夢を持つ人たちが互いの技術で助け合うことは、決して「負け」ではないんだと。
すると、住田教授が、大学教授としての夢を話してくれた。
「私の研究が社会の役に立つのなら、どうか使ってください」
ポーラベア電子の製品に教授の特許を使うことを喜んで承諾してくれた。
浜野弁理士に頼んで特許の契約を交わし、教授の大学にポーラベア電子から特許の使用料を支払っていけばいい。
駒井さんもようやく笑顔になっていった。製品を完成させるには、教授の研究成果を有効活用することが一番だ。ただ、今までそんな経験が、僕たちに無かっただけだと思う。
教授とポーラベア電子とは、このあと協力して製品の改良を進めていくことになった。
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『特許は、世界に広めて進化させる力を持つ』
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