第3章 盾(たて)

 僕という「樹」にとって、父は「大地」だった。

 大地は、樹が大きく根を張れるように、そして、嵐のときも倒れないように、しっかりと支えていてくれる。大地は、自然界にある全てのものを、そして、樹が落とした枯葉の一つひとつを、栄養へと分解して蓄えていてくれる。その栄養を吸い上げることを、樹に任せてくれている。

 大地があったからこそ、僕という樹は、太陽という高い目標に向かって伸び伸びと成長できた。


*******


 ポーラベア電子は、大学に近い住所にある。広い敷地に樹が所々に植えられていて、芝生の緑に囲まれた横長の白い建物がいくつか建っている。僕と拓也が駒井さんに会っていたのは1階の会議室で、部屋の外には長い廊下が外の芝生に面して続いていて、ちょうど明るい陽差しが差し込んでいた。

 僕たちの決意を聞いた駒井さんが、製品化に向けて全力を尽くしてくれることになり、「うちの社長に話してみるから」と先に会議室を出て行った。ポーラベア電子は、センサーの研究開発をする会社で、開発した新型センサーを大企業に部品として納入したり、個人向けの診断装置を製造販売したりしている。技術力の高さが評判の会社で、フォトン技術の製品化に向けた開発も「うちの会社ならできる」と駒井さんは自信を見せていた。


 しばらくして駒井さんが戻ってきて、今度は僕と拓也を社長室に案内してくれた。廊下を進んだその先に、社長室はあった。駒井さんがノックをしてゆっくりと扉を開ける。深みのある色調の書棚がそのまま壁面になった社長室が目に飛び込んできて、自然と身体に力が入る感じがした。

 社長はデスクから立ち上がると、名刺を差し出してくれる。拓也は慣れた様子で銀行の名刺を渡している。さぁどうぞ、と言われ、応接用のテーブルを挟んで4人がソファーに座ると、女性の社員がお茶を運んできてくれた。

 話は駒井から聞きましたと、社長は告げた後、

 「残念だけれど、わが社では難しいんだ」

 社長の判断は早かった。


 フォトン技術を組み込んだ製品を仕上げるには、製品全体の開発から最終調整まで沢山の壁があるだろう。製品化までには多額の資金も必要だし、多くの技術者の時間も必要になる。しかし、「問題はそこでは無い」と社長は説明してくれる。

 「技術開発は駒井さんがいるから大丈夫だ。必要な資金や時間は大きいが、それでも十分な魅力がフォトン技術にはある。多くの患者さんに喜んでもらえる。これを製品化することの社会的な意義も十分に理解しているつもりだ。しかし、それとこれとは別なんだ」

 理解できなかった。何が「別」で、問題は何なのか。

 「うちのような弱小企業には『本当の力』は無いんだよ。申し訳ないが」


 僕は、そして拓也も、想像力を働かせたけれど、社長の説明は消化できなかった。

 その時はただ、「そうなんですか……」と頷くことしかできなかった。

 社長と駒井さんは立ち上がって頭を下げて、丁寧にお詫びをしてくれる。

 それに促され、僕たちもちゃんと挨拶をして、そのままポーラベア電子を出た。


 翌日。

 駒井さんから電話があり、僕と拓也にお詫びしたいと言って、研究室に来てくれた。

 「力になれなくて申し訳なかった」

 拓也も来てくれていた。

 「うちの社長は、厳しい社会で、ずっと頑張ってきた人なんだ」

 社長は長年、ポーラベア電子を支えてきた。地方の小さな企業だから、苦しい状況になったことも一度や二度ではない。以前、大企業から特殊なセンサー部品を依頼されたときは、社員が全力で技術開発し、生産ラインを新設して納品を続けてきた。それが突然、「他から買うことになった」と一方的に中断される。倒産寸前になった。そんな辛い経験を社長は何度もしてきた。長い物には巻かれろ……そう言うじゃないか。大自然だって、陽の光の恵みもあれば、突然の災害の驚異もあって、それは自分たちの意思が届くところではない。それを受け入れながら、果実を荒らされ枝葉が折られても、社長は、大地の上にしっかりと、その小さな会社の命をつないできた。

 会社と社員を大切に守ってきた社長の考えが、僕にもわかる気がした。僕たちの提案に「わが社では難しい」という判断をしたことも、会社を守るためなのだろう。


 「ポーラベア電子のような弱小企業が、こんな凄い技術でヒット商品を出したら、すぐに大企業にやられてしまう」

 社長は駒井さんに、そう理由を説明したそうだ。

 ポーラベア電子の製品ができれば、少しずつでも売れるはずだ。広告や宣伝をして、そして病院の患者の口コミで、だんだん広がっていくと思う。しかし、全国の人たちがフォトン技術の素晴らしさを理解してヒット商品になると、それに目を付けて、大企業が同じような製品の販売を始める。すると、ポーラベア電子の売り上げは減ってしまうことになる。

 少なくともフェイム社は、フォトン技術が完成したことを既に知っている。ポーラベア電子で製品化を始めれば、その脅威にすぐに気が付いて、追いかけるように開発を始めるだろう。そうなると、世間の人たちが、ブランド力のある大企業の製品と、弱小企業のポーラベア電子の製品のどちらを買うかは、はじめから勝負が付いている。ポーラベア電子は「つぶされる」。そんな将来を見通して、社長は「わが社では難しい」と判断したのだった。


 そんな社会の実態を聞いて、一緒に話を聞いていた荻野さんが愚痴った。

 「畑の茄子が実った頃に、イノシシってやって来て食べちゃうのよね」

 ビジネスの「果実」が実り始めた頃に大企業という「イノシシ」はやってきて食い荒らすのだと、彼女らしい経験談で例えている。

 「でも、イノシシが悪いわけじゃないの。イノシシだって、厳しい自然の中で一生懸命、生きなきゃいけないんだから」


 駒井さんが「そうやね」と、優しく笑っている。

 「茄子の畑なら、柵で囲っとくんやけどな」

 「はい。ダメってわかれば、イノシシは入ってこないんです」


 雰囲気が少し和らいだと思ったら、拓也が、僕に向かって質問をした。

 「特許のこと、どれぐらい勉強した?」

 拓也は、今回のミッションをきっかけに、先輩から勧められて特許の勉強を始めたらしい。

 でも、僕が知ったのは……

 オンリーワンの証になる力……技術が育つ環境を選ぶ力……


 「あと5つ、『力』があるぜ」

 拓也が、オレ様になって勉強の成果を発揮する。

 そして僕に3つ目の力、「守る力」を教えてやろう、ということになった。


 その翌日。

 僕は、ポーラベア電子を訪問した。社長にもう一度、話を聞いてもらうために。

 社長はやはり丁寧に応対してくれた。

 僕の熱意は認める、それ以上にお父さんの技術に惚れている、私にも製品化したいという気持ちはあるんだ、それでもやはり「それとこれとは別なんだ」ということ、小さな企業が社会で生き残っていくには、技術の力だけでは難しいこともあるんだ……そう繰り返し話してくれる。


 そんな社長に、僕は言った。それは、拓也から教わった「セリフ」だった。

 「僕が、ポーラベア電子を守ります」

 社長は唖然とした。僕のような学生にはビジネスの知識も法律の知識もないはずだ……銀行のように資金があるわけでもない。大企業の巨大な力から「守る」ことなど、できるはずがない……そう思われて当然だ。

 僕だって、そう思っていた。拓也の教えを聞くまでは。


 僕は、ソファーに浅く座り直して、セリフの続きを言った。

 「特許の力を使いましょう」

 社長が駒井さんに目をやると、駒井さんは社長を促すように、大きく頷いてくれた。


 拓也が教えてくれたことは、特許の「実施許諾契約」というのを、僕がポーラベア電子に提案するというものだった……「ライセンス契約」とも言うらしい。

 僕がポーラベア電子とその契約を結べば、ポーラベア電子は「父の特許を使って良い」ことになる。一方で、僕がフェイム社に「父の特許を使ってはいけない」と主張すれば、契約の無いフェイム社は製品化ができないことになる。

 ポーラベア電子を「特許の柵」で囲っておく。そうすれば、フェイム社は畑に入ってこれないから、ポーラベア電子を守れる……RPG風に言えば、こっちが持っている防御アイテムで、敵の攻撃からパーティーの仲間を守るということさ……それも拓也の勉強の成果。


 社長にちゃんと理解してもらうため、後日、拓也の銀行が特許事務所の浜野先生という弁理士を紹介してくれた。

 スタイルの良いスーツ姿の浜野弁理士がポーラベア電子に来てくれて、社長と駒井さんなど会社の中心メンバー、そして僕と拓也に基本的なことから易しく説明してくれた。そして、父の特許の力を使って会社を守ることを教えてくれた。


 「君が、わが社を『守る』なんて、想像もできなかったよ」

 社長は、大企業に対抗できる「盾」を持つなんて、考えたこともなかった。

 そして今、「特許が会社を守る」ということを知って「これまでの自分が恥ずかしい」と言う。けれど、僕は、そんなことないと思う。知らなかったのは僕や駒井さんも同じだったし、それに、会社が生きるにはどんな苦難があるかなんて、僕には想像さえできなかったのだから。


 ポーラベア電子でフォトン技術を製品化することを、社長は決断した。浜野弁理士が特許の契約を仲介してくれて、その契約をもとに特許に守られながら開発を進めていくことになった。


 月日は流れたが、駒井さんが予言していたように、数多くの技術的な難関が、試作品を仕上げるまでに待ち受けていた。それを一つひとつクリアしていくポーラベア電子の技術開発室の人たちの熱意と技術力は凄かった。父の技術が全てではない。製品を完成させるには数多くの技術が必要だ。デザインやネーミングといったものまで必要になってくる。社長は、開発に必要な資金を拓也の銀行から借りた。特許の力があるとはいっても、それは、小さな企業にとって命取りとなりかねない巨額の借金だった。


 そして、試作品が完成し、ようやく、実現の目途がたった。


 最新の医療機器が発表される大きな展示会があり、大企業から小さな会社まで100社を超える企業が出展していた。その中でもフェイム社は、大きなブースで最新の医療機器を展示していて、まるで映画のような未来病院のイメージを巨大ディスプレイで紹介している。

 ポーラベア電子のブースでは試作品も展示されたので、そのブースに僕も居させてもらった。決して大きくないスペースでも、来場者の往来が激しいなか、専門家や技術者らしい人が立ち止まって、壁のパネルや試作品を見ていってくれる。ポーラベア電子の技術者の説明に耳を傾けてくれた人は、父が完成させた次世代技術と特許に驚いていた。北海道から来たという大学教授は長い時間、熱心に説明を聞きながら、僕のほうにも向き直って丁寧な口調で「息子さんですか」と丁寧に会釈してくれた。

 医療機器の業界でフォトン技術は、ちょっとしたニュースになったそうだ。


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『特許は、「守る力」を授ける』

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