第2章 絆(きずな)

 荻野さんによれば……観葉植物を育てるなら「苗」を選ぶときだけ一生懸命ではだめ。その子が素敵な姿に育つかどうかは、DNAだけでは決まらない。どんな環境を整えてあげるかで、成長していく姿は決まっていく。小さな鉢のときは可愛らしい小ぶりでいても、大きな鉢に植え替えたとたん、巨大植物に化けてしまうことさえある。その子は、根をどれだけ広げられるかで、自分の成長をコントロールしているから。だから、品種について調べて、水や養分の与え方、陽のあて方、温度管理についてきちんと知ったうえで、想い描く姿に合わせて育ててあげて。そうしないと、いつまでも葉が少ないままだったり、逆に、邪魔に巨大化してしまったり。

 その子の本当の素敵な姿を観てもらえないなんて、かわいそうじゃん。


*******


 父が勤めていた会社は、「フェイム社」という病気の診断装置の会社で、ホームページには、病院の一部屋を占めるほどの大型の装置から、家庭でも使える小型の装置まで、幅広い製品ラインナップが紹介されている。大阪の本社を筆頭に全国各地そして海外にも事業拠点があって、「世界中の患者を笑顔に」している写真が大きく載っている。世界各地の研究施設で、次世代の技術が創られていく様子も紹介されている。


 フェイム社のホームページを観ながら、僕は大学の研究室で、この先のことを思案していた。

 父のフォトン技術が確かな技術であることが、拓也のおかげでわかった。

 「常識外れ」と批判され、父の会社で理解されなかったアイデアも、今はこうして、技術を詳しく説明した文書がそろっているし、優れた特性を示した実際の実験データもある。何より、それが世界初、オンリーワンの技術であることを「特許」でアピールできる。

 ここまでたどり着いたのだから。今ならきっと理解してくれるだろう。

 僕は、フェイム社に相談することを決心した。


 母にフェイム社のことを尋ねたら、父の葬儀でお世話になった人がいると言って、保管していた名刺を探してくれた。人事課長の肩書きがあった。とりあえず、このメールアドレスに、父がフォトン技術を完成させたことを説明してメールを送ってみる。技術の詳しい説明は、ネットにある特許登録公報を参照してもらえば良いだろう。


 それから数週間。

 大学の研究室でパソコンを開くと、フェイム社から返信メールが来ていた。

 そのメールには、父が会社に大きく貢献したことへの感謝の言葉や、フォトン技術を完成させたことへの賞賛の言葉が丁寧に綴られていた。そして、僕や母の生活を気遣う文章に続けて、フォトン技術の特許については「弊社が買い取らせていただきますが、いかがでしょうか」と提案してくれている。

 正直、僕が送ったメールなんか、スルーされることも覚悟していた。フェイム社にとっては「押し売り」同然のメールかもしれないから。だから、こうして返信が来て、優しい言葉を見て、そして何より、父の技術や特許の価値が認められたことが、嬉しくて。

 研究室の机に座ったまま、何度もパソコン画面のメールを目で追った。


 「お父さんが大切にしていたものでしょ?」

 突然、背後から、荻野さんの叱るような声がした。

 画面から目を離し、声の方に目をやると、部屋の隅のほうに彼女はいた。いつのまにか僕の観葉植物を、陽差しの強い机の上から、日陰に移してくれたようで、こちらに背中を向けて水をあげているところだった。

 「いつも、ほったらかしなんだから……」

 あぁ、ごめん……と返事をしながら、僕はすぐに、拓也にフェイム社のことをLINEで報告した。

 拓也は、「後で行く!」と速攻で喜んでいる。


 その日の仕事を早めに終えて、拓也は研究室に来てくれた。

 僕がフェイム社のからのメールを見せながら「買い取ってもらうって、どうすれば良いんだ?」と尋ねると、拓也にもすぐにはわからないらしいけれど、フェイム社との間で必要な手続きは銀行で調べてくれるし、実際に金額の交渉や書類の作成になれば「俺がサポートしてやるよ」と約束してくれた。


 そんな僕と拓也のそばで、荻野さんが立ちすくんでいる。

 部屋の隅にあった観葉植物を、僕の机に戻してくれる途中だった。

 「大切なものが消えてしまう……」

 小さな鉢を胸に抱えて、ポツリと不思議なことを言った。

 このとき、拓也は何かを感じたのかもしれない。優しい口調で「銀行の先輩にちゃんと相談しておくから」とフォローしてくれた。


 後日、拓也の先輩からのアドバイスで、父の技術に詳しい研究者にも話を聞いておこうということになった。

 父と同じセンサー技術の研究をしていた駒井さんという研究者がいる。フェイム社で父と一緒に研究をしていた人で、父の想い出話にも良く出てきたから、ずいぶん前から知っているような気がしていた。父の葬儀で初めて会ったとき、ラガーマンのような大柄の身体を屈め、目に涙を浮かべながら僕に優しい言葉をかけてくれた人だ。

 今は、ポーラベア電子という中堅の会社で働いているらしく、「技術開発室長」という肩書きの名刺が、父が僕に託した「封筒」に入っていた。

 この駒井さんに連絡を取って、拓也と一緒に会いに行くことになった。


 ポーラベア電子の小さな会議室で、駒井さんは父の書類を食い入るように読みながら、関西弁の太い声で「完成してたんか」と驚いている。

 父と一緒に研究していた頃、次世代技術にしたいと2人で夢を語り合ったそうだ。ただ、上司には何度もこの技術の開発許可を願い出たが、全く聞き入れてもらえなかった。駒井さんは、そういうフェイム社の体質が嫌になって、父の退職と同じ頃に新しい会社、ポーラベア電子に移ったのだった。

 「一人でずいぶん苦労したやろな」

 父が自宅や病室で重ねた努力が、駒井さんには手に取るようにわかる様子だった。


 そんな駒井さんに僕は、フェイム社からのメールの印刷を取り出して見せた。

 ……フェイム社が父の特許を評価してくれて、買い取ってくれるそうです……そう話す僕に、駒井さんが返事をするまでには、少しの間があった。

 それでも、穏やかな表情になって「君やお母さんの生活費になれば、お父さんも喜んでくれるだろう」と応えてくれたのだった。

 僕からバトンタッチした拓也の質問にも、駒井さんは一つひとつ丁寧に答えてくれて、そして最後に、フェイム社なら、特許の価値を適正に評価して「君たちが思っている以上の金額」で買ってくれるはずだよと、話してくれた。


 僕たちは、駒井さんにお礼を言ってポーラベア電子を出た。

 大学に向かって二人で歩きながら、これからのフェイム社との交渉や契約といったことを想像してみた。それでも、こうして拓也がいてくれると安心する。

 ……これで荻野さんも安心してくれるな……僕がそう呟いたとき、急に拓也が立ち止まった。そして、「すぐ戻るから、先に大学で待っててくれ」と言うなり、ポーラベア電子に向かって駆けていった。


 結局、拓也が研究室に到着したのは、僕より1時間ほど後だった。


 研究室のテーブルを囲んで、荻野さんも一緒になって、僕たちは「この先」のことを話し始めた。

 きっと拓也が説明してくれることは、特許を買い取ってもらう難しい手続きについてだろう……少しは僕も勉強する覚悟をした。

 そんな僕の予想に反して、拓也が話し始めたことは、信じられない「異様な未来」だった。それは、拓也がポーラベア電子に戻って確認した、駒井さんの「読み」だ。


 フェイム社は、フォトン技術を製品化しないだろう……現在、別の方式を使った製品が順調に売れていて、その小型化に向けた研究開発も検討されている。一方、父のフォトン技術の方式は、製品化までに大きな壁がいくつかあり、その壁を越えるには「駒井さん」の知識や経験も必要で、フェイム社がこれから独自に製品化するには膨大な時間と研究費が必要になる。おそらく、僕のメールでフォトン技術が完成したことを知り、驚いて、社内で緊急に検討したはずだ。その結果、やはり現在の方式を継続することが決定したと考えられる。その場合、僕が持っているフォトン技術は「邪魔者」もしくは「強敵」でしかない。そこで、フェイム社は、僕からフォトン技術の特許を買い取って、社内に封じ込めようとしている。


 「かわいそうじゃん」

 キッパリとした眼差しで荻野さんが言う。

 フォトン技術の「芽」は、フェイム社に引き取られた後、暗い蔵の中に閉じ込められてしまうのだろう。その命とその夢はきっと、陽のあたらない闇の中で、途絶えてしまう。

 だから、荻野さんは、それを「ちゃんと育ててあげないと」かわいそうだと主張する。


 「でも、大金は入るぜ」

 拓也が声を低くして意地悪く僕の反応を探る。そんなとき、拓也の本心がそこに無いことを僕は知っている。

 確かに、お金のこともある……それよりも、今の道を閉ざしてしまったら、もう僕の前には道が無い、そう思う。このまま、この封筒を、僕が抱えたままでいても無意味じゃないか。


 「育つ環境を整えてくれる人を探しましょうよ……」

 僕は、机の上の小さな観葉植物に目を向けた。

 父が語っていた研究開発ストーリーが想い出された……「製品を世に出し、多くの患者を助けたい」

 でも、そんなチャンスが本当にあるのか……さすがに荻野さんも自信なさげな様子だった。

 それでも、今この瞬間に僕が感じたことは……

 僕と拓也、そして今は荻野さんも加わった「僕たちのミッション」

 その目的地にある「夢」は、みんな一緒だ。


 3人の気持ちを確認して、拓也は少しニンマリした。

 「それなら、続きを話そう」

 すっかりオレ様になって話し始めたのは、駒井さんの話の続きだった。


 完成した父の技術を中核として、製品化には他にも数多くの周辺技術の開発や、製品デザインなどが必要になる。今ある技術だけでなく、フォトン技術のために追加で開発する技術も必要だ。それでも、それらを開発していけば「製品化は十分に可能だ」と、駒井さんは確信を持っている。

 そして、「借金を背負うことになるかも知れないが、俺に任せてくれれば絶対に製品化してみせる」と言ってくれたそうだ。

 ただし、駒井さんも言うとおり、ポーラベア電子で開発を進めるにしても巨額の費用や開発期間が必要だし、100%製品化できる保証はどこにも無い。それは、拓也でも予想できることだ。


 「先輩が言ってたぜ……『特許を持つ者が、選択できる』……それが、特許の力の一つだってな」

 拓也が言うように、父から手渡された特許というコントローラは、僕の手にある。

父の技術をフェイム社に渡すのか? それとも、育つ環境を求めるのか?

 どうすればいい?……とは、もう思わなかった。心の中をしっかり見つめて、僕が決断することだ。


 数日後。

 拓也と一緒に、僕は、駒井さんを再び訪ねた。


 「お父さんの夢、わかってくれたんやな」と駒井さんは微笑んでいる。

 父と一緒にフォトン技術を夢見ていた頃から製品の全体構想を考えてきた駒井さんの頭の中には、もうすでに、製品化までに必要な全ての計画があるようだった。そして、技術者として、父の親友として、フォトン技術を活かした製品が完成するよう「全力を尽くす」と、その分厚い手で僕の手を握ってくれた。


*******


『特許を持つ者が、選択できる』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る