第1章 証(あかし)
父の書斎にあった小さな観葉植物は今、僕の大学の研究室に飾ってある。「飾る」というか……置いてある。実験途中の散らかった机の上に、少しスペースを空けて置いた小さな鉢。そこから、濃い緑色をした茎が数本長く伸びてきて、今も自然の光を探すように、先っぽに手のひらのような葉を広げている。
大学の研究室では、僕と荻野菫(おぎの・すみれ)さんの2人の学生が、担当教授のもとでバイオの研究をしている。バイオといっても昔からある「オールドバイオ」という技術で、植物の異なった品種を交配して今までに無い新品種を作出する。あの「コシヒカリ」も、1956年に、病気に強い品種と、美味しい品種とを交配して創り出されたものだ。僕たちの研究室も、人々に喜ばれる新品種の開発を目指して忙しいし、世界中で多くの研究所や農家の人たちが、いち早く新品種を発表するために競い合っている。
*******
研究室での実験の合間に、僕は、父のことを荻野さんに話していた。父もまた、自宅の書斎で時間を惜しんで研究をしていた人だった。
「お父さんの大切なものなのね」
父が遺した封筒を、彼女は手にとって眺めている。そこにはフォトン技術について詳しく説明した文書や図面、実験データ、そして何人かの名刺が入れられていた。
この技術で多くの患者が救われるんだ……僕が話すフォトン技術の研究開発ストーリーを、彼女は聞いている。見た目は華奢だけど、こんなときは整った瞳を活き活きさせて、どんなことでも知識として吸収してしまう雰囲気がある。今も、薄茶色の封筒を白衣に抱えるようにして、その夢を「実現させたいね」と微笑んでいる。
フォトン技術は、ここに完成している。
父は「あとは、おまえに預けるよ」と、僕に告げた。
でも僕は、父の夢にたどり着くための地図を持ってない。
これから先、僕がすべきこと、そのメニューは父の封筒には無かった。
「いろんな人に相談してみましょうよ」
そんな荻野さんの言葉で、僕は真っ先に、高校のときのクラスメート、井上拓也(いのうえ・たくや)のことを考えた。
高校の頃、僕と拓也は、いつも一緒に行動していた仲間だった。お互いに何か面倒なコトが起これば、必ず相談し、相談されていた。それで結局、解決したことも解決しなかったこともあったけど、どんなことも「俺たちのミッション」として七転八倒しながらクリアを目指す。毎日、それだけを考えていた。それが、僕と拓也にとって、お互いの、そして自分自身の存在意義だった。
高校3年の終わり頃から、拓也と会う機会はパッタリ無くなっていた。
拓也は今、この街の銀行に勤めている。
メッセージを送ってみると、拓也は、ちょうど外回りの途中に空きがあるからと、すぐ次の日に時間をとってくれた。
翌日、待ち合わせのコーヒーショップでボンヤリしていた僕に、スーツ姿で「久しぶり」と、落ち着いた声をかけてくれたのが拓也だった。僕のほうは高校の頃と変わらないらしく、「すぐわかったよ」と言って、銀行の名刺を両手で渡してくれる。この近辺のお客さんを何社か訪問している途中なんだ……と、忙しそうな仕事の様子を少し話して、そのままカウンターに飲み物を取りに行った。
戻ってきて席に座る拓也に僕は、あらためてお礼を言ってから、父の会社のこと、自宅や病院での研究のこと、フォトン技術のこと、封筒のこと……そして「父の夢」について話し始めた。拓也は、まるでお客さんの話を聞くように、時折、丁寧に頷いたり、僕の言葉を確認したりしている。
一通り話し終えて僕は「どうしたらいいのかなぁ?」と、銀行マンの拓也に助けを求めた。
すると、拓也は、「言いにくいんだけど」と軽く前置きをして、そして、社会の現実について話し始めた。
「うちの銀行にも、中小企業の社長さんが『良いアイデアだから製品化したい』って話、ときどき持ってくるんだけど。そういう話って、たいていダメなんだ」
そんなアイデアは誰かが先に思いついていて、とっくに商品化されている……なんて話は良くあること。だから、銀行としては乗り気にならない。下手なことすると会社が潰れますよ、そう社長さんに忠告して、なんとか諦めてもらうらしい。
父のアイデアも、製品化してくれる企業や銀行を探すしかないが、そのときも、きっと同じように扱われるだけで、理解してくれる企業や銀行は見つからないだろう。そう、拓也は僕にも忠告している。
「お父さんを信じたい気持ちはわかる。ただ、『気持ち』だけじゃあ、俺たち銀行だって何にもしてやれないんだ」
高校3年のあの頃……
僕と拓也にとっても、進路を決定する時期だった。どちらも趣味は理系だったし、授業の好き嫌いもピッタリ一緒だったから、てっきり進路も同じ理系だと僕は思っていた。
しかし、拓也は違った。
「俺はビジネスの力をつけて、ビッグになる」
だから、文系に進んで商社とか銀行に勤めたいんだと僕に告げた。
拓也の考えは、僕の中にぜんぜん染みてこなかった。ビジネスとか経営とかの世界のことを、僕は今でも、全く他人事のように感じている。どちらが良いとか悪いとかではないし、それぞれの将来だから仕方ないと思う。そういうことじゃなくて……どんなときも息が合うと思っていた仲間に、突然、「実は違ったんだ」と横を向かれたような出来事だった。
その頃から、僕の中での拓也は「壁の向こうの世界」に行ってしまっていた。
……社会とはそういうものだ。
コーヒーショップで今、銀行マンの拓也の目は、僕にそう伝えているのかもしれない。
そんな気がして、それ以上は、話を進められなかった。
短い時間だったけど、拓也には次のお客さんとの予定があったから、お互いに丁寧な挨拶をして、僕たちは、また別れることになった。
大学の研究室では、荻野さんが待っていてくれた。
「同じ高校生、仲間だったんだし……彼は、いろんな経験をしたんじゃないかなぁ」
僕の結果報告を聞きながら、彼女は拓也が話してくれたことを、受け止めようとしている。
「私たちの研究でも、そういうことあるし」
新品種の開発でも研究者の「気持ち」だけでは通用しないと、彼女は言う。紆余曲折して、やっと素晴らしい新品種にたどり着いたと思ったら、それは「コシヒカリ」と同じだったというオチかもしれない。だから、間違いなく「新」品種だと認められるために、データベースを使って星の数ほどの膨大な過去のデータを徹底的に調べる。そして、今までに無いことが確認できて初めて世の中で認められ、社会で利用してもらえるようになる。
それならば……父のフォトン技術がとっくに存在していたかどうか……それだって、調べてみないとわからないじゃないか。
世界のどこかで誰かが先に完成させていたかも知れない技術……大学の研究だけでなく、企業で開発する技術もあるから、全世界にはどれだけ多くの新技術があふれているのか……僕には想像もつかない。
膨大な技術情報が渦巻く世界を、拓也は僕より先に見たのかも知れない。
荻野さんが帰った後、僕は一人、研究室に残された。
拓也との再会で、昔、心に空いた穴が、今も残っている感触がしていた。
僕の周りに知らないことがあふれ、自分の居場所じゃないようにも感じられた。
そんな僕に、観葉植物が机の上から手を差し伸べるようにも見えた。
そうだ。父は優秀な研究者として、この分野の膨大な技術情報を知り尽くしていた。
父には見えていたはずだ。完成させたフォトン技術が、膨大な技術情報の世界の中で、埋もれることなく「オンリーワン」の技術として、光り輝いている姿が。
その光を、僕はつかむことができない。
陽が次第に暮れていった。
薄暗い研究室のなかで、観葉植物の緑色も深まっていく。
突然……
その観葉植物が光を放つ、ように見えた。
思わず背筋が伸びた。
自分の体内に血流を感じながら、その植物……いや、光の正体を覗き込む。
その植物の下、鉢のすぐ手前。それは、僕のスマホが着信する光だった。
自分に小さく息を吐いてから、スマホに手を伸ばす。
「このミッション。絶対クリアしようぜ!」
そのメッセージは、拓也からだった。
拓也は僕と別れた後、予定のお客さんを回ってから急いで銀行に戻り、銀行の先輩を捕まえて相談してくれていた。その先輩は以前、アイデアを商品化したいという地元の会社に実際に資金を融資したことがあるらしく、拓也は、そのときの経験や知識を詳しく聞き出したそうだ。
企業や銀行の仕組みは、僕にとっては壁の向こうの世界だ。けれど、その世界を「想像」することはできるはず。だから、拓也はそれをメッセージにして、壁の向こうから全力で僕に伝えてくれている。
「『特許』を確認することが肝心だ」
続けて、そう送ってきた。深い意味は理解できなくても「特許」という言葉ぐらいは知っている。その文字を目にして、なんだか、灯りが1つともった気がした。
そして、高校の頃と変わらない「オレ様」の拓也の姿が目に浮かんできて、笑えた。
先輩から聞いた「J-PlatPat」というネット上の検索サイトを、拓也は教えてくれた。
さっそく研究室のパソコンを立ち上げ、父の書類に書いてある技術的な言葉や、父の会社名、父の名前を手掛かりにして、僕は、膨大な特許情報の中を探り始める。
結果は、あっさり判明した。
フォトン技術について、父は特許をとっていた。
「特許登録公報」というタイトルの付いた文献の画面で、表示された父の名前や家の住所を一字一字、確かめていくときは、合格発表を見るときの気持ちになった。
さっそく、拓也にメッセージを送る。拓也が、スマホの画面でガッツポーズをする。
特許をとれたことは、父の発明が「世界初」のオンリーワン技術であると社会で認められたことを意味する。封筒の中の技術は、拓也たちがいる壁の向こうの世界にも、ちゃんとつながっていた。
後でわかったのだけれど、特許の手続きをした書類は母の手元にあった。「そのときが来たら特許の権利の相続をするように」と、父が母に託していたそうだ。それらが入った2つ目の封筒も、僕のところにやってきた。
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『特許は、オンリーワンの証(あかし)である』
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