第二章〜㉑〜
「そう? じゃあ、それは、坂井にお願いしようかな? あとで、メッセージアプリに、結果を記入するテンプレートを送っておく」
「わかった。ところで、小嶋は、図書館で何を調べるんだ?」
気になることをたずねると、
「楽器としてのコカリナのルーツとか、ヨーロッパの民俗音楽についてかな? どうして、こんな不思議なアイテムが作られたのか? 科学のチカラなのか? それ以外の魔術的な要素があるのか? 何か、ヒントになることはないかな、と思って……」
なんだか、小難しい話しになってきたので、
「ほ~、それはスゴイな……」
適当な相槌を打ってしまう。
ちょうど、図書館の入り口まで来たので、不意に会話を止めてしまったが、彼女は、こちらの意図を見透かしたのか、
「まぁ、個人的な興味だから、理解してもらわなくても良いケド……坂井も、気になることがあるなら調べてみたら? お祖父さんのこととか、私にはわからないことでも、坂井なら気付くこともあるかも知れないし……」
と、提案してきた。
しかし、気になることと言われても、悲しいことに、自分が何を知りたいのか、どうやって調べたら良いのかすら、わからない……。
そのまま、二人で声のトーンを下げつつ、学習室に向かいながら、
「う~ん、気になることと言われてもなぁ……最後の実験の時の四分三十秒って、停止時間は、なんだか中途半端だな、って感じたことくらいだ」
そんな感想を述べると、
「四分三十秒も音が消える世界って、面白いじゃない? 気になったら、スマートフォンで、『4分33秒』ってキーワードを検索してみたら? 少しは、興味が湧くかもよ?」
と、楽しそうに、謎かけのようなアイデアを出してきた。
「あぁ、わかったよ。観察記録をまとめたら、調べてみる」
そう返答すると、
「もし、スマートフォンで動画を観るなら、音量に気を付けてね。あと、もし、時間が余るようなら、ゲーテの戯曲『ファウスト』についても、調べてみることをオススメする」
と、さらに、楽しそうに提案してきた。
「課題が多いな……『4分33秒』に、『ファウスト』か……記録のまとめ作業が終わるまでに覚えていたら、調べてみる」
返事をして、三階にある学習室の入り口で、蔵書室に向かう彼女と別れ、オレは観察記録をまとめることにした。
※
小嶋夏海から送られてきた観察記録記入用のテンプレートを元に、夏休み前に記入していたスマホのメモアプリに、今日の実験観察で、わかったことを追記する。
==================================
・スイッチの切り替えによる時間停止の長さは、三十秒程度。
・停止時間内に再びスイッチの切り替えを行うと、停止時間は延長される。
・コカリナの使用者が触れている物については、時間停止の対象外になる。
・時間停止中でも、家電製品やスマートフォンなどのIT機器は利用可能。
・時間停止中、コカリナの使用者の呼吸や五感が影響を受けることはない。
・コカリナの切り替えスイッチをONの状態で、吹き口から息を吹き込むと、時間停止が発生する。
(停止時間の長さは以下の通り)
①高音レの音階:約一分程度
②ソ♯(ラ♭)の音階:約四分三十秒程度
③ソの音階:約五分程度
④ドの音階:約九分程度
・切り替えスイッチをONの状態で、時間停止が発生させると、裏面の小窓にあるカウンターの数字が一つ減る。
(確定的ではないが、カウンターの数字がゼロになると使用不可になるおそれあり)
==================================
一時間ほどで観察記録の記入を終えたオレは、学習室を離れ、インターネット検索が可能な情報交流ルームに移動して、小嶋夏海に薦められたキーワードを調べてみることにした。
(四分なん秒だったっけ……? 三十三秒……?)
記憶を頼りに検索ワードを打ち込み、検索結果としてヒットしたネット上のフリー百科事典の記載や、現代音楽について解説している専門サイトを閲覧した後、自分のスマホにイヤホンを挿し、動画サイトで、『4分33秒』の演奏シーンを確認してみた。
動画では、コンサートホールの聴衆を前にして、指揮者は指揮台へと登り、演奏者はしっかりとステージに出て演奏姿勢へと移ろうとする。
しかし、この楽曲の楽譜の内容は、すべて『TACET(タセット)』(音楽用語で「比較的長い間の休み」)になっているらしく、《4分33秒》の間、オーケストラは、全く演奏することなく曲は終了し、指揮者と演奏者は聴衆に対し一礼して、聴衆は「4分33秒」の無音の音楽に対して拍手を送っていた。
(なんだ、こりゃ……これは、古典的なコントか、何かなのか?)
初見では、ジョークの
動画を良く見てみると、見方によっては、演奏の準備に入りながら舞台上だけ時が止まっている様にも見えて、自分たちが、つい一時間ほど前まで行っていた実験観察と似ている部分があるとも言える。
自分が、現代音楽のような、曲が作られた背景の説明や解説がないと理解できないタイプの音楽を正しく解釈できているかどうかについては、まったく自信がないが、何となく心に響くところがあった。
ネット上のフリー百科事典によれば、『4分33秒』を作曲したジョン・ケージは、
『無音を聴こうとして無響室に入ったが、彼は二つの音を聴いた。一つは高く、一つは低かった。エンジニアにそのことを話すと、高いほうは神経系が働いている音で、低いほうは血液が流れている音だという答えだった。無音を体験しようとして入った場所でなお、音を聴いたことに「私が死ぬまで音があるだろう。それらの音は私の死後も続くだろう。だから音楽の将来を恐れる必要はない」と強い印象を受けた。』
ーーウィキペディア(Wikipedia)『4分33秒』の項目よりーー
という経験から、この独特な曲(?)を着想したらしい。
夏休み前に、小嶋夏海のマスクを外した時だろうか――――――音のないはずの世界で、耳鳴りのような小さく甲高い音と、低く唸るような鼓動の音だけが聞こえるという体験をした自分にとって、作曲家ケージの経験には、胸を打たれる部分がある。
それと同時に、芸術的なことや小難しい話しに興味を持てなかった自分に、音楽や文芸方面への好奇心が湧いてきたことは、我がことながら新鮮な驚きだった。
(昼までには、もう少し時間がありそうだし、ゲーテの『ファウスト』とやらについても、調べてみるか)
そう考えたオレは、念のためスマホで時間を確認したあと、階上の情報交流ルームに戻り、小嶋夏海が薦めてくれた、もう一つの課題についての検索をすることにした。
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