第二章〜⑬〜
そんな彼女の様子を眺めながら、
(それにしても……)
と、思う。
『時間停止』という非日常的な出来事を体験できることは、たしかに貴重な経験と言えるが、いったい、なにが、小嶋夏海をここまで夢中にさせているのだろう?
そう考えながら、
「で、その実験にオレも駆り出される、と……」
相槌のように言葉を返すと、余裕の笑みで、予想通りの答えが返ってきた。
「もちろん、強制はしないけど……昨日、結んだ契約のことは、忘れない方がイイんじゃない?」
その返答に、学食の床に転がったままだったテニスボールを拾い上げて、提案する。
「わかったよ……でも、もう今日は、この辺りで切り上げないか? これも、テニス部に返したほうが良さそうだしな」
「あまり、同じ場所に留まらない方が良いだろうし……確かに、今日は、これ以上実験を続けない方が良いかもね」
こうして、彼女は、こちらの申し出に賛同しつつ、新たな案を持ち掛けてきた。
「本格的な実験と調査は、夏休みに入ってから、ってことでどう?」
『本格的な実験と調査』という大げさな物言いに苦笑しつつ、オレは
「小嶋が、それで良いなら……夏休みなら、時間もタップリと取れそうだしな」
と、答える。
「じゃあ、決まり! 実験のために、準備しておきたいモノもあるしね……」
小嶋夏海は、そう言ったあと、またも除菌シートでコカリナの吹き込み口を念入りに拭き取った。
そして、
「『この子』のメンテナンス方法も、ちゃんと調べておかないとね……」
と、優しげな表情でつぶやくように語ったあと、「はい、返しておくね。ありがとう」と、言ってコカリナをこちらに手渡してきた。
自分の手元に戻ってきたコカリナを、ジッと見る。
感染症予防のためということもあって、彼女は、念入りに吹き込み口を除菌してくれたのだろうが……。
(さっきまで、この先端に、小嶋夏海が唇をあてていたんだよな)
その至極当然の事実に気付いたとき、
トクン——————。
オレは、わずかに心臓の音が高鳴るのを感じた。
一瞬、時が止まったような感覚に襲われ、息苦しさを覚える。
一方、無言でコカリナを見つめ続けていたこちらの様子を不思議に思ったのか、初見で見事な演奏を披露したコカリナ奏者は、
「どうしたの? そんなにジックリ眺めて。『この子』に、何か変わったことがあった?」
と、たずねたあと、何かに気付いたのか、「ハッ」とした表情になり、
「ちょっと! 坂井、何かヘンなこと考えてない!?」
と、声を張りあげた。
「な、何も変なことなんて考えてねぇ! このコカリナに小嶋が触れてたんだな、とか、そんなことは断じて!」
あっ————————————。
自分の発した一言を後悔するよりも先に、小嶋夏海の顔色は、パッと紅く染まったように見えた。
「な、なに考えてんの!!」
そう叫んだ彼女は、オレの手元に戻ってきたばかりのコカリナを取り上げ、一目散に学食の入り口にある手洗い場に駆けて行った。
そして、蛇口を思い切り捻ってコカリナの吹き込み口に水道水を流し込んだあと、ハンドソープで吹き口の周辺を念入りに泡立てて、再度、水道水で洗い流しているのが確認できる。
丁寧なメンテナンスもなにも、あったものではない。
その様子に遅まきながら、自分の発言を後悔していると、ムッスリとした表情で彼女が戻ってきた。
「うかつだった……危うく坂井の策にハマるとこだった」
などと、自らに身の危険が迫っていたような口ぶりで、こちらを睨みつけてくる。
「なんのことだ……?」
身に覚えのない嫌疑をかけられた空気を感じ、オレは疑問形で返答する。
すると、彼女は、
「白々しい……! わざと、私にコカリナを使わせて、そのあと…………」
そこまで言って、言葉を詰まらせ、顔を紅潮させる。
その表情で、小嶋夏海が、なにを考えているのか、おおよそ想像がついた。
「ま、待て小嶋! 何か壮大な思い違いをしているゾ。小嶋にコカリナを使わせたことに、そんな意図はない!!」
誤解を解くため、懸命に抗弁するものの、彼女は、
「——————どうだか……坂井には、『この子』を悪用した前科があるからね……」
と、つぶやき、これまで感じたものより、さらに冷たい視線をこちらに向けて、疑心を募らせている様子だ。
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