第一章〜⑳〜

 白旗を上げざるを得ない状況に、頭を抱えながら、


「小嶋、おまえ、相当の策士家だな……」


恨み言のように、つぶやくオレに、彼女は応酬する。


「策士なんて、心外! もともと、坂井が、このアイテムでおかしなことをしようとするのが悪いんじゃない?」


「おかしな使い方は、お互い様だろう? 靴箱の前で、ズボンをずり下ろしてるなんて、まるで変態じゃないか!? この話しが校内に広まって、紳士なオレのイメージが崩れたら、どうしてくれるんだ!?」


「ハッ!? 坂井が紳士? 寝言は寝てから言えば? 女性の素顔を盗み見ようとする人間が紳士扱いされる文化なんて、世界中どこを探してもあり得ないんじゃない?」


「男子のズボンを下げる行為は、問題ないのかよ!? これだって立派なイジメ行為だぞ」


「私の場合は、坂井の行動に対する報復行為だから、一方的な加害認定はされないんじゃない?」


 そこまで言ったあと、小嶋夏海は、さらに余裕タップリ、優越感に浸ったような微笑みを浮かべながら、とんでもないことを言い放った。


「そうだ、坂井! 言い忘れてたけど、今朝の生徒昇降口での坂井の勇姿は、私のスマートフォンで、バッチリ、動画撮影させてもらったから」


「な、な、なんだって〜〜〜〜〜!!!!!」


 今朝の生徒昇降口で張り上げたものと同等のボリュームで発せられた声に、わずかに学食に残っていた生徒数名が、こちらを振り向く。

 アクリル板ごしのクラスメートは、満足そうな表情を浮かべながら、


「相変わらず大きな声ね。この透明な板とマスクがなかったら、ヒンシュクものだよ、坂井」


と、たしなめる。


「誰のせいで、声を張り上げてると思ってるんだよ!?」


 声のトーンを下げて、言い返すと、


「大丈夫! 撮った動画をショートビデオのSNSにアップしたりする予定はないから。今のところは、ね……」


 最後の言葉を意味深に言い終えたあと、彼女は、クスクスと笑った。


「ハァ……オニのような奴だな……」


ため息とともに漏れるこちらのつぶやきには、


「女子の素顔を盗み見るような変態には、ナニを言われても、気にならないな〜。国語の授業で出てきた、『一向に痛痒を感じない』って言葉は、こんな時に使うんだろうね」


などと、返答してくる。

 SNSへの動画の投稿は、投稿主にもリスクが有るとは言え、撮影した動画素材は、十分に相手への牽制になる。

 生徒昇降口でトランクス姿を晒している動画が、デジタル・タトゥーとして、ネット上に拡散されたとしたら、自分の人生は終焉を迎えるといっても過言ではない。

 教師への報告だけでなく、さらなる交渉のカードを用意しているとは、つくづく恐ろしい女子である。


(こんなに、性格が悪いとは——————まったく、なんつ〜オンナだ……)


 心のなかで愚痴りつつ、予想だにしなかった彼女の変貌ぶりを目の当たりにして、自分自身のヒトを見る目の無さに愕然とする。

 そんなこちらの様子には、お構いなし、といった感じで、目の前のクラスメートは、


「ねぇ、どうする? 坂井の選択次第で、今年の夏の過ごし方は大きく変わると思うけど?」


と、選択を迫ってきた。


「仕方ない……他に選択肢もなさそうだし、その木製細工を返してくれるなら、おまえの言った条件を飲ませてもらおう」


 そう答えるオレに、満額回答を引き出せたと、満足したのか、


「良かった! 今年は、坂井と一緒に楽しい夏休みが過ごせそう」


と、彼女は、満面の笑みを向ける。

 主導権を握られたまま進む会話と、(自己責任的な側面もあるとは言え)相手に弱みを握られてしまったという事実を考えると、期末テストの結果を確認した時以上の暗澹たる思いになる。

 梅雨末期の空模様と同じく憂鬱な気分の自分とは対照的に、アクリル板の向こうのクラスメートの表情は、梅雨明けの雲ひとつない真夏の快晴そのものだ。

 さらに、よほど気分が良いのか、小嶋夏海は、こんな提案をしてきた。


「ねぇ、このオブジェのことなんだけど……謎のアイテムとか、坂井が言う木製細工とかの名前で呼ぶのは、何だか味気なくない?」


「まぁ、それもそうだが……小嶋は、何か良い呼び名でも、思い付いたのか?」


 それまでのやり取りで、意気消沈したオレは、何気なく問い返す。

 すると、彼女は、あたためていたアイデアを披露するように、ゆったりとした口調で、こう言った。


「『時のコカリナ』なんて、どうかな……? いくつか、考えていたんだけど、実際に楽器としても使えるなら、ピッタリじゃない?」


 どこかで聞いたような気もするネーミングだが、それより気になることがある。


「良い名前かも知れんが、コカリナってなんだ!? オカリナの仲間なのか……?」


 率直な疑問を口にすると、彼女は、


「木で作られた円筒形の笛のことを『コカリナ』って言うんだって」


と、自分のスマホで検索したフリー百科事典の『オカリナ』の項目の概要欄に書かれてある説明と写真を見せてくれた。

 なるほど、その素材と言い、形状と言い、祖父さんが授けてくれた、楽器モドキの木製細工そのものだ。

 そんなわけで、木製細工と呼んでいた祖父さんの形見(?)は、『時のコカリナ』と呼ばれることになった。

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