あの噂

 雛菊が笑みを浮かべた後で、一つ聞いていた。


「暁月君はあの噂どー思う?」

「噂?」


 学校で広まっている噂と言えば、夏蝶のツンデレないの事しか柊真は知らなかった。今更そんなことを聞いてくる理由もないはず。だから別の噂の事だろうと察した柊真は質問された部分をもう一度質問で返した。


「あれ、もしかして知らない!?」

「知らないな」

「へぇ……」

「……?」


 一瞬、雛菊の顔が別人のように見えたが気のせいだろうか。それともちょうど太陽が雲に隠れたからそう見えたのか。


「実はね───」


 今日の騒ぎの理由を雛菊は簡単に説明してくれた。

 いつかの休日にツンデレないと噂のこの学校の女子生徒、春日夏蝶が外で目撃されたとのこと。しかし、外に出るのは誰でも当たり前の事、だが、その状況こそ今日の騒ぎの原因となったと説明してくれた。その状況というのは外で歩いている夏蝶の隣にもう一人、おじさんが並んで歩いていることだった。


「学校ではお高く留まっているない女も裏ではこんなことをしてるって」


 雛菊は教師に見つからないようにポケットからスマホを取り出し、現在学校中で騒ぎになっている写真を柊真に見せてきた。

 そこには雛菊が話した通りのことが写っていた。背景が少しぼやけてはいるが、お店らしきどこかから出た男女二人組が真ん中に映っている。女性の方はもちろん夏蝶で、隣が中年ほどの小太りの男。二人とも後ろ姿ではっきりと顔は映っていないものの、女性の方が夏蝶だという事は知っている人ならばすぐに気が付くことが出来るだろう。黒く艶のある長い髪、そして整った顔を想像させる横顔。夏蝶でなくしてなんとすると言わんばかりの存在感だった。


「これじゃプライバシーもないな」

「そうだよね……あたしもかわいそうだと思う」

「……なんで?」

「なんでって、それはこんなの撮られて」


 雛菊は本当に憐れむような目でスマホの画面を見ていた。


「自業自得だろ」

「え?」


 柊真がそう言うと、後ろの方で何か反応を感じたが一旦無視。というか今後無視することにした。


「おじさんと歩いてた春日さんも、それを撮られて拡散されるのも全部ふまえた上で」

「でも、わざわざネットに投稿しなくても」

「例えばの話、君がもし、興味をそそられるような面白い出来事があったとしたらどうする?」

「それは……」

「そう。誰かと共有したくなるだろ? それと同じってことでしょ」

「でも、誰かに迷惑かけてまで───」

「知らないからな」

「知らない?」

「これを投稿した人は、まあこの学校の生徒であるのは間違いないだろ。知らない人間にどんだけ迷惑をかけてもさほど気にならないんだよ」

「そんな無神経な」

「なら聞くけど」


 まるで聖女のような雛菊に柊真はあえて問う。


「俺が君の事嫌いだったらどうする?」

「え……」


 そう言うと、雛菊は感情が無くなったかのように固まった。そこで柊真は弁解した。

 雛菊はクラスでも学校でも人気者だ。そんな雛菊が面と向かって嫌いと言われたことがあるはずがないため少し驚いたのだろう。


「仮の話だよ」

「あ、そっか! そうだよね。嫌いな人に話しかけられたら嫌。かな?」

「だろ」

「つまりこういうこと? あたしのことが嫌いな暁月君があたしに話しかけられて迷惑してても話しかけている時点で迷惑していることに気づいてない」

「そう。それすなわち君が俺のことを知らないから」

「……あ」

「分かっていただけて何より」


 第三者目線で物事をとらえるのは簡単だ。自然と善を重ねて偽善者となれるからだ。しかし、当事者となれば話は変わってくる。

 例えば柊真が話したように自分のことを嫌いな人に知らず知らずのうちに自分から話しかけていた。これは嫌っていることを知っている第三者なら仲介役として仲を取り持つことが出来る可能性がある。しかし、人はみな読心術を会得しているわけではない。それに嫌いな人に自分のことをしゃべる人もあまりいない。

 自分のことが嫌いな人が分からない以上、分からないで終わらせるしかない。つまり、迷惑をかけている側の人はいつも迷惑をかけられている側の人のことをあまり知らないという事になる。その知らない人がどう苦しもうがその人の勝手、どうして自分に責任が生まれるのだろうか。

 結局、知らない人のことは知らない。という事だ。


「やっぱり、面白いね。暁月君」

「……?」

「なんだか、不思議っていうか」

「不思議は君の方だと思うけど……それと離れて」


 雛菊がじりじりと柊真に寄ってくる。それに嫌悪の対応を見せたのには理由がある。主に柊真が個人的に嫌だという事、副に周りの視線が痛いこと。


「あっ、ごめん」

「それで、噂についてどう思うって話だったっけ?」

「うん。聞いた感じどお?」

「別に何とも」

「ふ~ん。そうなんだ」

「何を期待してたんだよ」

「いや、ほら! 暁月君この間話した時、途中で終わっちゃったからさ。これ聞いたら匂わせたりしないかなって───くんくん」


 この間の話というのは柊真と夏蝶の関係性についてだろう。無い、という訳ではないが、夏蝶とは誰にも話さないと約束を交わしている。なので、妙な勘繰りをされずに済んだのは不幸中の幸いだろう。もちろん不幸というのは今雛菊と話しているこの状況のことだ。


「この間も言っただろ。何でもないって」

「そっか……」


 そこでチャイムが鳴った。

 物語の主人公もしくはヒロインのポジションにいるような雛菊と会話するなど自分のすることではないので早く雛菊を手中に収めるヒーロー役が出てこないかと切に願う柊真だった。

 授業終了の挨拶をした後、生徒は次第に教室へ戻るために理科室を出て行った。そんな中、背中を合わせている一組は最後まで残っていた。片方はうつ伏せており、もう片方は頬杖をついている。その二人はもちろん柊真と夏蝶。

 柊真は夏蝶が授業が終わってもうつぶせているのを確認して、もしかすると噂の件を気にしているのかという事が気になって、残っていた。


「盗み聞きとは感心しないな」

「…………」


 柊真が話しかけても一向に顔を上げる気配がない。本当に寝ているのか、それとも柊真が帰るのを待っているのか。そんな夏蝶に柊真はしつこく話しかけた。


「起きないならイタズラするぞ」

「…………」

「手始めに春日さんの女性らしい部分を───」


 というと、夏蝶は、バッ! と体を起こして顔を真っ赤にして柊真に顔を向けた。


「っ!?」

「起きたからイタズラはやめておくことにする」

「ええ、そうしなさい。次そんなこと言ったら出頭させるから」

「俺にも新たな才能が」

「警察の方だから」


 夏蝶とは特別仲がいいわけではない。好意を寄せているわけではないと思う。それでも柊真は学校で一番と言われるほどに人気の雛菊と話すより夏蝶と話した方がなぜか気が楽だった。


「……心当たりは?」

「ないに決まっているでしょ」

「だよな」

「あなたこそ、心当たりがあるのではないかしら?」


 夏蝶はそう言い去って行った。

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