異変。突然。不自然。
家に着いてすぐ、夏蝶は冷蔵庫の中に足りないものが無いかを確認した。すると、どうやら買っておきたいものがあったようで、買い物に行くと柊真に告げてきた。
「───そしたら俺も行こうかな」
「どうしてよ」
「いつものスーパーに行くんだろ」
「そうだけど……」
「それなら通り道に俺のバイト先があるんだよ」
「え、あなたアルバイトしてるの?」
「一人暮らしでどう生活しろと?」
「それは。確かに」
「親からは毎月送られてくるけど、いざとなった時のためな」
「だから急に私がこの家に来ても心配してなかったんだ」
柊真が親からのお金をためていたのも、もしかするとこの時のためだったのではないかと考えたが、さすがにそれはないだろと柊真は自分を納得させた。
「最近は空きがあったら入るって感じだったけど、そう言っていられないからな」
「それなら私も───」
「学校の扉の閉め方すら知らない人が何言っているんだか……って、一人暮らしだったよな? それに今日うちの鍵も開け閉めしてたな」
自分もバイトをする。と言おうとしていた夏蝶の言葉を遮り、鍵を閉められないからと柊真に教室の戸締りを頼んできたときのことを掘り出したのだが、そこであることを思い出した。
教室で会ったとき、夏蝶は鍵の閉め方を知らないと言ってきた。見た目からしてどこかいいとこのお嬢様とかならあり得るのかと、その時は思っていたが、夏蝶は一人暮らしだった。それで鍵を閉められないわけがない。家の鍵の閉め方が分かれば大体教室のだって分かるはずだ。
「あ、あはは~」
「おい」
「何かしら?」
「嘘ついたろ」
「ええ」
「随分と正直だな」
「当たり前でしょ。あそこで信じる人の方がおかしいわ」
「そうかそうか」
「そうよ───って、なによその顔」
「…………」
「ちょっ、近づいてこないでくれるかしら」
問答無用で近づいてくる柊真に夏蝶が後ずさる。そして、壁際に追い込まれたところで夏蝶の方が折れた。
「……あの時はああでもしないと話しかけられなかったんだもの」
「ん? それが嘘をついた理由?」
「そうよ。わ、悪い?」
「悪いかどうかで言われれば、理由が分からないな」
「それは……そんなの話したかっただけよ」
「ますます分からないな」
「頭が逆回転にしか回らない皮肉なあなたには分からないでしょうね」
「ああ分からないね。頭の回転が止まっている春日さんの事なんて」
「なんですって!?」
「それより、早く行くぞ。晩御飯が遅れると明日に響く」
「それよりって、今私の事遠回しにバカって言ったわよね?」
「遠回しには言ってないから安心しろ」
「あ~そうですか」
こんな会話をしている二人の間には嫌悪の感情はなく、むしろ二人の距離は近づいて行っているような気がした。
その後、二人でスーパーに向かい、夏蝶が言っていた足りないものというのを買い足した後で、柊真のバイト先であるよくあるファミレスへと出向いた。
柊真が店長と話している間、夏蝶は柊真におごってもらったドリンクバーでくつろいでいた。柊真が事情を言えるところだけ伝えると、もともと人手を増やそうとしていた店長がその人手を柊真に回すから問題ないという事でこの話はすぐに解決した。
「───ゴメンマッタ?」
「それ、棒読みで言うセリフじゃないから」
「さすがは春日さんだな」
「何がよ」
「いや、一人でこういうところにいても物怖じしないから」
「どうせ私には友達なんかいないわよ」
「じゃあもう帰るか」
「ちょっと待ちなさい。喉乾くといけないからこれ飲みなさい」
そう言って、夏蝶が差し出してきたのは今まさに口を付けていたガラスのコップ。に入っているウーロン茶。
「自分が何してるか分かる?」
「死んだ魚に水をあげてる」
「誰が死んだ魚だ。それと死んだ後に水あげても手遅れだろ。それにまさかとは思うけど───」
夏蝶は恋愛に疎い。手をつないでいる男女を見ると、顔を少し赤くしてうつむくほどに。そんな夏蝶が間接キスなどと知るよしもなく、まったくの無自覚に自分が口づけたコップを柊真に渡してきた。
「何よ、早く飲みなさい。ドリンクバーは一つしか頼んでないのだから、コップが一つだけならばれないわよ」
「そう言う問題じゃないんだけど……はぁ、じゃお言葉に甘えて」
そう言ってコップを受け取って残っているウーロン茶を飲むと、周りに座っている女子高生数人のグループが「きゃー!」「間接キス!」「大胆!」などと盛り上がっていたが、当方に自覚がないのでこれはノーカウントという事にした。それに円形のコップだ。夏蝶がどこに口を付けていたのか分からないし、もしかするとストローを使っていた可能性もある。
「さて、帰りましょうか」
柊真がウーロン茶を飲み干すと、夏蝶が席を立って出口の方へ向かって行った。
「無知の知、じゃなくて無知の恥だなあれ」
それから夏蝶の荷物を柊真が預かり、家に帰った。
夏蝶が買ったものを冷蔵庫にしまった後、リビングのソファーに座ってやたらと口元を気にしている柊真に振り向いた。
「バイト。どうだったの?」
「単純計算だと、倍くらいにはなるかな」
「元を知らないのだけど」
「多い時で週三くらいかな」
「週五、六……すこし多くないかしら」
「そうでもないだろ、俺がいないときは春日さんが家事してくれるし」
「そのいないのが問題なのよ」
「それに、春日さんも女子なんだし、いくらやむを得ない状況だったとはいえ同級生の、それに男がいない方が気が休まるだろ」
「………バカ」
「ん?」
夏蝶はぷいっ。と後ろを向いて晩御飯の用意を始めた。昨日は夏蝶が家事をしたので今日は柊真の番かと思っていたのだが自然な流れで夏蝶になってしまった。
数分後、ぐつぐつと何かを煮込む音が聞こえたので何を作っているのか時になった柊真はキッチンに顔を出した。
「ミネストローネ。あなたの好みの味付けに合わせる気はないけど、どうかしら」
「どうも」
そういって、夏蝶は小さなスプーンにちょうど煮込んでいるミネストローネをすくって柊真に差し出した。それを受取ろうと手を出すと、夏蝶が不思議そうに柊真を見ていた。
「何を言っているのかしら?」
「味見じゃないの?」
「ええ。だから、はい。あ~ん」
「───は!?」
説明しよう───『あ~ん』とは俗世に存在する主に女性が男性の口に料理を運ぶことを指し、カップルが食べ物を食べさせ合う時に使われるものである。もちろん、母親が赤ちゃん相手にご飯を食べさせる時にも使う表現だが、二人は高校生。そんな育児プレイをするような特殊な癖はないため、これは前者である。
「鍋の底が焦げちゃうから早く」
「いや、でも」
「なに? もしかして恥ずかしいの?」
「当たり前だろ。そういう春日さんだって顔赤くなってんじゃん」
「こ、これは、鍋の湯気エステで火照ったのよ」
「へぇ」
「いいから食べなさい!」
「んぐっ───」
じれったくなった夏蝶が無理やり柊真の口にスプーンを入れた。
「ど、どうかしら?」
「今殺気混じって……おいしいな、これ」
「そう、ならよかった。もう一口食べる?」
「いや、いい。春日さんの料理は食卓に出されたときのお楽しみにしとくよ。殺されそうだし」
「………そう」
そう言って、リビングの方へ戻っていく柊真を見ながら味見をする夏蝶は、少し不満そうな顔をしていた。
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