図書室の質疑応答
「───あなたは私のことをバカと言いたいのかしら?」
「春日さん。どうしてここに?」
柊真がドアの方を向くと、そこには夏蝶が立っていてそう言ってきた。
もしかしたら夏蝶がその図書室に頻繁に訪れる落ち着いた子の正体なのだろうかと思ったのだが、確かに学校では誰とも話さず、事情を知らない人から見れば落ち着いている人に見えるかもしれないとも思ったがこの知名度だ。まず最初にツンデレない女子という言葉で表現するだろうという事で、今日はたまたま来ただけなのだろうと、柊真は頭の中で納得した。
「あなたが先生に言われて手伝うというのを聞いたから来たのよ」
「それまたどうして?」
「分からない? 私はあなたと話すために来たのよ」
「一応聞いておくけど、ここ学校」
「ほかに誰かいるのかしら?」
「それはまぁ。今日はいないみたいだけど……」
「なら問題ないわね」
そもそも、家や二人の時だとどうして柊真には話しかけてくるのかという疑問は図書室の静けさに同調して消えていった。
「はぁ」
「特別話すようなことではないけど、私の戯言だと思って聞いて」
そう言って、夏蝶はカウンター席に座っている柊真の隣に座って来た。
「…………」
「あと、質問には答えなさい」
「結局聞くしかないじゃん」
「いいじゃない。私の心配をするくらい暇なんでしょ」
「いいけど、で? 何」
「私と普通に接している理由」
「はい?」
「だから、どうして私みたいな学校の腫れ物と普通に接しているのか」
「自分で言うのな」
夏蝶が学校で柊真に話しかけてまで気になったこととは、どうして自分を周りの人たちと同じように接しないのかという問いだった。今まで噂やその場の空気に飲み込まれて誰も夏蝶を理解してくれるような人はいなかった。そんな中で柊真だけが普通の人と話すように自分と接していれば気になるのは無理もない。
「いいから」
「……普通、だからかな」
「普通?」
「そう、春日さんはどうしてさっき自分の事を腫れ物って言ったの?」
「それは……」
「みんなが春日さんのことをそう認識しているからでしょ?」
「そうだけど……?」
「ほら、その時点でもう、普通だろ」
「どういうこと?」
「つまり、春日さんは噂で自分がこういう人間だと自覚するんじゃなくて、噂に合わせているってこと。本来なら当事者以外が飲み込む空気を当事者である春日さんも空気を吸っている」
噂というのは真実を隠すように広められるもので、真実を知っている人には効力を発揮できないようになっている。それが単なる噂だと知っているから。
しかし夏蝶の場合は違う。自分が確立できていない思春期という厄介な時期からこの噂が流されたことで、第三者から見た自分はこうなんだと、錯覚してしまった。そしてその錯覚は真実を隠すように夏蝶を侵食していった。
「話がつかめないのだけれど」
「だからさ、春日さんがしてることって他の人と変わらないんだよ。その証拠に俺とこうして話している。冷徹さなんて感じないし、ツンデレないなんて言葉も話してて思い浮かばない」
「……変わらない? 私が?」
「そう。だって春日さん噂を信じてるから」
「噂を?」
「自分はこういう人間なんだった思い込んでるでしょ」
「当たり前でしょ。私はこういう人間よ」
「それを他の人に言ったことは?」
「ないわね、言ったところで意味がないもの」
「どうして」
「…………」
「自分がツンデレないで冷たくて怖いだと思われてるから」
柊真がそう言うと、夏蝶は柊真はじっと見つめるだけで何も言い返してこない。反論はないという事だろう。
「けど、それこそ春日さんが噂を信じている証拠。さっきも言ったけど噂通りの相手だったら俺は今こうして話してないだろ」
「なら、それを聞いたうえでもう一度聞くわ。もし、仮にあなたの言った通り私がその噂に引っ張られているのだとするならどうしてあなたは私と普通に話せるのよ」
「これは推測で確証はないけど、一つある点を挙げるとするなら俺がそんな噂、はなから信じてない」
柊真は一度も夏蝶を相手にツンデレないという言葉を使っていなかった。唯一使ったとすれば、初めて一緒に帰ったあの日、ツンデレないで有名なと言ったときくらいだろう。それも夏蝶に呼び名として言ったわけではない。柊真は噂という異質な存在に元から興味がなかった。ナンパされている時、噂通りのツンデレない女子こと春日夏蝶なら、手先が震えるどころか逆に追い払うくらい容易だっただろう。しかし、そうならなかった。そして柊真はその時の反応で噂というものがいかに信じがたいものなのか再確認できた。
「要するに噂を信じていない相手には、噂は通じないってことだよ」
「……確かに。あなたと話している時だけは自然な言葉が出てくる」
「だろ? だからその自然な春日さんが春日夏蝶なんじゃないのか?」
「───っ!!」
夏蝶は目を見てはっきりと名前を呼ばれたのはこれが初めての事だった。そして、周りがいつも怯えているから自分は怖い存在だと、思い込んで、塞ぎ込んで、いつしかそれが自分にとって当たり前になっていた。その呪縛を解くかのような柊真の言葉に夏蝶は驚きの表情を見せた。
「だから春日さんの最初の質問の答えは、春日さんが普通だから。それ以外でもそれ以上でもない。普通の人相手には普通に話すだろ」
「…………あなた、バカね」
「質問に答えただけでバカ呼ばわりとは、やっぱツンデレないって噂は本当だったんだな~」
「何よ、そんなの信じてないくせに」
ツンデレないという言葉を使った柊真に、表情なに一つ変えずに呆れてそう言った。以前はその言葉で不快感を感じていた夏蝶が、今、柊真が使ったその言葉にどういう訳か嫌な気はしなかった。
「そうだった」
「私自身、どうしてあなたとはきちんと話すことが出来るのか気になっていたのよ。それであなたが私に抱いている気持ちを聞けば解決すると思ってた」
「結果は?」
「及第点ってところかしらね」
「期待に応えられたようでなにより」
「時々、理解できない部分はあったけど」
「それは出目金様のご慈悲を借りるしかないな」
「大目に見ろって言いたいのかしら」
「そう」
「そういうところよ。最近分かってきたのだけど、あなたって結構皮肉な性格しているわよね」
「そうか?」
「ええ───でも、だからかもしれないわね」
皮肉故に、うわべだけでは判断しない。簡単に人を信用しない。だから柊真からは他の人と違うものを感じ取ることが出来るのではないかと夏蝶は思った。
夏蝶はカウンターの前に置いてあるウィークリーピックアップの棚に並んでいる『皮肉な彼はツンデレな彼女の本心を知りたがる』というライトノベルを見ながら思い耽っていた。
「───買い物は?」
あの後、すぐに完全下校を告げる放送が鳴った。柊真は図書室の戸締りをした後で鍵を図書委員担当教師であり、柊真のクラスの担任に渡した。
そして帰り道どこか足取りの軽い夏蝶が話を振って来た。
「昨日の家事担当は春日さんだろ。自己判断で頼む」
「そうだけど、朝はあなたがしてたじゃない。それにお金の面とかあるでしょ」
「一緒に住むわけだから気にしないでいいよ。必要なら俺のところから引き出していいから」
「それでいいわけ?」
「金がなくなって苦労するのは俺だけじゃないってこと忘れた?」
「私が他に行く当てがないのを知ってての信頼ってわけね」
「そういうこと」
「……なんか気に食わないわね」
そう言いながらも、夏蝶はまっすぐ歩く方向を見据えていた。
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