今朝の一件について、あたしから話があります!
あの日……教室で
「ねねっ…………む〜。ねぇってば!」
授業はもうすでに終盤を迎え、後は終わりを告げるチャイムを待つだけとなった頃、黒板を横に、向かい合うように設けられた四人席で柊真の隣にいる女子から、そんな囁きかけるような声が聞こえてきた。
「………」
当然、柊真は自分が話しかけられてるなどと思うはずもなく、頬杖をついたまま左から右へとそのまま流したのだが、
「もしかして、あたし無視されてる?」
柊真とこの誰かと話そうとしている女子以外、残る二人はこちらに気を向ける気配すらない。ここである、念が生まれた。
「(もしかして、俺に言ってるのか?)」
しかし、話したこともなければ顔もよく見たことがない。そんな人間にこの授業の終わりを待つ気まずい空間で話しかけれるはずがない。そう自分に言い聞かせ邪念を振りほどいた矢先に、つんつんと左腕になにかが触れる感覚があった。
「……?」
反射的にそちらを向いてしまった柊真はさっきから呼ばれているのが自分だと、ようやく理解した。
左腕に感じた感覚を頼りにその方向を向くと、さきほどから幾度とアクションを起こしている明るい髪をワンサイドアップにした髪型が特徴的な女子の顔が目の前にあった。
「やっとこっち向いた。ね、無視してたでしょ?」
高校生にもなると、メイクをするのが当たり前になってくる。柊真に話しかけてきた女子も例外ではなく、他と比べると薄い方だが唇を色っぽくし、目元は自然に見せても大人っぽさが目立った。加えて、距離が近いからか制服からは制服そのものの匂いではなく、華やかな香りがする。
「別に」
「うそっ、じゃあ本当に気が付かなかっただけ!?」
「うん」
肯定しているこの言葉こそ、無視をしていたという事になるのは気づいていないようでこれ以上面倒なことにならないためにも黙っておいた。
「そっか~」
「それで?」
「ん?」
「俺は何を無視してたんだ?」
「あ、そうだった。ねぇ、暁月君ってない女とどんな関係? あ、ない女っていうのはツンデレない女子の略ね?」
女子の中で夏蝶はそう呼ばれているのだろうか。
「フルマラソン譲っても赤の他人だけど?」
「それって何歩になるの?」
「さぁ、試してみれば?」
実際、フルマラソンの距離を徒歩で歩数を数えた人なんているのだろうか。いたらぜひともこの悩める少女に教えてあげてほしい。
「ちょっと興味あるかも───じゃなくて! 関係性の話だよ」
「それならさっきも言ったけど?」
「じゃあなんで今朝一緒に朝登校してたの?」
夏蝶がナンパ男に絡まれていたあの一件を目撃されていたようだ。しかし、この言い方から察するに一緒にいたという事しか知らないようで、事情は知らないが、偶然見たと言ったところだろう。
「たまたま時間があっただけでしょ」
「でもあの道、ほとんど人通らないし、学生なんてなおさらだよ?」
「どうしてそれを知っているんだ? 俺が覚えている限りだと登校中に誰かと会った記憶ないけど」
柊真の記憶では自分の家の近くには同じ学校の生徒はいなかったはず。それにあの道が人通りが少ないのを知っているのはいつも通学路として使っている柊真だけなはず。なのにこの少女は知っている。では普段から使っている? 否、だったら気が付くはず。近くに同級生なんていなければこんな目立ちそうな女子だっていない。
「そっ、それがたまたま通りかかったんだよねぇ~」
「今日に限って?」
「そうそう、猫いて追いかけてたら偶然! それで人通らないなぁ〜って」
「………」
本当に偶然なのだろうか。今日、柊真が偶然に夏蝶と遭遇して、それを偶然見られていただけ。それにたまたま通りかかっただけの人間がどうやって人通りが少ないと理解したのだろうか。
「偶然って、二つ重なるとかえって必然だったりするんだよな……」
「───っ!!」
そうつぶやいてため息をしている柊真は隣にいる女子のことなど一切気にしていなかった。
「でも、ほんとすごいよねぇ~! あたしが猫に遭ったのが偶然で、二人が今朝会ったのが偶然で、それを偶然見ちゃったんだから! 一日に短時間で三回も偶然さんと遭遇してしまうとは……何かいいこと起きないかなぁ~」
「……そうだな」
「いいこと起きるんだったら暁月君は───あ」
そこで授業終了のチャイムが二人の会話を遮った。もう彼女と話すことは無いだろう。住む世界、吸っている空気が違う。柊真はそんな風に思っていた。
「なぁ、柊真」
「なんだ?」
理科室から戻ると同時に俊太が柊真のところを訪ねてきた。
「さっきの時間、ひなちゃんと何話してたんだ?」
「どちら様だよ」
「
どうやらさっきの時間に話した女子は雛菊という名前らしく周知の人間らしい。知らない方がおかしいなどと言われた。
「知らなかったな。というか初めて話したし、気にもしてなかった」
「ま、柊真らしいといえばそうだが」
「………」
「いつも明るくて、誰にでも優しく接している。成績も上、運動神経も抜群」
「……?」
「ひなちゃんだよ」
「ああ」
「いつもクラスの中心にいるのに慢心しない。平等で公平で、その上あのルックスだ。人気にならない理由がない。正真正銘この学校の一番だよ」
「一番……ね」
そして、その日の放課後。柊真は夏蝶のところへと向かった。
帰りのHR《ホームルーム》が終わるとすぐに教室から出て行ってしまったので、急いで追いかけると昇降口から一人で歩いている夏蝶の姿が見えた。
「ストーカー?」
「ある意味そうかもな」
校門を出ると、その前からこちらの気配に気が付いていたのか、夏蝶が振り返って柊真を視界に捕らえた。
「ふ~ん」
「正直に言ったから見逃してくれ」
そう言われた夏蝶は、おなじみの場所へ電話を掛けようとしている携帯をポケットにしまった。
「それで? 私に話しかけてくるなんて一体何の用かしら?」
「別に。ナンパに遭遇した手前、怖いだろうと思って家まで送ってあげようかと」
「………」
「あれ? 送るだけじゃ不服?」
「違うわよ! 送られることが不服、分かってて言っているでしょ」
「なら、どうして振り返ったんだ?」
ナンパが怖かったのは分かっている。怖くないのに手が震えるはずがない。寒いからと言われれば何も言えないが時季が時季だ。寒いなんて氷を担いで裸で歩いてないと感じないだろう。
「黙ってストーカーされろっていうの?」
「ツンデレないで有名な冷徹な春日さんならそのくらい無視できるでしょ」
「───やめて」
柊真はもしかすると、とんでもない地雷を踏んでしまったのかもしれない。ツンデレない女子。言っているほうは何も感じない。当然だ、ただ言っているだけだから。けど、言われているほうからしてみれば気持ちのいいものではない。何を感じているのかは柊真にわかるはずもない。
「ん?」
「何も知らないくせに───」
「当たり前だろ」
「……え?」
初めから誰かを知っている人間はいない。初めから誰かを理解できる人間はいない。だからこそ、人間はその誰かを知るために関係を築く。知った気になっているのはただのこの人はこうであってほしいという自分の中の願望だ。自分が産んだ子供ですらその深層心理まで理解することは難しい。自分の心すら分からない人間がいる中で他人の心が読める人間はいないから。それができれば人間にいさかいは起こらない。では、なぜ起こるのか。それは自分と自分ではない誰かとの違いを否定して挙句、相手に自分の理想を押し付けているから。
「何も知らない。だから俺は春日さんがどんな思いで日々を過ごしてるかなんて分かるわけないだろ、それにツンデレないなんて言葉も知ったのは最近だ」
「………」
「でも、一つだけ知っていることがある。と言っても知っているだけで意図は分からないけど」
人を知るために、人は生きる。本当の意味で独りで生きていける人間はいない。どこかで必ず誰かが力になってくれている。直接でも間接でも。
「だから、どうして俺を見ていたのか───教えてくれないか?」
「……いいわ。好きにストーカーしたら?」
柊真の問いには答えていないが、ストーカー行為は許容したらしい。
「んじゃ、お言葉に甘えて」
その言葉通りに、柊真は歩き始めた夏蝶の少し後ろについた。すると、進む方向は変えず夏蝶が話しかけてきた。
「それで? あなたは何が目的なのかしら?」
「目的?」
「ただでこんなことをするような人間とは思えないのだけれど」
「人の善意は受け取れる分だけ受け取っておいた方がいいぞ」
「善意ね……あなたにそんなものあるのかしら」
「俺から善意を取ったら何が残るんだろうな」
「何も変わらないでしょ」
教室で二人になった時と口調や、態度は変わらない。だけど、柊真はその言葉にに感情が乗っているような気がしていた。
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