始祖の物語

大橋 知誉

始祖の物語

太陽暦3024年12月22日


 白装束に身を包んだナギサは、葉山家に代々伝わる刀の一振り ≪わかつ丸≫ を手に取り腰に差した。


「佐助。今日の滝沢家の動きは?」


「滝沢家当主は牧之原の南方に出陣です。」


 忍び型 AI の “佐助” の声が直接頭の中に響いた。


「わかった。ありがとう。」


 ナギサは壁にかけられた猿の面を顔につけ屋敷を後にした。


 土の道を走る。


 葉山家94代目当主。女性にして歴代最強の呼び声高い剣豪。それがナギサだった。


 葉山家と滝沢家は二千年の長きに渡り対立してきた二大勢力である。

 対立はやがて紛争となり、果て無く続く戦争へと発展している。


 原因は信仰の違いだった。

 だが、いつしかそれは、信仰の名のもとに正義を振りかざした、ただの領地争いになっていた。


 この戦争の本線では、完全立入禁止の戦闘領域にて無人のドローンが爆撃合戦を繰り広げている。

 その昔は生身の人間が殺し合いをしていたそうだ。


 その名残なのか、両家には二千年前から代々続く決闘の儀式があった。

 当主同士の一騎打ち。決着がつくまで数日おきに行う。これを彼らは二千年も続けているのだ。


 ナギサはひた走った。


「佐助。滝沢は?」


 牧之原に入るや否や、ナギサは佐助に確認を入れた。

 ただの草っぱらに見えるが、ここは由緒正しき決闘場所なのである。


「右斜め向かいに潜んでいます。」


 ナギサは、地を蹴る足を緩めることなく、ふっと息を吐き、自分に気合を入れた。


 佐助が示した方向にキラリと光るものが見えた。

 走りながら刀を抜く。


 すぐに相手の姿が目視可能となった。


 白装束姿の長身の男。狐の仮面をつけている。滝沢家の当主だ。


 彼の姿を見ると、ナギサの胸は高まる。

 早く剣を交えたいと思う。


 ナギサは弾丸のように走って男の懐に飛び込んだ。


 キーンっと甲高い音がして、刀が触れ合う。


 ナギサが競り負けて弾き飛ばされた。

 ザザっと足を踏ん張って体制を立て直す。


 この滝沢家現当主は二年前に就任したばかりの若き剣士である。強い。

 ナギサと互角…いや、認めたくはないが、向こうの方が強い。


 ナギサは刀を水平に持ち帰ると、素早く打ち込んだ。


 相手はスレスレで攻撃をかわす。

 幾度も戦って来た相手だ。だいたいの攻撃は読まれてしまう。


 間髪入れずに水平切りが来たので、ナギサは身体をのけ反らせた。

 胸元に大きな空間ができる。


 斬られるっ!!


 そう思った瞬間、相手は刀を振り下ろすのをやめ、ナギサの胸に蹴りを入れてきた。


 ナギサは後ろに吹っ飛んだ。


「何故、斬らない!」


 思わずナギサは叫んでいた。


「殺したくない。」


 相手が答えた。

 先ほどの蹴りは後ろに押し出しただけで、まるでダメージのないものだった。

 この人は時々このようなことをする。


 どこか手加減しているように感じることがあって、その度にナギサは屈辱的な想いを味わうのだった。


 その時、滝沢家当主が信じがたい行動に出た。


 なんと、刀を鞘に納め、つけていたお面を外したのだ。


 当主は決闘の際、必ず面を着け、決して相手に素顔を見せない。

 相手に顔を見せるときは、つまり、死ぬときなのだ。


 滝沢家当主は、その面を取り、顔をあらわにした。

 若い男だった。ナギサよりずっと若いかもしれない。


「僕は滝沢家92代目当主 滝沢カイだ。」


「知っている。こんなことをして、何を企んでいる。」


「何も企んではいない。あなたと話がしたい。」


 そう言うと、信じられないことに滝沢カイは柔らかい表情で微笑んで見せた。

 先ほどまで、殺し合いをしていたとは思えないような穏やかさだ。


 その雰囲気にナギサは動揺した。

 滝沢カイは続ける。


「僕たちは、いい加減この呪縛から解き放たれるべきだ。殺し合いをやめたい。」


「言語道断! 刀を抜け! 斬るぞ!」


 叫びながらナギサは無防備な彼に切りかかった。


 バシーンと衝撃が腕に走り、ナギサの ≪わかつ丸≫ が真ん中で折れた。


 拳ひとつで、滝沢カイは ≪わかつ丸≫ を叩き割ってしまったのだ。


 葉山家に代々伝わる ≪わかつ丸≫ を…!


 ナギサは折れた刀をただ見下ろした。

 そして、ゆっくり滝沢カイの方へと視線を上げた。


 生まれて初めて恐怖を感じた。


 滝沢カイが先に動いたので、ナギサは咄嗟に身をかわそうとしたが遅かった。


 彼は素早くナギサの体を捕まえると、そっと彼女のお面を取った。


 二年間殺し合いをしてきた二人の視線が初めて交わった。


 その瞬間、相手にわずかながら隙が生まれたのをナギサは見逃さなかった。

 手際よく急所に蹴りを入れ、彼の腕から逃れると、一目散に退散した。


 全速力で走った。


 屋敷に戻ると、ナギサの手には折れた刀が握られたままだった。


 滝沢カイ。何のつもりだ。


「佐助。滝沢家現当主について解っている全ての情報をくれ。」


「はい。滝沢家現当主は滝沢カイ、21歳。男性。先代の甥。二年前に当主に就任。これまでの決闘の傾向を解析の結果、タイプは受け流し、防御型。反撃を利用した一撃必殺を得意技とするが、実戦では未使用。」


 一撃必殺…確かに未使用だ。


「佐助。これまでの私と滝沢カイの決闘で、滝沢カイがとどめを躊躇したと思われる回数を出せるか?」


 しばらく佐助は黙ったままで検証を行い、そして言った。


「とどめを躊躇したと思われるケースは、15回。その他、体当たりなどで斬り合いを回避したケースが23回あります。」


 そんなにあったか?

 くそ…あいつ、バカにしやがって…。


 ナギサはその夜、布団に入ってもなかなか眠れなった。


 憎いはずの相手だが、思い出されるのは、面を取った時のあの穏やかな表情ばかりだった。


 くそ…。


 今日のあれは、私を動揺させるための心理作戦か?

 いや…あいつにはそんな小賢しいまねはできない。


 二年間剣を交えたナギサにはわかっていた。

 とにかくあいつの剣にはブレがない。気味悪いほど真っすぐで裏がない。今思えば、殺意すら感じられない。

 そのくせ、とどめを刺さない甘さもある。


 あれは、あいつのバカ正直な気持ちなのだろう…。いったい何を考えているんだ。


≪聞こえるか?≫


 突然頭の中で声がした。


 ナギサは驚いて布団から跳ね起きた。


≪葉山ナギサ?≫


 間違いない。滝沢カイの声だ。

 脳内のチップをハッキングされたのか?


≪滝沢カイか?≫


 ナギサは声には出さずに頭の中で返答をした。

 声を出したら佐助に悟られる。なぜかそれは避けた方がいいと考えた。


≪そうだ。この回線は数分間だけ、誰にも感知されずに会話できる。声、出してないよね?≫


≪出していない≫


≪時間がないから用件だけ言う。明日、大岩山まで来てほしい。話がしたい。誰にも見られず、オフラインで、刀は無しで≫


≪約束はできない≫


≪待っている≫


 一方的に繋いで来て一方的に切られた。

 何を考えているんだあいつ。


太陽暦3024年12月23日


 長い山道を登って行くと、大岩山が見えてきた。

 ここは点在する中立領域のひとつだ。


 来ないつもりだったが、来てしまった。


 岩の下で待っていた滝沢カイが小さく手招きをしたので、ナギサは彼の近くまで行った。


「話とはなんだ。」


「殺し合いを終わらせたい。」


 ナギサに視線を走らせながら滝沢カイは言った。

 まだそんなことを言うのか…とナギサは黙って相手を睨みつけた。


「あそこで行われているドローン戦争のことを考えたことはあるか?」


 戦闘領域の方角を指さしながら滝沢カイが言った。


「時々は、考える。」


 戦闘領域を望みながらナギサは答えた。


「無意味な破壊行為だ。即刻やめるべきだとは思わないか?」


「思う、思うが…。我々にはあれを止める術がない!」


 この戦争は、どちらかのドローンが全滅したときに初めて終結するよう仕組まれて自動で進行している。

 開発者の意向なのか何なのか、この戦争には強制終了など、外から介入できる方法が用意されていなかった。

 つまり、人間には止めることのできない戦争なのだ。

 既にこの世にはいない開発者が何を思ってそんな代物を作ったのか…今となっては誰も知らない。


 ただ、戦いだけが残っている。


「AI同士の戦いには決着はつかない。永遠に続けるのか? それに、僕たちがやっている決闘だって同じだ。何のために殺し合っている? 当主が死んだら、次の当主が敵を取りにくる。こちらも終わりのない殺し合いだ。」


「長老たちをどうやって説得する? 彼らは絶対に理解しあわないぞ。」


「理解しあえると思うからダメなんだ。理解し得ないことを理解し、受け入れる。俺たちに必要なのはそれだ。」


 ナギサは黙って滝沢カイを見つめ返した。


 不意に、滝沢カイが腕を伸ばしたかと思うと、ナギサは彼の元へ引き寄せられ、胸の中に抱かれていた。


「僕にはあなたを殺せない。この二年間ずっと。あなたも感じていただろうか。」


 見透かされている。この男には何もかも見透かされている。

 今こうして抱き寄せてもナギサが抵抗しないということも含めて。


 ナギサは滝沢カイから体を離そうともがいたが、本気で逃れようとしていない彼女は彼の腕から抜け出ることはできなかった。


「私は…私はお前の叔父さんを殺したんだぞ!」


「わかっている。わかっているよ。その叔父は、あなたの御父上を殺した…」


 返す言葉がなかった。

 滝沢カイの言う通りなのかもしれない。敵討ちは不毛だ。どこかで断ち切らねば永遠に続く。

 それを、私達でやろうと言うのか?


 滝沢カイの胸の中にいると、彼の心臓が早鐘のように鳴っているのが聞こえた。

 それを聞いていると戦意が喪失してしまう…。


 ……。


 ダメだ! ダメ!


 ナギサは両手で滝沢カイの胸を押すと体を離した。


「ダメだ。無理だ。私は当主だ。明日私は予定どおり、お前を殺しに行く。」


 彼女を引き戻そうとする滝沢カイを強く押して、ナギサは彼の腕から逃げた。


「ナギサ!」


「私を名で呼ぶな!」


 ナギサはそう言い捨てると振り借らずに大岩山を後にした。


 ナギサは忘れようとした。滝沢カイの全てを。

 しかし、忘れようとしてもできなかった。


太陽暦3024年12月24日


 ナギサは普段どおりに決闘の準備をした。

 ナギサは代わりの刀 ≪游合 村雨≫ を手に取った。


 刀を腰に差し、猿の面をつけて、牧之原に立った。

 今日は葉山家が受ける番なので、ナギサは自分の陣地と決めた場所で、彼の到着を待った。


 滝沢カイはゆっくり歩いて登場した。

 面はつけていなかった。

 腰に刀は差しているが、全く抜く気はなさそうだった。


 また彼が何か言い始める前に、ナギサは刀を抜き水平に構えた。


 そして突いた。


 滝沢カイは避けなかった。ナギサの刀は彼の肩を貫通した。


 ナギサはかなり慌てた。だが、急所を外していることを確認するだけの冷静さは保っていた。


 滝沢カイが動かないので、ナギサは素早くさっと刀を彼の肩から抜いた。


 刀を抜くと、滝沢カイは立膝をついて、肩を押さえた。

 じわりと血が滲み始めた。


 ナギサは自分の感情が把握しきれなくなり、逃げるようにその場から立ち去った。


太陽暦3024年12月25日


 翌朝。朝一番で滝沢家当主死亡の旨が伝えられた。


 ナギサは大いに取り乱した。


「佐助、もう一度確認してくれ。本当に滝沢カイは死んだのか? どうやって死んだ?」


 しばらく佐助は黙っていた。めずらしいことだった。


「これは非公式の情報です。滝沢カイの遺体は大岩山にあるとのことです。」


「非公式の情報とは何だ?」


「お答えできません。」


 ナギサは佐助に全てオフラインにするよう命じた。

 そして屋敷を飛び出した。


 彼女には確信があった。

 ……生きてる!!! 滝沢カイは生きている!!!


 ナギサは大岩山に向かって走った。


 大岩山の周囲には滝沢カイのものと思われる血痕が多数あったが、彼の姿はなかった。


 ナギサが息を切らして岩の周囲を確認していると、後ろの雑木林から彼女を呼ぶ声がした。


 急いで向かうと、大きな木の根元に滝沢カイがいた。

 簡易的な治療しかしていないために、傷口が悪化していた。


 ナギサは持ってきた鞄を広げ、彼の肩を治療した。


「お前はバカか。私が来なかったら本当に死んでいたんだぞ。」


 治療しながらナギサは言った。


「僕を殺すんじゃなかったのか?」


 ナギサはため息をついた。


「もう、私にはお前を殺せない。」


 少しの間があく。


「じゃあ、やめる? 戦争。」


「やめられないよ。」


「やめられるさ。戦争は終わる。僕たちが望むのならば。」


「何か考えがあるの?」


「うん…でもその前に…」


 滝沢カイは言葉を切ると、ナギサの体を引き寄せて、そっと彼女の唇に口づけをした。

 ナギサは一瞬抵抗する素振りを見せたが、そのままその口づけを受け入れた。


 二人はそうして長いこと口づけをかわしていた。まるでこの二年間の穴埋めをするかのように。


 ようやくナギサから顔をはなした滝沢カイは彼女の耳元でこうささやいた。


「あるんだよ、この戦争を終わらせる方法が。誰も気が付かなかった方法が。」


・・・・


 それから三年後。滝沢カイと葉山ナギサは本当に二千年続く戦争を終わらせてしまった。


 その方法は…、ドローンを操っているAIのマザーコンピュータを物理的にぶっ壊すことだった。


 そんな原始的な方法で…とナギサは驚いたものだが、これは、両家の協力がなければ実現不可能な方法でもあった。


 マザーを破壊するとドローンたちはその動きを止めた。


 戦争は終わったのだ。本当に。


 鉄くずと化したドローンたちが放置された戦闘領域が残された。人々は何百年もかけて開拓していくであろう。


 戦争は終わる。あなたが望むのであれば。


 これが我が民の始祖、カイとナギサの物語である。

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