第12話 セックスレスになる前は。
平日の月曜日。
慌ただしく学校へ出かけて行った息子と娘を見送った後、寝室へ入る。
爽やかで眩しい朝日が差し込むはずの窓には、カーテンがしっかりと閉められ、完全な闇とはいかないまでもなんとなく薄暗い。
那智は、ほんのわずかに寝室のドアを開ける時に躊躇を見せ、何故か少しもじもじする。
やがて意を決したように、毎朝の日課として、朝寝坊している夫を起こすため、中へ入った。
「お父さ・・・あぐっ」
入室した途端に口を塞がれ、羽交い締めにされたように背後から身体を拘束された。
強盗でもいるのかと一瞬疑ってしまう程に驚愕し、すぐにその慣れた体臭や体温から夫の雅の悪戯だと気づく。
背後をゆっくりと振り返り睨み付けるように見上げると、小悪魔みたいに笑っている雅が視線を合わせてきた。
「へへ、びっくりしたでしょ。スリルある?」
口を塞ぐ手の力を緩めた彼が、軽く那智の額にキスを落として言う。
「驚かさないで。心臓が止まるかと思ったわ。」
両手で夫の手を握って口から引き剥がした那智は、呆れたように口を尖らせた。
「スリルのドキドキと、恋のドキドキは似ているから、吊り橋効果って奴が発動しちゃうでしょ。」
得意げにそう言った夫はその尖らせた唇を那智の首筋に吸い付かせる。
那智は、呆れてしまう。
結婚して二人の子供までいるというのに、何を今更言っているのだろう。
お互い中年と言っていい歳になって、ずっと一緒に暮らしてきたのだ。艱難辛苦の全てを二人で乗り越えた、とまでは言えないが、それでも一緒に過ごしてきた年月は好きでなければ続かないくらい長いと思うのだ。
「・・・どうして今更吊り橋効果が必要なのか、わかんないな。」
「マンネリ防止策に。」
余りにもまっとうな理由に思わず笑いが洩れる。
那智の顔を仰向かせて、上から覆いかぶさるように覗き込んだ雅は、そのまま彼女の唇の自分のそれを重ねていった。
突き出すように反った頤から喉のラインは昔と変わらない。それを見て、雅はセクシーだな、と思う。
多少太ったかもしれないし、身体の線が崩れたのは確かだろう。二人の子供を産んで、ある程度の年月を経た身体なのだから当然だ。
そんな彼女に、雅は欲情する。
シミが増えたと嘆く肌にも、たるんだとこぼす肉体にも、重力に負けたと悔しがる乳房も、何もかも。
それが那智のものだと思えば十分だ。
それだけで雅にとっては欲するに値する。
若い頃から那智は自分の価値について過小評価で、どこか引け目を感じているようなことを言うけれど。
「ぎゅっとして、なっちゃん。」
「ん」
優しく夫にしがみつく手の力も、恥ずかしそうに目を伏せる所も、愛しくて仕方がないのだ。
「ねぇ、朝飯も洗濯も後でいいよ。寝床がまだあったかいうちに、しよう?」
耳たぶを軽く噛みながら甘く囁く雅の声に、那智が震えた。
可愛い那智が尋ねた。
「あたしのどこがよくて結婚してくれたの?っていうか、どうしてあたしと付き合おうって思ったの?」
彼女は、どこを好きになったのかを夫に尋ねた。
どこだったっけ。
これと言って、どこと特筆すべきところなどない。
だって全部好きなのだ。嫌いな所なんてない。欠点さえ、那智だから許せる。だから、特にどこだなんて言えない。
那智と初めて会った頃の事を思い出せば、それも思い出せるだろうか。
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