第8話 セックスレスでもAVは有る。

 どうせ本当に一緒に入浴する気など無いくせに、那智を揶揄ったのだろう。

 腹は立つけれど、それでも大事な夫なのだ。風呂上がりの水分に、彼が好む炭酸水を用意して食卓に置いてファンヒーターを点ける。湯冷めしないように部屋を暖めておかなくては。

 髪を乾かし、化粧水と乳液を顔に塗りたくっていると、ドアの音が聞こえた。風呂から出たらしい。足音はしないが、ドアの開閉の音はよく聞こえるのだ。

「あ、俺の好きな奴。ありがとー。喉渇いてたから嬉しい。」

「冷えないうちに髪乾かした方がいいよ。」

 そう声をかけてから、那智はパソコンの電源を入れた。

 咲良がいないので、夜中に起こされる心配も無い。心置きなく夜なべして仕事が出来そうだ。

「なっちゃんは、仕事?がんばってるね。」

「まあねー。みっちゃんは具合悪かったんだから、早めに寝るんだよ。でもって明日もちゃんと寝坊せず会社行くように。」

「・・・休みたいなぁ。」

 また始まった。

 そんなに会社はイヤなのだろうか。実は、社内でいじめにあってるとか?セクハラやパワハラに合ってるとか?

 パソコンから目を上げた瞬間、目の前に雅の顔があった。

 びっくりして、顔を引こうとすると首が押さえられ、固定される。

 言葉を発する間もなく、口を塞がれた。

 ちゅーなんかしたのは何か月ぶりだろうか。炭酸水に入っていた柑橘系の香りが雅の口から通って那智の口内まで届く。

 濡れた音がして、唇の間に雅の舌が押し込められた。炭酸水が冷たかったのだろうか、彼の舌は那智の口の中の温度より低い。冷たくて柔軟なそれが内側を舐める動きがいやらしくて全身が緊張した。心臓の辺りが、ズキズキと痛む。忘れかけていた、疼くような甘い痛み。

 狼狽の余り硬直していた那智の手が、雅の背中に回る。

 すると、夫は名残惜しそうにゆっくりと唇を離した。

「なっちゃんの手、あったかい。気持ちいい。・・・ね、もっと触って?」

「え、あ、う、うん、いいけど、お?」

 久しぶりのキスに、頭がぼんやりしてしまい、上手く返事が出来なかった。

 雅が、くすりと笑ってその白い手をパソコンのキーボードへ乗せる。

「ちょ、ちょっと何すんの」

 自分のパソコンを夫が勝手に弄ろうとするので慌ててその手に縋りついた。仕事で使う資料が入っているのだ。勝手にさわられては困る。

「何って・・・BGM?]

 止められても指先を動かすのをやめない。やめてもらいたい、那智の大事な仕事道具なのだ。

「BGMって、音楽聞きたいならスマホでも」

「違うって。・・・これなんかどうかな?なっちゃんこういうの好きでしょう。」

 問いかけられ、恐る恐る画面を見る。

 画面いっぱいに素っ裸の男女がくんずほぐれつな場面が音声付きで流れている。エロ動画じゃないか。 うふんあはんな女性の声や、何の音なのか言葉に出来ないような音が自分の仕事用パソコンから出てきて、那智は赤面した。

「やだ、こんなの、どこから・・・!」

「こんなの、ネットからいくらでも拾えるよ。ね?興奮した?」

「しないわよっ!切って、こんなの、やだ!」

 画面を切ろうと手を伸ばすが、その手を雅に掴まれてしまった。

「これは気に入らない?じゃ、こっちの方がいい?ほら、男優さんが結構イケメン。どう?」

 違う動画を持ってきたのか、演じている人間が変わるが、やっていることに変わりはない。

 一体何の嫌がらせだ。レスになって長いのに、こんなのを見てどうしろというのだろう。そりゃ、見れば確かに変な気分になるけれど、少なくとも那智は、夫と一緒に見たいものだと思わない。AVを眺めて羨ましそうに涎を垂らす妻を見て何が楽しいと言うのだ。

「・・・っつ」

 ぐっと顎を捕まれ、目をそらそうとしても顔を画面の方に向けられる。

 両手は背後で掴まれたままだ。

「ねぇ、見て。ほら、こんなふうにされたら感じちゃうかな?なっちゃんにもしてあげようか。この女優さんみたいに、やらしい声だしてくれる?」

「いい加減にしてよ!!」

「声が大きいよ。総がおきちゃったらどうするの。」

 そうだった。大声を出したり物音を立てたりできない。総の部屋は二階だが、案外一階の音は二階に響く。

 顎を掴んでいた手が、那智の口の中へ侵入する。

「んむっ・・・!」

「静かに、ね。ほら、見て。女優さん凄い気持ちいいのかな。ほら、凄く腰が動いてるよ。」

 真剣に画面の中を見て描写してくる口調は、やっぱり揶揄うようで。

 およそ30分近いそのAVを夫婦で見つめると言うわけのわからない状況に、那智は混乱するばかりだ。

 15年の付き合いだが、雅がこんなものを那智に見ろと言ってきたのは初めてだ。虚弱であろうとも夫だって男なのだから、妻である自分の知らない所でその手のものを眺めているだろうな、という推測はしてきたけれど、まさか一緒に見る羽目になるなんて思いもしなかった。


 

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