第6話 セックスレスでも世話は有る。



 夕食が終わるころ、自宅の電話が鳴った。

 携帯電話ではなく自宅にかけてくるのは、学校の先生か勧誘、そして、那智の実家の母親だ。

 娘が林間学校へ行っているので、学校からではないかと冷や冷やしながら受話器を取る。急病や怪我ならば大変なことだ。

 だが、その声を聞いて安堵した。

「お母さん。こんばんはー。」

 隣県にいる那智の実家からだった。お歳暮を贈ったそのお礼に電話してくれたらしい。

 母親の声音で祖母だとわかった長男は、食卓からリビングへ移って家庭用ゲーム機のスイッチを入れた。彼にとっては、冠婚葬祭と盆暮れ正月しか用のない母親の実家に対し、何の感慨も無い。今日は妹もいないので、ゲーム機もテレビも独り占めできる。

「変わりはない?」

 実母の元気そうな声を聞いて、那智も明るく答える。

「みんな元気よ。そっちはどう?お姉ちゃんとお義兄さんは元気?聡美さとみちゃんは?」

 実家を継いだのは実の姉であり、姉はお婿さんをとっている。継ぐと言っても、那智の両親は普通の公務員なので、家業があるわけではない。ただ家を継ぐという、それだけである。義兄は地元では名の通った割烹旅館の板前さんだ。聡美は、咲良の一学年下で、姪っ子にあたる。

「元気だよ。この間、聡美が学校でなんとかの賞をとったとかでね。」

 孫の功績を称える祖母の声はご機嫌だった。

 実家の母は外孫である総一郎が小さい時、とても可愛がってくれた。今でも可愛がりたいのだろうが、もう孫の方が大きくなってしまい祖母の元へ寄りつかない。咲良は人見知りが激しくて実家に連れて行っても余り祖母に懐かなかった。だから内孫である姪が可愛くて仕方がないのだろう。

「凄いじゃない。鼻が高いね、お母さん。」

「お前の方は来年は総が受験だろう。心配だねぇ?」

「そうねぇ。心配だけど本人は全然。今は部活の事しか頭に無いみたいだわ。一応レギュラーだから、しょうがないけどね。」

「まさかスポーツ推薦で高校へ行こうとか考えてるのかい?」

「そんなん、無理無理。そこまで強豪じゃないもん。来年になったらスパルタな塾にでも放り込むつもりよ。」

 えー、やだぁ、とリビングで長男の不満の声した。ちゃっかり聞いているらしい。

「お前、身体の方は大丈夫なのかい?」

 孫の話題から急に改まった口調で母親は娘の健康を心配する。

「大丈夫よ、元気にしてるわ。ちゃんと健康診断も受けてるし。」

「仕事も続けているんだろう?あんまり無理するんじゃないよ。根を詰めるとまた病院に運ばれるようなことになっちゃうじゃないの。お前が倒れたら、誰が咲良や総の面倒を見るんだい。」

 那智は以前、貧血を起こして倒れたことがある。しかもタイミングの悪い事に、その日は授業参観で、小学校で倒れてしまったのだ。母親はその時の事が余程ショックだったのか、何かにつけては那智の健康を心配する。那智は小さなころから丈夫で、大きな病気も怪我もした事がなかった。だから随分驚いたのだろう。

 確かに那智は丈夫だったし、40年近く生きてきて、二度も出産しているにも関わらず貧血を起こしたのはこの時が初めてだった。

 今思い返してみれば、あれはストレスのせいだったと思う。実家の両親には黙っているが、あの頃、夫の雅が健康診断でひっかかり、大腸がんの疑いがあったのだ。

 そうでなくても虚弱で何がら年じゅう頭が痛いのお腹が痛いの言っては会社を早退してくる雅だったので、那智は心配の余りストレス性の不正出血に悩んでいた。しかし夫ががんかもしれないと病院通いをして検査に明け暮れていたので、とても自分が医者に相談することなど出来なかったのである。

 精密検査の結果、雅の大腸がんの疑いは単なる誤診だった。人騒がせな話だが、誤診でよかったと肩をなでおろした。その後、那智も通院し、次第に健康を取り戻していったのである。

「もう大丈夫よ。貧血で倒れたのは、もう三年以上前の話なんだから、平気平気。お母さんこそ、慌てて転んだりしないようにね?その年で骨折なんかしたらもう、寝たきりまっしぐらよ。まだそうはなりたくないでしょ?」

「なりたかあないね。気を付けるとするよ。」

「じゃあ、またね。お正月にでもまた顔を出すわ。」

「待ってるよ。」

 受話器を置いて食卓に戻ると、いつの間にか夫が座っていた。移動時にあまり足音を立てない雅に、時々驚かされる。

「実家のお母さんだね?声が違うからすぐわかるよ。」

 小さく息をついて、そうよ、と答える。長男の開いた食器を手に立ち上がった。

「もう大丈夫なの?夕ご飯食べられる?カレーだけど。」

「うん、いただこっかな。総一郎の半分くらいのご飯でいいや。」

「わかったわ。」

 パジャマ姿にカーディガンを羽織っている夫は元気そうに見える。ひと眠りしたので調子が良くなったのかもしれない。娘がシャレで父親に選んだリラッ〇マのパジャマは、予想に反して非常によく似合っていた。

「総一郎、お風呂沸いてるわよ、入んなさい。明日も朝練あるんでしょう。」

 ゲームに夢中になっている長男に入浴を促すと、焦ったような声で情けない答えが帰って来る。

「ちょっと待って、セーブできるところまで行かせて。お願い。」

「冷めるわよ」

「あとちょっとだから。」

「5分以内に入らなかったらセーブデータを綺麗に削除しちゃうからね。」

「ああ、そんなお母様、ヒドイ。」

 息子と言い合っていると、父親がリビングに割り込んできた。

「なんだ、総、なんでセーブポイントまで行きつけないんだ?」

「どうしてもこのボスがやっつけられないんだよ、頼むよ、父さん。」

 コントローラに電源を入れた雅が参戦する。

 父親のくせに、息子と一緒にテレビゲームに夢中になっている。雅は本当に子供には甘いのだ。

 温め直したカレーを食卓に置いた那智は、もう一度リビングに向かって叫んだ。

「お風呂もカレーも冷めちゃうわよ!!」  


 


 

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