第5話 セックスレスでも思いやりは有る。

 


 彼女の指が軽く目元のほくろを掻くように触れて、ウィンクした。

「もっと、いい、の」

「そう。もっといいのを見つけるのよ。そのためには、自分自身も磨かなくちゃねぇ。」

 それはつまり、不倫ということだろうか。

 元同僚で友人のちとせが、不倫を望んでいる、そう思ったら、なんだか急に友人が遠い存在のように思えてしまった。

 そんな女性ひ とじゃないと、思っていたのに。

「で、でも、それってダンナさんに悪くない・・・?」

 自分でも硬い声が出てしまったと思う。

 会った事も無い人だが、それでも友人の配偶者をなんとなく庇うような発言が出てしまった。

「なぁーに言ってんのよ。出産の時も、夜泣きした時も、運動会や授業参観すらほとんど手も足も出さないような男よ。あたしが躾と思って叱れば、面倒くさいもんだから子供を甘やかして。いつだってあたしは悪役だったわ。あの男、家事だってほとんど手伝わないし、子守が面倒くさいと思えばすぐに実家に預けちゃう。それで向こうの親に嫌味言われるのはあたしなんだから。息子の健士けんしがいなかったら、あんな男と結婚なんかしなかったわよ。」

 那智は目を丸くする。

 ちとせとは長い付き合いだけれど、こんな風に旦那の悪口を言ったことは無かった。

 確かに、以前から家の事はしない人だと聞いていたけれど、こんなにも積もり積もった愚痴があったとは。

「うちと違って廉野さんはいいわよね。優しそうだし、子供好きらしいし。」

「・・・まあ、そこは確かにそうだけど、でも」

「なんかさ、アレしなくなっちゃったらさ、夫婦っていうよりただの家族だよね。子供出来ると、正直旦那の事なんか構ってられないってなるじゃない?そうするとスるのもイヤって言うか面倒っていうか・・・どこのうちもそうやってレスになって行くみたいよ?」

 ちとせの言う事には、返す言葉も無かった。

 それはまさに、那智自身がそう思い、自分に言い聞かせてきた言葉だからだ。

 先ほどとは違うウェイトレスが、Aランチを運んで来た時、那智の携帯が鳴る。ラインの音だった。

「ごめんね?」

 那智は一応気を使って友人にお伺いを立てる。

「どうぞ。」

 ちとせの許可を取って鞄からスマートフォンを取り出した。

 よもやというかまさかというか、雅から。

 またも会社に迎えに来て欲しい、という連絡だった。また具合が悪いのだと言う。

 彼が体調がいいという日を、那智はここしばらく聞いたことがない。

 娘が初めての林間学校へ出かけたと言うこの日に、雅はまたも寝込むのだろうか。

 本当に具合が悪いのならば、気の毒だし、同情も覚える。医者に連れて行って看病しなくては、と思うのだが。

「何かあった?」

「うん・・・また、具合悪いから会社まで迎えに来てくれって。」

「廉野さん?こないだもそんなこと言ってなかった?」

「だからさ、本当に、弱いのよ、彼。」

 ランチに手を付けようと箸に手を伸ばしたちとせは、ため息をついた。

「・・・それじゃあ、レスにもなるわよね。」

 言われたくない一言だったが、事実なのでどうしようもない。否定材料など見当たらなかった。



 帰宅するなり布団に入って眠り始める夫はさておき、那智は総一郎のためにも夕食を作らなくてはならなかった。

 洗濯ものを取り込んで畳み、片付けもしなくてはいけない。風呂を洗って沸かして。

「ただいま」

 夫よりも低い声を出す息子が帰宅する。

 総一郎が夕食を物色しにダイニングに入ってきた。その途端に、息子が匂うので思わず顔をしかめてしまう。

 晩秋だと言うのにこんなに汗臭くなるまで部活動とは。若い人は違う。その元気を、少しは父親に分けて欲しいくらいだ。

「カレーだ。しかも、肉が牛肉じゃん。」

「安かったのよ。早く手を洗ってうがいしてきて。風邪が流行っているそうよ?」 

 その容貌が父親に似ている息子は、母親の那智から見てもイケメンだと思う。男っぽい母親の血が上手い事作用したのか、父親よりも男性らしく見えるのが更に好ましかった。学校ではそれなりにもてるらしく、昨年のバレンタインはチョコレートを7個も持って帰ってきたので驚いた。

 しかし、本人は女子には全く興味がない。彼の頭は部活動のバスケットと現在ハマっているオンラインゲームでいっぱいだ。

 早熟な女子に比べて男子はいつまでも幼稚なせいか、彼も彼の友人たちも、まるで女子には興味がないらしい。

「咲良がいないと静かだな。」

「・・・そうね。」

 息子と二人きりの食卓なんて、何年ぶりだろう。

 夫の雅は在宅なのに、寝込んでいるので食卓に付かない。なんとも妙な感じだが、起きてこないので仕方がなかった。


 

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