感謝ともどかしさ

 三週間が過ぎた頃、弟の昌宏まさひろさんに教えてもらい私は新幹線に乗りひろの病院へ向かう。


 昌宏さんも来ると言ったが、夜になるとのことだった。


 私を分からなくて当たり前なんだ。分からなくても大丈夫。どんな様子かな……落ち着かないまま、どんな顔を向けたらよいか考えながら病院に着く。

 知らされた病室の前、ドアの手すりに手をかけた。


「帆乃花?」


 歩いてきたのは奈々だった。


「奈々……どうして」

「親から聞いて。帆乃花こそ何で知ってるの?さっ入って。あ、ひろは分からないと思うから無理に色々言わないで。言ったら混乱するから」

「…………」

 なんで奈々が……当たり前のようにここに居るのか。何度も通っているような口振りに戸惑いながら中へ入る。


 ベージュの帽子を被ったひろがこちらを向いた。少し小さくなったような気がする。

「奈々ちゃん、誰?」

「高校時代の友達 帆乃花。分からないよね。ちょっとひろ、カーディガンどこやった?あ また落としてるなあ!」

「ごめん ありがとう 奈々ちゃん」


「…………」

「帆乃花さん?中学一緒だったのかな?」

「ひろ……大丈夫?ひろ……スマホとか写真とかは?」

「まだ許可が無いから。ね?奈々ちゃん」

 ひろは毎回奈々を見る。なに……。


「ひろ、私はあなたが生きてて嬉しい……すごく嬉しい」

 涙が溢れた。そんな私を不思議そうにひろは見ている。ひろは私の薬指のリングをちらりと見た。


「ちょっと、いい?」

 ひろをもっと見ていたいのに、どんな顔をしているか、何を考えているか知りたいのに……引っ張られ外へ出る。デイルームで座ると得意げに奈々は私を見据えた。


「ひろは、私が居ると安心するみたいで、だから極力ここに来てみてる。帆乃花、今更なんでひろに?卓也さんと結婚して離婚して、ひろに会いたくなったから?高校時代あっさり別れたくせに」


「奈々……ひろが亡くなったってどうして嘘ついたの?」

「……あの時は噂が本当だと思ったから。だけど本当は生きてるって知って、でも帆乃花は卓也さんと結婚してたし、余計な事言わない方がいいかなって、ごめんね。」

「奈々は、ひろに会ってたの?」

「一度会ったよ。中学ん時から何考えてるか分からなかったけど。病気だったって親から聞いて……だから誰とも付き合ったりしないんだと思って。手術したって聞いたらいてもたってもいられなくて」


 目の前で泣く奈々に私は構う気は無かった。


「私は、ひろが入院する直前までいつも一緒に居た。卓也と離婚してすぐ、ひろと居た。私には、ひろしかいないから。大事だから……」

「え?嘘でしょ……?」

「本当。」


 私は奈々にひろと撮った写真を見せた。

 それを眺めた奈々はため息交じりに笑う。


「へえ、そうだったんだ……。でもひろは全部忘れちゃったみたいだよ」


「うん。それでもいい。」

「…………」

「ひろとしばらく二人にして」

「写真とか見せちゃだめだよ……やっぱり私も」

「二人にして」


 強く言う私に奈々は諦めてくれたのか椅子に座ったままだった。


 もう一度ひろの病室へ入る。


「あ、帆乃花?さん」

「うん。ひろ……」

 顔を見たらまた涙が溢れる。嬉しいのと、もどかしいのが合わさった何色だか分からない涙が。


「結婚してるの?」

 私の薬指を見てひろが聞く。本当は裏の文字を見せたい……。

「結婚はしてない……だけど私の大事な人がくれたものなの……」

「………大事な人、いいね。その言い方」

 とひろは笑った。ひろ、あなたなんだよ。私の大事な人。


「あのさ、奈々ちゃんも泣くし、帆乃花さんも泣くし……聞いていいかな?」

「ん?」

「僕と奈々ちゃんは結婚する予定だったって、本当かな?あ、口止めされたんだけど……僕らをよく知ってるのは帆乃花さんなのかなって、なんとなく思ったから」

「……違う」

「え?」

「奈々じゃない……ひろと一緒に居たのは……」


 その時、昌宏さんが病室へ入って来た。一緒に奈々も入って来る。


「あ、帆乃花さん。大丈夫?」

「……はい。昌宏さん。本当にありがとうございました。昌宏さんが居なかったら……ありがとうございました」


 頭を下げる私に昌宏さんは明るい声を出す。


「ほんと、良かった。あ、ちょっといいですか」

 私は昌宏さんについて出る。奈々を残すのが気になるけれど。


 昌宏さんは苦笑いしながらこちらを向いた。


「あの、奈々さんって兄となんでも無いですよね?」

「え、ああ そうだと思います」

「ちょっと変なんで、退院になったら高良塚に連れて帰って通院にしましょう。」

「変って?」

「奈々さんです。退院する前に兄に説明しましょう」

「あ、は はい」

「それから……兄は帆乃花さんに自分で連絡できないような状態なら、連絡を入れないでくれと手術前には言っていました。きっと帆乃花さんに迷惑かけるような体なら身を引こうと考えたんでしょう。兄はいつもそうなんです。自分一人で全部決めてわざと孤独を選ぶような男なんで……だから勝手に連絡しました。よかったですよね?」


「もちろんです。ありがとうございます。連絡が無かったら私から探していますし、きっと私は怒ったでしょう……」


「ははは よかった。」



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